「小倉戦争と熊本藩」が、少々時間が経過しすぎた。
私が小倉戦争を御紹介したい主意は、諸氏の曽祖父位に当たられるご先祖様のご苦労をお伝えしたいという想いからである。
一番そのことが知れるのは、鹿子木彌左衛門の報告書「豊前小倉領冨野表戦争見聞書」であろう。
宮村典太の盤桓随筆の「巻6」に16ページに及ぶ書写記録があるので、読み下しをしながらご紹介する。
先人の戦場に於けるこのような記録が残されたことに感謝したい。
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豊前小倉領冨野表戦争見聞書
左御番頭三番組
一 壱番手 御備頭溝口蔵人殿 西山大衛殿
右御番頭五番組
沢村八之進殿
本陳廣壽山 安達村
左御番頭七番組
一 貮番手 惣御奉行 長岡監物殿 須佐美源左衛門殿
右御番頭八番組
牧 多門助殿
本陳来光禅寺 蒲生村
一 慶應二年七月廿七日拂暁砲聲相聞候二ツキ壱番て溝口蔵人殿本陳廣壽山ゟ早鐘之相圖二應し諸手受場
江御人数繰出候間三番組者兼而相究居候受場上冨野村江交番仕相固メ居候二付直接同所江被押出居西
北之村際原中江手分ケ相固居候處長賊馬寄新町ゟ焼立候故小倉勢引立二引続押来赤坂村ニ懸候ニ付圖
明寺境内東野宣太郎大筒手受場炮發戦争強く有之賊数十人打倒候よし同所應援として三番組子分圖明
寺江罷出同所引揚候時分二番手中村四郎右衛門大筒繰出申候尤三番組同所出張之面々左之通
組脇
田邊又助 又助養子田邊格太郎 本庄傳兵衛 傳兵衛養子本庄熊三郎
中嶌次兵衛 傳四郎弟片山小源次 米良勘助 勘助弟米良左七郎
志水一学 一学実弟志水古次郎 立石久左衛門 久左衛門養子 同熊三次
関 源之允 粟野左助 草刈善助 善助弟 草刈久満喜
佐四郎弟緒方清■ 斎藤郡左衛門 郡左衛門養子加津馬 加賀山権之允
権之允弟加賀山権次 同加賀山安之允 同人支配藤木友喜 原田丹蔵
丹蔵弟原田熊之助 儀左衛門弟井上傳記 井川弥次兵衛 弥次兵衛弟井川熊次郎
次市郎嫡子吉津丈太郎 次一郎弟同敬三郎 同人家来緒方七郎
右之面々各小銃を以大炮之間を打相働申候