慶長11年2月の半ば、忠興は一色義有の遺児だとされる、大徳寺の僧・希首座(きしゅそ)を殺害している。
弟・興元が忠興の身辺を探るこの人物に注意するように言ったとされるが、興元は慶長6年小倉を出奔しているから京都での話だろうか。
細川藤孝は忠興の妹・伊也を一色義有に嫁がせたが、その結婚を祝うと見せかけ、細川の屋敷に義有を招き謀殺するという、いただけぬ黒歴史をつくった。
希首座という人物は一色義有の遺児だとされるが、伊也の子供ではない。前夫人の子でもあろうか?
その事件後、忠興は夜になるとうなされる様になり、この刀を嫡男の忠隆に託したという。
現在の熊本県立図書館は明治の一時期、熊本市の体育館を含む広大な土地は内膳家の屋敷であった。
現在図書館本館の脇には、建築家・安藤忠雄氏が建設資金を寄付されて「こども図書館」が建設されている。
その予定地近くに写真の祠があるのだが、これが内膳家が預かった刀の霊の鎮魂のために造られたものだと伝えられている。
多分若干は逸れているのではないかと思うが、この祠がどうなったのか気に成っている。
元内膳家の屋敷跡であるが故だが、所在や由緒を御存知の方も少なく、周知につとめるとか、処を得た場所へ移すとか一考すべき時が来ているように思うが如何だろうか。