津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■小倉戦争と熊本藩(5)鹿子木彌左衛門の「見聞録」(二)

2023-10-16 06:43:21 | 花押

一 四ッ比右手受場大谷越間道ゟ敵兵押来候て相見小銃之音相聞候間圖明寺馬場ゟ同所應援として堤之塘
       邊江三番組之手分罷出候面々左之通
    傳四郎弟片山小源次   志方嘉十郎   嘉十郎養子志方長平   同人養育之叔父同 半之助
    渡邊園之允       園之允 家来四人      太田九十郎    友岡弥太郎
    弥十郎叔父友岡熊四郎   山代丈之助
  右之面々各小銃を以堤端ゟ発炮致申候 大谷間道口ニ者右手御物頭五番組之面々敵兵打拂賊六人打取
  御物頭松村十之進手負候由九ッ前ニ至り炮聲を打止應援ニも致不申相扣申候

一 大谷口合戦之節本陳懸之時分ゟ■利之場所江押出小銃数発打方致之面々左之通
    本陳附物見三池丹左衛門   丹左衛門嫡子三池鉄太  本陳物見斎藤権之助
  本陳懸之前■圖ニて出張発炮致候面々左之通
    本陳物見吉津次一郎   次一郎嫡子同 丈一郎  次一郎二男同辰熊  同人弟同 敬三郎
    同人家来田畑孫七    同人家来緒方為蔵     同人家来緒方七平

一 同所江貮番手御物頭七晩組を茂應援として馳付小銃数発打方且後二扣居候小倉勢を茂吉津次一郎安本
  四郎右衛門等と励テ一連相加り発炮致由

一 鳥越坂合戦之儀者山上二相備居候大筒手永嶺雲七受場五ッ比ゟ炮戦相始り大炮之音烈敷小銃相交就中
  永嶺雲七門弟を勵申候 絶間無之打出シ防禦充分二相届御物頭吉住半右衛門・木造左門・横井半右衛
  門副頭山野平八郎役筒支配高橋喜一郎・黒川太兵衛各組中を勵し指揮行届居申候 ■右手御物頭金守彦
  十郎・渡邊善右衛門・匂坂平右衛門各組共馳付金守彦十郎は組子を引連山中江入込賊之撒兵を追込散
  し同所二相加り数刻之炮戰手をく砕粉骨之労を■居之内山野平八郎組子を下知し相働居候処賊炮二中
  り坂上二て討死致候砌三番組中大谷應援并と圖明寺手分共一同二同所二馳付鯨波を揚ヶ各小銃を携へ
  御物頭大筒手之間二相交り連発致し候付惣勢■以力を得頻二相働キ間近く寄来候賊数十人打倒し山手
  谷間ゟ賊兵打■らし引立候處当領二鯨波を駆■ヶ返シ合二付山上ゟ銘々打立候時分三番組重士高橋作
  右衛門乍チ賊玉二中り討死を遂ケ申候 又助養子田邊格太郎者永嶺手小銃を助ヶ数十発打放相働賊兵
  間近く五六間之處二て相討致戦死候段浅香庄右衛門見届居申候 其外永嶺門弟野村帍太郎■未相働討死
  致塩山半右衛門門弟濱治七郎助も討死致を三番組佐四郎三男緒方恒喜左之脇を打貫之手負引取申候
  吉住半右衛門組関清助手負申候 木造左門組安田猪八者深手を負上引取相果申候 御物頭大里隼之助組
  共鳥越阪之下間道相固メ居之由二て後刻同所山上江押出シ炮発相働セ申候   

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