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=聖句=
「自分の権威を基盤にしてことを語る者は、自分の栄誉を求めます。だが、自分を使わされた方の栄誉を求める者は正直であって、彼の内には偽りがありません」(7章18節)
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~~本日も同じ聖句を考えましょう。
「自分は、父なる創造主の栄光のために語っているのだ」と言っておいて、イエスはもう一つのことを付け加えます。
「・・・・(自分をつかわされた方の栄光を求める者は)真実であって、その人の内には偽りはない」(18節)
ここではまず、裏の意味を考えてみましょう。つまり「自分に栄誉を得ようとして教える者の話には、偽りが混じりこんでくるものなんだよ」ということについてです。
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現実の体験をふりかえりましょう。
我々は日常、物事を教え伝える人に、自分の名誉を得ようとしているような雰囲気を感知することがあるでしょう。そういう動機は、やはり、隠そうとしてもチラチラと言動にに出るものであります。
理屈の上ではどうでしょうか。
我々に自分の栄誉を高めようと言う目的意識がありますと、どうするでしょうか。そのために都合の悪いことは言わないようにしようとするでしょう。また、都合のいいように、若干でも、話を脚色しようとするでしょう。そういう力が意識の下で働くはずです。
・・で、そういう話には偽りが含まれてくるのであります。
自分の栄誉、名声、評判が短期間の内に、自分の地位に文字通り直接的に影響する代表的な人物があります。民主主義制度下での政治家がその人です。彼は選挙運動期間中に、とにかく大衆に対して名誉あるイメージを形成しなければならない。情報不完全な社会です。でないと、票が集まらないのです。
そこで彼らの口からはどうしても「はったり」が出てきます。
選挙が終わっても、普段の生活が事前運動のような面を持っています。だから無事当選して政治家になっても、選挙区の住民に会うと、自然に嘘混じりのおいしいことを口にします。それも、しっぽを捕まれないような、虚実皮膜の嘘を上手に交えます。
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けれども、これは全く改善の余地がない社会悪というわけではありません。
人民が、さらに一層賢明になり、かつ、政治家に関する情報が十分に行き渡るようになれば、現状は“その分”よくなっていくでしょう。民主制度下の政治現象は、基本的に、人民の知的レベルに従うわけです。
その意味で、事態は改善の余地アリなのですね。インターネットをはじめとする情報革命のおかげで、情報は完全化に向けて進み始めました。あとは我々ひとりひとりが、生涯を通して学習を続けることですね。問題は、学び続ける社会の空気を、子孫に残していくかどうかではないでしょうか。
ですけれども、それはカイゼンであってゼロになるものではありません。政治家の話にふくまれる嘘が少なくなるだろう、というだけのことです。ともかく、自分の栄誉にプラスになるように、あるいは、マイナスにならないようにと、効果を計算して発言したら、その話には嘘が入る。そういう構造になっているんですね。
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