~~「ヨハネ伝解読」にようこそ。
7章の最後に、ちょっと面白いことに「考える宗教」をしてみましょう。
少し脇道に入るようですが、興味あるところです。
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=聖句=
「彼ら(パリサイ人たち)のひとりで、以前イエスに会いに行ったことのあるニコデモが、彼らにいった。『我々の律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたこを知った上でなければ、裁くことをしないではないでしょうか』」(7章51節)
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ここでまた、ヨハネの目線に注目してみましょう。そもそも、彼は、管理者とその下で働く守衛たちの会話情報までも、どうして手に入れたんでしょうね。
考えられる一つは、ニコデモに聞いたということです。
ヨハネは7章の最後で、ニコデモの発言を記録しています。彼はパリサイ人です。この時彼は管理者グループの中にいます。そして、イエスを、律法を知らない群衆と同じレベルの人間だとする同僚たちの意見に、異議を唱えています。
「そんな風にイエスを決めつけるものでないよ。それこそ律法をないがしろにすることではないのか? 律法にはまずその人の言い分を聞いた上で裁け、とかいてあるではないですか」と(51節)。これは正論ですね。
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ところがそうなると、同じく聖書を使ってやり返す。ユダヤ人的な流儀でしょうか。指摘された方は、こう言います。
「その聖書に、預言者はガリラヤからは出ないと書いてあるのを知らないのか。調べてみなさい」と。
おまけに「そんなことをいうニコデモ君は、ガリラヤの出なのか?」とまで言っています。これは余分ですね。感情的。こういう中傷的な言葉を付けて反論するのは相手を感情的にしようとする誘いでもあるかもしれませんね。
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ニコデモは、第3章に出てきたあのニコデモさんです。イエスに「新しく生まれなければ創造主の国をみることは出来ない・・」といわれると、「どうやってもう一度母の胎内に入ることが出来るのか?」と質問したあの彼。
彼は、権力体制側に属していながら、イエスの教えに何かがあると直観してイエスのもとに質問に来たりしている。そして、ひそかに帰っていく。そういう人です。
ヨハネはペテロと並んでイエスの両脇を固めた助さん格さんの助さんです。イエスの生前中に、ニコデモと接触しています。イエスがいなくなった後にもニコデモと交流があったにちがいありません。そしてニコデモにこの話を聞いていた。でヨハネは、本日の聖句の部分を書けたのだ、と。こういう見方もできそうです。