鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.12「“聖霊のバプテスマ”の構造」

2005年11月25日 | 「考える宗教」へ


 聖書では、人間は本来、聖霊の感触を心の最深部で渇望しているものだ、という人間観です。

 これを受け入れますと「人はイエスの言葉の中身が一つわかると、さらに欲しくなる」という道理になりますね。

 これが御言葉(イエスの言葉、創主からの言葉)への「飢え渇き」です。

 これが増すと、人間は、イエスの言葉がもっと欲しくなります。

 学ぶと心に抱く言葉の数が増していきます。

 それがまた、外側の聖霊と共鳴すれば、イエスの言葉で出来た共鳴箱が、その人の意識の中に増えていくことになります。


                                      


そうしていると、驚くべきことがおきると、聖書は約束しています。

 そういう人間の心には、あるとき、聖霊そのものが内にはいる、と。

 これが聖霊のバプテスマです。

<風のような聖霊>

 これがまた、画期的な事件なのですが、その前にそれ以前の状態について考えます。

 通常この地上にきている聖霊は、風のようにきて風のように去ることを繰り返しています。

 ニコデモというユダヤ教の僧侶に、「風は目に見えない。それはどこからともなくやってきて、どこかわからないところに去っていくよね。だけど、我々には風が存在するという感触は確かにあるよね・・・」という主旨のことを、イエスは教えています。

 この風は、聖霊のことをたとえていっています。

 そうすると、人間の外側から働きかける聖霊も、働きかけては去っていくことになりますね。

 もちろん、きて働いて欲しいときは、祈れば答えてくれる可能性もあります。

 けれども、人間、クルマの運転してるときもありますし、お金の計算しなければならないときもあります。

 この世で肉体を持って生きている間は、二十四時間一秒も絶え間なく聖霊を祈り求めることは、実際の話、出来ません。

 で、聖霊は、去っていくこともあるのです。

 そして去っていったら、イエスの言葉で出来た共鳴箱は共鳴しないという通りになります。

 そうなったら、イエスの言葉から得られる実感が、消滅します。

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 ところが、聖霊は、人の心の内に入ってしまうこともある。
そして聖書では一旦入ったら、もう出ないと約束しています。

 すると、その人の内では、イエスの言葉が常時共鳴するようになります。

 「聖霊を受けたらイエスの言葉が突然よくわかるようになった」という証言をよく聞きますが、それが理由です。

 飛躍的にわかるようになる。
 そうすると、「御言葉への飢え渇き」も飛躍します。
 従来とは比較にならないほど、イエスの言葉をその人の霊が求めるようになるのです。

       (続きます)


                  


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