鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.1「福音の神髄は聖句の中にあり」

2005年11月14日 | 「考える宗教」へ



 『鹿嶋春平太チャーチ』にようこそ。

 「姦淫の女」が終わったところで「ヨハネ伝解読」をひとまずはなれてみようと思います。第8章の半ばですけどね。新しいテーマで、思うところをおしゃべりしてみます。

 題して『日本に福音が浸透しない構造』つまり『なぜ日本には福音が浸透しないか』を考えてみよう、というものです。


                                 


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 クリスマスシーズンでしょうか、執筆重点のライフスタイルの私に、ある会で話をして欲しいという要望が参りました。結構全国的各地でなされているビジネスマンの会の一つだそうです。

 事務局の方から会の説明を聞き、パンフレットいただきました。あとで拝見して、「これでは日本の福音伝道を進めることは出来ないなあ」と改めて思いました。

 鹿嶋はこういう運動にはあまり足を踏み入れないようにしてきました。そして自分が正しいと思うことを黙々と書いていく方針できました。だけど、現実に接触しますと、やはりこのあたりで福音活動に関する見解を示しておかねばならないなあ、と痛感しました。

 で、ここでそれを述べるわけです。

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 日本はグルメ時代ですね。美味しい店を紹介する「グルメ本」や雑誌がたくさん出ています。

 他人にある店を勧める場合、勧める当人が、そこで食べて美味しかったからでしょうね。あれは実にうまかった、という体験をもっているから是非といって進めるでしょう。福音も同じです。

 そして、その福音の美味の神髄は、聖書の言葉、聖句の奥深くに秘められているのです。それをよく噛んで探求し続け、その過程で多くの知識を得ることによってのみ味わえるものです。

 味わえるだけではありません。聖書ではその言葉の神髄を一定レベルにまで究めるとその人には霊的な力、しるし(癒しなどの)を現す力が現れる、という約束もあります。それが実際に、ある人々には現れてきているのです。

 こうなるとさらに味わいは深くなる。まあそこまでは行かなくても、その過程で味わう深い味、これが福音の真の味です。

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 そのためには、聖句探求の門をくぐって中に入らねばなりません。しかし、福音活動と称している活動には、その門前で地面をならしているだけの活動がたくさんあります。どこでもそうですが日本では特にそれが多い。ほとんどそればかり、という風景です。

 このビジネスマン会も、その典型でした。

 この類型のクリスチャンにある福音思想は、簡単なものです。「愛」とか、「十字架」とか、「救い」とか、「死後の天国」とか「慰め」とか、もちろん「イエス」や「神様」もそのうちの知識ですが、それらを簡単に組み合わせただけのものです。「聖霊」というのは、言葉としては出ますが、それを受けた(体験した)人はいません。

 行く前からそんなこと断定できるのか、という人もいるかもしれませんが、これが断定できるんですね。パンフレットから容易に断定できる。偉そうにするためにいうのではありません。こんなのはある程度場数を踏んでみると、簡単にわかることなのです。

(続きます)

               

コメント
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