鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.105 『敵味方を感じさせないタイプ』(7章)

2005年11月09日 | ヨハネ伝解読

~~ようこそ、ヨハネ伝解読へ。
 7章が終わりに近づき、少し、脇道に入っております。



                        


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=聖句=
 「彼ら(パリサイ人たち)のひとりで、以前イエスに会いに行ったことのあるニコデモが、彼らにいった。『我々の律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたこを知った上でなければ、裁くことをしないではないでしょうか』」(7章51節)
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 前回と同じ聖句です。
 そして前回、鹿嶋はこう言いました。ヨハネがこういう情報を得られたのは、彼が後年ニコデモと交流があって、それを聞いていたからではないか、と。

 順当にはそういうところでしょうが、実は、鹿嶋はそうではないような感覚をも抱いています。これは直観ですが、ヨハネ伝で記録されている事実はほとんどすべて、ヨハネが直接観察したことを踏まえたものだと思えてならないのです。

 彼の記述には、なぜかそういう確信を感じます。それに沿っていくと、ここでもヨハネは、上記聖句の事実を観察していることになります。どうやって? 管理者グループの近くで聞いていたのではないかとも思えるのです。

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 管理者グループは、神殿の広場の一角に集まっていたのではないでしょうか。密室に入って会議していたのではない。背伸びをすればイエスの頭髪が遙か向こうに見えるくらいのところにかたまっていた。だから、その周辺には、神殿に参拝に来た群衆たちもガヤガヤやっていたり、行き来したりしています。

 ヨハネは、そこに混じっていたのではないでしょうか。そして、彼らのやりとりを目立たないように聞いていた。

 もともとヨハネは、目立たないタイプの人なのです。その点ペテロの対極です。ペテロは一寸した言動がすぐに絵になる。スター性の固まり。目立ってしまう。ヨハネはその反対、そういう人ではなかったでしょうか。

 こういう人っているものです。風貌だけでなく、人格もバランスとれていて、温厚で、激することがない。心の深いところに激しさを秘めていても、外側には一つも出ない。人畜無害で敵でも安心してしまう。そのくせ、腹は据わっている。こういう人は、敵味方両方に、ごく自然に交わることが出来るようです。

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 3世紀末から4世紀にかけて、エウセビオスというカトリック教団の司教がいました。彼は『教会史』という貴重な本を残しました。この本の中で、彼が他の司教たちに尋問された場面が記されています。

 キリスト教団は、303年から13年まで、激しい弾圧を受けました。

 313年にローマ帝国のコンスタンチヌス帝がキリスト教への「寛容令」(ミラノ勅令)をだして、この宗教活動は、一転、国家に公認されます。その後の、司教たち指導者の会議の途中に、エウセビオスは突然追求されました。

 他の司教は、10年に及ぶ迫害の中で、みな身体が不自由になっています。司教は教団活動の指導者ですから真っ先に攻撃されるのです。片手のない者、脚のない者、目のつぶれた者、みんないずれかが拷問でなくなっているのです。

 ところが、エウセビオスだけは、五体満足でした。それが他の司教たちには、不審だったのです。途中で信仰を捨てていたのではないか。転向していたのではないか。だから、拷問を受けていないのではないか、という疑いをかけられたのでした。

 指導者会議は紛糾します。そして、この結末に関して、あるいは、自分の身の潔白不潔白に関して、エウセビオスは著書になにも記していません。不思議ですね。

 だから、読者は推察するしかないのですが、春平太はやはり彼も、飛び抜けて人格円満、誠実にして人畜無害な人だったのではないかと思います。敵も味方も安心する。こういう人って、いるものですよ。

 彼は、弾圧中にも、ローマの管理者と交わって、迫害を落ち着かせるところなどを交渉していたのではないか。そういう仲介者的な立場に、ごく自然に立てた人ではないか、と思われます。

 ローマ側にとっても、使える存在だった。

 彼は、教団活動が公認された後、ローマ政庁側と教団側との折衝役を務めています。そして、指導者会議では議長を務めています。

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 ヨハネもそういう人ではなかったでしょうか。場合によっては、イエスを殺そうとしている側の人とも話し合うことが出来る。「彼はそんな悪い人ではないですよ」などと、顔色一つ変えずに言える・・。

 実際、そうやって、話の中に入っていたのかも知れません。そういっても相手はヨハネを敵方の人間と思わない。「この野郎」とも思わない。不思議に思えない。そういう人だったのではないかと鹿嶋は感じています。


                    
コメント
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