イエスはまた、「この天地が消滅しても、わたしの言葉は消滅しない」といっています。
この場合まずは、イエスの言葉の金網は、金かプラチナかダイヤモンドか、とにかく頑丈なもので出来ているとイメージしたらいいでしょう。
鉄もダイヤモンドも物質ですから、時間がたてば風化して消滅します。
イエスの言葉の外枠の網は、そういう物質を超えた永遠不滅の存在ですが、我々はイメージとしては物質に投影するしかないですからね。
まあ、このへんはしかたないです。
鹿嶋個人は、言葉は霊が凝固したもの、あるいは、凝固した外枠的部分、というイメージを持っています。すると、イエスの言葉は聖霊でしたから、聖霊が凝固した外枠的部分となる。
聖霊が凝固するなんて変かもしれませんね。
では、こうしたらどうでしょう。
聖霊は、なにか永続するものでその外枠を形成することが出来る、とか・・・。
<イエスの言葉を解するとは?>
ともあれ人間は、イエスの言葉を、まず、この外枠の金網として受信します。
そして、それをはき出さないで、心に保っているとある時(さらに、その中身が知りたいと祈っているともっと早くに)その空洞が、外にきている聖霊と共鳴します。
共鳴箱のように、共鳴します。
そのとき、我々はイエスの言葉の意味が「わかった」という感触を持ちます。
その感触を、霊感によって得るわけです。
(続きます)