鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.106『やあ、ヨハネ君・・・』(7章:最終)

2005年11月10日 | ヨハネ伝解読


~~ようこそ、「ヨハネ伝解読」へ。

 今日も、脇道での勝手な推論です。
 まあ、いいよね。
 「考える宗教」だから・・・。



                                


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=聖句=
 「彼ら(パリサイ人たち)のひとりで、以前イエスに会いに行ったことのあるニコデモが、彼らにいった。『我々の律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたこを知った上でなければ、裁くことをしないではないでしょうか』」(7章51節)
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 今回も、聖句は同じです。
これに関する鹿嶋の想像です。

 ヨハネの目線を追ってみますと、これを耳にする以前から彼はイエスの脇をはなれているように思えます。群衆たちの様々な意見を耳にするヨハネは、イエスから離れて群衆の中に混じっているのです。そして、群衆と同じように、イエスに相対する形で話を聞いている。

 時折、話は途絶えます。病人が持ち込まれ、イエスが癒しを始める時もあるのです。一息もある。そうした時、ヨハネは、ぶらりぶらりと広場を散策したのではないでしょうか。その中で、イエスに関する群衆の様々な見解をも耳にしていった。

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 そうして歩いていたら、なんと、あるとコーナーで、管理者のグループが集まって話し合っていたのです。ニコデモもそこにいた。ヨハネは、ごく自然にその話を聞く位置に身を置いていました。

 「やあ、ヨハネ君じゃないか」
「どうしてる。君はまだあの男(イエス)について学んでいるのか」
「前には、バプテスマのヨハネにぴったりついていたんだろ?」
「真面目な人間だからなあ、君は・・」
「でも、程々にしておけよ。身を誤るよ」
「正統な伝統に帰っておいで」
「君は我々も評価しているんだ。座席は空けてあるよ」

       ~~~とまあ、こんな声がかけられます。

 ヨハネはごく自然な空気で応じます。

「うん、そうですね、もうすこし・・・・」
「・・説教ですか? 彼(イエス)は祭りが終わったら止めて帰ると思いますよガリラヤに・・・」
「何か伝えること(イエスに)ありますか、伝えますよ」

 ~~いま、何十年かがたって、ヨハネにはその時の光景がまざまざと蘇っています。

 もちろん、それは、その何倍とある記憶の中の一つです。そうしたなかで、彼は、この記憶は断片的にでも書き残そうと決心したのでしょう。聖書的にいうと、そういう思いを、聖霊によって与えられた、と言うことになるのでしょうが・・。

    (7章、これで終わります)

                     

 
コメント
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