チャーチにようこそご訪問下さいました。
前回の続きです。
聖書は「本筋を読む本」です。
文脈と言った方がいいかな? とにかくそういう本です。





本筋の骨子がある程度把握できたら、それが聖霊と共鳴するのを待ちます。その共鳴によって感知されたもの、霊感でキャッチされたもの、それが人間が聖書に求める絶対の真理なのでしょう。
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本当にそんなものに出会えるか?
それはもう、各々やってみなければわかりません。
わからないにもかかわらず「やってみる」なんて出来るか? 「そこに真理がありそうだ」という信頼感があるときにはそれは可能になるでしょう。その感覚が出発点においてなければ成り立たない。
まさに「信なくば立たず」です。


その信頼感が世に言う「信仰」の実体だと鹿嶋は思います。
信頼は出発点では、「聖書に対する信頼の感覚」です。そういう感覚をもっていて聖句の門の内側で活動していると、それは深まり成長していくんですね。
(続きます)