わら細工用に陸稲の種まきをしました。その後、小麦の方ばかりに気をとられてしまい陸稲のことを忘れていました。久しぶりに陸稲の畑に行きました。予想はしていましたが陸稲はヒエに乗っ取られていました。人間に都合よく改良した植物は、野生の植物に対して圧倒的に弱いですね。
ヒエは背が高く育ってすでに穂が出ていました。陸稲の方は葉色が薄くヒエの背の半分です。わら細工用の収穫は無理のようです。来年用の種が取れれば「良し」の状態でした。
ヒエに乗っ取られた陸稲の畑
8年位前まで毎年のように陸稲を栽培していた頃、こまめに畑に行ってはヒエなどの雑草を抜いていました。肥料も撒いていました。そこまでしてようやく収穫が確保できていました。土を耕運したり堆肥を作ることも大事ですが、今も昔も雑草対策に多くの労働時間がかかるように思います。
ヒエはもう穂が出ている 陸稲がかろうじて育つも
畑にビニールシートを張って、1坪程度の小さな田んぼを作っています。昨日の雨でその田んぼには水が溜まっていました。極小田んぼですが、久しぶりに稲作ができるかと思うと少し嬉しくなりました。
かつて伝統的に行われていた、苗代に種籾をまく種ふりをしていました。そして、みんなと楽しく手で苗取りをしたり、小学生の手植えの田植え体験支援をしたりしていました。私が子供の頃はこのように、苗代を作り、種ふりをして、苗取りをして、そして手植えで田植えしていました。時代が変わり、今は苗箱に種をまいて苗を育て、田植え機で田植えします。
今回、簡易苗代を作って必要な苗を育てることにしました。その簡易苗代に種ふりをしました。
簡易苗代に種ふり、稲の品種はコシヒカリ
簡易苗代は、発泡スチロールの中に小さな箱苗を入れて作りました。箱苗に土を入れた後、発泡スチロールに水を入れると、だんだん箱苗の土に水が浸み込みます。その土の上に種籾をばらまきました。種籾はあらかじめ水に含侵しておきました。
簡易苗代に水を入れる 水に含侵した種籾 網で種籾を水をきる
種ふりを済ませると、発泡スチロールに網を被せておきました。めざといスズメなどが種籾を食べに来るのを防ぐための対策です。今後一週間程度経てば芽が出てきます。5月下旬になって苗が20cm位になれば、田植えをしようと思います。田植えと言っても、数本の苗を束ねたものを、15株程度植えるだけです。数分で済む田植えです。その後は、水の管理などの対策をする必要があると思います。ヒエやコナギなどの水田雑音は生えないと思います。ウンカなどの害虫が飛来するでしょうか。カマキリやクモなどの益虫もやって来るでしょうか。
スズメなどの対策のため網を被覆 昨日の雨で、水がたまった簡易水田
時々わら細工をしているのですが、なんせ自分の田んぼを持っていないため、わらをもらってばかりです。せめて試作用程度のわらを自給したいと思い、畑に小さな田んぼを作ることにしました。田んぼとは言っても1坪程度の小さなものです。掘った穴に水が漏れないようにシートを敷いて、土を入れて田んぼとします。10年ほど前まで水田で稲を作ったり稲作体験支援をしていました。その時の知識を元ににわら細工用の稲を作ろうと思います。栽培する稲の品種は、比較的背が高いコシヒカリです。わら細工に使える稲です。
掘った穴にシートを敷いて土を入れ、小さな田んぼに
小さな田んぼは、畑の中でも日当たりが良い場所にしました。最初、掘りやすいように耕運機で丁寧に耕して土を柔らかくしました。耕運が終わると、スコップで柔らかくなった土をどんどん外側の放り出しました。広さはほぼ1坪で、深さは20~30cmにしました。午後から雨が降るとのことで、急いで作業しました。肥えた田んぼになるように、少し鶏糞を入れておきました。雨水がたまればミジンコなどの微生物が湧くと思います。
水を通さないシート 丁寧に土を耕運 土を外に放り出す
水が流れ出さないように、シートの端が上に出るようにしました。バケツ苗を作ったことはありますが、防水シートを穴に埋めた簡単な田んぼを作るのは初めてのことです。明日にもでも種モミを撒いて、稲の苗を作ることにします。苗がしっかり育てば、6月始めにこの小さな田んぼに田植えをしようと思います。コシヒカリは台風などの大風で倒れやすいので、ロープを張るなどして倒れないように対策しようと思います。なお、この田んぼにどんな生き物が育つかも楽しみの一つです。
どんどん土を放り出す ほぼ完成の小さな田んぼ
春になって麦畑の雑草がだいぶ伸びてきました。あまり伸びると麦の成長に悪い影響があります。そこで、耕耘機を使って麦畑の畝間の除草をすることにしました。
ところで、私が子供の頃はまだ牛馬を使って農業する人がいました。実際に祖父は牛を使って農業を営んでいました。そして、クワを使って農業することが普通でした。父親の代になると、農業の機械化が試みられるようになりました。父親は、当時はまだ珍しかった耕耘機を使って機械化農業を試みていました。それが父親の母校である田布施農業高校の目に留まったのでしょう、全国の若者が父親の元に研修に来ていました。
大型耕耘機のロータリーを使って麦間の除草
研修生は長い人で数ヶ月間、短い人で1週間位私の家に寄宿していました。専用の寄宿小屋がありました。そして、父親から農業の機械化や多角経営(稲麦作,酪農養豚,果樹,林業など)の実際を学んでいました。私も子供ながらその様子を見たことがありました。その後さらに機械化を進めて、確か昭和38年に初めてトラクターを導入しました。私はまだ小学生でした。そのトラクター、今では古すぎて交換部品はなく農業には使えません。エンジンだけは今でもなんとか動いています。
麦間の除草を開始 だいぶ伸びた麦 作業中、雉が出現
畝間除草をしていると耕耘機の音に驚くのでしょう、草むらからいろいろな小動物が飛び出てきます。土ガエル,青ガエル,バッタなどです。そして、これらの小動物を狙ってカラスなどの鳥が飛んできます。
数時間で麦畑に隣接する荒地の耕耘も済ませました。荒地には、ジャガイモ,藍,綿,サトウキビ,大豆,小豆などを種まきしようと思っています。サツマイモだけは、去年イノシシに荒らされたため止めることにしました。除草を含む耕耘が終わると、椅子に座って補水しつつ疲れを癒しました。そして、作物をどこに植えようかなど考えました。
草むらから出てきた青ガエル 麦畑以外の荒地も耕耘
陸稲(うるち)の種まきをしました。去年は5月初めに種まきしましたが、今年は少し遅れました。まず、去年収穫して保存していた種籾を保存袋から取り出し禾(のぎ)を取りました。禾は、種籾から出たヒゲのようなものです。禾があると種まき機が詰まります。このため禾を取るのです。手で揉んでもよいのですが、私は餅つき器を使っています。
餅つき機で種籾の禾を取る 風選で、しいなを取り除く
禾を取り終ると、次に唐箕を使って細かな藁屑を取り除きます。そして、何度も風選して、しいななど痩せた種籾を取り除きます。本当は比重選すると良いのですが、私は強めの風を送って痩せた籾を取り除いています。風選が逢わると、種籾を種まき機の中に入れます。種まき機をコロコロ転がすと、15cm位ごとに種籾が数粒ずつ吐き出されます。
種まき機の中にいれた種籾 定間隔ごとに吐き出された種籾
軽く種まき機を転がすと、定間隔ごとに種籾がき出されることを確認して、いよいよ陸稲の種まきを始めました。陸稲の畝間隔は、今後耕耘除草しやすいように90cmにしました。種をまくときは、真っ直ぐ前を向いて、種まき機を押しながら歩きます。時々、正常に種が排出されるか確認します。
種まき機のハンドルを押しながら、陸稲の種をまく
種が正常に排出されているのを確認する時、ついでにチェーンに泥が付いていないか確認します。泥が付いていれば取り除きます。泥が付いていると、チェーンが回転せず種の排出ができなくなるのです。
この種まき機の欠点は、種をまいた後に土を被せてくれないことです。このため種まきが終わった後、足を使って種の上に土を被せます。種まきした跡をたどるようにして土を被せます。これで、今年の陸稲の種まきは終わりです。
なお、今年は陸稲(もち)の種まきはしませんでした。やはり、お米はうるちをたくさん食べます。もちは作っても、それほど食べず余らせてしまいますので。さて、雨が降れば一週間後頃には芽が出るはずです。
足を使って種の上に土寄せ 陸稲の種まきが終わった畑
赤米を作ったのは3年前のことです。山口県でまた赤米を作るかどうかは未定ですが、種は更新しておいた方がよさそうです。そこで、保存していた赤米の種を更新することにしました。しかし、3年前採種したため発芽率は確実に落ちているはずです。ちゃんと発芽してくれるか心配でした。
赤米の穂を水に浸すと、赤米が二つ発芽
保存していた赤米を水に浸すと、たった二つだけ発芽しました。発芽率は1%位でしょうか。きわめて悪い発芽率です。この発芽した貴重な赤米を苗として育てて、この秋に100個程度採種できればと思います。貴重なこの赤米を育てるため、発砲スチロール箱に土と水を入れて擬似的な田んぼとしました。
この赤米はもち種ですので、赤い(実際はやや紫色)もちを作ることができます。さらに、茎葉がとても長いためしめ縄などのワラ細工にも重宝します。実際、5年前にしめ縄に使ったことがあります。
赤米の苗を育てるため、発泡スチロール箱に土と水を入れる
先日、陸稲(もち)を一か所だけ種をまいた畑がありました。この畑、しばらくぶりに出かけてみると、雑草ばかりで陸稲がどこに芽生えているのか全くわかりません。もともと乾燥している畑だったため、乾燥に弱い陸稲が芽生えずに雑草だけが芽生えたのではないかと思います。いまさら種はまけないので、苗箱を使って苗を育てた後にその苗を植え付けようと思いまする
急遽、陸稲(もち)の苗を作るため苗箱を用意
苗箱による苗作りは、以前よくやっていました。その時は水田用の苗作りでした。今回は陸稲用です。水田での田植えは何度となくしましたが、畑に植え付けるのは初めてのことです。うまくいくかどうかは分かりませんが、陸稲がちゃんと芽生えない以上、代えの手段として試みようと思います。
陸稲を手で苗箱にまく 陸稲を均等にまいた箱苗
苗箱に陸稲をまくと、その上に薄く土を被せました。そして、その上からジョロを使って水をまきました。芽生えるまで毎日のように水をまこうと思います。おそらく2週間以内に芽生えると思うので、来月上旬に育った陸稲の苗を畑に植え付けるつもりです。
陸稲をまいた苗箱に薄く土を被覆
ようやく陸稲(うるち)が発芽しました。父親の葬儀で忙しくしている間、いつの間にか芽が出ていました。当然のことながら、雑草も陸稲に劣らず育っていました。畑が広いので、とてもクワで除草する時間はありません。耕運機のロータリーを回しながら耕耘除草をしました。
芽生えた陸稲に沿ってにひもを引く ひもを避けながら耕耘除草
雑草と陸稲がとても見分けにくいため、誤って陸稲を削ってしまうかも知れません。そこで陸稲が生えている筋にひもを引き、そのひもを避けながら耕運機を走らせました。陸稲の畝間は約90cm等間隔にしています。耕運機のロータリー幅が60cmですので、耕耘するときに陸稲が芽生えている30cmを残すように耕耘除草します。
丸は、除草されずに残った陸稲
除草されない30cmは幅が広いので、耕運機を一往復させてぎりぎりまで除草します。しかしながら、陸稲の株と株の間約20cmは除草できません。この間だけは後日平クワを使って除草するしかありません。陸稲がだいぶ伸びてくれば、土寄せの要領で除草するため除草が楽になります。
除草し終わった陸稲畑 もう一か所の陸稲畑を除草中
一か所の陸稲畑の耕耘除草が終わると、もう一か所の陸稲畑の耕耘除草をしました。なるべく細かな土になるように、ロータリーの回転数を上げて耕耘しました。誤って陸稲を削らないように陸稲が芽生えているラインを外しながらの耕耘は気を使います。陸稲は基本的に種まきのため、麦と同じような管理が必要です。水田は水深さえ管理すればほぼ雑草を防ぐことができます。しかし陸稲はある程度背が伸びるまで除草が欠かせません。なお、一番初めに種まきした陸稲(うるち)畑も芽生えていました。今回除草した株まきとは違い筋まきですが別の耕運機で耕耘除草しようと思います。
耕耘除草が完了した、もう一か所の陸稲畑
今年最後の陸稲の種まきをしました。これまではうるち種の陸稲(農林24号)でしたが、今回はもち種の陸稲(農林1号)です。もち種の陸稲はこの3月に購入したものです。うるち種は購入が難しくなってきましたが、もち種は今でも容易に購入できます。
もち種の陸稲(農林1号) 陸稲を手押し式種まき機に充填
ここの畑はトラクターで耕したのですが、ロータリーの回転数を落としていたので土粒がとても荒く団子状になってしまい失敗でした。陸稲の種をまいた後に土をかぶせましたが、団子状の土だと芽生えがうまくいくか心配です。乾いた団子状の土は、乾くと石のようになります。芽の上にのっかる形となり、芽生えの邪魔になります。
手押し式の種まき機で陸稲の種まき
陸稲の種まきを済ませると、先日伐採て切りそろえた木を縄で縛りました。そして、一輪車で少し運びました。小枝を優先して束ねて運びました。まだ、木の幹などの重いものは、トラクタで後日運ぶ予定です。雑草を刈り取ったり、倒木を整理したり、余分な木を伐採したり、耕したり、種まきしたりとたくさんの作業がありますが、のんびりこなそうと思います。
小枝を縄で縛る 一輪車に乗せて運搬
前回に続いて陸稲の種まきをしました。今回は、陸稲以外の雑穀などの種まきも並行して行いました。雑穀は、東京にいたときによく種まきしたのですが、結局採種用程度にしか栽培できませんでした。それに、雑穀の芽や葉を雑草と勘違いした方々に抜かれることが多く失敗の連続でした。今年からは私だけが畑を管理するため、なんとか正常に栽培してみようと思います。
手押し式種まき機で陸稲の種をまく
しかしながら、雑穀は発芽率が心配です。例えば、粟の種がいくつかあります。うるち種のサカー、もち種の黒粟や猫足などです。これらの粟は、秋にスズメなどの食害にあってほとんど収穫できませんでした。10年近く種を保存したままにしていたので、ちゃんと発芽しないのではないかと思っています。
種まき後、土を被覆 やや湿り気のある陸稲畑
ほかの雑穀として、アマランサス、モロコシ、黍、稗、シコクビエなどがあります。どの雑穀もどの程度発芽するのか不明です。このため、もし発芽したとしても今年は採種用として栽培するつもりです。そのほか、三種類の里芋を植え付けました。一つは近所からいただいたもの、一つは京都産の京イモ、そして石川早生と呼ばれるものです。後者二つは購入したものです。里芋は湿地で育ちやすいので、湿り気の多い畑に植え付けました。
少し芽が出たサトイモ 雑穀の種をまいた畑
前回は狭い畑だったので手で筋まきをしました。今回は広い畑のため古い手押し式の種まき機を使って陸稲の種まきをしました。陸稲は日照りに弱いです。このため種をまき過ぎると雨が少ない季節は陸稲同志で水を奪い合うのか、結果として全体として成長が阻害されます。その点この種まき機は種を10cmごとの株まきにしてくれます。筋まきよりだいぶ薄まきになるので、日照りに適しているのではないかと思います。今回も、まいたのはうるちの農林24号です。最新の種まき機は、エンジンなどの動力付きで、肥料もまいて、土寄せもしてくれます。しかし、私のように自給自足規模であれば、この手動の手押し式で十分です。
種まき後、蒔き筋に沿って土寄せをしている私
今回は2回目の陸稲の種まきです。今回は、修理したトラクタで耕運した畑に種まきをしました。まき幅は80cmにしました。80cmのうち60cmは耕運機で除草したり土寄せする幅で20cmは陸稲を生える幅です。種まき機に陸稲を充てんして種まきのスタートです。まき幅ごとにひもを引き、そのひもに沿って種をまきました。
まき幅に合わせてひもを引っ張る 種まきが終わった畑
種をまくと平クワで土をかけます。そして、次の畝にひもを張ります。そして、再びそのひもに沿って種まきをします。この繰り返しで、畑全体に陸稲の種まきをしました。その畑の種まきを済ませると、今度は次に種まきする畑の耕運をしました。少し狭い畑のため、トラクタではなく耕運機で耕しました。
次に種まきする陸稲の畑、耕運機で耕す
畑で草取りをしていると、畑脇に軽トラックが止まりました。すると、田んぼの耕運時に稲の苗を持ってきたIさんがドアを開けて出てきました。話を聞くと今回は「耕運後に水を入れた田んぼを代かきに来た。」とのこと。そして、「鈴木牧場のSさんが来る前に耕運機を動かして代かきを始めておきたい。」とのことでした。「ディーゼル耕運機の動かした方が分からないので動かして欲しい。」とのことでした。そこで、私が田んぼにに置いた耕運機を動かしてあげました。
耕運機に付いた泥を落とす 泥を落とした後に代かきを始める
耕運機にはだいぶ泥が付いていました。特にかご車輪に泥がべっとり付いていました。耕運機を動かす前に、この泥をスコップや芋切り器などを使って落としました。粘土のような泥でしたので、なかなか落ちませんでした。それでも10分程度格闘すると泥が落ちました。泥が落ちたところで耕運機を動かしました。Iさんが代かきしていると、Sさんがやってきました。
田んぼを攪拌しながら代かきするIさん
このディーゼル耕運機はとても古い機械ですので、長い間の使用でVベルトがだいぶ緩んでいました。緩んでいるためか、田んぼを深く代かきしているとVベルトがスリップして、耕運機が動きにくくなりました。そこで私がSさんから借りた六角レンチを使って、Vベルトのテンションを調整するプーリーを動かしてVベルトの張りを強くしました。以後、耕運機は泥にはまってもちゃんと動くようになりました。
泥にはまって一苦労 Vベルトのテンションを調整
ディーゼル耕運機はガソリン機関のように電気系統がありません。そのため、とても故障に強い耕耘機です。さらに、キャブレターのような精密な部品も使っていないため、どんなに古くなっても簡単に動かすことができます。今回使っている耕耘機は、製造から何十年も経っていますが故障知らずで重宝しています。欠点なのは重いことぐらいでしょうか。
田んぼを何往復もして代かき、水面がだんだん均等になってきた田んぼ
代かきがひととおり終了すると田んぼの土手で休憩しました。そして、談笑しながらも今注目の話題である大震災や原発と農業の話をいろいろとしました。休憩が終わると、私は田んぼの畦に行って水深を調節する設定をしました。
休憩しながら談笑 田んぼの水面を一定にする設定
田んぼの代かきが終了すると、耕運機を田んぼから上げました。この耕運機はとても重いので、畦を乗り越えるときにアルミのはしごを使います。このはしごの上を乗り越えて田んぼから小屋前に耕運機を移動させました。毎年のことですが代かきは疲れます。しかし代かきの結果、鏡のようになった田んぼの水面を見ていると疲れているにも関わらず充実感で満たされます。
アルミのはしごを使って畦を乗り越える耕運機
このところ雨や曇ばかりの天気が続いています。畑で小松菜を収穫していると、鈴木牧場のSさんがトラックでやってきました。田んぼを耕運した耕運機のかご車輪に泥が付いて困っているこのこと。さっそく私も泥の撤去作業に加わりました。私はこの耕運機とまったく同じものを持っています。この耕運機は、数年前に近くに住む古老(物故)からいただいてこの冬に山口県に運送したディーゼルエンジン搭載耕耘機と型のものです。タイヤを交換したりパンクを修理したりした思い出深き同型の耕運機です。
かご車輪に付いた泥を撤去中 ぬかるむ田んぼを耕運
スコップやクワを使ってなんとかかご車輪から泥を撤去することができ、耕運機を再度動かすことができるようになりました。ところで、田んぼを耕運するときには鉄車輪を使います。そして、代かきをする時にかご車輪を使います。どうして耕運するのにかご車輪を使っているのか不思議でした。すると、鉄車輪の軸が合わなくて使えないため、やむなくかご車輪を使ったとのことでした。
再度耕運機を動かして田んぼを耕運しているSさん
Sさんが耕運機を使って田んぼを耕運しているとIさんがやってきました。田植えに使う苗を持ってきたとのことでした。9年前、Iさんはこの田んぼで田植え機使って田植えをしてことがあり、その時にIさんと一緒に昼食をとったことがありました。
Iさんの軽トラから苗を下ろす ため池横の田んぼに苗を置く
Iさんが持ってきた箱苗は、一時的に先日泥んこ運動会をした田んぼに置くことにしました。これらの苗のうち半分は別所小学生の田植え体験に使う予定で、残り半分はSさんが今回耕運した田んぼに植える予定です。苗の品種はキヌヒカリとのことです。この品種は、背が低くて風に強い品種でしかもとても食味が良い品種です。
泥んこ運動会をした田んぼに置かれた苗(品種:キヌヒカリ)
10日午後4時から、先日草刈りした田んぼで、東京薬科大学環境グループASIATOの部長M君,別所小学校の先生2名,そして途中から鈴木牧場のSさんを交えて、今年の田植えについて下見と打ち合わせをしました。去年まではユギ・ファーマーズの田んぼで田植えをしてきましたが今年からできなくなりました。このため、今年から場所を変えて大学生が管理する田んぼで田植えをすることにしました。話し合いの結果、7月上旬に田植えをすることになりました。田植えに使ううるち米の苗はSさんが確認し頼むことになり、田植えに使う用具準備や指導は主に私がすることになりました。
打ち合わせした、右からM君,T先生,そしてC先生
4月下旬にため池脇の田んぼの草刈りをしましたが、ガソリンが無くなったため草刈りを中断しました。今回はガソリン携行缶を用意した上で、前回中断した箇所から続けて草刈りを続行しました。
ため池脇の田んぼ、前回の箇所から草刈りを続行
前回4月下旬に草刈りしたにも関わらず、刈り取った箇所の草は数cmも伸びていました。この草を軽く刈り取った後に、残りの草を刈り取りました。高い草は40cm位は草背があったでしょうか。
刈り取る前、草に覆われた畦 刈り取った後、綺麗になった畦
草が40cm位以上伸びていると、刈り取った草の茎が草刈機に巻きつくことがあります。こうなると刃の回転が妨げられて草を刈り取ることが困難になります。一度エンジンを止めて、巻きついた茎を取るしかありません。このようにならないために、40cm位以上に伸びた草は二段に分けて刈り取ります。
田んぼを仕切る畦(刈り取り前) 田んぼを仕切る畦(刈り取り後)
草刈機に取り付けた刃は回転紐方式のものです。この刃の長所は、紐ですのでもとても安全です。そして、刈り取った草が細かく散るので草刈り跡が綺麗です。私は、急がないときはこの紐式の草刈りを多用しています。欠点は、刈り取りスピードが遅く笹のような硬い草木は刈れないことです。
小川側の畦を草刈り、笹が混じるので刈りずらい
前回、途中でガソリンがなくなって草刈りを中断しました。今回はガソリン携行缶を持ってきたので、ガソリンが無くなった時点で給油しながら続行しました。このため、全ての畝を綺麗に草刈りできました。
草刈り前の、ため池側の畝 草刈り後の、ため池側の畝
数時間かけて全ての田んぼの畦を草刈りしました。ただし、貴重な野草は刈らないで残しておきました。この周辺の山や田んぼは東京都の里山保全地域として買い上げが進んでいます。しかし、この里山の田んぼを管理しているNPOなどの団体も高齢化のためか耕作する人が減っているようです。今後も続けて里山として維持することは大変であり、市民の力がもっと必要だと思いました。
雑草を刈り取った、ため池脇の田んぼ