25日、田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その1)に行ってきました。先日下見をしてきたため道に迷うことも無く、談笑しながらの楽しいウォーキングとなりました。集合は、田布施麻郷の八海バス停です。自家用車で来る方、自転車で来る方、歩いて来る方、集合手段は様々でした。10時発のバスに乗り、10分もしないうちに麻里府別府バス停で降りました。最初、麻里府公民館にある国木田独歩碑を見学しました。
麻里府公民館前広場の国木田独歩碑前にて、5人の参加者
国木田独歩碑を見終わると、麻里府公民館脇を通って麻里府漁港に出ました。砂浜の海岸から馬島,牛島,その向こうの祝島を遠望しました。日曜日でしたので漁港は静かでした。舌びらめと思われる魚がたくさん干してありました。漁港に住みついているのでしょうか、黒猫がたくさんいました。
麻里府海岸、晩秋らしい筋雲 麻里府の古道をのんびり散策
麻里府の古い道を過ぎると、戎ヶ下に入りました。明治初期に麻郷小学校となった江戸時代の郷校「成器堂」跡を見学しました。成器堂は上関宰判勘場に関わる武士の教練場だったようです。自分の母校のルーツが、江戸時代ここにあったのかと思うと不思議な気持ちになります。近くのお地蔵様を拝んだり、かつて戎ヶ下と水場とを船で結んでいた渡船場跡も見学しました。
麻郷小学校のルーツ、成器堂跡 地元の方に愛されているお地蔵様
戎ヶ下からは、埋立地の海岸線に沿って歩き浜城に着きました。浜城にある東周防大橋のたもとで昼食にしました。参加者のTさんから、暖かくて美味しいおこわのおすそわけです。ありがとうございました。昼食休憩後、南周防大橋の下をくぐった後、埋立地に沿って海岸線を歩きました。南周防大橋の上を渡る人は数知れど、下を通ったことのある人はほとんどいないと思います。
南周防大橋の下を、談笑しながらのんびり歩く
埋立地の海岸線を歩いていると、隣りの埋立地でメガソーラーを建設している現場を見ることができました。このウォーキングルートの下見をした時、設置された太陽電池パネルは一枚だけでした。今回、数十枚は設置されているようでした。そして、パネルを載せる台もかなりの数が設置されていました。来年3月までには完成するのではないでしょうか。
浜城から米出までの海岸線を散策 設置された太陽電池パネル
海岸線に沿う堤防を歩き終ると米出に到着です。ここは「米出」の名前の通り、古来麻郷地区のお米を船出する場所だったそうです。その石垣でできた船着き場跡付近は、紅葉が水辺に映えなかなか良い風情でした。ここで立ったまま小休止しました。
紅葉が水辺に映える、米出の船着き場跡付近にて
米出には船着き場跡以外に、上関宰判勘場跡があります。江戸時代に長州藩に置かれていた8箇所の代官所の一つです。幕末の記録によると、第二奇兵隊を脱走した隊員を捕らえ処罰を実行したそうです。跡地には白ペンキを塗ったブリキに史跡名が書かれています。石で史跡名が示されていれば、何十年も残るのにと思います。ブリキ製ではあと10年ももたないのではないかと心配になりました。米出からは国道188号線に沿う歩道を歩き、鳥越に入りました。塩田跡地を横切って歩き、田布施下水道浄化センター前に出ました。
江戸時代の代官所、上関宰判勘場跡 田布施下水道浄化センター前
鳥越から八海地区に入ると、再び海岸線を堤防沿いに歩きました。対岸に平生街や大星山の発電用風車を見ながら、そしてはるか遠くに柳井市三ヶ岳やその隣にある尖った琴石山を遠望しながらのんびり歩きました。しばらく堤防沿いを歩いていると、集合地点でもある終点の八海バス停に到着しました。快晴でとても穏やかな天気だったため、気持ち良くウォーキングすることができました。お疲れ様でした。
対岸に平生町を見ながら八海の堤防沿いを歩く、※丸は次回予定の三ヶ岳
※第1回から最終回の第8回までのウォーキングは、次のとおりです。クリックしてみてください。
第1回 麻里府~八海 第2回 田名~平生 第3回 八海~交流館
第4回 平生~交流館 第5回 交流館~城南 第6回 交流館~行者山~田布施街
第7回 城南~光市塩田 第8回 小行司~余田畑
==========健康ウォーキングクラブ==========
東京八王子市の新しい家への引っ越しが済んだと思ったら、次の日は山口県田布施町へ帰る日となりました。もう少し東京にいたかったのですが、次の25日はウォーキングする日です。早めに帰らざるを得ません。一人留守番をしている母親の具合も、多少気がかりなことでもありますし。
朝早くガサゴソと台所を整理中の家内 南側の窓際に置いたミシンほか
朝7時前頃起床したのですが、すでに家内は起きていました。そして、さかんに台所でガサゴソと整理をしていました。一番使う台所が気になって仕方ないのでしょう。9時新横浜発の新幹線に乗るため、すぐに着替えて荷物を整理し八王子を去りました。やれやれ、何とあわただしい5日間だったことか。
JR徳山駅で下車、普通列車に乗り換え 改装工事中の徳山駅
JR徳山駅で降りると、普通列車に乗り換えました。徳山駅は改装工事中でした。一部迷路のような通路を抜けて東海道本線上りホームに移動しました。そして、柳井方面上り普通列車に乗りました。田布施駅で降りると、友達が経営しているスポーツ店に寄って談笑しました。40年以上田布施を離れていたため、友達がそう多くいません。談笑できる友達がいることはとても嬉しいものです。
スポーツ店で談笑していると、大雨が降ってきました。いつもは歩いて自宅まで帰るのですが、今回は雨具を持っていないこともありタクシーで帰りました。家に着くと、飼い猫のリンちゃんがニャーっと声をあげてすり寄り迎えてくれました。
5日ぶりに帰った山口県の我家、猫のリンちゃんのお迎えあり
11月23日、ようやく新しい家に引っ越しです。この日、家内の妹家族が手伝いにやってきました。私と家内の妹は、家内の住む仮住まいから来る荷物を待ちました。昼前にトラックがやってきて、テーブル,イス,タンス,そしてたくさんの段ボールなどが次々に運び込まれました。私と家内の妹は、荷物の置き場を引越し屋さんに指示するなどしました。また、段ボールに入った衣服を取り出すなどしました。
運び込まれた段ボールなど 整理中の台所、小物たくさん
引越しの最中、ユギファームの仲間に会うため私は京王堀之内駅に向かいました。12時に駅前で落ち合い、近くのレストランで昼食をとりながら談笑しました。修理した耕運機の話や,仲間の近況,畑の話などを一時間程度話したでしょうか。逢うのは3月以来のことでした。また機会があれば、東京に来た時にまた逢いたいものです。
左から、家内、甥、姪、家内の母親、家内の末妹、家内の妹
ユギファームの仲間と別れて新しい家に戻ると、引越しはほとんど済んでいました。家内の母親も来ており、北海道から末妹も来ていました。昼食が済んだ頃でしたので、私は残り物を食べながらみんなと和気藹々に楽しく話をしました。しばらく談笑した後、家内の妹達は帰りました。残った私と家内は、段ボールの中身を出しながら整理整頓しました。そして、明日(24日)の早朝私は山口県に帰るため、家内の2台のパソコン(1台は私が制作,1台はこの冬購入)を光ファイバー(インターネット)に繋がるように設定しておきました。
光ファイバー(インターネット)に繋がるように設定した2台のパソコン
※左の汚れた勉強机は、家内が小学入学時に購入、その後息子の勉強机に
11月22日、新しい我家で一日中留守番です。留守番をしながら、次々に来る工事屋さんに対応しました。最初に来たのは、NTTの光ファイバー導入を工事する工事屋さんでした。我家の外壁に光ファイバーを差し込んで、屋内で電話やインターネットが使えるようにする工事です。我家も光ファイバーが使えるようになりました。一本の光ファイバーで、電話が使え,インターネットに繋がり,テレビを見ることができます。
光ファイバーの外壁取り付け工事 屋内での光ファイバー工事
光ファイバーの取り付け工事が終わると、電話が使えるようになりました。また、インターネットが使えるようになったはずです。しかし、まだテレビを使うことはできません。光ファイバーの工事が終わる頃、新築祝いの花束が届きました。誰からかな?と思いつつ包みを開けると、シンガポールに住む娘からの花束でした。
娘から届いた新築祝いの花束 花束に添えられたメッセージ
花束はとても清楚できれいな花で満ちていました。花束には次のようなメッセージが添えれていました。
Congratulation on the move!
May your new home be your castle. From Sumiyo
さっそく娘に感謝メールすると、「見栄えはどう?」や「花束の飾り方」のメールが返ってきました。
シンガポールに住む娘から届いた、清楚でとてもきれいな花束
光ファイバー工事が終了してしばらくすると、今度はたくさんの照明器具が届きました。これらの照明器具を業者に取り付けてもらうと工事費がかかります。4000円/1照明とのこと。工事費を浮かせるため、私がこれらの照明の取り付け工事をします。残りの、カーテンやテレビ工事が終わってから工事することにしました。
届いたたくさんの照明器具 カーテンを取り付けるカーテン屋さん
夕方近くになってカーテン屋さんが来ました。一階4個所、二階4個所のカーテンを取り付けてもらいました。カーテンが無いと、窓などから常に覗かれているようで気分が落ち着かないものです。これで我家に落ち着いて住むことができます。外が暗くなり始める頃にすべてのカーテンを取り付け終わりました。
カーテンを取り付け中、外からカーテンの具合を確認
カーテンを取り付け終わった頃、今度はテレビ屋さんが来ました。光ファイバーからテレビ電波に変換する工事のようです。工事と言っても、壁に埋め込まれた丸端子から地上デジタルとBSを分配する線を取り付けるだけのようでした。これで今夜からテレビを見ることができます。
見ることができるようになったテレビ 取り付けた和室の天井灯
全ての工事屋さんが去った夕方、今度は私が照明器具を取り付ける工事をしました。居間の天井照明,和室の天井照明などです。一番工事に困ったのは、位置を自由に動かせる2台のスポットライトの取り付けです。取り付けマニュアルを読みましたが、どう読んでも取り付け方が分かりません。取り付け器具も複数あって組み合わせがさっぱり分かりません。しかし、あれこれパズルを解くように考えていると解決の糸口が掴めました。このようにして、すべての照明器具を無事取り付けることができました。やっと家らしくなりました。
向こう側はLED天井照明、こちら側は取り付けに苦労した移動可スポットライト
11月21日、朝はとても良い天気でした。朝起きるとすぐに、家の前に行って新しい我家を眺めました。前の家はとても古い家だったため、実質タダでした。つまり、土地代だけで購入した中古住宅でした。古い家だったため、今回の家がよけい立派に見えます。MISAWAの30年保証「新築住宅保証制度」対象の家です(途中、半年以上空き家にすると保障がなくなりますが)。
青い空に映える、新しい家、30年保証優良住宅
午前中用事を済ませて、応急処置しておいた耕運機を本修理することにしました。畑に行く前に、ガストーチを購入しました。畑に着くと、昨日と同様に始動ロープを強く引いてみました。しかし、ピクリとも動きませんでした。これ以上の力で引っ張るとロープがちぎれそうになったため止めました。そこで、昨日燃焼室内に入れたオイルがよりなじむようにエンジンをガストーチで温めました。温めると、よりオイルがピストンとシリンダーになじみます。エンジンを熱し終わると、エンジンを分解する作業に入りました。
ガストーチでエンジンを熱する 耕運機のカバーを取り外す
最初に耕運機のカバーを外しました。次に、燃料タンクを外しました。そして、始動装置部分を外してエンジンを露わにしました。ピストンのクランクシャフトに直結するファンを回そうとしましたが、ピストンとシリンダーが固着しているためピクリとも回りません。やれやれエンジン本体を分解するしかありません。その前に、2サイクル用のエンジンオイル(4サイクルエンジン用がないため)を規定値にまで入れました。
始動装置部を取り外す エンジンオイルを規定値入れる
エンジン本体を分解する前に、クランクシャフトに直結するファンをスパナを使って強く回してみました。すると、少し回るではありませんか。エンジンを完全に分解しなくても治る見込みが立ちました。エンジンオイルが燃焼室内でなじむように、最初はゆっくりとファンを回し続けました。しばらくまわし続けていると、だんだん弱い力で回るようになりました。そして、スパナを使わなくても手で回せるようになりました。
スパナを使って、クランクシャフトに直結するファンをゆっくり回す
そこで、始動装置を付け直しました。すると、始動ロープを引っ張ってエンジンを回すことができました。耕運機を逆さまにして、燃焼室内に溜まった余分なエンジンオイルを流し出しました。次に燃料タンクを元のように取り付けました。
燃焼室の余分なオイルを流し出す 燃料タンクを取り付ける
カバーは取り付けず、始動ロープを勢いよく引っ張りました。何度か引っ張っていると、白い煙を吐きながらエンジンがかかりました。いやあ直って良かった!!白い煙は、燃焼室内のエンジンオイルが燃えた煙です。しばらくエンジンをかけっぱなしにしておくと、燃焼室内の余分なオイルが無くなりだんだん透明な排気になりました。
エンジンの調子を確かめるため、小麦畑を耕運しました。エンジンの音が依然と比べてややくすんだように聞こえましたが、以前と同じように調子よく耕してくれました。やれやれ直って良かった。この耕運機は2年半前に修理を頼まれ、その後いただいたものです。何度も修理やメンテナンスしただけに、愛着がある耕運機の一つです。
エンジンの調子を確かめるため、カバーをしないでしばらく小麦畑を耕運
11月20日、東京の八王子市に行きました。8月末に古い家を壊しましたが、その跡地に新しい家が建ちました。その新しい家の工事や引越しの手伝いのための上京です。そして上京直前に、ユギファームの仲間から耕運機が故障したとの連絡を受けました。その故障した耕運機の修理も加わった上京です。東京に着くと、最初畑の小屋に行って故障した耕運機の症状を確認しました。すると、エンジンオイル不足によるピストンとシリンダーの固着(ロック)と分かりました。重症です、始動コイルを強く引っ張ってもピクリともしません。困りました。
故障した小型耕運機 エンジンオイルを燃焼室内に入れる
とりあえず応急処置として、小屋内にあった2サイクルエンジン用(4サイクル用が無かったので)のエンジンオイルを燃焼室内に数cc入れておきました。明日までに、ピストンリングやシリンダー周りにオイルがなじんでくれればいいのですが。明日、根本的に修理にトライしようと思います。修理できるかどうかは、ロックが解けるかどうかにかかっています。耕運機に応急処置をした後、日が傾きかけた午後4時頃に八王子の我家に向かいました。
初めて見た新しい我家に、ご対面でーす!!
家内が先に家に来ていました。新しい我家に入ると、中はがらんどうでした。主照明は無し(玄関,トイレ,洗面台,階段,吹き抜けの照明は点灯可),カーテンも無し,暖房も無く,ガスもダメ,テレビも見ることができず,電話も使えず,もちろんパソコンも使えません(WiMAXは無線のため使用可)。コンセントの電気が使えることと、水道が使えることだけです。
この日の夜にガス屋さんが来て、ようやくガスだけは使うことができるようになりました。この夜、私だけがこの新居に寝泊りしました。家族の中で、一番最初に私がこの家に住むことになりました。お風呂に入ったのも、私が第一号です(笑)。
照明もカーテンもない部屋 一部の照明だけ点灯可
春に収穫する豆類(ソラマメ,エンドウ豆など)の種まきをしました。11月も下旬になって、種まきの限界時期にきています。以前サツマイモを栽培していた畑、高塔地区のふれあい会のために最後のサツマイモを掘ってから空いていました。この畑を、春に収穫する豆類の畑に切り替えしました。サツマイモなどの残渣を綺麗に片づけ、耕運機で丁寧に耕して畝をつくりました。苗を買ってきて植え付けしたこともありましたが、今年は全て種まきしました。
豆類(ソラマメ,エンドウ豆など)を種まきした畑、以前はサツマイモ畑
種をまいたのは、ソラマメ,莢エンドウ,スナップエンドウ,グリーンピースです。ソラマメと莢エンドウはたくさん食べるため1つの畝に種をまきました。ソラマメは、ソラマメご飯にすると美味しいです。私が子供の頃、乾いたソラマメを炒るか揚げてお菓子にしていました。とても固いのですが、噛めば噛むほど美味しさが味わえます。硬いので子供の顎を鍛えるのにも最適なお菓子だったように思います。
購入したソラマメの種袋 殺菌剤がまぶしてあるソラマメ種子
莢エンドウは、私が好きな春の野菜の一つです。今回は莢が大きめな仏国大莢を種まきしました。花がスイトピーのように赤くきれいです。この赤花の莢インゲンを私は良く栽培します。皆で集まってワイワイ言いながら莢を収穫するのは楽しいものです。
莢が大きめの莢エンドウ豆 殺菌剤が赤くまぶしてある種
スナップエンドウ豆とグリーピースはそれほど食べません。このため、1つの畝を半分に仕切ってそれぞれに種をまきました。スナップエンドウは子供の頃、食べつけなかったため私はそれほど好物ではありません。どの豆もそれぞれ独特の色の殺菌剤がまぶしてありました。どの豆も無事に発芽して冬を越してほしいものです。
グリーンピースの種子 スナップエンドウ豆の種子
もうすぐ、12月になります。ほとんどの野菜は10月が種まきの終わりです。少し畑が空いていたため、何か種まきできる野菜はないかお店でさがしました。すると、1つだけ11月下旬までまける野菜がありました。ホウレンソウでした。11月下旬に種まきすると、3月上旬には収穫できるようです。
11月下旬まで種まき可 殺菌剤がまぶしているネーキッド種子
冬の間はほとんど成長しないと思われますが、ビニールを被覆すれば冬でも収穫できるかも知れません。ところで、種袋から種子を出してみるとネーキッド種子でした。普通ホウレンソウの種は角が鋭く尖った皮に覆われています。今回購入した種はその皮が取ってあるようでした。この皮が無いと水を吸いやすいので発芽率が向上するようです。
先端がとがった手持ちクワで、種まきする筋を引く
手持ちの先が尖った手持ちクワで、種をまく筋を畝に二本引きました。そして、その窪んだ筋に約2cm間隔で種をまきました。種の間隔が混むとあとで間引きが大変です。面倒ですが、一粒一粒丁寧にまきました。まいた後、指で摘まむようにしながら土を被せました。1~2週間後には発芽すると思います。ロゼット状に広がった肉厚の冬のホウレンソウはとても美味しい冬の食材です。
約2cm間隔で一粒一粒丁寧にまく 指で摘まむように土を被覆
前回に続いてパン用小麦の種まきをしました。前回は畝間を90cmにしましたが、この畑では60cmにしました。60cmの方が、畑を有効利用できるし収穫が見込めるからです。ただ、耕運機では除草できない幅ですので、工夫が必要です。種まきをする前に、畝間の60cmを巻尺で測って印の棒を立てました。
60cm間隔で印の棒を立てる 種まき機のガイドとしての巻尺
今回使った種まき機械は、去年まで小麦の種まき用に使い続けてきたものです。もともとは、水田に穴を開けつつその穴に種を落とす方式です。「打ち抜き式種まき機」と言うようです。前回使った種まき機は、小麦以外に大根,白菜,ホウレンソウなどあらゆる種類の種をまくことができます。しかし、今回使った種まき機は小麦にしか使えません。
古い手押し式種まき機を押しながら小麦の種まき
今回使った種まき機は種をまいた後、土を被覆することができません。このため、種まきが終わった後、土をクワか何かで被覆しなければなりません。私は、一番簡単な方法として歩きながら足を使って土を被せます。このようにして、小麦の種まきをしました。順調に行けば一週間後には発芽すると思います。遅くても12月になる前に芽が出ると思います。12月以降は恒例の麦踏みをする必要があります。
足を使って土を被覆 種まきが終わった麦畑
今回、偶然出会った古老のおかげで行者山に登ることができました。これまで、どこに登山口があるのかさっぱり分からず何度か探していました。たまたま田布施街から大波野に抜ける農道を通っていると、歩道を古老が歩いていることに気が付きました。ダメ元で声をかけてみました。すると「途中まで行って道を教えちゃるけえ、きんさい。」と言って、登山口まで案内していただきました。ありがたいことです。
農道付近から見上げた行者山 登山口近くの農場
農道脇にある細い山道を、古老と一緒にしばらく歩くと農場がありました。農場を過ぎたところに森に分け入る登山口がありました。登山口と言っても道標らしきものはありません。ここで古老と別れました。登山口を登り始めると竹藪がしばらく続きました。がれた斜面のけもの道のような暗くさびしい一本道を、30分位でしょうか登り続けました。すると、急に視界が開けて頂上にたどり着きました。
けもの道のようなさびしい一本道 開けた行者山の頂上
行者山の頂上は、遠くから見る以上に開けていました。この頂上から南側の眼下に田布施町から平生町にまたがる平野を見渡すことができました。なかなか良い眺望です。古老の話では、「この山の名前のとおり昔、余田の神社の方が年に2回ほどこの頂上に来て行をしていた。」との言い伝えがあることです。古老が子供の頃には、その行は行われなくなっていたそうです。
行者山頂上から田布施方面を見下ろして、すぐ下は波野地区
頂上にはお地蔵様を祭った4畳ほどの建物があったそうです。しかし、台風で建物が壊れたため解体したそうです。そして今、そのお地蔵様は頂上にあるコンクリート製の小屋に安置されています。山全体が手入れされていないためか、今はうっそうとした森になっています。しかし、元々は岩だらけの荒々しい山だったのではないでしょうか。
行者山頂上から平生方面を見下ろして、熊毛南高校(丸印)がよく見える
頂上には10分程度しかいませんでした。夕刻が近づくと、深い森に包まれた山道は真っ暗になって歩くことができなくなりそうでした。このため早々に下山しました。厚く積もった落ち葉を踏みしめながら下ると、元来た農場に着きました。運良く親切な古老に出会って、行者山へのルートを知ることができました。
頂上に立つ大きなクスノキ 登山口近くの農場に帰着
18日高塔地区の道普請が終わると、次月ウォーキング予定の柳井市おだいっさー(大師様)詣りと三ヶ岳の下見に行ってきました。以前、琴石山のおおまかな調査に行きました。その後、より登りやすい三ヶ岳ルートに変更しまして。そして、大師さま(おだいっさー)のお参りをして、そのまま三ヶ岳に登って柳井市街などを見下ろす景色を堪能するルートに変更しました。
スタートは柳井駅10時 姫田川を上流に向け歩く
スタート地点はJR柳井駅です。ここから距離を測りつつ、まずは金剛寺に向かいました。途中、柳井旧市街を通り、細い姫田川を上流に向けて歩きました。私はあまり記憶がありませんが、母親はよくこの傀儡を通って縁日(3/21)に「おだいさー」詣りをしたそうです。その時、沿道のおもてなしをする家々から飴などをいただいたそうです。
おだいさー詣りの金剛寺、どこか見たような懐かしさ
おだいさーをお参りして、その傍の巡礼道を歩きました。しばらくその巡礼道を登ると、三ヶ岳を示す道標が立っていました。巡礼道に別れを告げて三ヶ岳に向かう山道を進みました。藪の間を続く山道を行くと、しばらくして背側の見晴らしがよくなりました。時々振り返りながら、立って休憩しました。
巡礼道途中、三ヶ岳への道標 しばらく登ると、背側の見晴らし良好に
見晴らしの良い山道を登ると、だんだん道が険しくなってきました。所々木が切ってあり意識的に禿山にしている個所がありました。何度も振り返りながら、景色を堪能とつつゆっくりと上へ上への登りました。一度未舗装の車道に出ましたが、すぐに三ヶ岳への取り口を再び山道を登りました。一か所、岩場の険しい個所がありました。少しスリルのある岩場を歩いていると、南アルプスを思い出します。この岩場を登りきると、山頂はすぐそこです。
電波塔がある三ヶ岳山頂 柳井駅から三ヶ岳まで4.96Km
午後1時頃に三ヶ岳山頂に着きました。柳井駅から三ヶ岳までのウォーキングメーターの測定値は4.96Kmでした。直線距離は短いのですが、登り坂のためやはり時間がかかりました。おだいっさーなどのお参りやお年寄りとのお話し時間などを除けば、2時間半位でしょうか。山頂で休憩しつつ、日積,余田,柳井市街,上関半島などを眼下に景色を楽しみました。
三ヶ岳から柳井市新庄,余田方面を眼下に
三ヶ岳から柳井市街、遠くに平生町,周防灘を眼下に
三ヶ岳から柳井湾や上関半島を眼下に
30分ばかり三ヶ岳山頂で過ごした後、下山しました。山頂直下は急な下り坂でしたが、すぐに林道に出ました。一旦、琴石山,日積,柳井市街への分かれ道に出ました。迷うことなく柳井市街への下り道を選びました。下りの道は舗装されています。すたすた歩きながら、元来た金剛寺前に下りました。
琴石山,日積,柳井市街への分岐点 柳井市街から三ヶ岳(黄丸)を振り返って
金剛山門から柳井駅までは、ゆるやかな下りです。柳井市街をのんびり歩きながら柳井駅に向かいました。ウォーキング本番日に時間的に余裕があれば、白壁の街を散策しても良いかも知れません。旧銀天街を過ぎると、柳井駅が見えてきました。駅に到着してウォーキングメーターの測定値を見ました。すると、11.25Kmでした。山を歩いたことを考えれば、中級クラスのウォーキングではないかと思います。11月25日に田布施川沿い史跡ウォーキング8回シリーズの1回目を歩きます。その時の皆さんの歩く状況を見て、ルートを少し楽な方向に変更できるよう考えようと思っています。自分ながら、お疲れ様。
到着したJR柳井駅 ウォーキングメーターの値(11.25Km)
18日朝8時から恒例の高塔地区の道普請がありました。なお、私が子供の頃は「道普請」と言っていましたが、今は「クリーン作戦」と言っているようです。私は、草刈機を使って道端などの草を刈りました。班の草刈りが終わると、一週間前に高塔地区のふれあい会を実施した高塔公会堂に行きました。そして、その広場に生えた雑草を綺麗に刈り取りました。
高塔公会堂の花壇の花を植え替えている方々
私は雑草を刈り取りましたが、別の方々は花壇の花の植え替えをしました。植え替えた花の種類は、ビオラ,パンジー,キンセンカ,金魚草などです。一方、子供会で廃品回収があったようです。子供たちが持ち寄った古新聞や紙などを高塔公会堂に集積していました。私が子供の頃は、リヤカーを押しながら個別訪問してビン,銅線,金属,古紙などを回収していました。そして、リヤカーごと学校に持っ行き運動場に並べていたことを思い出しました。
変わったところでは、ネズミの尾を集めて学校に持って行きました(信じてくれない人が多い)。当時、伝染病を感染させるとのことでネズミの駆除を奨励していました。ネズミ一匹殺した証明に、そのネズミの尻尾を切り取って学校に持っていった、という訳なのです。子供ながらに、ネズミを可哀そうに思いましたが。
廃品回収でしょうか?集まった子供達 集まった古新聞や古紙など
上関半島の先端地域を回った時、相の浦小学校跡で休憩しました。休憩後、小学校跡の裏山にある神社に行きました。神社に登る石段などに無数のどんぐとり(スダジイ)が落ちていました。久しぶりに見たスダジイのため、嬉しくなってスダジイを何粒か拾いました。なお、スダジイをはじめとするシイ類はよく神社に植えられています。冬になっても落葉せずこんもりと茂っているからでしょうか。
左相の浦小学校跡、右神社入口 神社への登り坂、スダジイ拾う
どんぐりの代表であるコナラやクヌギは、そのままでは食べることができません。渋成分のタンニンを抜かないと食べられません。しかし、スダジイをはじめとするシイ類は生食することができます。生で食べることもできますがさらに、軽く焼くと美味しく食べることができます。また、コナラやクヌギは落葉樹ですが、シイ類は常緑樹で日本の南側に多く茂っているようです。
皮に包まれたスダジイ、このままでも食べられる
どんぐりは乾くと発芽力が無くなるため、早めに土に埋めました。ある程度の大きさまで植木鉢で育てて、山に植え替えてみようと思います。植木鉢を二つ用意して、土の表面近く置いて軽く土を被せました。コナラやクヌギは何度となく種まきしましたが、スダジイの種まきは初めてです。うまく発芽するでしょうか。
種まきしたスダジイ 二つの植木鉢に種まき
オート麦の種まきをしました。この麦は、オートミールとも,裸性カラス麦とも,裸性燕麦とも言われています。しかし、食品名「オートミール」の方が一般的かも知れません。まいた種は、去年八王子市で栽培して収穫し種まき用として採種したものです。この山口県で気候が合うかどうか、うまく栽培できて収穫できるかどうかは分かりません。
脱皮する前のオート麦 皮を取ったオート麦
種をまいたのは、先日パン用小麦の種をまいた畑の一番隅の畝です。やや日陰の条件が悪い場所です。最初、平クワで種まきする畝に窪みを付けました。そして、その筋の窪みに次々に種を巻きました。脱皮する時間が無かったため、皮付きのまま種まきをしました。小麦に比べて雑草に強いので、あまり世話しなくても良いのがこの麦の良いところです。もともとは麦の随伴雑草だったからではないかと思います。
畝に筋状の窪みを付ける 畝の窪みに沿って種をまく
畝の沿ってつけた窪みに種をまきました。種をまき終ると、その上に土を乗せていきました。早ければ一週間後には芽が出ると思います。小麦より刈り取り時期が遅いので、6月下旬から7月上旬の刈り取りになるのではないかと思います。ただし、この麦の脱穀や脱皮の効率的な方法をよく知らないので、来年は試行錯誤での収穫になりそうです。
畝に沿ってつけた窪みに種をまく、その上に土を被せる
上関半島をバイクで散策してきました。最初はそのつもりではなかったのですが、平生に出かけたついでに散策しようかとの思いが強くなってきました。これまで上関半島を回る時は、いつも尾国>上関>池の浦>相の浦と回っていました。今回初めて逆に回ってみました。
海岸がとてもきれいな相の浦付近の海、向こうに阿月の街が見える
平生から佐賀に向かい尾国に着きました。尾国からいったん阿月方面への峠を登りました。そして、阿月へ下る道の途中を相の浦方面へ右折しました。ここからはずっと海岸線を上関に向かい走りました。途中、相の浦小学校跡地で休憩しました。相の浦小学校裏に、神社に向かう長い石階段がありました。休憩ついでに神社を参拝しました。
静かな相の浦の街 相の浦小学校跡裏山にある神社
神社までの長い石段を上っていると、足元にたくさんのどんぐりが落ちていました。そのどんぐりをよく見ると、スダジイでした。久しぶりに見るスダジイです。このどんぐりは食べることができます。同じく生食できるマテバシイより小ぶりなどんぐりです。このスダジイは衣をまとっていることが多いのですぐ分かります。次に池の浦に向かいました。
池の浦の神社入口 魚つき保安林って何?
池の浦に小さな神社があることは知っていました。今回初めて参拝してみました。神社へ登る入口には、この神社のいわれが書かれた立札が立っていました。池の浦にある池に関わる平家落人伝説です。ところで、その神社入口近くに「魚つき保安林」の印が立っていました。何のことだかさっぱり分かりませんでした。後で調べると、漁師が古来大切に守ってきた海岸に隣接する森林のことだそうです。森林が魚を呼ぶとのいわれがあるそうです。今、森林が海を豊かにすることが科学的に叫ばれています。昔の人は、それを大昔からの言い伝えで知っていたのでしょうね。
池の浦そばの道路公園、周防大島や平群島が目の前に
池の浦には上関に通ずるトンネルがあります。このトンネルの向こう側は上関町です。20年位前にこのトンネルが完成しました。完成する前、上関側から来た時にいつもこの付近で折り返していました。トンネル横に道路公園があります。トイレ休憩をとった後、海岸の砂浜で小休憩をとりました。
トンネルの向こう側は上関町 皇座山直下の上関町練尾地区
トンネルを抜けてしばらくすると大津地区に着きました。ここには上関と大津を結ぶバス停がありまます。4本/日のバスが往復しています。車を運転できる若者はバスを使うことはないと思います。しかし、車を運転できないお年寄りや学生さん達はこのバスが頼りなのではないかと思います。大津地区を過ぎ、練尾地区を過ぎると、眼下に上関大橋が見えてきました。あとは、どこにも立ち寄らず麻郷の我家に向かって走りました。
逆光のため黒くシルエットになった、上関大橋や長島