ベランダにブルーシートを敷いて、先日脱穀した小麦を広げました。そして、数時間日光を当てながら天日乾燥を兼ねて日光消毒しました。数年前、同じように日光消毒した時に害虫のコクゾウムシがいたことがありました。日光消毒すると、面白いようにコクゾウムシが逃げ出します。しかし、今回はその害虫はいませんでした。なお、広げた小麦を見ると小さなゴミが混ざっていました。そのため後日、唐箕でゴミを風選しようと思います。
脱穀した小麦を板を使って広げ、天日乾燥と日光消毒
今はブルーシートを使って小麦を日光消毒しています。しかし、その昔は筵(むしろ)の上に小麦を広げて日光消毒していました。たくさんの筵を使って小麦や籾を日光消毒していた昭和の光景を懐かしく思い出します。
昭和の懐かしい光景、筵をたくさん広げて天日乾燥
赤子山頂上に着くと昼食休憩にしました。回りの樹や草が綺麗に伐採してあるため絶景です。平生町の街並みに加えて宇佐木や伊保庄が眼下に見下ろせました。私はそばにあった長椅子に座って昼食をとりました。仲間たちは、椅子に座ったり,シートを引いて座ったり,または携帯椅子に座ったりして昼食休憩しました。40分位休憩したでしょうか。柳井市の伊保庄や平生町の宇佐木を背後に全員の写真を取りました。そして、宇佐木方面に下りました。
柳井市伊保庄や平生町宇佐木を背後に全員写真
頂上を出発すると、しばらく森の中をどんどん東方向に尾根を歩きました。森の中なので、尾根道は落葉が積もっています。さくさく落葉を蹴散らしながら道を進みました。1時間位でしょうか山道を下っていると、宇佐木の民家裏に出ました。なお、途中で下見時と違う道を下ったようです。下見時にはなかった田んぼ脇を歩きました。そのため、金毘羅社には行くことができませんでした。
小川を跨ぐ家に向かう 小川を跨ぐ珍しい家 万徳寺で休憩
金毘羅社に行くことは諦めて、小川を跨いで建てられた珍しい家を見学しました。この家は、今の建築法では建てることができません。そのため、柱を直したり畳を変えたりなどしかできないそうです。かつては家の下に稲を干した後の竹竿を保管していたことがあったそうです。昔はいろいろな変わった家を建てることができたようです。
元田んぼに置かれた早乙女塚 道に安置されたお地蔵様1
次に万徳寺に向かいました。トイレ休憩をすることを下見時にお伝えしておきました。そのため、今回、快く休憩をさせていただきました。ありがとうございました。しばらく万徳寺で休憩すると、早乙女塚に向かいました。元田んぼの中にポツンと建った石柱です。文字は彫られていませんが、川の堤防に早乙女塚の由来の看板が立ててあります。お侍に切られた早乙女の悲しい言い伝えです。早乙女塚を見終わると、川傍の道に安置されたお地蔵様1に向かいました。
平生町 赤子山史跡巡りウォーキングルート
3月に植え付けた種ジャガイモ、ようやく収穫する時期が来ました。葉や茎が茶色になって倒れてくると収穫の合図です。しかし、今は梅雨です。仕事やボランティアが休みで、しかも雨が降らない日はそう多くありません。何日か待ってようやくジャガイモを掘る日がやってきました。最初に皮が赤いジャガイモ(シェリー)を、次に皮が白いジャガイモ(メークイン)を掘りました。梅雨で湿気が高いのと疲れで汗がたくさん出ました。畝の半分ほど掘って木陰で休み、我家に持ち帰りました。
フォークで掘り起こしたジャガイモをケースに放り込む
毎年40cm~50cm位の間隔で植えてきました。しかし、今年は種ジャガイモを多く買わなかったため、株の間隔を広く1mにしました。そのため良い効果がありました。一つはジャガイモの草刈りや土寄せが楽なことです。耕運機で周囲を除草しやすく、周りの土を山のように寄せやすいのです。二つ目は、掘る時にどこにジャガイモが埋まっているか分かりやすいのです。土寄せした小さな山を崩すだけで掘れるのです。
フォークを突き立てる 土を掘り起こす 出てきたジャガイモ
皮が赤いジャガイモを掘ると、次に皮が白いジャガイモを掘りました。掘り上げたジャガイモは次々にケースに放り込みました。掘り上げたジャガイモは水分を多く含んでいます。水分が多いとちょっとした傷口から腐りが広がります。そのため、我家に持ちるとすぐに、土間に敷いた段ボールの上に均等に広げました。昔はむしろの上に広げたものです。
次にメークインを掘り上げ 収穫した赤白ジャガイモ
種を毎年継いでいる裸性燕麦(通称:オートミール)を刈り取りしました。以前はたくさん栽培していましたがスズメの害が酷いため栽培は止めました。栽培しない代わりに種を継ぐためだけに細々と数株分作っています。スズメの害に会わないように金網を囲って作っていました。しかし、金網の底から侵入して食べていることが分かりました。放置しておくと実を全て食べられてしまいます。そのため穂をすべて刈り取りしました。触ってみて実が入っていることが分かり安心しました。
スズメに食べられていた裸性燕麦(通称:オートミール)
裸性燕麦(通称:オートミール)は皮が取れやすい燕麦です。小麦やお米のような専用の脱穀機や籾摺機を持っていません。両手の間に実を挟んで、ひたすら擦ると皮が外れます。細長い実が出てきます。どういう訳か、この実をスズメが大好きなのです。茎に止まって器用に皮を外しながら実を食べるのです。そのため、栽培するためには網は欠かせません。今は小麦を主に栽培していますので、この裸性燕麦(通称:オートミール)をどう栽培して食べてよいやら考えています。
金網で囲って少量栽培 ほぼ成熟した裸性燕麦の穂
平生町街並みを見下ろすことができる赤子山に登ってきました。そして、赤子山を見上げることができる史跡も巡ってきました。下見時と同様に、平生MaxValueに10:00に集合して出発しました。そして、最初の史跡である平生町街北側にある沼八幡宮に向かいました。ところが、参加者の一人の靴底が剥がれてしまいました。また体調不良などにより、二人の方が、リタイヤすることになってしまいました。史跡巡り中にリタイヤすることは、今まであったかどうか思い出せないほど珍しいことです。以後7人で赤子山に登りました。適度に休憩を入れながら休み休み登りました。
沼八幡宮を出て、赤子山の登山道を登る
赤子山への登っている途中、草刈機を持って下っている方々がいました。その方とお話をしながら休憩をしました。その方々は山口県の要請を受けて頂上付近の草刈りをしたそうです。そのため、下見時よりも見晴らしが良くなっているのではないかと思いました。頂上付近はたくさんのタケノコが生えていました。再び竹藪にならないように、タケノコや足元の草などを刈ったのではないかと思います。ご苦労様です。
沼八幡宮の石階段 歩きやすい登山道 汗ばみながら登る
頂上の少し手前で視界が急に広がります。この頂上手前で視界が広がる体験を少し思い出しました。それは南アルプスの北岳に登った時のことです。北岳は日本で富士山に次ぐ標高を誇る山です。標高3,000mを越える高山です。確か2,500m位を越えた頃、森林から急に視界が広がるのです。いわゆる森林限界を超えるのです。以後は背が低いはい松の間の登山道を頂上に向かいます。そして、はい松も生えなくなり植物が何も生えない山肌を登ります。そして、岸壁の日本第二の高山の頂上に着くのです。当時の登山仲間達を思い出します。
森を抜け、急に視界が広がる 頂上付近の不思議な丸い岩
視界が広がると、しばらく下界を見下ろしました。眼下に平生町の街並みを一望できました。尾根道に到着すると、今度は尾根の反対側に広がる柳井市余田方面を見下ろしました。椅子も整備されているので少人数ならばここで昼食休憩しても良いでしょう。しばらく景色を堪能すると、頂上に向かって尾根道を進みました。
平生町 赤子山史跡巡りウォーキングルート
先日小麦の刈り取りをして、はさ掛けしておきました。その後、梅雨に入ったためなかなか脱穀ができませんでした。私の仕事が休みで、しかも晴れている日はなかなかありません。その後ずっと待ったかいがありました。その日、納屋からハーベスタを出して小麦畑に移動しました。このハーベスタは、ベルトが半ば切れた極安の故障ハーベスタでした。自分でベルトを交換して修理しました。去年は小麦が全滅でしたので、今回が修理後初めて使ったことになります。ですが、ちゃんと動いて小麦を脱穀することができました。脱穀した小麦は天日に当てて殺菌した後に保存しようと思います。
快適に動くハーベスタで小麦を脱穀
ところで、たまたまお休みだったSさんに脱穀を手伝っていただきました。Sさんは若い頃にハーベスタを使ったことがあるようで、教えなくてもさっさと脱穀をしていただきました。ありがとうございました。
脱穀に使う農具ですが、一昨年まではより古い脱穀機で小麦を脱穀していました。発動機と脱穀機を個別に畑に運んで、ベルトで繋いで脱穀していました。そのため、脱穀するまでの準備がとても大変でした。もちろん脱穀後の片付けも時間がかかりました。今や力も時間もない古希の私には、ハーベスタで脱穀する以外の選択はもうありません。
ハーベスタの準備 ワラの排出を確認 はさ掛け中の小麦準備
思い起こせば、東京にいた頃にゼミで大学生に稲刈りや脱穀などを教えていたことがあります。その時、稲刈りや脱穀の歴史も教えていました。古代の脱穀に使っていたこきはし、千歯こぎ、足踏み脱穀機、動力脱穀機、初期型の古いハーベスタでの脱穀を体験してもらっていました。彼女たちは今、三十歳前半になっていると思います。おそらく、素敵なお母さんになっている頃ではないかと思います。稲刈り体験や脱穀体験を思い出すことはあるでしょうか。
はさ掛けした小麦を取り上げる ハーベスタに入れ連続して脱穀
ナツメが、目立たない小さな花を咲かせ始めました。よく見ると、アリが花の間をせわしなく動いてしました。ミツバチやチョウチョなど、羽がある虫が来ていませんでした。もしかして、ナツメの花粉を媒介するのはアリなのかも知れません。花が落ちると、白い小さな実ができ始めます。そして、薄く茶色に染まった頃が収穫適期です。かじると、スカスカした感触で薄いリンゴの味がします。むしゃむしゃ食べる果物ではないのですが、季節を感じる自家製果物です。
開花したナツメの花、そして花の間を動き回るアリ
ナツメを育てている方はどうやって食べているのでしょうか。私は、枝にぶら下がる実を取ってもぐもぐ食べるだけです。干しナツメを売っていることがあります。なかなか手に入りません。実がとても大きいので中国産ではないでしょうか。甘いので砂糖汁に漬けて干しているのではないかと思います。ナツメの実がなり始めたら、干しナツメを作ってみたいと思います。一つ分からないのは、種はどう取るのでしょうか?
どの枝にも小さな花 高さ2m位に伸びたナツメの樹
梅雨の時期は、晴れたらすぐに野良仕事をしなければなりません、そうしないと、再び雨が降り始めてチャンスを逃してしまいます。今回、梅雨の間の短い晴間に急いで小豆の種まきをしました。種まきだけならばすぐ終わるのですが、種まきの前に畑を耕やさなければなりません。小豆の種まきをする畝を耕し終わるとすぐに種まきしました。それが終わると、次に種まきする場所を耕しました。
耕運機で畑を耕し終わると、すぐに小豆を種まき
小豆はなるべく農薬などを使って防除したくありませんでした。そのため、小豆の種まき間隔を1mにしました。そうすると、ある小豆が病気や害虫にやられても隣の小豆に移りにくいです。毎年カメムシにやられるのですが、葉や茎を伝わってカメムシななどの害虫が移動するようです。その移動を妨げるため1m間隔にしました。野菜の間隔を開けると、風通しが良くなって病気が広がりにくいとも言いますので。
小豆の種まき箇所を耕運 巻き尺を畝を張る 1ヵ所に3粒の種まき
小豆の種まきが終わると、次いでジャガイモ畑の畝間などを耕しておきました。梅雨のシーズンは雑草の成長シーズンです。小さな雑草だと思って油断すると、いつの間にか大きく成長しています。背が10cm位になる前に刈り取りしておかないと耕運時に困ります。背が伸びた雑草が耕運機のロータリに絡みつくのです。絡みついた雑草はロータリー内でお団子状態になります。すると、土を耕せないばかりか、耕運機を痛めてしまいます。今回は、先日雑草を前もって刈り取りしておいたので、たやすく耕すことができました。今回耕した場所に、サトウモロコシ、茶豆、残った藍を移植、ハトムギなどを植えようと思っています。
ジャガイモ畝間の除草耕運 茶豆などを育てる畝を耕運
蛍を見たのは何年ぶりのことでしょう。子供の頃は、探さなくても夕方になると小川の近くに数多くいました。たくさんの蛍を摘まむように採取して虫かごに入れていました。そして、家に帰ると蚊帳の中に蛍を放しました。すると、蛍が蚊帳のあちこちに止まって光りはじめます。その光景は星空を見ているようでした。それだけたくさんの蛍が生息していたのです。
しかし、40年位前のことでしょうか、稲の害虫を殺すため農薬を田んぼに入れていました。さらに、小川が側溝に変わり始めました。それに比例して蛍を見ることが無くなりました。今は自然が戻っているのでしょうか、久しぶりに見た蛍でした。しかも、部屋の中に入ってくるとは。
光りながら部屋内を歩き回っている蛍(平家ボタル)
我家の周りには自然の小川はないはずです。側溝しかないので不思議です。しかし、側溝の最初にはちょろちょろ流れる小川や溝があるので、そこで繁殖したのでしょうか。それとも、側溝でカワニナなどの蛍の餌が繁殖しているのでしょうか。いつか、側溝や溝などを調べてみようと思います。
薄明りで光る蛍 蛍を横から見る 指を歩く蛍(2cm位)
秋に種まきして栽培した紅花、花びらの収穫時期を迎えました。この時期は雨が降るため花びらの収穫を急ぎます。急ぐ理由は、花びらにある黄色の染料が水に溶けるからです。雨が降ると黄色の染料が溶け出します。すると、紅色の染料だけが花びらに残ります。すると花びらは紅色になってしまうのです。
ただし、今年は花びらの収穫は少しだけにしました。紅花染めに使う花びらがまだ残っていることと、種を取るために残しておきたいためです。紅花畑には、雨後に咲いた黄色の花びらと雨に濡れた後の紅色の花びらが混在しています。
収穫時期を迎えた紅花の花びら、うっかり触ると棘が痛い
紅花は、つぼみにも葉にも鋭い棘があります。うっかり触ると痛い思いをします。花びらを収穫する時は、棘に刺されないように花びらだけを摘まんで引っ張ります。ただ、若い花びらを摘むと種ができないようです。そのため、熟した花びらだけを摘まみ取る必要があります。
雨に濡れる前の花びら 雨に濡れた後の花びら
以前、紅花から花びらを収穫するボランティアをしたことがあります。その時は、紅花畑から紅花を茎ごと刈り取っていました。その刈り取った茎を部屋に運んでから、みんなで花びらだけを摘まみ取っていました。棘が痛いので軍手をして作業しました。その茎からはもう種を採れません。そのため、種を取る紅花だけは花びらを採集しないで畑に残していたはずです。
雨に濡れる前の黄色の花びらと、雨に濡れた後の紅色の花びらが混在
今年も小豆の種まきをします。去年カメムシが大発生して収穫ゼロでしたので、今年はカメムシが発生しないように防除しようと思います。これまで農薬を使わないで栽培してきました。そのため、たくさん収穫できるか、逆に害虫が発生してダメになるかのどちらかなのです。中間がありません。今年は、小豆の株を1m間隔にしようと思います。隣の小豆に害虫が伝わっていけないように、との工夫なのですが通用するでしょうか。ちなみに、収穫した小豆は小学校の放課後学習でお汁粉作りに使おうと思っています。
小豆の種をまく予定の畑の雑草を刈り取り
種をまく前に耕運機で耕します。しかし、雑草が思いのほか成長しました。雑草が生えたまま耕運すると、ロータリーの刃に雑草が巻き付いて耕すことができません。そのため、事前に草を刈り取っておきます。草刈りして気が付いたのは、去年のこぼれ種から芽生えた小豆がありました。この小豆は刈らないでおきました。
草刈りする前の畑 刈り取り後、右隅にこぼれ種の小豆
ところで、小豆の種まきする予定の畑は以前小麦畑でした。小麦を栽培していた跡がくっきり残っています。刈り取った小麦はブルーシートを掛けて天日乾燥しています。そろそろ脱穀しなければならないのですが、なかなか良い日取りがありません。梅雨はいつ雨が降ってもおかしくありません。手伝ってくれる友達の予定や私の予定に加えて、晴れた日を予測しなければなりません。小麦の脱穀はいつのことになるのやら。
草刈りを終えた畑、小麦跡がくっきり残る
数年前から、隣の山裾から竹が侵入してきました。小さなタケノコが生えていれば、すかさず倒していました。ところが、二年位前からタケノコではなく笹のような細いタケノコが出始めるようになりました。遠くから見ても笹なのか竹なのか分かりません。時が経つと笹よりも背が伸びるので竹と分かります。その笹のような竹が山の斜面にうじゃうじゃ出てくるようになりました。今回は、笹に似たすべての竹を伐採しました。しかしながら、蒸し暑いし、蚊に刺されるし、また山の斜面を歩くので疲れます。
笹のような細い竹を見つけては、鎌で根元から伐採
四~五年前、我家とは反対側の斜面で竹が茂るようになりました。隣の土地なので、何ともできません。そのうち、竹の根が我家側に根を伸ばしてきました。尾根道は根の通り道なのか、小さな笹のような竹が次々に出てきます。その細い竹を次々に鎌で刈っています。7月末になると、諦めたのか生えなくなります。ここの数年、竹と私のイタチごっこです。いつか根を根絶したいと思います。しかし、隣の竹藪は他人の敷地なので入れません。今後も侵入竹との根気比べなりそうです。根を枯らす方法があればよいのですが。
尾根道に生えたたくさんの細い竹 根元から一気に伐採
今年度の地元小学校の放課後学習「成器塾」が始まりました。成器塾の名前の由来は、長州藩の藩校「明倫館」の分校「成器堂」です。幕末、今の田布施町にあった文武両道の郷校です。地元小学校の前身で、校内に成器堂の変額(レプリカ)と吉田松陰像が飾ってあります。
さて、私はその成器塾のクラスのうち、「手芸と料理」教室を担当しています。私はサンプルを事前に作ったり、スケジュールを考えたり、材料や用具をそろえたりなどのマネージメントを主にしています。子供達を教えるのは、主に指導員のおば様方です。子供に請われれば私も教えます。なお、料理は傷みにくい冬を予定しています。
放課後学習 成器塾「手芸と料理」教室、最初は手芸「刺し子」
手芸は、やはり針と糸の手仕事が主になります。そのため、玉止め、玉結び、運針の基本を覚えてもらうため、今年度の初めは刺し子を教えることにしました。最初、私が作ってきた刺し子の見本を見せました。そして、好きな布や好きな色の糸を選んでもらいました。四年生はまだ裁縫キットをもらっていないとのことですので、用意した針,ハサミ,糸通しなどを貸しました。子供達も指導員さん達も、和気あいあいに談笑しながら手芸を楽しんでいました。なんだか井戸端会議のようでした。さて、どんな作品をが出来上がるでしょうか。
最初、校庭で開講式 楽しげに針と糸 運針を指導員に習う
ブルービーがやって来ると言う、トゥルーシー(ハーブ)を育てています。しかし、初期の草取りを忘れていたため、すっかり雑草に覆われてしまいました。今回、トゥルーシーの周りに生える雑草を刈り取りました。しかしながら、トゥルーシーの幼葉は雑草(特に青シソ)に似ているため選別することがとても困難です。私がトゥルーシーかどうかを判別する方法の一つとして、葉を少し擦って匂いを嗅ぎます。甘酸っぱい良い匂いがすると、トゥルーシーだとすぐに分かります。いやな匂いがすると雑草です。草取りをしながら座りっぱなしです。時々背伸びしないと腰が痛くなります。
匂いで判別しながらトゥルーシーの周りの雑草を取る
去年もトゥルーシーを栽培しましたが、今年はうまく育ちません。もしかして、トゥルーシーはマメ科植物のように毎年同じ畑で育てられないのかもしれません。今更種まきする時期を過ぎています。来年は別の畑で栽培しようと思います。ところで、トゥルーシーは匂いがきつくないハーブなので気に入っています。なお、去年は苗を育てて花壇に植え替えました。この方が育てやすいようです。来年は苗を育てて移植しようと思います。
トゥルーシーの周りの雑草を取る 周りの雑草を取ったトゥルーシー
久しぶりに東京に帰省しました。孫の1人が1歳になるお誕生日会に参加するためです。私が子供の頃の誕生会と言えば、親戚が集まってせいぜいケーキを食べる位でした。ところが、今回は誕生会にプラスして、一升餅の儀式がありました。さらに、職業占いもありました。また、プレゼント交換もありました。息子夫婦がセッティングしたようです。一升餅の儀式を私は初めて目にしました。背負わないで座らせる尻餅をする地域もあるようです。この誕生会に嫁の父母も含めて計6人の大人が集まりました。
孫のために集まった大人6人、ささやかなお祝い
会場はつくば山水亭です。私と家内と息子夫婦と孫が到着すると、嫁の父母はすでに到着していました。ちなみに嫁の父母にとっては初孫です。会場に案内されると孫を中心に座りました。乾杯が終わると、お祝いの催しが次々に進行しました。最初に息子夫婦の近況報告や保育園の話などがありました。それが終わると、一歳のお祝いである一升餅の儀式が始まりました。一升なので1.8Ⅼ分に相当するお餅を背負います。立ったとたんに転んだり、餅の上に仰向けになったり、餅を背にうつぶせになったりと、周りの大人たちはやんやの声援をおくりました。一升餅の儀式は、その子供が一生食べ物に困らないようにとの親の願いだそうです。
会場のつくば山水亭 孫を中心に座る まずは料理を堪能
続いて職業占いです。いろいろな職業や仕事などが描かれたカードを孫の前に広げます。どのカードを一番最初に手にするかで将来の仕事を占うのです。これは誕生会の余興ですが、周りの大人たちは楽しげに見守ったり声援をおくったり写真をとったりしました。最初に手にしたのは算盤が描かれたカードでした。計算ができて将来はお金持ちになるカードとのことでした。
重そう!一升餅の儀式 楽しいカード占い開始
そんなこんなで、楽しい誕生会が終わりました。会場で嫁の父母と別れ、孫が通う保育園に行きました。駅から少し遠いので人気が無い保育園だそうです。しかし、どうしてどうして私好みの自然に恵まれた保育園でした。田んぼや畑や小山がある保育園でした。泥だらけになって遊ぶそうで、保育園から帰るとすぐに寝てしまうそうです。続いて、家を建てる予定の敷地に行きました。小学校のすぐ近くで、いわゆる団地の一角です。自分好みの家を建築するそうで、来年はその家に泊まれるかも知れません。
プレゼントをいただく 自然いっぱいの保育園 建築する団地の一角