毎年4月末の祇園牛頭天王社祭は賑やかに開催されます。去年、私は紙芝居を上演したり,段ボール織り・綿繰りなどのクラフトコーナーを担当しました。今年も同じようなメニューを考えていましたが、コロナ惨禍のためすべてが自粛となりました。
しかし、神様だけはお迎えしなければと数人で高松八幡宮を行きました。そして、お供え物をお祓いするなどしていただきました。その後、祇園牛頭天王社に行ってお祓いされたお供え物などを奉納しました。午後は例年、麻里府の住吉神社祭がありますが今年は中止とのこと。いつまでの自粛でしょうか。先が見えないので困ったものです。
高松八幡宮で祇園牛頭天王社のお供え物などのお祓い
高松八幡宮を出ると、高塔地区にある祇園牛頭天王社にお供え物などを持って行きました。緩い坂道を登った場所にある祇園牛頭天王社の祠に着くと、祠前にお供え物を置きました。そして、来た方々と一緒に祠に向かって拝礼しました。
高松八幡宮に到着 神主さんにお供え物 祠前にお供え
続いて、今回のメインイベントである新一年生による植樹です。この植樹は、私の亡き父親など当時の高塔の中心メンバーが15年位前に始めたようです。50年位前の高塔は、30世帯位しか住民がいない寂しい地区でした。その後、団地ができるなどして今は200世帯以上に増えました。そこで、高塔で生まれた方々に故郷意識を持ってもらえるように、祇園牛頭天王社祭で植樹などのイベントを始めたようです。
皆さんと一緒に拝礼 新一年生による植樹準備
皆さんによる拝礼後、今年の新一年生3人に植樹してもらいました。背が40cm程度の小さな椿ですが、新一年生が成人した頃には大きく育っていると思います。歴代の新一年生が植樹した椿が、祇園牛頭天王社を取り囲むように育っています。ところで、祇園牛頭天王社の北側にクヌギやコナラがたくさん植えてあります。祭り前に伐採して新一年生にシイタケ菌を打ち込んでもらおうとの趣向でしたが、今だ幹が太らないのでまだ実行できないでいます。来年から実施できるかも知れません。
今年の新一年生 新一年生と保護者 祭りと植樹が終了
野鳥の森で昼食休憩を取ると、大峰峠に向かいました。この峠は、室積と田布施町を結びます。峠は車が通ることができるように舗装されていますが、その昔はせいぜい車力が通ることができるような狭い峠でした。その古道を今でも見ることができます。数百年にわたって人々が通ったのでしょう、道幅は2m位で深くえぐられています。その古道は峠から室積側に向かって旧勾配で下っています。その昔5月の普賢様のお祭りには、この峠をたくさんの人々が行き来していていたとの話が伝わっています。また、江戸時代の絵師 司馬江漢の旅日記(1788年)に、この大峰峠を越えて室津に向かったことが書かれています。
周防灘側の眺めが良い、多賀神社下の展望台
大峰峠に着くと、立ったまま休憩しました。そして、すぐに室津側に下りました。車が通る舗装道ですので、たやすく歩くことができます。正面に室積半島や峨眉山を見ながらどんどん下りました。しばらく下っていると、わずかに高い多賀神社に登りました。今も昔も、室積から小高いこの神社にお参りしているのでしょう。登るだけでも大変なのに、草刈りなどの管理も楽ではないと思います。その多賀神社参道下にある鉄骨の展望台に行きました。夕日が絶景の展望台とのことです。展望台近くには「筆懸けの松」が生えていましす。あまりの絶景に絵を書けず、筆を松に懸けたとの故事によるようです。
大峰峠に向かう 見えた室積半島 大峰峠に到着
展望台を降りると、林の中の舗装道路をどんどん下りました。道路の山側には溝があるのですが、どの溝も落葉で詰まっていました。数百mに渡って落葉が詰っています。溝が落葉で詰ると、大雨時に溝を水が流れず道路にあふれ出ます。そのあふれた個所の跡がいくつかありました。住民の方々だけでは溝の管理をすることが難しくなっているのではないかと思います。山奥の道はどこもそうだと思います。
大峰峠から道をどんどん下る 広々とした多賀神社に到着
林の中の道を下っていると、溜池を崩している光景に出会いました。最近、古い溜池が決壊する災害があります。溜池下には民家がたくさんあるので、災害を予防するために崩しているのでしょう。溜池の断面がよく見えました。その断面を見ると重力式ダム構造であることが良く分かります。断面には白いシートが被せてありました。
展望台前「筆懸の松」 簡保宿近くの地蔵様 室積の早長八幡宮
道を降りて、一旦江ノ浦バス停に行きました。すると、バスが来るまでに30分位の時間的余裕があることが分かりました。その時、早長八幡宮前のお饅頭屋さんのかしわ餅を思い出しました。急ぎ足で、そのお饅頭店に行きました。息せき切ってそのお店に着くと、なんとお休みでした。あーあ、がっかりしました。最近のコロナ騒ぎで閉店しているのでしょうか。がっかりした気持ちで、これまた息せき切ってバス停に戻りました。バス停に着いて5分後にバスがやって来ました。ウォーキングに参加された方々お疲れ様でした。
冠天満宮から歩いた千防山コバルトラインウォーキング
先月上旬に植え付けたジャガイモ(キタアカリ)の芽欠きと土寄せをしました。これは毎年恒例の作業です。まずは、ジャガイモの芽欠きをしました。植え付けた小さな種ジャガイモですが、4本以上の芽が地表に出てくることがあります。小さなジャガイモを皮つきのまま食べるならば、芽欠きしない方が良いでしょう。芽が多いと、小さなジャガイモをたくさん収穫できるからです。しかしながら、通常は大きめのジャガイモを収穫したいものです。皮を剥いで調理することを考えれば、大きめのジャガイモが良いはずです。そのために芽を欠くのです。
ジャガイモの芽欠き後、芽の周りに土寄せ
春に植える芋のうち、サツマイモをどうしようか悩んでいます。まるごとイノシシに食べられて、去年はとんでもない被害を被りました。しかし、焼き芋は捨てがたいので苗を購入して植えてみようかと思っています。去年までは麻郷公民館祭りのためたくさんサツマイモ栽培してきましたが、今年は自家用として栽培してみようとか思います。それでも、イノシシに食害されるのなら来年から完全に止めようと思います。
たくさん出たジャガイモの芽 芽を欠いて3本だけに
さて、ジャガイモの芽欠きが終わると土寄せをしました。サツマイモは根に芋ができますが、ジャガイモは茎に芋ができます。そのため、ジャガイモは土寄せが欠かせません。種芋の上に30cm以上は土が被さるように土をかけます。土寄せしないと、芋が地表に出ます。そうなると、芋が光を浴びて緑色になります。この緑色にはソラニンと呼ばれる毒があります。ジャガイモの原産地は南米なのですが、ヨーロッパに伝わった当時はこの緑の毒を恐れていたそうです。そのため、当初は観賞するためだけに栽培されたとのこと。
ジャガイモ周辺を耕耘 土を上げるように寄せる 土寄せ後
これまでは室内でコットンクラブをしていましたが、今回からしばらくは広い野外ですることにしました。三密を避けるためです。快晴でしたので日差しが暑くてたまりません。これからの季節は日陰が過ごしやすい日々となります。そのため、桃園の広場にテントやタープを張りました。各人2mは離れるようにテーブルとイスをセッティングしました。ところで、いつになったら室内で手作業できるようになるのでしょうね。困ったものです。
桃園の広場にテントとタープを張る、涼しく過ごしやすい日陰
手作業の途中で、去年皆さんに収穫していただいた藍の葉(発酵中)をお見せしました。腐敗と異なりあまり嫌な臭いはしません。皆さんに臭いをかいでいただきました。今後藍染めに使おうと思っています。まだ藍染めの季節ではないのですが、縫った布マスクを薄く染めています。もう少し濃く染められないか、我家で細々と藍染めを試行しています。気温がまだ寒いのでしょう、黄色から藍色に染まるのにとても時間がかかります。
発酵中の藍の葉 だいぶ減ったナスの苗 お分けしたニラの苗
コットンクラブが終わる頃、皆さんに私の畑に来ていただきました。そして、育苗中のナスの苗や先日掘り上げたニラの苗をもらっていただきました。ついでに、3月上旬に植えた小ネギ(ワケギ)を何束か収穫していただきました。またタケノコを数本差し上げました。来月は綿の種まきをしたり、藍の苗を植えたり、サトウキビの植え付けを皆さんと一緒にしようかと思っています。
引いていただいた小ネギ(ワケギ)
冠天満宮を出ると、千坊山コバルトラインの道路をたんたんと歩き続けました。意外にたくさんの方々が歩いていました。冠梅園の駐車場に車を停めてハイキングする家族連れやカップルなどです。三密にならないと言われる公園を歩いて、ストレス解消をしているのかも知れません。山から降りている方が「今日は人が多いねえ!」との感想。しばらく歩いていると、タイワンフウの林に入りました。剪定もしないのにどの木も枝がみんな落ちて、しかも真っすぐ上を向いています。伐採すればログハウスに使えそうな木ばかりでした。
萩の平展望台からの室積半島峨眉山の絶景
なぜ千坊山の地にタイワンフウの木があるのでしょうか。戦前に植林したのでしょうか。フウはカエデの仲間です。我家にも紅葉するアメリカフウの木が二本植えて売ります。田布施町交流館の田布施川沿いにも何本も植えてあります。秋になれば紅葉が見事です。タイワンフウも紅葉するのでしょうか。タイワンフウの林に囲まれた道を歩いていると、去年落葉した葉や実がたくさん落ちていました。
タイワンフウの林 タイワンフウの道 タイワンフウ落葉と実
タイワンフウの道を過ぎてしばらくすると、お地蔵様がありました。コバルトラインと直行するように未舗装の道があります。その道の交点にお地蔵様が安置されているのです。その未舗装の道は、その昔島田と室積を結ぶ古道ではないかと思われます。お地蔵様を過ぎて少し歩くと、ユネスコ協会の碑が立っていました。戦争の悲惨さを訴える碑です。
古道に安置されたお地蔵様 ユネスコ協会の碑
光市には戦時中に軍事工廠がありました。戦争末期にはたくさんのB-29が飛来してこの地を爆撃しました。そのため、働いていた数多くの女学生が亡くなりました。婆様も当時ここで働くことを希望したそうですが、なぜか小学校の教諭になることを勧められました。そのため、運よく生き残ることができたとのこと。同級生(今の柳井高校)がたくさん亡くなったそうです。生きるも死ぬも、運しだいだったのですね。
千防台団地方面 満開のツツジ 木の間の室積半島
ユネスコ協会の碑からしばらく道を登ると、萩の平展望台に着きました。ここでしばらく休みました。下見の時のように、室積半島が眼下に見え、九州の姫島や国東半島がよく見えました。休んでいると、次々と車がやってきました。また、歩いている人もやってきました。そして、絶景を堪能していました。萩の平展望台での休憩が終わると、今回は楽々コースを歩いて千防山下に向かいました。その後、野鳥の森に行き、室積半島を見下ろす東屋で昼食休憩を取りました。
冠天満宮から歩いた千防山コバルトラインウォーキング
我家の押し入れに、埃をかぶったレトロなJUKI製ベビーロックミシン(BL2-205A)があります。婆様がだいぶ昔に使っていたようです(40年位前購入?)。埃があまりにひどいので、ハタキではたいて雑巾で綺麗にしました。そして動かしてみました。すると、針は上下するのですが、布が前に進みません。そのため、当然のことながら縫うことができせん。
このさい、分解して修理することにしました。その結果、二ヶ所の故障個所を直して、ようやく正常に縫えるようになりました。問題は、直したこのロックミシンを何に使うかです。例えば、布マスク作りに使えるのでしょうか?
掃除と修理が終わり、布を切ることと縫うことができるように
布が前進しない理由は、針が上下する場所の布押さえの下の送り歯が全く動かないためです。布押さえの圧力を変えても、さっぱり動きません。これは、送り歯を動かす機構が故障しているとしか考えられません。送り歯の機構が見えるようにロックミシンの底板を外しました。なお、ロックミシンを分解する前にモーターをチェックしました。特に問題はありませんでした。
動かない送り歯 モーターをチェック 底板を外す
ロックミシンの底板を外して内部の機構を観察しました。いろんなギアやカムが複雑に組み合わされています。モーターを動かしてみましたが、送り歯を動かす部分だけがを動いていませんでした。そこで、どこかのネジが緩んでいるか、固着していないかチェックしました。すると、二つのネジが緩んでいました。そのネジを締めると、送り歯が動くようになりました。ただし、ぎこちない動きです。送り調節カムなどが固着しているようでしたので、周辺に注油しておきました。少し動くようになりましたが、まだまだでした。そこで、針の上下運動をする機構をチェックすることにしました。
矢印:送り歯を動かす部分 矢印:緩んでいたネジ二つ
ロックミシン前面のネジを外して、前面パネルを外しました。すると、針を上下するカムの一部に油が届かない故障個所がありました。油を送る含侵油紐が外れていたのです。この周辺に残らず注油しておきました。前面パネルを取り付けると、注油した油が浸透するのを待ちました。
前面のネジを外す 〇:故障個所 外れていた含侵油紐
直して1時間後にペダルスイッチを押すと、小気味よくモーターが回り、送り歯がちゃんと動くようになりました。糸を張りなおして、試しに布を縫ってみました。ちゃんと布が切れて、縫うことができました。このロックミシンを何に使うかまだ決めていませんが、とりあえず直って良かったです。今後は、各部を調整して使いやすくしてみようと思います。
糸巻き2個からの糸を張りなおし、モーターを動かす
小麦の穂が熟してきました。そろそろスズメや野鳩がやってくる頃です。小麦をこのままにしておくと、これらの害鳥達に麦を食べられ放題です。麦を食べている害鳥を遠くから見ていると、とても賢い食べ方をしています。飛びながら麦を食べているのかと思っていたら違いました。飛んで来ると麦の穂に停まるのです。すると、鳥の重さで麦の穂が折れて穂が地面に垂れます。その地面に垂れた麦の穂を、鳥たちはやすやすと食べるのです。感心します。特に体重が重い鳩は、同じ方法で楽々と麦を食べてしまいます。やれやれです。
麦畑の穂すれすれに防鳥糸を張り巡らす
数年前まで、防鳥網を麦畑全体に覆っていました。しかし、作業にたくさんの人出が必要です。そのため、今は1人でできる防鳥糸を張っています。張る時は、穂すれすれに張ることと、麦畑の両サイドは特に念入りに何重にも張ります。鳥にとっての羽は、命の次に大切なものです。そのため、鳥は羽に糸が触れることをとても嫌がります。
いろいろ試した結果、私の麦畑には防鳥糸が1番手軽で良いようです。順調に麦が育てば、来月末には麦刈りができると思います。
支柱を打ち込む 北側に打ち込んだ支柱 南側に打ち込んだ支柱
収穫した小麦ですが、二つの方法で食べるつもりです。一つは我家にある製パン機で焼いて食べます。自粉ですのでけっして美味しいわけではありませんが、それでも焼き立ては最高に美味しいです。パンの上にピザのように載せるとさらに美味しく食べることができます。二つ目はホットケーキにして食べます。例えば、この1月の成器塾で小麦を製粉してホットケーキにして食べました。その他、すいとんにして食べたことがあります。生パスタにしても良いかも知れません。
防鳥網をどんどん張る 麦畑内を縦横無尽に張る
数年間ニラの株分けをしていませんでした。そのため、ニラの葉がだんだん細くなってきました。数年の間に株が混んで窮屈になったからだと思います。種を蒔いて育てるには時間がかかるため、今回は久しぶりに株分けすることにしました。株分け後、良い株だけを選んで、別の畑に植え替えることにしました。ニラの葉を収穫後、草刈機で雑草ごとニラの葉を全て刈り取りました。そして、クワを使ってニラの畝を掘り返した後、ニラの株だけを選別しました。
選別したニラの大株を、小さな株に分ける
ニラの根塊はアスパラガスの根に似ています。株分けしないと、毎年根が横に増えて株がどんどん混んでいきます。株一つ一つが吸収する栄養素が減り、かつ株に当たる太陽の光も減ってしまいます。結果として、ニラの葉が痩せて細くなります。そのため、ニラ農家では定期的に株分けしたり種をまいて更新するようです。
最後のニラ収穫 刈り取る直前のニラ畑 ニラを掘り起こす
ニラは4年前に株分けしたのが最後でした。今回ニラの株を掘り起こすと、4年間に増え続けた根がギュウギュウ詰めになっていました。その株を手でちぎるようにして株分けしました。一つの株に二つの芽が出るように分けました。今回は株分けするだけで植え替えする時間がありませんでした。一週間以内にニラ用の畝を作って、株分けしたニラを植えようと思います。その後、ちゃんと世話すれば長く幅広いニラを収穫できると思います。
太い株を二つの株ごとに分割 株分け後のたくさんのニラの株
暖かくなるにつれて雑草が勢いを増してきます。今草刈りをしておかないと、さらに伸びてやっかいなことになります。休みはフルに草刈りをしています。先日桃園を草刈りしたので、今回はその周辺を重点的に草刈りしました。まずは、里芋を植えている畑を草刈りしました。里芋は4月下旬にならないと芽が出ません。今のうちに雑草を刈り取るに限ります。続いて、昔駐車場にしていた場所を草刈りしました。車がたくさん来た時、臨時の駐車場として使えると思います。
まだ休眠している里芋の畑を草刈り中
里芋畑と元駐車場の雑草を刈り取り終わると、母屋と農作業小屋を結ぶ小道や斜面を刈り取りしました。これらの場所には笹や硬い草が生えているため、鉄刃に切り替えて刈り取りしました。鉄刃は刈り取る時に、地面よりわずか上を刈り取りします。そうしないと、雑草に隠れた石や切株が当たることがあります。すると、その当たった反動で手や腕が痛いことがあります。
右側は元駐車場 母屋へ通じる小道 母屋と小屋の間の斜面
最後に、麦畑前と柿の下の雑草を刈り取りしました。麦畑前は楽に草刈りできました。しかし、柿の木は背が低くなるように剪定しているため、背をかがめながらの草刈りでした。草刈りを続けていると疲れが溜まってきますが、ガソリンが切れた時に10分程度休憩しています。今回の草刈りで、敷地の半分程度を草刈りしました。全て草刈りするにはもう2日は必要です。今週中には済ませようと思います。
麦畑前の草刈り完了 背をかがめて草刈りした柿の木
4月の史跡巡りウォーキングに行ってきました。コロナ惨禍の中、三密にならないように気を付けながら、少ない参加者(3人)で歩いてきました。予定通り8:00に平生町に集合して、バスで光市に向かいました。三密を一番心配していたバスですが、貸し切り状態で我々3人だけの乗車でした。そのため、十分に間を空けて座ることができました。下見時もそうでしたが、防長バス柳井~徳山線はいつもガラガラです。補助があるにしても限度があると思います。いずれ廃止になるのではないかと心配しています。
冠天満宮の長い石階段の参道、神主さんが清掃中
バスにしばらく揺られた後、戸仲バス停で下車しました。そして、横断歩道を渡ってすぐの冠天満宮にお詣りしました。長い石階段の参道を登る前に、トイレ休憩をしました。トイレのすぐ横にラクウショウの大木が2本立っていました。この木の周辺のあちこちに、気根が何本も地面から立ち上がっています。気根に注意しないと、つまずいて転んでしまいます。石階段の登り口に「光井の井戸」の一つがあります。海に近いこの周辺、井戸の水は貴重だったに違いありません。三つの井戸が、いつしか光井になったようです。
戸仲バス停で下車 2本のラクウショウ ラクウショウの木根
石階段の参道を登っていると、珍しく神主さんが石階段の清掃をしていました。本殿に着いた時、清掃をしていた理由が分かりました。この日は新年祭だったのです。我々が本殿に着いた頃、次々に氏子さん達が来ていました。ただし、コロナの影響があるのでしょう、一般の方々は参拝を控えているようでした。今年はとても静かな新年祭になるようです。このご時世、仕方ありません。
三つの井戸の一つ「光井の井戸」 新年祭にもかかわらず、静かな本殿
ウォーキングの無事を祈願すると、本殿横に掲示してある俳句を見学しました。そして、その横に掛けてあるたくさんの絵馬を見ました。これらの絵馬を見ていると、ウォーキングに参加したNさんがびっくりしていました。妹さんのお孫さん(この4月に誕生)の名前が絵馬に書かれて奉納されていたのです。
絵馬を見ていて気が付いたことがあります。個人情報保護のためか、今は絵馬に住所を書かず、しかも名前もフルネームで書かないのですね。冠天満宮の参拝が終わると、千坊山コバルトラインに入りました。
本殿横に掲示された俳句 たくさんの絵馬 菅原道真と冠
このご時世、外に出る機会が少ないためオリジナルの糸巻きをまた作ってみました。以前、四角形や犬型の糸巻きを制作しました。今回は、五角形の糸巻きを作ってみました。その昔、スパイダーコイルと呼ばれるラジオのアンテナコイルを作ったことがありました。奇数形の突起をした板にコイルを巻いていたのです。この原理をを応用して糸巻きを作ってみました。今回は五角形ですが、原理上は三角形,七角形,九角形でも糸巻きができるはずです。五角形の糸巻きの場合、下画像のように星型巻きとスパイダー巻きができます。回しやすいように、中心部に小さな穴を開けておきました。
製作した糸巻き(左は星型巻き、右はスパイダー巻き)
五角形の糸巻きを作るため、まずは厚紙上に五角形(ヒトデ形)になるように製図しました。コンパスと分度器を使って線を引きました。製図が終わると、描いた線に沿ってハサミで厚紙を切りました。これを型紙としました。その型紙を使って、薄い板の上に鉛筆で五角形を描き、糸ノコで薄板を切り抜きました。
製図(一番面倒) 糸ノコで切り抜き 紙ヤスリで磨く
薄板を五角形に切り抜くと、あとは紙やすりで磨きます。最初は、出っ張った角を取り、角が取れると全体を磨きました。木屑の粉が飛び散るため、野外で磨きました。磨き終わると色を薄く塗りました。今後はアクリル絵の具を使って色付けしても良いかも知れません。最後に刺繍糸を実際に巻いてみました。今後も暇があれば、いろんな形の糸巻きを作ってみようと思います。
中心部を紙やすりで磨く 薄い茶色で着色
このところ、ニュースや話題はコロナばかりです。閉館中の郷土館ですが、倉庫の整理をしたり歴史の本を読み返しています。また、業者による工事や修繕などの立ち合いなどもしています。そして、コロナが収束次第、来館した方々に難なく体験してもらうため展示中の古い機械に油を差したりしています。
今回は、レトロな古い手回しミシンに油を差して、ボビン巻きや縫いなどの動作確認をしました。その確認のため、実際に布マスクを作ってみました。生地が厚くなると回す手が重くなりますが、なんとか縫うことができました。
油を差すなどして、ボビン巻きや縫いなどの動作確認中のミシン
手回しミシンのことを知人に話すと「片手でミシンを回し、片手で布を押さえて縫うのは難しいのでは?」との感想です。しかし、成器塾などで手回しミシンばかり使用してきたため、それほど難しくはありません。そもそも、上着やズボンなどの衣服を制作するわけではありません。ポケットティッシュケースやエプロンなど、小中学生が習う程度の裁縫です。この程度ならば私でも縫えます。
立体布マスクの縫い始め 立体縫いしてマスクに
10枚ほど白一色の立体布マスクを作ったところで少しばかり飽きてきました。今度は、内側は白で前側が柄の立体布マスクを縫ってみました。柄があるマスクの難しい所は、内側の白が見えないように、白布と柄布に1mm程度段差を付けることです。このような微妙な作業は、さすがに片手ではやりにくいです。ですが、マスクをたくさん作るのが目的ではありません。ミシンの動作確認ですので、のんびりと焦らずに縫ってみました。
ローラーのゴムが硬化、指で押さえないとボビンに糸巻けず
今回使った手回しミシンの唯一の問題点は、ボビンの糸巻き機構です。ボビンを回すローラーのゴムが硬化しているため、スリップして回らないのです。指で押さえれば回るため、今すぐに困るわけではありません。ミシン屋さんに行ってローラーがあるかどうか問い合わせようと思います。その他は問題なく動きました。古い手回しミシンですが、ちゃんと油をさして優しく使えば、まだまだ現役として使えることを確認しました。
チャコペンの色抜き 水洗い後、天日で乾燥 使った型やチャコペン
我家に生えている樹木の中で、比較的早く若葉を展開するのは友禅ケヤキ(ユウゼンケヤキ)です。ケヤキと名前がついていますがアキニレの仲間だそうです。この樹木が面白いのは、樹液にカブトムシやクワガタなどの甲虫が集まることです。初夏になると、カナブンやハチの仲間がぶんぶん音をたてて集まります。クヌギやコナラに集まる虫と同じ種類の昆虫です。毎年のことですが、友禅ケヤキ周辺でこれらの昆虫の羽音が聞こえるようになると、我家にも夏が来たことを実感できます。
まだ色が薄い友禅ケヤキの若葉
続いて、楮(こうぞ)も若葉が出始めました。この楮、元々は紙を漉いてみようと思って植えたものです。若葉の下に花と実と思われるものが付いていました。熟れた実は食べることができるようです。
江戸時代の記録(防長注進案)に、田布施町で楮を出荷していたことが記載されています。半紙も記載されていますので、庶民向けの安価な半紙を漉いていたのかも知れません。その半紙か和紙を漉いてみたいのですが、なかなか時間がありません。今年中にはなんとか、ハガキ大の紙を漉いてみたいものです。
楮(こうぞ)の若葉 楮の花と実?
これからの季節、草刈りで忙しくなります。畑や家の隅っこの一部であれば、鎌で十分に草を刈ることができます。しかし、少し広い畑,草地,山裾になると、これはもう草刈機のお世話にならざるをえません。これからの草刈りシーズンに備えて、予備の草刈機(不調)を修繕しました。
ところで私が小学生の頃までは、今のようなエンジン付きの草刈機はありませんでした。西洋大鎌(scythe)と呼ばれる刃渡りが50cm以上もある大鎌を使っていました。両手で持って、腰をひねるようにして草を刈ります。草を刈ると言うよりも、草をなぎはらう感じです。体調が良ければ草刈機と同じくらいの速さで刈ることができます。今でもたまに使っています。
草刈機のキャブレターを注意深く分解
使っている草刈機は、今回修繕する草刈機を含めて3台あります。遠い場所の草を刈る時は、1輪車に2台の草刈機を載せて行きます。草刈り中に調子が悪くなると、予備の草刈機を使います。草刈機が故障すると、修理に30分位の時間はすぐに過ぎていきます。その無駄な時間を費やさないように予備の草刈機を持って行くのです。当然ですが、紐や鉄刃も余分に持って行きます。
今回修理した草刈機 キャブレター分解 キャブレターを外す
今回修理したのは、前回プライマリーポンプを交換した草刈機です。この草刈機は4サイクルエンジンです。他の2台は共に2サイクルエンジンです。エンジンのかかりが悪いためキャブレターを分解して洗浄することにしました。最初プライマリーポンプ部を外し、続いてダイヤフラム部も外しました。そして、ニードルを含むあちこちの穴に洗浄液を吹き込みました。
露出したダイヤフラム部 あらゆる穴に洗浄液
今回修繕したのは4サイクルエンジンでした。個人的には4サイクルエンジンの方が好きなのですが、故障については4サイクルエンジンの方が厄介です。機構上タペット(弁)がありますし、高速に回転させるための特別な機構(ガバナ)があります。これらの複雑な機構のためやや故障しやすいように思います。また修理もやっかいです。今回はキャブレター洗浄とアイドリング調整で直りました。一発でエンジンがかかると気持ちが良いものです。
Pポンプ取り付け キャブ取り付け プラグの煤取り
10日ほど前に保護した伝書鳩、大空に放つ日がやってきました。保護した当初は、胸骨を手で触れるほど体が細く痩せていました。最初に紅花の種子を与え、次に小麦の種子を与えました。さらに、鳩の好物であるトウモロコシの種子も与えました。三つ共、私が収穫したものです。保護してから10日後の今日、丸々とした健康体に回復し元気になりました。いなくなるのは寂しいですが、飼い主の元に返さなければなりません。放つと一気に飛びたち、南の空に去っていきました。
解き放つと、南の空に向かって飛び去る
鳩に詳しいY君の話では、保護した鳩は去年生まれたのではとのこと。足環で分かるようです。そして、初めて伝書鳩レースに出場したのではないかとのことでした。長距離のレースの場合、伝書鳩の能力差が顕著に表れるそうです。疲れたりすると、途中で舞い降りて餌を食べた後にレースに戻るようです。
Y君によると、よその伝書鳩が厩舎入ってきたり、自分の鳩がよその厩舎に入ることが少なくないそうです。例えば、Y君の鳩が新潟県で見つかったことがあったそうです。また、沖縄県の鳩が自分の厩舎に入ったこともあったそうです。伝書鳩は、気楽に空を飛んでいるわけではないのですね。
好物のトウモロコシ 体調回復を確認 元気になった鳩