東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

今年初めてのブロッコリー収穫

2014年02月28日 | 野菜:葉菜

 去年の秋に苗を植え付けたブロッコリーを初めて収穫しました。条件のあまり良くない畑でしたので、あまり大きくはありませんが初物です。ブロッコリーは10苗ほど植えて、今回3苗分のブロッコリーを収穫しました。今回収穫したブロッコリーは、脇芽も大きくなって収穫できる品種です。今は小さな脇芽ですが、春になって気温が上がれば、次々に収穫できるようになると思います。

     我家の初物ブロッコリー              ブロッコリーのたくさんの脇芽
 

 ブロッコリーは葉を食べません。花芽を食べますので、ある意味収穫効率が悪い作物です。しかし、葉とは違った味や調理を楽しむことができます。ブロッコリーはキャベツの種類ですが、花芽を食べるものブロッコリーやカリフラワ,茎を食べる株キャベツ,小さな丸い芽を食べる芽キャベツ,青汁にするケールなど多彩です。花を楽しむ花ぼたんもあります。今年から、これら変わったキャベツも試作してみようかと思っています。

              今回収穫したブロッコリー3個、濃い緑で美味しそう

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砂糖カエデ2本を植樹

2014年02月27日 | 樹木,果樹

 去年、我家の近くに砂糖カエデの苗を二本移植しました。今回も2本植えました。場所は、小麦畑横のコナラが植えてある場所です。今は、コナラの木が南北に2列それぞれ20本ずつ植えてあります。今後は、その2列のうちの1列を全て砂糖カエデに切り替える計画です。今回、予定20本のうちの2本を植えてみました。

        袋から取り出した砂糖カエデの苗木          苗木を植える場所に支柱を挿す
 

 苗木と苗木の間隔は5mにしました。5mにした理由は特にありません。南北に巻尺を伸ばして、5m間隔に支柱を挿しました。そして、その場所にスコップで穴を掘りました。そして、苗木の根をのその穴に入れて土を被せました。
 今回植えつけた砂糖カエデの苗木、この土地が合っていれば育つと思います。よく育つことを確認して、来年は4本程度の苗木を追加して植えようかと思います。夏は雑草が生い茂る場所ですので、今後数年間は苗木の周りに雑草が生えないように日々の手入れが必要です。

                 スコップで穴を掘り、植えつけた砂糖カエデの苗木

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古いTEAC製オープンリールデッキの修理(2)

2014年02月26日 | 建設,工事,修繕

 モーターが動かないオープンリール式デッキですが、モーターの軸が露出していません。モーターを分解するのはとても困難なようです。機械が複雑に入り組んでいるため、一度分解してしまうと元に戻せないような気がしてきました。このため、スプレー式の油を使ってモーターに油をさしました。

                  スプレー式の油をモーターの軸に吹き付け


 すると、電源を入れても自然にモーターが回るようになりました。モーターが回らない故障はこれで解決です。つぎに、右メーターのランプが点かない故障の修理をしました。メーターを外して、ランプの部分を取り出してみました。特に断線はしている様子はありませんでした。元のようにメーターを組み込むと、ちゃんとランプが点くではありませんか。単純な接触不良だったのではないかと思います。

     直した、右メーターの赤ランプ           正常に動くようになったテープデッキ
 

 これで、このオープンリール式テープデッキの修理は終わりました。そこで、テープを取り付けて音楽を聴くと、ちゃんと治っていました。ただ、テープの早送りや巻き戻しが弱いようです。40年近く使っていなかったので、いろいろな不具合は仕方ありません。その音楽を一度だけテープデッキで再生して、パソコンデータとして取り込もうと思います。そうすれば、以後テープデッキで音楽を再生する必要がなくなりますので。

              治ったことを確認したテープデッキにカバーを取り付け

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一人芝居「赤い取調室」のお手伝いと聴講

2014年02月25日 | ふるさと

 午後18:30にNa君の一人芝居の練習のお手伝いをしました。最初は照明のセッティングです。先日もお芝居のお手伝いをしたのでセッティング手順を少しは覚えているはずでしたが、すっかり忘れていました。今回、お手伝いしたのは私,Nn君、そしてEさんです。

  照明装置を取り出しているNa君とEさん   照明装置をセッティング中のNn君とNa君
 

 舞台に影が出ないように照明装置をセッティングし終わると、さっそくNa君の一人芝居の練習です。Nn君は台本との突合せ、私はビデオ撮影とタイムカウント係をしました。Eさんは芝居の評価と暖かい飲み物係などです。
 前半は快調に芝居が進みましたが、後半はやや詰まるところがありました。一人で練習している時と、今回のように広い場所と見守られている時では雰囲気が違うようです。このため、まだまだ練習が必要のようです。タイムを計るとやや時間が伸びていることが分かりました。本番は一ヶ月後です。本番では危なげなく芝居できると期待しています。

             ビデオを撮影されつつ、一人芝居を演じているNa君

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最後の秋ジャガイモを収穫

2014年02月24日 | 野菜:芋類

 去年の真夏に種芋を植え付けたジャガイモ、最後の掘り取りをしました。これで、我家のジャガイモは無くなりました。今度は、2月末に植えつける夏ジャガイモです。来週か東京から帰ってから、種芋を植え付ける予定でいます。

     三本クワでジャガイモを掘る             出てきた美味しそうな秋ジャガイモ
 

 陸稲,麦,粟,稗などは、天候,害虫,雑草などの被害を受けやすい作物です。このため、収穫してみるまでどのくらい収穫できるのか分かりません。その点、ジャガイモは収穫量が一定しています。収穫できないことはまずありません。私のようにずぼらな農業をしている者にも、自給自足できるほどの一定量が収穫できます。ありがたい作物です。

                  最後の秋ジャガイモ収穫、肉ジャガかポテトに調

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柳井市 琴石山ウォーキングのための下見

2014年02月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今回、柳井市の琴石山ウォーキングの下見に行ってきました。前回は事前調査に行って、車を停める場所や歩くコースを決め、今回は正確な距離やトイレの場所を確認するなどしました。
 いつもは、私一人で下見しますが、N君とYさんが同行してくれました。N君は柳井天満宮~茶臼山古墳~柳の井戸ウォーキングの下見に同行していただきました。Yさんは、一昨年のおだいっさー(大師様)詣りと三ヶ岳ウォーキングの下見に同行していただきました。常々ありがとうございます。

     六道地蔵からウォーキング開始          残雪の道を踏みしめ登る
 

 平生町のMaxValuでN君と待ち合わせ、柳井市街でYさんを拾いました。そして、市街を抜けて六道地蔵に車で行きました。そして、そこからウォーキングメーターを回しながらの下見の開始です。最初急登だったもののすぐに緩やかな登り道となりました。しばらく歩くと、三ヶ岳と琴石山の分岐点に着きました。ここまで1.6kmです。この分岐点はほぼ中間点で、あと1.5km登れば琴石山頂上です。

       三ヶ岳と琴石山の分岐点からしばらく歩くと、さわやかな木漏れ日道


 三ヶ岳と琴石山の分岐点からしばらく歩いていると、雪が残る登り道が待っていました。滑らないように慎重に足を運びます。そして、さらに歩くとさわやかな木漏れ日の林の中を道が続いていました。ほかほかした体に涼しい風が当たり、快適なウォーキングです。
 頂上途中に眺めが良い休憩所がありました。そこの長椅子で休んでいると、8人位の団体が琴石山方面からやってきました。広島県の福山市からハイキングにやってきたとのことでした。快く席を譲って、少しの間談笑して琴石山に向かいました。

     視界がだんだん広がってくる          広島県福山から来た方々に席を譲る
 

 休憩所から頂上までの数百メートルは大パノラマの連続です。立ち止まりつつ、柳井湾などを見下ろしながら歩きました。そうこうするうちに琴石山頂上に到着です。頂上はちょっとした広場になっており、どこにでも座ることができます。柳井湾を見下ろす長椅子に座って昼食休憩をしました。これからの春、日曜日にはたくさんの人がここに登ってくると思います。

      ようやく琴石山頂上に到着              頂上の標識で、私とN君
 

 お昼休憩しつつ、眼下のパノラマを楽しみました。今回は、風があるものの雲がまったく無い快晴です。飛行雲だけが、突き刺すように青空を横切っていました。歩いた道にはまだ残雪があり寒いのに、頂上は涼しく快適でした。
 私が20代の頃は一年中、北や南アルプスなどに登りました。下界を見下ろしていると、登山をしていた若い頃を思い出しました。

             周防大島方面を見下ろして、左下に大島大橋を視認可


 琴石山545mは、この付近では二番目に高い山(一番は柳井市伊陸の氷室岳563m)です。このため、ウォーキングに参加する方々の足を少し心配していました。しかし、多少は急な道もあるものの道は良く整備されています。ゆっくり歩けば子供や年配の方でも安心してウォーキングできるようです。今回は、道に雪が残っていたため滑りやすい個所がありましたが、3月の本番ウォーキング時には雪も溶けているはずです。天気さえ良ければ、快適なウォーキングを楽しむことができると思います。

             柳井市街,平生町,そして田布施町方面を見下ろして


 40分位頂上で楽しく談笑していると、風が吹くためかやや寒くなってきました。このため、下山することにしました。今度は正面に三ヶ岳を見ながらの下山です。来た時とは反対向きの景色を楽しみながら下山することができました。

    柳井市街を見下ろしながら下山            正面は、1年前に登った三ヶ岳
 

 景色を楽しみながら下山していると、あっと言う間に三ヶ岳と琴石山の分岐点に着きました。そこからは、舗装された道を六道地蔵に向けて歩きました。楽しくお話しをしながら、のんびりと歩きました。六道地蔵では、石鎚大権現の岩をお参りし、続いて岩に彫られた六道地蔵をお参りしました。今回も、ほど良い疲れが残るウォーキングでした。なお、ウォーキングメーターで測った総距離は6.6kmでした。
 N君,Yさん、琴石山ウォーキングの下見に同行していただきありがとうございました。

     三ヶ岳と琴石山の分岐点に到着          六道地蔵に向けて舗装道を歩く
 

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平生町 大野付近の大岩と古道を散策

2014年02月22日 | ふるさと

 今、田布施町のひかり観音(鏡のような岩)の古い伝承を検証しています。その過程で、平生町にも光る岩があるらしいとのことを聞きました。そこで、平生の大野北にあるこびとのおうちえんのOさんに案内していただき、それらしい岩などをいくつか訪ねました。
 最初、おうちえんのすぐ上にある大きな岩を訪ねました。その岩の下に住む古老が、代々お供えをして祀っていたそうです。その岩に行ってみました。すると、西側面がスッパリ切り落としたように平になっていました。ただ、雨風による浸食が激しいため鏡のようではありませんでした。磨けば鏡面になると思いますが。

              つい最近まで、地元の古老がお供えして祀っていた大岩


 いくつか巡って、平生街に降りる道のそばに巨大な岩が露出していました。東面がやはりスッパリとした平面になっていました。ただし、周りは竹やぶで覆われているため現状では太陽の光を反射することはありません。大野付近の岩はほとんどが花崗岩のようです。花崗岩は、永い間の風雨による浸食により硬い石英が砂粒状に残ります。そのため、ざらざらしていました。ざらざらしていれば光を反射しません。ただし、割れた当時(数千年前?)は切り口がピカピカしていたと思われます。
 最後に、大野北にある古道を訪ねました。そこは、お地蔵様(やや新しめ、お顔が削れてる?)が安置されている古い道でした。昔の人々はこれらの古道を往来していたのでしょう。昭和30年代まで、平生と伊保庄の人々はこれらの古道を通って往来がありました。実際、私の母親は平生からの古道を通って、実家のある伊保庄山近に通っていました。
 こびとのおうちえんのOさん、いろいろ教えていただきありがとうございました。今後共よろしくお願い致します。

      道沿いの大岩、東面が平            古道に安置されたお地蔵様
 

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田布施町 伊佐里ヶ峠を越えるも、大失敗

2014年02月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 田布施町の古道をいろいろ調査しています。今回、江戸期や明治期に麻郷の人々が室積の普賢さまのお祭りまで歩いてお参りするルートの一つであった、伊佐里ヶ峠(いざりがとうげ)を歩いてみることにしました。麻郷の高松八幡宮近くから登り、伊差里ヶ峠を越えて麻里府の大泉寺に出ます。
 今回は大泉寺側から登ってみることにしました。しかし、峠道は山の中で消失しており、とんでもない場所に出てしまいました。

     大泉寺の伊佐里ヶ峠入口             伊佐里ヶ峠直下の平らな場所
 

 大泉寺横の道を入ると、すぐに道が途切れていました。この道は、今や伊佐里ヶ峠へ行く道ではなくお墓に行く道となっていました。そこで、茂っていた藪をくぐるようにして無理して道を進みました。しばらくすると、イノシシの足跡が顕著な道が上へと続いていました。獣道化した道をどんどん進むと、40分位して山の頂上らしき場所に着きました。ここまで来ると、道はまったく消失していました。尾根と思しき線をひたすら進みました。ひざ上にまで茂るシダをかき分けるようにして一番高い峰に到着しました。そこからは、竹尾方面の山々が見えました。ここから、谷筋に向かって降りることにしました。これが大間違いでした。

                 伊佐里ヶ峠の頂上付近、ここからの下り道を誤る    


 伊佐里ヶ峠の頂上付近からどう進めば良いか困りました。50年近く使われていない道ですので、道しるべなどはありません。降りる道に見えた獣道を下ることにしました。どんどん下ると、歩きやすいものの暗い杉林に迷い込みました。その杉林に残る獣道をどんどん進むと、昔田んぼではなかったかと思われる湿地帯に出ました。しかし、ここから道が全くありません。
 道を迷っているさなか、綺麗な薄緑色のウスタビガの繭を発見しました。良いことは、この美しい繭を発見したぐらいでした。

      迷い込んだ暗い杉林               薄緑が綺麗なウスタビガの繭
 

 湿地帯をあれこれと歩きつつ、水の流れる方向に藪こぎしながら歩きました。野いばらに手や足を引っかかれて血がにじむほどほどです。だいぶ迷い歩くと、ぽっかり向こう側に工場らしき建物が見えました。この建物は少なくとも、私が到着目標にしていた麻郷にある建物ではありません。しばらく藪こぎをしてその建物に着きました。とにかく、山を抜けることができてほっとしました。
 その建物は車の板金関連の工場でした。その建物で作業している方に声をかけて、この場所を聞きました。すると、唖然としました。その場所は、麻里府上組の元焼き場があった場所近くでした。そして、もう一度びっくりすることがありました。私と話をしたM氏は、私の中学生時代の同級生だったのです。彼と同じクラスになったことがあります。本当に奇遇です。彼と、子供の頃の話などで少しの間談笑しました。

         藪の中から見えたM氏の工場、この建物が見えた時ほっとする


 家に帰って、伊佐里ヶ峠の道のどこを間違えたのか振り返りました。すると、大泉寺わきからすぐのA地点ですでに間違えていました。尾根に沿って行かなければならないのに、谷すじに入ってしまいました。その後、峠のB地点に着いたのは間違いではありませんでした。しかし、ここから大きな誤りを犯してしまいました。一度、頂上を乗り越えて東に向かい、谷筋に向かいD地点(高松八幡宮近く)に向かわなくてはなりませんでした。しかし、B地点すぐの谷筋に降りてしまったのです。その結果、まったく逆方向のC地点に向かってしまいました。近いうちに、もう一度チャレンジしてみようと思います。
 50年の月日はすごいものです。昭和30年代まで使われていた峠道は、見るも無残に消失していました。明治時代頃、峠には茶屋があったと記録に残っています。その当時、この峠を行き来する人々が絶えなかったのてしょう。もう一つ分かったことは、この峠の名前の由来です。峠付近はずり落ちてしまいそうな急坂です。背中を曲げるようにしながら登る姿が峠名になったと思われます。やれやれ、山の中で迷子になったのは久しぶりです。

              黄色が本来の伊佐里ヶ峠の道、橙色の線のように道を迷う


 ちなみに昭和49年の伊佐里ヶ峠付近の航空写真を見ると、峠の痕跡が残っています。この当時ならば、まだ峠をかろうじて行き来できたのではないかと思います。これらの古道が使われなくなったのは昭和30代後半以降です。日本の高度成長期とモータリゼーションが普及する時期と重なります。

       昭和49年当時の伊佐里ヶ峠の航空写真、すでに道は痕跡程度にしか見えず

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何十年ぶり、梶取岬近くの岩場で岩海苔を採集

2014年02月20日 | 野菜:葉菜

 久しぶりに梶取岬近くの岩場に行きました。南を見ると正面に馬島が見える場所です。タイドメーターで干潮の時間帯に行きましたので、岩場はだいぶ潮が引いていました。今回のお目当ては岩海苔です。普通の海苔は黒いのですが、綺麗な緑色をしているので青海苔とも言うようです。私が子供の頃は、黒海苔ではなく岩場で採れるこの岩海苔をよく食べていました。

              岩海苔が取れる梶取岬の岩場、正面に見えるのは馬島


 冬の寒い干潮の日、平生町に住む祖母に連れられてよく岩場に行きました。そして、岩場にくっついている岩海苔を剥ぎ取るようにして採集しました。岩海苔を採集したのは50年ぶり位でしょうか。岩にくっついている岩海苔は、たやすくは獲れません。しっかり指で捕まえないと、ぬるぬるして抜けてしまいます。干潮で潮から出た岩についた岩海苔は、砂などがついています。そのため、海水で洗いながら採集します。

      岩海苔がびっしり着いた岩場           指で摘まんで剥がすように採種
 

 採りやすいのは、潮だまりに残された岩海苔です。潮にゆらゆらたくさん揺れているため、比較的採りやすいです。試しに採った岩海苔を一口食べてみました。塩味が効いて美味しく、さくさくした懐かしい噛み応えです。
 普通の黒海苔は、かつて田布施町でも養殖していたようです。その養殖や加工器具などが郷土館に展示されています。岩海苔は自然の岩に育つのに対して、黒海苔は岩ではなく枝や紐で育ちます。このため、この梶取岬では黒海苔を見ることはありません。試しに、木の枝などを海に沈めておけば胞子が取りついて黒海苔が育つのではないかと思います。

                誰も岩海苔を採らないため、私一人が採り放題


 岩海苔を採集するついでに岩牡蠣を取ってみました。普通の牡蠣より小さいのは仕方ありません。私が子供の頃、おやつ代わりにナイフで岩から剥いで食べていました。今回、50年ぶりに食べてみましたが、あまり美味しくありませんでした。広島の牡蠣に代表される、販売されている牡蠣の味に慣れてしまったのでしょう。岩の割れ目をよく見ると、瀬戸貝がたくさん付いていました。いわゆるムール貝です。まだ2cm程度の大きさしかなかったため採りませんでした。

        我家で食べる量の岩海苔          家に持ち帰り、砂などの汚れを取る
 

 岩海苔を家に持って帰ると、さっそく加工しました。水を入れたボールに採取した岩海苔を入れて混ぜます。すると、砂が沈殿します。そして、海苔以外の海藻を取り除きました。次に、乾燥させるために、紙を敷いた木箱に広げました。昔は紐にぶら下げるようにして干したのですが、風で飛ばされることがあります。今回は、木箱に入れて干すことにしました。
 干しあがると、食べることができます。祖母はこの干した岩海苔をいったん火で炙って、ご飯と一緒に食べていました。他にも加工して食べていたのではないかと思いますが、幼少の頃の記憶ではこれ以外の食べ方を知りません。サラダにしてドレッシングをかけて食べても、又は佃煮もしてもいいかも知れません。
 平生町や田布施町の冬の海岸で、最近、この岩海苔を採集している姿を見たことがありません。この地域では、すでに幻の食品となってしまったのではないかと思います。無くすには惜しい海産物です。

                 木箱に入れて乾燥、紐に吊るして干してもよい

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少しずつでも裏山を下刈りして綺麗に

2014年02月19日 | 樹木,果樹

 去年から少しずつ裏山を綺麗にしています。その結果、家のすぐ後ろはとても綺麗になりました。年一度の下草刈りだけで今後も維持できそうです。しかしながら、他の場所は遅々として進みません。一番の原因は、伐採した笹や樹木を下に容易に運び出せないことです。
 笹を切ったり木を伐採することは比較的容易です。しかし、その笹や木を適度な大きさに切って、背中にしょって山から下ろし、しかも燃やして灰にするまでの手間が途方もなく大変です。一旦、綺麗にした山は維持が楽なのですが、逆に一旦作業をサボってしまうと元のような綺麗な山に戻すことは容易ではありません。

       笹を残して木を伐採した箇所            今回、その箇所の笹を刈る
 

 亡くなるまでの数年間、父親は病のために山の管理ができなかったようです。今、私は10年前の山に戻そうと奮闘しています。しかし、いつ元のような管理された山に戻るのか見当がつきません。いくつかの山は、作業に入れずジャングル状態のままです。それでも、少しずつ山仕事を続けています。

        少しずつ開けてきた山、笹を刈り取りや木を伐採して太陽が差し込む

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柳井市 楽しかった柳井天満宮~茶臼山古墳~柳の井戸ウォーキング

2014年02月18日 | 歴史探訪他ウォーキング




 いつもの仲間と共に、柳井市街のウォーキングをしました。今回は山や川などの自然を巡るウォーキングではなく、神社仏閣史跡を巡るウォーキングとなりました。晴れたとても良い天気でした。
 関東では大雪のようです。東京八王子市に住んでいる家内に電話すると、雪で車が出せなかったそうです。しかし、大雪で一つだけ良かったことがあったそうです。それは、普段顔を見ない隣近所の人達が皆出てきて協力して雪かきしたことだそうです。隣近所の意外な素顔を見ることができて良かったとのこと。災害に見舞われた時こそ、普段の何気ない隣近所とのお付き合いの大切さが身にしみたようです。

    柳井川のお散歩公園を散策          色鮮やかな朱色の柳井天満宮を見学
 

 さて、集合地点のJR柳井駅から柳井川のほとりに出ました。この柳井川、私が子供の頃は家々が川に突き出るように建てられた掛け出し家屋が林立していました。今は、それらの家が無くとても綺麗になっていました。砂が敷かれ、川に面したお散歩公園やちょっとした広場になっていました。川には藻がびっしり生え、十羽位の鴨が川に浮かんでいました。
 柳井川の隣を流れる姫田川を渡って、色鮮やかな柳井天満宮(菅原神社)に行きました。そして次に、片野川を渡り代田八幡宮に行きました。私は、事前調査など四度目の代田八幡宮です。下見時に神職の方にお聞きした、この神社のいわれなどのお話をみなさんに少し説明しました。

     広々とした代田八幡宮               茶臼山古墳について説明を受ける
 

 代田八幡宮を見学し終わると、柳井病院の渡り廊下直下を通る道を歩いて茶臼山古墳に行きました。事前調査の時に、今回来ることを資料館のメモに残しておきました。そのためでしょうか、資料館の方が待っていたようでした。
 茶臼山古墳のお話や古代の柳井,平生,田布施について、とても丁寧に説明していただきました。ありがとうございました。

               前方と後円の間で、資料館の方に撮っていただいた写真


 この茶臼山古墳の復元には5億円使われたそうです。そして、古墳復元時に敷いた石の中には、岩国市の錦川からも持ってきた石もあるそうです。この古墳が作られた5世紀頃当時は、この地域を流れていた柳井川などの石が使われたのでしょう。また労働者として当時の柳井,田布施,平生などの人々が大勢駆り出されたのでしょう。
 茶臼山古墳は柳井湾側にある巨大な古墳ですが、同じ頃作られた白鳥古墳は平生湾側にある巨大な古墳です。両古墳ともに長さ100m近い巨大な古墳です。この二つの巨大な前方後円墳は古代、この柳井,田布施,平生を船で行き来する人々のステイタスシンボルだったのでしょう。この二つの古墳は、この柳井,田布施,平生地域が古代においてとても重要な地域だったことを証明しています。

               巨大な前方後円墳を正面に見ながら、楽しいお昼休憩


 茶臼山古墳を見学している頃、正午になりました。古墳の後円部に登って景色を眺めた後、降りて資料館前にある芝生で昼食休憩にしました。日が当たり、しかも風が遮られる場所でしたので、腰を下ろしてポカポカ暖かく休むことができました。
 お昼休憩が終わると、古墳に隣接する資料館内を見学しました。そして、出土した三種の神器(勾玉,刀,鏡)などを見学しました。

     ポカポカ暖かかった芝生            資料館内に陳列された出土物を見学
 

 茶臼山古墳の見学を済ませると、柳井市街に向けて歩きました。片野川を渡り、法務局近くを通り、丘の上公園に着きました。この公園から、茶臼山古墳や柳井湾を見渡すことができました。すぐ傍にある通称わんわん寺が運営する柳井幼稚園の運動会が、この公園広場で毎年あるそうです。そのため、子供が遊ぶことができる遊具がたくさんそろっていました。この公園で、小学1年生のAちゃんはブランコや滑り台などで遊びました。小学1年生には、古墳や神社などは難しかったかな。遊びざかりのAちゃんには、やっぱりブランコや滑り台の方が楽しいようです。
 大人には神社仏閣古墳、子供には公園など、参加する人全員がなるべく満足できるようにと場所を選んでいます。

    国木田独歩旧宅を見学                   スタンプ係のAちゃん
 

 丘の上公園でしばらく休憩すると、国木田独歩旧宅に行きました。そして、すぐそばにある普慶寺に行きました。そばにあると行っても崖下です。大きく回り込むように迂回して行きました。その普慶寺に着くと、柳井市街の各名所でスタンプを押す紙をもらいました。名所4箇所に行ってスタンプを押すと、何か特典があるようです。今回、3箇所でスタンプを押すことができました。

               国木田独歩旧宅直下にある普慶寺をお参り


 普慶寺を見学し終わると、今度は「柳井」の名前の由来になったと言われる「柳と井戸」がある湘江庵に行きました。この場所は、白壁の町から少し奥まった場所にあるためか、意外に知らない人が多いようです。この庵付近は細い通路が縦横に複雑に入り組んでいるからかも知れません。ここでスタンプを押して、隣りの誓光寺に行きました。私は、このお寺の広い屋根のカーブがとても好きです。

      「柳と井戸」の湘江庵を訪問        柳井の名木の一つ、誓光寺のヒマラヤ杉
 

 誓光寺のお参りを済ませると、最後の訪問地である白壁の町に行きました。ここは、1年半前に娘とイベント日に散策したことがあります。今回、あるお店に入って雛人形を見学しました。そしてスタンプを押しました。白壁の町を少しですが見学し終わると、今回のウォーキングの解散としました。白壁の町をまだ見たい方は残り、帰る方は駅に向かって歩きました。
 なお、私を含む数人は駅前付近の喫茶店に入ってくつろごうと思いました。しかし、営業している喫茶店は皆無でした。都心では休日こそ開店しているのですが、この柳井では逆に休日は営業していない店がほとんどのようです。不思議です。

    あるお店に入って雛人形を見学             白壁の町をのんぴり散策
 
==========健康ウォーキングクラブ==========

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古いTEAC製オープンリールデッキの修理(1)

2014年02月17日 | 建設,工事,修繕

 私が学生時代、後輩から安く譲ってもらったオープンリールデッキがあります。40年ぶりにそのオープンリールデッキを使って、私がかつて演奏したビッグバンド曲を聴こうと思いました。このデッキは、オープンテープを所定の位置に入れると自動的にスイッチが入ります。ところが、そのオープンテープをセットしてもピクリとも動きません。あまりにも永い間動かしていなかったためでしょう。

    約40年ぶりに動かしてみたデッキ            自動的にスイッチが入る箇所
 

 ちなみにオープンテープとは、カセットテープが出る前から使われていた磁気記録用テープのことです。カセットテープと比べて音質が良かったため、当時の私はこのテープで音楽を楽しんでいました。
 故障している個所は、動かないモーター,そして光らない右メーターランプです。ゴム類も痛んでいるようです。なお、電源ランプは40年前に一度切れたことがあり、当時二十歳頃だった私が交換しました。当時、とても貴重だったLEDを使ったランプに代えました。ちなみに、動かないモーターの軸を指で摘まんで軽くアイドルさせると動くようになりました。潤滑油が固着しているのでしょう。モーター用の潤滑油を購入して注油しようと思います。

       左上:動かないモーター,下左:光らないメーターランプ,下右:電源ランプ

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ひかり観音と「古代の光」伝説との関係(2) 検証編

2014年02月16日 | ふるさと

 余田の調査を終えると、田布施に入りました。田布施に入ると、行者山や赤子山などのひかり観音を遮る山がぐっと少なくなります。それだけ、観測地点の候補が増えます。古代において海峡だった大波野の八幡八幡宮近くに行きました。そして、ひかり観音が見える場所を探すと蓮台寺公会堂前でした。
 蓮台寺公会堂から灸側沿いは、ひかり観音観察地の絶好ポイントです。蓮台寺公会堂からから300mほど灸川下流側、薬師川と灸川の合流地点は周りは特に良いポイントです。さらに灸側から田布施川合流地点までの約1.8kmはどこもひかり観音が見えます。

 蓮台寺公会堂前からみたひかり観音          薬師川と灸川の合流地点
                                 矢印:江戸時代の薬師川の川幅

 

 下画像の観測地点候補は、A:蓮台寺公会堂,B:灸川排水機状付近,C:祇園,D:リサイクルショップ,E:宿井,F:城南小学校付近,G:川西西山地区,H:田布施総合支援学校,J:JR田布施駅,K:ヤンマー農機販売,L:関戸橋,M:高塔東端です。
 なお、下画像の上赤線はひかり観音の岩面が向いている方角(東の-8°)です。この線上に太陽が上っていると、この線上のどこかに太陽光線の反射光が照らされます。下赤線はひかり観音の岩面から東の方位線です。春分/秋分時にはこの線上の東から太陽が昇ります。

    田布施街をあちこち走りまわって探した観測地点候補 ※橙線は今回通った道                   


 田布施町で、ひかり観音の岩面が向く方角にある観測地点候補は、祇園から岩田に500m位進んだ場所にあるリサイクルショップ,田布施苑から東に300mの場所にある鉄道をまたぐ陸橋,そして田布施総合支援学校でした。

  リサイクルショップから見たひかり観音      城南小学校付近から見たひかり観音
 

 ひかり観音に近づくにつれて、ひかり観音の岩肌が肉眼で確認できるようになります。西山地区に来ると、呉麓山にひかり観音の岩がはっきりと認められます。ひかり観音からの光は、夏至に最もひかり観音に近づいた場所で確認できるはずです。その場所は、6/20前後に判明すると思います。今年は、ひかり観音からの光が確かに見えることを実証し、来年はその見えるコースを確認できたらと思います。
 今後は、観測ポイントの選定と、観測日時の計画を練ろうと思います。

   田布施支援学校から見たひかり観音         高塔東端から見たひかり観音
 

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ひかり観音と「古代の光」伝説との関係(1) 検証編

2014年02月15日 | ふるさと

 今日も、昨日と同じ六道地蔵に来ました。昨日は柳井市の琴石山ウォーキングのための事前調査でしたが、今日はひかり観音からの光を観測する地点を探索するために来ました。ひかり観音からの太陽光線の反射光は、仰角が小さい柳井方面から先に見え始めると思われるからです。特に高度が高い山です。三ヶ岳が良いのですが、毎日早朝に登って観測するのは困難です。このため、三ヶ岳より少し低い六道地蔵が有力なを観測候補地点です。

   A:茶臼山古墳から見たひかり観音       D:道路工事現場からみたひかり観音
 

 観測地点の探索は、最初平生の磯崎からスタートして次に茶臼山古墳に来ました。下画像のアルファベットA~Kは、ひかり観音がよく見えた個所で観測候補地点です。ちなみに、A:茶臼山古墳,B:柳井病院,C:片野川土手,D:道路工事現場,E:六道地蔵,F:お大師様,G:丘の上公園,H:柳井中学校,J:余田中心部,K:臥龍梅近くのため池です。

   E:六道地蔵広場からのひかり観音          G:丘の上公園からのひかり観音
 

 下画像の上赤線はひかり観音の岩面が向いている方角(東の-8°)です。この線上に太陽が上っていると、この線上のどこかに太陽光線の反射光が照らされます。下赤線はひかり観音の岩面から東の方位線です。春分/秋分時にはこの線上の東から太陽が昇ります。

         柳井市をあちこち走りまわって探した観測地点候補 ※橙線は今回通った道


 柳井市で最も南に位置している、ひかり観音が見える位置はBの柳井病院でした。駐車場からよく見えました。それより南は赤子山がさえぎるため見えません。もっとも北の位置はIの伝源義経の供養塔でした。
 観測地点で一番期待できるのは、余田地区の広い田んぼの中です。J~Kの広い範囲に渡ってひかり観音を見ることができます。J,Kの両端で同時に二人で観測すれば、光の移動速度が分かると思います。次に田布施と平生に行って観測地点を探しました。

  I:伝源義経の供養塔から見たひかり観音     J:余田の田んぼから見たひかり観音
 

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柳井市 琴石山ウォーキングのための事前調査

2014年02月14日 | 歴史探訪他ウォーキング

 午後、3月に予定している柳井市の琴石山ウォーキングの事前調査に行ってきました。そして、駐車場やウォーキングするルートなどを確認してきました。私一人だけならばJR柳井駅からすたすた歩くのですが、小学低学年生やご年配の方々に合わせなければなりません。今回も8km未満の楽しいウォーキングになるように企画しようと思っています。
 予定では、平生町のMaxValuとJR柳井駅にいったん集合して、琴石山中腹の六道地蔵近くの駐車場まで車で行くことにしています。平生から駐車場まで車で約30分です。途中、JR柳井駅に集合した方に同乗していただこうかと考えています。

      集合予定地の平生MaxValu                   琴石山中腹の六道地蔵近く
 

 六道地蔵は去年、餅まきやお接待に行きました(この時は、時間に間に合わず)。柳井市街を抜け,サンビーム柳井横を通り,お大師様の金剛寺前の道を通ります。林道のような六道地蔵参道を通り、六道地蔵まで行きます。そして、近くの駐車場に着きました。ここは十分な駐車スペースがあります。予定では、ここで下車してから琴石山に歩きます。

              十分な駐車スペースがある、六道地蔵近くの駐車場


 駐車場から三ヶ岳と琴石山間にある鞍部までの距離は約1.5kmです。軽い上りであることを考えると、駐車場から鞍部まで30分位でしょうか。鞍部にある標識から50分位歩くと琴石山頂上です。駐車場から琴石山頂上まで、1時間半位ではないかと思います。たいした歩程ではありません。唯一心配なのは天候だけです。この位の距離ならば、子供でも行けると思います。

     三ヶ岳と琴石山間の鞍部                雪がまだ残っていた道路
 

 今回は道に雪がまだ残っており、風が強い曇り空でした。しかし、景色はとても良かったです。天気が良い午後はいつも、太陽が逆光の位置にあり平生や田布施方面はよく見えません。今回は風が強かったためか霞がかかっておらず、平生や田布施方面がよく見えました。目をこらすと四国や九州が薄く見えました。事前調査とは言え、寒さでぶるぶる震えながら景色を堪能しました。

               平生方面の景色、はるか遠くに薄く九州が見える


 田布施方面は、さすがに田布施街は見えませんでした。しかし、行者山,呉麓山,そして千坊山がよく見えました。
 はるか古代、琴石山から田布施方面を見下ろすと、新庄,余田,田布施,竪ヶ浜,そして平生へと海が続いていたのでしょう。赤子山,大星山,そして皇座山へと続く山は、どんな名前で呼ばれた島だったのでしょうか。
 2月下旬に下見をします。その時は、ウォーキングメーターを使って歩く距離を正確に測ろうと思います。そして、休憩する場所などを考えながら歩こうと思います。

           田布施方面を眼下に、行者山,呉麓山,千坊山などが良く見える

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