この春に種まきしようと思っている洋綿の種を取っています。緑綿や和綿は種まきする量を確保したため、今度は洋綿の種を取っているのです。去年はどう言う訳か、洋綿の発芽率が悪かったため今年はたくさんの種を蒔こうと思います。発芽率が悪く50%だったとしても、4粒まけば2粒は発芽することになります。また、箱苗に種をまいて発芽した洋綿を移植する手も考えています。去年、和綿は半分以上移植して育てました。綿は移植に強いようですので。
採集した洋綿 種を取った洋綿 取った洋綿の種
綿は種が比較的大きいものの、種を綿が包んでいます。そのため、種と種を包んでいる綿を専用の綿繰り器で分離します。工業化された機械ではモーターで高速に分離できますが、私が持っているのは昔からの手回し式です。一度に数粒しか種と綿を分離できません。気長にハンドルを回すしかありません。
綿が外れ種が残る 反対側には綿だけを排出
種と綿を分離したついでに、そのまま糸紡ぎに使えるように漉いています。たくさんの棘が付いた二つのカードで漉いて、細い棒にくるくる巻いて細長い綿に仕上げます。糸紡ぎするとき、この細長い綿の端から繰り出すように糸を引き出します。今のところ、太い糸は紡げますが、織機に使えるような細い糸はまだ紡げません。細い糸を紡げるようになるにはまだまだ練習が必要です。
糸紡ぎできるように、漉いて細く巻いた綿
探していた岡本家、歩きながら大野八幡宮の近くにありそうだと確信を持てるようになりました。しかし、地図に示されていなかったため最初は全く分かりませんでした。園田地区近くにある岡本家で聞いて初めて大野八幡宮傍にあることを知りました。本番ウォーキングまでに再度、大野八幡宮を訪れて聞いてみようと思います。
園田地区を訪れる 木の下に安置された祠 何の木の実か?
大野八幡宮を過ぎると園田地区に行きました。最初、園田地区の上の方に向かう道を行きました。すると、椿か何かの大木の下に祠が安置されていました。そして花が活けてありました。この地区のどなたかが供えたのでしょう。さらに道を進むと神護寺方面に進むようでした。そのため、道を引き返しました。その途中、不思議な木の実がなっている大木がありました。落葉樹のようですが何の木でしょうか?
園田集会所(四国四十三番弘法大師堂)に到着
道を戻ると、園田集会所に行きました。しかし、私が3年ほど前に訪れた園田集会所と建物の様子が変わっていました。一番の違いは「四国四十三番弘法大師堂」の木札が外されていたことです。また、太鼓が下に降ろしてあったことです。また鐘の位置が変わっていました。建物を修繕するか再建した時に変えたのではないかと思います。また、この集会所が「四国四十三番弘法大師堂」と言われる理由を知りたいところです。
陰平地区の神護寺への分かれ道 陰平地区の大岩と祠
園田集会所を見学すると、陰平地区に向かいました。陰平地区に着くと、最初に大岩の上に安置された祠を見学しました。平生町の大野や曽根の山には多くの大岩が露出しています。しかも、どの岩も丸みを帯びています。露出と丸みをおびている理由を知りたいところです。
陰平道脇のお地蔵様 陰平地区山側を振り返る 神領川沿いの無記名石柱
大岩の祠を見終わると、近くの岡本氏の家を訪ねました。この岡本家の方のお話で、私が訪ねたかった岡本家が大野八幡宮傍にあることを知りました。続いて道を下がっていると先日火事にあった家がありました。その燃え落ちた家の横を通って神領川の対岸に行きました。そして、道傍のお地蔵様をみました。さらに川を下っていると、無記名の丸みを帯びた石柱を見学しました。何かの理由で文字が削られたように跡がありました。
今回の平生町大野南ウォーキング下見ルート
8mm映写機を我家の倉庫から探し出しました。そして、8mmフィルム映像を試写してみました。電源を入れると、モーターが元気よく回りはじめ16コマ/秒の映像が送り出され始めました。ところが、スクリーンに映像が映らないのです。調べてみると、ハロゲンランプのフィラメントが切れていました。困りました。昔は近所のカメラ屋さんでランプを購入することができましたが、今やカメラ屋さんはどこにもありません。
倉庫から出した映写機 丁寧に拭いて綺麗に 光らないランプ部分
仕方なく、インターネットで探しました。高価でしたが購入するしかありません。いつかまたハロゲンランプのフィラメントが切れる時が来るはずです。次にフィラメントが切れた時、LEDランプで使えるように改造しようと思います。さて、新しいランプが届くと、そのランプを取り付けて動作させました。
修理した映写機のランプ部(直したソケットと購入したハロゲンランプ)
ところが、さっぱりランプが光らないのです。やれやれ!調べ直すとソケットが壊れているではありませんか。ソケット自体は映写機と一体化しているため購入することはできません。そのため、自分でいろいろ自己流で直しました。映写機に限りませんが、部品が無いときの対処方法は過去の修理経験がものを言うものです。
フィラメントが切れたランプ 映写した映像 音声部も修理
なんとかソケットを修理して映像がスクリーンに映るようになりました。ところが今度は、音が出ないことに気が付きました。音声部も故障です。やれやれ!この映写機は、音声が磁気式にも光学式にも対応しています。その光学式が故障していました。映写機を分解して修理するには時間がありません。100円ショップで購入していたアンプ付きスピーカーを仮に取り付けてみましたすると音が出るようになりました。40年近く前の装置ですので、あちこちが故障していても不思議ではありません。でも、なんとか治って良かったです。昔の8mmフィルムの映像を最初から試聴して、この映写機が使えることを確認しました。
8mmフィルムの映像を試聴中 8mmフィルムを巻き戻し中
来月2月のウォーキングは、平生町の大野南方面を予定しています。そのウォーキングの下見に行ってきました。本番ウォーキングでは平生農協スタート予定ですが、今回の下見はT邸スタートです。そのため、車をTさんの家に置かせていただきました。朝10時にT邸をスタートすると最初に神出古墳に行きました。神領川を過ぎてこんもりとした森に入ると、その1~3号古墳がありました。
神出古墳1,2号墳 神出古墳3号墳
神出古墳は、古墳の形が分からないほど石室が露出しています。それほど大きな石室ではないため、おそらく円墳ではないかと思われます。近くに4,5号古墳があるはずです。そこで、森のように生えた竹藪内を探してみましたが分かりませんでした。空いた日に再訪して探してみようと思います。
神出古墳近くから遠望した促進住宅(白い建物)方面
神出古墳を過ぎると、大野八幡宮方面に向かいました。田んぼを300m位横切った場所に蔵之本観音堂がありました。中には4体のお地蔵様が安置されていました。建物は比較的新しいかなと思っていたら、やはり平成23年に再建されたようです。また、綺麗な花が活けてありました。この地域で大事にされているのでしょう。
H23年再建の蔵之本観音堂 南上・下自治会館で談笑 小川の仏様
蔵之本観音堂近くに南上・下自治会館があります。その自治会館に、5年前上関町を一緒にウォーキングしたYさんがやって来ました。快活なYさんに、この周辺の史跡などについて教えていただきました。ありがとうございました。YさんやTさんのお話を聞いていると、大野の女性はしっかり母さんばかりのようです。Yさんと別れた後、小川に安置された仏様を見てから大野八幡宮にお詣りしました。ただ、この近くに住んでおられる岡本さんに会えなかったのは残念でした。実は、岡本家には麻郷浜城から移築した漢学者亘理南山の家があるそうです。それを確かめたかったのです。しかし、周辺の方々のお話を聞くとその昔に焼失したとのことです。
大野八幡宮の参道入口 大野八幡宮の社殿
竹尾バス停跡を出ると麻里府へ向かってどんどん歩きました。そして、麻里府上郷地区に入り成川じょう道端のお地蔵様を拝顔しました。上郷はお遍路ウォーキング(南平和巡礼24km)時に歩きました。その時、上郷の第八番札所の薬師堂に行きました。しかし今、薬師堂のお地蔵様は上泉寺に移動安置されたとのことでした。時間がないこともあり、今回はその薬師堂には行きませんでした。しかし、とても良い出会いがありました。私の同級生のNさんの妹さんに偶然会いました。ウォーキングのメンバーの中にその妹さんと親しかった方がいて話が尽きませんでした。
上郷成川じょうのお地蔵様 左の小道は往還道跡 妙見社に向かう
薬師堂近くを過ぎると、岩金じょう、そして横尾じょうを過ぎました。そして、中村じょう山奥の妙見社に向かいました。城南川西にも妙見社がありますが、両妙見社に何か関わりがあるのでしょうか。妙見社に着くと、お詣りすると共にお社後ろにある中村荒神社の祠を見ました。そして、妙見社の床下に置かれた亥の子を見ました。
上郷中村じょう山奥の妙見社
妙見社を出ると、いったん元の道に戻りました。そして、中郷に向かいました。途中、上郷と中郷の境近くにある明神社跡に寄りました。明神社は江戸時代に大雨で流され、お社が麻里府の海に流されました。以降、明神社跡には再建されず、今の住吉神社の位置に再建されました。その後、住吉神社の分神が祀られて以降いったん住吉明神社となり、明治以降住吉神社となりました。
喫茶BerryBerryで休憩、暖かいコーヒーやピアノ弾き語りで和む
明神社跡を過ぎると、明楽寺と関わりがあった十心庵跡地前を通りました。時間が過ぎていたため、雨ごい岩に行くことは止めました。そして、喫茶BerryBerryに寄りました。到着した時間が遅かったため、ショートケーキはすでに売り切れていました。しかし、美味しく温かい飲物で体を温めることができました。そして、オーナーのピアノ弾き語りを聴くことができました。ありがとうございました。
桜川を麻里布公民館に向かう 田んぼの同級生I君と歓談
BerryBerryを出ると、桜川沿いを歩いて麻里府公民館に向かいました。途中、田んぼに肥料として海草をまいている同級生のI君に出会いました。ウォーキングとは言いながら、思いがけない出会いがあると心が和みます。麻里府小学校跡を通り過ぎ、終点の麻里府公民館に到着しました。今回のウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。来月は平生町大野南方面の古墳や寺社などの史跡を巡ります。
今回歩いた光市五軒屋~田布施町麻里府ウォーキングのコース
このところ、一年で一番と思われるような寒い日が続いています。夜の間に雪が降ったのでしょう、畑や階段がうっすらと雪化粧しています。心配なのは猫のリンちゃんです。猫小屋があるとは言え、夜は凍えるように寒いはずです。朝7時頃に餌をやるのですが、姿が見えないと心配になります。今のところ呼ぶと「ニャー」と出てくるので安心はしているのですが。老猫なのであと何年生きるでしょうか。
薄雪を被ったのらぼう菜 薄雪を被った絹さやエンドウ豆
仕事に行く途中に小麦畑があります。今回、畑に寄ってみました。霜柱は立っていませんが、凍っているようで歩くとカチカチです。しかし、先日肥料をほどこしたので、心もち小麦の緑が濃いように思えます。今後少しずつ気温が上がり日が伸びてきます。そして、それに合わせるように小麦が伸びてくると思います。この小麦が育つのを楽しみにしている人がいるとの話を聞きました。おそらく、小麦畑脇の道路を毎日のように散歩する方なのでしょう。
朝日に照らされて、薄雪が白く光る小麦畑
龍泉寺本堂でのご祈願が終わると、隣の部屋で昼食を取りました。その部屋はストーブがあり暖かく食事することができました。今の季節は、一年でも一番寒い季節になります。暖かい部屋で、しかも暖かい飲物、しかもお接待はありがたいです。龍泉寺のご厚意に感謝いたします。雪は積もらないものの、去年より風が冷たいように思います。
暖かい部屋で昼食休憩 暖かい飲物にお接待
食事が終わると、龍泉寺本堂の外に出ました。龍泉寺は江戸時代の1615年に建てられ、3年前ほど前に400祭が行われました。龍泉寺前を麻里府や麻郷と五軒屋や伊保木を結ぶ街道が走っています。昭和始めに国道188号線が海岸沿いに作られるまで主要道路でした。その当時の街道を思わせる山道が千坊山に沿って続いています。かつては龍泉寺をお詣りする人々で溢れたのではないかと思います。
龍泉寺ご住職を中心に、本堂前にて
かつて賑わったであろう街道を麻里府に向かって歩きました。まずは龍泉寺を一番にして一丁ごとに安置されたお地蔵様に沿って街道を下りました。1丁は100m位でしょうか。4丁目位だったでしょうか、お地蔵様近くの街道を反れて岡の寮に向かう山道に入りました。この道沿いに無住の家がありました。その家の前はやはり無耕作の田んぼが広がっていました。
龍泉寺楼門前の石階段 1丁ごとのお地蔵様 無耕作の田んぼ
小さな峠を越えて岡の寮に着きました。寮と言うくらいですので、戦前には尼さんが住んでいたに違いありません。今は、集会所となっています。どなたかが熊手で広場を掃いた跡がありました。今でも地元の方々に綺麗に管理されているようです。寮内にはかつて信仰の対象であった仏さまが安置されていました。
集落の上の方にある岡の寮 竹尾バス停待合所跡のお地蔵様
岡の寮を出ると、竹尾バス停跡に向かって坂道を下りました。途中にある廃屋、先日の下見よりさらに屋根が窪んでいるように見えました。倒壊するのは時間の問題のようです。竹尾バス停待合室跡に着くと、待合室内に安置されたお地蔵様を拝みました。おそらく、バス停ができる前からあるお地蔵様ではないかと思われます。続いて、竹尾から麻里布に向かって歩きました。
今回歩いた光市五軒屋~田布施町麻里府ウォーキングのコース
引き続き山の下草刈りをしています。今回は家の周辺を重点的に下草刈りをしました。最初に粉ひき兼農作業小屋の周りの草や笹を刈り取りました。笹よりも草が中心です。枯れている草が草刈機に巻き付くなどして作業に手間がかかりました。特に地面を張っているクズの長い茎が巻き付くと、草刈機をいったん止めなければなりません。一年を通じて、刈り取りに一番困るのはクズの刈り取りです。
粉ひき小屋前の斜面 梅が生える斜面 我家の南側の庭
今回難儀したのは我家北側の斜面です。勾配がきついため、転げ落ちないように細心の注意を払いながらの下草刈りです。急斜面のため切り株を踏みながら体を支えました。この斜面の上には先日巣箱を置いた桜の大木があります。今回の下草刈りで、その巣箱が良く見えるようになりました。
転げ落ちないように下草刈りした急こう配の斜面
去年、藍染めをするための液を小さな瓶で作りました。しかし、小さな瓶でしたので、ハンカチ1枚程度しか染めることができませんでした。そのため、今年はもう少し大きな甕を使ってみようと思いました。そのため、我家に甕がないか探してみました。二つ甕がありました。一つはちょうど良い大きさなのですが、小さなひびが入っており口が一部欠けていました。残念!もう一つは底に栓がある甕でした。後者は大きな甕ですので、来年使ってみようと思います。
口が一部欠けた甕 底に栓がある甕 購入したバケツ
今年はバケツを使ってみることにしました。そこで700円位のバケツを買いました。購入すると、さっそく去年収穫した藍の乾いた葉を入れました。どの程度の量を入れてよいか分からないため、バケツの2/3程度にぎっしりと葉を詰めました。詰めていると、藍葉の良い香りがあたり一面立ち込めました。続いて水を入れました。
乾いた藍の葉をバケツにぎっしり詰める
水を入れると、だんだん藍の葉が浮いてきます。浮いた葉を水に沈めるため、時々水を撹拌しました。葉全体が水に浸かると、バケツを部屋に運びました。これから春にかけただんだんと葉が腐敗してきます。虫が湧かないように布をバケツに巻いて蓋をしました。さらに、その蓋の上に重りを載せておきました。初夏には腐敗が完了すると思います。その後、灰汁などを入れて藍染めする液にしようと思います。
水を入れて藍葉を浸す 部屋の隅にバケツを保管
田布施町麻里府公民館に9:45集合して、別府バス停(10:07発)でバスに乗って五軒屋バス停で降車しました。国道188号線を200m位戻って、千坊山大峰山コバルトライン入口に行きました。ここからが今回のウォーキングスタートです。下見の時は風があり寒くて仕方ありませんでしたが、今回は晴れてしかも風がないため快適に歩くことができました。コバルトラインは一人で歩けばだらだらした道で退屈です。しかし、皆さんと談笑しながら歩くと時間が経つのを忘れてしまいます。
千坊山大峰山コバルトライン入口 五軒屋バス停方面を振り返る
五軒屋はかつてミカンの栽培が盛んでした。しかし、今は誰もミカン畑の世話ができないようで、実ったままのミカンが放置されていました。実ったままとは言え半ば腐っているようです。また落下したミカンは獣に食い荒らされているようでした。また五軒屋は瓦の製造工場が何軒かありました。それも廃業のようです。半ば放置された瓦がいくつかありました。ミカンも瓦ももったいないのですが、ご時世ですので仕方ありません。
コバルトラインを歩く 中郷に続く脇道 もうすぐ龍泉寺
コバルトラインを歩いていると中郷と立石から伸びている古道に差し掛かりました。ここにはいくつか墓地があります。綺麗に掃き掃除されていました。山の果ての墓地ですが、掃除している方がいるようです。さらに歩いていると龍泉寺との分岐点に着きました。コバルトラインを右に降りてしばらく歩くと龍泉寺に着きました。
龍泉寺へ下るコバルトライン分岐点
龍泉寺に着くと、防陽霊場、ハガキの木、楼門などの話を皆さんにしました。そして、ご住職のご案内で本堂内に上がらせていただきました。そして、今年度の健康ウォーキングクラブの安全や健康のご祈願をお願いしました。ご祈願が終わると、仏様の涅槃図を紹介していただいたり個別にお祈りをしました。今回参加したメンバーのほとんどの方は還暦を迎えています。今後も日々健康に歩けるよう各自お祈りしました。
ご住職による健康安全祈願 個別に仏様にお祈り
今回のご祈願を企画した理由の一つに、一年前に亡くなったメンバーの供養の意味が含まれています。けっして若くない我々も、いつ体調がおかしくなっても不思議ではありません。ほとんどのメンバーは孫守りする年齢に達しています。今回参加した方々は、私もそうですが家族の健康も祈願したのではないかと思います。
今回歩いた光市五軒屋~田布施町麻里府ウォーキングのコース
何十年も使っていない幻燈機、今でも使えるか調査しました。古い紙箱に入った幻燈機、意外に小さく軽く片手でひょうと持ち上げることができました。幻燈機はスライドなどの写真をスクリーンに投影する機械です。活動写真(映画)が出てくる前に流行りました。昭和30年代まで使われていました。
何十年ぶりの幻燈機 電球が点灯するか確認 投影するフィルム
私が子供の頃、映画は田布施座や平生座まで行かないと見ることができませんでした。一方で、映画館まで行かなくてもよい幻燈機を地域で楽しんでいたように記憶しています。私が小学生の頃、購入した漫画月刊誌(少年画報、少年ブック等)などに懐中電灯の光で投影する紙製組み立て式幻燈機が付録で付いていることがありました。夜になって屋内が暗くなると、その手製の幻燈機を楽しみました。懐かしい機器です。
電気を流して電球を点灯し、フィルムを投影
幻燈機に限らず、昔流行った機械は今やどこにも売っていません。幻燈機よりさらに新しい機器で、つい最近まで使っていた機械でさえ今や幻になっているものがあります。例えば、プリントゴッコ、8mmカメラ、ワープロ、ポケベル、ファミコンなどです。今のうちに郷土館に収集しておかないと手遅れのように思います。さて、今回調査した幻燈機、電気式紙芝居として活用できないか思案しています。
投影されたフィルムの画像 投影しながら読むシナリオ
健康ウォーキングクラブは2012年の秋に発足し、今年から7年目に入ります。最初は田布施川沿い史跡巡りをスローガンにして、8回に分けて田布施川河口から源流まで歩きました。そして、田布施以外にも柳井市、平生町、上関、光市、そして去年は周防大島まで足を伸ばしました。その間、事故もなくウォーキングできたのは会員同志の協力があったからではないかと思います。今回の新年会では、今年のウォーキング予定などをご紹介しました。楽しいウォーキングを計画しておりますので、今年もよろしくお願いいたします。
毎年恒例の健康ウォーキングクラブ新年会に参集した大人や子供達
健康ウォーキングクラブ 2018年のウォーキング計画(予定)
1月 21日 五軒屋~龍泉寺~麻里府
交流館9:20(又は麻里府公民館9:45)~別所バス停~五軒屋バス停~
麻里府別所バス停~麻里府公民館~交流館
2月 25日 平生町大野南~大野北ウォーキング
平生農協~古墳~大野八幡宮~園田集会所~岡本家~おうちえん~
3月 18日 麻郷東部ウォーキング
麻郷公民館~助政荒神様~助政焼場跡~旭荒神社~吉見家跡~
4月 15日 光市小松原ウォーキング
徳修館~三丘岳~島田川沿い~毛利家墓地~黒岩峡~常妙寺~
やすらぎの里~徳修館
5月 20日 馬島ウォーキング
麻里府公民館~渡船場 10:20~馬島~馬島八幡宮跡~寿命時跡~
6月 17日 柳井氷室山ウォーキング
交流館~伊陸高林寺~氷室山~伊陸高林寺~交流館
7月 15日 交流館~浄泉寺~納所池ウォーキング
交流館~田布施川沿い~浄泉寺~納所池~八尋石八幡宮~
8月 お休み
9月 16日 柳井市余田ウォーキング
余田公民館~名合八幡宮~中郷~保生地~院内福楽寺~
10月 21日 伊保庄~大星山~平生農協ウォーキング
ゆめタウンバス停~伊保庄~福井畑~大星山~神護寺~
阿曽権現社~弘中農園~平生農協~平生Maxvale
11月 18日 木地ウォーキング
交流館~木地集会所~極楽寺跡~木地稲荷社~堀川の源光様~
12月 お休み
注2)地域のお祭りや行事などと日付が重なる場合は、
麦踏みをしようと思っていたところ、雨で畑がじるいためできません。仮に踏んだとしても芽生えた麦に粘土のような泥が付着します。そのため、麦踏みは諦めて肥料を施すだけの作業をしました。麦は肥料の効果が絶大です。なお、堆肥のような自然な肥料が良いのですが今回は化成肥料を施しました。
4cm位に伸びた小麦 施した化成肥料 藍があちこちで芽生え
麦に肥料を施していて気が付いたのですが、麦の根本にたくさんの藍が芽生えています。藍は少しぐらいの寒さでも芽生えます。その昔、田布施町には紺屋(染物屋)がありました。当時は3月に藍の種を蒔いていたとの記録があります。6月末に一番刈りをして8月に二番刈りをしていたようです。そして、その葉で藍染め液を作っていたようです。今年は、昔の記録どおりに藍を栽培してみようと思います。
日が陰る麦畑に手で肥料を施す
山の下草狩りを続行していますが、今回は我家裏の北側斜面を中心に笹を刈りました。この斜面は数年前から下刈りしているのですが、日当たりが良いので笹がよく育ちます。そのため笹の背が高くしかも茎が太く、刈り取った笹が足元に倒れて歩きにくいことです。油断するとその笹を踏んで足が滑ってしまうのです。
日当たりが良い山の斜面 滑らないように丁寧に下草刈り
かつてこの斜面には大木が生えていました。私が田布施に帰ってからずいぶんと伐採したのですが、いつの間にか枝が伸びていました。枝が伸びると山を歩くときに邪魔になります。草刈機のエンジンを止めて足元に降ろしてはノコギリでその枝を切りました。切った枝はしばらくその場に放置して、枯れた頃に集めて燃やします。
大木の切り株が隠れる斜面 切り株などを避けて笹を刈る
先日通した山の細い道の両側を下草刈りしていますが、なかなかはかどりません。笹だけならば容易に刈り取れるのですが、切り株などが潜んでいたり、斜面が急で足が滑りそうだったりと、効果的に下草刈りできないのです。刈り取った笹などは、いずれ山の下に降ろさなければなりません。やれやれ、いつまで続く山の下草刈りでしょう。
狭い山道の両サイドを下草刈り
婆さまが使っているやぐらこたつの四本の脚がぐらぐらしてきました。普通のやぐらこたつは床に腰をおろして温まります。しかし、10年位前でしょうか婆さまの足が悪くなって床に座れなくなりました。そのため、爺さまがオリジナルの短い脚を捨てて二代目の長い脚(自家製)を取り付けました。そして、椅子に座って温まれるようにしたのです。ところが、爺さまが取り付けたその脚が5年前に壊れてきました。そのため、私が三代目の木の脚(自家製)を取り付けました。その脚が最近ぐらぐらしてきたのです。
新しいこたつの組み立て 組み立て終了 テーブルを載せた新調こたつ
原因はねじの穴が壊れてきたためです。その穴は修理しようがないほどの大きさです。これ以上修理するのは困難です。そのため、長脚のやぐらこたつを新しく購入することにしました。柳井市にある電気屋さんに行って購入しました。思っていたほど高価ではありませんでした。車に積んで持って帰ると、さっそく組み立てました。
左は組み立てた新しいこたつ、右は脚(三代目の脚)がぐらぐらするこたつ
購入したこたつを組み立て終わると、脚がぐらぐらするこたつを婆さまの部屋から出しました。そして、代わりに新しいこたつを入れました。続いて、ふとんカバーなどを掛けました。これで入れ替え完了です。婆さまもまんざらではなさそうで、顔の表情から満足した様子でした。脚がぐらぐらするこたつは後日分解してゴミに出そうと思います。
脚がぐらぐらするこたつ、後日分解 新しいこたつと満足した様子の婆さま