12月中旬に名古屋で開催されるチャレンジ創造コンテスト全国大会に出場するための準備をしました。田布施大会を勝ち抜いた台車は規定により改造できません。外れた箇所や壊れた箇所を元に戻す修繕をするだけです。またスムーズに動作するために油をさしたり、ひび割れたゴムを交換する位です。
修繕後、出場する子供達同士ではPR文章の読み合わせ,テーマとストーリー,そして2台の台車の連携などの確認をしました。
「なかよしイチジク」チームのメインからくり台車
さらに、発表時の衣装をどうするかなどを考えました。チーム名が「なかよしイチジク」なのでイチジクをイメージした衣装にすることになりそうです。そのための衣装作りに保護者の協力をいただくことになりそうです。
衣装を決めた後、実際に動作させながら練習しました。全国大会ではどんな発表ができるでしょうか。
発表する文言の確認 サブからくり台車動作確認 台車などを入れる箱
この2月、クラフト小屋傍にドラム缶煮沸用炉を製作しました。そして、このドラム缶に水を入れてクルミや楮の枝やシダなどを煮沸しました。ところが、ドラム缶の煮沸炉近くに置いた巣箱に野生のミツバチがやってきました。ミツバチは煙が大嫌いです。
そのため、ドラム缶の煮沸炉を別の場所に移設することにしました。少なくとも、巣箱に煙が届かない場所です。たくさんのブロックを運ばなければならず何往復もしました。
新しい場所にドラム缶の煮沸炉を移設中
昼間の暖かい日はミツバチ達が活発に蜜や花粉を集めています。そして、巣箱やドラム缶の煮沸炉あたりを盛んに飛び回っています。ミツバチの邪魔をしないように、寒い日や夕方を狙って煮沸炉を移設しています。
巣箱傍のドラム缶煮沸炉 解体前の煮沸炉 新しい煮沸炉場所
ドラム缶で煮沸する前はブリキ缶用の煮沸炉でした。1ヶ月位かけて試行錯誤しながらの煮沸炉でした。最初練炭を使ってみましたが水温が上がりませんでした。途中から薪に切り替えました。
さて、最初に煮沸炉の解体をしました。たくさんのレンガやブロックをバラバラにしました。そして、新しい場所に一輪車を使って何往復かして運びました。ある程度の数を運ぶと炉の底を作りました。今日はここまでです。
ブロックやレンガを解体 一輪車でレンガを運ぶ
11月後半の田布施町少年少女発明クラブは田布施中学校理科室で模型飛行機を作りました。模型とは言いながらとても繊細な工作です。図面に合わせて正確に切ったり曲げたり接着します。そのためには製作マニュアルを正確に読まなければなりません。
しかしながら、つい思い込みで作りがちです。マニュアルを理解しないで作ってしまい、余計に切ったり,ちゃんと曲げなかったり,うまく接着できなかった子供がいました。そんな困った時、中学生の先輩たちが助けてくれました。
完成したパタパタ飛行機を広い場所で飛ばす
最初、飛行機の羽を取り付ける主翼支柱を作りました。とても小さくて細いので加工が大変です。老眼の私はメガネをかけないと見えません。ゴムの力で羽をパタパタさせるため摩擦があっては動きません。小さな穴に支柱を通したり止めたりの微妙な指の力配分が欠かせません。
マニュアルを見ながら 細かな部品を組み立て 羽のパタパタ機構
羽は薄いビニールです。両面テープを使って貼り付けます。これまた微妙な指の操作が必要です。中学生の先輩や先生の支援もあり、1時間半位で全員が完成しました。
続いて完成した飛行機を持って広場に向かいました。そして、全員で一斉に飛ばしました。その後、主翼や尾翼を微妙に調整するとだんだんと真っすぐにしかも遠くに飛ぶようになりました。そして、みんな歓声を上げながら飛ばしていました。マニュアルでは表現できない微妙な調整や指使いの勉強になったと思います。
ビニールの羽を取り付け 廊下で試しに飛ばしてみる
大歳神社を出ると、知願寺の裏道を通って羊が飼われている三角小屋に向かいました。三角小屋近くに車があり、近くで草刈りの音が聞こえました。草刈りのために車で来た人なのでしょう。
三角小屋近くにある斜面で飼われている山羊を見た後、道を下りました。下っている途中、暖竹の群生地横を通りました。穂がたくさん出ているため穂を採集しました。穂から採った種子を来春まいてみようと思います。
立ち寄った荒木神社(荒木地区の郷社)
しばらく歩いて荒木神社に立ち寄りました。夏に来た時は蚊に悩まされましたが、寒い時期になったため快適に参拝できました。この神社前に熊毛南高校があります。今から400年前はこの神社下に大海原があったはずです。江戸時代の古地図にその様子がうかがえます。
三角形の作業小屋 斜面にいた山羊二頭 暖竹の群生地
荒木神社を出てしばらく歩いていると、柳井市との境界線が見えてきました。その昔、荒木地区と竪ヶ浜地区は岩国藩であり今の柳井市でした。当時岩国から竪ヶ浜に向かう竪ヶ浜街道がありました。そして、同じ柳井だった余田から竪ヶ浜に移住した人が多かったと聞きます。私の祖父は竪ヶ浜に住んでいましたが親元は余田でした。明治時代に荒木地区と竪ヶ浜地区は平生町に組み込まれ今に至ります。
平生~竪ヶ浜~田布施川史跡巡りウォーキングのコース
遅れましたが、やっと小麦の種まきが終わりました。私だけならとっくの昔に終わっていたのですが、種まき体験をしたい子供達がいました。その子達の都合の良い日に合わせて今回種まきをしました。
種まきしたのは午後でしたが、雲行きが怪しく昼から小雨が降ってきました。子供達はカッパを着て自転車に乗って畑までやってきました。雨が強くならないうちに種まきを始めました。骨董品に近い手押し式の種まき器に小麦の種を充填することから体験を始めました。
小麦の種まきが終わり、土寄せをする子供達
一昨年までは小麦を種継ぎしながら育てていました。今年は新しく購入したパスタやパン用小麦の種をまきました。高グルテンの小麦ではないかと思います。あらかじめ種まき用に畝を作っていたため、その溝の間を手で押しながら種まき体験をしてもらいました。初めての体験だったようで楽しそうに動かしていました。
小麦を種まき器に充填 手で押しながら種まき 談笑しながら種まき
種まきが終わるとすぐに土寄せをしてもらいました。いつものことですが、種まき後に鳩やカラスが種を食べにきます。種を隠すためにも土寄せは大切です。小麦粒が少しでも地面にあると、鳥たちは足で土をほじくって種を探し出して食べるのです。
1時間ちょっとの種まきと土寄せでした。それらの体験が終わると子供達は自転車で帰っていきました。次の用事があるとのこと。今の子供は大人と同じように予定がぎっしり詰まっているのですね。
手押し式種まき器を丁寧に押す 最後にクワを使って土寄せ
今年最後の野菜の種まきをしました。今の季節、白菜や小松菜などの葉物野菜は種をまいても育ちません。育てるにはビニールハウスに頼るほかありません。今、間に合うのはエンドウ豆類です。
今回、絹さやエンドウ豆とスナップエンドウ豆の種をまきました。最近の温暖化ではエンドウ豆類は今頃に種をまいた方が良いようです。経験上のことですが、早く種をまくと厳冬期に葉が枯れたりして春の育ちがよくありませんので。
間隔を空けてエンドウ豆類の種をまく
ところで、一ヶ月ほど前に種をまいた、小松菜、京菜、大根葉などはだいぶ育っています。大根葉はもう食べられます。今月中はネギ類を食べ、来月からはこれらの葉を食べようかなと思います。なお、婆様はしばらく施設で暮らすことになりそうです。そのため、春までに全部の葉を食べられそうもありません。来年からは一人が食べる量だけを栽培しようと思います。
種をまいたエンドウ豆 育った小松菜 もう食べられる大根葉
小麦の種まき準備が終わったのですが、畑の周辺は雑草が生い茂っています。夏の熱中症が怖くて夏の間ずっと草取りできなかったからです。やっと草刈り適期になったため道路端を中心に草刈りをしました。
カンナの一部がまだ花を咲かせていましたが、花が枯れるのを待っていては草刈りがいつになるやら。草と一緒にカンナも綺麗に刈り取りしました。おかげで畑がさっぱりしました。
地面を這うように刃を回して、畑周辺の雑草を刈り取る
道路傍は散歩する人が絶えません。景観を保つためにも、草刈機の回転刃を地面ギリギリに這わすようにして根ぎわを草刈りしました。雑草もカンナも綺麗に刈り取りました。ただ去年植えたマオランの株だけは残しておきました。雑草が無くなりすっきりした畑になりました。春になるまで綺麗なままの畑になりました。
草刈り前の道路端 草刈り後の道路端 マオランだけは残す
数日後に小麦の種まきをする予定です。小麦の種まきそのものはとても簡単なのですが、収穫時期などを見据えて正確に種まきしなければなりません。その理由は、スズメなどの被害を押さえるための防鳥網を張るためです。
小麦を収穫する時期は初夏です。その頃は鳥たちにとって食べ物が少ない季節でもあります。そのため、防鳥網を張らないと食べつくされて収穫が0となるのです。あちこちで麦を作っていた昔は被害が分散されて被害はありませんでした。今はすべての鳥が私の麦畑に一斉に集合するのです。そのため防鳥対策は必須なのです。
小麦の種まきをする畝を耕運機で耕す
ちなみに防長網の大きさは4m x 15mです。この面積の範囲内で種まきをします。この面積内に15mの畝を4本引くことができます。なお種まきは子供達に体験的にしてもらいます。昔ながらの手押し式種まき機です。数年前までその種まき機を使っていました。
畝位置を巻き尺で決める 小型の耕運機を使用 冬眠中のカエル発見
畝を作り終えて家に帰ると、久しぶりに手押し式種まき器を納屋から出しました。そして、手で押してみると車輪が回るなどちゃんと動作しました。
ところで少し種まき時期が遅れたため、まく小麦粒の量を多くしようと思います。時期が遅れると分げつ数を確保できません、その対策として種まき粒数を増やすのです。
耕運機で種まき畝を耕運 作り終えた小麦の畝
いつもの皆さんと史跡巡りウォーキングに行ってきました。この史跡巡りウォーキングの第1回目からもう13年経ちました。去年からは各月の開催となりましたが、一昨年までは10回/年ウォーキングしてきました。そのため、これまで120回以上歩いたことになります。下見も同回数したので、下見を合わせれば240回も歩いたことになります。
さて今回は平生町竪ヶ浜~田布施波野~田布施川~平生町を巡りました。いつものように神社仏閣を中心に歩きました。風にたなびく葦原のの穂が印象的でした。
平生町竪ヶ浜の知願寺近くに鎮座する大歳神社
集合した平生MaxValueを10:00にスタートすると、最初に竪ヶ浜の磯崎に行きました。江戸時代の干拓に使われた土を掘り出した崖跡を見ました。磯崎の名の通り干拓前は磯だったのでしょう。高台にある磯崎公会堂から平生湾を望みました。400年前、この場所から見えたはずの大海原を想像してみました。
竪ヶ浜の磯崎公会堂 金毘羅社のお社 金毘羅社から見た灯篭
磯崎を過ぎるとかつての平生~田布施を結ぶ旧道を歩きました。この狭い旧道、昭和時代にはバスが走っていたようです。当時は賑わっていたであろう閉店したお店がありました。旧道を歩きながら、金毘羅社や大歳神社を訪れました。
立派な大歳神社の石鳥居 大歳神社境内で小休止
大歳神社で補水兼小休止しました。この神社は竪ヶ浜の奥まった山裾にあります。この神社が建てられた頃、この神社下まで海岸線があったのかも知れません。
竪ヶ浜の歴史を調べてみたことがあります。すると、干拓が始まる前までは竪ヶ浜一帯は海岸で各家は船を持っていたようです。その船で漁業を営んでいたのでしょう。その海岸線に沿って旧道があり、その旧道に家々が建ち並んでいたのではないでしょうか。
平生~竪ヶ浜~田布施川史跡巡りウォーキングのコース
秋のほぼろ製作講習会を開きました。今回は大々的に公開しなかったため、いつものメンバーが集まった静かな講習会です。子供達はほぼろではなくポシェットを作りました。その他の方々はほぼろや買物籠などを作りました。
そして、今回から自分専用の駒作りをメニューに加えました。クルミの枝を使った可愛い丸っこい駒です。今後もほぼろや買物籠を作り続けたい方は、自分専用に作った駒を持てば励みにもなると思います。
天候が不安定のため、早めに切り上げたほぼろ製作講習会
今回、ほぼろの縁部分の創作模様を教えました。ところが、しばらく模様入れをしていなかったため忘れてしまいました。家に帰って思い出そうと思います。そして、ほぼ完成したほぼろ製作のための本の原稿にその創作模様を描き込もうと思います。そうすれば忘れないと思いますので。
おいでえの広場で開催 子供達の作るポシェット ほぼろの底を編む
今回からほぼろ製作のための道具を作るメニューを追加しました。今後もほぼろ作りを続けたい方に自分専用の道具を作ってもらおうと思います。今回はクルミの枝を使った駒作りです。自分に使いやすい重さや形の駒を作っていただきます。もちろん自分で好きな絵を描いてもかまいません。
午後パラパラと小雨が降り始める 鉈を使って自分専用の駒作り
夜になると寒さがしみる季節になりました。渋柿の樹の上方にはまだ収穫していない渋柿が残っています。脚立を樹の下に置いて手を伸ばしながら収穫しました。去年は一回で収穫が終わりましたが、今年は四回に分けて渋柿を収穫しています。
柿は隔年で収穫量が変わります。実際に去年は甘柿が大量に収穫しましたが、今年は一個も収穫できませんでした。今後は渋柿と甘柿を年毎に交互に収穫することになるのでしょうか。
脚立を樹の下に設置して渋柿を収穫
今回収穫した渋柿は小さめですが、まだ収穫していない隣の渋柿は少し大きいです。しかも、西条系ではないので丸い形です。ようやく赤みがでてきたので数日後には収穫できると思います。収穫時期が違う渋柿を植えたので、収穫日が分散されて良かったです。あと一回で渋柿の収穫は終わりとなります。
程よく色づいた渋柿 今日も渋柿の皮剥ぎ 次々にぶら下げる
前前回草木染めしたシルク布をハンカチにしました。ハンカチにするだけならはロックミシンでジャーっと切り縫いするだけでもかまいません。ですが、今回は子供達にハンカチ定番の額縁縫いをしてもらいました。
額縁縫いは布の各辺を折って縫います。シルクは布が薄くしかも折り曲げにくいです。そのため布専用の糊を使って折り曲げた後、手回し式ミシンで額縁になるように縫いました。
草木染めしたシルクを、手回しミシンで額物縫いしてハンカチに
最初、子供達にはシルクの各辺に三重線をチャコペンで青い線を引いてもらいました。端から最初の一重線で一度目の折りをします。その時に折り目に薄く糊を塗ってからアイロンを当てるようにしました。そうすると折りが安定するのです。
へらを使って折っても良かったのですが、へらを知らない子供がいます。そのため、あえてチャコペンで線を引いた上で折る場所に糊を塗りました。
チャコペンで線引き 折り目に糊を塗る アイロンを押し当てる
四隅の突端を三重線の交点に折り曲げ、続いて額縁になるように二重線で折ります。そして、各隅と各辺にアイロンを当てました。これで額縁折りが完成です。
最後に額縁が崩れないように手回しミシンを使って各辺を縫いました。これで草木染めしたシルクのハンカチの完成です。シルクのハンカチはちょっとした贅沢品です。
各辺を手回しミシンで縫う シルクの草木染めハンカチが完成
私がボーイスカウトで指導していた頃に竹を使った工作をよくしました。その中に竹とんぼがありました。今回は竹ではなく紙で作りました。つまり「紙とんぼ」です。
紙とんぼを作ったのは田布施中学校の理科室です。今回から活動場所が中学校に変わりました。そして、発明クラブの先輩たちが子供達の指導に来てくれました。来年1月からは田布施農業工業高校で電子工作をします。半田付けをして電子装置を作ったり、場合によってはプログラミングを学習します。
作った紙とんぼを一斉に飛ばす子供達
さて、紙とんぼの製作ですが、厚紙に架かれた線に沿ってハサミを入れます。基本的に曲線は無いのですが、とても細かで入り組んだ直線を切ります。切ってはいけない線を切ってしまった子供がいました。注意力と集中力が試される工作だと思います。
紙に書かれた線を切る 切り出した紙とんぼ部品 紙トンボを飛ばす
紙とんぼの部品を切り出すと、今度は接着剤でくっつけます。こうして完成した紙とんぼをみんなで飛ばしました。軽い紙を使っているので竹とんぼほど飛びません。プロペラ部の調整によって飛び方が変わります。
最後、ゴム風船を使ったゴムトンボを作りました。これは市販品で組み立てるだけで完成します。ふくらませた風船内の空気圧を利用して飛びます。上手に作ると天井まで上がります。次回は同じ中学校での科学工作や実験です。
接着剤を使って紙トンボを組み立て 風船を利用したゴムトンボを飛ばす
樹の上の方を除いた残りの渋柿(西条)をもぎました。その渋柿の皮を次々に剥いでいます。全部で何個あるのか数えるのがわずわらしいほどたくさんあります。
渋柿の皮を剥いでいて面白いことに気が付きました。なぜだか分からないのですが、包丁の色が変わってきたことです。皮を剥ぐ刃先がだんだん青く変色してきたのです。渋柿の成分であるタンニンが関係あるのでしょう。水洗いしても色が落ちません。砥石で研いでやっと色が落ちるのです。
手が滑らないように気を付けながら皮を次々に剥ぐ
去年は婆様が半数の渋柿の皮を剥いでくれたので助かりました。しかし、今年は婆様は入院しています。そのため私が全ての渋柿の皮を剥がなければなりません。
今の季節は午後4時以降は暗くなってきます。仕事から帰ってから皮剥きするとすぐに暗くなります。暗いと手元が狂いやすくなるため、包丁を持つ手が危険です。5時半頃を過ぎるとやむなく皮剥き作業を止めます。
皮剥ぎを待つたくさんの渋柿 午後5時を過ぎるとだんだん暗くなる
先日ジャンボニンニクを植え付け、今度は普通のニンニクを植え付けました。本来ならば10月末には植え付け終わるのですが、渋柿収穫,小麦の種まき準備,ほぼろの製作講習会,お年寄りのためのボランティア,さらに婆様の入院などが次から次への起こりました。今回やっと時間が空いたので急いでニンニクを植え付けました。ニンニクは野菜炒めなどによく使います。私にとって欠かせない調理野菜です。
タマネギの苗を植え付けた隣に普通ニンニクを植え付け
軒下に掛けていたニンニクを下ろしました。続いてジャンボニンニクの時と同様に、7月に掘り上げた株を一粒一粒に分けました。そして、それぞれに薄皮を剥ぎました。すでに頭頂に小さな緑の芽が出ているニンニクがありました。
軒下から降ろした株 3粒/株のニンニク 薄皮を剥いだニンニク
すべてのニンニクの薄皮を剥ぎ終わると、それらのニンニクを持って畑に行きました。そして、腰を下ろして一粒ずつ黒マルチの穴に植え付けました。今月中には芽が出て葉が出ると思います。遅れた植え付けでしたが、来春には美味しいニンニクを収穫できるのではないかと思います。
もくもくとニンニクの薄皮を剥ぐ 薄皮を剥ぎ終わったニンニク