幕末の志士であった白井小介は、戊辰戦争当時奇兵隊諸隊の参謀でした。そのため、明治維新後にはそれなりの地位を約束されてもよかったと思います。しかし、本人は平生町で飯山塾と呼ばれる塾を作って青少年教育に余生をつぎ込みました。そのため、奇兵隊当時同僚の一人だった山形有朋が、白井小介顕彰碑の文面を奏功しました。当時の建物は残っていませんが、跡地は綺麗に管理されていました。その飯山塾跡で昼食休憩をとりました。ちなみに白井小介の墓地は、300mm位南の高台にあります。
飯山塾跡で昼食休憩後、田布路木橋を渡り柳井市役所方面に向かう
1月の史跡巡りウォーキングで一番のネックは、阿弥陀寺での健康祈願法要が午後であることと、トイレは柳井市役所周辺にしかないことです。そのため、1月本番ウォーキングのコースを決めることがとても悩ましいことです。いろいろ考えた末、大雑把ですが次のようなコースにしようと思います。Mr Maxを出発すると柳井市役所を横切り、一目散に田布路木峠にに向かいます。次に、柳井市役所に戻りトレイ休憩兼昼食して、午後阿弥陀寺で健康祈願法要をしていただきます。その後は、この下見ウォーキングと同じコースです。
白井小介飯山塾跡 飯山塾のモミジ 田布路木橋の祠
さて、飯山塾跡で昼食休憩をとると田布路木峠に戻り、さらに国道188号線を下って田布路木橋を渡りました。そして、下見ウォーキングで一番の問題となったトイレ休憩に向かいました。休憩が終わると、柳井市役所方面に向かいました。柳井市役所周辺に到着すると、トイレの場所や昼食休憩できる芝生などを確認しました。この確認をしたことで、1月の本番史跡巡りウォーキングでは柳井市役所近くでトイレ休憩と昼食休憩することにしました。
田布路木橋近くの大師堂 通称ロケット公園に向かう
柳井市役所近くで休憩を済ませると、再び土穂石川に向かいました。柳井市役所傍にある陸橋を渡り、古開作西公園(通称:ロット公園)を通過しました。この公園に来たのは初めてです。数年前にはロケットを模した遊具があったそうですが、劣化して危険なため撤去したそうです。本番ウォーキングでは昼食後にこの公園を経由して阿弥陀寺に向かいます。今回は、土穂石川を渡ると、火伏地蔵を経由して苗代池方面に向かいました。
柳井市古開作方面の史跡巡り下見ウォーキングのコース
ブドウを栽培してみたいと思っていた時、たまたま防府のBAA BAAファームを訪れました。その時、須金でブドウや梨を栽培しているKさんと偶然出会いました。その方から、ブドウ栽培などの果樹栽培の講義があるとのお話を聞きました。その日がたまたま仕事が無い日でした。そのため、その場でKさんに申し込みました。その結果、周南市須金支所で果実栽培法について道法氏の講義を受けました。
今回、ブラックベリーを栽培している畑をブドウ畑に転換する作業をしました。ブラックベリーを栽培している理由は、放課後学習で子供達にブラックベリージャムを作ってもらうためでした。しかし、ブラッグベリーの実が熟す日と放課後学習と日付が合わず栽培を止めようと思っていました。ブラックベリーを伐採して、代わりにブドウを栽培することにしました。なお、熟期の違うブラックベリーの苗を近所のSさんにいただいているので、別の畑でそのブラックベリーを栽培します。
ブラックベリーを伐採後、畑をブドウ用に耕運中
私が子供の頃、我家は桃農家でした。山のあちこちの斜面を切り開いては、たくさんの桃を栽培していました。その桃園の隅にブドウや梨の試作畑がありました。多種類の果樹を同時に栽培するのはとても手間がかかります。ブドウや梨は病気にかかりやすくまた害虫に泣かされたように記憶しています。そのうち、桃だけにに絞って栽培するようになりました。家族や親せき総出で、桃に袋掛けしたり桃の収穫をしていました。収穫したたくさんの桃は、大きさや色別に選別して出荷していました。形が悪くて売れない桃は缶詰にしていました。その後桃農家は経営が難しいことが分かり、私が小学校高学年の頃に酪農に転身しました。
ブラックベリー畑 支柱を取り外す 取り外した支柱
ブドウ畑にするため、最初すべてのブラックベリーを根元から伐採しました。続いて、生えていた雑草を綺麗に刈り取りました。伐採したり刈り取った残渣は、焚火で綺麗に燃やしました。夕方から雨が降るとの天気予報でしたので、雨が降る前に急いで燃やして灰にしました。これで、畑は綺麗になりました。なお、ブラックベリーの大株は伐採できず、後日引き抜くつもりです。
ブラックベリーの茎を切断 草刈機で雑草を刈りはらう
畑が綺麗になると耕運機で耕しました。実はブラックベリー畑でアピオスも同時に栽培していました。耕すごとにアピオスの芋が出てきました。アピオスの芋は小さめのジャガイモ位の大きさで一口サイズです。味はジャガイモとサツマイモ中間です。大きな芋から小さな芋へ、複数の芋が数珠繋ぎになっています。10年以上作り続けている芋です。作りやすい芋ですので必要な方には差し上げようと思います。さて、耕していると雨が降ってきたため作業を中止しました。焚火に水をかけて消火しました。この新たな畑に、1月ブドウの苗を植えようと思っています。
綺麗になった畑 残渣は燃やして灰に 収穫したアピオス
ほぼろを作るための馬を作っていますが、馬の完成を待っていては進みません。そのため、馬の制作と並行してほぼろを制作することにしました。ところで、この寒さでは教えていただく古老に負担だと思います。そのため、私の方であらかじめ途中まで制作しておくことにしました。馬の使い方は分かっているため、ほぼろの円周部だけでも制作しておきます。使った馬は、ほぼろ作りを教えていただく古老から預かったものです。ほぼろを作るために必要な刻みや印が付いているため助かります。
馬と駒を使ってほぼろの制作を開始
さて、馬は預かりましたが、わらを止めるための紐を巻いておく駒がありません。駒を作るのは簡単ですが、使えるような重く硬い木はすぐには手に入りません。たまたま木地のKさんからいただいた駒が六個ありました。その駒を使うことにしました。それぞれの駒の中心にタコ糸を巻き結びしておきます。そして、そのタコ糸に紐を結んでおきます。二つの駒が対になるように紐を巻き付けます。
駒にタコ糸を結ぶ 紐を駒に巻き付け わらのみご取り
駒に巻き付けた紐はほぼろ作りが進むと、だんだん短くなります。そのため、解き直しやすいような紐止めをしておきます。次に、対になった駒を馬の背板に掛けておきます。これで、ほぼろを制作する準備が整いました。
最初に、使うわら束のみご取りをします。みご取りが終わると、わら数本を馬の背に置きます。そして、対の駒を交差してわらを固定します。再びわら数本を置いて駒を交差して固定します。これを繰り返します。米俵を作る時と同じ要領です。
解き直しやすい紐止め 対になった駒を馬の背板に掛ける
先日、年明け1月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。毎年1月はウォーキング仲間とお寺や神社をお参りして健康成就の御祈願をしていただきます。今年は古開作で御祈願をしていただきたいと阿弥陀寺にお願いに行きました。ありがたいことにご住職より快諾いただきました。ところで、スタートはMr Maxの駐車場か柳井市役所の駐車場を予定しています。今回の下見ウォーキングはMr Maxの駐車場に集合してスタートしました。Mr Maxを10:00にスタートすると土穂石川に向かいました。
田布路木峠 周陽第十八番箇所霊場 十心庵
土穂石川に着くと、橋を渡って最初の史跡である火伏地蔵に行きました。立像の立派なお地蔵様です。立ち姿から想像するに、かつて柳井市街が大火に見舞われた後に作られた八十八体のお地蔵様のうちの一体はないかと思います。偶然のことですが、下見ウォーキングに参加した方のご実家が管理しているとのことです。お地蔵様を拝んだ後、阿弥陀寺に行きました。
スタートしたMr Max 火伏のお地蔵様 田布路木峠の坂道
阿弥陀寺に着くと、幸いなことにご住職が在宅しておられました。そこで、1月の史跡巡りウォーキング時に健康祈願をしていただくことのお願いをしました。快諾していただき感謝します。なお、阿弥陀堂のことをお聞きすると、数年前に閉じたとのことでした。阿弥陀堂はかつての防陽霊場の一つでした。残念なことですが、今のご時世仕方ありません。
国木田独歩 帰去来の碑 白井小介顕彰碑
阿弥陀寺を出ると、周東総合病院前を通って田布路木峠に向かいました。田布路木峠にある国木田独歩 帰去来の碑と白井小介顕彰碑に行きました。続いて、白井小介顕彰碑の山上にある周陽第十八番箇所霊場である十心庵に行きました。立ったまま休憩すると、次に細い峠道を通って飯山塾跡に向かいました。
柳井市古開作方面の史跡巡り下見ウォーキングのコース
この地域では、わら籠のことを「ほぼろ」と言います。10年位前には制作できる古老が数人いました。私は途中までしか作ることができません。そのため、作り方をすべて教えていただくようお願いしていた古老がいました。その方をひさしぶりに訪ねると、ご高齢のため病院に入院中とのこと。残念、訪ねるのが遅かった!
その後、人のつてを辿ってあちこち訪ねました。最後に、柳井市の黒杭ダム近くに住んでいる古老を訪ねました。すると、教えていただけるとのこと。その方から道具一式をお預かりました。そして、郷土館かどこかで教わる準備をしています。そのほぼろを作る道具の一つである「馬」を、とりあえず2人分作ることにしました。この道具を使うと、ほぼろ以外に俵(たわら)を作ることもできます。
下にあるのが「ほぼろ」、その上は「馬」と制作途中の「ほぼろ」
ほぼろを作るための道具である馬、四つの脚が付いているため馬と呼ばれていたのだと思います。その昔、もっぱら馬は俵を編むために使われていました。米俵や炭俵などです。物を入れる袋として使われていました。馬は二股に分かれた太い枝を二つに割って脚としていました。今、そのような枝を探すのは大変です。そのため、木材を組み合わせて作ることにしました。
脚を付ける台を作る 馬の脚を作る 馬二個分の台
今回は馬二個分の脚を作りました。この脚に背板を取り付けます。この背板に、わらを縛るための位置を刻んで馬が完成します。まずは私ができるところまでほぼろを作ろうと思います。そして、私が知らないほぼろの中心部の編み方を古老に教わろうと思います。もし、その古老からほぼろの作り方を学んだら、皆さんにその作り方を教えてみようかと思います。なお実用的な応用として、ほぼろバッグやチャックが付いたほぼろ袋のようなものを作ってもいいかも知れません。
制作した馬二個分の脚一式 馬一個分の脚を組み付け
23日に周南市の須金で開催された無肥料・無農薬の果樹栽培法(植物ホルモンの働きや剪定法)の講習会に行ってきました。午前中は主に植物ホルモンの働きなどについての講義、午後はかいたファーム(ブドウ園と梨園)に移動して樹形や剪定について学びました。講演者は道法氏で、現代農業などで記事を読んだことがあります。雑草をナギナタガヤで管理することは以前から知っていましたが、道法氏が関わっていたことを初めて知りました。また、農業にもビジネスのセンスが必要であることが改めて分かりました。
既存の農法理論による栽培方法ではなく、実践から学んだ栽培方法なので説得力があります。お話を聞いて、我家で栽培している柿,梅,イチジク,桃などで応用してみたくなりました。奇遇ですが、私の同級生のお兄さん(福本自然農園)に出会いました。子供の頃に何度か福本自然農園に行きました。
ブドウ園と梨園での栽培実技講習に臨んで(かいたファーム)
午前中は周南市須金支所の多目的ホールで、主に植物ホルモンに関わる講義でした。ジベレリンなどのホルモンは知っていましたが、それらのホルモンが樹木にどのように関わっているか詳しく聞きました。面白いのは、動物も各器官がホルモンを出し合いながら成長や体調管理をしています。
私は植物体の元は根にあるのだと思います。植物は葉や茎を切断してもすぐに芽が生えてきます。しかし、根を取り去ると枯死してしまいます。動物で言えば、胴体が根に相当し、手足が葉茎に相当するのだと思います。植物は地表にある茎や葉しか見えません。そのため、日当たり,風通し,樹形などばかりに目が行ってしまうのだと思います。
周南市須金支所 幹に生えた枝で講義 ブドウ園内を移動
今回の講義で一番興味を引いたのは、植物ホルモンの流れを考慮して枝葉を上にまとめると良いとの話です。従来の理論だと①葉を広げて太陽光を良く受ける樹形②葉と枝の隙間を広げて風通しをよくする樹形を勧めています。
枝葉を上に向かうようにまとめる樹形はにわかには信じがたいですが、実際のその方が実付きが良く味が良いとのこと。また、側枝を取り去り主枝が上に向かうように剪定するなど、またNPKなどの化学肥料に疑問を持つなど、初めてのことばかりです。この春から我家で実践してみようと思います。
ノコギリでブドウを剪定する道法氏 羊(キナコ,ベリー)も一緒に移動
ブドウ園の次に梨園に移動しました。梨がたくさん植えられていました。枝が山上に向かう方向に剪定するのが基本のようです。また、本枝の上から生える側枝を残し下から生える側枝は落とすとのこと。また、落とす枝は根こそぎ剪定するとのことです。少しでも側枝の端が残っていると、そこから新たに枝が出るとのこと。
覚えきれないほどの盛りだくさんの講義でした。今後は自分で実践して体感することだと思います。講義が終わると、園内にいた羊のキナコとベリーにお別れを告げて田布施に帰りました。
梨の剪定実演 綺麗に剪定された梨 羊のキナコとベリー
クヌギを伐採してシイタケ栽培用の原木を取ると、しめ縄作り講習会に入りました。公民館などで教えるような立派なしめ縄ではなく、私が20年以上前から作り続けている素朴なしめ縄です。飾りも、ウラジロやゆずり葉などしか使いません。それ以上の飾りは、各自が自由に取り付けます。例えば、昆布,橙,または御幣などを取り付けます。今回は、どのしめ縄も共通な編み方を教えました。三等分したわら束をそれぞれ巻きながら、その三束を組み上げます。私は左手で三束を押さえるため、何本もしめ縄を作ると左手の指又が痛くなります。そのため足で押さえてもかまいません。・・わらのみご取り,束にしたわらの締め方,わら束の押さえ方,そして編み方や組み上げなどを順番に教えました。
作成途中のしめ縄、このあとウラジロやゆずり葉などを取り付け
まず初めに、わらを木槌で叩いて、手櫛や千歯を使ってみご取りをします。こうして、わらの芯だけを取り出します。次に、細いわらを数本撚ってわら紐を作ります。私が手本を見せましたが難しいようでしたので、今回は麻紐で代用しました。束にしたわらの根本を麻紐で巻き結びして強く縛ります。そのわら束を左手で持ち、わら束を三分割します。その三分割したわらの根本を、親指-人差し指,人差し指-中指,中指-薬指の三ヶ所の指又で挟むように押さえます。続いて、それぞれのわら束を左巻きに巻きます。一番大切なことは、巻いたわらが解けないように指又で強く挟むことです。このようにしながら、わら束の先端に向かって編み上げていきます。
わら束を木槌で叩く わら束の根本を縛る
先端まで編み終えると、火で軽くあぶります。こうすることによって、ひげのようにはみ出たわらくずを燃やし取ります。そして、わら束でごしごし擦ってつやを出し、最後にしめ縄らしく丸めます。その後は、各人が自由にウラジロ,ゆずり葉,橙,昆布,御幣などを取り付けます。これで各自オリジナルのしめ縄の完成です。
しめ縄らしく編み上げる Tさんの昆布付きしめ縄 Sさんの御幣付きしめ縄
タデ藍は早々と11月に枯れてしまい、藍畑は閑散としています。ところが、インド藍は12月過ぎて霜が降っても緑色を保っています。そこで数日前、本格的な寒さが来る前にインド藍の葉を収穫しました。私の経験上、枯れる直前のタデ藍の葉は藍染めにやや難があります。藍の成分が減っているのではないかと思います。そこでインド藍も同じかどうか確かめるため、枯れる直前のインド藍の葉を収穫しました。
霜が降りても、なんとか緑を保っているインド藍の葉
収穫したインド藍の葉をすぐに乾燥しました。面白いことにタデ藍の葉は乾燥すると青黒く変色しますが、インド藍は緑色のままです。寒さで藍の成分がすでに無くなっているのか、乾燥すると藍の成分が無くなるのかも知れません。後日、インド藍の乾燥葉で藍染めできるかどうか確かめてみようと思います。
青々としたインド藍 収穫したインド藍の葉 インド藍の乾燥葉
去年と同じように、いつもの仲間が集まってシイタケ栽培用原木の伐採をしました。私の畑にシイタケ用栽培用の原木にできるクヌギが生えています。しかし、あまりに高くなって台風などで倒れると電線に接触する恐れがあります。早くその木を伐採したいと私は思っていました。一方で仲間の数人はシイタケ用の原木が欲しいとのことでした。こうして私と仲間の意見が一致しました。今回私の畑に生える大き目のクヌギを伐採しました。伐採後の枝の切り払いがほぼ終わると、しめ縄の作り方の講習をしました。
いつもの仲間と、シイタケ栽培用の原木にするクヌギを伐採
最初、持ってきた梯子をクヌギに立てかけました。そして、梯子に登ってロープを幹の中腹に掛けました。ロープを掛けた理由は、クヌギを所定の場所に倒すよう引っ張るためです。続いて幹の根本をチェーンソーで切り、クヌギを所定の場所に倒しました。その後、チェーンソー数台で枝を切り払いました。そして、何本ものしいたけ栽培用の原木を切り出しました。
矢印:引っ張るロープ クヌギの根本を切る 枝をどんどん切り払う
クヌギの年輪を調べると、18本位ありました。つまり、18年位前に亡き父親が植林したと思われます。亡き父親の話によると、元々はこの場所に干柿にする渋柿を植えていたそうです。今でも数本の渋柿が残っています。干柿を作らなくなった代わりに、シイタケ栽培用の原木にできるクヌギを植えたようです。
参加者のみなさんが協力して、伐採したクヌギを裁断して運び出す
クヌギは成長が早いため20年位経つと大木になります。そのため、15年位のサイクルで伐採して原木にすると良いとの話を聞いたことがあります。しかし、父親も亡くなり伐採しないまま放置してしまいました。そのため電線に接触するほどに育ってしまったのです。シイタケ栽培用に原木を切り出し終わると、次にしめ縄作り講習会をしました。
クヌギの枝を細かく切り払う 切り出したシイタケ栽培用原木
一年は早いものです。あと十日後には年が変わります。毎年のことですが、郷土館は年明けに備えて大掃除をしました。なお、しばらくは休館中で来館者は無いのですが掃除だけはしておきました。最初に掃除したのは、メインの展示会場である、元宰相岸佐藤展示室,田布施町の偉人紹介室,そして古代遺跡展示室です。泡状のガラスクリーナーを展示ケースのガラスに吹き付けて、そのガラスを布で何度も丁寧に拭きます。最後に、乾いた布でから拭きしました。ガラスについていた指紋などの汚れを綺麗に取り去りました。
田布施町紹介コーナーの蛍光灯を新品に交換
展示ケースをピカピカに磨き終わると、少し休憩しました。続いて、この一年間に劣化した蛍光灯などの照明の点検・交換をしました。ちらちらする蛍光管はいずれ点灯しなくなります。そのため、どんどん交換しました。ただし、気をつけなければならないのはグローランプです。蛍光管を新品に交換したのに点灯しないのは、蛍光管の不良ではなくグローランプの不良です。今回の大掃除でたくさんの蛍光管とグローランプを交換しました。新年早々、蛍光管とグローランプの補充をしようと思います。今回の大掃除の対象外ですが、今年の工事で屋上は見違えるように綺麗になっています。
新品の蛍光管を取り出す 綺麗になった郷土館の屋上
我家は毎年しめ縄を自作しています。売っているものよりもシンプルです。ワラでしめ縄を編んで、それにウラジロとゆずり葉を取り付けるだけです。しめ縄を自分で作るようになったのは、20年以上前にボーイスカウトの指導者をしていた頃です。わら細工を教えていただいた方に、しめ縄も教えていただいたことがきっかけです。わら細工の方はすっかり忘れてしまいましたが、しめ縄は今でも作っています。人様にお見せできるような立派なしめ縄ではないのですが、数日後教えることになりました。そのため、人数分のウラジロを採取するため城南の山裾に行きました。
ウラジロはたくさんあるものの、良いものが少ない
ウラジロが群生している場所を見つけて採取しようとしましたが、なかなか希望のものがありません。大きなものばかりです。また、虫が食って葉が欠けたものや、裏側が綺麗な白でないものも少なくありませんでした。どなたかが採取した後だったのかも知れません。群生したウラジロに頭を潜らせるようにしながら丹念に探して、なんとか人数分を確保しました。ウラジロがある場所を教えていただいた方に感謝です。なお、ゆずり葉は我家にあるため、採取しに行く必要はありません。
さて、数日後にしめ縄作りをします。三つの縄をそれぞれ巻きながら同時にその三つの縄を巻き付けてしめ縄にします。しかも、各縄がほどけないようにしっかり押さえておかなければなりません。最初にしめ縄を縛るための細縄をないますが、それも初めての方には難しいかも知れません。
まあまあ形の良いウラジロ 裏側は綺麗な白
2ヶ月位ぶりに田布施農工高校に行きました。行ったきっかけは、古い縄ない機のお話を先生から聞いたからです。もう使わない縄ない機なので郷土館で必要かどうか、とのお話でした。そのため、郷土館で展示するに値する機械かどうかを判断するため行きました。結果として郷土館では不要となりました。その帰り道、畜産課に寄って久しぶりに先生方とお話をしたり羊を見学しました。
牧舎には、なかなか毛を刈らしてくれない、気かん坊だったロクちゃんがいました。元々は防府のBAA BAAファームにいた羊です。先生に聞くと、今は大人しいそうです。羊を見たついでに、紡ぎや織りに興味がある生徒さんがいるかどうかお聞きしました。すると、だいぶ昔に紡ぎをする生徒さんがいたとのこと。そして、その時に使っていた足踏み紡ぎ機を見せていただきました。今では、倉庫に半ば放置された紡ぎ機です。
今は大人しくなっているロクちゃん(膝をついている羊)
たまたま車に載せていた、私の山口ウール展作品やBAA BAAファームの毛糸を先生方にお見せしました。少しは興味をもっていただいたように思います。しかし、生徒さんが紡いだり織ったりするには、先生方の負担を極力無くす必要があると思います。商品化するかは別にして、高校を卒業するまでに自分用のマフラー位を作れるような場があればと思います。そもそも、紡ぎや織りに興味を持ってくれる生徒さんがいるかどうにかかっていますが。
私の山口ウール展作品 作品に使った毛糸 BAA BAAファームの毛糸
この秋に種まきした小麦の発芽が思わしくありません。その一方で、この小麦とは別に刈り取りしたパスタ用小麦があります。忙しさにかまけて脱穀をうっかり忘れてしまいました。そして、一部の刈穂の束を畑に置き忘れてしまいました。畑に放置していたその刈穂から思いがけず芽が出ていました。そのままにしておくと、霜や霜柱で枯れてしまいます。育っても春には密植状態となって、やはり枯れてしまいます。そのため、発芽したこの小麦の苗を移植してみることにしました。稲は移植が当たり前ですが、小麦苗を移植することなど聞いたことがありません。今回初めて、発芽した小麦苗を畑に移植してみました。うまく活着すれば、来年収穫できるかも知れません。
畑に移植したバスタ用小麦の苗、活着するか?
苗を移植する前に、植え付ける畑を耕運機で耕しました。そして、刈穂から発芽した小麦の苗をバラバラに分けて移植しました。苗をよく見ると、穂から直接発芽していました。いわゆる穂発芽した小麦です。移植する時期が遅すぎたので、根が活着するかどうか分かりません。活着したとしても分げつ時期を過ぎています。移植の成否は1月になれば分かると思います。
耕運機で畑を耕す 刈穂から発芽した麦 穂から直接発芽
今年最後の小学校放課後学習 成器塾 「手芸と調理」教室でした。クリスマスシーズンに合わせて、フェルト細工によるクリスマス飾りを作りました。最初、子供達に好きな色のフェルト布を選んでもらいました。そして、一人一人にチクチク針を渡しました。続いて、その布上に羊毛を載せてチクチクしてもらいました。子供達には雪だるまの制作を推奨しましたが、トナカイ,雪ウサギ,クリスマスツリーなどを作品にした子もいました。ほとんどの子供は、針でチクチクするフェルト細工が初めてでした。そのため、私を含めて5人の指導員が付きっきりで使い方や注意事項を説明しました。最初チクチクしながら形を整えるのが難しいようでしたが、そのうちチクチクに慣れたのか2作品作る子もいました。
可愛い雪だるまや雪ウサギなど、子供達が作ったチクチク作品
雪だるまや雪ウサギに使った白い羊毛は、田布施農工高校で飼われている羊の毛です。洗浄して,乾燥して,ふわふわにして,最後にカーディングしたものです。最初、チクチクしてフェルトにする羊毛の分量が分からなかったようです。途中で、羊毛を追加したり外したりしながらチクチクしていました。全員が楽しそうにチクチクしていました。そのチクチクする時の小さなザクザク音があちこちに響きました。
フェルト細工の準備 フェルト布を選ぶ さっそくチクチク開始
今年はコロナで、半年しか活動できない成器塾です。そのため、手芸もこれまでポケットティッシュケースそして布マスク作りしかできませんでした。両者とも2コマ以上の時間がかかりました。その点、今回のチクチクするフェルト細工は1コマで作品を完成することができました。クリスマスシーズンにピッタリの手芸ではないかと思います。来年も行えればと思います。なお、指導員が作ってきた見本用の雪だるまはすべて子供達にもらわれました。
子供達の作品を横に並べて
さて来年です。1~2月の4コマしかありません。1月は調理体験で、ぜんざいを作ろうと思っています。1コマ目は小豆を鞘から外したり、手回し製粉機で団子用の粉を作ります。そして、2コマ目でぜんざいを作って食べる予定です。そして、2月の2コマで何をしようか悩みどころです。編物、刺繍、織物、刺し子のうち二つに絞ろうと思っています。
形が見えてきた雪だるま 帽子や襟巻をちくちく
足踏みしながら風をおこすふいごが悪いことは分かりました。今回はふいご部分を調査しながら、鍵盤をいったん分解することにしました。鍵盤の数を数えると61個ありました。これは半音を含めて61種類の音を出せることを示します。鍵盤を外すにあたって一番の課題は、修理後に鍵盤を元に位置に正確に戻せなければならないことです。鍵盤の根本を見ると、斜めに筋が引かれています。これは元の位置に間違いなく戻す工夫です。しかし、経年変化で筋が細く見えにくいため、高い音から順番に鉛筆で番号(01から61まで)を振っておきました。その後、この順番に沿って全ての鍵盤を取り外しました。
高い音から順番に、半分ほど鍵盤を取り外したオルガン
ピアノは今でも演奏されているため、修理や調律を専門にしている職業があります。また、少ないとは言えパイプオルガンを修理する方もいると思います。しかし、足踏みオルガンが使われなくなった今、修理する方はまずいないと思います。そのため、痛めないように時間をかけながら、また虫食いで傷んだ部品は作り直すなどして修理しようと思います。
番号を振った鍵盤 鍵盤抑えネジを外す 鍵盤下はゴミだらけ
すべての鍵盤を取り外すと、予想はしていましたがゴミや埃が散乱していました。紙なのかフェルトなのかわからない屑がたくさんありました。フェルトは羊毛から作られているため、虫が食い散らしたのかも知れません。鍵盤を取り去ったオルガンを見ると、鍵盤があった場所に竹ひごのような突起がありました。押すとバネで元の位置に戻ります。この竹ひごを押すと、リードに空気が流れて音が出るのではないかと思います。とにかく修理の前に、ゴミや埃を取り去らなければなりません。
鍵盤があった場所は埃だらけ 鍵盤は箱に入れて保管