キモノスタイルカフェに着きましたが、お店は閉まっていました。曜日的には開店してもよいのですが、昨日まで連休だったためでしょう。少しがっかりしましたが、気を取り直して向かいにある木戸孝允の旧宅に行きました。表から入って裏に入口がありました。入ってすぐに気が付いたのは、天井がとても低いことでした。江戸時代の日本人がいかに身長が低かったかが分かります。木戸孝允の落書きがありました。当時の木戸孝允は、どんな思いで日々暮らしていたのでしょうか。
キモノスタイルカフェ傍の木戸孝允旧宅 座敷に座って庭を観賞
木戸孝允の旧宅をゆるりと楽しむと、お昼を食べたくなりました。そこで、見蘭牛のみどりやに行きました。しかし、ここもお休みでした。やはり昨日まで連休だったからでしょう。空いていた隣の販売店を訪ねました。購入したコロッケやメンチカツをそのまま食べました。ついでに100円のコーヒーを楽しみました。
見蘭牛のみどりやの隣店 モミジが綺麗だった大照院
小腹を満たすと、もう一つの毛利家菩提寺である大照院に行きました。東光寺は知っていましたが、大照院は今回初めて知りました。この墓所も東光寺と同じような作りになっており、やはり異空間の不思議な墓所でした。藩主のお墓に続くようにたくさんの灯篭が並んでいました。ここは偶数代目の藩主が弔われている墓所です。藩主の墓石形状ですが、東光寺は石柱で大照院は巨大な五輪石状です。東光寺と大照院でなぜ形が違うのでしょうか。おそらく、宗派の違いから来ているのではないかと思います。
東光寺と同じような、異空間の不思議な大照院墓所
墓所をあちこち歩いて、修復中の大照院内を抜けた場所に池がありました。紅葉した葉が落ちて、池一面を染めていました。縁側に座り、池を飛び回る小鳥や周りの紅葉を観賞しながらのんびり談笑しました。大照院の修復はいつ終わるのでしょうか。終わった後、また来てみたいと思います。
落葉で紅く染まった池 縁側に座り、池や紅葉を鑑賞
大照院を出ると、田布施に帰ることにしました。お昼を食べそこなったため、途中で寄った道の駅萩往還でうどんを食べました。私は肉うどんにしました。食券で注文する即席うどんでしたが美味しかったです。今回は見蘭牛を食べることができず残念でしたが、次回来るときの楽しみに加えましょう。
道の駅萩往還で食べた美味しいうどん
高速道で帰る時、とあるSAで偶然Yさんに出会いました。本人は恥ずかしがっていましたが、その奇遇に皆さん駆け寄って嬉しそうにお話しをしました。私はYさんが食べていたものと同じアイスクリームを食べました。
SAを出ると、ひたすら田布施に向かって走りました。そして、薄暗くなった午後6:00頃に田布施に到着しました。とても楽しい一泊萩旅行、とても良かったです。皆さん、特に運転をされた方、お疲れ様でした。楽しい旅、ありがとうございました。
道の駅萩往還で最後のお買いもの 田布施に着きました、お疲れ様!
朝6:00頃起きて朝風呂に浸りました。昨日の女性風呂と男性風呂とが入れ替わっていました。せっかくの機会なので、すべての湯船に浸ってみました。雨が降っていたため、外風呂だけはあまり楽しめませんでした。お風呂からあがると2階の食堂に行きました。バイキング方式の朝食でした。各人めいめい好きな料理を取って楽しく食べました。そして、9:00頃に萩本陣を出発しました。
最初に訪問したのは毛利家菩提寺の東光寺です。この春息子と萩に行った時、吉田松陰の生誕地を訪れたついでに行ってみたかったお寺でした。三代目藩主が建立し、一代目藩主,二代目藩主,そして三代目以降は奇数番代の代々藩主が葬られた墓所です。
萩本陣を9:00頃出立 荘厳な東光寺の伽藍
この東光寺、興味深かったのは木魚の元になったと言われる木製の魚です。お経を読むときに叩く丸い木魚の元になったものです。ここにある木魚は、大きな魚そのものです。げんこつで叩くとコンコンと音がしました。魚は瞼が無く眠らないため、修行する人も眠らないようとのことで魚の形をしているとか。いつ、今のような丸い木魚になったのでしょうか。おそらく、魚の形では吊るさなければなりません。お経を読むときに床に置いて叩けるように形が丸くなったのでしょう。
趣のある東光寺の屋根下通り 木魚の原型、魚そのものの形
木魚の原型を見学すると、毛利家墓所を訪ねました。この墓所に入ると、なんだか異形の空間に来たような錯覚に陥ります。斜面に作られているのが不思議です。藩主が見下ろせるためでしょうか。お寺なのに鳥居が配置されていたり、たくさんの灯篭が藩主を守る1人1人にも見えます。この墓所には三代目藩主に徳川家から嫁いだ亀姫も葬られています。亀姫を表した巨大な石の亀も不思議を醸し出していました。
異形の空間に来たような錯覚に陥る毛利家墓所
東光寺を出ると、萩市内から8kmほど離れた笠山に向かいました。笠山は何度か来たことがあります。よく行ったのは明神池です。この池はどこかで海で繋がっているらしく、海の魚がいます。そして、海に合わせて満潮干潮があるのです。そして、明神池近くの風穴は、夏は涼しい風が吹き出す天然のクーラーです。ここの名物は、美味しいサザエのつぼ焼きです。今回は明神池を通り過ぎてすぐのガラス工房に行きました。
笠山麓のガラス工房 たくさんの萩ガラス食器を展示
ガラス工房に入ると、ガラスを溶かしてコップなどを作っている作業を見学することができました。体験することもできるそうです。萩ガラス特有の薄緑色のガラス食器がたくさん並べられていました。ところで、このガラス工房、私が子供の頃には無かったように思います。それもそのはず、これらの萩ガラスは幕末にいったん消えたそうです。しかし、当時の文献などを元に近年復刻されたとのことです。
どれを買おうかか迷ってしまう萩ガラス製品の数々
ガラス工房で買物を済ませると、シーマートに向かいました。ここは、大学生だった息子と8年前に来た所です。その時は、確か二人で自転車をこいで笠山や反射炉に行った帰りに寄りました。市内からやや遠いシーマートで、足がとても疲れたことを覚えています。笠山方面に自転車で行くのは私にはちょときつかったです。
ところでシーマートは新鮮な魚がメイン商品です。私は今回、お魚茶漬けと干物などを買いました。シーマートでの買物が終わると、市内に戻ってキモノスタイルカフェに行くことにしました。
新鮮な魚を中心にした、賑やかなお店シーマート
遊覧船を楽しむと、しばし萩市内を散策しました。散策した場所は、萩高校周辺です。この春に私と息子が宿泊した蔵門屋敷前に萩高校の正門がありました。校内に樹齢100年位は経っているのでしょうか大きな松が生えていました。高校と言いながらとても伝統があるように思いました。ここに通っている高校生は、一生の誇りになるのではないでしょうか。
趣がある萩高校周辺の白壁通り
遊覧船とは別の組と合流すると、喫茶店蔵で紹介していただいた陶房小田に行きました。橋本川沿いにある工房です。遊覧船に乗っていた時、船頭さんから話があった橋本川沿いの松林近くです。中に入って焼き物を見ました。仲間の何人かが萩焼を購入したため、私も購入することにしました。私が萩焼を購入したのは、柳井市天神春祭りでの萩焼展以来です。
橋本川松林沿いにある陶房小田 一風変わった萩焼の数々
陶房小田でしばらく時間をつぶした後、宿泊場所である萩本陣へと向かいました。到着すると、男性陣と女性陣はそれぞれが泊まる部屋に案内されました。萩市内全体を見渡せる展望がとても良い7階の部屋でした。部屋に入ると、すぐにお風呂に浸ることにしました。
夕食も魚のおかしら付料理。やや味が濃い目でとても美味しい!
お風呂場に行くと、最初体を綺麗に洗いました。そして、いろいろな湯船に浸かってみました。唯一入らなかったのは冷たい水風呂でした。サウナ部屋は私には熱すぎたためすぐに出ました。最も長く浸ったのは、陶器製の五右衛門風呂です。体温とほぼ同じ位の湯温です。外風呂にも入りましたが、まだ明るかったため星は見えませんでした。
美味しかった夕食 夕食後、カラオケ部屋に移動
風呂から出て部屋に戻ると、15分後に夕食でした。皆で2階の食堂に行きました。そして、美味しい料理を堪能しました。驚いたことに、夕食も魚のおかしら付きでした。やや味が濃い目で、私には合っていました。お魚料理は苦手で骨などをさばくのが下手なのですが、美味しく食べることができました。
N君の浪曲など、おおいに盛り上がったカラオケルーム
夕食が終わると、今晩のお楽しみ劇場の始まりです。N君の浪曲などで、おおいに盛り上がりした。お酒もほどよく飲んで、他のグループの歌にも拍手を送りました。私は歌うのが苦手なので今回は聞き役でした。そう言えば、東京八王子市に住んでいた頃に、自治会役員をしていたことがありました。自治会最後のご苦労さん会で、仕方なくチェリッシュのテントウムシのサンバだったかの懐メロを歌ったように思い出しました。また、デイサービスや病院の仕事でやむなく童謡を歌ったことを思い出しました。
萩市内の移動ルート、遊覧船を降りて陶房小田を経て萩本陣へ
私を含め親しい8人で、萩に一泊旅行に行ってきました。この旅行のもともとのきっかけは、「息子と一緒に行った萩旅行がとても良かった。」と私が話したことだったように思います。今回は、萩高校卒業生のNちゃんの案内もあって、これまた楽しい萩旅行となりました。
萩往還の道の駅で休憩 萩到着後、さっそく萩焼見学
田布施交流館に9:00集合後、車二台に相乗りして萩市へと向かいました。途中、萩往還の道の駅で休憩しました。思ったりより早く萩に着きました。昼食を予約していた割烹料理「あじろ」近くの喫茶店「蔵」の駐車場に停めさせていただきました。ここで、Nちゃんの萩高校時代の同級生N氏に逢いました。「あじろ」は12:00予約のため、Nちゃんを除く7人は、周辺を歩いて散策しました。
「あじろ」で美味しいあじろ定食 「あじろ」玄関前のモミジ
散策中に、ある萩焼のお店に入りました。そして、いろいろウインドショッピングをしました。30分位その周辺を散策すると、喫茶店「蔵」に戻ってNちゃんと合流しました。そして、「あじろ」に行きました。私はあじろ定食を頼みました。メイン料理の鯛のおかしらを食べました。
喫茶店「蔵」で珈琲休憩 貴重で珍しい銅製ドリッパー
食べ終わると、再び喫茶店「蔵」に戻って珈琲休憩にしました。休憩中、この喫茶店の貴重なコーヒードリッパーを見せていただきました。珍しい銅製です。皆で覗き込むように見させていただきました。マスターありがとうございました。この時、店内に展示された陶房小田の萩焼に興味を持ち、その陶房の場所を教えていただきました。
喫茶店「蔵」内で珈琲休憩中、展示された陶房小田の萩焼に興味
喫茶店「蔵」を出ると、二組に分かれました。一組は遊覧船に乗る組、もう一つの組は阿武川が橋本川と松本川に分流する地点近くに行く組です。そこは萩市三角州の一番南の頂点で、大河ドラマの撮影セットなどがあるそうです。私は前者の組に入り、遊覧船に乗って川や海から萩市内を楽しみました。
遊覧船の受付口 渡船場で遊覧船に乗船
船に乗ったは祝島ウォーキングの時以来です。その時は、スピードが速かったためか波しぶきがすごかったのですが、この遊覧船はのんびりと走るため、手を伸ばせば波を触ることができそうでした。そして、船頭さんのお話を聞いたり、時に歌を聴いたりしながらのんびりと遊覧することができました。
遊覧船に乗って、川と海から萩市内を楽しく見学
遊覧船は最初、橋本川を上流に向いました。川の途中で、船頭さんからいろいろな説明がありました。個人的に興味を持って聞いたのは、毛利家の二つの墓所です。奇数番代目のお殿様が葬られた東光寺、偶数番代目のお殿様が葬られた大照院でした。次の日、その両方に行くことにしました。
萩市内の移動ルート、遊覧船は川と海を移動
山に生える笹などの下草刈りをしています。今年の1月に植えたマテバシイの苗がだいぶ育っていました。葉はだいぶ大きくなり、来年は背が伸びるのではないかと思います。近くには大きく育ったアジサイなどが茂り、小さなマテバシイの日陰になっています。このアジサイを伐採して、日当たりを良くしようと思います。なお、同じ時期に植えたスダジイは、枯れてこそいませんでしたが葉があまり茂っていませんでした。雑草に覆われたためです。この雑草を綺麗に刈り取っておきました。
葉が大きく茂ったマテバシイ
ところで、我家周辺はだいぶ葉が色づいています。とくに、モミジは紅葉した葉が次々に落葉して地面に降り注いでいます。そのため、我家入口の道は、モミジの紅で染まっています。落ちる葉が無くなった頃、霜が降ります。冬はすぐそこです。
紅葉した我家のモミジと、紅く染まった通路
麻里府の上組の巡礼ルートを調べるため、同地区に住むTさんの家を伺いました。すると、Iさんの方が詳しいとのことで、近くに住むIさんを紹介していただきました。元々Tさんを紹介していただいたのは、やはり上組に住むHさんでした。Hさん,Tさん,そしてI人さんと、人のつながりに感謝します。
Iさんと一緒に上組地区の山に登りました。そこには、南平和八番札所の観音堂がありました。札所を一つ探し当てました。お堂の中には立派な薬師観音像が、またそのお堂の傍らにも立派なお地蔵様が安置されていました。
観音堂の傍に安置されたお地蔵様
観音堂そばの広場は、かつて処刑場だったそうです。怖い話です。その広場の山上に、たくさんのこけしのような像が無数ありました。このこけし状の像と処刑は、何か関係があるのでしょうか。今その事実を知っている方はいないそうです。すぐ傍の観音堂との関係も気になります。
観音堂内に安置された薬師観音像 山上にたくさんある、こけし状の像
Iさんと観音堂を見学する道すがら、私が高校時代に亡くなったIくんの家跡を知りました。私が高校生の時、彼のお葬式に来たのです。樽に入った彼を焼場まで野辺送りしました。彼はスポーツマンで明るく誰にでも好かれるナイスガイでした。本当に惜しい男でした。彼が無くなった後、家が火事になったそうです。
ところで上組ですが、田布施町と合併する前は、成川じょう,岩金じょう,横尾じょうの三つの地区から成っていたそうです。「じょう」は「荘」のなまりではないかとことでした。また、今は上組ですが、かつては上郷や奥郷とも言われていたそうです。私は高校生の頃には上郷と言っていたように思います。近くに人丸と呼ばれる古い祠があるそうです。できものに効くお地蔵様があるとのこと。今は山中の藪の中にあり、とても歩いては行けないとのこと。いつか行って調査したいと思います。
麻里府の上組、いろいろな史跡が残る集落
22日朝、田布施町交流館に行きました。目的は田布施町特産品試食販売フェアです。私はラーメンが好きなので、田布施町の麺がどんなものか食べたくなってこの試食販売フェアに行きました。豚骨スープ付きの麺を購入しました。この時、婆さまが借りた本を図書館に返却しなければならなかったためあまり長居できませんでした。短い時間でしたが、何人かの知人に出会い談笑しました。
ラーメンの試食販売中、細麺でとても美味しい!
ラーメンの試食販売所の隣では、田布施農業高校の生徒さん達が学校で加工したのでしょうか、ジャムなどの販売をしていました。だいぶ前のことですが、東京の農業高校生徒に米作りを教えたり、ごはん大会出場の手助けしたことをなど思い出しました。はつらつとした生徒さん達でした。もう少しお客さんに声掛けしていれば、さらに良かったかな。そのジャム類などの販売コーナーの前方ではパン類などを試食販売していました。その後、郷土館に寄ってから麻里府上組地区の史跡調査に向かいました。
その後、我家で麺を食べました。思いのほか婆さまに好評でした。婆さまいわく「ゆで方にもよるじゃろうが、柔らこうて食べやすいのう。美味しかった。」でした。お年寄りにも好評の麺でした。
高校生達によるジャム類試食販売コーナー パンなどの試食販売コーナー
小畠バイテクファーム横の大畠ふれあい公園へ行きましたが、きのこ型の小屋はだいぶ傷んでいました。二つとも朽ちて倒壊寸前でした。シロアリのために板がやられたようでした。この建物を作った時に防腐剤処理をしなかったのでしょう。残念ですが今は使い物になりません。前回調査した時は、使えたのに一年でこんなに傷むものなのでしようか。
大畠ふれあい公園、地面いっぱいの落葉
大畠ふれあい公園を出ると、大畠に向かって高台の道をどんどん進みました。同じ高度の道をすいすいと、そして右手に海を見ながら歩きました。途中、集会所の隣に薬師堂がありました。大畠方面の海を見下ろす絶景の場所です。中を拝見させていただくと、薬師如来像が祀られていました。巡礼のお札所の一つではないかと思いましたが、札所を示す番号札はありませんでした。
祀られた薬師如来像 広々とした田んぼ脇を散策
途中、ルートを変更しました。以前調査した時は大畠の町にそのまま降りるルートを通りました。そして、町並みを見ながら大畠駅に向かいました。しかし今回は、高台の道をそのまま歩いて、大畠駅直前で高台から降りるルートにしました。
坂道を降りながら、大畠駅の向こうに大島大橋を見て
大畠駅直前に道を間違えて、偶然にお地蔵様群を発見しました。たくさんのお地蔵様が安置された不動院があったのです。院は、堂,庵,寮よりも大きな建物です。お坊さんがいることもあります。今回は急いでいたので立ち入ることはしませんでした。本番ウォーキングの時、不動院内に入らせていただければと思っています。続いて、お大師さまに行きました。
不動院のお地蔵様 大畠お大師様の鐘つき堂
大畠駅のこんな近くにお大師さまがあるとは思いもよりませんでした。そして、そのお大師様の直下に、私の小中高校の同級生が嫁いだM旅館があったことにも驚きました。20日にお砂踏みがあるそうでしたが、所要があって行けなかったのは残念でした。今回はウォーキングの下見でしたが、本番では10km以内に納めるようにルートを少しばかり短縮しようと思います。今回は、暖かく日向ぼっこしながらの快適な下見ウォーキングでした。
今回歩いた、柳井港~大畠の海を見ながらの高台コース
遠崎小学校のイチョウを見終わると、その小学校脇の道を歩きました。そして、しばらく歩いていると線路が再び見えてきました。踏切を過ぎてすぐの場所に、月性が開いていた塾の清狂草堂がありました。今だ茅葺き屋根の貴重な建物です。江戸建築の雰囲気をよく残しています。この茅葺きの素材は、露出した茎からみて葦ではないかと思います。今この屋根を葺き変えると数千万円の費用がかかるそうです。
幕末の僧月性が開いていた塾の清狂草堂
しばらく、お寺を眺めてから案内所に行きました。そして、料金を払って説明をしていただきました。来年の大河ドラマを意識してか、月性に関わる資料をたくさんいただきました。ありがとうこざいました。柳井市で考えた月性などの幕末志士マスコットもありました。田布施町も大河ドラマを意識した展示物を考えたいところですが、資料が少ないのが難点です。富永有隣の資料や奇兵隊などの資料をかき集めるしかなさそうです。来年は、どの山口県の町村も幕末に関わる資料を展示しそうです。
月性展示館の受付 月性展示館などの説明を受ける
ところで、月性展示館の見学にだいぶ時間がかかりました。ちゃんと見学しようとすると2~3時間はかかってしまいそうでした。本番ウォーキングでは、見学を1時間内におさめないと、次の歩程に余裕がなくなります。月性展示館を出ると、旧柳井港街を歩いて再度踏切を渡りました。そして、高台の道を目指して歩きました。
高台までの途中、走り去る電車見下ろす 田畑の緑と柳井湾の青
月性展示館で予定以上の時間を取られました。このため、高台にある田んぼの畔でお昼休憩をとることになってしまいました。目の前の田んぼと、その向こうに広がる海を見下ろしながら、楽しく談笑しながらのお昼休憩でした。
私は寂しい買い弁、皆さんは美味しそうな手作り弁当
ふだん田布施から大畠方面に行く時は、国道188号線を通ります。その国道を見下ろしながらの日向ぼっこウォーキングの始まりです。左手に山を、右手に田んぼや海を見ながら、のんびりと歩きました。天気が良かったので、軽やかに歩くことができました。
お昼休憩した高台を振り返りつつ日向ぼっこウォーキング
しばらく歩いて、老人ホーム大畠苑のある方向を足を向けました。そして、急坂をどんどん登って、大畠バイテクファームに行きました。そして、温室内で育てているランを見学させていただきました。ランの品種改良には15年かかるそうです。つまり、受粉してできた種をまいて育てたランは、花が咲くまでに15年かかるためとのこと。とても気の長い作業です。
ランの品種を説明していただいたOさん 大畠バイテクファーム横の公園を散策
この温室で、柳井の歴史研究会の会長Oさんに逢いました。歴史研究とランの栽培を兼任しているそうです。いつかあらためて白壁の町で、歴史や史跡について伺えたらと思いました。
柳井湾にカーテンのように降り注ぐ太陽の光
来年1月第三日曜日のウォーキング本番に大畠バイテクファームに来ることをお伝えした後、温室を出ました。そして、温室の近くにある斜面の芝生公園を散策しました。ウォーキング本番ではこの芝生で昼食休憩をとる予定です。この公園でたたずんでいると、太陽の光がカーテンのように柳井湾に降り注いでいました。
今回歩いた、柳井港~大畠の海を見ながらの高台コース
年末で忙しい12月は、毎年ウォーキングはしません。今回は、来年1月に行く予定のウォーキングの下見をしてきました。コースは、柳井港から大畠までの高台の道筋です。去年事前に調査しておいたコースです。集合は田布施駅9:00です。そして、9:08の電車で柳井港に行きました。乗車券は200円でした。田布施から徳山へはよく行きますが、柳井方面は本当に久しぶりのことです。
柳井駅を降りて春日神社 春日神社の本殿
柳井港駅を降りると、柳井方面に数十メートル戻り、踏切を渡って春日神社に向かいました。この神社はとても参道が長くて数百メートルあります。途中に恵比寿神社などの小さな祠のようなものがありましたので、春日神社は周りの神社を統括するような神社なのでしょう。参道の木立は深く生い茂り、たくさんの小鳥が鳴いていました。
春日神社参拝後、再び踏切を渡って国道188号線に
春日神社の後、柳井港駅の裏側を歩いている途中ハプニングがありました。そのおかげで、喫茶店に入ってコーヒーとシュークリームをいただくことができました。Nちゃんありがとう!喫茶店で談笑後、月性の銅像前に出ました。ここで、再び踏切を渡って松戸八幡宮へ行きました。
喫茶店で小休止、ご馳走様! 時計仕掛けで回る月性の銅像
松戸八幡宮の石階段を上へ上へと登る途中、振り返ると柳井湾を広く見渡すことができます。本殿に着くと、広がる海を見ながら休憩しました。真っ青な空に輝く太陽、本当に良い天気でした。この神社は海を見渡すことができる高台にあります。古代においては、石階段前に海が広がっていたのではないかと思います。
松戸八幡宮の白い石階段を上へ上へと登る
松戸八幡宮を参拝し終わると、石階段を降りました。正面に見える柳井湾の向こうに大星山が見えました。その頂上には発電用風車が何台も回っていました。石段を降りると旧遠崎小学校の校庭を見ました。その校庭の中に黄色く染まったイチョウの巨木がありました。青い空に映える黄色の葉がとても綺麗でした。
松戸八幡宮の本殿 旧遠崎小学校の黄色く染まったイチョウ
今回歩いた総距離は12.3kmでした。春日神社は柳井港からみて大畠駅とは反対方向になります。このため、本番のウォーキングでは春日神社は割愛することにします。とても良い神社なのですが、総距離を10km未満に近づけるためには仕方ありません。
、
今回歩いた、柳井港~大畠の海を見ながらの高台コース
江戸時代後期に始まったであろう防陽八十八ヶ所霊場を調査しています。そして、第十九番札所である佐賀の大田大師堂(兼 大田生活改善センター)を探し当てることができました。田布施では、消えてしまったた大師堂や観音堂などが少なくありません。この大田大師堂が残っていることと、地元の方が大切に守っているのを見て、とても嬉しい気持ちになりました。
防陽八十八霊場の第十九番札所大田大師堂
19日午後1時頃に大田地区を訪れ、農作業されている方に大師堂のことを知っている方をお聞きしました。すると、Kさんを紹介していただきました。すぐに、Kさんの家を訪問しました。そして、私が田布施郷土館に勤めている傍ら、古い巡礼地を調べていることなどの自己紹介をしました。そして、たまたま持ってきた「おつとめ」お見せしました。
偶然ですが、数分後にお大師講のおつとめがあるとのことで快く見学をさせていただくことになりました。Kさん、見学させていただき、また写真撮影を快く受け入れていただき、感謝の念に堪えません。ありがとうございます。
大田大師堂に安置された像 お大師講のおつとめをされる方々
お大師講のおつとめを見学する前、般若心経などが書かれた「おつとめ」の、読む順番,回数などを丁寧に教えていただきました。その過程で、「おつとめ」に書かれていない文があることが分かりました。地域によって「おつとめ」の読み方の違いや、地域独自の文があるのではないかと思います、その違いも今後調べてみたいと思います。
読経中の「おつとめ」文面 時に手持ち鐘をならしておつとめ
おつとめの後、少しお話を伺いました。その昔、病が流行って数多くの幼い命が亡くなったそうです。それを供養するためこのお大師堂が建立されたと言い伝えられているとのことです。
ところで、この大師堂が十九番札所であることはどなたもご存じありませんでした。さらにお聞きすると、自分たちのお爺さんの世代では巡礼をしていたとのこと。その頃、この大師堂でささげむすびを出すなどのお接待をしていたそうです。お話しを総合すると、おそらくその巡礼は昭和初期のことではないかと思われます。そして、戦後巡礼が絶えたのではないでしょうか。そのお接待、今は地区内で出しあうお接待として残っているそうです。各地で消えつつあるお大師講に、ここで出会えたことはありがたいことです。
大田大師堂から見下ろした、おだやかな周防灘の海
極楽寺を過ぎると、近くの棚田をいろいろ散策しました。その棚田の中に、珍しい石組みを発見しました。石組の上の方に、突き出た石が並んでいるのです。なぜ、飛び出した石が並んでいるのでしょうか。おそらく、石組を管理したり石組上の畔の草などを刈りやすくするための足場ではないかと思われます。近くに地元の方が誰もいなかったので、詳細を聞くことができませんでした。
足場石が並んだ棚田の石組 山の上の方に続く古い山道跡
次に、どんどん上へと道を進めると、大星山の風車へ行く道に突き当りました。今回は、大星山に行かないで、等高線上を南へ向かう道を選びました。しばらく進むと、山頂へと向かう古い山道跡がありました。麓から山頂に向かう道の跡のようでした。昔、向こう側の伊保庄福井畑へと行く道ではないかと思われます。しばらく進むと、地元のお墓と思われる場所がありました。さらに進むと、光輝病院に向かう舗装道路に突き当たりました。
光輝病院に向かう道で、大田から魚見方面を見下ろして
光輝病院への道を逆に下りました。そして、海岸に面する魚見地区に行きました。目的は大田の大師堂を探すためです。魚見に着くと、地元の方に大田地区はどこかとお聞きしました。すると、ある方向を指差しました。それはなんと、さっき通った光輝病院に向かう道の途中でした。魚見から引き返して、その大田地区へ戻りました。
大田の大師堂 大師堂内に安置された大師像
大田地区に着くと、近くで草刈していた方に大師堂の場所を訪ねました。そして、大師堂の建物を教えていただきました。その建物は、光輝病院へ向かう道のそばにありました。ついさっき通り過ぎたばかりの建物でした。その建物は、大田の生活改善センターとしても使われていました。建物に着くと、中に安置された大師像を拝ませていただきました。なお、11月19日にお大師講があるようです。時間があれば行ってみようと思います。
大田生活改善センターとしても使われていた大師堂
今回は、佐賀地区の防陽八十八ヶ所を探索しました。その結果、二ヶ所を確認できました。次回は、佐賀の隣りの尾国の善光庵を確認しようと思います。来年一年で、なんとか全ての防陽八十八ヶ所を確認したいと思っています。今、八十八ヶ所のうち二十七ヶ所を実際に行って確認しました。息の長い確認作業になりそうです。
今回散策した、佐賀の山側周辺
光福寺裏山の40番目位のお地蔵様がある付近が頂上です。そこにはひときわ大きな石がありお地蔵様が彫ってありました。観音様なのか毘沙門様なのか又は別の地蔵様なのかは分かりません。その岩を拝むと、続きの番号のお地蔵様を巡って山を下りました。登って降りて20分位で八十八のお地蔵様を巡ることができました。
頂上に置かれたひときわ大きな石 別室に安置された三宅の薬師観音
お地蔵様巡りを終わった後、ご住職様にあいさつしました。その時、麻郷三宅の薬師観音像を見せていだきました。100年以上三宅の観音堂で安置されていたであろうこの薬師観音像を、後三宅の方々が維持管理できずこの春にこのお寺に安置したのです。このように、地域で維持できなくなったお地蔵様をお寺にお返しする話を最近よく聞きます。残念なことですが、このご時世仕方ないことなのでしょう。
ところで、一昨年に竹尾地区を訪れた時、巡礼の張り紙がありました(一日巡り,又はお大師巡り)。しかし、今年はこの張り紙がありませんでした。巡礼は去年か今年で絶えてしまったようです。今回のウォーキングを巡礼のようなものとお考えになって、ご住職が特別にお祈りをしてくれたのかも知れません。
竹尾,国木の巡礼の張り紙(2012撮影) 竹尾川の姥ヶ盥の滝
光福寺を出ると、竹尾方面に向かいました。刈り取りが終わった広い田んぼを横目で見ながらしばらく歩くと、姥ヶ盥の滝つぼに行きました。川底に向かう斜面を降りると、大岩に張り付くように神棚がありました。これが、山姥伝説の姥ヶ盥のようです。山姥が休むために座った滝です。水が流れ落ちる岩が、腰をかける巨大な椅子のように見えます。面白い伝承です。
戸倉神社に向かって急坂100段の石段を登る
次に戸倉神社(とのくらさー)に向かって歩きました。途中、八雲八幡の神社を見学しました。芦原神社のような、水に浮かぶように見える神社でした。その後15分位歩くと、今回の最後の訪問場所である、戸倉神社がある山麓に着きました。麓から見上げる100段の石段には驚きます。はるか上まで石段が続いています。みんなで息を弾ませながら一歩一歩と石段を踏み登りました。
石段を登りきると神社はすぐそこに ブロック製壁の戸倉神社
石段を登りきると、近くに御旅所がありました。そして、広場の50m位先に小さな神社がありました。その神社は壁がブロックで作られていました。その神社の後ろに石垣が露出していました。その昔、この石垣の上にちゃんとした神社があったのに違いありません。屋根を見ると、さまざまな模様の瓦がありました。おそらく、地域の人があちこちから持ち寄った瓦ではないかと思います。
最後の訪問場所である戸倉神社前にて
神社の中には神輿が納められているそうです。祭りの時、石段近くにある御旅所に神輿を出すそうです。その昔は、この100段の急な石段を神輿が駆け降りたのではないかと思います。城南川西西山の妙見社の神輿は今でも、お祭り時に石段を降りるそうです。高齢化が進んだ今、この石段を登り降りするだけでも大変です。麻郷蓮輪の金毘羅様、昔は急な石段を登った広場でお祭りをしていたそうです。しかしお年寄りがその石段を登れず、今は山裾にある蓮輪公会堂でお祭りをしているそうです。
急な石段を注意しながら降りる 国木小学校跡地に向かう
最後の訪問地である戸倉神社を過ぎると、岸田交差点を左折して終点の国木小学校跡地に向かいました。下見よりだいぶ距離を減らしたつもりでした。しかし、なんだかんだで12.7km歩いていました(GPS測定器上)。参加したみなさん、お疲れ様でした。12月は年末のためウォーキングをお休みします。年が明けた1月、柳井港大畠周辺の海を見下ろす高台の道をウォーキングする予定です。
今回歩いた、国木,竹尾周辺ウォーキング(2/2)
==========健康ウォーキングクラブ==========
9月に下見に行った田布施町の国木や竹尾、残念ながら10月の天候不順のため11月に延期となりました。延期となった今日、田布施町交流館に9:30、そして10:00に全員が国木小学校跡地に集合しました。最初に真殿の蓮華寺に行きました。なお、法事のため黒地蔵尊は見学できないとの連絡を受けていました。本堂だけでも外からでも拝観させていただこうと思っていました。すると、法事まで少し時間があるとのことで特別に黒地蔵尊を見学させていただくことになりました。蓮華寺の方に感謝いたします。ありがとうございました。
真殿蓮華寺の本殿 本殿内部の見学、右が黒地蔵尊
真殿蓮華寺の県指定文化財黒地蔵尊を見学すると、幸ヶ丘農場のメタセコイアを見に行きました。今の時期、メタセコイアは落葉直前で黄色く染まっています。これからどんどん落葉し、地面はメタセコイアの黄色の葉で埋め尽くされるでしょう。今回、丸い実が成っていました。中をこじあけると種が出てきました。メタセコイアは、当初化石でしか見ることができず、後年中国で生きたメタセコイアが発見されたそうです。そして、人の手でどんどん増やされて世界に広がったとか。
黄色に紅葉した、幸ヶ丘農場のメタセコイア
幸ヶ丘農場がある山の高台を降りると、大峰峠へ向かう旧道を逆にどんどん下りました。途中お地蔵様を見たり、川岸を歩いたりして、郷土館のN館長の家に向かいました。当初、トイレ休憩だけのつもりでしたが、到着時間が遅れてしまいました。着いたのは正午でした。お言葉に甘えて、N館長の家でお昼休憩させていただくことになりました。ありがとうございました。
旧道のお地蔵様 N館長宅でお昼休憩
次に、うら寂しい一本道を歩いて千坊山光福寺に向かいました。到着すると、ご挨拶をして本堂に上がらせていただきました。すると、思いがけずお祈りをしていただけることになりました。やわら棚に掛けてあった経典と思われる書物を取り上げて読み始めました。そして、パタパタと素早くめくり始めました。
光福寺の本堂内に座るウォーキング参加者
経典と思われるものを読み終わると、全員の体をその経典で叩いたり、撫でていただきました。私は、「いつまでも足が丈夫で歩けるように。」と、足を撫でていただきました。まさか、光福寺でお祈りをされるとは思ってもみなかったです。ありがたいことです。
経典?を読むご住職 経典?で背中などを撫でる
いったん光福寺の外に出ると、裏山に並んでいる八十八体のお地蔵様巡りをしました。木立の細い山道に並んでいるお地蔵様を一体一体拝みつつ巡りました。去年ウォーキング調査のため光福寺に来てこのお地蔵様巡りをした時、草が生い茂っていたため歩くのが往生しました。今回困ったのはクモの巣程度で、楽々巡ることができました。そして、四十番目位のお地蔵様がある頂上に着きました。
明るい木立の中をお地蔵様巡り
このところ私は、田布施町の観音様や毘沙門様などを訪れることが多いのですが、この光福寺のご住職が各地を回れなくなった影響が出ています。民間信仰を若い世代が引き継がず、世話をするお年寄りがいなくなっていることも拍車をかけています。安置されたお地蔵様をお寺に返したり、建物そのものを壊すケースなど次々に出ています。江戸時代頃から受け継がれてきた田布施の古い民間信仰が無くなっていくのを、ただ単に見ていることしかできないのは口惜しいものがあります。
今回歩いた、国木,竹尾周辺ウォーキング(1/2)
==========健康ウォーキングクラブ==========
今年も、小麦を種まきする季節がやってきました。去年は11月末に種まきしましたが、今年は予定通り11月中旬に種まきしました。数日後に雨が降るとの予報ですので、12月初めには発芽すると思います。先週、耕運機で大まかに耕耘しておきました。今回は、種まきできるように、さらにトラクターでゆっくりと丁寧に耕耘しました。
麦を蒔けるように、トラクターでゆっくりと丁寧に畑を耕耘
畑の耕耘が終わると、いったんトラクターを倉庫に戻しました。そして、種まき一式を一輪車に乗せて畑に戻りました。畑に着くと、種まき機に小麦を入れました。この種まき機は、博物館に展示してもよいほどの古いものです。現在はとても効率的な種まき機を売っています。しかし、私のこの種まき機は、手で押しながら種をまきます。私のスタイルに一番合っている種まき機です。
手押し種まき機に小麦を挿入 種が出る事を確認、〇は種
春になると、麦の間に雑草が生えてきます。その雑草を耕耘機除草できるよう、耕耘機のロータリー幅を考慮して90cm間隔に種をまきました。そのため、90cm間隔にロープを張ってから、そのロープに沿うように種まきをしました。今年は、土が湿っていたため種まき機が押しにくかったのですが、なんとか畑すべてに種を蒔くことができました。
ロープに沿って手で押しながら、丁寧に小麦の種まき
私が小麦を毎年のように種をまくのは、単に食べるためだけではありません。緑でいっぱいになった、春の麦畑の光景がとても好きだからです。子供の頃、何故だか麦畑の緑の中に入るのが好きでした。思い出しましたが、去年の春にウォーキングした時に麦畑に入って笑顔いっぱいだった新一年生のAちゃん。子供の頃の私を思い出しました。一面緑の麦畑は、子供の心をとらえる何かがあるように思います。
種が無くならないか時々確認 種まきが終わった後、土寄せ