稲城市にある城山に行ってみました。8年位前でしょうか、稲城市にあるデイサービスに3年ばかり働いていたことがあります。デイサービスは、お年寄りを自宅から送り迎えして施設で楽しく過ごしていただくサービスの一つです。送り迎えをしていると自然に市内の道順や町並みを覚えます。高層マンション,一戸建て,木賃アパートなどいろいろな住居を回っていると、お年寄りの生い立ちや家族関係などがおぼろげながら分かってきます。
お年寄りを送り迎えしていた稲城市の高層マンション群
ある高層マンションに住んでいたお年寄りのことをよく覚えています。髪を左右に三つ編みにしている女性でした。四肢麻痺のために全く体を動かすことができない方でしたが、お風呂がとても好きでした。お風呂に入るたびに、私はその三つ編みを解いて洗い、お風呂を出ると再び三つ編みを編んでいました。感謝の気持ちが顔の表情で分かる優しい方でしたが、あるとき自宅で亡くなられました。「もうこの高層マンションに通う必要がないのか。」と、ちょっとさびしい気持ちにさせられた方でした。それ以外にも、介護を通じて出会いと別れを体験した稲城市でした。
公民館前広場 城山に登る階段
稲城市の城山は、遠い昔の城跡ではないかと思います。よくは分からないのですが、稲城は平安鎌倉時代に坂東武者としてならした人々が群雄割拠していたらしい土地です。見晴らしの良いこの山に城があってもおかしくはありません。短い階段を登って山の頂上に上ると展望台があります。しかし、土日曜日しか開放していないとのことで、今回は登れませんでした。以前登ったとき、この展望台から都心方面がよく見渡せました。
都心が見渡せる城山山頂の展望台(平日は閉鎖)
城山が降りて周辺をのんびり歩くと、秋深いシーズンのためか街路樹がずいぶんと紅葉していました。地面をみると乾いた栃の実が落ちていました。この周辺は8年前とずいぶんと変わっていました。新しいマンションが立ち並び、公民館の位置が変わっていました。この公民館では以前、手作り石鹸などを購入したことがあります。
緑色,黄色,紅色など、さまざまの色の葉が入り混じったホプラ
一つだけ、全く変わっていない建物がありました。丸い広場を囲むようにして円形に立ち並ぶ円形集合住宅の建物です。丸い広場は手入れが行き届いていないのか、雑草が生い茂っていました。しかし、建物は綺麗に塗りなおされていました。
丸い広場を囲むように立てられた円形集合住宅、不思議な空間
曲線を描く集合住宅は、日本にはあまり例がありません。記念碑的な現代建築物のようにも思えます。この建物を見て、中国の巨大な円形集合住宅である客家円楼を思い出しました。ただ、8年前には子供達の姿がたくさん目に付きましたが、今回は子供2,3人の姿しか見えませんでした。この円形集合住宅も高齢化が進んでいるのでしょう。
棟が円形に並ぶため、広角撮影しても3棟しか写らない
深夜勤務明けでしたが、眠い目を擦りながら畑に行きました。今回はユギ・ファームのメンバーが集まって、小豆の刈り取り,秋野菜の収穫,そして冬春野菜の植え付けなどをしました。最初は主に小豆の刈り取り作業をしました。先日、小豆を干す竹を組み立ていたので、今回はすべての小豆を刈り取ってその竹に架けて干しました。
小豆を根ごと何本か抜き取っては結束
小豆の収穫方法は大豆とほぼ同じです。根ごと抜き取って逆さにして干す場合もあります。しかし、この同じ場所に麦の種を近日中に蒔きたいので、抜き取った小豆を何本か結束して竹に架けて干す方法をとりました。カラカラに乾くと脱穀して小豆を収穫します。
小豆を根ごと引き抜く 結束した小豆を竹に架けて乾燥
小豆の刈り取り作業が終わると、今度はいろいろな野菜の収穫や間引きをしました。間引きしたのは大根です。前回の農作業では3~4本に間引きしましたが、今回で一本立ちにしました。12月頃には立派な大根が収穫できることでしょう。
最後の大根間引き作業、間引いた大根は葉を食べる
一通り作業を終えると昼食にしました。私は深夜勤務明けでしたので、飲み物だけは持っていましたが食べるものが無くて皆さんにいただきました。ご馳走様でした。暖かい日差しのポカポカ陽気の中で談笑しながらの楽しい休憩でした。
ポカポカ陽気の中で、談笑しながらの楽しい昼食
昼食後、私は見学の方に東京都指定の「八王子堀之内里山保全地域」を案内しました。私はこの保全地域のほとんどに何がしかの関わりをしてきたので、どの畑や田んぼも懐かしい思い出があります。いろいろな辛苦を思い出しながら、見学の方に説明をして歩きました。案内後に私は耕運機を動かして、小豆を刈り取った畑を小麦の種が蒔けるように耕しました。
刈り取った後の小豆畑 大型耕運機で小豆畑を麦畑に
私が耕運機を動かして小豆畑を麦畑に変えている間、ユギ・ファームの仲間はブロッコリーの植え付けやレタスの植え付けなどをしました。うまく育てばブロッコリーは来春に収穫できます。そして、レタスはこの冬に収穫できるか、遅くとも来春には収穫できます。
20cm角に移植線を引く レタスの苗を次々に移植
レタスの植え付け後、持って帰る野菜をいくつか収穫しました。今回収穫した野菜は、小松菜,大根葉,春菊,里芋,カブ,ナスなどです。途中Hさんが来たので、アピオスを一株掘ってみると立派な芋ができていました。さらに先日埋めたクルミを試しに掘ってみると、果肉が腐ってクルミ殻が出てきました。水で洗うと立派なクルミでした。来月はさらにチンゲンサイ,京菜,壬生菜,ニンジン,サツマイモ,ニラなどが収穫できそうです。そして12月になればキャベツや白菜も収穫できそうです。
暖かい日差しを浴びながらレタスの苗を植えつける
前回、田んぼ脇を草刈りして稲を稲架(はさ)がけするための竹を組み立てました。今年の田んぼは、去年のように容易に稲刈りできる状況ではありません。その理由は「(1)雑草が生い茂っているため、雑草を刈り捨てながら稲だけを選別しながらの稲刈りになる。(2)先日の台風以来田んぼの水が引かず、ぬかるんだ状況で稲刈りするしかない。」です。
青空が映える田んぼ、しかし雑草が生い茂る
(1)に関しては、雑草を除けながら稲だけを刈り取るか、または雑草と一緒に刈り取って後で稲だけを選別すれば何とかなります。しかし、子供建は稲と雑草の区別が分からないので、稲刈りを始める前に教えておく必要があります。これまでの経験上、稲とヒエの区別が付きにくいようです。
水溜りの稲を刈り取り ワラで束ねた稲を結束
(2)に関しては、子供達に長靴を履いてきてもらうしかないようです。大人はぬかるんでいると嫌な気分になりがちですが、子供達意外と平気でぬかるみを楽しみながらワイワイ言いながら稲刈りします。どの子供も稲刈りは初体験ですので、最初は興味しんしんだと思います。しかし、長時間集中力が続かないので、稲刈りは2時間以内に切り上げようと思っています。
結束した稲束を竹に架けて乾燥
脱穀体験はどうしようかと思いましたが、今年は止めようと思います。例年脱穀体験する場所は、事前に稲刈りして空いた田んぼを使用していました。しかし、今年の田んぼの水が引かずぬかるんでいるため、今のところ脱穀に使える場所を確保できません。この田んぼ、5年前ぬかるんで稲刈りが往生したことがありました。
どこもぬかるんだ田んぼ 雑草の上に伸びた稲穂
今回試し刈りして、雑草の生え具合やぬかるみの状況を調べて稲刈りの感触をつかみました。その結果、今年は雑草とぬかるみで例年以上に稲刈りが困難になりそうです。このため、稲刈り前にお母さん方や小学生たちに稲刈りするにあたっての注意事項を丁寧に説明しようと思っています。そして、楽しい稲刈り体験にしようと思っています。
試し刈りした稲を竹に架けて干す、稲刈り本番日までには乾燥見込み
夕方、久しぶりに夕焼けを見ました。高校生の頃までは毎日のように見た夕焼けですが、東京に来てからはたまにしか見ることがありません。見たのかも知れませんが、仕事などで忙しくてゆっくりと見ている時間がなかったのでしょう。たまたま夕方買い物に行っての帰り道、西の空が赤いのでバイクを止めて見ました。
久しぶりに見る夕焼け、しばしバイクを止めて眺める
子供の頃は、もっと夕焼けが綺麗だったように記憶しています。やはり秋だったと思いますが、西の空に広がる雲全体が赤く輝いているようでした。その夕焼けを見ていると、山に帰るカラスの飛ぶ姿が見えたり、その鳴き声がよく聞こえました。また、渡り鳥もよく見かけました。私のふるさとの山口は渡り鳥のコースだったのか、「へ」の字に並んだ渡り鳥の群れがよく飛んでいました。子供心に「どこまで行くんだろう?」と思ったものでした。
山々とアンテナが黒くシルエットに映る夕焼け
これまで、3回に分けて畑前の急斜面の草を刈り取ってきました。今回は最後の仕上げとして、刈り取って干したままにしていた雑草を綺麗に取り除きました。取り除くと行っても、熊手を使って斜面の最下部に降ろすだけなのですが。
熊手を使って、乾いた雑草を丸めるようにしながら下に降ろす
この急斜面を草刈りするときは、等高線に沿うように横に移動しました。しかし、乾いた草を下に降ろす時は、急斜面を上下に移動するので草刈り以上に足腰が疲れます。斜面上の石ころもごろごろ転げ落ちるので注意が必要です。上から下へと雑草を丸めるようにして降ろします。
最上段の草をかき集める 草を丸めるようにして下へ降ろす
私が子供の頃は、このような土手や斜面は草を上から下へ降ろすことはしないでそのまま焼いていました。急斜面の乾いた草に火をつけて焼いていました。この野焼きにはそれなりの技術が必要です。風がない曇った日に焼いていたように思います。誤った野焼きをすると山火事の危険性があります。私が小学生の頃の帰り道、火が帯のようになって焼けていく山火事を見たことがあります。
草刈りを終わり干した草を降ろして、綺麗になった急斜面
10年以上前のこの急斜面の草刈り方法は、数人が並ぶようにして手分けしてカマで草刈りしていました。しかし、10年ほど前から私だけが草刈りするようになりました。綺麗に刈り取ったこの急斜面はとても日当たりが良いため、冬の日向ぼっこには最適です。来年から私は刈り取りできないため、この斜面がどうなるのかちょっと心配です。
冬の日向ぼっこに最適の急斜面、この冬もこの斜面で寝よう
去年10月末だった別所小学校5年生の稲刈り体験、今年は11月2日に稲刈りします。この稲刈り体験の準備を始めました。まずは、稲刈りできるように雑草を刈り取ることにしました。田んぼ脇には雑草が生い茂っています。刈り取った稲を束ねたり、束ねた稲を干す竹を置く場所を確保する意味で、これらの雑草を綺麗に刈り取りしました。
生い茂った田んぼ脇の雑草 雑草を半分程度刈り取り
最初回転紐を草刈機に取り付けて草刈りをしました。しかしながら、イネ科雑草が生い茂っていたため、刈った葉茎が草刈機に絡みついたりして綺麗に早く刈り取りできません。そこで、畑の急斜面刈り取りに使ったチップ付丸刃を草刈機に付け替えて草刈りしました。
草刈りが終わった田んぼ脇、ここに稲を干す竹を組み立て
草刈りが終わったこの場所は、刈り取った稲を束ねたり干すために使います。このため、稲を干すために架ける竹をここに組み立てました。去年の稲刈りに使った竹を何本か運び込んで組み立てました。竹棒三本を使って脚立状にして支えとします。この竹脚立に、干すための竹棒を三本組み付けました。竹の組み立ては、ボーイスカウトでの指導経験などが役に立っています。
竹棒を一本乗せる 次に2本の竹棒を組み付ける
これで稲刈りの最低限の準備はできました。後は、脱穀体験の準備をする必要があります。去年はユギ・ファームの何人かが稲刈りを手伝ってくれたり、大学生が駆けつけてくれました。しかし、今年は手伝いの人がいません。このため、稲刈り体験だけにしようかとも思っています。するとしても、千歯こぎ体験程度になると思います。どちらにしても、脱穀体験できるほどの稲をあらかじめ試し刈りとして稲刈りしようと思っています。
稲刈り準備を済ませた田んぼ、脱穀体験をどうするか
今年も麦の種まきをする予定です。去年は、種まきが遅かったため芽生えが良くありませんでした。このため、今年は去年より早く11月上旬には種まきをしたいと思っています。このため、大型ディーゼル耕運機を使ってやや深く耕しました。
大型ディーゼル耕運機を使ってやや深く耕運
小型の耕運機を使っても良いのですが、深く耕せないことと、時間がかかること、そして雑草が絡みつき易いことが欠点です。その点、大型耕運機はどんどん深く耕してくれるので効率時に畑を耕すことができます。私の所有している大型耕運機は田舎に移したので、今回は同じものを借りました。なお、この耕運機は6月の代かき時に使用したものです。
ちょっとした雑草も難なく、どんどん深く耕運
今回耕したのは麦畑の西半分です。東半分はまだ小豆を刈り取りしないで耕せません。近いうちに小豆をすべて刈り取った後にすべてこの耕運機で耕そうと思います。そして小型の耕運機を使って、麦の種をまく溝をつけながら再耕運しようと思います。
30分もしないうちに耕運し終わった麦畑
天候不順のため、急斜面の上半分は草刈りができませんでした。今回、残った上半分の草をすべて刈り取りました。上半分は、この斜面の中でも特に傾斜が急のため、厳しい姿勢を保たなければならずとても疲れます。支える足がどうしてもすべり落ちるので、ひざを傾斜に当てて体を支えながらの草刈りでした。
草刈り前の急斜面、残った上半分の草をを刈り取り
残った上半分の草は、三回に分けて刈り取りました。等高線上を移動しながらの草刈りです。前回と同じようにツル性雑草の葛が生い茂っていました。この雑草は草刈機に巻きつくのでとても厄介です。このため、葛を最初に刈り取りつつ草刈りを続けました。
等高線上一回目の草刈り 等高線上二回目の草刈り
等高線上三回目の草刈りでやっとこの急斜面の草刈りが終わります。しかし、この斜面上には畑の雑草や野菜残渣が積まれていました。この残渣があると草刈りができません。このため、この残渣を別の場所に積み替えてから三回目の草刈りをしました。
等高線上三回目、急斜面頂上の草刈り完了
三度に分けて草刈りを進めた急斜面。手前が一回目、里芋上斜面下半分が二回目、そして、その上半分が今回刈り取った雑草。これで、来春までこの斜面を草刈りする必要はありません。あとは、数日後に枯れて軽くなった雑草を熊手で下に落として綺麗にすれば、この急斜面の草刈りは完了です。
三度に分けて草刈りをした急斜面、あとは枯れた草を落とすだけ
10月初めから小豆が熟しはじめ、今はほとんどの小豆の鞘は茶色になっています。一つだけ鞘をもいで調べてみると、中の豆は硬く熟していました。このため、いつ刈り取ってもいいように、小豆を天日干しできるように竹を組みました。
鞘を開くと、硬く熟した小豆粒 天日干しできるように竹を組む
小豆や大豆などの豆類は、麦や稲のようにカマで根元を刈り取ることはしません。手で引っ張り根ごと抜きます。そして、抜いた小豆の根元を合わせるように積み重ねます。地方によっては、束ねた小豆を根が上になるように逆さにしてそのまま天日干して乾燥させます。
根ごと抜いた小豆、根部分が一緒になるように積み重ねる
積み重ねた小豆の根の部分を手で持って縄で硬く縛ります。私は、硬く縛れるように巻き結びをしています。数束の小豆の根元を束ねると、手で持って運搬するにに便利ですし、竹棒に架けるときにも便利です。面積が広いとこの作業は大変です。このため、プロの農家は小豆や大豆を専用機械で刈り取りしているようです。
手で根元を束ねる 束ねた根元を縄できつく縛る
小豆を引き抜くときは、雨が降った一日後がいいようです。地面がまだ柔らかいので、とても引き抜きやすいです。地面が乾燥して硬いと、引き抜くための力がそれだけ必要で疲れますし、根元が切れてしまい後で縄で縛りにくくなります。このため、去年は地面が乾燥していた引き抜くのが大変でした。なお、今回は試しの刈り取りでした。休みの日を利用して、残りの小豆を刈り取って干そうと思っています。
試しに刈り取って干した、2束の小豆
前回に続いて今日も、畑と田んぼの間にある急斜面を草刈りしました。休日であれば一日で刈り取ることができますが、勤務の隙間をみて刈り取っているので3回程度に分けて全部を刈り取るつもりです。今回は、里芋が植えてある急斜面の下半分を刈り取りました。
手前は前回刈り取った斜面、刈った雑草が程よく乾いている
前回は、葛のツルをカマで刈り取ってから草刈機を使いました。今回は面積も広いので、新しいチップソーの丸刃を草刈機に取り付けて刈り取りました。刃が新しいので、回転数が低くても面白いように刈り取れます。
刈り取り前の急斜面 草刈機に取り付けた丸刃
いくら新しい刃を使ったとは言え、気をつけないと葛のツルが巻きついてしまいます。先に葛のツルを切断するようにしながら、他の雑草も少しずつ刈り取ります。一度に刈るのではなく、何段にも分けながら葛や他の雑草を細断するように刈り進めました。
葛に覆われた急斜面下半分をほぼ刈り取り
急斜面では、等高線に沿い徐々に上りながら刈り進めます。この斜面には大きな石がごろごろしているため、草刈機の丸刃が時々当たります。あまり当たりすぎると、丸刃のチップが取れてしまいます。実際、刈り取りが終わった後に丸刃を点検してみるとチップが一つ取れていました。天気も良くないので、急斜面の下半分だけを刈り取って終了にしました。次回は時間をみて上半分を刈り取る予定です。
刈り取り前の急斜面 刈り取り後の、急斜面半分
河川敷で自然に生えている胡桃(クルミ)の木から実を採集しました。そして、ほとんどの胡桃は果肉を腐らせるために畑の地中に埋めました。12月頃に地中から胡桃を取り出す予定です。しかし、すでに果肉が腐っている胡桃が数個ありました。その胡桃は地中に埋める必要はありません。試しに食べられるように加工して見ることにしました。まずは、胡桃表面の汚れを取るために水につけました。
表面に付いたゴミを取るため、果肉が取れた胡桃を水に入れる
ほどよく胡桃表面に水がなじんだ頃、水から取り出して表面に付いたゴミを取り除きました。最初は、スポンジたわしで擦り、次に使用済みの歯ブラシで擦りました。すると、胡桃表面のしわに入り込んだゴミまで綺麗に取り除くことができました。
胡桃をスポンジたわしで磨く 歯ブラシで胡桃表面を磨く
胡桃を磨くほどに市販の胡桃のような質感が出てきました。昔の人は、砂か草の繊維などで胡桃を磨いたのではないでしょうか。胡桃を磨きながら、昔の人はどのような思いで磨いていたのだろうかと思いました。これでようやく胡桃らしい姿になりましたが、この胡桃は姫胡桃です。やや小ぶりで市販の胡桃のような大きな球形をしていません。
胡桃表面の窪みに付いたゴミも綺麗に取り除く
水に浸してたわし等で磨いた胡桃は、いったんベランダで干しました。なお、一個の胡桃は腐っていました。これらの胡桃、このまま殻を金槌でたたくか胡桃割り器で割っても食べることができます。次回、この胡桃をある加工をして食べてみようと思います。この方法を知った時、こんな方法もあったのだと感心しました。この方法を使うと、貝の殻が二つに割れるように胡桃が合わせ目から二つにパツクリ割れます。そして、中の実を全く壊さずに取り出すことができます。
乾燥し終わった3個の姫胡桃、殻を割ればすぐにでも食用可
田んぼに面する畑南側の急斜面を草刈りをしました。この急斜面は6月に草刈りしたので4ヶ月ぶりの草取りです(8月に里芋周辺の一部だけ草刈り)。この4ヶ月の間にずいぶんと草が伸びていました。一番はびこっていた雑草は、マメ科の蔓性多年草雑草である葛(くず)です。
斜面を覆うように茂っていた葛、カマで取り除く
この雑草は伸びた茎が草刈機に絡みつくので大変です。最初、カマを使って葛だけ取り除きました。葛の茎をカマで切り取って、葉と茎をからめるように巻いてまとめます。巻いた葛は、斜面を転がすようにして下に落とします。特に硬い根元は、カマを振り下ろすようにしないと刈れません。
草刈り開始前の急斜面 葛をほぼ取り除いた急斜面
急斜面を覆っていた葛を取り除くと、急斜面の一部は地面が顔を覗かせます。あとは、草刈機を使って、残った雑草を綺麗に刈り取ってしまいます。葛は地下茎が地面下に残っています。春になると、この地下茎から新たな茎や葉が芽生えてきます。
葛を取り除いた後、草刈機で綺麗にした急斜面
葛は、藤に似た綺麗な紫色の花を咲かせます。そして、モロッコインゲン位の大きさの豆が実りますが食用にはできません。なかなか防除が難しい厄介な雑草です。なお、地下茎には良質な澱粉が貯蔵されています。この澱粉を取り出したものが葛粉(くずこ)です。
草刈り前の、小屋に通じる坂道 草刈り後の、小屋に通じる坂道
今は10月、これからどんどん冬に向かって寒くなります。これからは雑草も伸びないので、次にこの急斜面を草刈りするのは5月頃になります。その前の4月、この斜面は綺麗なタンポポなどが咲くお花畑になります。
草刈り前の小屋前 草刈り後の小屋前
山梨県上野原市の棡原(ゆずりはら)から甲武トンネルをぬけると、そこは檜原村です。この村も30年ほど前によく訪れていました。当時、私はこの村北部に住んでいる古老所有の急斜面の畑を借りていました。そこで、狭いながらも雑穀などを栽培していました。そして、その古老からこの地域特有の農法を勉強させてもらいました。今回は、その古老の家ではなく、私が二十歳代の頃に浅間嶺に行く時に上り下りしていた時坂峠に行ってみました。時坂峠を訪れたのは30年ぶりでしょうか。
甲武トンネルをぬけるとそこは檜原村、渓谷の下り坂
時坂峠に着くまでの30分位、左右に曲がりくねる道路を通りぬけました。この道路の途中、石の碑文を見つけました。休憩がてら立ち止まって見ると、天保14年の年号があり大きな文字で「寒念仏」と彫られていました。寒念仏とは、お坊さんが冬の30日間、明け方に山野に出て声高く念仏を唱える行事のことのようで、のちには村人も念仏を唱えたとか。この地域は江戸時代に念仏が盛んだったようです。また別の碑文には、明和5年の年号で「百番塔」と彫られていました。
石の碑文があった通り傍 「天保14年 寒念仏」の碑文
檜原村にある払沢の滝(日本の滝百選)に入る道をどんどん登ると時坂峠に出ます。かつて浅間嶺に数馬から登ったときにこの峠から降りたことがあります。疲れてこの峠で休んだときに、峠をぬけていく涼しい風に体が癒されたことがありました。江戸時代など古来、山の道は多くは尾根道を通っていました。沢筋の道は大雨などで崩れやすかったため、安全な時坂峠のような尾根道が主道でした。古来の道の多くが、今では登山道として使われています。
伐採され植林された、時坂峠近くの山の斜面
時坂峠をどんどん登って行くと、以前とは様変わりしていました。一番驚いたのは、山の斜面が切り開かれて木々が伐採されていたことでした。伐採されたばかりのはげ山、伐採された後に植林された山などが混在していました。山の木々が伐採されたため、見通しが良くなっていました。都心方面を見ると、なんとか都庁ビルを確認できました。東京タワーらしき尖ったものも見えました。
明るい木々に囲まれた山道 伐採されたばかりの山斜面
伐採された山を見ていた方とお話をしました。すると「伐採してもお金にならず、むしろ赤字だ。山で働く人の日給が1万5千円近くして、とても黒字にはならない。」、そして「伐採するのは環境のため。」だとか。林業関係の方か、地元の方なのでしょうか。
伐採されて何もない斜面と、伐採されなかった木々の境面
伐採された明るい山の斜面道をどんどん登って行くと、懐かしい「峠の茶屋」に着きました。この茶屋前にある椅子に座ると、檜原村の北に連なる山々がよく見えます。そして、この山々に点在する小さな民家が見えました。30年ほど前でしょうか、民俗調査で一軒一軒を訪問したことがあります。そして古老からいろいろなお話を聞くことができました。
峠の茶屋から見た山々 峠の茶屋、簡易食堂有り
砥ぎ師をしていた古老の話がとても面白かったことを覚えています。今では考えられませんが、明治大正時代の頃、その方はこの檜原村を中心とする山々を歩きながら砥ぎ師をしていたとのことでした。砥ぎ師とは、鎌や包丁など刃物を主に砥ぐことを仕事としている人です。山道を歩きながら一軒一軒を訪問しながら砥ぐ仕事をしていたようです。昔、そんな仕事があったのですね。
檜原村北部に広がる雄大な山脈
山道を歩きながら一軒一軒を訪問するのは砥ぎ師に限らなかったそうです。そのような人々は、村に散らばる地区と地区の情報伝達の役目もあったそうです。そして、注文を受けて届けることもしていたようです。この話を古老から聞いて、中国映画の「山の郵便屋」を思い出しました。かつての江戸,明治時代の日本にも、この「山の郵便屋」に近い役割を担っていた人がいたんですね。
峠の茶屋から北側に見える山全体
峠の茶屋ではのんびりと椅子に腰掛けて、檜原村の山々を歩いた思い出をたどりました。何十回もこの村には通いました。そして、この村固有かも知れない雑穀などの種をいただきました。いただいた貴重な種を絶やさないように、毎年のように種をまいては更新しています。
峠の茶屋で一時間ばかり休むと、もと来た時坂峠を下りました。30年ほど前、この峠沿いには茅葺の民家が沢山ありました。今回その茅葺の民家を期待していましたが、茅葺の民家はたった一軒しか残っていませんでした。残った一軒の茅葺も相当傷んでいました。残念ですが、あと10年もすれば茅葺民家は無くなると思われます。
残っていた一軒の茅葺民家、茅には草が生え苔むして相当傷む
山梨県上野原市に行くようになったきっかけは、上野原の奥にある棡原(ゆずりはら)とさらに山奥にある西原(さいはら)です。都心からこの棡原や西原に行くためには、どうしても上野原を経由しなければならないからです。山深い棡原は昔は長寿の里と知られており、私は30年位前から棡原や西原を訪れていました。
上野原から棡原(ゆずりはら)へ向かう途中、沢沿い古道脇の民家
30年位前、棡原よりさらに山奥にある西原地区の古老と親しくなり雑穀などの栽培を何度か手伝ったことがありました。この古老は、稗,粟,黍,穂モロコシ,シコクビエなどの雑穀を栽培していました。家は茅葺屋根の伝統的な家屋で、昔ながらの火を使う古風な囲炉裏がありました。残念ながら、その古老は10年ほど前に亡くなりました。
沢筋を通る古道を見下ろして 20年ほど前にできた長寿館
棡原から西原へは往復一時間以上かかります。このため今回は西原には行きませんでした。棡原に到着すると、20年ほど前にできた長寿館に寄って休憩しました。長寿館には食堂があり地元の物産などを売っています。ここで少し休憩をとり、上野原で買えなかった酒まんじゅうを10個ばかり買いました。旅行客や地元の人がたくさんいました。
山肌の急斜面に、肩を寄せ合うように軒を並べて建つ民家
長寿館では、酒まんじゅうのついでに、直径1cm程度の小さなジャガイモで作る伝統食「たまじ」を買いました。直径1cm程度のジャガイモは捨てることが多いのですが、この小さなジャガイモを無駄にしないための工夫料理です。この「たまじ」、なかなか売っていません。買えてラッキーでした。
お年寄りは畑仕事で高い斜面を毎日上り下り、それが長寿の秘訣とか
甲武トンネル近くの休憩所で休んでいると、マラニック競技をしている方たちとすれ違いました。お話を聞いて、こんな競技があることを初めて知りました。お話を聞くと檜原村から上野原に向かうコースのようです。「甲武マラニック」とか。
山上から長寿館を見下ろして 甲武マラニック競技中の方々
後で調べたところ、この「甲武マラニック」に参加した人たちは、JR武蔵五日市駅をスタートして、檜原村を経由、甲武トンネルを抜け、上野原を通って、藤野への約45キロを走歩したようです。私は高校生の頃、マラソンが好きで運動会などに率先して出ていました。私に向いている競技かも知れません。
甲武トンネル近くの休憩所から見た富士山
甲武トンネルは30年位前に開通しました。それまで、上野原と檜原村は山を越えなければ行き来できませんでした。その当時の私は、八王子の和田峠を越えて上野原に出てそこから棡原から西原に行っていました。このトンネルができてから、五日市から直接棡原に行けるようになりました。今回は、相模湖から上野原経由で棡原に行き、さらに檜原村を通って五日市に行き、そして八王子に帰りました。
檜原村に向かう苔むした崖下道 30年位前開通の甲武トンネル
久しぶりに山梨県上野原市の棡原(ゆずりはら)と檜原村に行ってみることにしました。上野原へ行ったのは、3年前に奥多摩経由で通過したきりです。今回は津久井湖,相模原湖を経由して行きました。途中通った相模湖にはいろいろな施設があります。今は名前が変わりましたが、相模湖ピクニックランドがあり、登山好きな私がよく登った石老山があり、ボーイスカウトの副隊長をしていた頃に子供達をよく連れて行った相模湖休養村キャンプ場などです。とても懐かしい場所です。
旧相模湖ピクニックランド 相模湖休養村キャンプ場
相模湖ピクニックランドは、名前が変わって相模湖リゾート プレジャーフォレストになっていました。経営者が変わったかのかも知れません。相模湖湖畔にある相模湖休養村キャンプ場は誰もいませんでした。このキャンプ場は、相模湖から牧野方面へ行く道沿いにあります。石老山の下山口でもあります。この土日曜日に誰もいないので、もしかして閉鎖されたのかも知れません。
子供達20人近くをを連れて歩いた、相模湖休養村キャンプからの往復路
旧相模湖ピクニックランドを過ぎると、すぐに相模湖が見えてきます。湖面を見下ろすと、何隻ものボートが浮かんでいるのが見えました。この湖は比較的大きいので渡船場があります。相模湖畔でお祭りがあったのでしょうか、人手が多くとても賑やかでした。
何隻ものボートが浮かんでいた相模湖
相模湖を過ぎると甲州街道に出て、ひたすら上野原に向かって進みました。上野原では必ず酒まんじゅうを買います。今回も買うつもりでしたが、どう言うわけかどのお店も閉まっていました。街全体が静かで渋滞もありませんでした。中央高速道への出入り口がある甲州街道沿いの街のため、いつもは渋滞するのですが。
相模湖を渡る橋、この橋を渡るとすぐに甲州街道と交差