故障したブロックコンデンサは、40μF(耐圧250V)が3個内包されていました。今更秋葉原に行くのは時間と費用の関係でとても無理です。そこで、インターネットの通信販売で探しました。しかし、同じ規格のブロックコンデンサはありませんでした。そこで、100μF(耐圧500V)の電解コンデンサを3個購入することにしました。
故障したブロックコンデンサを取り外したシャーシの穴
今の通信販売は手数料などが少々高いのですが、届くのがとても早くて助かります。しかも、近くのコンビニで受け取れるのです。購入契約して2日目には、そのコンデンサが届きました。早速修理を開始しました。まずは、故障したブロックコンデンサを固定するアルミの輪を外しました。そして、その輪に、届いた電解コンデンサ3個をはめ込みました。
固定するアルミ輪を外す 輪にコンデンサ3個をはめる シャーシに取り付け
次に、故障したブロックコンデンサが元々あったシャシーの穴に、電解コンデンサ3個を取り付けました。そして、絵を描いて記録していた配線図に従って、線を元のように半田付けしました。これで、平滑用ブロックコンデンサの修理は終わりです。
絵を描いて記録していた配線図に従い、線を元の位置に半田付け
三角はマイナス(アース)端子、〇はブラス端子
次は修理が完了したことの確認のため、100V電源を入れた後の電解コンデンサのマイナス(アース)端子とブラス端子の電圧を測定しました。すると、三つの端子はどれも約230Vでした。その後、3時間程度電源をつけっばしにしてFM放送を聴きました。特に異常はありませんでしたので、修理は成功のようです。ただ、ボリュームを回転するときのガリガリ音や微妙に音質が良くありません。今後は部品交換や調整が必要ではないかと思います。とにかく、展示会に間に合って良かった。やれやれ!
修理箇所の電圧を測定 裏蓋をネジ止め 修理完了のレシーバ
10月から郷土館で真空管に関わる歴史展示会をします。そのための準備で大忙しです。展示ブースは大きく分けて三つです。一つは、真空管ラジオなどの発展の歴史展示です。一番単純ゲルマニウムラジオから始まって、三球ラジオ、スーパーラジオ、そして真空管式ポータブルラジオなどを展示します。その中には、世界一小さな豆粒ほどの大きさの真空管もあります。マジックアイ,蛍光表示管,計数用デカトロン,ブラズマボールなどの特殊用途の真空管も展示します。
正面のブースは各種真空管オーディオ、昭和30~40年代の懐かしいレコードも展示
正面のブースは真空管オーディオ装置を展示します。今のところ三~四台の真空管アンプを聴き比べできるようにします。珍しいコンデンサヘッドホン専用真空管アンプも展示します。また、懐かしいLPやEP版のレコードも数多く展示し、指名のレコードを聞くことができるようにします。
三っ目のブースは無線に関わる歴史や真空管無線機を展示します。無線機の名器を展示し、実際にモールス信号を操作し聴くことができます。良い展示会になるかどうか、夜も落ち着いて寝ることができません。昨日の夜も数時間しか寝ず、展示する年譜資料を作りました。はーやれやれですが、10月になれば落ち着くでしょう。
真空管無線機を展示するブース 真空管ラジオの歴史ブース
修理が完了したと思って、エージング(長時間動作チェック)をしていました。朝から何時間も電源を入れたままにして、動作に異常がないか、ちゃんと音が出るかなどの一種のストレステストをしていました。FM放送局からの音楽を鳴らしていると、レシーバから奇妙な音が聞こえてきました。「シューシュー」こんな音です。
このあたりから煙が コンデンサから異音が なんと電解液が漏出
どこから音が出てくるのか分からないので、さらにそのままにしておきました。すると、レシーバの中から煙が出てくるではありせんか。これはまずいと、すぐに電源を切りました。そして、レシーバの蓋を外して調べました。すると、電源部のブロックコンデンサ(電解コンデンサ)が熱を持ち電解液が染み出ていました。さらに、その電解液が机の上の溜まっていました。これは、明らかにブロックコンデンサの故障です。
故障した平滑用ブロックコンデンサ、端子が電解液で白く
(四角はブラス端子、三角はマイナス端子)
とにかくこの電解コンデンサを交換するしか修理する方法がありません。修理に備えて、端子と電線の配置を図面に描きました。そして、端子からすべての線を取り外しました。そして、故障したブロックコンデンサを取り外しました。
エージングテストをして正解でした。私は、かつてテレビ製造工場にいたことがありますが、完成後必ずエージングテストをしていたように思います。この時の経験が役に立ちました。故障したブロックコンデンサを注文することにしました。
端子と配線の配置を図面に描く 故障したコンデンサから線を外す
雲行きが怪しくなった空を見上げながら、次の訪問地である三輪神社に行きました。犬田の最西端は光市三輪に接しています。その場所には小さな川が流れており、橋が架かっています。その橋を越えると光市です。その橋から300m位歩くと、三輪神社に行く坂道が見えてきます。その坂道を登りました。
三輪神社の長い石階段 最後の石階段上に三輪神社 畏れおおくも本殿内に
下見の時は、三輪神社に向かう本来の参道を登りました。しかし、草が生い茂っていて歩行困難でした。そのため、今回は最初から神社に向かう車道を登りました。そして、途中からの石階段だけは歩いて登りました。その頃から、雨が降り始めました。
三輪神社で雨が上がるのを待つも、白い粒は雨粒
予定では、神社の境内で休憩する予定でした。しかし、だんだん雨が激しくなったため、畏れおおくも本殿内に上がらせていただき雨宿りしながら休憩しました。神様にお礼と言う訳ではないのですが、いつもより多くお賽銭をご奉仕しました。1時間位雨が弱まるのを待ちましたが、むしろ雨は強まる気配でした。
全員雨具に着替え 雨の中、神社を出発 濡れた道をトボトボ下る
雨が弱まらないため、今回は予定のコースを大幅に短縮することに決めました。三輪神社を降りると、史跡を巡りつつ一直線に城南公民館に戻ることにしました。ところで、雨具を忘れた方が少なくありませんでした。そのため、ビニール風呂敷などをマントのように羽織るなどしていただきました。ウォーキングでは、帽子、水、弁当、そして雨具は必須です。雨が降らなくても必ず雨具を持参していただくよう声掛けしました。
三輪神社を降りてしばらくして雨脚が弱まる
コースを短縮したため、予定にはなかった史跡を巡って城南公民館に向けて一直線に戻りました。予定になかった史跡は、防陽八十八ヵ所霊場の三十五番稱名院です。最初から予定にしていれば、市集会所内に安置されている木像を拝顔するよう手配したのですが、今回は山門やその傍の地蔵尊を見学するだけにとどめました。
防陽八十八ヵ所霊場稱名院 養鯉場内の錦鯉 平和七十七霊場大師堂
その他、コース短縮に伴ってTさんが経営する養鯉場の錦鯉を急遽見学させていただきました。近々新潟県で行われる品評会に錦鯉を持って行くそうです。Tさん、予約もなしに訪問してすみませんでした。続いて、平和八十八ヵ所霊場の七十七番大師堂に寄りました。その後、終点の城南公民館に向かって歩きました。
今回は予定外の雨のため、コースが大幅に変わりました。皆さん怪我もなく無事に終点の城南公民館に着けて良かったです。お疲れ様でした。
今回ウォーキングしたコース、雨のため大幅にコースを短縮
8月はウォーキングをしなかったため、2ヶ月ぶりのウォーキングでした。今回は、光市に接する田布施町城南の犬田地区の史跡を中心に歩きました。天気予報では午後遅くから天候が悪くなるはずでした。しかし、昼から雨が降り出しました。そのため、予定のコースを大幅に短縮しました。
犬田大師堂から八十八ヶ所 三十三ヵ所目の地蔵尊 旧一番の磨崖仏に向かう
城南公民館に10時に集合して、参加者17名で出発しました。一路、城南犬田(いんだ)に向かいました。途中、お地蔵様を見たり、岩でできた御旅所などを見学した。40分位でしょうか、歩き続けると犬田大師堂に着きました。隣に犬田集会所があります。この犬田大師堂から、山の中を八十八ヵ所のお地蔵様巡りスタートです。ちなみに、犬田大師堂前に一番と二番のお地蔵様があります。
江戸時代、旧一番ヵ所のお地蔵様だった磨崖仏を見学
山の中をどんどん進むと、次々にお地蔵様が現れます。そして、江戸時代まで旧般若院が置かれていたのではないかと推測される、三十三ヶ所目のお地蔵様がある広場に着きました。この広場から旧往還道に降りて、磨崖仏が掘られた大岩に向かいました。
岩に彫られた磨崖仏 八十八ヶ所後半を巡る 八十八ヶ所目の地蔵尊見学
草が生い茂る旧往還道を行くと、大きな岩が見えてきました。この岩に磨崖仏が掘られているのです。その岩に「一番ヶ所 末岡友蔵義和」と彫られています。年号が無いのでいつ掘られたのかは分かりません。江戸時代、末岡家は庄屋をするなど豪商でした。江戸時代の記録にその名前があるかも知れません。調べてみようと思います。なお、宝塔も掘られていましたが、魂を抜いたのか文字が削られているように見えました。
スタートした犬田大師堂に戻る
明治初期の廃仏毀釈令で犬田地区は混乱にあったようです。今回ウォーキングした犬田八十八ヵ所のお地蔵様は、明治初期に移設された形跡があります。元々は旧般若院傍の磨崖仏を一番ヶ所とした八十八ヵ所を、明治初期に犬田大師堂が一番ヶ所になるように移設したようです。そのため、たくさんのお地蔵様が今の位置に移されたように見えます。お地蔵様の順番や間隔などに統一性がないことがそれを物語っています。また、旧般若院にあったお地蔵様が、犬田大師堂に移されたとの記録が残されています。
犬田大師堂に戻り休憩、この頃から天候下り坂
今年は、郷土館などの仕事が新たに入ったため、嵯峨音頭の手伝いがほとんどできませんでした。年に一度は手伝いをしなければと思い、24日久しぶりに麻郷小学校の運動会に行きました。快晴の運動会日和でした。なお、麻郷嵯峨音頭は、太鼓や踊りは嵯峨音頭と同じです。口説きを麻郷版にしたものが、麻郷嵯峨音頭です。
仕事の関係で去年は運動会の予行演習しか行けませんでした。しかし、今年は運動会が延期となり、しかも仕事が無い日でしたので行くことができました。ラッキーでした。主に麻郷嵯峨音頭の手伝いをしました。
延期で24日になった麻郷小学校運動会、今日は快晴の運動会日和
ところで、私が子供の頃の運動会と比較してみました。まず、昔は地区ごとに場所が決まっておらず、早い者勝ちだったように思います。そして、テントはなく地面に筵かゴザを敷いていました。種目もずいぶん変わりました。昔は、小学生が競争や演技をし、麻郷幼稚園の子供達がお遊戯をしていました。しかし今、地域の方々の参加できる種目、例えば玉入れなどが増えました。そもそも昔は、地域対抗の運動会が小学校の運動会とは別に行われていました。
会場の東側保護者席 主催の先生や来賓者席 会場の西側保護者席
麻郷小学校に着いてしばらくすると、綱引きが始まりました。綱引きの次が麻郷嵯峨音頭です。私を含め関係者は太鼓などの準備をしました。運動場中央にすぐに持ち込めるように、太鼓をトラック傍に置きました。
麻郷嵯峨音頭の準備 太鼓などの準備完了 太鼓を運動場中央に配置
綱引きが終わると、すぐに太鼓を運動場中央に運びました。太鼓を置くシートが張られると、その上に太鼓を並べました。そして、合図の元、麻郷嵯峨音頭の開始です。最初、数節の太鼓を叩き、続いて口説きが始まり、その直後踊りが始まりました。
数節太鼓を叩いてから、麻郷嵯峨音頭の開始
平生湾周辺が荘園だった頃、京都嵯峨で流行っていた念仏踊りが当地に伝えられ、それが嵯峨音頭の由来とのこと。現代音楽のような音律ではないため、最初とっつきにくいです。太鼓の節も、踊りも独特です。また、伝えられてから数百年経ったため、踊りや太鼓に地域差があります。特に、田布施と平生などでは少し違います。例えば、平生町曽根の嵯峨音頭は田布施の嵯峨音頭と太鼓も踊りも少し違います。光市伊保木は踊りは同じでも叩き方が2種類あります。なお、麻郷以外は口説きが「那須の与一」か「海老やの甚句」です。昔は、口説きにもっと多くの種類がありました。
小学生の間に地域の方々が混じり、麻郷嵯峨音頭を踊る
由緒ある嵯峨音頭、柳井市伊保庄では絶えたらしく、平生町佐賀では録音による踊りになってしまいました。古来から伝承された嵯峨音頭、今のところ、光市伊保木、平生町、そして田布施で踊られています。今後も伝承され続けることを願っています。
嵯峨音頭の片付け 太鼓を軽トラに乗せる 麻郷公民館に収める
5年ほど前に購入したノートパソコンが、最近やたら遅くなったきました。いつの間にかWindows10に入れ替わってから目立つのです。遅い時には1文字入力するのに数秒かかる場合があるのです。イライラのしどうしです。ところで、隣の部屋で使っているデスクトップパソコンはいつものようにすらすら動くのです。そのため、インターネット環境が悪いわけではないようです。
購入したメモリ4G x 2 ノートパソコンの裏蓋を外す メモリを取り外す
無駄なファイルを削除したり、ハードディスクをクリーンアップしたりデフラグしたりと、いろいろ手を尽くしましたが一向に改善しません。いろいろ考えていると、改善する一つの方法にはたと気が付きました。それはメモリ容量を増やすことです。今は4Gです。これを増やすのです。
取り外したメモリ2G x 2 購入したメモリ 4G x 2
さっそく、近くの電気屋さんに行きました。パソコンの型名を言って交換できるメモリを探してもらいました。ところが、探しているメモリはペア2個でないとダメなのですが、1個しかないとのこと。困っていると、店員さんがどこかに消えてしまいました。しばらくして店員さんが、メモリを手に戻ってきました。倉庫のどこかにあったようです。あって良かった。
購入したメモリ4G x 2をメモリスロットに差し込む
我家に帰ると、すぐにノートパソコンの裏蓋を外して、2Gペア2個を外しました。その空いたスロットに購入した4G x 2を差し込みました。そのパソコンを立ち上げて、メインメモリを確認しました。すると、7.8GBと表示されていました。メモリ交換成功です。その後は、以前よりも快調にノートパソコンが動くようになりました。メモリ代約12k円は想定外の出費でしたが良かった。
メモリ交換後浦蓋を閉じる 新しいメモリ容量を認識
中学高校の同級生のI君の家に、展示会で披露する真空管アンプなどを借りに行きました。その時、I君が仕掛けた罠にイノシシがかかったとのことでした。これから戸殺処分するとのこと。テレビ放送で戸殺を見たことがありますが、実際に見たことはありません。同行させてもらい見学することにしました。処分する道具を一式揃えると、罠がある山に向いました。
処分のための道具一式 罠の場所に向かう 途中Nさんと合流
山に向かっている途中、Nさんと合流しました。Nさんは、中学高校同級生のお兄さんです。山道を進むと山のふもとにその檻がありました。檻の中には体重30kg位の中型のイノシシがいました。口が血だらけでした。檻から出ようと何度も鉄柵にぶち当たったのでしょう。
山のふもとに置かれた檻、中にイノシシが
戸殺処分の手順はだいたい知っていましたが、その道具を見て触るのは初めてです。最初、12Vから100Vに昇圧するインバータに電線が繋がる棒をイノシシの前に差し出しました。すると、イノシシは怒ってその棒の先端に噛みつきました。その瞬間に100Vの電圧を棒の先端に通じるのです。するとイノシシは感電してヒクヒクと硬直しました。しばらく感電させて静かになったころを見計らって、イノシシを槍で深く突いて戸殺しました。
12V>100Vインバータ 棒の先端に嚙みつかせる 槍でイノシシを突く
イノシシが死ぬのを確認すると、いったん檻の外に出して合掌しました。その後、I君は写真を撮りました。昔はイノシシの尾を切り落として提出すれば良かったのだそうですが、今は写真を撮って証拠にするそうです。※戸殺中の画像は、人によってはショックを受けると思われます。そのため、画像は載せませんでした。また一部にモザイクをかけました。
絶命したイノシシを檻の外に出す
ところで、イノシシは古代の日本人にとって貴重な食料の一つでした。埴輪に作られるほどです。東京多摩センター近くにある埋蔵物文化センターには、縄文時代の遺跡かたくさんあります。その遺跡の一つに、イノシシを狩猟するための道具が展示されています。現代、イノシシを捕まえるのは檻が主流です。しかし、1万年前の縄文時代は落とし穴が主流でした。山のあちこちの獣道に落とし穴が作られていたのです。その落とし穴の底に、上を向いた棒が何本も刺してありました。落とし穴に落ちたイノシシや鹿などの獣は、棒の上に引っかかって足を空中でバタバタさせます。そんな獣を、上から槍で突くのです。
合掌し、証拠の写真を撮る
その後、イノシシを解体する場所に運びました。私は借りた真空管を郷土館に運ばなければならないため、解体を見学する時間がありませんでした。そのため、I君達とは別れました。
ところで、私が八王子市の団地に住んでいた頃、山で捕らえた山鳥(鶏位の大きさ)を解体したことがあります。その様子を、8歳位だった娘に見せたことがあります。娘はその事を覚えているでしょうか。最初は見るのを嫌がっていましたが、そのうち興味深そうに覗き込んでいました。もし覚えていたら、良かったのか悪かったのか、その感想を聞きたいものです。
元来た山道をイノシシを運ぶ このあと所に運ぶ
この古い松下製トランジスタラジオ AT-110の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理(1/6) 修理(2/6) 修理(3/6) 修理(4/6)
修理(5/6) 修理(6/6)
台風16号の影響で、雨が降ったり止んだりでした。そのため、草刈りを止めて、久しぶりにトランジスタラジオの修理をしました。前回接触不良を修理したため、音はなんとか出るようになりました。しかし、音が小さい不良が残っていました。その不良個所を探すことにしました。
トランジスタラジオ AT-110の修理中
不良個所を探そうと基板を動かしていると、プツツリと音が出なくなりました。原因を探すと、やはり電源からの線が一本切れていました。その断線を半田で繋いでから、再び不良個所を探すことにしました。やれやれ。修理中に何度も基板を動かして裏表にするので、線がどうしても切れやすくなるのです。
切れてしまった電源線 半田で電源線を繋ぐ 電解コンデンサチェック
電源線を繋げると、再び小さいながらも音が出るようなりました。そこで、音が小さい原因の探索に入りました。このような場合、原因は低周波増幅初段の結合コンデンサAかバイパスコンデンサBの容量低下がほとんどです。そこで、シグナルインジェクタから信号をコンデンサに注入してみました。
シグナルインジェクタの電源ON 結合コンデンサAに信号注入
すると、結合コンデンサの入力側で音が小さくなるのです。つまり、結合コンデンサの容量低下の疑いです。念のため、結合コンデンサの両端に同じ容量のコンデンサを当てると、音が大きくなりました。バイパスコンデンサはほとんど変化ありません。結合コンデンサの容量低下に間違いありません。しかしながら、同じ形の電解コンデンサの手持ちがありません。11月に東京に行った時、同じ容量で同じ形のコンデンサを購入しようと思います。
容量低下故障の結合コンデンサA、同じ形のものが無いため11月修理
午前中は台風16号のため、ひどい大雨でした。しかし、台風は太平洋沿いに抜けたようで、昼からは雨が止み夕方近くには晴れてきました。そのため、昨日から止めていた畑の草刈りを再開しました。今回は我家前の庭を草刈りしました。夏の間、歩く場所だけしか草刈りしていませんでした。それ以外の山際などを草刈りしました。午後5時頃、ちょうどガソリンが無くなりました。そのため、草刈りを止めて長ネギ(小ネギ)の収穫をしました。
長く伸びた長ネギ 1掴みの長ネギ収穫 根元の土を切除
長ネギは雑草に強いのでしようか、雑草をもろともせずに育っていました。今日明日のおかず用に、一掴み分の長ネギを引き抜きました。そして、根や土を取り、枯れた葉などを取り去りました。最後に水で洗うと、おいしそうな長ネギとなりました。今夜は味噌汁に入れて食べようと思います。
収穫後、土を取るなどして最後に水で洗った長ネギ
台風16号がやってくるため、朝から天気が悪く午後からはずっと雨です。雨が降らなければ草刈りでもしようかと思っていましたが、雨では何もできません。そのため、雨の中傘をさして畑の中を散策してみました。そして、春に植えたいろいろな植物を観察してみました。
穂が雨に濡れた砂糖モロコシ 赤い穂が大きくなったアマランサス
まずは雑穀類の畑を回りました。雑穀は秋に実を収穫するものが多いため、ほとんどの種類が穂が出ていました。甘い茎をかじって楽しむ砂糖モロコシも大きな穂が出ており、穂に雨の滴が付いていました。そして、実が粟よりも小さなアマランサスも赤く大きな穂が出ていました。実はとても小さいのですが、無数の粒が収穫できます。アマランサスの実は、火で煎ると小さな粒がプチプチはねます。
だいぶ熟してきたシコクビエの穂、あと2週間後に収穫
雨の中、白い穂のシコビエが目立ちます。シコビエは害虫アワノメイガにとても弱いのですが、今年はアワノメイガに食害されていません。トウモロコシに被害が出ていますので、害虫はトウモロコシの方に行ったのでしょう。アワノメイガは、シコクビエよりもトウモロコシの方が好きなのかもしれません。来年、シコクビエの隣にトウモロコシを捨てる覚悟で育てれば、シコクビエの害虫被害が少なくなるかも知れません。
独特の形をした稗の穂 陸稲(うるち種)の穂
い
続いて、稗畑に行ってみました。すると、夏に害虫が発生していましたが、今は収まっているようです。大きな独特の形をした穂が出ていました。この稗は、田んぼに雑草として生える稗と勘違いされます。私が栽培しているのは、食用の稗で実も穂も巨大です。ただし、飢饉対策用の穀物のため美味しくはありません。一昨年までよく作って食べていた陸稲(うるち種)も穂が出ていました。今年は種継ぎ用に栽培したため食べません。
今の季節、真っ赤な花が眩しいヒガンバナ(曼珠沙華とも言う)
各種雑穀類を見た後、花が咲いていないか畑内を散策しました。すると、今の季節一番目立つヒガンバナが咲いていました。毒々しいほどの赤が乱舞していました。続いて、春に苗を植えた藍につぼみが付いていました。もうすぐ花が咲きます。今年はその種を収穫して、来年まこうと思います。また、夏に苗をいただいたフジバカマにつぼみが付いていました。花が咲けばうれしいです。次に、不思議な赤い花が咲いていました。種をまいた記憶がないので、何らかの雑草の花ではないでしょうか。
タデ科の藍のつぼみ フジバカマのつぼみ 何の雑草の花?
この夏の猛暑でなかなか草刈りができませんでした。そのため、あちこちの畑の草が伸び放題になっています。仕事の合間をぬっては草刈りをしています。今回は、先日天日干した小麦を脱穀した元小麦畑の草刈りをしました。
元小麦畑の脇は、子供の背丈ほどに雑草が伸び放題
チップソーで草刈りした方が効率的なのですが、今回も紐で草刈りしました。草の背が低いときは紐でも効率的に刈ることができますが、今回のように子供の背丈ほどに草が伸びていると工夫が必要です。草の上から2~3段に分けて刈る必要があります。最初から根元を狙って刈ると痛い目に合います。紐に草が絡まって草刈機の回転が止まることがあるからです。
草刈りの途中、時間をかけてゆったりと刈る
チップソーで刈ると30分もかからないと思いますが、私は紐で2時間近くかけて刈りました。ご苦労さんなことです。紐式はとても時間がかかることが一番の欠点ですが、刈跡がきれいなことです。そのため、次の日には耕耘機でそのまま耕すことができます。チップソーで刈った畑は、いったん熊手で刈った草を集めなければ耕運機で耕せません。
草刈りを終えた頃、Emさんが犬と散歩しながら通りかかりました。Emさんと少し談笑した後、草刈機などを一輪車に乗せて家に帰りました。疲れました。でも、まだまだ刈らなければならない畑が山ほどあります。さらに、山の笹も刈らなければなりません。やれやれ!疲れる毎日です。
やっと、元小麦畑脇の雑草を刈り取り
上関町の「鳩子の湯」に時々行きます。ただ行って帰るのでもったいないと思い、今回は相ノ浦方面を大回りして帰りました。そこで、前から気になっていた神社をお参りしてきました。道路横に立派な鳥居が目立つ千葉稲荷社です。鳥居の前に車を置きました。少しばかり小雨が降っていたため傘をさして行きました。
鳥居が立派な千葉稲荷社 多くの鳥居をくぐる やや崩れかけた道
鳥居の両脇を固める狐像を見てから、鳥居内をくぐり道を進みました。稲荷社らしくたくさんの鳥居がありました。それらの鳥居をくぐると、山を登る道が現れました。その崩れかけて不安定な道をどんどん登っていくと本殿でありました。比較的新しい建物のようでした。新規に立てたのか改築したのでしょう。
山道を登りつめた場所に現れた千葉稲荷社の本殿
その本殿の周りを見学すると、自然石を使った石垣の上に本殿があることに気が付きました。自然石は適度に苔むしており、周りの自然に溶け込んでいました。あちこち回りを散策すると、さらに上の方に赤い社があることに気が付きました。その社に登ってみました。
木々に溶け込む石垣 ずっと上の方にお社が 突端にある真っ赤なお社
お社に登って振り返ると、なかなかの絶景です。真横に皇座山がそびえていました。そして、その頂上のこちら側に小さな白雲稲荷大明神が見えるではありませんか。もしかして、この千葉稲荷社は白雲稲荷大明神の分社なのかもしれません。さらに視界をそらすと、平郡島などが見えました。天気が良いと四国が見えたに違いありません。
お社から見えた瀬戸内海、晴れていればもっと絶景
時間が空いた時、来月展示して音を出す真空管式レシーバの修理をしています。前回はどこが故障しているのか特定しました。それはスピーカ出力段の位相変更スイッチです。今このようなスイッチは無いのではないかと思います。今回は、そのスイッチを修理しました。
故障した位相変更スイッチ 位相変更スイッチの構造 装置の裏蓋を外す
最初、その故障したスイッチを外すことにしました。そのため、レシーバの裏蓋を外しました。そして、スイッチを止めている2個のネジを外し、スイッチを手元に持ってきてよく観察しました。そのスイッチは片側のスピーカの位相を180度逆転する働きがあります。レコードプレーヤやブリアンプなどの+-接続を誤ることがあります。素人ならよくありそうな接続誤りです。そのような場合、接続を直さなくてもこのスイッチを使えば簡単に修正することができるのです。
歪んだ位相変更スイッチ なんとなんと!ポロリとスイッチが分解
その位相変更スイッチを手に持つと、歪んで隙間が空いているではありませんか。そして、スイッチを押してみると、なんとなんとスイッチがポロリと二つに分解してしまいました。これでは接触不良がおきて当たり前です。長い間このレシーバを使っていて、このスイッチが歪んでしまったのでしょう。つまみを強く押しながらスライドさせると、このような故障が頻発しやすいスイッチなのです。
ベンチを使って、スイッチのかしめ部分を修理
ところで、このスイッチは構造が簡単なため修理は容易です。弱くなって外れやすくなっていたかしめ部分をベンチなどで元の状態に戻すのです。なお、これまでに直したスイッチのうちトランジスタラジオの中短波切り替えスイッチの修理が一番大変でした。
直したスイッチを2個のネジで取り付け プレーヤーとスピーカを取り付け
直したスイッチをレシーバ本体に取り付け直すと、治っているかどうか確かめるためプレーヤーとスピーカを取り付けました。そして、EPレコードやLPレコードをかけて聴いてみました。すると、右と左から正常に音が出てくることを確認しました。ただ、50年以上前の真空管製品ですので、多少音が歪んでいるのは仕方ありません。また、左右音量バランスボリュームからひどいガリ音が出ます。これから10月にかけて、エージングしながら良い音がでるように調整しようと思います。
EPレコード「天地真理」を聴く LPレコード「フォーク集」を聴く
やっと白菜と大根の種まきができました。白菜の品種は王将で、晩生です。種袋を読むと、種まきの推奨時期は9月上旬となっていました。遅かったものの、ぎりぎりOKかなと思います。また大根の品種は耐病干し理想で、種まき推奨時期は9月上中旬でした。これまたぎりぎりOKでした。
耕耘機で耕し肥料散布 黒マルチで畝を被覆 白菜,大根の種袋
まず始めに、今年の春夏に収穫した絹さやエンドウ豆やインゲン豆の畝を耕しました。残渣を取り除き、豆を支えていた竹の枝も取り除きました。この竹の枝はこの秋にたき火で燃やします。そして、雑草を綺麗に刈って取り除きました。次に、耕耘機で何度も往復して耕し畝を作りました。
寒冷紗で被覆できるようU字の竹を刺して種まき
畝が出来上がると、黒マルチを畝に張って種まきする穴を開けました。続いて、U字の竹を刺しました。そして、種袋から大根と白菜の種を取り出して、所定の数だけまきました。まいた後、土を薄くかけました。白菜と大根は発芽が早いので、遅くとも5日後には地面に芽が出ると思います。
種まきが終わると、白菜の種をまいた畝に寒冷紗を被覆しました。大根の種をまいた畝は寒冷紗で被覆しませんでした。今年も、美味しい白菜と大根が収穫できるでしょうか。白菜は今年も漬物にしたいと思います。
被覆した白菜の畝 大根の畝は寒冷紗で被覆せず