ここ数年、12月最後の数日間は山の下草刈りをしています。夏場は猛暑と蚊の襲来により刈ることが少なくなりました。本当は年間に3回位刈ると良いですがなかなかできません。太い樹木を伐採する時は、シルバー人材センターに頼むこともあります。年齢的に山仕事はだんだんきつくなりました。特に夏場は、熱中症になりかけた事があり体力に無理になりました。
今回、我家の裏側の比較的緩い傾斜の笹刈りをしました。夏と比較して、汗ばむこともありません。傾斜で足が滑らないように気をつけるだけです。楽に下刈りすることができました。とはいえ広大な面積の山がずっと広がっていますので、山奥は山道だけを刈り取ることにしようと思います。
我家東側の比較的に緩い傾斜を笹刈り
我家の裏側はほとんどが笹です。私が草刈機に取りつけているのは鉄板の刃です。そのため、頻繁に研ぐ必要があり交換用の刃を数枚持っていきます。すり減ったなと感じた時、刃を裏返ししたり刃そのものを交換します。山に持って入ることができる小型の充電式グラインダーが欲しいところです。
ところで、笹を刈っているとカヤネズミの巣を見つけました。草原ではよく見かけるのですが、笹の間に見つけたのは久しぶりです。巣が荒れていないので、無事に子供を育て終わったようです。
緩い傾斜を下草刈り カヤネズミの巣 刈り終わった斜面
斜面の笹を刈っていると夕方近くになりました。日が陰ると、季節がらすぐに寒くなってきます。こんな時は焚火をして暖をとりたいところです。しかし、下草刈りで少々疲れたため屋内に退散しました。今回は斜面の2/3位を下草刈りしました。まだまだ山は奥まで続いていますので、3月末位までにはおおかたの下草を刈ることができればと思います。
刈り取る前の生い茂った斜面の笹 笹を刈り取った後の斜面
朽ちた金毘羅社をやっとの思いで抜け出ると、300m位離れた山の中にあるはずの疫神社を探しました。これまた山奥にある神社なので、その山奥への入口が分かりせん。しばらく、その入口がないか山肌を目で追いながら歩きました。歩いていると、畑を耕している地元の方を見かけました。この方に声をかけて、疫神社への入口を聞きました。するとラッキーなことに、疫神社を管理している方でした。気持ちよく山奥への道を途中まで案内していただきました。一期一会とは言え、心地良い人の気持ちに心が温まります。
山奥への急登坂を登り切った場所にあった疫神社
教えていただいた山道はけっこうな急坂でした。息を弾ませながら15分位登ると、探していた疫神社がありました。さきほどの方が今でも管理しているにようで、お社の周りは綺麗でした。落葉はたくさん降り積もっていましたが、雑草は生えていませんでした。ただ、最近参拝する人が少ないのかなと思いました。それは、道が落葉だらけで歩いている人の気配がないことでした。また、近年お祭りをした気配もないことです。実際に、途中まで案内していただいた方が「最後にお世話するのは私だけになるかも知れない。」とお話されていました。
疫神社近くからの景色 小さなお地蔵様 疫神社のお社内
疫神社を訪れる前に行った行者堂は、おそらく100年以上も放置されているようでした。次に行った金毘羅社は、50年以上は放置されているようでした。この疫神社は最後の一人がお世話しなくなると、これまた放置されて木々の間に埋もれてしまうのではないかと思います。私が思うに、高度経済成長期に地元を支えるはずだった若者が都会に去りました。加えて昨今の少子高齢化により若者がいなくなり、結果として寺社仏閣がさらに消え去っていくように思います。消えるのは仕方ないとして、その記録だけでも残しておきたいものです。
歩道横に安置された鍵屋地蔵尊 荒神社を探すも見つからず
疫神社を下ると、鍵屋地蔵さんに向かいました手。このお地蔵様は歩道に面して安置されているので遠くから見えました。新しい舗装道路に移設されたのではないかと思います。続いて、その向かい側の大岩付近にあるはずの荒神社を探しましたが分かりませんでした。山の入口付近に大岩が鎮座しているおりその周りを探してみました。山にまで入りましたが見当たりませんでした。すでに、どこかの神社に合祀されたのかも知れません。
柳井市伊保庄の山間部の史跡調査をしたルート
毛糸(単糸)を二つのボビンに紡いだので、それを双糸に紡いでみることにしました。ところが、双糸に紡ぐ時にどっち側に巻いて紡いでよいか分かりませんでした。そのため、単糸を右巻きにしたので、双糸も右巻きに紡いてみました。すると、どうも様子が変なのです。紡ぎ上がった双糸を手に取ると、解けてくる箇所があります。
そこで、Kさんにお聞きすると、この場合は左巻きにする方が良いのではとのこと。やれやれ!ボビン1巻き分無駄にしてしまいました。そこで、単糸と同じ向きに巻いて双糸を紡いだ場合と、単糸と逆巻きの双子を紡いで、両者を比較してみようかと思います。
誤って単糸と同じ向きに双糸を紡ぐ、やれやれ!
このさい、双糸を紡ぐ時の巻き方向と単糸の巻き方向の関係を調べてみました。巻く方向とは、糸の断面をみて繊維が左側に巻いているか、逆の右側に巻いているかを示します。右巻きを、この世界ではZ撚りと言うそうです。逆の左巻きをS撚りと言うそうです。ちなみに私が紡いだ単糸は二つのボビン共にZ撚りです。
ボビン二つ分の端子 紡ぎ機にボビンセット 誤った巻き方で双子紡ぎ
次に、単糸と双糸の関係を撚りで言うと、単糸を下撚りと言い、単糸2本を撚って紡いだ双糸を上撚りと言うそうです。紡ぎの世界では、下撚りがZ撚りの場合は、上撚りをS撚りにするのが常識とのこと。私が最初に双糸にしたのは、下撚りがZ撚りで上撚りもZ撚りでした。これは誤った撚りであることが分かりました。あーあ、がっかりです。
そこで、下撚りがZ撚りで上撚りがZ撚りの場合と、下撚りがZ撚りで上撚りがS撚りの場合の両者の双子を実際に紡いで比較してみようと思います。ちなみに、下撚りがZ撚りで上撚りがZ撚りの場合は紡いだので、下撚りがZ撚りで上撚りがS撚りの場合を紡いでみようと思います。できれば、単糸の片一方を染色して双糸にした場合の撚りの違いを視覚的に確かめてみようと思います。
下撚りがZ撚りで上撚りもZ撚り がっかりの双子の出来上がり
郷土館の大掃除の午後、我家の畑に生えているこならの樹2本を友達に伐採してもらいました。ありがとうございました。当日午後に高校生達が郷土館にやって来たため、伐採手伝いに参加できせんでした。しいたけのほだ木とするとのことで、伐採した樹をその友達に差し上げました。今回、残りの数本をしいたけのほだ木にするため持ち帰りました。伐採したての樹は重いです。その重い幹を猫車に載せて我家に帰りました。
しいたけのほだ木にするため、猫車に載せて我家に持ち帰る
持ち帰った樹は、日が当たらずしかも雨が直接当たらない場所に置きました。一ヶ月後にしいたけの菌を植菌しようと思います。植菌した年にはしいたけは収穫できません。雑菌が入っていなければ、再来年にしいたけの収穫ができるようになります。細い樹は二年位しかしいたけが収穫できません。太い樹は数年間連続してしいたけを収穫できます。ところで、樹を伐採した場所には切り落とした枝がたくさん残っています。暇を見ては整理しようと思います。
去年と今年の切株 残された枝の数々 我家に持ち帰った樹
天気が良い時に、山の下草刈りをしています。葉が落ちた枝を見ると、いろいろな小動物が枝に刺さっています。これは、モズが獲物にした小動物を枝に刺した跡です。一番多いのはバッタの仲間です。冬になって動作が遅いためにモズに見つかるのでしょう。また、不幸にもモズに見つかったカエルも枝に刺さっています。良くは分からないのですが、冬の食料が少なくなった時のために、獲物を保存しているとの説もあります。モズが食べているのでしょうか、それらのバッタやカエルの姿はいつの間にか枝から消えています。
モズの早贄(はやにえ)となって枝に刺さったバッタ
ほとんどの昆虫は冬になると活動を停止します。カブトムシなどほとんどの昆虫は、卵を産んだ後に死んでしまいます。また、テントウムシなどの一部の昆虫は成虫のまま冬越しします。また、カエル,ヘビ,トカゲなどは地中や落葉内に潜んで冬を越します。この時期のトカゲなどは寒さでほとんど動きません。暖かい春まで静かにしています。一方で、タヌキ、イノシシなどは冬の間も餌を求めて動き回っています。我家の裏山でも、時々動物が動いている音が聞こえます。どの生き物も冬を生き抜くことに一生懸命なのですね。
枝に刺さって乾いていたカエル ここにもバッタが枝に刺さる
これから雪が積もったり道が凍結する厳冬期に入ります。普通タイヤのままだと、思わぬ事故に出会うリスクがある季節に入ります。今回、そのリスクを避けるため車のタイヤを交換しました。子供が小さい頃によくスキーに車で出かけていました。当時は雪に強い四輪駆動のレガシーに乗っていました。そして、冬に入ると必ずスタッドレスタイヤに交換していました。もちろん自分で交換していました。今回も自前でスタッドレスタイヤに交換しました。
ジャッキで車を持ち上げ、スタッドレスタイヤに交換
今住んでいる田布施町は関東や東北と比べて寒さが厳しくありません。そのため、前輪駆動側だけスタッドレスタイヤに交換しました。もっと寒くなって積雪がひどくなれば残りのタイヤも交換しようと思います。ところで、自前でしかタイヤ交換したことがないためタイヤ交換の相場を知りません。友達によると、軽自動車の四輪全てを交換すると¥3,000とのこと。機械の修理が大好きな私ですので、あと10年位は自分でタイヤ交換できそうです。
車の下部にジャッキ 普通タイヤを外す スタッドレス取り付け
タイヤを交換しながら、30年位前の大雪中のダート運転を思い出しました。スキー場に行くため中央高速道を通っていると、深夜積雪がひどくて高速道路が通行止めになりました。あげくのはてに、高速道路から一般道に降りなければなりませんでした。大雪の中、スキー場まで圧雪した一般道を走り続けました。スピードを出して曲がり角を曲がると車が尻を振るのです。また、走っている時に後ろを見ると、雪をうしろに大きく跳ね上げていました。その雪道のダート走行がとても楽しかったことを覚えてします。
タイヤのホイールカバー取り外し トルクレンチで既定の締めあげ
あと一週間ばかりすると年が変わります。郷土館は毎年のことですが、館内の大掃除をしました。天井の照明を点検したり、展示ケースの清掃をしたり、給湯室などの掃除などをしました。郷土館はいつもは一人勤務ですが、年末の大掃除は全員(3人)が集まります。それぞれの分担を決めてから掃除に入りました。私は、岸佐藤元宰相の遺品展示ケース内を点検しました。そして、ケース天井の照明を点検して暗くなっている蛍光管があれば交換しました。遺品に触らないように、展示ケース内をカニ歩きしながら移動しました。
岸佐藤元宰相の遺品展示ケース前面ガラスを清掃
そう言えば、来年は沖縄返還50周年になります。沖縄返還に関わる佐藤元宰相の遺品の一部が、沖縄県で展示されるのではないかと思います。それを思いながら、そろりと沖縄返還メダルの横を歩きました。その後、古代遺跡展示コーナーに移りました。そして、同じように展示ケースを磨きました。最後に給湯室の整理整頓掃除をしました。大掃除が終わったのがお昼前でした。午後は田布施農工高校の生徒さん達が来館しました。田布施の昔の生活、田布施の古墳などの遺跡、そして、岸佐藤元宰相など田布施の偉人について説明しました。あれこれと忙しい一日が過ぎていきました。
岸佐藤元宰相の遺品 遺品展示室の照明交換 遺跡展示ケースを磨く
車で我家に帰る途中の事です。お孫さん二人を連れて参歩しているSさんを見かけました。挨拶している時、ひょいと思いました。このお孫さん達に麦踏みを体験してもらおうと。・・・・一年ほど前、すぐ近くの麦畑で麦踏みをしました。それを思い出したのです。車を近くに駐車して、小麦畑に案内しました。そして、私を含めた4人が楽しく麦踏みをしました。ついでに、どんぐりを拾ったり、綿を風に飛ばして遊びました。
ダンスをするように楽しく小麦を踏んでいる子供達
子供達は生まれて初めて麦踏みしたようです。最初、踏み方を教えました。楽しかったのか、飛んだり跳ねたりしてダンスをするように踏んでいました。麦はそれほど多く栽培していないため、すぐに踏み終わりました。そこで、畑の隅に生えているこならの根元に案内しました。こならはどんぐりの樹です。こならはすべて落葉しており、落葉が地面に厚く積もっていました。その落葉をかき分けると、たくさんのどんぐりが潜んでいました。どんぐりの帽子もたくさんありました。
小麦を楽しく踏む こならの樹の下で どんぐりを見つけた!
どんぐりはお土産にして、次に綿畑に行きました。取り残したたくさんの綿が風に吹かれていました。そのふわふわした綿を手に取って毛を取りました。そして、手から離すと風に乗って飛んでいきました。タンポポの綿毛が飛んでいくように、どこまでも空を駆けていきました。麦踏みに、どんぐり拾いに、綿毛飛ばしに、楽しかったようでした。この子達のように、私も子供の頃は無邪気に遊んでいたのでしょうね。
綿を摘まんで毛を取り出す 綿毛を風に向かって飛ばす
漬物にするミニ大根を収穫しました。以前は大きな大根で漬物を作っていました。しかし、我家は二人だけなので春までに食べきれずよく腐らせていました。そのため、数年前から長さが20cm位のミニ大根に切り替えました。ミニ大根にして良かったことは、小さいためとても抜きやすいことです。大きな大根だと両手で掴んで力をこめないと抜けません。今回、そのミニ大根を抜いて葉を取り沿いて天日乾燥しました。なお、年末年始休中に白菜漬けもする予定です。以前は広島菜漬けもしていました。
ミニ大根を次々に手で抜く、ミニなので抜きやすい
白菜漬けですが、これも以前は大きな白菜を大きな桶で漬物にしていました。やはり、食べきれずに腐らせていました。今は小さな桶で作っています。量も少ないので、最近は簡単な浅漬けの元を使うようになりました。ところで、漬物はそう高価ではありません。そのため、手間と暇かけて漬物を作るよりも購入した方がコスパが良いのではないかと思うようになりました。
抜いたミニ大根 葉を包丁で切る 天日で大根を乾燥
この前、今年最後の小学校の放課後学習 成器塾でした。今回は干柿作りとフェルト細工をしました。フェルト細工は前回からの続きで、まだ完成していない子はそのまま続けました。フェルト細工が終わった子は、干柿作りを体験しました。最初子供達に一人あたり二個の渋柿を手渡ししました。
しかし、渋柿を手渡す時にちょっと失敗しました。渋柿に付いたT字型の小枝を取らないように言うのを忘れてしまったのです。後の祭りなのですが、この小枝を取り除いた子が二人いました。これでは干柿をぶら下げることができません。予備の渋柿を持ってきて良かったです。ところで、私はいつも包丁で渋柿の皮を剥きますが、子供達は包丁を使ったことがないようでした。そのため、ピラーを使って皮を剥いてもらいました。
皮を剥いた渋柿を紐に吊るす子供達、お酒で消毒
一昨年放課後学習で干柿作りをしましたが、去年はコロナ惨禍のためできませんでした。そのためか、ほとんどの子は初めての干柿作りでした。私は左手に渋柿を持つて、右手に持った包丁で皮を剥きました。剥く様子を子供達に見せました。一方子供達は、紙皿の上に渋柿を置いて、左手で渋柿を押さえながら、右手に持ったピラーで皮を剥きました。皮を剥いた渋柿はヌルヌルと滑るため、ピラーでの皮剥きはやりにくそうでした。
一人二つの渋柿を取る 紙皿上で皮剥き ピラーで上手に皮剥き
渋柿の皮を剥き終わると、テーブルとテーブルの間に掛けた竹竿に紐を結んで垂らします。その紐を剥いた渋柿のT字型の小枝に結びます。皮を剥いた渋柿はヌルヌルと滑るため結び付けにくそうでした。何とか二つの渋柿をぶら下げると、アルコールで消毒しました。アルコール度の高い(40度)お酒を消毒用にしました。へた部を中心にスプレーを使って抜きつけました。
渋柿の皮を剥き終わる 竹竿に渋柿をぶら下げる フェルト細工の子供達
消毒が終わった干柿は、いったん子供達に持ち帰ってもらいました。この時、干し方を描いたメモを渡しました。そのメモには、①風通しが良く、雨が吹き込まない軒下で干すこと。②カビが生えたら捨てること。③部屋で干す場合は扇風機で風を当てること、などが描いてあります。来年最初の放課後学習に干柿を持ってきてもらいます。みんなちゃんとした干柿になっているでしょうか。ところで、フェルト細工は今回で全員完成しました。クリスマスにちなんだデザインが多かったフェルト細工でした。
わいわい楽しい皮むき作業 完成したフェルト細工の数々
小さな充電式チェーンソーを買いました。エンジンで動かすチェーンソーを持っているのですが、気軽に山に持って行くには重いのです。かと言って、ノコギリでは太めの幹や枝は切るのは大変です。特に湿った木はなかなか切れませんし腕が疲れます。たまたま剪定することを仕事にしている方が、腰に充電式チェーンソーをぷら下げていました。蓄電池の電気でモーターを動かすチェーンソーです。年齢的にもこれからの作業には欠かせない気がしました。まだ使い慣れていませんが、樹木や枝のちょい切りには重宝しそうです。
太くなったひこばえの枝、充電式チェーンソーで簡単に切断
購入したチェーンソーをいろいろ試してみました。5cm未満の枝はノコギリの方が手軽に切れます。しかし、5~15cm位の太さの枝や幹は、このチェーンソーが圧倒的に切りやすいです。なお、充電池は3個あると充電切れの心配が少ないと思います。2個の充電池を追加で購入しようと思います。15cm以上の太さになると、刃幅が長いエンジン式のチェーンソーがよく切れます。それぞれを使い分けると良いかと思います。
チェーンソー収容箱 箱を空けて取り出す まずは満充電にする
このところ急に寒くなりました。早朝に外に出ると、うっすらと白くなっています。霜にしては白いと思ってよく見ると、深夜の間に雪が降ったようです。そこで、はたと忘れていたことに気が付きました。サトウキビの越冬作業です。サトウキビは沖縄ような暑い地域でよく育ちます。この田布施町では夏はそれなりに育ちますが、野外に置いたままにすると、冬を越すことができず枯れてしまいます。そのため、今年も急遽サトウキビを越冬させるための作業をしました。まずは、ノコギリですべてのサトウキビを根元で切りました。そして、茎を30cm位の長さで切りました。
根元で切ったサトウキビの茎を、30cm位の間隔で切る
30cm間隔で切る理由は、収める箱の長さが35cm位だからです。30cmにすると、綺麗に箱に収めることができます。例年の保存経験からすると、2月までは問題なく越冬します。しかし、3月から4月にかけて茶色に変色して傷んでくる茎がどうしても出てきます。保存のこつは、第一に温度です。10度以下に下げてはいけません。暖かい室内に保管します。第二に湿度です。適度な湿度で保温できるように、湿らせたタオルを同梱しておくと良いです。第三に日光浴です。天気が良い日に日光に当てると良いようです。来年の4月まで何%のサトウキビが冬を越せるでしょうか。
根元から茎を切る 30cm位の間隔で切る 保温箱に収納
文部科学省の「地域との協働による高校教育改革」農工維新!田布施あいキュービックプロジェクト研究成果発表会に行ってきました。3年ほど前のことになりますが、当時の校長先生,県職員と一緒に文科省に行ってこのプロジェクトをPRし、このプロジェクトを推進する予算を獲得しました。
そして3年後の今回、このプロジェクトの成果発表を体育館で拝聴しました(朝10時から午後14時過ぎまで)。大きく分けて、①3年生による成果発表,②基調講演,③1,2年生による調査報告でした。①には私の思い入れがあります。それは今回発表した3年生が1年生の時のことです。田布施町の歴史を知るため、江戸時代の土木工事跡を生徒や先生と歩いたことです。灸川上流の溜池跡や平生町の海岸沿いの塩田跡も説明しながら歩きました。田布施町の古代から現代までの歴史なども解説しました。その時の1年生が3年生になり、就職先が決まっている子もいるとのこと。彼らの成長の早さに驚きました。月日の流れは早いものです。
田布施町の観光や特産などの調査&PR発表、チャットでも質疑応答
お昼休憩時、用事があって我家に帰りました。そして、③1,2年生による調査報告会に間に合うように戻りました。コロナ惨禍対策のためか、密にならないようにオンラインで発表が行われました。発表会場は体育館で、数グループがテーマ別に同時に発表していました。聞く側は、各教室でパソコン上で発表を選べるようでした。そして、質問があれば、チャットで発表会場と会話するシステムになっていました。私は発表会場にいたため、質問が途切れた間合いを狙っていくつか口頭で質問してみました。親しい先生や生徒さんともお話をしました。このプロジェクトは生徒や故郷にとても良い成果をもたらしたと思います。調査,研究,実施などをした生徒さんを指導した先生方も大変だったと思います。ご苦労様でした。
3年生の成果発表を拝聴 チャットを交えて質疑応答
畑の冬野菜はとても青々として元気ですが、染色に使う植物などはすっかり枯れてしまいました。そこで、来年の春に蒔く種を取りました。採種したのは、糸や布を染めるために使う藍とインド藍,紙を漉くための花オクラ,そしてブリービーが訪れるハーブの一種トゥルーシーの種です。来年は染色するための植物をもう少し充実したいと思います。
ところで、インド藍は熱帯で育つので日本では採種できるまで生育しません。豆科のようで鞘の中に種ができます。鞘はたくさんできるのですが、その鞘のうち種が取れるのは数%です。ほとんどの鞘は寒さで枯れてしまいます。鞘を振るとカサカサと音が出ます。そのカサカサ音がする鞘の中にある種だけが春に発芽します。
インド藍の採種、軽く触ってカサカサ音が出る鞘を取る
私は糸や布を染色する場合、草木染めだけしかしません。化学染料はいっさい使いません。そして、できるだけ育てた野草を染色に使います。今自分で育てている染色に使う野草は、藍、紅花、ヘナ、インド藍、タマネギです。来年は新たに紫色に染色する紫根の種を蒔いて育てようと思っています。それに加えて、裏山に生えているビワ、桜などの樹木の葉や木を染色用に試してみようと思っています。
紙漉きに使う花オクラ ハーブのトゥルーシー とても小さな藍の種
今年最後、羊毛を使った毛糸紡ぎ体験とフェルト細工体験を田布施農工高校でしました。最初は、前回に続いて田布施農工高校産羊の毛を使って紡ぎをしました。この紡ぎは何度も経験しないと体得できません。Kさんにはスピンドルを使った毛糸紡ぎを教えてもらいました。一方、私は足踏み糸紡ぎ機による毛糸紡ぎを教えました。最初、足踏みの感覚を覚えてもらったり、はずみ車の回し方や止め方を教えました。それを何度も繰り返してもらいました。それが終わると、紡ぎやすいように細長くカーディングした羊毛を使って毛糸紡ぎを始めてもらいました。生徒さん達が糸紡ぎをあらかた体験すると、次にチクチク針を使うフェルト細工体験をしてもらいました。
色を混ぜた羊毛を使用して、スピンドルによる毛糸紡ぎ
ところで、来年の羊毛体験の計画をそろそろ考えようと思います。4月に羊の毛刈り体験からスタートして、洗浄、カーディング、染色、糸紡ぎ、織物か編物などの一連の作業を一年間で体験してもらおうと思います。時間が少なければカーディングしたふわふわ羊毛を使って座布団を作っても良いかも知れません。特に来年三年生なる生徒さんの卒業記念品となるようなものを作ることができればいいかなと思っています。
足踏み糸紡ぎ機で毛糸を紡ぐ 各色の羊毛を使ってフェルト細工