今年度最後の麻郷小学校 放課後学習 成器塾がありました。今回は盛りだくさんでした。座布団の完成,刺繍の練習,織物の完成などです。座布団ですが、前回は田布施農工高校の羊の毛をふわふわにして中に詰めるまでで終わりました。今回は、座布団の背を糸で縫ったり、座布団内の羊の毛がよれないように処置しました。
段ボール織りで作った織物の末端処理
次は刺繍です。刺繍枠を作って布をピンと張り、刺繍の1番の基礎であるバックステッチを練習しました。チャコペンで布にMの字を描き、その文字線に沿う直線をバックステッチで描きました。それが出来上がると、可愛い猫の図案を布にチャコペーパーで写し取りました。そして、猫の図案に沿う曲線をバックステッチで描きました。
縫った座布団の背 羊の毛のよれ止め 途中、人形劇を見学
生徒が刺繍の練習をしている間、校舎の2階に行ってみました。そして、人形劇発表会を少しの時間ですが鑑賞してきました。来年度は、人形劇も含めて、複数クラスの成果発表会や成果展示会をしたいものです。
バックステッチで直線を練習 猫の図案でバックステッチを練習
次に段ボールで織った毛糸の織物の完成です。前回は織りの途中で時間切れでした。生徒が自宅で織ってきた織物を、段ボールから外して末端処理しました。私が最初に末端の処理をしました。残りの末端処理は生徒にしてもらいました。完成した織物を見ると、色ごとに横糸の数が計算されていてこだわりがありました。そのため、とてもきれいな織物が出来上がりました。
刺繍枠の布に集中、猫の図柄をバックステッチで刺繍中
今年度のクラスの名前は「糸紡ぎ・織り」でしたが、来年度は「手芸と調理」にしようと思います。私のこだわりでもあるのですが、羊の毛刈りからフェルトや織物などの手芸、種まきから始めて口に入るまでを体験する調理などです。何人の生徒が集まるでしょうか。
段ボール織りの織物 丸く出来上がった織物 完成した織物など
先日までに、5色の経糸を作りました。今回から織機に経糸を張ろうと思います。奇数番目の綜絖と偶数番目の綜絖に間違いなく経糸を通さなければなりません。整経のプロの方は容易でしょうが、目が悪くしかも素人の私にはとても大変です。経糸の束は32本ごとですので、奇数番目の綜絖16本ごとに、そして偶数番目の綜絖16本ごとに毛糸でマーキングしました。ちなみに経糸を張るのはろくろ式の小型織機です。
綜絖を16本ずつ数えては毛糸でマーキング
予定では、256本の経糸を張る予定です。そのため、256本を超える余分な綜絖は外しておきました。余分な綜絖があると、綜絖同士の間隔が詰りがちになります。すると、綜絖同士の摩擦で上下がスムーズにいかなくなることがあります。
経糸を巻き取る布巻具 経糸を通す針金綜絖の穴
去年見学に行った周防大島のないだ織り工房などの教室では、教室を主宰する方が整経するようです。3年前のことですが、郷土館に保存されている明治時代の高織の整経方法を柳井縞の会長さんに教授していただきました。
綜絖を各色の経糸ごとに毛糸でマーキング、赤糸は中心位置
今回経糸を張ろうとしているのは高織ではないのですが、同じようなろくろ式織機です。素人なりに工夫して張る予定です。綜絖通しや筬通しを使っての時間がかかる作業になりそうです。この作業は2人ですると良いのですが、私1人でできるでしょうか。私1人で無理のようであれば、コットンクラブでお手伝いを1人お願いしようと思っています。
張る予定の経糸 外した余分な綜絖 1対のろくろ式綜絖
山口県指定文化財の大波野神舞は今年3月29日、10年に1度の八幡八幡宮式年大祭で年期神舞奉納をします。その前哨戦として、今週から田布施町郷土館で大波野神舞のイラスト・写真展示会をしています。その展示会の準備を先週しました。イラストは地元のイラストレーターT氏が描いたものです。
私が大波野神舞を最後に見たのは3年前のことでした。江戸時代から現代まで引き継がれてきたこの神舞は、今のように映画,テレビ,テレビゲームなどが無かった当時、たくさんの方々が集まったと思います。今年もたくさんの方々が集まるに違いありません。
山口県指定文化財 大波野神舞のイラスト・写真展示会
大波野神舞は江戸時代の享保の飢饉をきっかけに始まったとされています。飢饉で亡くなった方々を弔うためとのことです。当時の飢饉の記録によると、里人の1/3の方々が亡くなったそうです。当時の人口ピラミッドを考えれば、亡くなったのはほとんどが子供達のようです。食べ物が無くなると、やせ細り免疫が弱くなります。すると、ちょっとした病気で亡くなります。そのような飢饉の言い伝え、古老を訪ねるとよく耳にします。最近聞いた話では、光市の島田にある人丸神社に伝わる話があります。
看板の取り付け 印刷物を置く イラストを仮置き
今年3月29日、10年に1度の八幡八幡宮式年大祭の年期神舞奉納です。いつもは見ることができない演目がたくさんあります。10年前に演じられた演目「綱下り」は、高齢化の影響で10年後には演じる人がいなくなるのではと危惧しています。そのため大変貴重な演目です。ところで、コロナウィルスの影響で神舞そのものが中止になるのではと心配しています。私もなんとか見に行こうと思っています。
神舞イラストハガキの予約 大波野神舞の写真やイラスト
来年度の麻郷小学校 放課後学習の成器塾で、今年度できなかった刺繍をしようと思っています。事前に刺繍糸などの材料を調達して、我家にある刺繍枠に白布をはめ込んで刺繍をするつもりでした。ところが、刺繍枠がどこにあるか忘れてしまいました。このままでは刺繍できません。そこで、田布施コットンクラブでKさんがダーニングマッシュルームを使ってダーニングしていたことを思い出しました。同じようにツルツルの丸石に布を被せて刺繍してみました。みごと失敗しました。
丸い石に布を巻き付けて刺繍、みごと失敗!
丸い石とは、4年前に上関町八島をウオーキング時に海岸で見つけた油石です。表面がツルツルで真ん丸でしたので刺繍に使えるのではないかと思いました。その石を白い布で覆って、布にしわが出ないように強く縛りました。そして、石の表面を覆う布の上に図案をチャコペーパーで転写しました。
丸石を布で覆う しわが出ないよう縛る 布に図案を転写
いざ刺繍を始めてみると、いろいろ困ったことが分かりました。布の裏側に玉止めできないことです。次に針を布の真上から刺せないことです。石の表面を針を滑らせざるをえず、針の出る場所を特定しにくい事です。この方法はダーニングには向いているでしょうが、刺繍には向かないことが分かりました。おかげで変な刺繍が出来上がりました。・・・そもそも、石を使って刺繍している話など聞いたことがありません。やれやれです。
チャコペーパーで転写した図案 チャコペンで濃く描く
1月と2月、田布施農工高校で少年少女発明クラブの電子工作がありました。ハードウェアである電子カーは完成したものの時間が無くて、ソフトウェアであるプログラミングは最後までできませんでした。そこで、自分のパソコンにプログラミング環境を作って、自宅でプログラミングをしてみました。そして、電子カーを動かしてみました。子供向けのプログラミング環境ではありますが、意外に奥が深いことが分かりました。プログラムが完成しなかった子供達が希望すれば教えようかと思います。
パソコン画面に出したプログラミング環境画面と手前の電子カー
このプログラミング体験環境(Microbit)の良いところは、センサーなどのハードウェアがセットされていること事です。また、プログラミング後すぐにデバッグできることです。右にプログラムソースを入れる画面、左にデバッグできる画面があります。プログラムが間違っていると左の画面が動きません。インタプリタなのでしょうか、Basic言語のようにすぐ動かして試すことができるのです。この機能は子供には親切です。一方、電子カーにプログラムをダウンロードする時はわずかに時間がかかります。その時はコンパイルしてマシン語に翻訳しているのだと思います。
右のプログラミング画面 左のデバッグ画面 Microbit基板を動作
私はプログラミングを仕事にしていた事がありました。工作でもそうなのですが、何を作りたいかアイデアを考える事(設計)と、それを実現する事(組み立て)は別の作業です。プログラミングはどちらかと言うと後者です。やはり、何を実現したいのかアイデアを考える事が重要です。発明クラブもそうですが、工作が好きな子供は多いのですが、アイデアを考えることが好きな子供は少ないのが現状です。暗記することに主眼を置いた教育が多いからでしょうか。
プログラミング中の画面 デバッグ中の画面
前回のコットンクラブでは、部品化した糸巻き台の木片を持って行きました。そして、各自好きな糸巻き台にデザインしてもらいました。今回は、その糸巻き台を完成させました。そのため、机,ボール盤,紙やすり,木工ボンド,木槌,精密ノコギリなど木工作業できる工具を持ち込みました。今回のコットンクラブはさながら木工製作でした。木屑が飛び散る作業は外でしました。寒いながらも、みなさん楽しそうに木工していたように思います。
細い棒を紙やすりで研磨したり、木工ボンドを塗布
穴を開けるためのボール盤を置く座卓と、精密ノコギリを使うための机は外に置きました。座って作業できるように長椅子前に置きました。ボール盤は高速でドリル刃が回転するため危険です。そのため、ボール盤を使う穴あけ作業だけは私がしました。糸巻きを立てる棒は好みの高さがあるため、各自精密ノコギリで切ってもらいました。
穴あけ位置を決める ボール盤での穴あけ 支柱を立てる穴あけ
糸巻き台の中心にも穴を開けました。支柱を固定する木ネジ(皿ネジ)を通すためのガイド穴です。さらにネジの頭が隠れるように、裏側に窪みを付けました。最後、支柱の上に丸板を取り付けました。糸巻き台完成後、何人かの方は針山を載せていました。
寒風の中、細い棒をノコギリで切断 針山を載せる丸板を取り付け
12月に伐採して収穫したサトウキビ、その茎を何本か箱に入れて冬越ししています。今年は越冬の成績が良くて、まだ茶色に変色して枯れた茎がありません。今年は暖冬だからでしょうか。それとも例年とは別の工夫をしてみたからでしょうか。このまま越冬の成績が良ければ、今年はサトウキビをたくさん収穫して黒砂糖を作ることができるかもしれません。
二つの箱に入れて越冬中のサトウキビ(茎)
越冬の工夫とは次の四つです。①温度を10℃以下に下げない。②湿度を一定90%位に保つ。③時々箱の蓋を開けて空気を入れ替える。④天気が良い日に日差しに当てる(日光浴)。③と④は今年からの試みです。今のところ、どの茎も青々をしています。植え付けは4月を予定しています。それまでの2ヶ月間、越冬が持続するでしょうか。例年の冬越しの経験上、1番寒い2月を乗り越えることができるかどうかがポイントです。
温度と湿度を管理 日差しに当たる茎 青々とした茎
作りかけだったラジオキットを完成させました。若い頃でしたら難なく作ることができましたが、目が悪くなった今は大変でした。小さな部品を摘まんだり、ネジを回したり、小さな穴に部品を差し込んだりと・・・苦労の連続でした。当然、老眼鏡や虫眼鏡のお世話になりました。何とか完成して電池を繋げると、嬉しい事に一発でラジオ放送を受信することができました。近くにあるラジオ放送局は、耳が痛いほど大きな音で聞こえました。何十年ぶりのラジオキット制作でした。
完成後、電池を繋いでラジオ放送を受信中
ラジオキットを組み立てていて困ったのは、部品を取り付け終わった基板に電線を繋げることでした。特に電線の先端を手で摘まみながらのはんだ付けです。トランジスタなどの電子部品を基板に挿入することは比較的容易でした。若い頃の経験や体験が生きたのでしょう、休み休み制作するもなんとか完成しました。目が不自由になったことを思い知ったラジオキットの組み立てでした。
基板の完成 アンテナなどの接続 最後に006P接続
完成後、外に出てラジオ放送局からの電波を受信しました。すると、思いのほか性能が良いのには驚かされました。受信できる放送局を数えると10局位でした。昼間にも関わらず韓国の放送局を1局受信できました。ストレート方式のためやや混信がありましたが、実用的には十分です。若い頃に作った並三真空管ラジオより性能が良いように思いました。今後小学校でプログラミング教育があるようですが、電子技術の基礎入門でもあるラジオ制作のような工作もあっても良いのではないかと思いました。
ダイヤルの取り付け イヤホン端子取り付け 完成したラジオの外観
昼食休憩が終わった頃ようやく人混みが減り、琴石山山頂は静かになりました。窮屈な場所で昼食を取ったため山頂で思い切りのびをしました。そして、JR柳井港駅に向かって下山することにしました。山頂は風が冷たかったのですが、山頂直下は無風で心なしか暖かかったです。昼食休憩は山頂直下で取った方が暖かくて良かったですが後の祭りでした。急な下り坂をどしどしと歩きました。
人混みが少なくなった琴石山山頂
眼下に柳井港側を見ながら急登を下っていると、右側への小さな分かれ道がありました。その分かれ道からは登り道でした。何かの碑があるのかと、その分かれ道に登ってみました。すると、大きな岩の前に祠が安置されていました。後が分かったのですが奥の院の琴石でした。小さな隙間がたくさんある不思議な大岩でした。琴石山の名前の由来になった岩のようです。
山頂から見た大畠側 無風の下山道 奥の院 琴石
奥の院から道を引き返して、柳井港側への下り道に戻りました。しばらく急な道を下っていると愛宕社跡の石垣がありました。その昔は立派な社殿があったのに違いありません。愛宕社跡の周りを散策してみると、梅雨時には流れ落ちているであろう滝がありました。愛宕社から数10m道を下ると、弁慶岩が道横にどっしりとありました。数千年前に転げ落ちてきたのでしょう。
愛宕社跡の石垣 道横に鎮座する弁慶岩
弁慶岩を撫でた後、道をさらに下ると東屋がありました。その東屋の長椅子に20分位座って談笑しました。東屋から少し下ると山桜の大木がありました。春には見事な山桜が乱舞するのでしょう。その後しばらく下って林道に出ました。そして、その道をどんどん下って、水車小屋前の道を通りJR柳井港駅に到着しました。今回柳井市の「琴石山健康ハイキング」に参加された方々、お疲れ様でした。来年も来ることがあれば、ぜんざいをいただけるコースを選択したいものです。
今回歩いた琴石山登山コース(JR大畠駅~琴石山~JR柳井港)
梅が咲く季節になりました。我家の梅も例外ではなく、あちらこちらの枝に梅が咲き乱れています。どの家の庭も同じでしょうが、梅が咲くと次々に春の花が続いて咲き始めます。梅が散ると桜が,桜が散ると桃やスモモが・・・と交代するように花が咲いていきます。梅は春の開花の先駆けです。
枝々のうぼみが一斉に咲き始めた梅
梅以外に花が咲いていないか庭を歩いてみました。すると、蝋梅は全て散っていました。意外な花が咲き始めていました。それはアネモネです。紫と白の花が咲いていました。春に咲く花だと思っていましたが、2月に花が咲き始めることを初めて知りました。また、とうが立っていたチンゲンサイの黄色の花が咲いていました。アネモネにしてもチンゲンサイにしても、今年は暖冬のため早く咲くようです。
咲いていたアネモネの花 菜の花に似たチンゲンサイの花
N邸では少しずつ家を綺麗に片づけています。連日ではないのですが、不要となった古い陶器や家庭電気製品などがもらわれたりしています。私は草刈機などをいただくことにしています。それらの手伝いをしているN邸近くに住む方々が集まりました。近所に住む方々ばかりで、車で来たのは1人だけでした。私は、採りたてのホウレンソウを持って参加しました。美味しい飲料を飲み比べたり、手作り料理多数に舌鼓したり、デザートのロールケーキなどを楽しんだりしました。楽しい夕べ、ありがとうございました。
夕べを楽しんだ、N邸の近くに住む方々
今年度最後の移動郷土館を、西田布施公民館の生きがい教室で開催しました。今年度は6回の移動郷土館でした。移動郷土館は、公民館や集会所などで地域の古代からの歴史や史跡の由来などを紹介します。移動郷土館を開催するのあたって、事前にその地域の歴史などを調べておく必要があります。そのため、私自身の歴史の勉強にもなります。来年度もこのペースで開催できればと思います。
西田布施公民館の生きがい教室での移動郷土館「地域の歴史講座」
今回は西田布施で発掘された弥生時代の遺物,古墳時代の遺跡,神社仏閣の由来などを中心に紹介しました。また、身近な存在である小中学校の統廃合の歴史も紹介しました。「西田布施小学校」から「田布施西小学校」へ改名した理由は、興味深く聞いていただけたのではないでしょうか。
ただ、私のお話が15分位長くなってしまったため、懐かしの幻燈機を上映することができませんでした。西公民館の館長さんや主事さんにせっかく事前に練習していただいたのに、上映できずご迷惑をおかけしました。
古墳時代の西田布施 明治時代以降の小学校統廃合の歴史
先日糸巻き台を完成させましたが、針仕事に使うには針山を載せる必要があります。そのため、春らしい模様の針山を作って試しに載せてみました。針が危なくないように蓋を付けてみました。また、ハサミなどの小物を置けるようにしてみました。お試しに作ったため、使い勝手が良いかどうかは分かりません。交換可能な針山ですので、季節や気分に合わせて針山を乗せ換えることができます。
蓋を付けた安全な針山箱を、糸巻き台に載せる
糸巻き台を作った後、家にあった針山を載せてみました。糸で縛って先日の成器塾の手芸に持って行きました。しかし、どうにも見栄えがよくありません。そのため段ボールを加工して針山箱を作り、その中に針山を入れることにしました。段ボール丸出しでは、ちゃちく見えてかつ貧乏くさいので模様を付けることにしました。もうすぐ春ですので、春らしい花模様の布で覆ってみました。
恥ずかしながら段ボール 春らしい花模様の布 花模様の布を切り取る
布で覆う工作は何十年ぶりのことです。曲線部分の板や段ボールに貼りつくようにハサミで切れ目を入れました。そして布で隙間なく覆いました。まあ素人っぽさが残る針山箱になりました。その後、針山を針山箱に詰め込みました。
曲線に沿って布を貼り付け 糸巻き台に取り付けてみる
針山箱の蓋には摘まみやすいようにつまみを付けました。使い勝手が良くなるかどうか分かりませんが、針山箱の側面に磁石を数個埋め込みました。和バサミを休めたり、折れた針などを置くことができます。この糸巻き台一式、コットンクラブのTさんに使ってもらうことになりました。使い勝手が良ければ、来年度の放課後学習成器塾の手芸用に同じものを3個作ろうかなと思っています。
蓋も花模様で覆う つまみにも花模様 側面に磁石を埋め込み
毎年建国記念日に柳井市が行っている「琴石山健康ハイキング」に行ってきました。標準的な琴石山登山コースは金剛寺から、柳井港から、そして日積からの3コースです。琴石山には何度か登りましたが、今回は初めてJR大畠駅から歩いて登ってみました。しかし、JR大畠駅では誰も降りる人がいませんでした。JR大畠駅から歩いて琴石山に登る方は皆無のようです。
こんなにたくさんの方々で溢れる琴石山は初めて
JR大畠駅で降りると、大畠中学校脇の道を通って日積に向かいました。日積まで同じ傾斜の舗装道路が延々と続きます。歩いている途中、大畠温泉の取水口がありました。水温が19.3度とのことなので冷泉なのでしょう。1時間位歩くと、ようやく日積に着きました。そして、琴石山登山口の道標を見つけました。
誰も降りないJR大畠駅 大畠中学校から振り返る 大畠温泉取水口
琴石山登山口道標の案内の通りに歩くと、石風呂大師堂がありました。さらに歩くと、たくさんの車が所狭しと駐車していました。「琴石山健康ハイキング」に参加した方々の車のようです。我々がJR大畠駅をスタートした9:00頃に南公民館をスタートしたのでしょう。スタート地点には誰もいませんでした。
琴石山登山口の道標 林道から日積を見下ろして
南公民館に寄ってお話を伺った後、琴石山に向かう林道に入りました。その林道に入った頃、走って降りる方が1人いました。南公民館でお接待を準備する方の1人なのかも知れません。琴石山に近づくにつれ、たくさんの降りてくる方々とすれ違いました。そうこうしているうちに琴石山山頂に到着しました。座る場所をどこにしようか困るほどに混んでいました。柳井湾を見下ろせる場所に腰を下ろして、昼食休憩としました。その時、健康ウォーキングクラブの方と偶然会いました。こんなに混んでいる中で奇遇でした。昼食休憩が終わる頃、少し混雑が減りました。今度は柳井港側に下山することにしました。
JR大畠駅から日積へ、そして琴石山経由でJR柳井港までのルート
倉庫の中をごそごそしていたら、とても懐かしい物を見つけました。それは、いつ購入したのか覚えていない昔のラジオキットです。昔の工作好きな中学生か小学生が作る簡単な回路構成のラジオです。使用しているトランジスタが2SC1815でした。このトランジスタは改良され続け、今でも売っている東芝の標準品です。昭和50~60年代のラジオキットではないかと思います。
トランジスタを2個使う簡単な回路構成
このようなラジオキットは、私が学生時代にもあったように思います。ただし、当時はシリコントランジスタではなくゲルマニウムトランジスタでした。当時売っていた子供向けのラジオキットのバージョンアップ品ではないでしょうか。今では基板と言えばエポキシ製ですが、このキットは久しぶりに見る茶色のベークライト製です。懐かしくなり、そのキットを作ってみることにしました。
箱に入ったキット 箱から出した部品 説明書と基板
いつもは故障したラジオを修理することが多いのですが、20年位ぶりにラジオを組み立ててみることにしました。困ったことに、説明書,部品,そして基板に書かれた字が小さくて見えないことです。老眼鏡をかけてようやく文字を読むことができました。
ラジオキットを制作する工具を準備 最初にトランジスタを取り付け
このラジオはストレート構成で、一段目は高周波と低周波を同時に増幅するレフレックス回路になっていました。二段目はイヤホンで音を聞くレベルまで低周波を増幅しています。今のラジオよりも性能は劣りますが、子供が電波などを学習するにはちょうど良い電子工作です。半田付けさえできれば用意に工作できます。私が子供の頃はまだトランジスタは高価でした。もっぱら真空管でラジオを作っていました。電波などを学習するため、少年少女発明クラブでこのような電子工作をしても良いかも知れません。
部品を基板に半田付け 次々に部品を取り付け ニッパで切断加工