我家前の庭木が、夏の間にだいぶ蔓で覆われてしまいました。このままでは、庭木が枯れるかもしれません。このため、蔓を取ると同時に剪定をしました。去年の冬、大幅にこの庭木を伐採,剪定しました。それ以来の剪定です。
庭木を覆う、たくさんの蔓 手で引っ張るなど蔓をはがす
蔓を手で引っ張りながら、鎌で根本を刈り取りました。3年前は、蔓を草刈機で刈り取りしました。しかし、蔓を弾き飛ばすようにして刈るだけでしたので、大きな蔓は刈り取ることができませんでした。試行錯誤の上、手で引っ張りながら鎌で刈るのが一番確実だと分かりました。
よく切れる電動枝切バサミ 長い電源コードを家から引く
続いて剪定をしました。手動の剪定バサミもあるのですが、私は一昨年から電動枝切バサミを使用して剪定しています。この工具は家庭用100Vを使うため、家のコンセントから電源コードを引きました。この電動枝切バサミを使う上で注意することは、この工具自体の電源コードを切断しないよう注意することです。日差しの暑い中、なんとか今年の庭木剪定を終えることができました。
日差しがさす中、庭木の剪定作業が終わった庭木
昼休み休憩が終わると、峨眉山をどんどん下りました。しばらく下っているとお社が見えてきました。光峨眉山護国神社です。この神社に祀られている方で注目すべきは来島又兵衛です。久坂玄瑞と同じく、幕末(元治元年1864年)の蛤御門の戦いで亡くなりました。当時の長州藩は、朝敵の汚名を着せられ一番苦しかった時でした。この元治元年こそ、長州藩が勢いを盛り返す回天の年ではなかったかと思います。それらしても犠牲か多かった元治元年でした。
たくさんの石柱が建つ光峨眉山護国神社 慶応年間の石柱群
この光峨眉山護国神社で、最も多く祀られているのは太平洋戦争で亡くなった方々です。幕末に亡くなった方は、一つの石柱に一人記名されています。しかし、太平洋戦争で亡くなった方は、一つの石柱に8人位が記名されています。それだけ、太平洋戦争での戦没者が多かったことが分かります。麻郷護国神社は毎年4月に祭礼が行われています。この光峨眉山護国神社も、毎年祭礼が行われているのではないかと思います。
太鼓橋を渡って峨眉山下山 象鼻ヶ岬をしばらく散策
光峨眉山護国神社を過ぎると、しばらくして赤い欄干の太鼓橋をに着きました。この橋を渡り終え、象眼水井戸に行きました。そして、象鼻ヶ岬の突端に向けて、右手に海を見ながら歩きました。しばらく歩くと、150年前の幕末に築かれた室積台場(女台場)の石積みが見えてきました。萩の女台場より、石積みの構造がはっきり分かります。夫が戦場に出ている間、留守をあずかる妻達がこの台場を築いたとか。
石積みの構造がはっきりと分かる室積台場(女台場)
女台場を見学し終わると、象鼻ヶ岬突端の灯台に行きました。ここからは、千坊山尾根や田布施に行く時に越える大峰峠が良く見えます。ただ、この灯台周辺は、海流の関係でしょうか波打ち際などにたくさんのゴミが溜まっていました。景色は良いのですが、たくさんのゴミに囲まれているため、休憩しないですぐに歩きました。
千坊山尾根や大峰峠を望む、象鼻ヶ岬灯台
灯台からは象鼻ヶ岬をUターンして、内海の砂浜を歩きました。途中、大師堂に寄りました。そして、遊女の歌碑を見学後、88番ヶ所のお地蔵様が並ぶ砂浜を歩きました。そして、山大付属小中学校横の道を通りました。夏休みにも関わらず、中学校にたくさんの生徒達が来ていました。ちょうど下校時刻になったのか、下校する中学生と同じ道を歩いて普賢寺裏の駐車場に向かいました。
立ち寄った灯台近くの大師堂 山大付属小中学校
真夏の草取りなどで体力が落ちていたのか、いわゆる夏バテなのか、今回のウォーキング下見は少し疲れました。蒸し暑かったことが原因かも知れません。ところで、一番困ったのは蚊でした。蚊取り線香を持ってこなかったのは失敗でした。夏は、蚊対策が必要であることを再認識したウォーキングでした。
歩いた距離は約8kmでした。たいした距離ではありませんが、今回は少しばかり疲れました。しかし、いろいろな史跡を巡ることができて良かったです。9月の本番ウォーキングも同じコースを歩く予定です。
下見のため歩いた、峨眉山と象半ヶ岬のコース
9月にウォーキングする光市室積の峨眉山そして象鼻ヶ岬の下見に行ってきました。Eさん,Yさん,そして私を含めて3人で行ってきました。去年、峨眉山の南側を調査し、続けて峨眉山の北側も調査ウォーキングしました。さらに、その1年前にも普賢寺,光ふるさと郷土館,そして象鼻ヶ岬を調査しました。今回は、峨眉山と象鼻ヶ岬を中心に下見をしました。蚊に悩まされた蒸し暑い下見ウォーキングでした。
峨眉山北尾根の入口 北尾根から下松方面を遠望
車は、普賢寺の裏側駐車場に停めました。この駐車場がスタート地点であり終点です。最初、駐車場から歩いて光市フィッシングパークに行きました。そして、光市フィッシングパーク傍にある峨眉山北尾根入口から緩い上り坂を歩きました。しばらく歩くと、下松方面が良く見える休憩地点に着きました。そこで、休憩しつつ景色を眺めました。
普賢寺,山大付属小中学校,象鼻ヶ岬などを見下ろしつつ尾根を歩く
峨眉山は照葉樹がこんもりと茂っています。このため、周りの景色を見ることがほとんどできません。時折現れる休憩所から下界を見下ろすことができます。尾根の谷になった場所は高度が低いせいか海の波の音が良く聞こえます。さらに心地良い風が吹いていました。
崖下に見える海を見下ろして 峨眉山特有の照葉樹林
峨眉山の尾根を半分程度歩いた頃、杵崎神社に着きました。神社前は広場になっており、ここで少しばかり休憩しました。ここからフグの産卵場に行けるようでしたが、崩落のため通行禁止となっていました。杵崎神社から、普賢寺の駐車場に降りる道がありますが、そのまま峨眉山の尾根道を南に進むことにしました。
しばらく急な道を歩いていると、峨眉山の頂上に着きました。この頂上には三角点が置かれています。休憩スペースが無いことと、見晴らし良くないため、立ち見後すぐに尾根道に戻りました。
杵崎神社と広場、しばし休憩 三角点がある峨眉山の頂上
峨眉山の頂上を過ぎた頃、お昼になりました。お昼休憩に適した休憩場所がないか探しながら尾根道を歩きました。すると、山大付属小中学校が見下ろせる場所近くに休憩所がありました。ここで一時間ばかり談笑しながら休憩しました。ところで、この付近から周防灘に浮かぶ島がよく見えます。馬島,佐合島,牛島,そして春にウォーキングした祝島もよく見えました。さらにその向こうに九州が見えました。
休息用テーブルを囲んで昼食休憩
この6月東京に行った時、ロシアヒマワリの種を買いました。その種をまいて、ようやく花が咲くようになりました。背が高いヒマワリですので、花は下から見上げて観賞するほかありません。または、少し離れて観賞するしかありません。黄色の花は、とても目立ちます。まさに真夏を代表する大きな花です。花が咲いた後、とても大きな種が何百粒も実ります。
真夏を代表する黄色く大きな花、ヒマワリ
そして、私が毎年育てている日陰用の朝顔。今年も花が毎朝咲くようになりました。6月初めに播種して、7月中旬にからませる網を張りました。今、その網を登るようにしながら毎朝花を咲かせるようになりました。毎日、違う色,違う模様,そして違う大きさの朝顔が咲いています。朝顔に負けじと、ゴーヤも網を登っています。
毎日花が咲く、違う色,違う模様の朝顔
数日前に草取りした陸稲(農林24号:うるち)が、そろそろ乳熟期になってきました。まだ試してはいませんが、乳塾期の籾を指でつぶすと、乳白色の乳状汁が出てきます。この時期、スズメなどの害鳥が次々にやってきます。そして、その汁をすするようにして食べます。その垂れた汁が稲の葉や茎にかかって白くなることがあります。白く垂れた汁はやがてカビが生え、続いて稲が病気になります。
左:反射テープ、右:テグス糸 デグス糸を張るための杭打ち
乳熟期の稲をスズメに食べられないようにするためには、網を張る方法と今回のようにテグス糸を張る方法があります。網を張る方法は圃場が広い場合に適していますが、網を圃場全体に張るのは大変な作業です。また回収する作業も大変です。今私が作っている陸稲は少ない面積ですので、防鳥用テグス糸を張ることにしました。
防鳥用テグス糸を張る さらに反射テープを張る
防鳥用テグス糸を張り終えると、さらに反射テープを張りました。反射テープは少しの風だけでテープがゆらゆら動いて、日が照っているとその光をピカリピカリと反射します。効果のほどは分かりませんが、これらできる限りの対策を講じました。これで、スズメなどの防鳥対策は完璧のはずです。
ところで、めい虫,ウンカ,イナゴなどの防虫対策はしませんでした。無農薬に徹したためか、今年は稲の茎に入り込むめい虫の被害が少なくありません。どのくらい陸稲が収穫できるか心配です。
防鳥用テグス糸と反射テープを張り終えた陸稲畑
3月に植え付けたジャガイモ、これまで時々収穫しては食べてきました。今回、植え付けた品種うち、インカのめざめ,キタアカリ,そしてメークインをすべて掘り上げました。この暑い夏の堀り上げは大変です。4本爪のホークやクワを地中に突き立てて掘り上げていると、滝のように汗が落ちてきます。その汗が目に入る前にタオルでふき取りながらの、ジャガイモの収穫です。
4本爪のホークでジャガイモを掘り上げ 傷がついたジャガイモはすぐ食べる
1時間位奮闘していると、三つのジャガイモ畝を掘ることができました。掘っていると各種類のジャガイモの性質をよく知ることができます。カレーなどに使われている固めのメークインは、一部芋から小さな芽が出ていました。休眠期間が短いため芽が出るのです。それに対して、インカのめざめとキタアカリは、全く芽が出ていませんでした。私のように長い期間をかけてジャガイモを収穫しながら食べるにはメークインは適していません。
ジャガイモを植えた三つの畝、ふー!暑くて疲れる
掘り上げていると、どうしても爪が当たって傷つくジャガイモがでます。そのようなジャガイモは傷口をすぐに乾かさないと、今のような暑い季節はすぐに腐ってしまいます。このため、傷ついたジャガイモはすぐに洗って乾かしました。そして、すぐに食べることにしました。
傷がつかなかったほとんどのジャガイモは、暗く,乾燥し,そして風通しの良い場所に保管しまし。このような場所に保管すると、来年の2月位までは食べることができます。ところで、別の場所に植え付けたジャガイモ(品種:シンシア)は後日掘り上げることにしました。
掘ったジャガイモを箕に集める 暗く,乾燥し,風通しの良い場所で保管
ところで23日午後2時、麻郷小学校昭和40年卒同窓会幹事による事務局会議がありました。1月に集まって以来です。今回から、EさんとKさんが加わりました。ところが、男性は仕事などで忙しく私だけの参加となりました。
さて、先月同窓生全員に来年開催予定の同窓会予告ハガキを出したのですが、住所不定で戻ってきたものがありました。その住所が分からない同窓生を、集まったメンバーで探し出す分担を決めました。今回の集まりは、さながらミニ同窓会のようで、女性陣が楽しそうに談笑していました。唯一男性の私は弾かれそうでした。次回の事務局会議は、来年の1月4日です。
集まった麻郷小学校同窓会幹事、さながらミニ同窓会
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初日(8月6日) 2日目 (8月7日) 3日目(8月8日)
4日目(8月9日) 最終日(8月10日)
長いと思っていた香港旅行も、あっと言う間に終わってしまいました。最終日は九龍のシェアハウスを10時頃に出ました。インド人の管理人がやって来て確認をしました。その様子を見ていると、持ち去る人がいるのでしょうかタオルなどの数を丁寧に数えていました。OKが出ると、このシェアハウスを出ました。退出時にインド人の彼にお礼を言い握手しました。ホテルと違い、人数に関係ない1部屋いくらのシェアハウス宿泊を経験できて良かったです。
鉄道の九龍駅に到着 飛行機に乗せる荷物を預ける
シェアハウスを出ると、鉄道の九龍駅までバスで行きました。そして、駅で飛行機にのせる荷物を預けました。この駅で預けられた荷物は、飛行機に乗せられ羽田駅で受け取ることができます。荷物が多い場合、とても便利です。電車に乗って香港空港に向かう間、窓の外に広がる香港の風景を静かに見続けました。香港空港に着くと、見送りのためCさん夫婦が待っていました。空港内の食堂で昼食をとりながら談笑しました。香港での最後の食事でした。
九龍で荷物を預けた後、電車で空港へ 空港内食堂で、談笑しながら食事
食事が終わると、いよいよ空港ゲートをくぐりました。ところが、私が輪のようなゲートをくぐると大きな音がしました。すると、女性警備員が別コーナーに来るように私にジェスチャーで合図しました。何かトラブルがあったようです。示されたコーナーに行くと、体中に何かセンサーのようなもので当て始めました。音がした原因はデジカメでした。リュックの中に入れておくのを忘れ、首にかけていたためでした。デジカメが原因と分かり、無事解放されました。
搭乗口ゲートに入る前に、Cさん夫婦などのお見送り
搭乗口に入ると、飛行機に乗るまでの30分間位待機しました。搭乗までの間、体を軽くするなどして、のんびり待合椅子に座って待ちました。搭乗のアナウンスがあると、ビジネスクラスに乗る人から搭乗開始です。離陸後は、映画などを見て時間を過ごしました。
パスポートを見せるなど所定の手続き ようやく飛行機に乗り込む
ところで、8月9日から10日にかけて、日本には台風11号が来ていました。この台風のため、搭乗が遅れるか、予定通り乗れても飛行機が揺れるのではないかと不安に思っていました。ところが、10日午後、台風は近畿を過ぎて日本海に抜けていました。このため、雲で下界は全く見えないものの、飛行機は揺れも無く飛びました。
香港空港を離陸、その後日本に近づくと台風で下界は雲で真っ白
台風の南側を過ぎて東京に近づくと、都会の光が星空のように見えてきました。家やマンションは光っていますが、道路だけは黒い筋のようでした。そして、その黒い筋の間を車がヘッドライトを点けて通っているのが見えました。
やっと日本に帰ってきました。羽田空港に着陸すると、最後の深夜バスで京王南大沢駅に向かいました。そして、南大沢からタクシーで八王子の我家に行きました。我家に着くと、息子は香港にいる娘に到着のメールを送っていました。こうして、楽しい香港旅行4泊5日が無事終わりました。
台風11号の南側を飛行 星空のような東京の光
5月末に種をまいた陸稲(うるち種:農林24号)がようやく出穂しました。7月上旬に草取りしましたが、それから2ヶ月位経ってまた、雑草がびっしりと生えていました。このため、雨の合間を見ながら雑草を刈り取りしました。腰を落としての作業は疲れます。
穂が出た陸稲、9月中旬にに稲刈り予定
7月上旬の草取りは、主に手で草を引き抜いていました。しかし、夏になって雑草も勢いづいて茎が太くなっていました。このため、手で引き抜くことがとても無理です。このため、鎌を使って刈り取りしました。
除草前の陸稲 除草直後の陸稲
草取りをしていると、十分に育った稲もあれば、背が低いままの稲があることに気が付きます。育ち方の違いの理由は、主に雑草と肥料です。陸稲は畑に種をまくため、どうしても初期成長が遅く雑草に負けてしまいがちです。このため、初期の除草がとても大切です。
畑での稲作と水田での稲作とは除草方法が大きく違います。水田は水深さえ守っていれば除草はそれほど必要ありません。しかし、畑は除草作業が不可欠です。水田が広まった理由のひとつに除草があるのです。さらに、畑は雨などで肥料が流出しやすいため適度に肥料をまくことが大切です。今回育てた陸稲を見ると、手のかけ方による成長の違いがよく分かります。陸稲は、水稲よりとても手間がかかります。それが、陸稲が作られなくなった理由です。
めい虫にやられた陸稲の穂 茎に食い入っためい虫
私は陸稲を無農薬で栽培しています。このため、どうしても害虫にやられてしまいます。育った陸稲をよく観察すると、害虫であるめい虫の被害にあっていました。白くなった穂、茶色になった茎や葉は、どれもめい虫の被害にあったものです。農薬を使えば被害を防ぐことができたのでしょうが、私は3割程度は害虫や害鳥にやられても仕方がないと思っています。後日、害鳥に食べられないように網を張ろうと思っています。さて、今年はどれくらいの収穫があるでしょうか。
根元を綺麗に草取りした陸稲畑
ところで、22日浮島神社の祭礼がありました。去年と同様、道端で神輿,笛太鼓,そして宮司さんが来るのを待ちました。そして、到着すると御初穂料を納めました。お祓いが済むと、道端に立てていた竹を抜きました。その夜、浮島神社から花火が数発上がりました。
私が子供の頃、浮島神社にはもっとたくさんの人出があり花火の数も多かったことを覚えています。さらにその昔、浮島神社はひねきり明神と言って、夜な夜な若いお嬢さんがお尻をつねられる奇習がありました。つねられたお嬢さんは縁づきが良かったとか。
御初穂料をお納めする お祓いしている宮司さん
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初日(8月6日) 2日目 (8月7日) 3日目(8月8日)
4日目(8月9日) 最終日(8月10日)
香港に来たときは、気候が合わず体の調子が悪くなるのではないかと少々不安に思っていました。ところが、東京の夏と比べてそれほど変わりませんでした。食事の面では、果物がとても美味しかったことです。特にマンゴーは美味しく、すっかりこの果物のファンになりました。気候と美味しい果物のためでしょうか、香港にいる間ずっと快調でした。
看板がとても派手な九龍の道路 香港歴史博物館の全景
この日は香港歴史博物館に行き、帰国時のお土産を買う日です。まず初めに香港歴史博物館近くで朝食をとりました。少しの間の談笑後、香港歴史博物館に行きました。私は地方の郷土館に勤めていますので、建物を見ただけでこの香港歴史博物館がとても立派であることが分かりました。そして、どんな展示物がどのように展示されているがとても興味がありました。
香港歴史博物館前にて、私と家内
博物館の入口で入場料を払うと中に入ることができます。中国語,英語,そして日本語のパンフレットがありました。日本人の香港観光ルートの一つにこの香港歴史博物館があるのでしょうか。たくさんの日本人が訪れるのでしょう。中国語と日本語のパンフレットを取りました。
香港歴史博物館の玄関 日本語のパンフレット
博物館の中に入ると、息子か誰かが外国語で解説してくれる機器があることに気が付きました。そこで、数台のその機器を借りました。この博物館内の展示箇所に書かれた番号を入力すると日本語で説明してくれるのです。訪れる外国人に対する親切な計らいだと思います。
最初この機器で説明を聞いていましたが、展示物に書かれている中国語(漢字)をじっくり読んだ方が私に合っていることが分かりました。このため、後半はあまりこの機器を使わなくなりました。私は、漢字を読めることのありがたさをこの博物館で実感しました。
博物館の入口にて、〇は日本語で説明してくれる機器
順路の最初は、数億年前の香港です。地殻変動か何かでできた石や地層などが展示されていました。そして、数万年前に住んでいた原人などの展示へと続きます。そして、展示物の中で嬉しいものを見てしまいました。田布施郷土館にも展示してある唐箕です。この農具は、「唐箕」の名前のとおり中国から日本に渡ってきた農具のようです。この香港で「唐箕」に出会うとは思ってもみませんでした。
香港で昔使われていた農機具展示コーナーに置かれていた唐箕
昔の農機具展示コーナーを過ぎると、中国古来のお祭りや風習のコーナーがありました。京劇は、北京などの大都市の演劇だと思っていましたが、普通の農村などでも田舎京劇として楽しまれていたようです。
しばらく展示物を見ていると、近代の歴史が展示してあるコーナーに来ました。南京条約,北京条約,アヘン戦争など中国の苦難の近代史が数多く展示されていました。東アジアの人特に中国の人ならば、この時代の展示物を見て何か特別な思いに駆られるのではないかと思います。
田舎京劇の展示物 南京条約の証書
この博物館では香港の近代史がとてもよく説明されていました。特に欧米列強との紛争の結果、南京条約や北京条約などで香港やマカオが咀嚼されていって経過がよく分かります。ある展示物コーナーで孫文の書に出会いました。そして、香港の日本占領時代のコーナーも見学しました。日本人の私としては少々重いコーナーですが、展示物や説明を丹念に見ました。
何か重みが感じられる孫文の書 日本占領時代の展示物コーナー
中国近代史の展示物を見学する合間に、香港の昔の生活にも触れました。良かったのは水上生活者が使っていた船が、一艘まるまる保存展示されている部屋です。1家族が生活できるジャンク船が一艘展示されていました。東南アジアではまだ水上生活者がいるようですが、香港はもう過去のものになっているようです。日本にもかつて瀬戸内海などに水上生活者がいましたが、どこかに展示されているのでしょうか。
1家族がかつて生活していた小型のジャンク船
香港歴史博物館には3時間位いたのですが、時間が全然足りません。展示物を見ていると、「早く行こう!」と家族から催促されてしまいました。時間がかかる理由は、説明文である中国語を読み解くことに時間がかかることです。今度また香港を訪問することがあれば、じっくりと1人でこの博物館を見学したいと思います。
見よう見まねで香港式食事儀礼 美味しそうな中華料理を前に
香港歴史博物館を出ると、しばらく歩いて中華レストランで昼食をとることにしました。やはり、丸いテーブルに座って食事をしました。香港式食事儀礼に従って、見よう見まねで配られて椀を軽くお茶で洗いました。そして、出された中華料理を取りながら食べました。日本で見る中華料理と比べて、その品数が豊富です。知らない素材が多く使われているようでした。
美味しそうな中華料理を前に、自然に笑みがこぼれる
食事を済ませ中華レストランを出ると、お土産を買うために九龍の繁華街を回りました。いろんなお店があって戸惑います。そして、あるお土産専門店に入りました。ところが、そこで私は失敗してしまいました。つい日本にいる気分で大きな箱のお土産をたくさん買ってしまったのです。Cさんからも茶器などのお土産をたくさんもらっているため、とてもカバンに入りきりません。家内や娘から「どうやってこのお土産、カバンに入れてもって帰るの!」などと、怒られてしまいました。やれやれ。
お土産を買って帰ったシェアハウスの最後の夜、購入したお寿司を夕食にしました。明日は、お土産を満載して帰国です。
お土産を購入した香港九龍の繁華街
キャベツ2種と白菜1種の苗を作ることにしました。1つ目のキャベツは以前からよく作っている「四季獲」と呼ばれるキャベツです。上手く苗を作り回せば、一年中作ることができるキャベツです。ただ、昔の品種ですのでやや固めです。そして、2つ目のキャベツは、サラダ用に開発された「コーラス」です。今は、この「コーラス」のように柔らかくサラダや浅漬けに使うことができる品種が多くなったように思います。
キャベツ2種,白菜1種の種袋 市販の培養土を苗箱に充填
白菜は「金将二号」と呼ばれる品種です。比較的大きくなる品種です。白菜は特に種まき時期が重要です。今、種をまくならば大きくなる品種が適していますが、9月末に種をまくならば小玉で早生の品種が適しています。白菜は特に。品種ごとの葉数などを守らなければ玉になりません。キャベツや白菜に限らず、秋は種まきの時期を正確に守ることが大切です。
ボールペンの先端を押し当てて、種まきする植穴にする
ところで、今年は市販の培養土を苗床の土として使いました。苗箱にその培養土を充填してから種まきしました。種まきする直前にボールペンの先端を押し当てて植穴を開けます。1つの箱内に3粒の種をまきました。種をまき終ると、そっと指を押し当てて植穴を土でふさぎました。そして、ジョロに入れた水をかけました。5日後頃には発芽すると思います。
植穴に1粒づつ種まき 指を使って植穴をふさぐ
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4日目(8月9日) 最終日(8月10日)
香港3日目の8月8日の朝、対岸の香港島が良く見える九龍の波止場に行きました。そして、香港の婚姻登記所に行きました。しかし、来るのが1時間位早かったためか、まだCさん家族が来ていませんでした。このため、喫茶店で時間をつぶしました。
喫茶店で時間をつぶす我家族 娘のために、家内が作ったリングピロー
喫茶店で時間をつぶしている時、家内が娘に手製の指輪枕(指輪休めまたはリングピローとも言う)を渡しました。この枕は指輪などを置くためのものです。家内に聞くと、娘が高校時代に着ていた制服の一部を使って作ったそうです。高校名が書かれた袖布が裏にあしらわれていました。上右画像で、娘が見せているものがリングピローの裏側で、高校名「OBIRIN」(桜美林)が見える。
手続きをしている娘と彼氏 同意のサインをしている私
喫茶店で談笑していると時間になりました。婚姻登記所に行くと、Cさん家族が入口で待っていました。両家族で地下にある婚姻登記所に向かいました。日本では婚姻届けと言いますが、香港では不動産と同じように登記するようです。
着くと、既に1組の登記が終わっていました。しばらくして、娘と彼氏が登記の手続きをしました。そして、別の部屋に行って結婚宣言をしました。その時、私と彼氏のお父さんが同意のサインをしました。日本は紙切れを一枚出すだけで超簡単ですが、香港は少しばかり厳格のようです。
結婚宣言をする二人と、見守る父親たち、そして婚姻登記所の方々
この時、面白い話を聞きました。香港では、結婚する予定のカップルを結婚1ヶ月位前からホームページに乗せるそうです。その結婚に異議がある人がいれば、申し出ることができるそうです。反対する人が1人でもいた場合、どうなるのでしょう。そもそも、親の同意のサインがなければどうなるのだろうと思ってしまいました。私と家内が結婚した時、だれの承認もサインもなく、あまりにもあっさりと結婚届けが受理されました。日本は、本当に自由であっさりとした国なのだと思いました。ところで、8月8日は漢字で八八と末広がりの字が二つ並ぶので、香港では縁起がとても良い日と言われているそうです。
婚姻届け後、対岸の香港島が見える波止場にて
香港での婚姻届けは終わりましたが、これだけでは結婚は半分終わっただけなのです。実は、日本では娘はまだ未婚のままです。香港の書類を持って、数ヶ月以内に日本の役場に届けなければなりません。両国で届けて初めて結婚が成立するようです。今はまだ、半結婚なのです。このまま日本で届けなければどうなるのかと、つっこみたくなります。
有名なホテルの前で我家族 嬉しそうな家内と娘
ところで、同じ婚姻登記所にもう一組のカップルとその家族がいました。あまりのラフな姿にびっくりしました。ほぼ全員サンダル履きでカラフルなハワイアン半袖で、普段着のようなスタイルでした。私が思うに、北の国ほど婚姻儀式が厳格で、南になるほどラフなように思います。国民性と言うか、民族性の違いもあるのでしょうか。
右から、私,娘,彼氏の母親,そして彼氏の父親
香港に来てからずっと曇り空でした。夜はざあざあと雨が降るような不安定な天気でしたが。しかし、8日は朝から天気が良くて、波止場はたくさんの人が来ていました。波止場付近は歩行者だけが通ることができるようでした。なお、波止場で三脚を使って全員の写真を撮影しようと思っていたら、監視員の方から注意を受けました。人通りが多いので、三脚が邪魔になるようでした。香港は最初思っていた以上に規制があるようです。それだけルールを守らない人が多いのかもしれませんが。
近くの中華レストランで昼食 婚姻に当たっての香港式儀礼
ところで、婚姻登記をして波止場で思い思いに写真を撮影した後、中華レストランに行きました。丸いテーブルに家族が向かい合うように座りました。そして、相手の家族から教えてもらい香港式の婚姻儀礼をしました。私は封筒ほどの大きさの赤い紙袋を渡されました。聞くと、本来ならば自分で用意するようなのですが、私の家族はその儀礼を知りません。あらかじめ私の家族分を用意していただきました。ありがとうございました(謝謝)。
調理された魚(くえ)を分ける娘の彼氏
その赤い紙袋を互いの家族で渡すのですが、言われるままに深々と渡したため誰に渡したのかよく覚えていません。たぶん私は、娘の彼氏,彼氏の父親,そして彼氏の母親に渡したように思います。袋の中にはお金などを入れるようです。よくは知らないのですが、一種のご祝儀かもしれません。「これから末永く、親しく親戚づきあいをしましょう。」との意味が込められているのではないかと思います。
私の娘と彼氏の母親の間での、赤い袋を渡す儀礼
最近の日本では、結婚しない若者が増えているようです。昔と比べて、仕事さえあれば女性も一生生きていけること、奥さんを養えるほど男性に経済的ゆとりが無くなっていること、昔より出会う機会が少なくなっていること、また若者の結婚に対する考え方が多様化しているなど、結婚へのハードルがより高くなっているように思います。
私の母親が結婚した時代はほとんどが見合い結婚でした。むしろ恋愛はご法度でした。しかし、私が結婚した30年位前は見合いと恋愛は半々でした。そして現在、見合い制度はほぼ崩壊し恋愛結婚ばかりになりました。それははからずも、結婚するための努力や能力がより問われる時代になったことをあらわしています。
ところで私は、結婚にメリットがあるかないか、長所があるかないかで考えるのはどうかと思います。私は、一度は結婚してみるべきと思います。親の勧めで仕方なく結婚した二人にもかかわらず、今はすっかり幸せになっている夫婦を何人も知っています。今の私は家内とは決して仲むつまじいとは言えませんが、それを補って余るほどの幸せをもらっています。こうして息子や娘に楽しい香港旅行をさせてもらっているのも結婚のおかげなのです。
深夜になっても賑やかな、香港の繁華街
秋ジャガイモの植え付けをしました。去年も今頃、ジャガイモ(品種:ニシユタカ)を植え付けしました。今回植えたジャガイモの品種はアンデスです。春夏共に植え付けることができる面白い品種です。八王子に住んでいた頃、このアンデスをよく植え付けしていました。
植え付け場所を丁寧に耕耘 種芋のアンデス
このアンデスは春夏共用のジャガイモです。春夏共用の理由は、夏収穫後に余ったジャガイモをそのまま秋ジャガイモの種芋として使うことができることです。欠点は、長所の裏返しなのですが、早く食べないと芽が早く出ることです。表皮が赤い面白いジャガイモです。
種芋を30cm位ごとに植穴に植え付け
クワで植穴を開けて、種芋を30cm位ごとに置きます。そして、種芋と種芋の間に肥料をまきます。そして、最後にクワで種芋の上に土を被せます。ところで、春ジャガイモは芽の数に合わせて包丁などで切って分割します。しかし、秋ジャガイモ用の種芋は分割しません。暑い夏は芋が腐りやすいためです。
種芋と種芋の間に肥料をまく クワを使って、種芋の上に土を被せる
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初日(8月6日) 2日目 (8月7日) 3日目(8月8日)
4日目(8月9日) 最終日(8月10日)
8月7日は、娘の彼氏のご両親に逢う日です。そのため、宿泊している九龍から新界の元朗に向かいました。早朝に宿泊している九龍のシェアハウスを出ると、近くの喫茶店で軽食を取りました。そして、停留所から二階建てバスに乗って新界の元朗へ行きました。このさい二階の前面に座って九龍や新界を見渡しました。
喫茶店で軽食を取る 景色が良い二階建てバスの2階部前面
バスの二階に上がって周りを見ると、香港の家々をよく見ることができます。香港は全体的に都会なのでしょう、畑や田んぼが全くありません。おそらく、山以外に平らな土地が少ないため、田んぼや畑が作れないのではないかと思います。食料は、中国本土からか輸入物が多いのではないかと思われます。ところで、香港では「酒店」は「ホテル」とのこと、初めて知りました。最初、どうして酒を売る店が多いのかと思っていました。
ビルやマンションばかりの香港の九龍
二階建てバスに乗っていて、いろいろ面白いことに気がつきました。一つは家を改築したりするときの足場です。その足場を見て、とても懐かしく思いました。香港では今だに足場が竹で組んであるのです。長い竹ざおを縦横無尽に組み合わせた足場なのです。私が子供の頃、竹竿や木を組み合わせて足場が組まれていました。日本ではいつの頃か、竹ではなく専用の鉄製金具に置き換わってしまいました。竹で足場を作るのはとても技能のいるしかも危険な仕事です。香港ではその貴重な技能者がまだいるのでしょう。
通りを器用に囲った、竹で組んだ足場 近代的な住居と高速道路
九龍の町並みを抜けると近代的な町並みが広がっており、高層マンションが林立していました。竹の足場といい、近代的な高層ビルといい、香港は新旧が入り混じっている不思議な都市です。長いトンネルを抜けると、新界に入りました。そして、新界のほぼ中心にある元朗に着きました。道路には、香港島のような二階建てではない二連結の路面電車が走っていました。
バスを降りると、地元で採れた果物などが露店で売っていました。この露天商を見ていると、これまた懐かしい思いに駆られました。そう言えば、私が子供の頃の日本にもこのような露天商がたくさんいました。今の日本では、テレビで紹介されるほどに露天商は珍しい存在になりました。
右は路面電車が走る道路 懐かしい露天商、南国の野菜がたくさん
元朗に着くと、娘の彼氏のご両親(Cさん)が待っている中華レストランに行きました。混雑する人並みをかき分けて、そのレストランに入りました。その一番奥の一番大きな丸テーブルにご両親と彼氏の弟が待っていました。丸テーブルに座る前に、挨拶をしました。私は全く中国語が全く分かりません。英語で挨拶したように思いますが、通じたのでしょうか。その後、両家族で自己紹介しつつ歓談しながら昼食をとりました。
右から、私の娘,娘の彼氏,彼氏のお母さん,彼氏のお父さん,そして彼氏の弟
昼食中ずっと、不思議な会話が続きました。相手のご両親が息子である彼氏に話をし、彼氏がそれを英語に翻訳して私の娘に話をし、娘がそれを日本語に翻訳して私と家内に話すのです。私の息子は中国語ができるのですが北京語です。広東語で話をするご両親との会話に苦労していました。しかしそれでも、何度も聞き返しながら相槌をうちつつ中国語で直接会話をしていました。
丸テーブルに盛られた美味しそうな料理 元朗で乗ったミニバス
中国式(香港)の会食儀礼にはびっくりしました。最初、お皿などを自分でお湯かお茶で洗うのには戸惑いました。一番驚いたのは、最初取り皿と思っていたお皿は食屑を入れるお皿とのこと。魚など骨や野菜のすじなどを入れます。取り皿は、日本の湯飲み茶碗ほどの大きさの椀なのです。その小さな椀に料理を入れて食べるのです。日本のような1人分のお膳のようなものは無く、盛られた大皿から取り箸を使って取るのです。香港では、1人分配膳の習慣は無いようです。料理は、中国らしく、シュウマイや蒸し饅頭のような中国料理がたくさん出ました。美味しい料理をいただくことができ、大変ありがとうございました(多謝)。
招待された、元朗から少し離れたCさんの家
相手のご両親との楽しい食事が終わると、元朗からミニバスに乗ってご両親の家に行きました。ミニバスは20人程度が乗れる日本のマイクロバス位のバスです。日本のバスと比べると、少し乱暴な運転で運転手の愛想もあまり良くありません。日本のバス運転手が安全運転過ぎてサービスが良すぎるので、そう思うのかも知れませんが。
バスを降りると近くにあった鳥居のようなゲートをくぐりました。香港の住宅は安全のため、各団地は塀で囲まれているようです。このため、ゲートを通らないと団地内に入れません。真夜中はゲートが閉められているため、門番がゲートを開けないと団地に入れないそうです。団地が塀で囲まれているのは、一種の城壁の考え方ではないかと思います。大陸らしい団地構造です。日本もこのようにすれば、空き巣や泥棒の被害から免れると思います。
嬉しそうな娘、指輪と腕輪(右下) 中国楽器の二胡を教わる
彼氏のご両親宅に着くと、少しばかり果物を食べたりしながら談笑しました。言葉はさっぱり分からないのですが、娘や息子が翻訳してくれるので、とても助かります。穏やかな時間が過ぎていきました。そして、指輪などを見せていただきました。特に、黄金の腕輪には驚きました。日本では指輪が普通で、腕輪は聞いたことがありません。指輪はヨーロッパから持ち込まれた風習だと思われますが、金の腕輪は昔からの中国または香港周辺の風習のようです。
二胡を演奏するお父さん 相手のお母さんと家内
お父さんの宝物をいくつか見せていただきました。その一つが、お茶のコレクションです。発酵させた年代物のお茶をいくつか見せていただきました。そのうち、いくつかをいただきました。貴重なお茶を、本当にありがとうこざいました。また、バーベキューができる屋上はお父さんの楽しみの場所になっているようでした。小さな池があり、金魚が数匹飼われていました。また、庭木の下に亀(ハコガメ)が2匹飼われていました。
Cさんの家の屋上庭園での楽しいひととき
この屋上庭園に、パソコンや中国楽器二胡などが飾られた小さな小部屋がありました。私はかつてギターやトロンボーンを演奏したことがありますが、二胡は初めてです。少しばかり二胡を教わった後、実際に演奏していただきました。屋上の庭などを見せていただき本当にありがとうございました(多謝)。
元朗での楽しい時間を過ごした後、再び九龍に戻りました。
宿泊中の九龍~元朗~Cさんの家のルートを往復
去年は園芸店で小豆の種を購入して、7月末に種をまきました。しかし、今年は香港に行くなどで忙しく、8月上旬までに小豆の種をまけませんでした。このため、急いで種をまくことにしました。ところが、この時期になると小豆の種を売っていません。去年収穫した鞘が少しばかり残っていたため、この鞘から採種してまきました。今の時期に種まきするのは、ぎりぎりではないかと思います。11月上旬までに収穫できるでしょうか。
去年収穫した鞘から採種 30cmごとに、多めの5粒播種
普通は30cmごとに3粒まくのですが、今回は5粒まきました。去年は、日照りのため枯れた小豆がありましたが、今年は雨が多いため土が湿っています。早く発芽して成長してくれればと思います。8月から9月にかけてが勝負です。小豆は遅植えできる数少ない豆なのですが少し心配です。
小豆の種をまいた畝、早く発芽してくれると良いのですが
続いて、遅れた枝豆(大豆)の種まきをしました。去年は、7月末に種まきをしました。しかし、実が熟すのが早かったため枝豆を高塔ふれあい祭りに出すことができませんでした。このため、今年はわざと種まきを遅らせてみました。高塔ふれあい祭り直前に収穫できると良いのですが。収穫時期の予測は難しいので、予定通り収穫できるかどうかは分かりません。
枝豆を植える畑を耕耘 30cmごとに印をつけて播種
ところで、小豆は芽が上に出て子葉の部分は地中に残ります。しかし、大豆は、子葉が地表に出ます。この子葉を狙って鳩などの鳥がやってきます。せっかく発芽した子葉、食べられてしまうと大豆は育たず枯れてしまいます。これを防ぐため、種まきした上に、防鳥用のテグス糸を張りました。さて、狙ったとおり11月10日頃に枝豆が収穫できるでしょうか。
鳩に食べられないように防鳥用テグス糸(透明な極細糸)を張る
次の5日間、楽しい香港旅行をしてきました。それぞれの日をクリックしてください。
初日(8月6日) 2日目 (8月7日) 3日目(8月8日)
4日目(8月9日) 最終日(8月10日)
香港に行く日がやって来ました。6日早朝に練馬の我家をKちゃんの見送りで、家内,息子,そして私の3人が一緒に出発しました。羽田空港には新橋駅からモノレールで行くのですが、何十年ぶりに乗りました。私が初めて飛行機で鹿児島に行った時以来ではないかと思いますが、はっきりとは思い出せません。羽田空港に着くと、所定の手続きを済ませてしばらくコーヒーでも飲みながら休憩しました。
練馬の我家を、さあ出発 羽田空港でしばし休憩
飛行機は息子が手配したようで、香港直通のエコノミークラスでした。やや窮屈でしたが、載っている時間は3時間程度です。新幹線で5時間も乗っているのに比べたら楽なものです。さて、飛行機がぐんぐん高度を上げていきました。下を見ると、家や道路がどんどん小さくなっていきます。「ここから落ちたら痛いだろうなあ。」などと思っていると、じきに富士山が見えてきました。
翼の下に小さく富士山が見える
配られた機内食を食べた後、しばらく下界を見ていました。鹿児島を過ぎると、海ばかりの風景に退屈になってきました。思ったより揺れもなく眠くなったためしばらく寝ました。着陸40分位前になると、アナウンスがありました。しばらくして下界を見ると、香港らしい島影が見えてきました。香港空港に着くと、娘達が待っていました。
見えてきた香港の島々 待っていた娘達と合流
香港空港から、二階建てのバスに乗りました。このバスはこの香港がイギリスの植民地だった痕跡をよく示しているように思います。二階建てバスは、イギリス本土とイギリス連邦だけでしか見かけないように思いますので。このバスに乗って、これから5日宿泊する九龍に向かいました。
香港空港の二階建てバス停留所 バス内で、しばし楽しく会話
香港空港からは高速道路とおぼしき道路を通り、大きな橋を渡って九龍に着きました。香港に来る前は、立派なホテルにでも宿泊するのかと思っていました。しかし、倹約家の娘らしい考えです。九龍のシェアハウスに泊まることになりました。
香港空港から九龍まで、二階建てバスで移動
九龍のジョーダンに着くと、バスを降りました。少し歩いて、これから宿泊するシェアハウスに到着しました。到着後しばらくして、インド人の管理人がやって来ました。彼から、冷蔵庫,電子レンジ,ガスコンロ.シャワーなどの使い方を教えてもらいました。これから、4泊5日の自炊生活の始まりです。とは言っても、外食や買弁が主になりましたが。
1泊2万円(1人当たり4,000円)のシェアハウスに到着し、生活用品を広げる
九龍のシェアハウスでしばらく休憩すると、有名な香港の夜景を見るため出かけることにしました。九龍から対岸の香港島に渡り、香港島ケーブルカーに乗って山頂に行くのです。まずは、近くの飲食店で簡単な食事をしました。そして、九龍公園を通って渡船場がある波止場に行きました。九龍公園は、南国の木々がこんもりと生い茂ったなかなか立派な公園でした。時間があれば、もう少しゆっくり堪能したかった公園でした。
楽しそうに食事する、娘と彼氏 広い九龍公園を横切る
波止場に着くと、大小いろいろな船が接岸していました。世界旅行途中では、と思わせるような巨大な観光船も接岸していました。船に乗る前、体の調子が思わしくない家内が漢方コーナーで漢方薬ジュースを買いました。一口飲みましたが、苦くて私はとても飲めません。その苦い漢方薬ジュースを飲んだためか、家内は以降だんだん体の調子が回復していきました。
波止場にたたずむ家内 漢方薬ジュースを飲むが
波止場から対岸の香港島までの連絡船は、とても懐かしい船でした。いわゆる伝馬船のようで、船底のエンジンがまさにポンポンと音を立てていました。木造船で、あちこちの柱が鋲で固定されていました。とてもゆっくりと進むので、デッキに立って周りの海辺の景色を楽しみました。このころになると、夕闇が迫ってきました。
九龍から香港島への連絡船、昔あった伝馬船のよう
香港島に着くと、すぐにバスに乗ってケーブルカー乗り場に行きました。ところが、中国もお盆休みのようで、たくさんの人でごったがえしていました。ケーブルカーに乗るための行列が半端ではなく、2時間位並ぶらしいとこのこと。このため、今回は山頂に行くのはあきらめました。ケーブルカー乗り場から歩いて、香港の高層ビル街を散策することにしました。
超混雑のケーブルカー乗り場 香港島の高層ビル街
高層ビルのイルミネーションを見ながら坂を降りて、路面電車(チンチン電車)に乗りました。この路面電車も二階建てでした。かなりレトロな電車で、中はとても狭く感じました。リュックのような大荷物を持っていると通路で身動きできません。昔の日本にはどこにでもあった路面電車、香港で出会うとは思ってもみませんでした。とても懐かしい路面電車でした。
レトロな二階建て路面電車 私以外、全員が残した亀ゼリー
黄金広場と呼ばれる場所の近くで路面電車を降りました。休憩のための喫茶店を探しましたが、混んでいてなかなか見つかりません。あるお店が空いていたので入りました。そのお店は、亀ゼリーを食べる喫茶店です。出されたゼリーは、超まずくて2口目からは食べられません。どうりで。お店が空いている訳です。このゼリー、亀の甲羅などをつぶしてゼリーにしたものとのことでした。あまりにもまずく苦いので、私は蜂蜜を混ぜてなんとか完食しました。しかし、私以外の全員はあまりのまずさに残しました。大きな鍋は亀を煮込んでいたのでしょうか。
九龍のシェアハウスに戻ってくつろぐ
亀ゼリーを食べ終わると、海底トンネルを通る地下鉄に乗りました。1度乗り換えて、九龍のジョーダン駅で降りました。そして、疲れた足でシェアハウスに戻りました。そして、めいめい好きな姿勢で休憩をとりました。そして、好きな場所で寝ました。
夕方出かけた香港島、ケーブルカーは混雑で乗れず