何年ぶりのことでしょう寝台列車に乗ったのは。仕事が終わった次の8日早朝、寝台列車は横浜に着きました。そして、9日に山口県にトンボ帰りして、10日に山口市に出張です。やれやれ忙しい日々です。定年退職後のんびり生活が待っていたはずなのに、このせわしなさは、いったいなんでしょう。
久しぶりに乗った寝台列車 列車名「サンライズ瀬戸」
私が知っている寝台列車は10年位前?に廃止された富士やあさかぜです。いらゆるブルートレインです。あさかぜは窮屈でしたので、富士が私のお気に入りでした。いったい何度寝台列車に乗ったことでしょう。思い出しましたが、40年位前のある日私は富士に乗って大分近くを走っていました。夕食頃寝台列車の食堂で、ある出会いがありました。心がちくりと痛む思い出です.
さて、今回乗ったサンライズ瀬戸、寝台車はずいぶんと進化したものです。とても寝やすくて、揺れる列車がゆりかごのようでした。ぐっすりと寝てしまいました。朝7時頃に横浜で下車しました。駅構内でモーニングサービスを朝食としました。
寝間着付きの部屋 寝台列車の車窓 モーニングサービス
昨日(1日)の夜、私の同級生Eさんの自宅でミニ同窓会をしました。これまで個別にそれぞれの方に逢いましたが、こうしてみなさんと集まって同席したのは初めてです。当初1日前の31日夕方に開催予定だったのですが、台風15号が迫っていたため1日に延期しました。このため、数名の方が来ることができなくなってしまったのは残念でした。中でも、事前に手料理を準備していたN君、奥様のお母さまが急逝されて出席できなくなってしまいました。
早めに来てプレートで肉を焼く 途中で、女性陣に交代
ところで、私は早めに行って準備しました。最初、プレートを温めて焼肉をしました。しかしながら家庭料理が苦手の私、後から来た女性陣に交代していただきました。私は、焼けた肉などの料理を猫に取られないようにする番の役をしました(笑)。そうこうしているうちに、皆さんが集まってきました。
参加した元若者達、皆さん年月を経ていい顔になっています
皆さん、もう孫がいる世代になりました。それぞれ、人生経験も豊富でとてもいいお顔になっていました。子供の頃の悪がんとう時代を振り返りつつ、一気に青春時代の話、つれあいとのなれ初め、子供や孫のことなどで盛り上がりました。
私が中学高校生の頃は都会へのあこがればかりで、故郷への思いなど考えたことがありませんでした。こうして子供の頃に遊んだ幼なじみと、再び楽しく歓談できるようになろうとは思いもしませんでした。本当にありがたいことです。
午後6時から始まって深夜0時頃に終わりました。あっと言うまの時間でした。私は楽しい余韻に浸りながら、一人暗い田んぼ道を歩いて帰りました。深夜の玄関前、リンちゃんが私の帰りをじっと待っていました。
美味しい料理やお酒を堪能 幼き頃を振り返りながら楽しく歓談
ジャガイモ畑を覆うように占領したカボチャの葉
恐る恐るカボチャの葉をかき分けながらジャガイモ畑に分け入りました。そして、カボチャの葉を押しのけて足場を確保しました。地面にはカボチャの茎が縦横に張っていました。そのカボチャの茎を傷めないようにホークを使ってジャガイモを掘りました。ジャガイモの枯茎が掘る大まかな箇所です。
カボチャの葉を押しのけて足場を確保
カボチャの茎を痛めないように、ジャガイモを傷つけないようにそろそろとホークを土に突き立てました。そして、ゆっくりと土を掘り起こしました。芋を傷つけないように素手でジャガイモを次々に掘り出しました。今年は比較的大粒のジャガイモが収穫できました。
地面にホークを突き立てる ジャガイモの枯茎と芋
カボチャは思っていた以上にジャガイモ畑に縦横に張っていました。あまりジャガイモ堀りに夢中になるとカボチャを痛めてしまいます。籠一杯程度収穫して今日は終わりました。
掘ったジャガイモを籠に入れる
5月上旬に綺麗な花を咲かせていた絹さやエンドウ豆をようやく収穫できるようになりました。今年は4月中旬に雪が積もるほど寒い春でした。1~2週間ほど季節が遅れている気がしています。このため、田んぼでは苗が,畑では野菜がなかなか生育しません。実際野菜の高騰がニュースになっています。とはいえ、ようやく絹さやエンドウ豆を収穫できました。
ようやく収穫できるようになった絹さやエンドウ豆
畑のそばで咲いている梅
冬が暖かいのはいいのですが、それだけ夏は猛暑の日が増えるのでしょうね。毎年夏は猛暑の日が増えたように思います。それだけ暑い夏は野菜を育てるのに苦労します。例えば、ほうれん草は夏に作るのがとても難しい作物です。黒の寒冷紗を使って日陰を使ってもなかなかうまく育てることができません。技術不足だからかも知れませんが。
梅の隣で小さく咲いている紅梅
このところ日差しが強くなってしかも日が長くなってきたため、田んぼの土手ではいろいろな野草の花が咲くようになりました。例えばタンポポ。春の花のように思われがちですが、ロゼット状の葉の間から低く花を咲かせています。ふきのとうも出てきました。
土から出たふきのとう 満開のタンポポ
これからの季節、だんだん畑仕事が忙しくなってきました。ジャガイモはすでに種芋を植え込みました。ソラマメ苗やエンドウ豆苗を植えつけました。これからはさらに畑を耕して春のほうれん草、キャベツ、レタスなどを種を蒔くスケジュールがびっしりです。
田んぼの土手にびっしりと咲いていたオオイヌノフグリの青い小花
佐合島、その向こうに馬島、そして本州
長島から東北方面を見ると、上関半島が眼下に見渡せます。上関半島は古代には島でした。
上関半島の尾国、向こう柳井市、屋代島(周防大島)
東を見下ろすと、本州の上関半島と長島を結ぶ橋が見えます。さらに南を遠望すると、四国を認めることができます。さらに西に目を向けると、九州の国東半島の山影を認めることができます。
眼下に見える上関町,橋,平郡島
一年半ぶりに故郷の山口県に帰省しました。ただ田舎で寝て過ごすのはもったいないので、日本海側の萩に行きました。萩は明治日本の発祥地とも言われている歴史的な町です。今日は、以前行ったことのない場所を中心に回りました。
駅で自転車を借りて息子と一緒に市内を回りました。この町は自転車で回るのにちょうど良い広さです。一番最初は江戸時代の野山獄跡に行きました。そして、次に日本海側にある海水浴に行きました。海の向こうに見える小山のふもとに萩城址があります。
日本海に面した海水浴場
続いて萩城跡に行きました。城は堀で囲まれていて、堀の周りを観光船で回ることができます。シーズンオフのため観光船に乗る人はまばらでした。
萩城址の石垣
市内を自転車で走っていると懐かしい小学校がありました。明倫館小学校で、発祥は江戸時代の武士の学校です。今では日本の小学校は、コンクリート製の学校ばかりになってしまいました。このように昔の校舎を保存しつつ、今でも生徒が通っている小学校は日本では稀だと思います。私の小学生時代もこのような木製の校舎でしたので、とても懐かしい気持ちがしました。
明倫館小学校の木製校舎
作る第一歩として、まずOSであるWindows XP Homeを最初に買いました。フロッピーディスク装置付きOEM版で1万円程度で購入しました。あとはマザーボードとCPUをどうしようかと今悩んでいます。特にCPUをデュアルコアにするかどうかで、それに伴いマザーボードも945系にするかどうかです。永く使うのであればデュアルコアがいいかも知れませんが、一般の家庭用であれば通常のシングルコアで十分のような気がします。どちらにしようか悩みの種です。
破損して折れたロータリーの耕運爪
一本程度破損していても畑の耕運にはそれほど差し支えないようにみえます。しかし、耕運爪が一本破損して一番困るのは耕運爪をつけたまま移動するときに大きく耕運機がガクンガクンと揺れることです。 新しい耕耘爪に交換するために耕運機からロータリーを取りはずして、爪を固定している根元のボルトをはずします。ボルトは長い間に錆びていたため、レンチで強く回すとあっけなく折れてしまいました。新しく購入していたステンレスのボルトで耕運爪を固定しました。
ステンレスのボルトで耕運爪を固定
これで畑を耕運できるようになったので一安心です。耕運機ロータリーの耕運爪が折れるとことはまずないそうです。堅い根っこや、大きな石などを無理に耕運しようとした時に折れることがあるそうです。折れた耕運爪は良い素材の鋼鉄のため加工してナイフでも作ろうと思っています。
耕運爪を交換し終わったロータリー
ところで、畑では玉ねぎの茎が倒れ始めたので収穫時期到来です。梅雨までのここ一週間以内に収穫しないと、茎が雨で腐りはじめて軒下に吊るせなくなります。今日はこれから仕事のため農作業時間がないので、四個だけ収穫して持って帰りました。
ところで、恵泉女学園大学からあるゼミで「人と自然のかかわり」で視察希望の連絡が入りました。このため、基本的にOKの方向で、次のような返信メールをするつもりです。
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「人と自然とのかかわり」での視察希望とのことですが、次の日はいかがでしょうか。
6月7(午前中のみ),21,28日の三日のうちどれか。※7月以降は未定です。お勧めは、28日です。別所小学校の生徒達が60人ばかり田植えにきます。田植えを通じた、自然や里山と子供達の関わりなどを視察するめったにない機会だと思います。もちろん子供達と一緒に田植えをしながら、同時に子供達と交流するのもいいかと思います。また、28日以外の日では、牧場、里山、織物工房、小川などを視察してみてはいかがでしょうか。よろしくお願いいたします。
子供の頃に羽蟻の大群を見たことがありますが、切り株全体を覆うほどの羽蟻を見るのは初めてでした。この羽蟻たちがどこかに飛びたちどこかに着地してオスとメスがカップルになってシロアリの巣を作るのか、と思うと自然の不思議さを見たような気がしました。何万匹の羽蟻の中で無事に巣を作ることができるのは数匹とか。シロアリは増えると困るけれど、人知れずどこかの山でひっそりと頑張って生きて欲しい気もしました。
このため、ほんと久しぶりにタイヤとタイヤチューブを全部交換しました。このため、後輪のハブをはずしての大修理となりました。ハブを取り外したのは何年前のことでしょう。しかしながら修理は大好きなので、タイヤを買いに行った後一時間ほどで修理が完了しました。あと何年後にまたタイヤ交換することになるでしょうか。修理しながら、これほどまでに自転車を乗ったのかと感慨にふけりました。
これまでは毎年、日本のメロンといわれるマクワウリを作ってきました。マクワウリは、日本の気候に合っているためビニールトンネルなしに作れますがメロンはそうはいきません。このため、寒さよけと特に雨よけのためにビニールトンネルを使ってみようと思います。よく、三浦半島などでビニールトンネルを使ってメロンを作っているのを見かけます。支柱とビニールシートはメロン用に長めのものを揃えたいと思います。そして、栽培の第一段階として丈夫な苗を作ろうと思います。そのため、簡易温室に苗作りのための場所を作りました。キュウリやナスなどのように接木にも挑戦したいところですが、今年は自家根にします。とにかく今年は参考書に忠実に栽培をしようと思っています。
そして毎年のことですが、レタス,ピーマン,キュウリ,ナス,トマト,スイカなどの夏野菜の苗も並行して作ります。5月の連休頃の移植を目指しての苗作りです。
田舎暮らしや農業とは直接関係ないのですが、昨日は私が3年間通った夜間学校の卒業式がありました。昼間仕事をしながら夜は学校の生活を3年間続けた最後の日でした。この卒業より正式に国家資格である介護福祉士の資格を得ることができました。ただ悔やまれるのは、一年前に仕事上のつごうによって授業を一日休んでしまい皆勤賞の表彰を逃したことでした。仕事を続けながら夜に学校に通うのは並大抵のことではありません。
この専門学校に通った3年間、前半は日立に勤めながらの,後半はデイサービスで働きながらの、私にとって激動の3年間でした。しかし、日立に勤めていては絶対出会わないであろう良い仲間にも出会いました。
昼間仕事をしながら3年間夜に通った専門学校の卒業式
同級生とは行っても20歳から60歳近くの幅広い年齢構成で、幅広い世代間で勉強などを通じて交流があったことは貴重な経験でした。ちなみに何度か、同級生何人かを田んぼに誘って苗採りや田植えなどをしました。また、畑で収穫した作物を先生や生徒達に配ったこともありました。
3年間とは中学校や高校と同じ年月です。卒業証書を受け取ったあとで「蛍の光」を歌っていると、何だかこみ上げるものを感じ3年間の自分を誉めてやりました。そして、はるか昔の中学や高校の卒業式の感慨を思い出しました。卒業式の謝恩会のあと、来年の同窓会を約束して分かれました。※その後、同窓会を一度開催
12月、楽しい調理実習にて 卒業式後の謝恩会