我家周辺は今、アジサイが満開です。我家からの通路沿いには近所に住むMさんの畑があります。その畑から垂れ下がるいろいろな品種のアジサイがとても綺麗に咲いています。朝通勤する時など我家を出る時は、いつもこのアジサイを横目で観賞しながら通っています。
通勤時など毎日のように眺めている、とても綺麗なMさんのアジサイ
私は、それほど花のことを知りません。このため、アジサイにこれほど多くの品種があることを最近知りました。普通のアジサイ、八重のアジサイ、額アジサイなどです。また、色もさまざまです。春と夏の端境期で花の種類が少ない今は、アジサイの花がとても目立ちます。雨が多く気持ちも沈みがちになる季節ですが、満開のアジサイを見ると少し元気が出ます。
普通のアジサイ 変わった花のアジサイ 我家の額アジサイ
一昨年近所に住むEさんから苗をいただいたブルーべりーの実が今年も成り始めました。このブルーベリーは実がとても大きく直径が1円玉位あります。実は全粒が一度に成熟せず、数粒ずつ青くなります。時々ブルーベリー畑を見回りながら、青く実っている粒があれば収穫する毎日です。今、このブルーベリーの木は5本ありますが、植えてからなかなか大きくなりません。数年後、これらの木がもっと大きなれば、より多く収穫できるのではないかと思います。
数粒ずつ成熟し始めた大粒のブルーべりー
梅雨が終わっていないため、不安定な天候が続いています。その隙間をぬって我家の周りの草刈りをしています。雨が多い今、雑草はどんどん成長します。梅雨の時期にどう除草をするかで、真夏の畑作業が決まります。
雑草が生い茂った裏口の小道 除草が終わった裏口の小道
梅雨の時期に除草をさぼると、雑草はとても背が高くなります。また、茎が太く硬くなります。梅雨が過ぎていざ草を刈ろうとすると、草刈機に負担がかかる上に、真夏のため体力が削がれ、草刈りの進捗が遅れます。そうすると、草刈りに追われることになり作物の世話が後回しになるのです。結果として、良い作物を収穫することができなくなります。
除草前の、我家下の畑 除草が終わった、我家下の畑
一方で梅雨の時期にちゃんと除草を終わらせておくと、その後新たに芽生えた雑草は真夏の乾燥や暑さで勢いがありません。そのようなひょろひょろ雑草は除草が容易です。その結果として、真夏の野菜などの世話に時間をかけることができます。とにかく、6~8月は除草が農作業の中心となるのです。私は、自給用とおすそ分け用程度の作物しか作っていまん。半ば趣味の農業ですが、草刈りを面倒くさがることはできません。
青々と茂る桃園の下刈りを完了
春に種芋を植え付けたジャガイモ(品種:シンシア)を、先日少し掘り上げました。私はこの品種のジャガイモがとても好きです。その理由は、ジャガイモの茎下にまとまって芋ができるため、掘るときに間違って芋を傷つけることが少ないからです。また、男爵のように芽が深くないため調理するときの皮むきがとても楽なのです。男爵は皮をむいた後、芽を欠く必要がありますが、シンシアはそれが無いのです。
フォークを使って、ジャガイモ(品種:シンシア)を掘り上げる
去年、四種類のジャガイモを食べ比べしました。その結果、シンシアは他のジャガイモと変わらず美味しいことが分かりました。先日、我家では食べきれないほど収穫したため、職場で少しおすそ分けしました。畑には、このシンシアがまだ残っています。また、収穫していないキタアカリとメークインもあります。だいぶ余らせてしまいそうですが、腐らせるのはもったいないです。どんどん掘っておすそ分けしようと思います。
今回掘り上げたジャガイモ 掘り上げたジャガイモを天日干し
夜中、本を読んでいました。蒸し暑いため窓を開けていると、ブーンと言う音と共に黒い虫が入っていました。またカミキリムシが入ってきたのかと思っていたら、違いました。クワガタムシAでした。去年は、クワガタムシに加えてカブトムシも部屋に入ってきました。今年はまだカブトムシはやって来ません。山に囲まれている我家には、夏いろんな虫がやってきます。
我家にやってきたクワガタムシA(怒って威嚇している)
別の日にもまた、クワガタムシBがやって来ました。こちらの方がややハサミが大きく乱暴者のようです。ところかわまずハサミで咬むのです。ラジオのボリュームを咬んだまま離しません。私が子供の頃にクワガタムシに咬まれたことがあります。指の動きに合わせて咬む力を加減しているようでした。少しでも動くと強く咬むのです。そんな時、痛いのなんのって!カブトムシより人気がある虫でした。その後、雌のクワガタムシもやってきました。
怒りっぽいクワガタムシB お腹を見るものの暴れる
我家の婆様(私の母親)は、時々図書館や買い物に出かけます。そんな時、私はいつも車を運転するアッシーさんをしています。婆様は本を読むことが好きなので、最初に図書館に行きました。字が大きくて読みやすい歴史本がお気に入りです。今回はどんな本を借りたのでしょうか。次に田布施交流館に行きました。
車に乗り込む婆様 図書館で本を借りる すり足でなんとか交流館へ
私が運転する車は、3年前に亡くなった父親の形見です。かつて父親が元気だった頃、この車であちこちを旅行したそうです。さて、交流館に着くと、婆様はキャベツ,イチゴ,パン,そして刺身などを選んでいました。婆様の後ろに付いた私は、それを籠に入れます。そして、最後にレジで支払いを済ませます。婆様は、私の支払いが終わるまで外のベンチに坐って待っています。
このように、婆様は私がアッシーさんとなって時々外出します。なんせ足腰が悪いため、少し歩いただけで膝や腰が痛くなるからです。
※25日から1日まで、東京に行きます。
田布施交流館でパンを選んでいる婆様
日光寺からは急な登り坂を歩きました。登っていると、家々が広く見渡せるようになります。この登り坂の途中に上段地区の墓地があります。ここからは、亡くなった方々が生まれ育ったであろう家々がよく見渡せます。この村を見守りたい気持ちにさせられる場所です。江戸時代の年号が刻まれた墓石がたくさん並んでいました。
坂道を登り女体社へ到着 天神社への石鳥居 天神社に到着
しばらく山道を登っていると、女体社に到着しました。不思議な名前のお社です。すぐ下の日光寺が尼寺であることと関係があるのでしょうか。今、その由来を知っている古老は誰もいません。永遠に謎です。女体社のさらに上に天神社があります。立派な石鳥居をくぐって、長い長い石階段を登り終えた場所に天神社があります。この石鳥居や石段は、すぐ近くの岩永地区の採石場から運んできたとの言い伝えがあります。
天神社傍の開けた場所から、子供達が「ヤッホー!」
天神社前の広場は最近手入れがされていないのでしょうか、だいぶ草木が茂っていました。かつては、ここから九州が見えたそうです。いまは灌木にさえぎられて見えません。次に天神社傍の開けた場所にいきました。そこでしばし休憩です。その間、子供達は大声で遠くに向かって「ヤッホー!、、、ヤッホー!、、、」と叫んでいました。天真爛漫な子供達を見ていると心が和みます。
天神社から山道を下る 地元上段の祠に向かう 上段の祠に到着
しばらく休憩後、山を下りました。ひざ下まで伸びた雑草をかき分けながら、のんびりと下りました。少し降りると、舗装道路に出ました。予定では、江戸時代に作られ、昭和初期に整備された溜池まで行く予定でした。しかし、日差しが強くなり時間もそれなりに過ぎていたためコース変更し、ここからスタート地点に戻ることにしました。
明地遺跡へ向かう 岩永地区のお地蔵様 防陽八十四番札所の人丸坊
上段からスタート地点の東田布施公民館にただ戻るのではなく、明地遺跡やお地蔵さんを訪ねながら戻りました。上段地区から岩永地区に入ると、南に広々とした田んぼを見ながら歩きました。最初、岩永集落の道端に安置されたお地蔵様を見学しました。続いて、田んぼのど真ん中を通る真っ直ぐな道路を通りました。
岩永地区の田んぼのど真ん中の道を進む
田んぼを左右に見ながら進むと、ポツンと安置された人丸坊に着きました。このお地蔵様は防陽八十八ヶ所霊場の八十四番札所です。かつては沢山の人が巡礼したのではないかと思います。その人丸坊周辺は広い田んぼが続いていますが、約二千年前は海岸線でした。そして、海岸に沿って集落(明地遺跡)があったのです。分銅型土製品が出土するなど、縄文時代から弥生時代にかけての住居跡が見つかりました。
明地遺跡を説明 東田布施小学校を通過 東田布施公民館に到着
明地遺跡を過ぎて、どんどん歩いて東田布施公民館に向かいました。途中、最後の史跡として有田翁の石碑を訪れました。石碑前で、明治時代にこの周辺を開拓した有田翁の説明をしました。その説明を終えると、今回の史跡巡りは終わりです。しばらくして、東田布施小学校傍を通過しました。東田布施小学校の国旗掲揚のためのポールは、東京オリンピック時(1964年)に使われたものの一つを運良くいただいて移設したものだそうです。そのポールを見ながら、スタート地点の東田布施公民館に戻りました。
ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
今回ウォーキングした大波野地区のルート
============健康ウォーキングクラブ==============
納蔵地区農村公園では、40分程度昼食休憩をとりました。各自好きな場所に陣取ってシートを広げました。私は、先ほどまで歩いていた坪曽方面を見下ろせる場所に座りました。日差しは柔らかく適度な風が吹く中、談笑しながら楽しく昼食を取りました。
ベンチに座って昼食 美味しそうなお弁当 ベンチで談笑しつつ
お昼休憩が終わる頃、子供達はブランコなどの遊具を見つけて遊んでいました。子供達にとって、お寺や神社の話は退屈なのでしょう。
ブランコで遊んでいる子供達を見ながら、コースを間違えないように次の史跡までの道筋を反芻しました。納蔵地区農村公園を出発するにあたって、コース変更のお話をしました。予定では、金毘羅社や妙見社に行く予定だったのですが止めました。今の時期、マムシやダニのリスクを避けるためです。
納蔵地区農村公園を出発する前に、21名の参加者
昼食後、最初に訪れたのは納蔵原古墳です。5世紀頃に作られた小型の古墳です。当時の古墳形状が比較的よく保たれた円墳です。近くにある石城山の神籠石(壮大な石垣)は7世紀頃に作られました。古代朝鮮由来と考えられるその石積み工法は、納蔵原古墳の石室の石積みとよく似た組み方をしています。何らかの関係性があるのではないでしょうか。
楽しいブランコ 納蔵原古墳に到着 納蔵原古墳の石室
納蔵原古墳を過ぎると、惣津(そうづ)地区を通って上段(かみだん)地区に向かいました。適度な風が吹いていたため、夏にしては涼しく快適なウォーキングをすることができました。また車があまり通らない小道を選んだため、子供達も安心して田んぼや道端の動植物を観察できたようです。
眩しいほどのカンナの赤、のんびりと小道をウォーキング
上段地区に着くと、田布施町の名木の一つである大波野柿の巨木を説明しました。大波野柿は江戸時代から明治にかけて干し柿にした渋柿です。干し柿は、当時地元の名物だったそうです。品種的には、渋柿で有名な西條柿の一種とのこと。
大波野柿の巨木 慶長二十年と刻まれた祠 日光寺内のお地蔵様
続いて、日光寺に行きました。このお寺は江戸時代は日光坊と呼ばれる尼寺でした。今は廃寺となり、上段地区の集会所として使われています。このお寺は、享保9年(1724年)に無くなった尼僧まで辿ることができます。傍に慶長二十年と刻まれた石の祠があります。慶長二十年は大阪夏の陣があった年です。
続いて、山を登って女体社に行きました。
今回ウォーキングした大波野地区のルート
下見1と下見2で考えていた大波野ウォーキングのコースを少し変更しました。それは、先日の平生町佐賀ウォーキングの下見時にたまたまマムシに遭遇したためです。万が一の事故を考えて、マムシやダニが出るリスクが高い惣津の金毘羅社や妙見社を避けることにしました。そのため、スタートする直前に変更後のコースをざっと下見しておきました。
秩父宮殿下台臨記念碑 八幡八幡宮の石階段 八幡八幡宮に到着
集合した東田布施公民館をスタートした後、最初に東田布施小学校に行きました。そして、校庭脇の秩父宮殿下台臨記念碑を見学しました。その時、校庭でグランドゴルフを楽しんでいる方々がおられました。その方々の競技を邪魔をしないように、そろりと校庭脇を通って石碑に行きました。石碑を見学後、校門入口傍にある金星健児の石碑を説明しました。その時、東田布施小学校卒業生や在校生により校歌を斉唱していただきました。ありがとうございました。
八幡八幡宮に置かれた砲弾について説明
東田布施小学校を出ると、八幡八幡宮に向かいました。田布施町で、石ノ口八幡宮,八尋石八幡宮に続いて高松八幡宮などと同じ位古くからある由緒ある神社です。今でも氏子さん達がこの神社を綺麗に保っています。この神社に到着すると、本殿脇に置いてある二個の砲弾について説明しました。八幡八幡宮を見学すると、次に南平和十五番札所である観音様に行きました。屋根に草が茂っているなど建物はだいぶ傷んでいますが、四年後に建て替える計画があるとのことです。
南平和十五番札所 八和田のお地蔵様 八和田から坪曽へ
南平和十五番札所の観音様を過ぎると、のんびりと坪曽方面に向かって歩きました。途中、八和田のお地蔵様を見ました。地元から大切にされているのでしよう、屋根があるお地蔵様です。お地蔵様を過ぎて、竹林のやや暗い小道を通り過ぎると、急に視界が明るくなります。正面に広々とした田んぼや稲荷神社がある小山が見えてきました。
竹林の小道を過ぎて稲荷神社に向かう
稲荷神社に向かう道すがら、広々とした田んぼがありました。田植えが終わった田んぼを覗くといろいろな小動物がいました。一番目につくのはオタマジャクシです。次にゲンゴロウの仲間です。ヒルもゆらゆらと動いていました。田んぼを見ていると、久しぶりにトノサマガエルを発見しました。我家近くは田んぼが少なくなったためか、土ガエルはたくさんいますがトノサマガエルは近年見ません。
稲荷神社への小道 稲荷神社に到着 地元のお地蔵様
竹藪に囲まれた稲荷神社に着きました。そして、神社前の広場でわずかな休憩をしました。この神社前広場で大波野神舞を披露するそうです。次に、これまで知らなかった地元で大切にされているお地蔵様を拝見させていただきました。このお地蔵様を拝ませていただいた後、坪曽に入りました。
寺子屋跡の石碑 薬師堂傍に木像 誓立寺に到着
そして、道端にある寺子屋跡の石碑を見学した後、近くにある薬師堂に行きました。下見では気が付かなかったのですが、傍に野ざらしにされ朽ちかけた木像がありました。雨風にさらされ、あと数年後には土に返るのではないかと思います。薬師堂の見学が終わると、小道を通って舗装道路に出ました。途中、タケノコの皮がたくさん落ちていた暗い下りの小道を通りました。数名がその皮に滑ってよろめいたそうです。
ウォーキングに参加した元気な子供達、楽しかったかな?
その後、天王社を経由して天王原遺跡を見学しました。そして、大昔に船が流れないように縄を結んだと言われる縦長の船止め石を見ました。そして、道脇に建てられた石の道しるべを見ました。その後、近くの誓立寺に向かいました。時間が無かったため、下見時のように本殿には上がらずトイレ休憩だけにしました。トイレを使わせていただき、ありがとうございました。続いて、お昼休憩をする納蔵地区農村公園に向かいました。
今回ウォーキングした大波野地区のルート
今週も麻郷ふるさと会で盆踊りの太鼓の練習をしました。最初、麻郷嵯峨音頭の太鼓練習です。この盆踊りは数百年前に京都から伝わったと言われるとても古い旋律です。このため、太鼓の叩き方が独特で、叩いているときに油断するとたちまち乱れてしまいます。太鼓が乱れると、くどきがとても歌いづらくなります。今回の反省点は、いかに大太鼓に小太鼓を合せるかです。どうしても小太鼓が走りがちになります。次回練習時に、大太鼓が見えやすいような位置に小太鼓の位置に変える予定です。
最初、麻郷嵯峨音頭の太鼓を練習
麻郷公民館の2階で麻郷嵯峨音頭の太鼓を練習し、1階で今年入会した子供達に太鼓の叩き方を個別に教えていました。麻郷嵯峨音頭の太鼓は簡単には覚えることができません。それだけに、一度覚えてしまえば太鼓が楽しくなります。くじけず頑張って覚えて欲しいと思います。
麻郷嵯峨音頭の太鼓練習が終わると、今度は田布施音頭の練習です。これは現代音楽なのでとても覚えやすい旋律です。この夏は、ボーイスカウト世界ジャンボリーでの披露(麻郷小学校)と夏祭りでの披露(麻郷公民館)の二回の演奏がありますので、いつもの年より忙しくなります。頑張って練習しましょう。
新入会の子供達は個別練習 最後に田布施音頭の練習
我家は今、ビワの収穫時期です。去年はたくさん収穫できたのに、今年は袋掛けをあまりしなかったためだいぶ鳥などに食べられてしまいました。このため、おすそ分けするほどの量を収穫できませんでした。袋を開けると、甘いビワ特有の匂いが漂ってきます。我家のビワは実があまり大きくありません。ですが、色よし味よしです。
袋を開けると、実は小さいものの美味しそうなビワの実
ビワを手に取って、皮をくるりと剥します。そして、かじります。すると、ジューシーな果汁が口内に広がります。今年のビワは、果肉がとても柔らかく甘いのが特長です。こんなに容易に全部の皮がむけるのは久しぶりです。大きな種を残して、美味しくいただきました。来年は、ちゃんと枝を剪定して大粒の実がなるようにしようと思います。そして、おすそ分けできるほど、たくさん収穫できるように袋掛けしようと思います。
2~3個/袋のビワ ツルンと皮をむく 大粒の種を残して
この古いクラウン製トランジスタラジオ HT-70の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理(1/5) 修理(2/5) 修理(3/5) 修理(4/5)
修理(5/5)
朝から雨が降っているため外に出ることができません。そんな時は、ラジオなどの修理をすることにしています。いろいろな電子部品や測定器の前に座ると、工作や電子回路が大好きだった10代に気持ちが若返ります。
さて、電子回路基板をよく観察できるように、筐体からシャーシを外しました。これで、シャーシを手に取って回路基板をいろいろな角度から観察できます。ただ、筐体に付いているスピーカーは外せませんでした。このため、小型のスピーカーをシャーシに仮付けしました。
筐体から外し、小型スピーカーを仮付けしたシャーシ
さて、このラジオの故障は全く音が出ないことです。低周波増幅部は音は小さいものの大きな問題は無いようです。周波数変換部から中間周波数増幅部を調べる事にしました。そこで、自作のシグナルインジェクター&トレーサーで回路を順番に調べました。すると、中間周波増幅部の初段以降の回路は正常のようでした。このため、周波数変換部の故障が疑われました。
シグナルインジェクター&トレーサーで調査 調査に使用したコンデンサ
初段の周波数変換トランジスタ2SA152の周辺基板を丹念に観察しました。しかし、見かけ上の故障はありません。そこで、テスターを使って周辺の電圧を調査しました。しかし、特に問題点となるような電圧異常は見つかりませんでした。そこで、オシロスコープで観察しました。すると、局部発信をしていない異常が見つかりました。電圧は正常でしたので、OSCコイルやIFT1コイルが断線しているとは思えません。考えられるのはコンデンサです。
トランジスタラジオ周波数変換部の標準回路
そこで、 上図のCBとCEのコンデンサを疑いました。最初にCEを取り替えてみました。変化はありませんのでこのコンデンサではありません。次に、CBに正常なコンデンサを取り付けてみました。すると、局部発信するようになりました。このコンデンサの容量抜け故障であることが分かりました。電解コンデンサの容量抜けはよくありますが、フィルムコンデンサの容量抜け故障はあまり聞きません。
故障したコンデンサと並列に仮付けした正常コンデンサ
正常に局部発振するようになったため、いろいろな周波数の電波をSG(シグナルジェネメータ)から出してみました。すると、電波をちゃんと受信しました。また、このラジオのバリコンを回して受信周波数を確認しました。すると、530~1750KHzでした。低い方は正常ですが、少し高い方に寄っていることが分かりました。なお、バリコンを回しているとラジオ放送らしきものを受信しました。スピーカーの音が小さいので、低周波増幅部も故障しているようでした。
故障したフイルムコンデンサ 綺麗な中間周波波形
故障中の発動機を直してみることにしました。この発動機、去年10月に突然動かなくなりました。始動時の圧縮のさいに空気が漏れているようでした。私が思うには、ピストンリングの潤滑油が効かなくなったのではないかと思います。突然の故障を切り抜けるため、水冷式ディーゼルエンジン耕耘機を引っ張り出して代用しました。
再度動くようになったディーゼルエンジン発動機
ところがこの発動機、直さなくても始動を工夫することによって動いてくれました。その工夫とは、冬のような寒い時に始動する方法です。その方法とは、始動前に熱湯を冷却水として入れること、そして空気の吸入口にガソリンを水滴たらすことです。この冬にはこの方法で始動できなかったのですが、今回何度か試すうちに白い煙が出るようになりました。そして、煙を吐きながらこもるような回転を始めました。そして、勢いよく回転するようになりました。
ここに熱湯を入れる 経由を満タンに 高速回転に設定
やれやれ、これでこの発動機が小麦の脱穀や茎の細断に使えそうです。この発動機はとても古いため、使わなくても半年に一度は動かした方がよさそうです。発動機が動いている時、潤滑油がちゃんと供給されているか見ました。すると、潤滑油が流れていることを示すフロートがくるくる回っていました。この発動機は農作業に欠かせません。今後は故障しないように大切に使おうと思います。
始動クランクを回す くるくる回る潤滑油フロート
何度かの幹事会を経て、この8月に麻郷小学校昭和40年卒業生の同窓会をします。今回で3回目の同窓会となります。10年前に第1回目の同窓会を、5年前に第2回目の同窓会をしました。これまでの同窓会との大きな違いは特に無いのですが、これまでは私が東京にいて筆頭幹事を務めましたが、定年を迎えて初めてふるさとで筆頭幹事を務めます。よろしくお願いします。
これまで2回の経験があるはずなのですが、いろいろと個人的な失敗をしています。今回の失敗は、往復ハガキの書き方を忘れてしまったことです。書き方を間違え、10枚近く破棄することになってしまいました。年には勝てません。それにもめげず、なんとか全員74名に郵送しました。
同窓生全員に送付した同窓会の案内状(往復ハガキ)
「ふるさとは遠きにありて思うもの」と言います。第1回の同窓会計画時に、同窓会後に懐かしい麻郷小学校の建物を訪れる案を出しました。ところが、同郷の同窓生はいつも見慣れている小学校にあまり興味がないようでした。小学校を訪れるより、みんなで一杯飲む方が楽しいようでした。事前に小学校に行って先生方に訪問を了解してもらっていたのですが、私の案は廃案になりました。
訪れたいと思っていた小学校の建物は2年前に建て替えられました。もう、あの懐かしい建物には会えないのです。惜しいことをしたと思っています。この件で、卒業後ずっと地元で暮らす人とずっと故郷を離れた人ではふるさとへの思いが微妙に違うことを知りました。
さて、今回は何人の同窓生が集まるでしょうか。お互いそれなりに年を取りましたが、集まればあっと言うまに少年少女に若返ります。
※麻郷小学校昭和40年卒業生同窓会ホームページ(卒業アルバムもあるよ)
折りこんだ往復ハガキ 郵便ポストに投函
時間が空いたため、先日小麦を刈り取りした畑をトラクターを使って耕耘することにしました。耕耘機を使っても良かったのですが、やや曇り空で夕方から雨が降るかも知れないため早く耕耘できるトラクターを使いました。農機具小屋から久しぶりにトラクターを外に出して、元小麦畑に向かいました。トラクターは座る位置が高いため、トラックに乗っているような視界です。
小麦畑に向かう 後ろを見ながら耕耘 曲がらないよう正面を見て
畑に着くと、さっそく耕耘を始めました。ただやみくもに耕耘すると、耕耘した筋が曲がってしまいます。このため、なるべく真っ直ぐに耕耘するように心がけました。そのため、後を見たり正面を見たりしながら、特に正面方向を真っ直ぐ見るようにしました。ただ、高く土寄せしていた畝のため、同じ場所を2度耕耘して平らに慣らしました。
後ろや前を見ながら、耕耘跡が真っ直ぐになるように耕耘
小麦畑を耕耘し終わると、次にサツマイモの畝の周りを同じように耕耘しました。サツマイモは苗を黒マルチに植えているため、黒マルチを傷めないように細心の注意を払いながら傍を耕耘しました。なお、トラクターでは大雑把にしか耕耘できないため、トラクターで耕耘できなかった場所がありました。その場所は、後日小型耕運機で耕そうと思います。
黒マルチのすぐ傍を耕耘 黒マルチ傍ぎりぎりを耕耘