我家前の畑では洋綿の一種である緑綿を栽培しています。その緑綿を毎日のように見ながら、いつころに綿が収穫できるのか測っていました。その緑綿はなかなか実がはじけません。たまたま、和綿の畑に行って見ると、なんと実があちこちではじけているではありませんか。いくつかの綿は地面に落ちていました。和綿はすでに収穫期が来ていたのです。洋綿に比べて和綿は早生のようです。
和綿、実がはち切れて綿が開く
綿畑の世話をあまりしなかったため、畑は雑草に覆われています。そのため、それほど綿は大きくは育ってはいません。それでも、1株の綿に20個位の実が付いていました。その実のうち、地面に近い実が何個かはじけていました。そのはじけた綿をすべて手摘みで収穫しました。なお、綿の頭頂部近くでは花が咲いています。そのため、霜が降って枯れるまで綿を次々に収穫し続けることができるのではないかと思います。
地面側のはじけた実 手摘みした和綿
和綿と洋綿を比べてみると、洋綿の方が実が大きいのです。そのため、はじけた後の綿は洋綿の方が大きいのではないかと思います。つまり、洋綿の方が綿をたくさん収穫できるのではないかと思います。繊維の長さも洋綿の方が長いと聞きます。つまり、洋綿の方がより改良された品種だと思います。綿の収穫がいつ終わるか分かりませんが、綿の収穫が終わりしだい、種取り、そして糸紡ぎに入ろうと思います。
初収穫した和綿、今後は種取り、そして糸紡ぎ
この前、サツマイモのつる直しと除草 をしたと思ったら、もう雑草が生い茂ってしまいました。夏は本当に雑草の天国です。またまた暑い中、サツマイモのつる直しと雑草の刈り取りをしました。この猛暑が続くなら、もう一度9月末につる直しと除草をする必要があると思います。
サツマイモ畑を取り囲む雑草 ---> 除草後のサツマイモ畑周辺
サツマイモ畑を観察すると、サツマイモ畑の中心部はサツマイモが茂っているためそれほど雑草が跋扈していません。跋扈しているのはサツマイモ畑の周辺です。背が伸びた雑草が、サツマイモ畑をぐるりと取り込んでいるのです。
道路に面した部分の雑草 ---> 綺麗になったサツマイモ畑
サツマイモ畑の周辺の雑草を刈り取ると、次に畑の中心部分の雑草刈り取りしました。サツマイモを誤って刈り取らないようにつるを寄せます。つるが縦横に張っているため、足が引っかかってよろめきそうになります。つるを手繰り寄せながら寄せます。寄せたことを確認して、雑草を刈り取りするのです。
つるを一方向に手繰り寄せる 両側に手繰り寄せる 出てきたサツマイモ
あまりにつるが茂っているため、雑草の茎だと思って誤ってサツマイモのつるを引き抜いてしまいました。すると、食べごろの小ぶりの赤いサツマイモが出てきました。とても美味しそうな赤い色をしていました。収穫する10月にはもっと大きくなっているはずです。畝間のすべての雑草を刈り取ると、つるを次々に直していきました。すべてのつるや葉に、均等に太陽の光が当たるように直しました。やれやれ汗だくの作業でした。
均等に太陽の光が当たるように、つるや葉を広げた直したサツマイモ
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1.田布施~熊本~熊本城 2.熊本から長崎へ移動 3.シーボルト記念館
4.長崎風頭公園~中華街 5.グラバー邸 6.オランダ坂~唐人屋敷
7.出島~歴史文化博物館 8.長崎~熊本、熊本城 9.熊本から田布施
次の14日朝、最初にグラバー邸に行きました。市電に乗ってゆらゆら進んでいると、10分位で大浦天主堂下停留所に着きました。停留所を降りて緩い坂を登っていると、大浦天主堂が見えてきました。今回は、グラバー邸が目的ですので、大浦天主堂は写真を撮ったり見るだけにしました。坂がだんだんきつくなった頃、グラバー邸入口です。入場券を購入しました。中に入ると、驚いたことに上に向かって動く歩道がありました。40年前はありませんでした。
市電でグラバー邸に向かう 動く歩道で上へ上へ 旧三菱第2ドッグハウス
動く歩道を乗り継いで、グラバー邸の一番高い場所にある旧三菱第2ドッグハウスに着きました。ここから下を見下ろすと、グラバー邸全体を見下ろすことができます。庭園内には池があり錦鯉が泳いでいました。ここから、坂を下りながら庭園内ほぼすべてを散策しました。坂を下りて行く途中にいろいろな邸宅跡があります。その一つである、旧ウォーカー邸に入ってみました。続いて、旧リンガー邸にも入ってみました。旧リンガー邸裏で喜波貞子展示会が開かれていました。プッチーニ作の蝶々夫人を歌った世界的な日本人だそうです。蝶々夫人と言えば、「ある晴れた日に」の超有名なメロディを知らない人はいません。
旧三菱第2ドッグハウスからグラバー邸を見下ろして
ところで、この蝶々夫人の話の大元はグラバーの日本人妻ツルから来ているのこと。また。シーボルトにも日本人妻お滝がいました。これらの話がいろいろ混じり伝わって蝶々夫人のお話になったようです。現実にはツルにしてもお滝にしても、現地妻を仕事としていたようです。言わば妻を演じていたのでしょう。本妻がいるヨーロッパに夫が帰るとさっさと再婚してしまうのです。蝶々夫人のように待つこともせず、ましてや死ぬことなどしません。
今の日本人であれば現地妻を非難の対象にするでしょう。しかし、奇異な目で見られたでしょうが、当時の日本では差別の対処にはならなかったようです。生まれた子供もさして差別を受けずに育っています。シーボルトの娘は日本初の西洋医学の女医になりました。今の日本は、キリスト教の結婚観を当のヨーロッパ以上に厳格に当てはめすぎているようにも思えます。その副作用でしょうか、シングルマザーや私生児などの差別問題で苦しんでいるように見えます。
旧リンガー邸 長崎港の巨大旅客船 三浦環記念館
旧リンガー邸を出ると、壁際にオペラ歌手の三浦環の像がありました。やはり蝶々夫人で有名だったそうです。今考えれば、私はオペラがさっぱり分かりません。唯一、子供が小さいときに子供向けのオペラ(確か夕鶴)を見たくらいのものです。若い頃にオペラに親しんでいれば、この長崎に来て蝶々夫人をより感慨を持って知ることができたのにと思いました。三浦環像の向かい側にグラバーカフェがありました。少し歩き疲れていたので入りました。2階が喫茶室になっていました。室内はとてもシックな作りで、我々しかいなかったため静かに楽しむことができました。
とてもシックな作りのグラバーカフェ
クラバー邸に入った頃、中国からの旅行客の団体がたくさん来ていました。とても賑やかな人達でしたが、グラバーカフェから出た頃には誰一人いませんでした。長崎港に係留された旅客船から出て長崎を見学していたようです。その旅客船は、10階建てのビルがそのまま船になったような巨大船でした。かつての日本人も最初は、彼らのように団体で世界旅行していたのでしょう。
グラバー邸にて グラバー邸の裏庭
グラバーカフェを出ると、階段を降りてグラバー邸に行きました。40年前に長崎で仕事をしていた時に来たはずなのですが、詳細をどうしても思い出せません。当時、歴史にそれほど興味がなかったからなのでしょう。グラバー邸に志士達が逃げ込む部屋があることを初めて知りました。裏庭にもとても興味を持ちました。ここで、グラバー邸の料理人が野菜を作ったり貯蔵したり肉を調理していたようです。幕末期の志士達は、ここでヨーロッパ人の生活を目にしたのだと思います。
14日午前、長崎市内を散策したルート
私は個人的にマクワウリが大好きです。そのため、毎年のように栽培しては食べています。今まさに、おいしいマクワウリの収穫時期なのです。しかし、いつもタヌキに食べられています。その対策として、電気柵を設置しています。今年も猛暑の中で電気柵を設置しました。
マクワウリの周りを耕耘 電気柵の支柱を立てる マクワウリを囲むように
タヌキの食害を防ぐため、これまでいろいろな対策をしきてました。その一つは、網でマクワウリ全体を囲むことです。しかし、タヌキもマクワウリが大好きなようで、あの手この手で網の囲みを破ります。一番多いのは網の下に穴を掘ることです。そして、その穴を通ってマクワウリを盗んでは食べるのです。やれやれでした。
強力な高圧電気を発生する装置、人間も痛いほどの高圧電気
タヌキの食害を防ぐためいろいろ試しましたが、有効な防除方法がなかなか見つかりませんでした。たどり着いたのが電気柵でした。夏の暑い中での設置は大変ですが、効果は絶大です。夜中、電気に触れて感電するようです。驚いて悲鳴を上げるタヌキが続出です。私も何度か誤って高圧電気に触れましたが、しびれると言うよりも痛いのです。
電気柵に電線を通す 高圧電気を電線に通電 高圧電気の確認
電気柵を張り終わると、高圧電気を電線に通電します。高圧電気は電池で発生させますが、6000V仕様とのこと。ただし、電流が微小ですので死ぬようなことはありません。感電すると人間には激しい痛みがきます。タヌキのような小動物ならば、一時的に気絶するかも知れません。この電気柵の欠点は漏電です。雑草が生えてくると、その雑草に電気が流れます。すると、電気が弱まります。定期的な雑草の刈り取りが必要です。
マクワウリを取り囲むように電気柵設置 これで美味しいマクワウリを収穫可
ウォーキングを再開する9月が近づいてきました。そのため、まだまだ暑い中をウォーキングの下見に行ってきました。お盆を過ぎる頃から少しずつ涼しくなるはずが、まったく涼しくなりません。猛暑の中を5人でのんびり下見に出かけました。今回は、田布施町竹部地区と御蔵戸地区の史跡を探索しつつ下見をしました。猛暑で疲れまくりました。
河村徳尚武信の石碑 東竹部薬師公会堂 現公会堂建設時の写真
郷土館に10時集合して、最初に河村徳尚武信の石碑があるK氏邸を訪れました。しかし、ご不在でした。そのため、遠目に石碑を見させていただきました。続いて、東竹部に行きました。最初、東竹部の史跡を案内していただく町議のSさんを訪ねました。すると、すでに薬師公会堂に行っておられるとのことで、すぐに公会堂に向かいました。すると、Sさんと班長さんが待っておられました。ありがとうございました。
東竹部薬師公会堂に安置された薬師様
東竹部の薬師公会堂に安置されている薬師様はもともと、西竹部との境付近に建っていた薬師堂に安置されていたそうです。お堂が古くなったため、新しく現公会堂を建てた時に薬師堂から引っ越ししたとのことです。それらのお話を聞いている時、私は初めて竹部に東地区と西地区があることを知りました。そして、西竹部に「寮」があったことを知りました。ありがたいことに、Sさんに西竹部も案内していただきました。
薬師堂跡を指すSさん 西竹部の岡の寮跡 西竹部の公会堂
東竹部と西竹部の境近くの丘に登ると、「寮」があったとされる場所がありました。西竹部では「岡の寮」と呼ばれていたそうです。偶然でしょうが、竹尾にも「岡の寮」があります。こちらは建物がまだ残っています。たまたま、近くで草刈りをしていたOさんにお話を伺うことができました。Oさんによると、戦前に尼さんが住んでいたそうです。
お寺の形態には、お堂,寮,庵,院,坊,寺がありますが、お堂は人が住まず、寮,庵,院,坊,寺に尼さん,修行僧,ご住職などの人が住んでいました。各地に残る「寮」跡には、主に尼さんが住んでいたようです。ほとんどの「寮」が戦争中に無人となりました。
西竹部公会堂のお地蔵様、午前中に地蔵盆の催し
西竹部に着くと、鍵を持っておられるTさんに西竹部公会堂を開けていただきました。ありがとうございました。Tさんのお話では、この日の午前中に公会堂で地蔵盆があったそうです。公会堂内に入らせていただくと、木造と思われる立派なお地蔵様が安置されていました。かつてこのお地蔵様が「岡の寮」にあった頃、毎日のように尼さんが拝んでいたのでしょう。
立派な木造のお地蔵様 竹部印の提灯が数個
失礼ながらも、ブリキ缶の中にあった竹部印の提灯数個を見させていただきました。何に使われたか知っている人はいないようでした。ずっと使われず、云い伝えられたなかった提灯のようです。もしかして、麻郷の高松八幡宮で今でも行われている「お迎え提灯」のような夜祭りに使われたのかもしれません。八幡八幡宮か祇園社か菅原神社で提灯を使う夜祭りがあったのかも知れません。かつての儀式であった虫送りや野辺送りに使われていたのかも知れません。今やそれを知っている方はおられないようでした。
今回下見ウォーキングした竹部地区と御蔵戸地区
草刈りをした藍と枝豆の畑でしたが、刈り取ったのは地表部だけです。このままでは、雨が降れば再び雑草は元気になって畑を覆いつくしてしまいます。これを防ぐため、耕耘機を使用して耕耘除草しました。根を掘り起こすことによって雑草を退治するのです。
これから耕耘除草を開始 だいぶ進んだ耕耘除草
耕耘除草するにあたって藍や枝豆の傍をかすめるように耕耘しました。そのため、はみ出た藍や枝豆は残念なことに、雑草の根と一緒に耕耘されてしまいました。仕方ありません。そろそろ夏も終わりで、雨が降りやすい季節になります。雨が降れば雑草は再び元気になります。雨が降り出す前の今が、根ごと雑草を枯らすチャンスなのです。
藍,枝豆,綿を避けて、ほぼ終わった耕耘除草
耕耘除草が終わると、余っていた枝豆(倉掛豆)の種まきをしました。枝豆としての種まきは遅すぎるので、収穫を期待していません。期待しているのは、この時期に種まきしてはたして豆ができるのかのテストです。そして、もし豆ができれば食べるのではなく来年の種まき用です。はたして、霜が降りる11月末までに収穫できるでしょうか。
種まきした倉掛豆 筋蒔きで種まき 種まき後、足で被土
関東や東北は涼しい夏とのことですが、この田布施は猛暑の毎日です。人間には猛暑でも、雑草にとっては楽園のようです。毎日のように背が伸びています。藍や枝豆は、今や雑草に追い越されています。このままでは収穫が見込めなくなるため、猛暑の中で草取りをしました。
雑草だらけで地表が見えない 地表が見えるようになった草刈り後
昼間はさすがに暑すぎるため、午後4時頃から草刈りを始めました。背が伸びているため、なかなか刈り取ることができません。今後の耕運を考えて、紐式の刃を使って二段や三段刈りをしました。刈り取り時間がかかりますが、葉が細かく千切れます。そのため、耕耘時に刈った葉がロータリーに巻き付くことが少なくなります。
2時間程度かけて、藍,枝豆,綿畑の雑草を刈り取り
藍と枝豆の株間に生えている雑草は、誤って一緒に刈ってしまいそうです。そのため、藍と枝豆の畝は草刈りできませんでした。綿と綿の株間は比較的空いていたため、その間を草刈りしました。藍の葉を見ると、雑草が生えているにも関わらずよく葉が茂っていました。
雑草に覆われた藍の畝 良く育っている藍の葉
枝豆は適期に種を蒔いたためか、これまたよく育っていました。遠目に花が咲いているかなと思っていたら、もう鞘が育っていました。中の枝豆はまだまだ小さいです。3週間後の9月中旬か下旬には美味しい枝豆が収穫できると思います。たくさん枝豆が収穫できるようであれば、友達を集めて枝豆パーティーをしようと思っています。
雑草に囲まれた枝豆 育ちつつある枝豆の鞘
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風頭公園から長崎市内を広く見渡すことができます。風頭公園には展望台が二つあります。坂本龍馬の銅像がある展望台は、手前に木々が茂っているため展望が今一つです。もう一つの展望台は、高い位置にあり長崎市の湾全体を見渡すことができました。こちらの方がお勧めです。
坂本龍馬像がある低い方の展望台 高い方の展望台は絶景
風頭公園に着いた頃、すでに太陽が傾きかけていました。そのため、展望台での景色を楽しむとすぐに山を下りました。急斜面の墓地の道を降りました。ちょうどお盆の季節のため、お墓ではあちこちでお墓参りしている家族がいました。面白いのは、爆竹を鳴らす方々がいることです。また、お墓を取り囲むように提灯で飾るのです。爆竹は中国からの影響ではないかと思います。提灯は古来の日本のお盆の名残のようにも見えます。田布施町では絶対に見ることができないお盆を見ることができました。
墓地に向かう道を下る 提灯で囲まれたお墓 シーボルトの娘(楠本イネ)の墓地
実はこの墓地を選んで歩いたのは、シーボルトの娘である楠本イネやその娘である楠本高子の墓地をお詣りするためでした。その楠本家の墓地の下の方に、楠本イネや楠本高子を顕彰した石碑が作られています。そして、彼女らの貢献や生涯について書かれた碑もありました。シーボルトに興味がある方には見逃せない場所の一つだと思います。
絢爛な長崎中華街入口の門 中華料理をどこで食べるか店を選ぶ
シーボルトの娘や孫のお墓にお詣りすると、街をのんびり歩いてホテルに戻りました。この日の夕食は長崎中華街で食べることにしていたため、夜暗くなるまで仮眠を取りました。そして、暗くなった頃を見計らって長崎中華街に繰り出しました。ところが、お盆のシーズンのためとても混んでいました。どのお店に入ろうか迷っているうちにどんどん時間が過ぎていきました。そのため、あるお店に決めて入りました。30分位待ったでしょうか。ようやく席に座ることができました。
人もまばらな夜の長崎出島
中華料理を食べていると、給仕の方の中に中国から来た方がいました。息子が訪ねると、中国本土の厦門から来たとのこと。長崎には中国から旅行で来る方が多いのでしょう。当然中華街に来る方も少なくないので、中国語が話せる方がお店に必須だと思いました。ところで、このお店に帽子を忘れてしまったのです。やれやれ。次の早朝、帽子を取りに再びこのお店に来るはめになりました。
中華街を出ると、近くにある長崎出島に行きました。夜で暗かったせいもあり、人がまばらでした。一通り出島をぐるりと回ってホテルに戻りました。次の日はグラバー邸を最初に長崎巡りです。
散策した長崎市内のコース(8月13日)
江戸時代、田布施町は染め物が盛んだったとの記録があります。その染め物とは藍染めです。つい60年位ほど前にも田布施川沿いに染め物屋があったようです。その写真が残っています。また、織物をつくる会社もたくさんあったようです。また、綿やラミー(麻の一種)も昭和30年代まで栽培していたことが分かっています。そもそも江戸幕末頃の記録「防長風土注進案」を読むと、綿作りから反物までを分業して生産していたのです。その中で、当時の藍染めを再現して染め具合を確かめてみました。
染めテスト用の木綿布 どろどろに発酵させた藍液 藍液の中に布を浸す
まずは、藍染めのためには藍壺と呼ばれる大きく深い壺を使うのですが、今回は再現が目的ですので瓶を使いました。江戸時代の記録の通り、この瓶の中にすくも藍を入れました。そして、水を入れて撹拌しました。これ以降の作業が真骨頂なのです。藍染めができるような液体にするためには、この中に次の二つを入れます。一つは消石灰など液をアルカリ性にする成分。もう一つは発酵を促進するための栄養です。後者が必要であることをつい最近まで知りませんでした。藍染めとは本来、醤油やお酒のように微生物を扱う仕事だったのですね。
染めのテストのため、布をたくさん藍液に浸す
液をアルカリ性にしているためか、なかなか発酵が進みません。この瓶で発酵に約2週間かかりました。私の場合は匂いで発酵を確認しています。藍壺ほどの大きな壺になると、藍の花と呼ばれる泡のようなものが出てくるそうです。小さな瓶では藍の花は出ないようです。今のところ、匂いでしか確認できません。鼻が曲がりそうな嫌な特有の匂いです。
浸して2時間後取り出した布 水で布を洗う 青く染まった布
染めのテストでは、浸す時間と色の濃さが比例するか試しました。浸す時間を30分、60分、90分などと30分ごとに延長してみました。その結果、30分浸した布と4時間浸した布はほぼ同じ濃さでした。つまり、藍液に浸す時間は関係ないのです。次に、染めを何度か繰り返してみました。すると、繰り返した数に比例して色が濃くなりました。藍染め本の中に「何度か染め直す。」との記述のとおりでした。今回のテストの結果、3~4回染め直してようやく実用的な濃さの染めになることが分かりました。
今、畑で大量に藍を育てています。数日後、この藍の葉を収穫して来年の藍染めに活用する計画をしています。せっかくなら、江戸時代の田布施人が藍染めしていた方法で染めてみたいものです。
3回ほど藍液に浸した布 4回ほど藍液に浸した布
先日、私が10年位前に発酵させた藍液を捨てたのですが、その中から絹の布切れが出てきました。1年近く取り出すのを忘れていた絹布です。その絹が面白い色に染まっていました。緑色に近い青色なのです。焼き物と同様、藍染めも奥が深いようです。
なお、世の中に出回っている藍染めは、本来の藍染めとは違うようです。その成分はインド藍か合成藍とのこと。発酵させることなく一度で濃く染まります。古来の藍染めが廃れていく原因はここにあるようです。ヨーロッパにもアブラナ科の植物を使った藍染めがあったそうですが、インド藍の流入によって淘汰されてしまったそうです。
テストに使った布と染めの結果
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シーボルト記念館には1時間位いたでしょうか、お盆にも関わらず比較的空いていました。映像鑑賞時には我々だけしかいませんでした。シーボール記念館を出るとシーボルト通りを下り、市電が走る通りに出ました。朝から、バスに乗ったり、フェリーに乗ったり、レンタカーに乗ったり、シーボルト記念館までの坂を昇り降りしました。午後1時を過ぎると、さすがに疲れが溜まってきました。そこで、市電に乗ってホテルまで行って休憩することにしました。
シーボルト通りを下る 途中、精霊流しの船 新中川停留所で市電に
シーボルト通りを下っていると、精霊流しの船が飾られていました。15日のお盆にこの船を町中で引き回すようです。船の舳先には大きな飾りがありました。街の名前や家名が書かれているようでした。市内どこでもこの精霊流し船が飾られていました。私が子供の頃、平生町でも精霊流しが行われていました。今でもやっているのかは知りません。当時はろうそくを灯したたくさんの小さな精霊が、川から海に向かって帯のように流れていきました。
いったんホテルで休憩 奥まった場所の八劔神社 広々とした八坂神社
ホテルに着いたのは午後2時頃だったでしょうか。少々疲れたので1時間ばかり部屋で仮眠しました。そして午後3時頃、むくりと起き上がって今日の目的地の一つである風頭公園に行くことにしました。市電やタクシーを使っても良いのですが、歩いて行くことにしました。覚悟していた通り、急坂の上がり下がりの連続で足にこたえました。
八坂神社を過ぎた頃から、狭い急坂や墓地を登る
八坂神社を過ぎた頃から急坂が多くなりました。また、木々が多くなり影か増えて涼しくなったのは良いのですが、途中で道が分からなくなりました。墓地に迷い込んだようでした。倒れたたくさんの墓石が無造作に置かれ、お棺を横に置いたような西洋式と思われる墓地もありました。海外から来た人々のお墓ではないとか思われます。今では誰も掃除していないようで、苔むした墓石ばかりが寂しく目につきました。
西洋式と思われる古い墓地 やっとの思いで風頭公園に到着
墓地をさまよいながら上へ上へと登っていると、ぽっかりと舗装道路に出ました。やれやれと一安心して休憩していると、舗装道路の下の方から人が次々に登ってきました。風頭公園に行くには、市電で賑橋まで来て、この舗装道路を登るのがスタンダードのようです。
見晴らしが良い風頭公園の竜馬像
風頭公園に着くと、展望台に行きました。最初の展望台には坂本龍馬の銅像が建っていました。何人もの人が、その像の前で写真を撮ったり同じボーズを取っていました。もう一つ隣の展望台に行くと、長崎市内を一望することができました。海と山に囲まれた長崎は、香港に少し似ていると思いました。風頭公園は、さながらビクトリアピークでしょうか。
散策した長崎市内のコース(8月13日)
これまで、七輪を使って素焼きをしたり釉を塗って本焼きしてきました。しかしながら、素焼きは良いとして本焼きは七輪ではなかなか難しいことが分かりました。そこで、20年近く使っていない焼き物用の古い電気炉が使えないかテストすることにしました。ただ、この電気炉をテストするにあたっての難点は電源が交流200Vであることです。役場や郷土館には200Vがありません。そのため、仕方なく七輪で焼き物を作ってきました。
200V電源装置を運搬 電気炉に土器を入れる 右より、SW,ブレーカー
ある時、平生町にユンボなどの建設機械をレンタルする会社があることを知りました。平生町に用事があった時、その会社に寄って200V電源装置があるかどうか聞きました。すると何台かあるようで、実際にその電源装置を見せていただきました。そして、その場で動かしてもらいました。さらに次のようなアドバイスをいただきました。それは「運ぶためのトラックがあれば往復の運送料が必要なく、レンタル料金だけで安く借りれる。」と言うものでした。そこで、今回200V電源を初レンタルすることにしました。
テスト中の電気炉とレンタルした200V電源装置
20年も使っていなかった古い電気炉です。焼いている途中に壊れたり発火しては一大事です。建物から少し離れた野外で4時間位テストしました。炎天下、消火器を用意して動作中の電気炉を交代で見守りました。電気炉に導通すると、発電機は激しく音をたててエンジンが回りました。10kw容量の発電機でしたが、かなり苦しそうに動いていました。電気炉はそれだけ電気を食うのでしょう。
焼けた後、隙間を開ける ふたを開け冷やす 半焼きした土器など
今回は、温度が正常に上がるかどうかのテストだけをしました。400℃まで上がったことを確認して終わりました。テストの結果、4時間位かけてゆっくりと温度が上昇するため、割れた土器が皆無だったことです。子供達がラフに作った土人形も壊れていませんでした。この電気炉が使えることはありがたいことです。今回はテストのため半焼きでしたが、後日ちゃんとした素焼きや本焼きをしようと思います。
テスト(400℃)してみた半焼き状態の土器など、割れた土器は皆無
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旅行2日目の朝、起きるとすぐにホテルの食堂で朝食を取りました。旅行ではいつものことですが、私は朝食で、ご飯,みそ汁,半熟卵,果物を中心に食べます。食べ終わると、ザックやカバンを持ちホテルを出ました。そして、トロトロ走る市電に乗って熊本駅に行きました。熊本駅からは、バスに乗ってフェリーが待つ熊本港に向かいました。
ご飯、みそ汁、果物 市電に乗って熊本駅に 港に向かうバスに乗る
港は有明海の島原湾にあります。その昔、仕事で九州に来た時に有明海で遊んだことがあります。有明海は干満の差が大きくて、ずいぶんと干潟が広かったように思います。しかも、砂浜が少なくどこまでも泥のような浜が続いていたように記憶しています。今回は満潮でしたので、昔私が見た広大な干潟を見ることができませんでした。
これから乗るフェリー 有明海を眺めながら フェリーを下船
熊本港は島原湾に突き出た埋め立て地にあります。人もたくさん載りますが、車もたくさん乗ります。フェリーが出航すると、1時間位で対岸の島原港に到着しました。フェリーから海の水面を見下ろしましたが濁っていました。豪雨のためか、元々有明海は透明度が低い海なのかも知れません。大型フェリーなのでまったく揺れません。スピードが遅いから揺れないのかも知れませんが。乗船中、ずっと海を見ていましたが、イルカなどの生き物は見かけませんでした。
島原で車をレンタル 長崎到着、緩い坂を歩く 記念館近くの鳴滝川
熊本県の対岸の長崎県島原港に着くと、すぐに車をレンタルしました。ここから、長崎市まで車で移動しました。お盆の時期のため、渋滞しているかと思いきやスムーズに走りました。困ったことは、長崎市への移動途中に寄ろうとした喫茶店やお店です。実際に行って見ると、閉鎖されていたお店が少なくありませんでした。仕方なく、大手スーパーの喫茶に入りました。
幕末期に建っていたシーボルト鳴滝塾跡 すぐ近くのシーボルト記念館
長崎市に入ると、レンタルしていた車を返しました。レンタル店がシーボルト記念館に近かったため、最初シーボルト記念館に向かいました。鳴滝川の上流に向かう坂道を登っているとシーボルトの鳴滝塾跡が見えてきました。その敷地跡にはシーボルトの胸像が立っていました。そのすぐ上の方にレンガ作り風のシーボルト記念館がありました。
熊本からフェリーで島原に渡り、レンタカーで長崎市に向かう
園芸店に行くと、その季節に最適な野菜の苗や種を売っています。今の時期ならば、いろいろな品種の秋ジャガイモの種芋が店先に並んでいます。苗ならばキャベツの苗がたくさん出回っています。そして、白菜やタマネギなど秋蒔き野菜の種がたくさん並んでいます。
ジャガイモの種芋 畑を耕運機で耕す 平クワで筋を引く
今回、秋ジャガイモの種芋を購入して植え付けました。品種はニシユタカです。ややメークインに似ている煮崩れしにくい粘質のジャガイモです。本当かどうかよくは知らないのですが、西日本でたくさん収穫が見込めるため「西豊か」つまり「ニシユタカ」と命名されたそうです。その名のとおり、この田布施町でもたくさん収穫できるでしょうか。楽しみです。なお、去年は品種「出島」を7月に植え付けしました。
等間隔で並べた種ジャガイモ「ニシユタカ」
あらかじめジャガイモを植え付けるために草刈りしていた畑を耕運機で耕しました。そして、平クワで種芋を置く筋を引きました。その筋状のくぼみに種芋を置いていきました。春と違い、種芋を切ることはしません。続いて、種芋のそばに肥料を置きました。そして、最後に土をかぶせて、平クワでトントンと押しつけておきました。霜が降りる頃に収穫できると思います。
種芋の上に土を寄せる 最後に平クワでトントンと軽く圧接
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12日から16日まで、九州の熊本と長崎を家族旅行してきました。ここ数年、1年に1度は家族旅行しています。1年前は、南アルプスの木曽駒ケ岳を家族と歩きました。2年前は、京都の歴史を訪ねました。ところで、私が九州に行くのは約40年ぶりのことです。当時の私は、会社の営業活動で九州全域を訪ね回りました。熊本の小さな寒村を回った時には方言が分からなくて困りました。また、長崎では今もそうですが坂が多くて難儀しました。
新幹線で熊本に 熊本の市電 熊本城城彩苑入口
私の覚えている40年位前の熊本はありませんでした。すっかり変わっていました。確か40年位前に熊本市で100人位が亡くなったデパート火災がありましたが、40年前はそのデパートがまだ残っていました。今は残ってはいないでしょう。熊本大学出身の会社の同期N君がいました。その火災を見たそうで、デパートから人が落ちてくるのを見たそうです。今、その跡地に碑があるかも知れません。
熊本城入口近くの城彩苑でキャラクターショーの催し
ところで、私は田布施町から鉄道で熊本に向かいました。家内と息子は飛行機で東京から熊本に向かいました。私の方が早く熊本に着きました。公園の長椅子で寝たり、アーケード街を散策して時間をつぶしました。待った理由の一つが、熊本空港から熊本市内までの渋滞で家内と息子の到着が遅れたからです。お盆の時期ですので仕方ありません。
熊本城近くの城彩苑を散策 西南戦争の石碑
家内と息子に合流すると、すぐホテルに直行しました。そして、バッグなどの荷物を置いて、熊本市内を散策することにしました。最初に夕刻の熊本城に向かいました。少し暗くなっていたため、熊本城入口近くにある城彩苑しか行けませんでした。日光江戸村を小さくしたような雰囲気の場所でした。和風のお店がたくさん並んでいました。ちょうど、クマモンなどのキャラクターショーをやっていました。
崩れた石垣 加藤清正銅像 焼き肉店に入る
城彩苑近くから見た熊本城、先日の地震でだいぶ石垣が崩れていました。城彩苑近くを散策していると、西南戦争の石碑がありました。さらに歩くと、この熊本城を築いた加藤清正の銅像がありました。熊本城を出ると、焼き肉店に入って美味しいお肉を食べることにしました。そして、食べ終わるとホテルに戻りました。次の日のためすぐに寝ました。
炭火でお肉を焼く 夕食後ホテルに戻る 次の朝までぐっすり寝る
先日飼い始めた金魚、水槽の中が殺風景なため水草を入れました。そして、昼夜の区別ができるようにLEDで照らすことにしました。そのため、複数のLED素子が取り付けられた基板を購入しました。さらに、12Vの電源を購入しました。そして、LED素子に12V電源を半田で取り付けました。まぶしいほどの明るさですが、LEDのため熱はありません。
電源に繋がったLED素子 1日タイマーを設定 タイマースイッチON
次に1日タイマーの設定をしました。朝昼に合わせ、午前6時にスイッチがONになり、午後6時にスイッチがOFFになるようにセットしました。そして、このタイマーに12V電源を取り付けました。LEDは水槽の真上に置きました。それでも水槽内が寂しいように思えます。いつか巻貝やエビを飼おうと思います。
水槽の真上に取り付けたLEDが明るく光る