なかなか暇がないのですが、空き時間を見つけては裏山の下草刈りをしています。今回は、裏山東側尾根付近の笹をきれいに刈り取りました。東側尾根は高塔地区の瀬戸の郷団地に面しています。以前は茂った竹藪のため団地が全く見えませんでした。今年は竹藪が綺麗に伐採されています。久しぶりに東側尾根から瀬戸の郷団地全体を見下ろすことができました。
下草を綺麗に刈り取った、我家の裏山東側の尾根斜面
尾根道は膝上まで伸びた笹がたくさん生えていました。また、以前伐採した竹の株があちこち残っていました。その尾根道を草刈機で綺麗に刈り取りました。刈り取り中、笹の下に隠れた竹の切株に気を付けました。それでも時々切り株が当たり、軽いキックバックで困りました。しばらく尾根道の下草刈りをすると、尾根が綺麗になりました。しかし、下草刈りしていない山が奥までずっと続いています。3月下旬まで、延々と下草刈りが続きます。
下草刈りする前の尾根道 下草刈り後、綺麗になった尾根道
9月初旬に種芋を植え付けた秋ジャガイモ(品種:デジマ)の収穫をしました。秋ジャガイモは、霜が降りる11月過ぎに収穫することが多いと思います。しかし、私は忙しくしているうちに収穫が遅れてしまいました。冬の間、地中のジャガイモは腐ることがありません。そのため、食べたいときに少しずつ収穫してもかまいません。私は後者のように、食べたいときに収穫します。
冬は日差しをあびて、のんびりとジャガイモを掘り上げ
夏のジャガイモ収穫は汗だくですが、冬は日差しをあびながらおもむろにフォークを使って堀り上げます。その後天日干ししてから、土がついたまま屋内に貯蔵します。ところで、園芸店に行くと春ジャガイモの種芋が並んでいます。来月下旬には春ジャガイモの種芋の植え付けが始まります。そろそろ種芋を買おうと思っています。去年植え付けた品種はシンシアでした。今年はどの品種にしようかな。
次々に出てくるジャガイモ 天日乾燥後段ボール箱に収納
今回のコットンクラブは最初に麦踏みをしました。今年は暖冬のため例年よりも小麦がよく伸びています。そのため、小麦を踏むと小麦がばっさり横に倒れます。少しばかり小麦が気の毒に思えました。しかし、小麦は強いので数日もすれば起き上がると思います。仮に起き上がらなくても、次に生える葉は真っすぐ上を向いて育ちます。順調に育てば、4月に穂が出て、5月には小麦を刈り取りできると思います。
糸紡ぎや織りなどの前に、畑に出てのんびりと麦踏み
ところで、今回はサプライズがありました。麦踏みが終わって公会堂に戻るとケーキや紅茶などがセットされていました。Tさんのどっきりお誕生会です。私も参加させていただきました。糸紡ぎや織りの前に、美味しいケーキに飲物で談笑しました。
楽しいお誕生会が終わると、いつものように糸紡ぎや織りをしました。スピンドルによる糸紡ぎは最初こつがなかなか掴めません。しかし努力は裏切りません。私など、紡げるようになるまでに1年以上かかりました。こつを体得すれば、足踏み紡ぎ器を使ってより効率的に糸を紡げるようになります。また糸の太さも自由自在です。
Tさんのお誕生会 Kさんの織物作品 Kさんの織機紹介
ところで、Kさんが織物の作品を持ってきました。雲や空をイメージした作品です。濃淡のある空の青は、9月の藍染め時に染めた糸を使っているとのことです。まだ完成ではないとのことですが素晴らしいです。また、みなさんに複数綜絖の織機を紹介していただきました。私も小さな織機を持ってはいますが整経で苦心しています。その後、各人糸紡ぎや綿繰りなどを楽しみました。私はもっぱら足踏み糸紡ぎ器で糸を紡ぎました。私の課題は細い糸をいかに連続して紡げるかです。ところで、糸巻き台制作のリクエストがあったので暇をみて作ってみようと思います。
談笑しながら糸紡ぎなど 綿繰りやカーディングなど
2週間ぶりの田布施農工高校での田布施少年少女発明クラブでした。最初、作りかけだった電子カーを完成させます。車輪を付けたサーボモーター,電子基板,電池BOX,そして障害物検知器を箱に取り付けて電子カーの完成です。次は完成した電子カー上の電子基板にMicrobit基板をはめ込んで正常に動作するか確認です。確認の方法は、パソコンで簡単なプログラムを作ってMicrobit基板にダウンロードします。そして、プログラムを動作させます。半田付けが間違っていたり、コードが外れていたりすると正常に動きません。
私が小学生の頃は電線を巻いてモーターを作っていました。当時の電子回路である真空管ラジオを作り始めたのは中学生からでした。子供達の工作環境の変わり様に驚きです。
子供達が制作する電子カー(ハード部分)
子供達を指導できるように、私も電子カーを作ってみることにしました。子供達を追いかけるように制作しました。まずは電子基板を制作し、Microbit基板をはめ込みます。そして、電子基板,タイヤを付けたサーボモーター,電池BOXを箱に取り付けて電子カーが完成です。半田付けなどの工作はお手の物なので、子供達がプログラミングを始める頃には追いつきました。そして、子供向けに開発されたプログラムを私も体験してみました。
私が仕事で使っていたプログラミング言語はテキストスタイルで、機械語,アセンブラ,Basic,Pascal,Cなどでした。子供達が使うプログラムはイメージスタイルで、二次元積み木のように思えました。分かりやすい言語です。
細かい半田付け 端子を電子基板に連結 電子基板の完成
子供達が使うMicrobit基板に使われているCPUですが、私が20歳頃に出た4004と呼ばれる4bitCPUが基礎になっていると思います。その後8008や8080になった頃、ようやく私もCPUを学ぶようになりました。そのCPUを動かすために機械語やアセンブラをひたすらコーディングしました。大型コンピュータではIBM360が幅を利かせていた時代です。当時、子供達がプログラミングをする時代が来るとは夢にも思いませんでした。
電子基板を載せる車作り どんな箱に電子基板を載せようかな
さて私もMicrobit基板をお借りして、電子カー上の電子基板にはめ込みました。そして、空いていたパソコンでプログラミングをしてみました。プログラミングの知識があったので、比較的早くこつを掴むことができました。基本的には画面上で積み木を重ねるようにしてプログラムを組み立てます。
Microbit基板にダウンロードするプログラムを作成する子供達
プログラミングが完了すると、Microbit基板にプログラムをダウンロードします。正常であれば、Aボタンを押すと車が前進し、Bボタンを押すと車は後進します。ちゃんと動きました。ハードウェアの電子カーとソフトウェアのプログラムが調和してはじめて電子カーは正常に動きます。次回は、障害物があると車が避けて走るようにプログラミングするのではないかと思います。
今回のような電子工作は、ノコギリや金づちを使うような現実だけの工作世界とは違います。プログラミングが分かる指導者でないと、なかなか教えられないのではないかと思いました。これからの先生や指導者は大変です。今回、子供達に電子工作やプログラミングを教えていただいた田布施農工高校の先生方や高校生に感謝します。
タイヤの制作 電子基板を箱に載せる プログラミング
毎年この時期になると、各地域の小学生達が先生に連れられて郷土館にやってきます。お爺ちゃんやお祖母ちゃんが暮していた頃の昔の生活を知るためです。この日は城南小学校と上関小学校の元気な小学3年生達がやって来ました。郷土館には昭和30年代以前に使われた古い生活用具が展示してあります。すべてではありませんが、それらの生活用具は今でも動かすことができるように整備されています。例えば、石臼,だいがら,唐箕,たぬきの糸車,綿繰り機,織機,黒電話,ボンボン時計,蓄音機,真空管ラジオ,手押し井戸用ポンプなどです。子供達はこれらの古い生活用具を好奇心いっぱいに見たり,調べたり,動かしたりしていました。
石臼に小麦粒を入れて回し、製粉体験する子供達
郷土館に入館すると、挨拶をしたあと館内を見学します。最初に田布施町郷土館にしか展示していないノーベル平和賞(メダルはレプリカ)と岸・佐藤元宰相の遺品を見学します。次に、昔の生活用具が展示してあるブースに移動します。そして、牛や馬を使った農具,田植えの道具,耕す道具,お米を調整する道具,紡ぐ道具,炊く道具,商用道具などを見学します。
郷土館の全体説明 岸・佐藤元宰相の紹介 牛馬の農具説明
郷土館は見るだけでなく体験も重視しています。石臼で製粉体験、蓄音機で音楽を聴く、実際の縄編みや糸紡ぎの見学などです。子供達の一番人気はだいがらでした。だいがらは精米やもちをつく古い道具で、松下村塾などでも見ることができます。男の子も女の子もだいがらに登って足踏みして動かしました。1時間程度ではすべての道具を見たり体験できません。いつか家族と一緒に郷土館に来ていただければと思います。
古い農具を見たり触ったり 糸紡ぎの実演を見学
健康ウォーキングクラブの新年会がありました。最初、会計担当の方から会計報告がありました。続いて、私の方から去年のウォーキング実績報告と今年のウォーキング計画を発表しました。続いて懇親会となりました。
私が定年退職後に田布施に帰ってきた時、自身の健康のために何か歩く会に入ろうと思いました。そこで、公民館,スポーツセンター,そしてスポーツ用品店などに出向きました。しかし、当時の田布施町に歩く会がありませんでした。困っていると、ウォーキングクラブを新たに作ることを勧められました。それが史跡を巡る健康ウォーキングクラブ発足の経緯です。2012年の11月に発足してから今まで、皆さんに支えられながら続いてきました。ありがたいことです。
健康ウォーキングクラブ2020年新年会に参加された方々
11月頃から特価品の壊れた手回しミシンを修理しています。今のようなボビンではなく、とても変わった砲弾の形をしたボビンです。こんな形のボビンを使うミシンは初めてなので、修理方法が最初まったく分かりませんでした。ここ1ヶ月、時間を見ては修理を試みました。その結果やっと原因が分かりました。下糸のギヤと上糸のギヤが回転位置が大きくずれていたのです。そのずれを直すと、やっと布を縫うことができるようになりました。
とても変わったボビンを使う手回しミシン
ミシンを修理するにあたって、糸巻きから上糸を針まで通しました。上糸の通し方は、今の普通ミシンと同じなので難なくこなすことができました。しかし、ボビンのセット方法が最初分かりませんでした。
上糸を通す ボビンをセット ハンドルを回す
ボビンは下画像のような砲弾型をしています。困ったのは、ボビンに入れる管巻きです。ハンドルを回して、小さく細長い管巻きに糸巻きからの糸を巻き付けます。そして、糸を巻いた管巻をボビンに入れるのです。その後、ミシンにボビンをセットするのですがさっぱり縫えないのです。ボビンが上糸を拾わないのです。この段階で、1ヶ月間どう修理してよいか困りました。
変わった形のボビン ハンドルを回し管巻に糸を巻き付け
その後、針の動きやボビンの動きを観察し続ける毎日でした。観察していると、針の動きとボビンの動きが合っていないことに気が付きました。そこで、ミシンの側面を取り外してギヤの動きを観察しました。すると、上糸のギヤと下糸のギヤがずれていることに気が付きました。二ヶ所のネジを回して両ギヤの動きが合うように調整しました。すると、やっと布が縫えるようになりました。その後、上糸の張りと下糸の張りを直しました。とても修理が困難だった手回しミシンでした。とにかく、修理できて良かったです。来年度の放課後学習で子供達に使ってもらおうと思っています。
上糸と下糸のギヤ 上糸の張り具合 下糸の張り具合
今年初めての小学校放課後学習の成器塾でした。前回は糸紡ぎや織物などの手芸でしたが、今回は調理です。小学生の調理ですので、比較的簡単なホットケーキを作ってみました。ただし、手回し製粉機を使って小麦の製粉からスタートです。使った小麦は去年収穫したものです。去年の秋に種まきした小麦は、次年の成器塾でホットケーキ作りかパスタ作りに使います。畑で小麦を栽培することから体験する調理です。
製粉して作った小麦粉で調理したホットケーキ、美味しそう!
天ぷらやパンなどの食べ物にはたくさんの小麦粉が使われています。しかし、どのようにして小麦粉が作られているのか知らない子供が多いと思います。そこで、手回し式製粉機を使って製粉の工程や製粉の大変さを体験してもらうことにしました。
手回し製粉機 最初は粗びき ふるいで粉を濾す
製粉は、最初に粗びきをしてから細粉にします。何度も手回しするので腕が疲れます。疲れた頃に次の人に代わります。次々に代わって回すと疲れが溜まりません。細粉にした粉をふるいで濾して糠を取り除きます。このような大変な思いをしてやっと白い小麦粉が得られます。この小麦粉を使って、ホットケーキ作りに入りました。
牛乳を計量 生卵を溶いて バニラエッセンス
小麦粉が出来上がると、一般的なホットケーキ作りのレシピに沿って調理しました。小麦粉に牛乳,砂糖,生卵,ベーキングパウダーを入れてかき混ぜます。均一に混ざったらフライパンで焼きます。調理している間にテーブルセッティングをしておきます。
焼く前にフライパンに油を薄くひく
焼きあがるとお皿に配膳です。全員が席に着いて「いただきます!」。お好みに応じてバターか蜂蜜を付けました。糠の味が残るかと思っていましたが、とても美味しくいただきました。この美味しさだと、来年の成器塾の調理でもお勧めです。
熱したフライパンで焼く 美味しくいただきました。
現代の樋門に着くと、樋門の役割について皆さんにお話をしました。そして、江戸時代に作られたオランダ樋についてもお話をしました。その昔、オランダは低地が多く干拓が盛んでして。そのため、干拓技術は当時世界一だったはずです。江戸時代、唯一交流していたヨーロッパの国はオランダでした。その技術が平生町に伝わったのではないかと思います。オランダの風物詩である大型風車は、風力を使った干拓地の排水にも使われた建物です。その風車も伝わっていれば、今平生町の観光名所になったのではないかと思います。
お昼休憩をとった八海公会堂
現在の樋門を見学すると、江戸時代に作られた運河跡に行きました。この運河を通して塩水が塩田に供給されたり、船での移動や運送に使われまた。言わば「海の街道」ではなかったかと思います。塩田ですが、私が麻郷から平生保育園に通い始めた頃は入浜式塩田でした。たくさんの浜子さんが働いていました。真夏の塩砂を集める作業は重労働だったに違いありません。その後、保育園を卒園する頃に流下式塩田に代わりました。
現代の近代的樋門 運河脇のお地蔵様2 楽しい昼食休憩
かつての塩田跡地は、草が生えた荒れ地になっていたり、住宅地になっていたり、太陽光発電所になっていたり、畑になっていたり、池になっていたりしました。運河を横切る、今は使われていない橋跡がありました。この橋は麻郷と平生町を結ぶかつての古道の一つでした。麻郷八海側の初代八海橋とつながっていました。初代八海橋の前は渡船で人々が行き来していました。塩田跡地や運河跡を巡りながら田布施川に架かる三代目八海橋を渡り、昼食休憩をとる八海公会堂に向かいました。休憩しながら、国木田独歩の旅小説「帰去来」に出てくる高塔山(八海を見下ろす山)についてお話をしました。
竪ヶ浜のお地蔵様5 干拓のため削られた磯崎の崖
昼食休憩が終わると、再び塩田跡地を巡りました。歩いていると運河の支流である水路に変わりました。運河は船2艘が交互に往復できる幅ですが、水路は船一艘が渡ることができる幅です。灸川の河口に行くと、かつての旧田布施川(古川)の跡が残っています。その後、お地蔵様を見ながら竪ヶ浜の古道に出ました。そして、祠を見たり金毘羅社をお詣りしました。
オランダ樋跡地 干拓地を見下ろす濃嶋神社 濃嶋神社からの眺め
平生町の干拓には大量の土砂が必要でした。かつて島だった場所や山裾が削られ土砂として使われました。かつて島だった人島、そして海に突き出た磯崎などです。磯崎の高台に上がると干拓地を見下ろせました。そして、磯崎には土砂を採掘した跡が崖として残っています。磯崎を出るとオランダ樋が置かれた川を見学し、干拓地を見下ろすことができた濃嶋神社に行きました。
平生町の干拓地跡と塩田跡地巡りに参加した皆さんや高校生達、お疲れ様でした。来月は柳井市の干拓地などの史跡を巡るウォーキングです。
今回巡った平生町の干拓跡地や塩田跡地
私の姪であるまりちゃんの結婚式がありました。結婚が難しい世の中になっているようですが、私の甥や姪達はまりちゃんを最後に全て結婚しました。まりちゃんは子供の頃に体が少し弱かったので、いつも心配していました。立派な大人になり、今ここに良い伴侶を得てとても嬉しく思いました。両方の親とすぐ近くに住むとのことですので、両家と親しく付き合いをしてくれることと思います。よかったね、まりちゃん。おめでとう。
晴れやかな新郎新婦を囲んで
今後しばらくは結婚式に呼ばれることはなさそうです。あるとすれば、家内の妹達の子供達ではないかと思います。結婚式が終わって数年経つと今度はベビーラッシュです。今回の結婚式に4歳以下の可愛い4人の幼児や赤ちゃん達も参加しました。結婚式の雰囲気に慣れないのでしょう、時々赤ちゃんが泣きましたが微笑ましいことです。
唇に紅をさす母親(私の妹) 新婦の親兄弟 新郎の親兄弟
式は新山口駅前で行われました。まりちゃんの祖母(私の母親)も行きたかったのですが92歳の高齢です。足腰が悪くてとても行けません。私からのお祝いと婆様からのお祝いを私が式場に持って行きました。式が終わると我家に帰り、まりちゃんの結婚式の様子を婆様に話しました。
神前結婚式(出雲大社) 上司による新婦紹介 生い立ちなどの紹介
偶然なのでしょうが、新郎新婦は同じ職場(山口県庁)に勤めています。新郎が広報担当とのことで驚きました。郷土館に勤めている関係で、山口県広報と関わりが少しあります。去年の明治維新150年展や、今年は山口県出身宰相記念館ポスターで関わりが少しありました。たまに県庁に行きます。まりちゃんは以前は確か税務関係だったと思いますが、今は農業振興関連の仕事をしているそうです。農業高校と少しばかり関わりがあるため、いつかお世話になることがあるかも知れません。
新郎に先導された新婦 晴れやかにケーキ入刀
つつがなく式が進み、育ててくれた親へ新婦からの感謝の言葉、新郎の父による挨拶、そして新郎による挨拶がありました。結婚式はいつ出席してもいいものです。人生の一番大切な節目と言っていいと思います。結婚式が終わって息子と我家に帰りました。そして婆様に報告しました。婆様は、引き出物を見ながら嬉しそうにしていました。まりちゃん、いつまでも幸せにね。
親への感謝の言葉 新郎の挨拶 嬉しそうな婆様
曇り空の日曜日、平生町の干拓(開作とも言う)や塩田の史跡を巡るウォーキングをしました。江戸時代より前、今の平生町中心部は海原でした。今のような陸地にするために400年位前から先人の努力によって少しずつ陸地が作られました。その歴史を学ぶウォーキングです。最初、平生町の干拓や塩田開発に深い縁がある直指院を伺いました。ご住職様に暖かくお迎えいただき感謝します。
直指院ご住職様による干拓や塩田の講話
ご住職に最初、平生町の干拓と塩田の歴史について、そして干拓と直指院の深い関係について講話していただきました。直指院は創建200年目にあたる記念すべき年とのことです。さて、今から200年位前干拓工事の事故によってたくさんの方々が亡くなったそうです。そして、その浮かばれない霊が火の玉となって夜な夜な現れたそうな。
干拓と直指院の関係 健康などご祈願 ご祈願中お祈り
その霊を鎮めるため、干拓に関係した貫田喜左衛門によって直指庵が創建されました。そして、尼さんがお勤めされたとのこと。直指院の前身が直指庵です。直指庵創建者の貫田喜左衛門夫婦の位牌が今、直指院に納められています。私が幼児の頃、何代目かの尼さんがおられて健康祈願をされたことを覚えています。60年位前のことです。
ご祈願中静かに黙とう 前に出てご焼香とお祈り
干拓に関わる講話に続いて、今回の史跡巡りウォーキング参加者一人一人の名前で、健康成就・家内安全・交通安全などのご祈願をしていただきました。ありがとうございました。
その昔、干拓地や塩田は台風などで甚大な被害を被ることが度々あったそうです。その干拓地や塩田を加護するための浜明神が、当時何ヵ所か安置されました。その一つが直指院傍にあります。その浜明神を見学しました。
直指院傍の浜明神 塩田跡地のお地蔵様 現在の樋門に向かう
直指院を出ると、干拓跡地や塩田跡地の現場を巡りました。最初に、干拓地の安寧を守るためか平生町街方向を見守るためのお地蔵様を訪れました。続いて、干拓に欠かせない樋門(現在の近代的な樋門)に向かいました。ところで、今回の史跡巡りウォーキングに田布施農工高校に通う生徒さんと先生の参加がありました。地域を知る一環として、平生町の干拓と塩田の歴史を学ぶためとのです。
今回巡った平生町の干拓跡地や塩田跡地
電圧値を測定する時にはデジタルテスターで良いのですが、電圧の変化をリアルタイムで見る時にはアナログのテスターが欠かせません。ラジオ修理などにいつも使っている愛用のアナログテスターが壊れてしまいました。接触が悪いようでメーターがふらつくのです。どの場所の接触が悪いのかそのテスターを分解してみました。すると、測定するコードの根本が切れかかっていました。
切れかかっていたコードの根本を修理
切れかかっているコードをいったん切断しました。そして、コードを新しくむき出しにした両端を半田付けしました。その後、ビニールテープで絶縁しました。この修理でメーターがふらつくことが無くなりました。古くさいアナログテスターなのですが意外にも役に立ちます。特に役立つのは、電圧の変化をメーターの振れ方で測定できることです。このアナログテスターとデジタルテスターの違いを知って使うことが大切です。
切れたコードの根本 コードを半田付け ビニールテープで絶縁
私の家には温室なるものがありません。中学生の頃にヒーターとバイメタルでビニール温室を作ったことがあるくらいです。また、落葉をたくさん集めての踏み込み温床で疑似温室を作ったことがあるくらいです。温室が無いので、苗作りは4月になってからです。今年は、簡単な家庭用の小型温室を購入して苗を作ってみようと思いました。我家で消費するナスやピーマンは数がしれています。数個の苗があれば足りますので、家庭用小型温室で十分だと思いました。
購入した家庭用超小型苗作り用温室
説明書を読むと温室内の温度をダイヤルで設定します。屋外で使うのではなく、太陽が差し込むような明るい屋内で使います。温度が箱内で均一になるように砂を底に敷きます。試しにビニールポットに湿った土を入れて電気を入れてみました。すると、温度は10℃~20℃です。ただし、日が当たると温度が急上昇して40度近くまで上がります。上がらないように蓋の窓を開けて置く必要があるようです。試しにパンジーの種をまいたビニールポットをこの温室内に入れて発芽状況を確認しようと思います。ちゃんと発芽するようであれば、野菜や花の種をまいてみようと思います。
底に砂を薄く敷く 種を蒔いたビニールポット ダイヤルで温度調整
夏の草刈りは、暑さと蚊で大変です。最近の夏は猛暑で、草刈り中に倒れる人のニュースが少なくありません。私も夏の草刈りはなるべく避けています。家の周りや隣との境界、果樹の下などに限って草刈りしています。冬は寒いため、草刈りしていると程よい涼しさで快適です。蚊もいませんので。夏避けている山の下草刈りもお手の物です。斜面など踏ん張る力は必要ですが、無心で刈ることができます。
最初に山を巡る小道を刈り、小道から尾根に向かって刈り上げる
山の下草刈りは、なるべく年2回するようにしています。ただし、夏は主要な山道だけに限って下草刈りしています。冬は全面を刈るようにしています。ほとんどが笹ですが、芽生えた木などを刈ることもあります。チップソーは高価なため、なるべく軟鉄製の刃を使っています。何枚か用意して下刈り中に何度か取り換えます。
下草刈りの開始 最初に小道だけ刈る 山を巡る小道
私は次の手順で下草刈りをしています。最初に、山を巡る小道だけを刈ります。山の隅々を歩くことができるようになります。次に、その小道から尾根に向かって刈り上げます。刈り下げることはしません。隠れた切株や岩に当たるとキックバックで痛い思いをするので、刃を浮かせるようにして刈ります。他の方はどのようにして下草刈りしているのでしょうか。肩掛け式の草刈機を使っているのですが、斜面が多い山で使うとそれなりに疲れます。次に買う時は、背負い式を購入してみようかと思っています。
笹が茂った山の小道 歩きやすくなった小道