東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 竹部~御蔵戸ウォーキング(2/3)

2017年09月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 西竹部のむつみ会館を出ると、次に稲荷山古墳に向かいました。この古墳は名前のとおり稲荷社として地元の方から祀られてきました。稲荷社の鳥居をくぐって進むと小さな広場があります。かつては稲荷社のお社があったのではないかと思います。その広場の山側に口を開けているのが、稲荷山古墳の石室です。損壊を防ぐためか、石のつっかえ棒が入口を支えています。

 稲荷山古墳に向かう     鳥居を抜けると広場      古墳の石室入口
  

 稲荷山古墳の解説を済ませると、次に東漸寺に向かいました。東漸寺に向かう道すがら、なつめの木を発見しました。実がなっていたので一粒しっけいしました。口にすると懐かしいリンゴのような味とシャリシャリする食感を同時に楽しむことができました。我家にもなつめの木を植えているのですが、なかなか大きく育ちません。

  なつめの実を眺める     東漸寺に到着       山門前に線路が敷設
  

 なつめの実を眺めた後、5分程度歩くと東漸寺に到着しました。このお寺の山門前数m先に
山陽本線の線路が敷設されています。そのため、山門前をひっきりなしに電車が通ります。この付近の線路は微妙に線路がカーブしています。山影に隠れて走ってくる登りの電車は見落としてしまいそうです。

         今回の史跡巡り健康ウォーキングに参加された方々


 その昔、東漸寺のご住職がひかれて亡くなったことがあるそうです。その状況が分かるような気がします。時々目の前を通過する電車を見ながらお昼休憩にしました。東漸寺での昼食休憩が終わると、裏山にある大田資直(すけなお)の石碑に向かいました。途中、荒神社の鳥居を通りました。

 大田資直の石碑に向かう  大田資直碑隣の荒神社     大田資直の石碑
  

 大田資直は幕末期に奇兵隊の隊士でした。そして、除隊後に地域に貢献した方です。地域の方々が、その貢献を顕彰するためこの石碑を建てたとのこと。ただ、その子孫が地域に住まなかったため、今では自宅跡も何も残っていません。石碑だけが残っています。

          荒神社と大田資直の石碑がある林


 ところで、荒神社と大田資直の石碑がある林は、昼なお暗い林です。杉が整然と植えてあります。樹齢は40年位と思われます。つまり40年位前に植林したのではないとかと思います。ただ、周りから竹が押し寄せていました。このまま竹を伐採しないでいると、次の40年後には足の踏み場が無い竹林になってしまう恐れがあるように思いました。

         今回歩いた竹部~御蔵戸のウォーキングコース

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紅花の種を蒔いて苗づくりを開始

2017年09月29日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 もうすぐ10月です。10月から11月にかけて一気に寒さが襲ってきます。10月中旬過ぎての種まきは遅すぎます。例えば、10月中旬以降に白菜の種を蒔いても、葉は育っても巻くことはありません。よほど早生な白菜でないと育ちません。そのため今、秋冬野菜の種まきなどを他の作業よりも優先しています。

 夏に採種した紅花の花から種を取る       紅花の種、これを播種
 

 夏に収穫した紅花の花から種を取り出しました。紅花の苗を育てるためです。その種を4 x 4の苗箱に蒔きました。一つの箱に2つの種を蒔きました。紅花の苗づくりは初めてです。育てた苗を11月頃に畑に植え付けるつもりです。春に種を蒔くよりも、秋に種をまいて冬越しした紅花の方か大きく育つとのこと。そして、春作よりも大きな花が咲くようです。

    種を箱苗の土の上に置く           種を指で押し込む
 

 箱苗に種を蒔くと、その上からジョロで水をまきました。おそらく1週間後頃には芽生えると思います。植え替えする11月頃には高さ5~10cm位に育てればいいかなと思います。紅花の苗を育てるのは初めてですので、この秋は試行錯誤の育苗になると思います。さて、育苗や植え替えがうまくいき、来年の初夏には染色できるほどのたくさんの紅花の花が収穫できるでしょうか。

           種を蒔いた後にジョロで水をまく

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サフランの球根を植え付け

2017年09月28日 | 花,野草

  朝から小雨の一日でしたが、雨が止んだ一瞬を見逃さないでサフランの球根を植えました。タマネギの種を蒔いた畝の隣に、サフラン用の畝を作りました。タマネギの畝と同じように最初耕運機で畑を耕しました。そして、レーキやクワを使って畝を鞍型に整形しました。そして、その上に穴あき黒マルチを被せました。

   サフラン用に畑を耕耘          穴あき黒マルチを畝に被覆
 

 サフランは見た目がクロッカスによく似ています。球根の形状はそっくりですし、クロッカスと同じ花色の紫です。違いは二つあります。一つ目の違いは、クロッカスは春に花が咲きますが、サフランは12月頃に咲きます。二つ目の違いは花粉です。サフランの花粉は染色に使います。例えば、料理の色を黄色にしたい場合などに使います。購入すると意外に高価です。また、布を染めることもできます。クロッカスの花はそのような使い方はできません。

 サフランの球根       球根を穴に植え付け     埋め込んだ球根
  

 今回植えた目的は、布を染色するためです。ただ、自然に少しずつ脱色するようです。そのためか、あまり布の染色に使う話を聞いたことがありません。葉の緑と同じようなものでしょうか。一度は緑に染まるのですが、経年変化で緑がだんだんと脱色します。藍の青のような経年変化しない自然の染色材は少ないのです。サフランの花粉の染色効果を来春にでもテストしてみようと思っています。

           穴あきマルチの穴に植え付けたサフラン

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田布施町 竹部~御蔵戸ウォーキング(1/3)

2017年09月27日 | 歴史探訪他ウォーキング



 毎年8月は猛暑のためウォーキングはしません。そのため、2ヶ月ぶりの史跡巡り健康ウォーキングでした。今回は、田布施町交流館から田布施川上流の竹部や御蔵戸方面の史跡を巡りました。最初、あいさつ橋から20m位駅に向かった場所にあるお地蔵様を拝みました。続いて田布施川沿いを上流に向かいました。そして、道端から河村徳尚の石碑を遠目に見学しました。この石碑は個人の家にあるため、道からでしか見ることができません。

あいさつ橋近くのお地蔵様    定井手のお地蔵様    東竹部の薬師公会堂
  

 田布施川沿いの歩道をどんどん歩きました。そして、定井手のお地蔵様横を歩きました。江戸時代初め、このお地蔵様近くから田布施川は敷かれました。江戸時代以前の田布施川(薬師川)は田布施街(波野)の中心部を流れて灸川に抜けていました。田布施川が定井手から直線になっているのは、その時の工事以来なのです。工事以降、薬師川のことを古川、田布施川のことを新川と呼びました。新川の呼び名は、今では地区の名前として残っています。

           東竹部の薬師公会堂、薬師様を拝む方々


 定井手を過ぎると、東竹部の薬師公会堂に向かいました。到着して少しして、町議のSさんが公会堂の鍵を持ってやってきました。そして、公会堂の薬師様を見せていただきました。ありがとうございました。ウォーキングの何人かの方々は薬師像前で拝んでいました。私は健康長寿を祈願しました。薬師公会堂を出ると、Sさんを先頭に竹部地区内を歩きました。そして、東竹部と西竹部の境近くにあった薬師堂跡地や尼さんが住んでいた岡の寮跡地を見学しました。

  東竹部の薬師堂跡地      岡の寮跡地     西竹部むつみ会館に向かう
  

 岡の寮近くの畑で偶然に岡さんが畑仕事をしていました。挨拶すると岡の寮について少しばかりお話をしていただきました。岡さんの話では、岡の寮にはかつて尼さんが住んでいたとのこと。
 ほとんどの尼さんは戦中に寮を去ったようです。戦後はわずかには瑞松庵,長福寺,直指院に昭和30年代まで尼さんが住んでいました。私が4,5歳の頃、祖母に連れられて平生町にある直指院によく行きました。直指院の尼さんに、「健康に育つように」と拝んでもらったり頭をなでてもらったものでした。

         西竹部のむつみ会館に安置されている立派な仏様


 かつて寮と呼ばれる庵に住んでいた尼さんは、地域の役に立っていました。例えば、急なお葬式の手配などを手助けしていたこともあったようです。また、寺のご住職の代わりに墓参りや周忌に参っていたこともあったそうです。そして、その時の施しを生活費に充てていたと聞いています。しかし、ほとんどの尼さんは戦中に寮を去ったとのこと。戦争中は物資がなく、尼さんを養う余裕が地域に無くなったのが原因ではないかと思います。

          今回歩いた竹部~御蔵戸のウォーキングコース

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柳井市平郡島 紡ぎ,織り,染めを体験(2/2)

2017年09月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 見たり体験した順序は、織り,整経,綿繰り,紡ぎ,藍染めなどでした。私は郷土館に勤めている関係で、郷土館に展示されている紡ぎ関連の道具に興味を持ちました。まずは、綿から種を取り出す綿繰り機です。郷土館所蔵の綿繰り器はとても古く、種を取る部分に隙間があります。そのため、種を挟んでしまうことがあります。

           藍染めを体験しているMさんの子供達   


 綿繰り後に綿をほぐす作業ですが、私は羊の毛をカードでほぐしています。綿の場合は弓の弦を使ってほぐすようです。今回使った弓は手作りのようでした。我が家の裏山には竹林があります。その竹を使って弓を作ってみたくなりました。弦は紐かピアノ線でよいでしょう。ただ、何度もはじいていると指が痛くなりそうですので、はじくバチのような物もあればよさそうです。

  染める布を浸ける      浸けた布を洗う      酢を溶かした液に浸す
  

 ほぐした綿を糸にする工程も体験しました。ほぐした綿をいったん筒のように丸めます。その端から引き出すように指でよるのです。すると、綿が糸になるのです。糸にする方法にはいろいろあります。今回のように指でよってもかまいません。しかし、時間がかかり糸の太さがまちまちになります。普通はスピンドルを使ったり糸車を使います。糸紡ぎには世界でいろいろな方法があります。ちなみに古代弥生時代に田布施に住んでいた人々は、スピンドルを使って糸を紡いでいました。その証拠として遺跡からスピンドルの紡錘子が出土しています。

    白い靴を染めているMさん      藍染め体験で染めた数々の布
 

 藍染め体験中、藍染めに使う液を作る部屋を見学させていただきました。私は、この藍染め液を作ることに苦心しています。うまく染まる液を作れる時もあるのですが、失敗することもあります。藍染め液作りは微生物をどう扱うかのようです。勉強になりました。
 その後、子供達は工房内でミニチュア織機で織物体験をしました。郷土館にも欲しいミニチュア織機です。まだまだ体験したかったのですが、フェリーは待ってくれません。午後2時発で平郡東港を離れました。とても勉強になった体験でした。ありがとうございました。

   発酵中の各種藍壺    ミニチュア織機で織る    平郡東港を出港
  

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柳井市平郡島 紡ぎ,織り,染めを体験(1/2)

2017年09月25日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色



 2年半ぶりに柳井市平郡島に行ってきました。前回行ったのは平郡島史跡巡りウォーキングのためでしたが、今回は平郡島に住んでおられる織師のHさんを訪ねるためです。私は郷土館で、田布施町でかつて盛んだった、染め、紡ぎ、織りなどを調査しています。さらに、紡ぎや染めの一部でも再現できないかいろいろ試しています。

   フェリーで平郡島へ   着いた平郡東、〇:大嶽    Hさんの工房に向かう
  

 柳井港から平郡島までフェリーで約1.5時間、山口県で一番長い航路とのこと。フェリーの一番上の椅子に座って、変わりゆく島々の景色を見ながら一緒に行ったMさん家族やTさんと談笑しました。大嶽が山裾に目立つ平郡東港に着くと、織師のHさんが迎えに来ていました。簡単に自己紹介を済ませると、Hさんの工房に向かいました。そして、工房内に置かれた織機や整経器やその操作を見学させていただきました。

             経糸を巻き付けたたくさんのボビン


 Hさんのお話では、反物の注文があると、その柄などをパソコンで描いて、注文者とネットで確認しあっているとのこと。注文が確定すると、何日かかけて反物を織り上げるそうです。今回、織り上げている途中の反物を見せていただきました。基本的に柳井縞を織っているそうです。

         織り上げている途中の反物、なかなかあでやかな柄


 織機以外にも整経器を見せていただきました。織物で一番難しそうな作業が整経ではないかと思います。数百本の糸を規則正しく並べ、筬などに通すことは並大抵の作業ではありません。郷土館にある小型の織機、今後200本程度の経糸を通してみようと思います。たかだか200本でも大変ではないかと思っています。

  綿を使って紡ぎの体験    絞り染めの要領       藍の花を見学
  

 織機の見学を終えると、綿をほぐしたり紡ぎの体験をしました。続いて藍染め体験です。事前にハンカチ大の布を持っていきました。私とTさんはその布で絞り染めをしてみました。一緒に来たMさんと子供達は持ってきた衣服を藍染めしました。私にとって新鮮だったのは藍の花です。話には聞いていたのですが、今回初めて理解しました。

           柳井港と平郡東を結ぶ航路 約1時間30分


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田布施町少年少女発明クラブ、10月の木工工作の見本を制作(2/2)

2017年09月24日 | ふるさと

 数日前に作った巣箱ですが、本を読んだりして調べてみるとどうも小さいようです。巣を作ってもヒナを数羽しか育てることができないようです。つまり狭いのです。シジュウカラは多い場合は10羽も育てることがあるようです。すると、もう少し大きな巣箱が必要です。形は同じで大きめの巣箱も作ってみました。

 幅18cmの板に線を引く    必要な枚数に切断     どんどん釘を打つ
  

 前回作った巣箱は幅10cmでした。今度は、幅15cmの板をDIYのお店で探しました。ところが、その幅の板はあるにはあるのですが数が少ないのです。30人の子供が作るには足りません。そのため、安く大量に買うことができる幅18cmの間伐材を使うことにしました。

            切断した板を、釘で打って組み立て中


 ただ、この間伐材は節が微妙に走っています。素直には釘を打つことができません。節に合わせて釘を打つ必要があります。または、あらかじめキリで穴を開けてから打つ必要があります。簡単には釘を打てません。節がある板は、ノコギリで切断したり釘を打つ練習には最適ではないかと思います。正味5時間の木工工作ですが、子供達はどんな巣箱に仕上げてくれるでしょうか。

   穴をあけた正面板を付ける       最後に屋根を付けて工作終了
 

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タマネギの種をまいて、苗作りに着手

2017年09月23日 | 野菜:葉菜

 秋冬野菜の一つであるタマネギの種まきをしました。去年は珍しく、タマネギの苗が店先にありませんでした。苗作りが不作だったのでしょうか。一昨年までは苗作りをしたのですが、たまたま去年苗作りをしなかったのがまずかったのです。苗を購入することができず往生しました。今年はタマネギの種まきをして、自分で苗を自給することにしました。

   耕耘機でタマネギの苗床作り        レーキで苗床を聖地
 

 最初にタマネギの苗を育てるための苗床作りです。耕耘機で畝を耕し、レーキを使って鞍型に整形しました。そして、種を蒔くための筋を平クワで引きました。一昨年までは種を散蒔きしてきましたが、今年は筋蒔きしました。これは、雑草を取りやすくするためです。種を蒔いたタマネギの品種はネオアースとO・K黄です。

  種を蒔く筋をつける    揉むようにして種まき    レーキで土を被覆
  

 種まきが終わると、レーキを使って薄く土を被覆しました。そして、その上をトントンと軽く押さえておきました。2週間ほどすると芽生えると思います。その頃、雑草も次々に生えてきます。気長に雑草を取り続ければ、11月初めには苗を収穫できるはずです。その頃、タマネギの本畑を作っておきます。そして、タマネギの苗を次々にその本畑に植え替えます

            タマネギの種まきが終わった苗床

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田布施町 新嘗祭上納 献穀米抜穂式神事を見学

2017年09月22日 | ふるさと



 21日午前、田布施町では33年ぶりと言われる新嘗祭上納 献穀米抜穂式に行ってきました。少し遅れて行ったため、私が着いた時には式は始まっていました。この新嘗祭は山口県内を田んぼを変えながら毎年どこかで行われているそうです。今年は田布施町とのこと。

   勢ぞろいした刈女      農業関連の方々     刈り取りの前にお神酒
  

 33年前にも田布施の田んぼで行われたそうでが、私が結婚したばかりの頃です。しかも、当時は東京で暮らしていた為知りませんでした。東京にも少ないとは言え田んぼはあります。毎年どこかで新嘗祭が行われているのでしょう。
 
 稲刈りに使う鎌が刈女に手渡される    奉耕者に先導されて田んぼに向かう
 

 新嘗祭献穀米抜穂式神事の式が進行し、最後に全員にお神酒が配られました。斎主である高松八幡宮の宮司さんより乾杯の挨拶がありました。続いて、刈女(かりめ)に鎌が手渡されました。そして、奉耕者に先導されて田んぼに入りました。

      田んぼの前に並んだ、これから稲刈りをする刈女などの方々


 稲刈りが始まる前に、稲刈りをする刈女などの方々が田んぼの前に並んで紹介がありました。 その後、稲刈りをする方々は田んぼに入りました。そして、厳かに稲刈りが始まりした。儀式ですので3列だけを刈りました。刈り取った稲は束ねられて、刈女の方々により運ばれ、テント横に置かれた竹にはさ掛けされました。その後、記念写真が撮影されて神事が無事に終わりました。関係者の方々、お疲れ様でした。

      3列ほど厳かに稲刈り         全員で記念写真 右:刈った稲
 

 新嘗祭の由来を私はよくは知りませんが、日本書紀や万葉集にこのような神事が出てくるそうです。私の考えでは、稲作が始まった弥生時代に起源があるのではないかと思います。弥生時代以降、お米は生きるための糧となりました。そのため、古代に生きる人々は毎年のように神に豊作を祈ったに違いありません。その神事が永い間に儀式化され統一化されたのが新嘗祭ではないかと思います。
 なお、田植え時に苗を植える女性を早乙女(さおとめ)または植女(うえめ)と呼び、稲刈り時に稲を刈る女性を刈女(かりめ)または御刈女(おかりめ)と呼ぶとのことです。

         記念写真後、並んだ刈女(かりめ)の方々

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ようやく3種類の綿を収穫、綿3種の比較

2017年09月21日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 これまで、和綿と緑綿を収穫してきましたが、洋綿(バルバデンセ)がようやく収穫できるようになりました。この洋綿は晩生なのでしょう。この綿は超長毛種だとのことです。そのためか、和綿と比べて実やはじけた後の綿が大きいように思います。

       実がはじけて綿が露出した洋綿(バルバデンセ:超長毛種)


 3種類の綿を育ててみて、それぞれに特徴があります。一番の特徴は、はじけた後の綿の向きです。よく言われるように和綿は下を向いています。日本は雨が多いので、濡れないように下を向いている綿が長い間に選ばれてきた結果だと思います。この性質が収穫する時によく分かります。和綿は下を向いているので、実がはじけているかどうか上から見ただけではよく分かりません。横や下から見上げるようにすると分かります。

        実が赤みを帯びている緑綿、葉もやや赤い


 緑綿と洋綿は綿が上を向いています。そのため、長雨が続いた時には濡れて綿の品質が落ちると思います。また、実の色にも違いがあります。和綿と洋綿は緑色ですが、緑綿は葉や実がやや赤いのです。もともとは赤色だったのが、長い間に白い綿が選別された結果なのではないかと思います。

     まだ緑が残っている洋綿     和綿と洋綿は実が緑色 ※緑綿は赤色
 

 ところで、工業化された洋綿の収穫は、私のように毎日一つ一つ綿を摘み取りません。収穫期が近づくと除草剤をいっせいにまくのだそうです。枯れるとすべての実がいっせいにはじけるようです。枯れた洋綿の中から機械で一気に綿だけを収穫するのです。合理化とか機械化とはそう言うものなのです。だからこそ安い価格で服を買うことができるのです。
 江戸時代、服は貴重でした。汚れれば洗い、擦り切れれば継ぎあてし、それでも傷んだ布は再度ほどいて布に再生します。それでも傷んだ布は最後に雑巾として全うしたのです。
                    
    一塊の綿、この中に種が数個 左から、和綿,緑綿.そして洋綿


 さて、収穫した3種の綿を比較してみました。実から取り出した綿は和綿<緑綿<洋綿の順に大きいようです。1番の違いは1粒あたりの綿をほぐしてみるとよく分かります。洋綿は超長毛種と言われるバルバデンセです。和綿と比べて、綿の量が多く、かつ綿の繊維がとても長いのです。この性質は綿繰りや糸紡ぎに有利です。このことから、綿の工業化だけを考えると和綿は圧倒時に不利であることが分かります。和綿は日本の伝統を守るとの目的や志がないと難しいようです。

         1粒あたりの綿 左から和綿,緑綿,洋綿(超長毛種)

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田布施町少年少女発明クラブ、10月の木工工作の見本を制作(1/2)

2017年09月20日 | ふるさと

 毎年10月、田布施町少年少女発明クラブでは木工工作をしています。2年前は竹とんぼ作り。去年と一昨年は、玉転がし台を作る木工工作でした。今年は巣箱を作ります。木工の基本的な道具である、のこぎり、金づちなどをとことん使います。子供達の見本となる巣箱作ってみました。小学生の工作ですので、最も簡単に作ることができる形にしてみました。

 長い板をのこぎりで切断    釘を板に打ち付ける    背板と横板を接続
  

 最初、長い板に線を引くことから始めます。次に、引いた線に沿ってのこぎりで板を切ります。そして、一枚の板を六つの板に切り分けます。決められた位置にちゃんと線を引いていないと、切り分けた板の大きさが合いません。すると、巣箱に隙間が空いてしまうか、そもそも巣箱の形になりません。

           巣箱の底板を釘で打ち付ける


 背板に横板二枚を打ち付け、底板を打ち付けました。次に前板を打ち付けますますが、前板には鳥が入ることができる穴を開けます。その穴の大きさ(直径)は、巣作りさせたい鳥に合わせます。シジュウカラのような小さな小鳥だけ入らせたい場合は28mmです。比較的多いスズメも入らせたい場合は30mmです。シジュウカラでもスズメでもよい場合は30mmです。なお30mmの場合、先にシジュウカラが入って巣作りしても、やや体が大きいスズメがシジュウカラを追い出して巣を乗っ取ることがあるようです。巣作りする小鳥の種類にこだわらなければ30mmがお勧めです。

   スズメなどが好む30mmの穴        穴を開けた前板を打ち付ける
 

 今回見本として作った巣箱は、今から15年位前にも作りました。作った後に裏山の木に取り付けました。翌年の春に観察するとちゃんと巣作りしていました。今回の巣箱作りは、単に工作して終わりではなく、実際に樹木や軒下に取り付けて欲しいと思っています。そして、春になって小鳥が巣作りする姿を観察して欲しいと願っています。

       10月、子供達に作ってもらう一番簡単な巣箱

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台風の恵みか、栗をたくさん収穫

2017年09月19日 | 樹木,果樹

 昨日は台風18号のため、一日中外に出ることができせんでした。台風が去った今朝、うって変わって快晴でした。畑に残った雨水がまだ抜けないため、まだまだ農作業はできません。快晴になったためか、次々にはじけ始めた綿の実を収穫するくらいでした。

            落ちる直前の栗の実


 台風が来た時、相当に木が揺れていました。もしやと思って栗の木の下に行くと、栗が足の踏み場がないほどたくさん落ちていました。このままにしておくと、タヌキなどが食べてしまいます。すぐにかごを持ってきて手当たりしだいに収穫しました。毎年のことですが、栗の実を見ると秋が来たことを実感します。そして秋の農作業が迫っていることを感じます。

   落ちた栗や棘       棘の中の栗        今回収穫した栗
  

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古い松下製トランジスタラジオ AT-110の修理(6/6)

2017年09月18日 | 古ラジオ修理工房

 この古い松下製トランジスタラジオ AT-110の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
  修理(1/6) 修理(2/6)  修理(3/6) 修理(4/6)
  修理(5/6) 修理(6/6)

 台風18号のためどこにも出ることができません。元々は郷土館に出勤のはずでしたが、台風のため臨時休館となりました。臨時休館は初めてのことです。思い起こせば、サラリーマン時代には台風が来ようが、地震が発生しようが、大雪になろうが出退勤したものです。よく覚えているのは、横浜から八王子に帰る時に大雪でほとんどの電車が止まってしまったことです。普段は、横浜と八王子は一本の電車で帰ることができます。しかし、大雪の中、川崎・東京・新宿・調布経由で、しかも途中で埋まりそうな雪の山道を歩きました。東日本大震災時の計画停電時の通勤も大変でした。信号機が消えている十字路は怖かったものです。また、都心で天の川が見えるほどの真っ暗な停電も怖かったものです。さて、台風のため何もできません。久しぶりにラジオの修理をしました。

 ラジオに電源を接続     低い方は520kHz    高い方は1,620kHz
  

 今回は修理を終えたトランジスタラジオの最終確認と清掃です。受信できる範囲を測定すると、520kHz~1,620kHでした。規格が540kHz~1,600kHzのため3%程度のずれです。OKです。トラッキングを取る前に各ラジオ局を聞いてみました。どこも台風の放送ばかりでした。どの周波数も良く聞こえるためトラッキング調整はしませんでした。スーパーヘテロダイン方式のラジオを作る時はトラッキングが必須ですが、一度市販されたラジオを再度トラッキング調整することは多くありません。

アルコールを含ませて清掃   筐体の中を清掃      裏蓋内を清掃
  

 トランジスタの清掃時はいつも、綿にアルコールを含ませて拭いています。シンナーなどは部品を溶かしてしまうことがあるため使いません。トランジスタラジオを綺麗にすると、電池を入れてラジオ放送を聞きました。台風時には雷がよく落ちるのか、ラジオはガリガリと音が出ます。今回の台風は雷が落ちないのか、ガリガリと鳴りません。今回は久しぶりのラジオ修理です。もっと余暇があれば、ラジオの修理や工作ができるのですが。

        ようやく修理を終え、綺麗に清掃したトランジスタラジオ

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防陽八十八ヵ所霊場の第六番札所萩原大師堂を訪問

2017年09月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 平生町の般若寺を経由して伊保庄の安城寺(あじょうじ)周辺を散策しました。その安城寺に行く途中に萩原に寄りました。萩原は大野北の萩原と宇佐木の萩原があります。どうして、同じ萩原でありながら、大野北と宇佐木に別れているのか不思議です。今回は、般若寺直下にある宇佐木の萩原に寄りました。

  向こう側は大野萩原  般若寺へ上る道横に大師堂   萩原大師堂の屋内  
  

 宇佐木の萩原に寄った理由は、防陽八十八箇所霊場の第六番札所があるからです。五番霊場の阿弥陀堂と七番札所の般若寺の間に位置する札所なのです。およその位置は分かっていたのですが、今回安城寺に行くついでに寄ってみました。今は萩原の集会所として使われており、トタン板で囲まれたお堂でした。土の階段を登りきった場所に、その大師堂はありました。

           土の階段を登り切った場所にある萩原大師堂

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田布施町少年少女発明クラブ、アイデア工作作品を搬出

2017年09月16日 | ふるさと

 少年少女発明クラブの一番の工作はアイデア工作です。4月から始めて夏休みを終えた頃に完成します。他の市や町の少年少女発明クラブの事は分かりませんが、田布施町の場合はクラブ員全員がアイデア工作をします。その完成したアイデア工作作品を、山口市にある発明協会まで運びました。30人の子供達が制作した作品です。マイクロバスにその作品を満載して山口市まで運びました。

作品を載せたマイクロバス   ビニール袋に入った作品  ビニール袋から出した作品   
  

 山口市に到着すると、発明協会がある10階まで運びました。作品は一つ一つ丁寧にビニール袋に梱包してあります。たまに、壊れたり外れた部品がビニール袋の底に落ちていることがあります。しかし、今回は丁寧に梱包したためか外れたり壊れた作品はありませんでした。発明協会の会議室に30個すべての作品を並べました。そして、担当の方に一つ一つの作品について使い方などを説明しました。

           並べた30個すべてのアイデア工作作品


 すべての作品を説明し終わるには30~60分位かかったでしようか。作品の中には、とても複雑な仕組みで動く作品、実際に役に立ちそうな作品、子供の優しい気持ちが伝わる作品など、様々な作品がありました。後日、これらの作品は山口市から持ち帰ります。そして、12月に保護者の前で子供達が発表することになっています。すべての作品の説明が終わると山口市を離れ田布施町に帰りました。途中、昼食としてお勧めの美味しいラーメンを食べて田布施町に戻りました。

  社会人のアイデア工作作品の説明      昼食として食べたお勧めのラーメン
 

コメント
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