このところの雨続きで予定が立ちません。一番困っているのはウォーキングです。下見を計画しては中止の連続です。困ったことです。次に困っているのは農作業です。草刈りや収穫がが全くできません。
今回は晩夏に植え付ける予定のキャベツの苗を、ポットに植え替える作業をしました。春キャベツは苗を購入しましたが、秋冬キャベツは毎年ではありませんが苗を自給しています。ただ、我家だけでの消費のためそれほど多くは作りません。
種をまいた植木鉢 幼苗をボットに しっかりとボットに移植
2週間位前に植木鉢にキャベツの種をまきました。比較的大型になるキャベツの種です。植木鉢にはキャベツ以外の苗も育てています。その植木鉢で育った小さなキャベツ苗だけ取り出して、ポットに植え替えしました。1ヶ月後頃にキャベツ用の畝を作り、今回植え替えた苗を、畝に植え付けます。予定では11月か12月に美味しいキャベツが収穫できるはずです。美味しいキャベツは収穫できるでしょうか。
今回植え替えた16本のキャベツ苗
午前中は曇っていたのに、午後は雨になりました。農作業でもしようかと思っていたのに残念です。農作業ができない代わりに畑や果樹園を回りました。先日袋をかけた桃のうち早生桃は収穫できる時期です。早生桃の袋を触ってみると、いくつかは柔らくなっていました。つまり収穫適期です。
雨に打たれる果樹(桃) 袋がうっすらとピンク色
このところ雨ばかり降るため、桃は成熟していないだろうと思っていました。しかし、袋から透けて見える桃は薄赤色に染まっています。そして、指でつまんでみた感触も成熟していることを示しています。袋を破ってみると、美味しそうな桃が顔を出しました。天候が良くないためか、例年よりは小ぶりです。
袋を破ると薄赤色の桃が やや小ぶりですが美味しそう
我家で作っている桃は二種類です。今回成熟していた早生桃と、もうしばらくした後に成熟する晩生桃です。後者の方が実が大きく甘さも別格です。ただ、落下する実が多いため、そんなにたくさんは収穫できません。小ぶりで数多く収穫できる早生桃と、少ないものの甘く大型の晩生桃です。今しばらくは早生桃の収穫が続きます。
収穫した早生桃二つ、小ぶりですが美味しそうな色
来月は東田布施公民館から柳井市の余田新庄方面の史跡をウォーキングする予定でいます。しかし、雨ばかりの日々でなかなか下見の予定が立ちません。雨が切れた瞬間を見計らってバイクでざって走ってみました。帰り道、新庄から余田の間にある広大な田んぼは水浸しで田んぼと川の境が分からないほどで、まるで湖のようでした。思ったような調査ができませんでした。
中村林道入口の地蔵様 中村林道終点のお堂 お堂内部のお地蔵様
まずは、極楽寺跡近くから中村林道に入ってみました。入口近くにはお地蔵様があります。中村林道内は、ここ数日間の雨のため湿っており、濡れた落ち葉でバイクが何度かスリップしました。また、数か所で竹が道に倒れ込んでおり、その竹を押しのけながら通りました。赤子山ウォーキング時に通った道を確認した後、中村林道終端に行きました。
臥竜梅近くのアジサイ 溜池正面の祠 ヒシでいっぱいの溜池
中村林道終端は中村地区です。林道終端にお堂が一つあり、中にお地蔵様が安置されています。地元の方々がお守りしているのでしょう。近くに墓地があります。続いて、溜池前にある祠前を通って柳井方面に進みました。ただし、舗装されていない道のため、これまたバイクがツルツルとスリップして困りました。
土穂石川,田んぼ,そして道の境が分からず、まるで湖のよう
次に、目的地の一つである臥竜梅に向かいました。今の時期梅は咲いていませんでしたが、その途中の道にアジサイがたくさん咲いていました。アジサイの花を愛でるウォーキングになりそうです。
続いて、新庄から余田の間に広がる広大の田んぼを通りました。ウォーキングの帰り道を確認するためです。しかし、このところの大雨で田んぼ,土穂石川,道の境が分からないほど水浸しでした。まるで、新庄と余田の間に湖が広がっているような光景でした。いくつかのルートを迂回しながら通りました。
笹藪の中に埋もれた、水金古墳の七体の地蔵尊、
最後に水金古墳の七地蔵尊を訪れました。ここ数年下草を刈っていないためか、笹藪を押しのけないと行くことができません。本番ウォーキングで行くことは無理のようでした。いつも通っている石橋を渡って灸川を渡ろうと思っていたところ、石橋は通行止めとなっていました。やれやれ困った。もう一つある石橋は渡ることができることを確認しました。良かった。しかしながら、さんざんなウォーキングコース調査でした。
雨で散々だった、余田~新庄ウォーキングコース調査
その後、ICラジオの部品や配置を変えながら、一番良い構成を検討し続けています。まず、選択性の改善として、バーアンテナのコイルから中間タップを取り、ICの入力側に接続するのです。すると、だいぶ放送局が分離して聞こえるようになりました。受信範囲をSGで測定してみました。すると、低い方は510kHzで問題ありません。ところが、高い方は2MHzでした。
中間タップをICに 低い方、510kHz 高い方、2MHz
さらに、出力側のコンデンサ0.1μFは0.15~0.2μFにした方が発信が少なく安定することが分かりました。なお、音質は良好ですが、音声出力が小さいためセラミックイヤホンでは、小さな音でしか聞こえません。1石追加して増幅した方が良さそうです。このICラジオ、ストレートのため電波の強弱がそのままです。まだまだ改善点があります。
選択性が改善されたICラジオ、まだまだ改善要
早春に葉や花柄を収穫したのらぼう菜、6月になりすっかり姿を変えました。葉はすべて落ち、茎とさやだけの異様な姿に変貌しました。今回、この秋に種まきするための種を採取しました。乾いたさやを取ってきて乾燥,そして種を取ります。
のらぼう菜、伸びきった茎とカラカラに乾いたさや
のらぼう菜の種には栄養があるのでしょうか、スズメや鳩がやってきて食べています。特にスズメは茎に止まることができるため多くやってきます。小さな種をついばんでいます。スズメはお米や麦を食べているイメージですが、実はいろいろな物を食べています。雑食なのです。ちいさな虫も食べています。
さやを割るとたくさんの種 さやが付く枝を切る
さやがたくさん付いた枝を選びながら枝ばさみで切りました。そして、集めた枝をビニール袋に入れました。今は雨が多くて天日干しできません。室内で自然乾燥させようと思います。そして、カラカラに乾いたさやから種を取り出します。その種を保存しておいて、秋に種をまいて苗を作り、畑に移植しようと思います。そして、来年もまた美味しい葉や花柄を食べようと思います。
切り取ったのらぼう菜のさや、種粒が透かして見える
のらぼう菜と菜種は同じ菜っ葉の種類なのでしょう、とてもよく似ています。私が子供だった昭和30年代、田畑ではたくさんの菜種が作られていました。春になるとどこの田畑も黄色に染まっていました。そして、今頃になるとその乾いたさやが集められていました。筵に置かれた乾いたさやを叩くと、筵の上にたくさんの種がこぼれました。その種をかき集めて出荷していたのです。その労働は春の風物詩でした。出荷した種は、製油所で蒸して油を抽出していました。菜種油です。
集めたのらぼう菜の枝、カラカラに乾燥後叩いて採種
冬越ししたサトウキビ、今年も元気に育っています。ただ、相変わらず冬越し率が悪く2割位です。つまり、10本のうち2本程度しか冬越しできません。まだまだ失敗の繰り返しです。私自身、冬越しする良いノウハウを見つけることができていません。この秋にも、今年育ったサトウキビを冬越ししようと思います。
冬越したサトウキビ3本、元気に生育中
今生育中のサトウキビは分げつを始めています。次々に分げつして1株8本位に増えます。そのうちの6本程度の茎を収穫して甘みを楽しんでいます。残りの茎は知人の子供達に楽しんもらいます。収穫量がもっと多くなれば、沖縄のように抽出して黒砂糖を作ってみたいと思います。田布施産の黒砂糖、なんてGoodかも知れません。かつて、砂糖もろこしで水飴状の砂糖を作ったことがあります。トロリとして甘かったです。
去年8月のサトウキビの生育状況
私の母親の話では、昭和一桁時代(今から80年位前)に子供達は、自分用のわずかな畑をもらってサトウキビ※を作っていたそうです。そして、それをおやつにしたり、さらに売ったりしておこずかいの足しにしていたそうです。自分で作ったサトウキビを20cm位に切って、お祭りなどで売ったのです。大人もそれを承知の上で、路上で買っていたとのこと。わずかなおこずかいになったのでしょう。そのお金で、当時の子供達は何を購入していたのでしょうか。※母親の実家があった柳井市伊保庄では昔、砂糖もろこしのことをサトウキビと呼んでいました。
分げつし3本になったサトウキビ、今後もっと分げつ
サトウキビは冬、田布施では冬越しできないはずです。2年前に畑での冬越しを試みました。その方法は、畑のサトウキビの株のまわりに籾殻を積み、その上に土を盛り、さらにその上に雨が降らないように波トタンで覆いました。しかし、失敗しました。
ところで今年、思わぬサトウキビが現れました。去年育てたサトウキビの株跡の一つから芽が出ていたのです。籾殻,土,そしてトタンで保護していないにも関わらずです。この変わった株を育てて、新たな冬越しにチャレンジしてみようと思います。
去年の株から芽が出たサトウキビ、〇は去年の枯れた株
秋に城南川西地区の史跡をめぐるウォーキングを計画しています。元々は去年の城南石ノ口方面史跡巡りウォーキング時に巡る予定でした。しかし、思っていた以上に宿井地域や石ノ口地域が広かっため、川西地区は今年に伸ばしました。最初柳井市余田方面に行こうかと思っていましたが、川西地区のまだ行ったことがない史跡をバイクで回ってみました。
疫神社の案内板 疫神社の祠 寂しげな石の鳥居跡
田布施町役場で用事を済ませた後、最初は川西の大田に行く途中に青い案内板がある疫神社に行きました。ここを訪れた理由は、その昔疫病が流行ったことに関わる神社ではないかと思ったからです。行ってみると、その通りでした。神社の説明版によると、寛政四年にこの地方に疫病が流行り死者が多く出たそうです。それらを救うため、この神社を建てたとのこと。
城南川西地区の最北西端の薬師堂、薬師如来を祀る
郷土館では八月、田布施町の江戸~昭和の自然災害について展示しようと思っています。この疫神社、展示にいただきです。江戸時代は飢饉が最大の自然災害でしたが、疫病はそれに続く災害だったようです。国木に天然痘が発生した記録があります。去年展示した「富永有隣」も、子供時代に天然痘にかかって片目が不自由になりました。当時、天然痘は恐ろしい疫病だったことでしょう。
ところで、天然痘には、人だけにうつる人天然痘と牛だけにうつる牛天然痘があります。牛飼いの娘が一度軽い牛天然痘にかかると、人天然痘にかからなかったそうです。それをジェンナーが発見して種痘にしました。江戸時代の長州藩で使われた種痘はヨーロッパから伝わった牛痘だったようです。ところが、この牛痘は生きている菌のため、当時の医学では取り扱いがとても難しかったのです。一方で、天然痘は人にしかうつらなく、しかも中間宿主がいないため他の伝染病より根絶が容易です。そのため確か、天然痘は根絶されているとWHOが発表しています。
倒木の古道に迷う 城南道端のお地蔵様 何かの道場かお堂
疫神社を出ると、西山地区に行ってひっかり観音を見上げました。そして、田布施町の最北西にある地区の薬師如来を祀る薬師堂に行きました。川西地区にあるのですがとても離れているため、ウォーキングでは行けそうもありません。薬師堂に書かれた内容を見ると、かつて四国八十八箇所に行った方がおられて、その第六十七番大興寺の薬師如来像をいただいてきてここに祀ったのではないかと思われます。その後、使われていない古い道に迷ったすえ、光市を経由して城南に戻りました。
森に溶け込むように静かな粟島神社
城南に戻ると、線路を跨いで再び川西地区に戻りました。蓮成寺前の道を通って、ある建物に行きました。すでに廃止されている道場かお堂でした。建物内のお地蔵様などがすべて撤去されて空っぽでした。すぐ隣に滝行場更衣室の小さな建物がありました。滝の行をする場所があったのでしょうか。地元が方がおられなかったため確認できませんでした。続いて、その近くにある粟島神社に行きました。
瀬戸地区のお地蔵様
次に、瀬戸地区に入りました。最初瀬戸地区のお地蔵様を見学しました。瀬戸地区は城南を行き来する時に必ず通る地区です。気にしながらもいつも通り過ぎている祠について、近所に住むKさんにインタビューしました。すると、道端の祠は恵比寿様とのこと。祖父がずっとお世話をしていたとのことで、今は瀬戸地区の班長がお世話をしているそうです。八尋石八幡宮のお祭り時に、ここに宮司さんが立ち寄るとのこと。八尋石八幡宮のお祭り時、ぜひ来たいものです。
瀬戸から見た東漸寺 瀬戸の恵比寿様
Kさんと話をしていると、後井古墳の秋葉神社が話題に出ました。秋葉神社は竹部地区ではなく、上瀬戸と下瀬戸が一年交代でお世話しているとのこと。面白いのは、くじ引きで当たった人の家でご神体を一年間お守りするそうです。ところで、なぜ竹部地区ではなく、瀬戸地区が世話をしているのか分からないそうです。今回まで、私はてっきり竹部地区の方々がお世話しているとばかり思っていました。まだまだ田布施は知らない事ばかりです。
今回散策した城南川西地区
羊の原毛をスピンドル(紡錘車)で紡いでいます。スピンドルいっぱいに紡いだので、いったんほどいて束にしなければなりません。ほどかないと、スピンドルが次の紡ぎに使えないからです。ところが、私はほどいて束にする経験がありません。そこでE姉妹に郷土館に来ていただいて、手ほどきしてもらいました。姉妹は子供の頃に手伝ったことがあるそうです。
スピンドルから毛糸端を取り出す 腕を使って毛糸を束ね始める
E姉妹を見ていると、ロープを束にする動作とほぼ同じでした。私はボーイスカウトにいた頃、いろいろなロープワークを子供達に教えたことがあります。その一つによく似ていました。今では、ほとんどのロープワークは忘れてしまいました。使わないと忘れてしまうものです。
E姉妹は毛糸をほどいて束にする手作業をよく覚えていたものです。関心しました。自転車と同じで、子供の頃に体で覚えた経験は忘れないのでしょう。
スピンドルいっぱいに巻いた毛糸を、ほどいて束にしているE姉妹
記憶には大きく2種類あります。一つは読み書きなどの学習で覚える知識を中心とした記憶です。そしてもう一つは、手足などの体を使って覚える動作記憶です。前者は、年を重ねるにつれて、特に認知症などでどんどん忘れます。ところが、後者は忘れることが少ないのです。覚えていると言うよりも、体の反射として記憶されるようです。
時々、自分は何から忘れていくのだろうかと思います。すでに忘れていることに気が付かない何かがあるのでしょうか。さて、私を含めて60歳以上の方々は、自分の終わりはどうなのだろうと時に不安を覚えることがあると思います。しかし、こればかりは自分の努力ではどうにもなりません。黙って天運に任せるほかはありません。でも、ひきこもって黙っていてはただ時が進むだけです。自分しだいでまだまだ充実した生活ができるような気がしています。例えば、たくさんの友を持つことや夢を持ち実行することも自分しだいです。
毛糸を束ねるEmさん 毛糸をほどくEtさん 気の合ったE姉妹
私はかつて認知症専門病棟に勤務していたことがあります。その時、自分の子供や夫を忘れてしまったような認知症の方が何人も、器用に包丁を使ったりリンゴの皮をむいていました。知識,理性,知性,その人らしさなどを失っても、体で覚えた手仕事の記憶はいくつになっても忘れないようです。記憶のメカニズムが違うのでしょう。
毛糸を束ねる作業もそろそろ終了
E姉妹のおかげで、紡いだ毛糸を束にすることができました。ありがとうございました。この束ねた毛糸、量的にまだ少ないと思われます。そのため、あと1,2ヶ月かけてスピンドルでもう一巻き紡ごうと思います。それが終わったら、タマネギの皮か何か自然の素材で茶色か黄色に染める工程に入ろうと思います。藍を栽培しているので、青色もいいかも知れません。
すべてが素人づくしの毛糸作りです。編めるところまで持ち込めるか心配です。
束ね終わった毛糸、もう一束紡いで、次は染色
私が好きな花の一つにフヨウがあります。特に、アメリカフヨウはハイビスカスの花を一回り大きくしたような花です。一昨年、そのアメリカフヨウの種を撒いたのですが、雑草に負けて枯れてしまいました。宿根性なので一度根付けば毎年花が咲くのですが、種から育てる時はなかなか育たないようです。八王子の我家に毎年ピンク色に咲くアメリカフヨウがあったのですが、家の建て替え時に無くなってしまいました。お気に入りの花でした。
植木鉢で育てた大小二つのアメリカフヨウの苗
一昨年の失敗に懲りて、去年アメリカフヨウの種を再度捲こうと思いました。ところが、種屋さんを探しても売っていなかったのです。そのため、去年は種を撒けませんでした。そして今年、やはり種を探しましたがありませんでした。そこで、インターネットで探すことにしました。今や、希少な種はインターネットの通販で探すに限るようです。
苗を鉢から取り出す 植穴に苗を置く 土寄せして水をやる
種は8粒位植木鉢に撒いたのですが、苗として育ったのは3本でした。その3本を丁寧に雨で降れた畑に植え付けました。今年は花を咲かせなくてよいので、ちゃんと根付いて冬越しして欲しいと思います。種袋を見ると、花色は赤,白,ピンクがあるようです。私の好きなピンク色があるといいのですが。
植え付け終わったアメリカフヨウの苗
この春から仕事などが急に忙しくなったため、農作業が遅れ気味です。遅れたのならまだしも、忘れてしまうことがあります。例えばタマネギです。収穫をすっかり忘れていました。去年の9月に種まきをし、11月に苗を移植し、雑草をとるなどの世話をしたのに、収穫をすっかり忘れていたのです。雨の中、たまたま畑の隅を回っていて、雑草に覆われたタマネギ畑を通りかかり思い出したのです。
雑草をかき分けると、小さ目のタマネギがざくざく!
本来ならば、茎がまだ残っているうちに収穫して軒下にぶら下げて保存します。しかし、収穫し忘れたタマネギは茎がすっかり枯れ腐っていました。そのため、ぶら下げるのではなく、筵か新聞紙の上に置いて自然乾燥・保存するしかありません。運が良いことに、タマネギ畑は雑草に覆われて日陰になっていました。雑草が生えていなかったら、直射日光に熱っせられて腐るところでした。
収穫したタマネギの一つ 皮を取ると美味しそうなタマネギ
収穫したタマネギの一つを朝食で食べてみました。私は調理はダメだし味覚も凡人なので美味かどうかは分かりません。しかし、自分で作ったタマネギのためか美味しく感じました。収穫したばかりなので、水分が多くシャキシャキしていました。計算上200個位のタマネギを作ったはずですので、次々に収穫して腐らないようしなければもったいないことです。今月中にはすべてのタマネギを収穫しようと思います。
今回収穫した、一部のタマネギ
ウォーキングをしようと計画していた日曜日、雨のため中止としました。朝8時頃に会員の方々に電話をかけました。来週の日曜日は私は勤務のため、勤務を交代できなければ再来週の日曜日となる見込みです。梅雨時期の今、雨で延期となるのは致したかありません。なお、電話が行き届かなかった場合を想定して、集合場所の交流館に9:30に行きました。しかし、誰も来なかったので安心しました。このように、年に1,2度雨で中止となります。
最初、裏山への登り口から草刈りを開始
さて、雨だからと家に引きこもってばかりはいられません。雨が収まった頃を見計らって、裏山の下草刈りをしました。主に笹ばかりの下草です。途中で雨が降ってきましたが、一度作業に火がついたら止めるわけにはいきません。小雨に濡れながらの草刈り作業となりました。
胸の高さまで伸びていた雑草 通り道を優先して草刈り
一日で裏山すべての下草を刈ることはできません。今回は、通り道を優先して草刈りしました。草刈りしていると、どこからか蚊が飛んできます。その防御のため長袖シャツを着るのですが、雨降りの日特有の湿度が高い日のため、しばらく作業していると汗が滝のように落ちてきます。それでも休んだのは、ガソリンを給油した時だけです。少々疲れました。
今回は、次回から作業しやすいように、裏山の通り道の雑草をすべて刈り取りました。通り道をきれいにしておくと、次回から裏山全体の下草刈りがしやすくなりますので。
笹が生い茂った通り道 笹を刈り取った通り道
カードを使って原毛を柔らかくふわふわにした後、スピンドルを使って紡いで毛糸にする手作業を少しずつしています。疲れた時のわずかな時間つぶしに糸紡ぎをしているのです。素人なのですんなりと紡げませんが、それでも毛糸の長さが長くなるとうれしいものです。先日、郷土館に来た子供達にもちょいと体験してもらいました。
原毛をカードでふわふわに漉く ふわふわになった原毛、これを毛糸に
の
私は原毛を紡いで毛糸にすることに関しては全くの素人です。東京にいた頃、原毛から織りまでを教える先生をしている知人がいました。12年前、田んぼで米作りを教えていた高校生をその知人に紹介して、原毛からマフラーを織るまでの体験を一緒にしました。その時は、スピンドルを使わないで足踏みの紡ぎ機を使いました。時の流れは速いものです。その時の高校生の一人は、今では4人のお母さんになっています。
毛糸の終端に取り付け 引き出すように糸をつなぐ スピンドルを使い紡ぐ
この1ヶ月位かけてのんびり紡いで作った毛糸が、スピンドル一巻分いっぱいになりました。このままでは紡げません。巻き付けた毛糸をいったんほどいて、束にしなければなりません。
私が子供の頃祖母に教えられて、毛糸を両腕でリズミカルに受け止めながら束にしたことがあります。しかし、この方法は二人いないとできません。来週この作業をEさんに手伝ってもらおうと思います。束にしたら、次は玉ねぎの皮か何かを使って染色をします。手仕事はめんどうなものですが、自分で作り上げる実感があるのはうれしいものです。
素人の私が紡いだ、太さがバラバラなスピンドル1巻分の変な毛糸
6月も中旬になり、今年もスモモを収穫する季節になりました。毎年のことですが、スモモを収穫すると夏が来た事を実感します。スモモは桃に比べて小型で甘みが劣りますが、色だけは負けていません。熟し始めると真っ赤になり、早く食べてね!と私にアピールしてきます。
枝に鈴なりのスモモ、一つ一つ丁寧に収穫
今回は初物のスモモを収穫しましたが、6月末には食べきれないほどスモモが枝に成ります。スモモをそのままにしておくと甘みが増すのでしょう、どこからともなく虫たちがやってきます。そして、スモモの実に穴をあけながら汁を吸います。虫たちに食べられたスモモは、最後にはポロリンと地面に落下するのです。
美味しそうなスモモの赤 果肉は黄色、スモモ固有の甘み
鈴なりのスモモのうち、赤みが濃い実を選んで収穫しました。その実を一つ食べてみました。とてもジューシーで、一年ぶりのスモモの果肉を楽しむことができました。まだ甘みが足りない気がしましたが、初物なので美味しく感じました。
スモモはツルンとした艶があります。その綺麗な色を見ているだけで幸せな気持ちになります。果物をふんだんに自給できることは、お金では得られない贅沢ではないかと思います。そう言えば、スモモの隣のビワもそろそろ食べ頃です。
今回収穫した初物のスモモ、見ているだけでも幸せ気分
先日小麦の刈り取りをしましたが、7月末にこの畑に大豆(枝豆)と小豆の種をまく予定でいます。小麦刈り取り後、だんだん雑草が生い茂ってきました。この雑草がより繁茂しないようにトラクターで耕耘しました。1度の耕耘で耕せるかと思っていたところ、ロータリーに負荷がかかり1度目は浅く軽くしか耕すことができませんでした。
正面を向いてトラクターを進める 畑を耕すロータリー
小麦の種をまいてから約半年、耕さなかった為に土が硬くなっていました。1度目は軽く大ざっぱに耕耘し、2度目に深く耕耘しました。大豆(枝豆)と小豆の種をまくのは、天日乾燥中の小麦の脱穀、そしてジャガイモの収穫が終わってからです。天候が不順でかつ仕事が忙しいため、なかなか農作業が進みません。草刈りも思うようにできず、全体的に遅れが出ています。
2度目は深く耕耘、元小麦畑から大豆小豆畑に
先月植え付けた藍の苗が順調に育っています。とは言え、苗の半分ほどは虫に食べられて枯れてしまいました。そして、こうなることを予想して再度種をまいて苗を育て、その苗を今回畑に植え付けました。
先日植え付けた藍の苗、だいぶ大きく成長
私はあまり農薬を使わないので、野菜にしろ花にしろ虫によく食べられます。虫に食べられるとがっかりすると同時に、怒りの気持ちが沸き上がってきます。しかし、私は農家ではありません。3割程度は虫や小鳥に食べさせてあげるという優しい気持ちになると、あまり怒りもおきません。それが農薬を使わない精神的なこつだと思います。
再度育てた藍の苗 苗を数束引き抜く 苗1本ずつを移植
さて、前回と同じように、藍の苗を1本ずつ畑に移植しました。巻き尺を利用して、30cm等間隔で植え付けました。このうち、数本は虫に食べられて枯れてしまうでしょうが、残りは元気に育ってくれると思います。7月から10月にかけての、4ヶ月で葉がだいぶ茂ると思います。その葉を収穫して生藍染めにしようと考えています。そして、冬の間に来年用の種を取っておこうと思います。
30cm等間隔で植え付けた藍の苗 植え付け後、ジョロで水やり
ところで、小麦や大麦は刈り取り済みですが、オートミール(裸性燕麦)はまだ刈り取りしていませんでした。麦の中で熟すのが一番遅いため、毎年この時期に刈り取りをしています。雨が降りそうな天気になったため、今回は稲刈機を使って手早く刈り取りをしました。刈り取った穂は、農作業小屋に干しました。
雨が降りそうな天候のため、稲刈機で手早く刈り取りしたオートミール