11月下旬に種まきをした小麦の麦踏みをしました。鳩などに種を少し食べられていましたが、それほど大きな被害ではありませんでした。真冬のためか背は低いままです。その小麦をのんびりと日差しを浴びながら両足で踏みました。
麦畑の面積が広い場合は耕運機のタイヤで踏むことがあります。しかし、今年は狭く例年の2/3位なのでもっぱら足で麦踏みしました。ややぬかるんでいたため、靴の裏に土が重なって重くなりました。しかし、麦踏みに困るほどではありませでした。
暖かい日差しを浴びながらのんびりと麦踏み
よく子供達を呼んで麦踏みしてもらいましたが今年はまだです。2月下旬に5歳の孫が田布施にやってくるので初体験してもらおうと思います。うまく踏めるでしょうか。
ところで、昔はどこでも麦を作っていました。私が小学生時代、通学途中に麦踏みしている姿をよく見たものです。麦の他にナタネもたくさん栽培していました。そのナタネ、春になって枯れるとその実を取ります。そして、その実から菜種油を取っていたものです。今は麦踏みやナタネ栽培を見ることが無くなりました。昭和の時代は遠くになりました。
うっすらと見える小麦 よく茂った小麦 両足で交互に小麦を踏む
霜が降りてますます冬らしい季節になりました。来春種をまく予定のサトウモロコシの穂を採集しました。穂には種がびっしり付いていました。モロコシ類は穂を採集して軒下に並べて干して、来春までそのままにします。
来春になると穂から種をこそげ取り、その種を畑にきます。一方、その種をすりつぶして粉にします。そして、団子にして食べることができます。私が民俗調査していた山梨県の山村地域で、古老からその団子を頂いて食べたことがあります。硬めのお餅みたいでした。
採集したサトウモロコシの穂を束ねて軒下に干す
だいぶ前のことですが、サトウモロコシから甘い汁を搾って水飴を作ったことがあります。サトウモロコシは煮ても黒砂糖になりません。一方のサトウキビは煮詰めると黒砂糖になります。最近、忙しくて水飴も黒砂糖も作る時間がありません。来年こそは作ってみたいものです。
青い空に映える穂 穂を剪定ばさみで切る 穂を何本か束ねる
ヘナの越冬作業が終わったので、次にサトウキビの越冬作業をしました。サトウキビはこの地域では種子ができないため茎を越冬します。長さ30cm位の長さにノコギリで切って暖かい室内に春まで保管するのです。
ここ数年の温暖化のためでしょうか、越冬作業しなくても畑で越冬するサトウキビが現われました。畑に植えたサトウキビの根元に土を盛り上げるのです。それだけで1/4位が越冬するようになります。
節を二個以上付けてサトウキビの茎をノコギリで切る
なお茎を取る時に約束事があります。それは茎の節を二個以上付けることです。付けないと茎の両端から茶色に腐ってしまうのです。節が黴菌の侵入を防いでいるのではないかと思います。
サトウキビの茎を切る 切り口に防腐剤塗布 噛んで甘みを楽しむ
これら越冬作業をしている間、切った茎の切れ端をかじりました。そして、サトウキビの甘みを楽しみました。薄い砂糖味です。子供の頃、まだチョコレートやお菓子は貴重でした。サトウキビ、サトウモロコシ、そして干柿が手軽に楽しめた甘みでした。
切った茎を並べて乾かす 室内で保管する箱に入れる
11月下旬に近所に住む子供達に種まきしてもらった麦畑、久しぶり行ってみると無事に芽が出ていました。種まき時期が遅かったので分げつが少なくなります。その対策として多めに種をまいておきました。そのたくさんの種が発芽していました。
小麦同士が混みあっているため、肥料分を奪いまいます。そのままだとひ弱に育ちます。近日中に肥料を散布しておこうと思います。
朝日に照らされて、小麦の幼葉が綺麗
発芽した小麦の畝をよく観察すると、発芽が思わしくない箇所が散見されました。どうもカラスや鳩に種を食べられたようです。足で地面をひっかいた跡がありました。
今後は小麦がよく育つように定期的に麦踏みに来ようと思います。種まきした子供達にも麦踏みにきてもらおうと思います。麦踏しないと霜柱などによって麦の根が浮き上がってしまい枯れてしまうことがあります。
うっすらと麦の芽 害鳥に食害された箇所 たくさんの麦の芽
遅れましたが、やっと小麦の種まきが終わりました。私だけならとっくの昔に終わっていたのですが、種まき体験をしたい子供達がいました。その子達の都合の良い日に合わせて今回種まきをしました。
種まきしたのは午後でしたが、雲行きが怪しく昼から小雨が降ってきました。子供達はカッパを着て自転車に乗って畑までやってきました。雨が強くならないうちに種まきを始めました。骨董品に近い手押し式の種まき器に小麦の種を充填することから体験を始めました。
小麦の種まきが終わり、土寄せをする子供達
一昨年までは小麦を種継ぎしながら育てていました。今年は新しく購入したパスタやパン用小麦の種をまきました。高グルテンの小麦ではないかと思います。あらかじめ種まき用に畝を作っていたため、その溝の間を手で押しながら種まき体験をしてもらいました。初めての体験だったようで楽しそうに動かしていました。
小麦を種まき器に充填 手で押しながら種まき 談笑しながら種まき
種まきが終わるとすぐに土寄せをしてもらいました。いつものことですが、種まき後に鳩やカラスが種を食べにきます。種を隠すためにも土寄せは大切です。小麦粒が少しでも地面にあると、鳥たちは足で土をほじくって種を探し出して食べるのです。
1時間ちょっとの種まきと土寄せでした。それらの体験が終わると子供達は自転車で帰っていきました。次の用事があるとのこと。今の子供は大人と同じように予定がぎっしり詰まっているのですね。
手押し式種まき器を丁寧に押す 最後にクワを使って土寄せ
数日後に小麦の種まきをする予定です。小麦の種まきそのものはとても簡単なのですが、収穫時期などを見据えて正確に種まきしなければなりません。その理由は、スズメなどの被害を押さえるための防鳥網を張るためです。
小麦を収穫する時期は初夏です。その頃は鳥たちにとって食べ物が少ない季節でもあります。そのため、防鳥網を張らないと食べつくされて収穫が0となるのです。あちこちで麦を作っていた昔は被害が分散されて被害はありませんでした。今はすべての鳥が私の麦畑に一斉に集合するのです。そのため防鳥対策は必須なのです。
小麦の種まきをする畝を耕運機で耕す
ちなみに防長網の大きさは4m x 15mです。この面積の範囲内で種まきをします。この面積内に15mの畝を4本引くことができます。なお種まきは子供達に体験的にしてもらいます。昔ながらの手押し式種まき機です。数年前までその種まき機を使っていました。
畝位置を巻き尺で決める 小型の耕運機を使用 冬眠中のカエル発見
畝を作り終えて家に帰ると、久しぶりに手押し式種まき器を納屋から出しました。そして、手で押してみると車輪が回るなどちゃんと動作しました。
ところで少し種まき時期が遅れたため、まく小麦粒の量を多くしようと思います。時期が遅れると分げつ数を確保できません、その対策として種まき粒数を増やすのです。
耕運機で種まき畝を耕運 作り終えた小麦の畝
去年小麦栽培を休みましたが、今年は小麦を再び栽培します。そのため、先日ハンマーナイフモアで綺麗に除草した畑を大型耕運機で耕しました。トラクターで耕しても良かったのですが、たまには耕運機を使ってみようと思いました。ところが、久しぶりに動かした耕運機は故障していました。現象はクラッチが切れないのです。常にエンジンに繋がったままなのです。そのため、ギアチェンジするたびにギアがガーガー言うのです。今回は騙し騙し動かしました。後日暇をみてこの故障を直そうと思います。
除草された畑を小麦栽培用に丁寧に耕運
今回の耕運機で大雑把に深く耕したため荒い土になっています。そのため、小麦の種を蒔く直前に小型耕運機のロータリーで細かな土にしようと思います。パン用小麦の種をまき予定です。来年初夏に小麦を収穫します。その後パンでも焼いて食べようと思います。田んぼを持っていないため、唯一の自給穀物が小麦です。なお、すぐに小麦の種を蒔こうと思いましたが、雨が降ってきたため先延ばしします。
次々に畑を耕運する 耕し終わり小麦畑に
11月に小麦の種まきをする予定でいます。今回は種をまく予定の畑の雑草を綺麗に刈り取りました。後日トラクターで耕やした後に小麦の種を蒔きます。うどんや団子用の品種ではなくパン用の品種を予定しています。
小麦の種まき適期は以前は10月でした。しかし、このところの温暖化で11月が良いようです。以前種まきが遅れて12月になってしまったことがありました。それでも芽が出て育ちました。麦農家であれば収穫量を増やすため適期にこだわると思います。私のように自己消費するのでしたら種まき適期にそれほどこだわる必要はないかと思います。
小麦の種をまく予定の畑の草をハンマーナイフモアで粉砕
トラクターのロータリーで耕すため、なるべく雑草が粉砕されるハンマーナイフモアで草刈りしました。細かく粉砕されるためロータリーに草が巻き付かず助かります。
草を刈っている途中カヤネズミの巣を発見しました。巣内を見ると空っぽでした。カヤネズミは無事に巣立ったようです。来年もこの畑に巣を作って欲しいものです。カヤネズミはとても小さく可愛いネズミです。鳥が作るような巣を、生い茂る草の茎や葉に作ります。
どんどん雑草を刈る カヤネズミの巣 後日トラクターで耕運
小学校の放課後学習で小麦粒を手回し製粉したり練ったりしました。そして製粉した小麦粉でホットケーキを作ったり、お汁粉を作りました。しかし、去年食物アレルギーのお子さんがいるとのことで、小麦の栽培を止めていました。
しかし、今年は自身が団子を作ったりうどんを作りたいと思い。また小麦粉を友達に差し上げたりしたいと思い、小麦の栽培を再開しようと思います。小麦の種まきは10月末ですので、それに合わせて小麦畑を整備することにしました。今回、生い茂っている草を刈ることから始めました。
ハンマーナイフモアを使って草を粉砕するように刈り取り
肩掛けの草刈機では草刈りに時間がかかりすぎます。そして、またまだまだ暑さが残るためハンマーナイフモアを使って草を刈り取りました。この草刈機の良い所は草をバラバラに粉砕してくれることです。そのため後日容易にトラクターや耕運機で耕せます。粉砕してないとトラクターや耕運機のロータリーに絡みつき往生するのです。ところで、草刈りしているとカヤネズミの巣を見つけました。子育ては終わったようで巣の中はもぬけのカラでした。
草刈りスタート 畑の端を草刈り カラだったカヤネズミの巣
草を刈っている途中、樹の太枝が落ちている場所がありました。太枝を見つけるたびにエンジンを止めてはその太枝を回収しました。こうして数時間ハンマーナイフモアを使いました。途中水分補給をしたり休憩をしました。雑草の根は残っているため早々にトラクターで根を掘り起こすように耕すつもりです。来月中旬~11月初旬までに小麦の種を蒔こうと思います。
だいぶ刈り取った雑草 来月この場所に小麦の種まき予定
今から40年以上前の事でしょうか、山梨県、静岡県などの山深い山村農業の民俗調査をしたことがあります。明治から昭和にかけての人々の暮らしを古老から聞いたりしました。鍛冶屋の古老から石臼の研ぎ方などを習いました。また山奥に住む古老から、当時まだ作られていた食用の稗やシコクビエなどの雑穀の栽培方法を習いました。
今は亡き古老からいただいた食用稗とシコクビエを育苗し、今回その苗を先日収穫したニンニクの跡に植えました。日本では今このような雑穀を栽培する人はほとんどいないでしょう。これら雑穀を栽培していると、山深い山村で出会った今は亡き古老達を思い出します。
数十年前に古老からいただいた雑穀を植え付け
山梨県の山深い山村の民俗を調査している時、こんなことがありました。昔は街道だったらしい一軒の家を訪れると、私一人だけ思いがけずとても丁寧な招待を受けました。相当古くからある由緒ある大きな家でした。若い女性も加わって賑やかな郷土料理などが出ました。※その当時、その地域を数日間にわたって調査していました。
帰り際に分かったのですが、私をもてなした理由はその若い女性の婿に迎えたいとの事だったのです。もしもその家の婿になっていれば、今どんな生活をしているでしょうか。それなりに幸せになったでしょうか。・・・・・ごめんなさいねお嬢さん。
食用稗の苗 シコクビエの苗 植え付けた食用稗
お米が栽培できない山村では、食用稗やシコクビエなどの雑穀しか収穫できません。私も食べたことがありますが、全体的にパサパサしていて美味しくありません。しかし、山深い土地では生きるためにはそれらを食べるしかありませんでした。お米は貴重で手に入らず高価で食べられなかったのです。今では考えられませんが、同じ日本でとてつもない格差があったのです。また食物による差別意識もあったのです。
今は誰でもお米を食べています。40年ほど前に八王子の山奥を調査していました。その時、ある古老が「奥の部落では稗を食べていたが、うちは昔からお米を食べていた。」と自慢していました。昔はお米を食べていること自体が、ステイタスシンボルだったのです。また、戦前のことですが、軍隊の食事にお米が出されていました。お米をたらふく食べられるとのことで軍隊に入った人もいたそうです。
植え付けたシコクビエ 植え付けた食用稗に散水
昨夜深夜帯に突然我家の電気が全て止まりました。停電です。いつもならば一時間もしないで復帰します。ところが、朝になっても停電のままです。そこで、隣の家を回ると問題ないとのこと。我家だけが停電です。中国電力に電話する前に、我家の外を回ってみました。配電盤があったので扉を開くと、なんとブレイカーが落ちていました。それを復旧すると電気が通りました。我家は深い木々に囲まれているため、昨日の大雨と大風で電線がショートとしたのかも知れません。
雨の中、綿や雑穀などの苗が育っています。近々本畑に植え替えしなければなりません。
来週には畑に植え変える綿(バルバゼンセ)の苗
綿は去年までは種を直接畑にまいていました。しかし、毎年のように稚苗の茎をヨトウムシに食われます。そこで、今年は苗を大きく育てて植え替えしてみることにしました。成績が良ければ、来年も育苗して植え替えしようと思っています。なお、綿を収穫して糸に紡ぐ時間がなかなか無いため、今年は数株だけ栽培しようと思います。
明日にでも植え替えできるのは春植えの紅花とサトウモロコシなどの雑穀類です。これらは大きく育つため早めに植え替えしなければなりません。ブルービーを呼ぶトゥルーシーは育ちがまばらです。大きい苗から順に植え替えしようと思います。
トゥルーシーの苗 植え替え時期の紅花苗 マクワウリとカボチャ
なかなか育たないのが藍染めに使うインド藍です。猛暑でないと育たないため、種蒔きも五月中旬以降です。今ようやく発芽して次の葉が出てきました。その葉を藍染めに使えるのは九月になってからです。藍は11月になると枯れるのに、寒さに弱いはずのインド藍は霜が降りるまで葉が青々としています。六月に日当たりの良い畑に植え替えようと思います。
左:砂糖モロコシ,中:シコクビエ,右:ヒエ まだ小さなインド藍の苗
初夏が近づいてきて暖かくなってきたため、12月に室内で越冬させたサトウキビを畑に植え付けました。越冬した10本位のうち、越冬できずに枯れていたのは2本でした。枯れたサトウキビは茶色になっていました。
越冬したサトウキビのうち1本は芽が出ていました。その他は芽はまだ出ていないものの根が出ていました。6月までにはどのサトウキビも根付いて芽が出るのではないかと思います。
枯れずに無事に越冬したサトウキビを畑に植え付け
ちなみに、野外で越冬した2本のサトウキビはすでに芽がでていました。近年の暖冬のため野外でも越冬しやくすくなったようです。この暖冬が続くようであれば、越冬のため室内に取り込まなくよくなるかも知れません。すくもを掛け、大きく土寄せし、冬でも日が当たる暖かい畑ならば野外の越冬率はより上がると思います。
室内越冬したサトウキビ 芽が出たサトウキビ 野外で越冬し葉が出る
植え付ける前に溝を掘り、その溝に越冬したサトウキビを30cm位の間隔で並べました。そして、根元に土寄せをしました。ちゃんと根付けば6月初めには芽が出ると思います。7~8月にどんどん成長して高さが2m以上に育ちます。秋になってようやく収穫できます。搾り器のローラーで押しつぶすようにして汁を収穫します。とても甘くて美味しいです。煮詰めば黒砂糖になります。
成器塾の子供達に茎をかじらせてその甘みを体験させようかと思っています。しかし、その硬い茎を噛み潰すことができるでしょうか。
サトウキビを植える溝を掘る サトウキビの根元に土寄せ
毎年の事ですが、12月になるとサトウキビは霜のためか茶色に変色してきます。そのままにしておくと、凍り付いて完全に枯れてしまいます。枯れる前に、暖かい部屋の中に移して越冬させます。茎を30cm位ごとにぶつぶつ切断して箱にいれるのです。そして、その箱ごと部屋の中に入れて保管します。窓際だと寒いので、私が寝る部屋で春になるまで保管します。そして、4月になって暖かくなると再び畑に植えます。毎年その繰り返しです。
切断したサトウキビを、箱の中に次々に入れる
畑のサトウキビを見ると、葉は全て枯れていました。一見枯れていないように見える葉は、霜が当たって黄土色に変色していました。じきに茶色に枯れます。
根を含む株は部屋に移せないため畑に残しておきます。その株元には厚く土を被せておきます。そうすると、地中で越冬して春に芽生える株が3割位あります。
サトウキビの根元を切り茎を取る 茎を30cm位ごとに切断して保存
寒さでサトウモロコシが茶色になり始めました。瀬戸内海地域ではこのサトウモロコシをサトウキビと呼んでいたようです。本物のサトウキビが育つには瀬戸内海は寒いです。
私が子供の頃、甘いお菓子を買ってもらえないためこのサトウモロコシの茎をかじっていました。私の親の世代(上関の古老)に聞き取り調査をしたことがあります。すると、子供の小遣い稼ぎとして夏祭りなどでこのサトウモロコシの茎を売っていたそうです。
天高く伸びるサトウモロコシの茎と穂
子供の頃の私は、かじって甘みを楽しんだことはあります。しかし、飼っていた小鳥の餌にするため、その種を主に栽培していました。小学高学年頃になるとチョコレートや甘いお菓子がだんだん買えるようになりました。そして、サトウモロコシを栽培しなくなりました。
その茎をかじると子供の頃を思い出します。今の小学生にサトウモロコシをかじらせた事があります。しかし、草っぽいと即刻拒否されました。
ノコギリで茎を切断 硬い皮を剥ぎ取る かじってみると甘い
毎年の事ですが、雑穀である稗,シコクビエ,アマランサスを収穫しました。これらは食べるためではなく種継ぎのための収穫です。
その昔、山梨県,静岡県.長野県などの山間地域の昔の生活に興味を持っていました。特に当時の農業を調べていました。そして、当時存命だった古老を訪ねていました。その時にいただいた雑穀の種を保存目的で今も種継ぎしています。
今年はスズメの被害が無く、大きく実った稗の穂
当時古老を訪ねていて面白いことがありました。ある山間地域の古い家を調査のため訪れた時のことです。獣除けの板塀で囲まれた立派なお屋敷でした。何故だか中に招き入れられて歓待をうけたのです。いろいろなご当地料理をいただきました。歓待のわけを遠回しに伺うと、後を継いでくれる養子を探しているとのこと。私を独身だと勘違いしたようで、その家のお嬢さんと家族とで妙な雰囲気で食事をしました。
私が古老に会うなどして伝統農業などを調査していることを聞いたのでしょう。もし私が独身だったならばその家を継いだでしょうか。そうなったならば、その山間地区の伝統農業,伝統料理,伝統文化を引き継いだかも知れません。そのお嬢さんは養子を見つけることができたのでしょうか。・・・・40年位前の出来事です。
刈り取ったシコクビエの穂 種が極小のアマランサスの穂