東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

ため池横の田んぼ再耕運

2005年01月31日 | 稲:春作業,苗作り

 昼間天気が良かったので、ため池横の田んぼを再度耕運しました。まだまだ冷たい風が流れていますが、耕運機といっしょに動いているとうっすら汗をかきます。ジャンバーを脱ぐとちょうどいい風になりますが、ちょっと休むとすぐ体が冷たくなってきます。春を待つ山々や田んぼを見ながら耕運していると、自然や里山のすばらしさに目を奪われ時々手を休めます。

                 時々休みながら、春を待つ山々や田んぼを見る


 耕運機は先日始動紐が切れたので、明日は紐を買ってきて修理しようと思います。エンジンを止めるたびに紐を巻いて始動するのはけっこう大変ですので。耕運を一通り終わると、畑の南斜面に一人座って日向ぼっこしながら昼食をとりました。田んぼを目前にして日に当たるのは至福のときです。しかし、このところ土日が仕事なので、親しいみんなと農作業できないのは残念です。その後、小松やほうれん草などの冬野菜を収穫して帰りました。特に冬のほうれん草は緑が濃くて葉も厚いので家ではとても好評です。農作業に行く時、いつもほうれん草の収穫を頼まれます。

                    縦に耕運後、今度は横に念入りに耕運

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休耕田の耕運は大変

2005年01月28日 | 稲:春作業,苗作り

 ため池横の休耕田を耕運しました。一昨日溝を掘って廃水処理をしたつもりでしたが、昨日の雨で思ったように排水されていませんでした。しかし、天気も良かったので二台の耕運機を小屋から持ち込んでその休耕田を耕運しました。二ヶ月ほど前に生い茂った草を刈って、そのまま休耕田の地面上に寝かせたままにしていたので、雨風で少しは腐っているのではないかと思ってましたが、それほど腐っていませんでした。

                    二台の耕運機で田んぼを耕す


 そのため、耕運機のロータリーに枯草が巻きつくたびに耕運機を止めて鎌で取り除くのは大変でした。それでも、昼までにはほぼ耕運し終わりました。来週はもう一度深く耕運すれば完璧です。枯草も腐っていい肥料になると思います。ところで、2月7日の別所小学校の餅つき参加者は、今日9名です。保険の関係で別所小学校に参加者の氏名,住所を連絡しました。

              耕運機を止めて、巻きついた枯れ草を取り除いているMさん

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米作り体験田んぼの整備

2005年01月26日 | 田舎暮らし

 ため池横の田んぼの溝を整備しました。去年は休耕田だったのを今年は田んぼに戻します。一昨年は東京薬科大学の学生が使っていました。今回田んぼに戻すために、去年11月3日に大量に生えた雑草を刈り取りました。そして、今日は田んぼの排水が不十分だったのでクワで溝に溜まった泥をかき出したり溝周辺の草を刈りました。

                 溝に溜まった泥をクワでかき出しているMさん


 さらに、田んぼ内に溜まった水を排水するために、田んぼ内に浅い溝を入れて排水処理をしました。一週間程度で排水できると思います。この田んぼは以前、市民団体桜木中学校生徒の田植え体験学習に使ったことがあります。今年もどこか米作り体験に使えたらと思っています。

                    全体に水が溜まった田んぼ

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もち米の籾摺りと精米

2005年01月24日 | 稲:稲刈り,脱穀,精白

 別所小学校の餅つきで使うもち米の籾摺りと精米作業をしました。籾摺り機はユギのものを使、精米機は鈴木牧場に借りました。精米してみると、無農薬のためか虫に食われた茶色の米粒が少し混じってしまいました。それに加えて、うるち米の田んぼに囲まれていたためにうるち米の花粉が飛んで来たのでしょうか、うるち米も少し混じっているようでした。このため、市販のもち米と比べて粘りが少ないのではないかと思います。

                  籾の殻を取って玄米を作る籾摺り機


 しかし、子供達が一生懸命植えて・刈ったもち米なので美味しくないはずはない思っています。一度自宅でそのもち米で使ってもちをついて試食しようと思います。籾摺り機は、もみを入れると米袋に籾摺りされたもち米の玄米が出てきます。この玄米を強く精米するときれいに精白された白米のもち米ができます。

                   精米機で玄米を白米に加工中


 一般的に、もち米を精白すると白い白米に、うるち米を精白すると透明な白米になります。この精白されたもち米をいったん浸水して一晩水を含ませます。水を切った後でせいろで蒸します。そして、透明に蒸しあがったもち米を臼に入れて、杵でつくとおいしいお餅になります。

       精米機に入れる前の玄米          精米機を通って完成した白米
 

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冬の田んぼ耕耘作業

2005年01月20日 | 稲:その他

 天気が良いので、田んぼを久しぶりに耕耘しました。耕耘したのは田植え前に代かきした6月以来です。畑は種を蒔いたり草取りなどで逐次耕耘していますが、田んぼを耕耘するのは一年ごとのスケジュールに合わせて耕耘することが多いです。特に冬は、寒さを土に当てて稲わらなどの分解させたり、また土を休ませる意味でも、土作りには良い時期ではないでしょうか。このため、毎年の今ごろ天気の良い日をみはからって耕耘しています。

                  上から見下ろした、耕運中の田んぼ全景


 昨日ネズミを発見した稲わらが敷いてあったところを含めて丁寧にロータリーで耕耘していきました。田んぼは畑の土と違って粘りがありますので、適度な湿り気があると面白いようにロータリー刃が土に食い込みます。ただ、分解していない稲わらがあると、そのわらがロータリー刃に蒔きついてしまって土の上をすべるようになって耕耘できなくなってしまいます。そうするとお手上げのため、そのつど耕耘機を止めて巻きついた稲わらを取り、再び耕耘を開始します。そうしているうちに日が傾いてきましたので、作業をやめて家路につきました。

               一人でのんびりと耕運機を操作して田んぼを耕耘

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あるネズミの死

2005年01月19日 | 生き物

 今日は田んぼに行って久しぶりに耕耘しようと思いました。その前に田んぼ内に散らばったわら束を片付けているとわら束の中にネズミを発見しました。すぐに姿を見失ったので逃げたのかと思って、そのまま脱穀機やわらを片付けました。きれいに片付け終わると、そこはどうもネズミの巣があったようで片付けている間に踏みつけてしまったようでした。このため、もしやネズミが生き埋めになったのではないかと思い、スコップで掘り返すと案の定小さなネズミが出てきました。そのまま逃がしてもこの寒さでは凍え死ぬのはあきらかなので、自宅で飼おうと思い逃げないように一時的にペットボトルに入れました。

              逃げないように一時的にペットボトルに入れたネズミ


 そしてしばらく田んぼの作業を続行していると、そのネズミがぐったりとなっていることに気が付きました。これはまずいと思って、すぐに家に連れて帰りました。どうも水に濡れて凍えているようでしたので、ストーブをたいたりドライヤーで乾かしたりして、体温を確保するようにしました。2時間ばかり見守っている間、マッサージしたり体をさすったりしましたが、やがて動かなくなりました。農業をしているといろんな小動物の生死に出会いますが、今日のネズミは介抱のかいなく死んでしまったので、とても心が痛みました。もっと早く、凍えているのに気が付いていれば、生かしてやれたのかなと・・・・。田んぼそばの畑の斜面にはいろんな小動物が眠っています。大きいものはタヌキや鴨など、小さいものは小鳥やトカゲなどです。農業は自然と対面する意味で、いろんな小さな生死に出会います。子供達にもそのかけがえのなさを体験させたいものです。

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青年海外協力隊考

2005年01月15日 | 田舎暮らし

 以前いっしょに田んぼなどをしていた女性が、青年海外協力隊に申し込みして今度二次試験を受けます。試験に受かったらベネズエラかコロンボに派遣に派遣されるとか。ぜひがんばって欲しいものだと思います。彼女の話を聞いて、私もかつて30代の頃に青年海外協力隊の試験を受けたことを思い出しました。当時の私は、派遣地に東南アジアを希望しました。今のご時世は分かりませんが、当時は会社からずいぶん嫌味を言われました。女性は比較的行きやすい雰囲気でしたが、男性には厳しい目で見られました。男が会社を休みたいとは何たることと。海外協力することが、サボる、遊ぶ、会社に迷惑をかけるなどと思われたのが嫌でした。



 上司の年代の人には、海外派遣とかボランティアなどがとても想像できなかったようです。今思いおこせば、とてつもないカルチャーギャップだったのではないかと思います。定年までその会社に勤め上げることが美徳のような時代ですから、上司の反応は無理もないことだったかも知れません。今のような、ニート、フリーターなども想像できない時代でした。私には、会社中心というか経済中心の世界観がうんざりでした。その世界観が今の日本をダメにしていると今でも思っています。日本では会社や組織に忠誠を尽くすことがベストのような社会観がありますが、これからの日本は個人が自立した上で会社や組織に勤めることが必要だと思います。でないと個人は本当に豊かな生活(特に精神的に)をおくれないのではないかと思います。
 ところで、私の青年海外協力隊の試験は3次まで進みましたが、残念。ちなみに3次試験は面接でした。現地で教える専門家としての資質や知識が問われました。つまり現地のニーズを本当に満たすことができるかどうか。また、会社や家族が真に賛成しているかどうかもポイントです。私の場合、会社の同意が無かったのが残念の理由だったのではないかと思っています。なお、会社の同意が得られないと受かっても帰国後に復職できないリスクがあります。

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ほうれん草とパソコン

2005年01月14日 | 野菜:葉菜

 今日はとてもいい天気だったので、畑に行って冬野菜を収穫しました。特にほうれん草は我が家で好評なので、いつもより多めに収穫して帰りました。3月頃になって暖かくなると、とうが立って食べられなくなります。今のほうれん草は、寒じめのほうれん草と言って一年でも一番美味しい季節です。

                   ほうれん草を収穫している私


 ところで、親戚でパソコンがインターネットにつながらないと言うので、一昨日、昨日と行ってきました。最初はパソコンかルーターがおかしいと思っていろいろ調査すると、なんと最終的にモデムがおかしいことが分かりました。何らかの原因でモデム内のソフトがおかしくなっていました。それを再設定するついでに無線LANに切り替えましたが、数年前の無線LANと比べて進歩しているのには驚きました。私が使ってる無線LANは11b方式といって11Mbpsですが、昨日新宿で買ったものは11a方式で54Mbpsでした。しかも値段が安いのです。さらに設定もワンタッチで、セキュリティも自動的にセットしてくれました。世の中どんどん進んでいるんですね。どんどん進む科学技術、その対極の自然農業。そのアンバランスに不思議な気がしました。

         食べごろの三東菜               美味しそうな小松菜
 


                  食べ頃の三東菜を間引くように収穫

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新春、麦踏み

2005年01月05日 | 麦,穀類,雑穀

 今年もよろしくお願いいたします。今年は、去年のような台風や干ばつがないことを祈ります。そして、今年も元気に農作業できればなあと思っています。今日は天気がとても良かったので、畑に出て麦踏みをしました。霜柱が溶けて靴の裏に土が付いて踏みづらかったですが、両足で交互に麦を踏みしめながらゆっくりと踏み進んでいきます。踏んだ直後の麦は、踏まれて寝ていますがじきに起き上がってきます。不思議なことに、麦は踏まれるほどにしっかり根をはっていい麦をを実らせてくれます。私もこの麦のようにありたいものです。

                     日差しを浴びながらのんびり麦踏み

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第1回麻郷小学校同窓会を開催

2005年01月02日 | ふるさと

 昭和40年に山口県の小学校を卒業しましたが、その同期生を集めて今日第1回の同窓会をしました。もともとの発端は、高校同窓会の時に隣の小学校の同窓会の話を聞き、ぜひとも麻郷小学校も開催したいと思ったのが発端です。私の知っている同窓生に声をかけ同意を得、私も含め男性4人女性3人の幹事7名でスタートしました。そして、ようやく今日同窓会の開催にこぎつけました。

               40年前の同窓生や恩師が集まった同窓会


 同窓会で一番重要なことは最新の住所録を作ることです。40年前の同窓生の住所録を作ることはなかなか大変でした。仲間と集まってした最初の仕事は、分担して住所を調べることでした。中でも一番大変だったのは恩師の住所作りでした。亡くなっている恩師も多く、存命の恩師を私が一人一人訪ねました。

   久しぶり、小学生気分に戻って       卒業後、お互い年を重ねました
 

 私は実家の近くの住所を調べました。帰省するたびにかつての同窓生の家に行くなどして調べました。ほとんどの同窓生は故郷を離れているため、本人に会うことはまれでした。計画してから開催までの間に、当時の校長先生と同窓生一人が亡くなったことは悲しいことでした。

         小学生当時の思い出を話す        恩師とも楽しく思い出話し
 

 まずは第1回として、2005年冬に開催することに決めてスケジュールを立てました。半年に一回私が山口県に帰省するのにあわせて打ち合わせしました。そして、住所録の確認、開催日時場所や会費の決定、招待状配布などを決めました。

                          同窓会に来ていただいた恩師3人に花束を渡す


 それなりの苦労もありましたが、約半数の同窓生が集まってくれたのにはとても感謝しています。司会をするなどしたので、一人一人と十分話しをすることができが残念でした。しかし、参加者の笑顔を見ていると当時の小学生になった気分で嬉しかったです。この企画をして良かったなと思いました。第2回は5年後の予定ですが、さらに楽しくしたいと思います。

                       最後に全員で立ち上がり、小学校校歌を歌う

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