猛暑もあり、8月前半のコットンクラブはお休みしました。再開した8月後半のコットンクラブで、私は毛糸座布団を途中まで作りました。なかなか完成しないのですが、それでも一歩一歩完成に近づいています。今回は主に座布団の芯とふわふわを作りました。
最初に芯を段ボールで作りました。芯を作ったのはふわふわが偏らないための工夫のつもりなのです。効果はあるかは分かりません。芯を囲むふわふわは、田布施農工高校で飼われている羊(茶々丸)の毛を使いました。洗浄した羊毛をドラムカーダーを使ってふわふわにしました。
羊毛をドラムカーダーでふわふわにしてから芯を覆う
市販品は芯をどう作っているのでしょうか。そもそも座布団に芯は必要なのでしょうか。段ボールの芯にカーディングした羊毛を巻き付けていると、こんな話が出ました。それは、ふわふわを直接入れると羊毛が表や裏からしみ出るのではとの指摘でした。つまり、座布団を使っているとフェルト化する恐れがあるのではとのことでした。確かにその恐れがあります。そこで、絹か何かの薄い布で羊毛を覆って座布団の中に収納すれば良いのではと思いました。次回は、ふわふわにカーディングした羊毛を袋の中に収納しようと思います。
ナイフで芯を切り出す 芯にカーディングした羊毛を巻き付け
猛暑のため、8月の史跡巡りは例年中止しています。今回、1ヶ月ぶりの9月史跡巡りウォーキングに備えて下見に行ってきました。下見したのは、光市の岩田地区周辺の史跡です。JR岩田駅をスタート後、大和総合運動公園に向かい、雨桑地域から束荷に向かう道を歩きました。その後、ターンして岩田八幡宮に向かい、山陽本線を渡って正法院を訪れました。正法院からは岩田駅に戻りました。日差しは暑かったのですが、適度に風が吹いていたため楽しく下見することができました。
防陽八十八箇所霊場八十番札所の大塚大師堂
数年ぶりにJR岩田駅に降りました。降りて駅前に立つと、景色ががらりと変わっていました。駅前からの道が広くなり、駅前通りのお店がすっかり無くなっていました。隣の駅であるJR田布施駅前は、さびれたとは言え古い家並みがまだ残っています。戦前に建てられた友末旅館などがまだ存在感を示しています。ところが、JR岩田駅前は建物すら激減しています。駅を中心とした街並みが崩れているように見えました。見方を変えれば、新しく生まれ変わっているのかも知れませんが。
駅前が寂しいJR岩田駅 大塚大師堂の構内 草むらに残る石地蔵
最初に行った史跡は大塚大師堂です。地域の方々が立て替えたのか綺麗な建物です。傍に集会所があるため、集まりがあると同時に大師堂に立ち寄ることができます。ところで、防陽八十八箇所霊場の巡礼表には大塚大師堂は七十九番札所と記載されています。ところが、大師堂の柱には八十番箇所と書かれていました。どちらが正しいのでしょうか。
小山の上にたたずむ神社 整備された大和総合運動公園
続いて、大和総合運動公園に向かいました。途中、小山の上にある神社に寄りました。鳥居に神社名が刻んでありましたが読めませんでした。鳥居の柱には天明七年(1787年)と刻まれていました。この年は、享保の飢饉に続く天明の飢饉がありました。米騒動などの事件が多発した年でした。その時に、創建されたか、少なくとも鳥居が建てられたようです。続いて、大和総合運動公園を回り込み、道端の草むらある石地蔵を見てから蓮光寺に向かいました。
岩田周辺の史跡を巡った下見コース
4月開講式以来、ずっと少年少女発明クラブでアイデア工作をしてきました。これは田布施町の発明クラブの特徴でもあるのですが、どんな工作をするか考え,考えがまとまると図面化し,アイデアを具現化するための工作をしてきました。そのアイデア工作が今月末をもって終わりました。作った工作は、県の発明協会に提出します。次回の発明クラブでは、説明文の清書後に工作物や出品表などを大きなビニール袋に入れます。袋に入れる理由は、作った工作物が移動中に壊れたり、部品が紛失しないためです。
最後のアイデア工作、動作を確認したり磨いたり
前回と同様、私は作った工作の説明文を添削しました。年齢的に仕方のないことですが、子供は自分の作品をどう分かってもらうか文書にすることが苦手です。小学校では読書感想文などの作文をすることか多々あると思います。しかし、図面を使って分かりやすく文書を書くことは初めてだと思います。私が子供達に教えているのは、①工作を作るきっかけ、②使い方、③工夫した所、④苦労した所などを段落にして、さらに短い文で書いたら良いとアドバイスしています。赤ボールペンで例分を添えておきます。
最後の手直しをして完成 黒板を使って解説 添削中の図入り説明文
この春に田布施町のわら細工民具である「ほぼろ「」の製作講習会を開きました。その後、もう少し見栄えのある現代的なほぼろを制作できないか検討を始めました。いわゆるデザインほぼろです。今回は、藍染めした紐を使って編んでみました。今回は単に藍色の紐で編んでみましたが、今後は違う色で染めた紐を組み合わせて制作してみようかと思います。ほぼろを現在に復活するためには、今の人が作ってみたいと思うようなわら細工にしたらどうかなとも思っています。今後暇をみて、いろいろな模様のほぼろを制作してみようとと思います。
「ほぼろ」とは、わらを編んで作られた籠です。60年位前まで農家で作られていました。
藍染めした紐を使って製作途中のほぼろ
ほぼろを製品と考えるならば、より艶の良いわらを使う必要があります。今年はもう無理ですが、来年は穂が出る前の青いわらを使って製作してみたいと思います。また、編み方を工夫すれば、変わった模様のわら籠になると思います。わら自体も草木染めして使ってみようかと思います。そうすれば、ファッション性のある意気な籠ができるのではないかと思います。100%自然素材を使っているため、SDGsの考え方に近いのではとも思っています。
ほぼろの内側を編む ほぼろの底の編み始め 底を一周編み終わる
ほぼろを作ることができる人は、柳井,岩国,田布施など、この周辺には数人もいないと思います。昔作られていた農具としてのほぼろは、もう資料館に飾る対象です。現代人に使ってもらうには、日常的に使えるような形にアレンジしたり、よりデザイン性を考えたらと思います。ペットボトル用ほぼろもその考えで考案した一つです。持っていてかっこいい、持っていて注目をあびる、持っていることが自然に優しい、などの小道具に生まれ変わることができたらと思っています。
底を締めるためかぎ針で編む 幾何学的模様の底の編み込み
10月に田布施でレクリエーションウォーキングの計画があるそうです。コースがいくつかあり、その中で一番短いコースを先導して歩くことになりました。歩く距離は3km位です。途中史跡を説明しながら1時間位で歩きます。スタートするのは田布施スポーツセンター(TAIKOスポーツセンター田布施)です。スタート後、新川の庄山、田布施川、川添を回って帰ります。主な史跡は、①恵比寿社,②田布施川の古川跡,③五人力の清三郎石碑,④新川寮,そして⑤浮島神社⑥江良碧松の歌碑です。
最後に訪れた浮島神社と傍にある江良碧松の歌碑
ところで、先日四回目のコロナ対策のワクチンをうちました。三回目まではファイザー製でしたが、今回はモデルナ製でした。聞いてはいましたが、とんでも副反応でした。発熱,発汗,食欲不振,ぼんやり,肩痛,目がぐるぐる,そして吐き気です。食欲不振で朝食を食べていなかったため、苦しく吐くものがありませんでした。やれやれ、よほどのことない限り五回目をうつのを止めようと思います。
TAIKOスポーツセンター 庄山の恵比寿社 新川寮の座敷と仏様
歩いた距離は3.3kmでしたが、歩いたり史跡を説明した時間のトータルは1時間5分でした。1時間以内に収めなければならないため、田布施川の古川跡は省く見込みです。
ちなみに田布施川の古川跡とは、今から400年位前に田布施川が流れていた跡です。新川地区の名前は、田布施川の流れを古川から新川に変えた名残りです。
10月のレクスポ大会時の史跡巡りウォークの下見コース
6月末にジャガイモを掘り上げて収穫したのですが、ジャガイモ畑の隅の方はまだ掘り上げていませんでした。今回、その残りのジャガイモを収穫しました。ジャガイモの株を囲むようにホークを土に突き立てて掘りました。株の近くに突き立てるとジャガイモに刺さってしまいます。今のような猛暑日、ホークが刺さって傷ついたジャガイモはすぐに腐ってしまいます。もったいないのですが、そのような傷ついたジャガイモは捨てました。それでも、我家で食べるには十分な数のジャガイモを収穫することができました。
ホークで掘った後、土からジャガイモを取り出して収穫
収穫したのは二種類のジャガイモです。一つは皮が赤い品種シェリーです。もう一つは皮が白いメークインです。掘りながら観察すると、芋全体に白いカビが生えたものや、半ば腐った芋が少しありました。猛暑の今は、芋が病気になりやすいようです。7月上旬までに全て掘り上げておけば良かったと思いました。なお、害虫やネズミなどに食べられたジャガイモはありませんでした。
ホークを株に突きたてる 白ジャガ:メークイン 赤ジャガ:シェリー
収穫したジャガイモ全てを我家で食べるには多すぎます。そのため、半分程度を東京に送ろうと思います。掘ったばかりのジャガイモ、小さな傷がもとで腐ることがあります。そのため、掘ったジャガイモをいったん納屋の地べたに置いて影干しします。その後、良いジャガイモを選別して送ろうと思います。ところで、先週秋ジャガイモも畑に植えたので、年内にもう一度ジャガイモを収穫できます。年末か年初にまた送ろうと思います。
今回掘り上げたジャガイモ、美味しそう!
相変わらずの猛暑、先日ハンマーモアナイフで草刈りした小豆畑を今度は手持ちの草刈機(刈りばらい機とも言う)で草刈りしました。ハンマーナイフモアで大雑把に広く草刈りしていたため、今回は小豆の株間や畑の角などの草を刈りました。それにしても、作業を開始するとすぐに汗が噴き出てきましす。私の体力が落ちたのでしょうか、今回もすべての草を刈ることができませんでした。おまけに、草刈機が故障してしまいました。草刈機も暑さに負けてしまった?ようです。
小豆の株間に生えた草を草刈機で刈り取る
草を刈っていて思い出しました。畑に収穫しなかったジャガイモがあることを。そのため、小豆畑の草刈りを後回しにして、元ジャガイモ畑を草刈りしました。今回、草刈機の故障ですべての草を刈れませんでしたが、草の勢いが回復するまでに耕運機で耕そうと思います。とにかく夏場は草刈りばかりの農作業です。暑いこともありモチベーションが上がりません。早く涼しい秋になることを願っています。
草刈りするまえの元ジャガイモ畑 草刈り後の元ジャガイモ畑
ところで、今年は小豆がことのほか良く成長しています。まだ花は咲いていないのですが、葉や茎の茂り具合から予測するに、今年は小豆をたくさん収穫することができそうです。10月になって鞘が茶色になると根から引っこ抜いて天日乾燥します。そして、一週間ほど天日乾燥後鞘から小豆粒を取ります。この鞘から小豆粒を取りだす作業を、放課後学習成器塾の子供達に体験させようと計画しています。売っている小豆粒を見たことはあっても、鞘に入ってる小豆粒を初めて見るのではないかと思います。そして、今年こそは収穫した小豆でお汁粉作りができるといいなと思います。
元ジャガイモ畑の草刈りを終え、小豆畑を草刈りを再開
真空管ラジオを修理するため部品を購入しました。ところが、私が想像していた部品とは大きく様変わりしていました。例えば、電解コンデンサは同じ耐圧でとても小さくなっていました。そして、ブロックコンデンサは売っていませんでした。売ってはいても高価でした。また、抵抗も様変わりしていました。同じW数でも小さくなっていました。
私が真空管を使った工作を始めた60年前頃の部品と比べて、とにかく小さくなっていました。唯一変わっていなかったのはパイロットランプやラグ板だけでした。元々あった部品を使いつつ、壊れた部品は今回購入したものに変えようと思います。まずは、部品配置図を作ってから部品を取り付けようと思います。
赤,橙,緑,青の四角が購入した部品
購入した部品を見て、真空管ラジオ用の部品がもう無いことを悟りました。例えば真空管ラジオに使われていた皮膜抵抗,オイルコンデンサ,そしてマイカコンデンサなどはもう売っていませんでした。ブロックコンデンサも同様で、あってもとても高価でした。ストック品だから高いのではないかと思います。購入できた部品は、みなトランジスタラジオ用の部品です。なるべく今ある部品を生かしながら、これらの部品を使って真空管ラジオを修理しようと思います。
購入した抵抗(皮膜抵抗は今やなし) 購入したコンデンサ類
染めに使う山野草の一つに紫があります。その育て方がさっぱり分かりません。春に種まきしましたが、極端に発芽率が悪い上に成長がのんびりしているのです。そもそも、暖かい場所では育たないのかも知れませんし、日陰で育つのかも知れません。また、宿根で秋に芽が出て越冬するのかも知れません。
今回、その紫が枯れ始めました。8月初めに花が咲いていたため、種ができているのかも知れないとも思いました。そこで、枯れ始めた茎を手でこさいでみると、何粒かの種を取ることができました。この種は来年か、秋に種まきしてみようと思います。
枯れ始めた紫、種ができていないか茎をこさぐ
同じように栽培方法が分からない茜は意外にも枯れないで成長しています。同じ山野草の一つである藍や紅花はとても簡単に栽培することができます。例えば、藍を栽培する農場、すくも製造など、藍染めに関わるたくさんの工房があります。しかし、茜や紫はあまり聞いたことがありません。むしろ失われていく古代の染料なのかも知れません。どんな色なのかどんな染め方なのか確かめる意味でも、今後も栽培してみようと思います。
採集した数粒の紫の種子 猛暑に弱い?枯れ始めた紫
夏休みも終盤に入りました。発明クラブの工作も終盤です。お盆を過ぎたのに猛暑は収まりません。エアコンが無い上にコロナ対策で、工作室は窓を全開にしています。頼りは扇風機だけです。汗ばんでくると指導員も子供達も扇風機に寄ってきます。
半数位の子供は工作ができあがりました。しかし、工作ができてもそれだけでは完成ではありません。工作を見た人が分かるような解説図や説明書を書かなければなりません。発明クラブでは、工作に加えてその工作を説明する文章力も問われます。なるべく短い文で、綺麗な字で書きます。そして、工作するきっかけ、苦労した所、工夫したポイント、使い方などを端的に描きます。今回、私は子供数人の文章を添削しました。
仕上げに入った工作、ちゃんと動作するかな?
なかなか完成しない子供が数人います。途中で何を作っているのか分からなくなった子、だんだん構想が広がって来て収拾がつかなくなった子などがいます。以前のことですが、運動クラブにも所属していて工作に時間がさけなくなった子もいました。子供それぞれに事情があります。それを認めたうえで指導しています。完成していなくても、努力した結果がみえればいいかなと思っています。
友達に相談しながら工作 もう少しで完成か 図や説明文を書く
猛暑は人間にとっては過酷ですが、雑草にとっては天国のようです。しばらくしないうちに小豆畑は草原になっていました。このまま放置しておくと小豆の収穫に関わります。重い腰をあげて雑草を刈り取ることにしました。
いつもは手持ちの草刈機を使って草刈りをします。今回はハンマーナイフモアを使って草刈りしました。手持ち式とは違い、ハンマーナイフモアの後に付いていくだけですので楽な作業です。でも、畑には多少の凸凹があります。凸凹があるたびにハンマーナイフモアが方向を間違えるのです。その方向を正すのに力がいります。楽なはずのハンマーナイフモアでも汗だくになってしまうのです。
ハンマーナイフモアで小豆の隣を草刈り
ハンマーナイフモアの良い所は、広くて平らな畑の草刈りに向いています。欠点は、曲がり角,狭い場所,または斜面の草刈りがしにくいことです。そのため、今回はハンマーナイフモアで8割方草刈りを済ませ、後日手持ちの草刈機で草を刈ろうと思います。どんな機械でも得意不得意があります。
草原化した小豆畑、ため息! 何度も往復しながら草刈り
今回草刈りした小豆畑は、広いだけで比較的草刈りしやすいです。そのため、草刈りする時間をおよそ予測できます。しかし、我家には笹をはじめとする山の下草、小枝が多い放棄地など、草刈り困難な岩石まじりの畑など滅入ってしまうような土地が多いのです。
数年前までは夏でもこれらの土地を草刈りしていました。しかし今、古希の私としては熱中症や体力消耗などのリスクがぐんと増えました。草刈りを諦ないといけない土地が増えました。例えば、笹などの山の下草刈りは冬に1度しかできなくなりました。土地は今や、固定資産税ばかり取られて良いことがありません。
草刈りが終盤に入った小豆畑、残りは手持ちの草刈り機で
座布団の表裏を編んだので、その表裏の端を縫いました。通常ならミシンで縫うのですが、山口産ウール100%にしたいと思い、紡いだ毛糸で端を縫いました。毛糸で縫ったことがないため、少しばかり端にほつれが出ました。やや醜い座布団になりそうですが、素人中の素人の私が作った座布団なので仕方ありません。
今後は、座布団の中にいれるふわふわを作って入れようと思います。中に入れるのは田布施農工高校で飼われている羊(茶々丸)の羊毛です。洗浄は済ませているため、カーダーで漉いた羊毛を入れようと思います。
縫い合わせ終わった座布団の表と裏の端(裏返し後)
表と裏の縫い合わせで困った場所は毛糸布の横方向です。編んだ後のほつれ止めの方法を知らないため、適当に毛糸を這わせたのがいけなかったようです。端が均等でないため、どうしてもほつれが出てしまうのです。毛糸を使えるミシンを持っていないため、仕方なく太い針を使って手縫いしました。座布団にした時にどうしても醜いようであれば、表と裏を再度と縫い直してみようと思っています。
表と裏を毛糸で手縫い どうしてもほつれが出る 表と裏を裏返す
表と裏を縫い終わった後、裏返してみました。すると、表と裏の張力の違いにより藍染めした側が縮みました。表と裏を同じ面積にするため、水に濡らして中に大き目の板を入れました。このまま乾けば表と裏が同じになると思われます。ダメならばアイロンをかけてみようと思います。何しろ毛糸の性質を知らないため、どうしたら表と裏を同じ張力にしたら良いか分かりません。元々の原因は太さの違う毛糸で編んだことに由来します。さあて、どうなることやら。
藍染め側を上にした座布団 紅花染め側を上にした座布団
これから台風や大雨のシーズンに入ります。そのような時、停電になることがあります。実際に数年前に停電になったことがあります。台風ではありませんが、東日本大震災時に計画停電があり大変な目にあいました。そのような停電に備えて小型600W交流エンジン発電機を持っています。しかし、必要な時に故障していては困ります。今回そのエンジン発電機の動作確認をしておきました。去年入れたガソリンなので動くか心配でしたが、何度か始動ロープを強く引っ張るとエンジンがかかりました。電気も発電しました。
このエンジン発電機は、10年位前に数千円で手に入れた故障品でした。オイルを入れ替えたりキャブレターを掃除したりして直しました。ボロボロに錆びたおんぼろ発電機ですが、ちゃんと発電してくれるので災害時には心強いです。
エンジンをかけて発電の様子を電球で確認中
ところで、全国でコロナ7波が猛威を振るっています。我町でも猛威をふるっています。私は今のところ症状がないのですが少し心配になりました。同居する95歳になる婆様はワクチンをしていません。私にうつると自動的に婆様にうつると思います。そのため、PCR検査を受けてみることにしました。検査キットを取り寄せてみました。困ったのは婆様です。耳がほぼ聞こえないうえに説明書の字が小さくて読めません。そのため意味が分からないようでした。それでも何とか送りました。数日後に結果が分かるそうです。それとは別に、来週4回目のワクチンをうつ予定です。困った時代になったものです。
※19日11:30 PCR検査の結果、陰性との連絡が入りました。やれやれ安心しました。
スイッチ(SW)を入れて始動する 送られてきたPCR検査キット
たまたま窓から裏山を眺めていると、クルミの枝に実がぶら下がっているのが見えました。クルミは熟すと自然に落下してしまいます。落下してしまうと、草の中に紛れ込んだ実を探すのは大変です。そのため、複数個が束になって実にぶら下がっている実を収穫します。高い場所にある実は、高枝バサミで収穫します。とにかく、バラバラに落ちないように注意深く取ります。このクルミは、八王子の河川敷に生えていた野生のクルミを10年前に裏山に植えたものです。
枝にぶら下がった野生のクルミ、野生でも美味しい
収穫したばかりのクルミは外側に果肉があるため殻は見えません。外側の果肉を取り去って初めて中の殻を取ることができるのです。果肉は簡単には取れません。手で剥こうとすると、手が荒れてしまいます。そんな時は、とっておきの方法があります。土の中に埋めて果肉を腐らせるのです。地表に放置しても良いのですが、殻になった頃にリスなどの小動物に取られてします。そのため、地中に埋めるのです。秋になって掘ればクルミ殻になっています。
収穫した2束のクルミ 実をバラバラにして埋める
今年も秋ジャガイモの種芋を植え付けしました。今年購入した品種はデジマです。芋の形が丸い品種ですので、芽が浅く皮むきした時に無駄がありません。畑は事前に草を刈り取り、耕運機で数回耕しました。地上は草刈りしたのですが、ただ根が地下にたくさん残っていたため耕運機のロータリーに根が絡まりました。そのため、時々耕運機を止めながら絡まった根を取り除きました。
春に植えるジャガイモは芋を切りますが、秋に植えるジャガイモは猛暑のため切るとすぐに傷んできます。そのため、切らないで植え付けます。植え付けた間隔は1mとしました。我家は人数が少ないため、種芋を少なく植え付けました。
草刈り後に耕運した畝に、秋ジャガイモの種芋を植え付け
秋ジャガイモはそんなに食べないため、小さな1袋の種芋を購入しました。どの種芋も小さな種芋でず。その種芋を1m間隔で植えました。植えると言うよりも、穴を掘ってその中に種芋を落としました。そして、数cmほど土を被せておきました。おそらく2週間後には芽が出ると思います。その頃には雑草も生えているはずなので、土寄せ兼除草をしようと思います。
耕運機でジャガイモの畝作り 畝に巻き尺を張り、1m間隔に穴
秋ジャガイモは生育期間が、9~11月しかありません。そのため、春ジャガイモほどには芋が大きくなりません。12月になると霜が降りるため、一気にジャガイモの葉が枯れます。枯れたことを合図に、ジャガイモを掘り収穫します。その頃には冬になっているため、地中のジャガイモはそう傷みません。そのため、12~1月にのんびりと収穫しようと思います。
種芋を植えた後、平クワで丁寧に土を被せる