先日、田布施町で第二回のスポーツレク大会がありました。競技内容はお年寄り向けで、私が先導する歴史探訪ウォーキング,約4.5km歩く健康ウォーキング,そして体育館内でのレクリエーションです。
歴史探訪ウォーキングは去年、麻郷の新川地区を中心に歩きました。今年はスポーツセンターの西側にある尾迫地区を中心に歩きました。しかしながら、今回はびっくりするハプニングがあったウォーキングとなりました。
二番目に訪れた常楽寺と寺経営の幼稚園
歴史探訪ウォーキングは、予定より早めの9:30にスタートしました。最初に向かったのはスポーツセンターから鳥居が見える尾中三社です。地元の方々が守っている神社や祠です。続いてすぐそばにある常楽寺です。お寺の歴史と、寺経営の幼稚園の歴史を少しお話をしました。
町長さんなどの祝辞 9:30に歩きスタート 尾中三社の拝殿
常楽寺から緩い坂を下り、しばらく歩くと道路改修記念碑を見学しました。そして、そこから少し歩いたところで、田布施町の名木の一つであるクロガネモチの巨木を紹介ました。橙色の実がたくさんなっていました。
その名木の紹介が終わると、少し道を引き返して稲荷社に向かいました。下見時にたまたまお声をかけた地元の方に、道を綺麗に草刈りをしていただきました。ありがとうございました。
草刈りされた道を稲荷社に向かう 稲荷社の天井絵を見学
稲荷社の歴史をお話後、天井絵を見学していただきました。そして、最後の尾迫観音堂に向かいました。その観音堂で大変なことがおきました。すぐに救急車を呼びました。その方は、奥様に付き添われて周東病院に搬送されました。後で聞きましたが何事もなかったそうです。安心しました。来年も歴史探訪ウォーキングするならば、より用心が必要と思いました。対応された役場の方々、お疲れ様でした。
尾迫地区を中心に回った歴史探訪ウォーキングのコース
我家裏の山を歩いていると、アケビの実を見つけました。私が子供の頃、チョコレートなどのお菓子をめったに買ってもらえませんでした。そのため、秋になるとアケビの実を口に含みました。その実は種だらけで、食べると言うよりも甘みを楽しむだけでした。楽しんだ後、種をぼろぼろ吐き出していました。
種ばかりと言えばザクロも同じです。我家にありましたが、種ばかりで食べがいが無いため、今は樹はありません。
樹上にからみつくアケビの蔓、そして甘そうな実
アケビの蔓で籠が編めるようです。20年位前に一度でチャレンジしたことがあります。ところが、アケビの蔓でなくクズの蔓で編んでしまいました。クズは乾燥すると蔓がスカスカになって籠がゆるゆるになります。つまり籠作りには適しません。それを知らずにがっかりして、蔓による籠作りを諦めてしまったのです。
今思えばアケビの蔓で籠を作れば良かったのにと反省しています。暇をみてアケビ蔓で籠を作ってみたいと思います。山に入るとやまブドウの蔓もあるようです。どんな蔓が籠作りに適しているのか調べてみようと思います。
中の実をほおばり甘みを楽しむ まだ口が開かず色が茶色のアケビ
10月もそろそろ終わりです。これから晩秋になり、ますます寒くなります。畑仕事を次々にこなしていますが、なかなかはかどりません。収穫が終わった畑を畝ごとに整理して、次の作物を植えるための畝に切り替えています。
これから種まきするのは、さやえんどう豆やソラマメなどです。ところで、タマネギの苗を園芸店で見かけるようになりました。タマネギの苗を育てているのですが、雨が降らないせいか成長してくれません。今年は苗を購入しようかどうか悩んでいます。友達に聞いてもそのような話が出ます。
収穫を終えた畝を整理後、次々に耕運機で耕す
畝の整理で一番めんどうなのは、収穫後の残渣や雑草の除去です。根が張っているナスが最も除去しにくいです。
地上は鎌で刈り取り、次に根元を掴んで取り除きます。続いて、黒マルチを外します。再利用できるように丁寧に外しますが、残渣や雑草に引っかかって大穴があいたり裂けたりすることがあります。
地上の草を鎌で刈り取り 黒マルチを丁寧に除去 耕運後畝に整形
今回、黒マルチがそれほど傷まなかったため再利用しました。そして、形が崩れたニンニクを黒マルチの穴に植え付けました。耕運機で耕している時に、出てきたニンニクです。掘り忘れてしまい耕運機で切り刻まれてしまった哀れなニンニクなのです。
再利用した黒マルチを張る 切り刻まれてしまったニンニク
ほぼろを応用して猫ちぐらを製作しています。しかし、大きな猫が上に乗ると屋根が凹むことがあります。そして、何度も猫が載っていると凹んだままになることがあります。そこで、屋根の凹み対策にシダの茎を使えないだろうかと思いました。
山にシダの茎を取りに行きました。山に行くといろんなシダが生えています。茎の長い物、茎が太い物といろいろあります。10本位採集しました。
細いものの茎が長めのシダ
お正月の注連縄に使うシダは、大きな葉のものは茎が長く太いことに気が付きました。このシダの茎が猫ちぐらに使えそうです。ドラム缶で水に入れて沸騰させてから、シダの茎を入れようと思います。そして、柔らかくなった茎を猫ちぐら用に加工してみようと思います。
シダを使った籠もあります。シダはいろいろと利用価値がありそうです。
太目で長いシダの茎 細くて長めのシダに覆われた山裾
旧軍用倉庫は次々に装いを新たにしています。屋根瓦は全て落とされていました。屋根の腐った屋根板は取り除かれ、代わりに新しい屋根板が取り付けられていました。
柱は白アリに食われてほとんどがスカスカ状態です。そのため、もう屋根瓦で葺くことはできせん。予定通りトタン波板で葺きます。瓦と比べて軽いため柱には負担になりません。
腐った板を取り除き、新しい板に打ち直されている屋根
内部もだいぶ変わりました。壁のベニヤ板が全て剥がされ、土壁が露出しています。また、腐ってミシミシと音をたてる床は全て取り除かれていました。まずは、雨が降ってもいいように至急屋根にトタンを張るそうです。トタンを張れば雨がふっても内装工事ができます。もうしばらくすれば完成するのではないかと思います。
土壁に囲まれた趣ある部屋 土壁に囲まれた入口側
大星山の峠付近で、参加者が二人から三人になりました。その理由は、伊保庄から大星山に登る二人と反対側の佐賀から来た一人が峠で合流したからです。
峠に着く30分位前、佐賀から来る一人から電話がかかりました。先に到着したようです。そのため、急いで合流地点に向かいました。合流すると、涼しい木陰に移動して昼食休憩をとりました。涼しい風が吹いて快適でした。ただ、すぐ近くで風車が回っていたためうるさいのだけは難点でしたが。
大星山から下山中、木々の隙間から見えた佐合島,刎島,牛島,そして馬島
昼食休憩が終わると、のんびりと佐賀に向かって降りました。緩やかな下りでしたので、自然に足が前に進みます。早く進まないように足を踏ん張るのだけが疲れました。
歩きながら左右を見ると、数十年前には畑があり人が住んでいたことが分かります。山裾が階段状になっており樹も並んで植えてあるので、人の手がかかっていることが分かります。
風車傍で昼食休憩 緩やかな下り坂 蔓に覆われた木々
昭和20年代、婆様が佐賀小学校教諭時に佐賀の上の方に開拓団があったそうです。開拓団の子供達は山を登り降りして学校に通っていたとのこと。その開拓団に家庭訪問に行ったそうです。実は私の父親も麻郷に入植した開拓団員でした。そのため、言わば私も開拓団の子供だったのですが。
開拓団員だった父親からたまに、佐賀や上関の開拓団の事を聞いたことがあります。特に上関の開拓団は、父親と同じ満州から帰国した人が開いたとのこと。その開拓団に知人がいたようです。その開拓団は水の問題で早期に解散してしまったとか。皇座山中腹にあったその上関開拓団跡地に父親と行ったことがあります。今はすっかり樹々に覆われています。
樹々の間に運動場が見える しばらく歩いて夫婦松に到着
下り坂を談笑しながら歩いていると、平生スポーツ公園の運動場が見えてきました。そして、しばらくすると夫婦松に到着しました。今回の史跡巡りウォーキングの到着点です。ここから、なんとTさんの家に車で向かいました。
Tさんの家に着くと座って美味しいコーヒーをいただきました。最初喫茶店に向かうのかと思っていたのでびっくりしました。Tさん、美味しいコーヒーありがとうございました。今回は涼しく快適なウォーキングをすることができました。参加された方々お疲れ様でした。
柳井市伊保庄~平生町佐賀 大星山越えウォーキングコース
毎年のことですが、我家の甘柿の収穫時期となりました。朝夕がだんだん冷えてきたためか柿の葉がだいぶ落ちています。枝に残った実が青空に映えています。
背を伸ばしたり、脚立に乗って収穫しています。今年は、やや実が小さく形がいびつです。花粉が飛んでこないからでしょうか。でも味は最高です。今の季節でしか味わえないか果物です。
今日収穫した三個の柿、形は少しいびつながら美味しそう
面白いことに、柿の木の北側は落葉がひどいのに、南側はそれほど落葉していません。日が当たる南側は暖かいからなのでしょうか。柿の実を摘まんで数回ひねると実が枝から離れます。このようにして、毎日数個ずつ実を取り味わっています。なお、上の方はカラスなど野鳥の餌場になっています。半ば食べられた実が哀れです。
南側は葉がまだ茂る 実を摘まんでひねって収穫
去年の秋、第1回スポーツレク 史跡巡りウォークがありました。この秋も、去年に続いて第2回スポーツレク 史跡探訪ウォーク(約3km)があります。去年とコースを変えたため下見をしました。スポーツセンターから西側にある尾中三社,常楽寺,稲荷社,観音堂などの寺社仏閣などを訪れます。私が先導して役場の方二人と一緒に下見して歩きました。そして、歩く距離、歩くコースなどを確認しました。
スポーツレク時、訪問を快諾していただいた常楽寺
当日9:00にスポーツセンターで開会式が行われ、9:40に同スポーツセンターをスタートします。行われるスポーツはウォーキングだけではなく、レクリエーションなどもあるようです。どれもお年寄り向けのスポーツです。言われてみれば、引率する私もお年寄りです。さて、最初に行くのはスポーツセンター近くにある尾中三社です。地元の方々がお守りしている神社です。続いてその近くにある常楽寺に行きました。
尾中三社の祠など 改道記念石碑 クロガネモチの巨木
常楽寺ではご住職の奥様にご挨拶をしました、そして、スポーツレク時に立ち寄ることをご快諾いただきました。ありがとうございました。次に改道記念石碑を見た後、クロガネモチに巨木を見学しました。そして、稲荷社に向かいました。
天井絵が綺麗な稲荷社 観音堂見学後スポーツセンターに戻る
下見ではクロガネモチの巨木直下を歩きましたが、本番当日は改道記念石碑から参道を歩いて直接稲荷社に行くことしました。たまたまお声をおかけしてお話をした地元の方が、稲荷社の参道を綺麗にしておくとのこと。ありがたいことです。稲荷社の次は尾迫観音堂です。観音堂で小休止するとスタートしたスポーツセンターに戻りました。下見に参加された方々お疲れさまでした。
第2回スポーツレク 史跡巡りコース(下見)
先日ジャンボニンニクを植え付けしましたが、今回は普通のニンニクを植え付けしました。植える畝を作った後、食べ残したニンニクをバラバラに分球しました。ニンニクはけっこう硬くしまっていました。私の手や指の力がなかったのか、バラバラにするには力が必要でした。
そんなこんなでニンニクを植え終わりました。来年も美味しいニンニクを食べることができそうです。
バラバラに分球したニンニクを一つ一つ丁寧に植え付け
秋の種まきや植え付け作業は、収穫し終わった畝を壊すことから始まります。耕運機で丁寧に耕してから秋冬用野菜用の畝に変えました。防草シートを畝と畝の間に敷きますので、畝の位置や幅などを正確に考えながら耕します。レーキで鞍型に畝を整形後、黒マルチを被覆しました。
耕運機で丁寧に耕運 レーキで畝を整形 新しい黒マルチを被覆
畝が出来上がると、食べ残したニンニクを畑に待ってきました。そして、椅子に座ってニンニクをバラバラに分球しました。三種類位の品種がありましたが、どれも同じ大きさのため誤って混ぜてしまいました。仕方がありません。分球したニンニクを箱に入れて畝に植えました。分球した時のニンニクの匂いが畑に漂いました。
分球する前のニンニク ニンニクを次々に分球
柳井市の伊保庄から平生町の佐賀まで、大星山を越えていく本番の史跡巡りウォーキングでした。下見時よりさらに涼しくなっており、スタートから終点まで快適にウォーキングすることができました。
快晴に涼しい風、伊保庄から見下ろすことができる柳井湾や周防大島などが絶景でした。また、反対側の佐賀から見下ろした佐合島,馬島,牛島などが絶景でした。やっぱり10月は運動の季節です。今年一年で最も快適に歩くことができました。
大星山へ登る途中で見下ろした柳井湾、向こうに笠佐島や周防大島
ところで、大星山に登る途中Eさんの親戚の方に出会いました。Eさんの父親の従妹さんです。たまたま歩いていると、ご夫婦で野良仕事をされていました。お話を伺いながら楽しいひと時となりました。Eさんのお父さん器用で、伊保庄に来ては工作していたようです。とても助かっていたとのお話を聞きました。
最初に出会った地蔵様 上り坂の地蔵様 大星山を見上げて
ところで、Eさんの親戚にすぐ上に私の遠い親戚があります。曾祖母の実家なのですが、ずいぶんとお付き合いがないため寄りませんでした。10年位前に伺いましたが、私や私の母親を知っている方々はすでに亡くなっていました。祖母までの親戚は親密な付き合いがありますが、曾祖母となると付き合いが減るものです。仕方ありません。
大星山傍の峠にようやく到着 樹木の間に柳井湾を見降ろす
福井畑からどんどん大星山に向かってだんだん坂が急になってきました。少しばかり汗ばみながら歩きました。しかし、少しでも歩みを止めると、涼しい風が熱を奪ってくれるため快適です。下見時には牛がのんびりと草を食んでいたのですが牛は一頭もいませんでした。その後、しばらく歩くと峠に着きました。峠で立ったまま休憩しました。
柳井市伊保庄~平生町佐賀 大星山越えウォーキングコース
早朝、毎日のように改修中の倉庫に寄っています。そして、大工さんに声をかけてから仕事に行っています。
屋根瓦と瓦を保持する粘土は全て撤収されました。瓦と粘土が無くなった屋根を見ると、あちこちの板が腐って落ちていました。屋根瓦が波打っていた訳です。そして、室内の壁に張られたベニヤ板も全て剥がされていました。そのため、土壁部屋になっていました。
大工さんに聞くと、地面に近い柱はほとんど白アリに食われてスカスカとのことでした。
全ての瓦とその瓦を支える粘土などを取り去った屋根
床もやはり白アリに食われていました。歩くとミシミシ音がして床板を踏み抜きそうです。そのため、腐った床を全て撤去した上で新しく床を作ることにしました。
80年近い月日が経った旧軍用倉庫、取り壊してもよかったのです。しかし、私の祖母が暮らしたり、祖父や父親が手入れしたりしながら使った思い入れある倉庫小屋です。私が生きている間は使おうと思います。
一部腐って落ちた屋根板 壊している途中の腐った床
どの田んぼも稲刈りのシーズンです。田んぼ農家の友達から電話がかかり、わらをいただくことになりました。そして、その友達の家前の広場に車を乗り付けました。次に、田んぼに行って刈り取ったわら10束位を次々に縄で縛りました。その縛ったわら束を複数、運搬機で私の車傍に運んでもらいました。続いて、そのわら束を次々に私の車に詰め込みました。わらをありがとうございました。
なお田んぼに残したわらは、雨が降る前に田んぼで全て燃やすとの事です。
田んぼにあるわらを、縄で次々に縛る
これで、今年から来年にかけてのわら細工用のわらを確保しました。12月17日にほぼろ製作講習会を予定しています。その講習会に備えて、使うわらを叩いて柔らかくするなどの事前加工しておこうと思います。
去年までは友達の軽トラックでわらを運んでもらっていました。この夏、わらを運べる車に買い替えました。そのため、今後は友達に頼まなくてもわらを積んで帰れそうです。
わらを運搬機に積む 車までわらを運搬 車にわらを詰め込む
朝夕がだいぶ寒くなってきました。秋冬野菜の種まきがそろそろおしまいの季節になってきました。来月になって種まきしても育ちません。そのため、今回は最後の小松菜と大根葉の種まきをしました。例年種まきする白菜、大根、チンゲンサイ、タアサイなどは種まきは止めました。あれこれ忙しいため今年は少量だけ育てようと思います。
小松菜と大根葉の種まき後、ジョロで水やり
種まきした場所は、先日耕して再利用の黒マルチを被覆した畝です。軽く穴を掘って、その穴に種を数粒まいて土を被せました。このところ雨が降らず土が乾燥しているため、ジョロで水をまいておきました。虫害が無ければ晩秋から冬にかけて美味しい葉を収穫できると思います。
小松菜の種を手のひらに 一つの穴に数粒の種をまく
田布施町の地方史研究会主催の史跡探訪がありました。コロナ惨禍のため5年ぶりの史跡探訪です。第7回は宿井や石ノ口周辺でした。第6回は馬島でした。さらに5回は麻郷・麻里府周辺でした。
実は第8回は4年前に探訪予定でしたが中止になりました。そのため、久しぶりの史跡探訪でした。偶然なのですが、新郷土館館長の療養により前館長の私が急遽お手伝いすることになりました。そして、お弁当の注文、当日の集金や弁当配布などのお世話をしました。
紙芝居が演じられた古刹の蓮池寺
9時に田布施町郷土館に集合すると、数台の車に乗り合わせて出発しました。最初に訪れた史跡は国森古墳です。山口県で一番古いと言われる方型古墳です。3~4世紀に作られた古墳で、国々が大和王権に収斂する時代に作られたと思われます。いわゆる魏誌倭人伝以後の謎の200年期に作られたようです。
国森古墳を見学 石原璋の記念碑 クロガネモチの巨木
国森古墳を見学すると、少し道を戻って石原璋の記念碑を訪れました。富永有隣に師事した後、神主を兼ねた教育者でした。続いて、石垣間にそびえるクロガネモチの巨木を見上げました。田布施町の名木の一つです。その後、いったん駐車場にもどり石走山古墳に行きました。
石走山古墳の内部 最後に訪れた妙見社
石走山古墳を見学すると、蓮池寺に行って紙芝居の上演を見ました。そして、次に蓮成寺に向かいました。本堂で昼食休憩をとらせていただくことを事前に快諾していただきました。蓮成寺に感謝いたします。
お昼休憩が終わると、比較的大きな円墳である木ノ井山古墳に行きました。そして、最後に妙見社にいきました。その妙見社傍で、同行車が溝に脱輪してしまいました。しかし、みなさんのご協力と奮闘で無事脱出できました。
史跡探訪はこの8回をもって終わりとなりました。約10年間にわたる史跡探訪、お疲れ様でした。
第8回史跡探訪で訪れた田布施町川西の史跡
最近、ほぼろを編んだり糸を紡いだり織ったりするクラフトの時間が増えてきました。その作業を、戦前に建てられた旧太刀洗飛行場の旧軍用倉庫でしています。
この倉庫、昭和21年にこの地域に入植した父親が手に入れました。以降70年近く、父親がベニヤ板を張ったりして改修しながら使ってきました。一時祖母が暮らしていたこともありました。
11年前に父親が亡くなった以降、私が使っていました。しかし、去年屋根に大きな穴が開いて雨漏りし始めました。そのため、近所の大工さんにお願いして土壁クラフト小屋に改造することに決めました。
穴が開いて雨漏りする屋根瓦を全て撤去
改造と言ってもお金を掛けられません。大きくは、屋根を軽いトタン屋根に変えること、壁のベニヤ板を全て剥がして土壁を露わにすること、そして床を張り替えることです。
ベニヤを剥がすと土壁が現われました。昔の懐かしい土壁屋敷に戻ったようです。言わば土壁のクラフト小屋になりそうです。冬には薪を焚く暖炉を入れようかなどと考えています。
改造する前の旧軍用倉庫 トラックで廃材を運び出す