前回の草刈りから1ヶ月後の畑斜面、雑草が再び繁茂
今回草刈りを始めて二つ困ったことがありました。一つ目は雑草が硬くてなかなか刈れないことです。その原因は、日照りで雑草の茎や葉が硬くしまっているためです。二つ目は土が乾燥しているため草刈り中に土煙が舞い上がることです。目鼻を押さえながらの草刈りです。しかし、今草刈りしておかないと、秋になって雨でも降ればさらに雑草が生い茂ります。この夏を振り返ると、やれやれ、草刈りが主な作業の夏でした。
土煙を上げながら草刈りした、道路に面した畑斜面
私が子供の頃に作ったことがある、ゲルマラジオ(別名:鉱石ラジオ,ゲルマニウムラジオ)を何十年ぶりに作ってみることにしました。普通ラジオは電池を電源にしてスピーカーで聞きます。しかし、このラジオは無電源で聞くことができます。音は小さいのですが、電池代がただのラジオです。
ゲルマラジオの部品、手持ちの部品や新たに購入した部品
私が子供の頃はトランジスタはとても高価でした。このため、もっぱら真空管でラジオを作っていました。真空管やトランジスタを使わずもっとも簡単なラジオがゲルマラジオです。部品の数も片手で数えられるほど少ないです。それだけ簡単に作ることができます。最初、アンテナ線とアース線をつなぐ端子をケースに開けることから始めました。
アンテナとアース端子の穴開け 取付けたアンテナとアース端子
アンテナとアース端子を付ける穴を開けると、バリコン,イヤホン,ラグ端子を取り付ける穴を開けました。穴を開け終わると部品を取り付けます。取り付けが難しいコイルは硬質スポンジの上に瞬間接着剤で取り付けました。続いて、部品間を半田付けしました。とても簡単です。
ケース内で半田付けし終わったゲルマラジオ部品
早速受信してみました。アンテナは無いので電灯線アンテナで代用してみました。小さな声でしたが聞こえたのは、NHK第2放送とFEN(今はAFN)でした。特にFENは送信所が近いのかとてもよく聞こえました。アース線を付ければもっと他の放送局も聞こえるのではないかと思います。
このゲルマラジオはイヤホンがケースに内臓できるような隙間を作っておきました。ふだん聞かないときはイヤホンをケース内に仕舞って置けます。暇があれば昔を思い出しながら、今度はトランジスタを1石程度使ったラジオを作ってみようと思います。
ケース内にイヤホンを仕舞ったゲルマラジオ
先週田んぼに防鳥網を被せましたが半分程度の被覆でした。今回、田んぼ全面に防鳥網を被覆して完成させました。前回よりも日差しが強く汗だくの作業でした。朝9時から始めて正午までかかりました。途中一回休憩をとりました。
新たに購入した防鳥網を解いているMさん
今回もMさんと一緒に防鳥網を張りました。前回網が足りなかったため、Mさんに近くの農協で防鳥網2張を新たに購入してもらいました。大きい網一つと小さな網一つです。
前回張った網に重なるように新たに網を張る
前回張った網との間に隙間ができないように、微妙に重なるように新しい網を張りました。網と網が重なる部分の取り扱いが以外と難しく、時々手が絡まったりロープがひっかかるなどの苦労がありました。
広い防鳥網の張り始め 時々ペットボトルが落ちる
細い網は衣服によく引っかかります。網の下をくぐっているときに帽子頂部の突起が網にひっかかって何度も帽子が田んぼに落ちました。さらに、上着のボタンに網が引っかかって立ち往生することも何度もありました。
前回張った網と、今回張った網の終端を糸で結ぶ
この田んぼは南から強い風が吹くため、網が風下に流されることがあります。これを避けるため網の何箇所かをロープに結び付けました。そいて、前回張った網と今回張った網の間が外れて隙間ができないように糸で結びました。
網が外れないように糸で結ぶ 網と網のつなぎ目も糸で結ぶ
9時から作業を始めましたが、最初小さい網を張ったにも関わらず1時間半もかかりました。小さい網を張り終わった時刻は10時半でした。太陽はだいぶ昇っていたため直射日光が強く汗だくの作業でした。30分位日陰で休憩をとりました。
田んぼ全部に張った防鳥網、散々苦労して張りました
小さい網の次に大きく広い網を張りました。広いにも関わらず12時には張り終えました。張り終えると疲労困憊、お腹もすいてきたので昼食にしました。気温も最高になったので防鳥網の裾調整やロープの張り調整は次回にすることにしました。1時間ほど日陰で昼食兼休憩にしました。その後畑に行って野菜を収穫してから自宅に帰りました。1時間ほど昼寝した後、準夜勤業務に向かいました。
防鳥網は、稲の穂上10cm位の高さになるよう張る
町田市に行く機会があったため、帰りに久しぶりに薬師池公園に寄ってみました。この池の特徴は、古代ハスが池から溢れるように栽培されていることです。今年から私が栽培を始めたハスの参考にと思って寄ってみました。1月に種レンコンを植えましたが、アライグマでしょうか種レンコンを食べられてしまいガックリ。しかし、一本だけは食べられず6月に発芽しました。思っていた以上にレンコン栽培の難しさに直面しています。
池の中を通る木道を通りながらハスを見学
池は、上からは全く水面が見ることができない位にハスの葉で満たされています。ハスがよく見えるように池の中を通された木道を歩きながらハスを丁寧に見ました。直径が1m位の葉がたくさん茂っていました。時期が遅かったのか、花は一つしか咲いていませんでした。
ジョロの口に似たハスの実 とても大きいハスの葉
この池で栽培されているハスは大賀ハスと言って、古代の遺跡から発見された種子が芽を出したハスです。古代には日本のあちこちで野生的に育っていたハスではないかと思います。古代遺跡で発見されたので、もしかして古代人もハスの実やレンコンを食べたのではないでしようか。
池はハスの葉だらけで、人の背以上に生育
ここで栽培されている古代ハスは食用目的ではありません。茎やレンコンから取れる蓮糸を使って布を作っています。近くにある藕絲館(ぐうしかん)と呼ばれている施設でその布を作り、ハスの種子と共に藕絲の香袋として売られています。
数mもあるハスの葉軸 葉脈を透かして見上げる
ハスは私が子供の頃に家の近くの池で栽培されていました。このため、ハスの実はよく食べていました。焼くと独特な香ばしい香りがして、とても美味しいものでした。冬になると池の水を干してレンコンを掘っていました。今でもレンコンは私の大好きな食材です。
見上げるように人の背より伸びたハスの葉
薬師池の立派なハスを見ていると、今年から私が栽培しているハスは赤ちゃんのようです。水の深さなど全く栽培方法が分からず、しかもアライグマに種レンコンを食べられたりして散々な栽培を試行中です。春からの葉の生える広がりを見ると、ハスは水面下の泥中で根が四方に伸びているようです。今年はレンコンを収穫できそうもありませんが、来年にはなんとかレンコンを収穫してみたいと思っています。
初めて栽培した私の、弱々しく小さなハスの葉
春先に蒔いたカボチャが収穫時期を迎えています。先月始めまでジャガイモ畑を覆うほどに元気いっぱいだったカボチャの葉に勢いがありません。種袋には夏の終わりが収穫時期と書いてあったので、この時期になると実に栄養を送るため茎や葉に元気がなくなるのかも知れません。そして、うどん粉病になって白くなっている葉や茎もありましたので、これも勢いがなくなった原因の一つだと思われます。
枯れたり茶色になって、元気がなくったカボチャの葉
今年作ったカボチャは実が白い品種です。説明には「なたわり南瓜」と書いてあったため、おそらく外皮がとても硬いのでしょう。硬いということは保存性がとてもよいの品種ではないでしょうか。収穫した一部は試しに4ヶ月後の12月まで保存してみようと思います。冬至にこのカボチャを食べてみたいものです。
外皮が白いカボチャ 茎元が茶色になり収穫どき
今日収穫したものは普通のカボチャのように丸い形をしています。しかし、半分程度はラグビーボールのような形をしています。どちらが本来の「なたわり南瓜」の形なのか分かりませんが、食べてみて美味しい方を採種して来年その種を蒔こうと思います。
今日収穫したカボチャ2個、とても綺麗な白色
家に帰りさっそく収穫したカボチャを食べました。収穫したばかりなのにとても硬いのには閉口しました。包丁を何度も押し当てて何とか切りました。切り口を見ると可食部は多く薄い黄色をしています。大好きな天ぷらにしてみました。すると、市販の栗カボチャほど甘みは強くなく食感はホクホクしています。私としてはとても満足できる味でした。
カボチャの切り口 天ぷらにしたカボチャ
昨日は田んぼでロープを張りましたが、今日は朝9時頃から田んぼに行って防鳥網を張りました。一人で網を張るのはなかなか大変なので、今日はMさんと協力して張りました。最初は新規に購入した一枚を張りました。束ねられた新しい網を解いて田んぼの畦に一直線に伸ばしました。そして、それぞれの端に紐を通しました。
新しい網を解いて伸ばす 畦の上に一直線に伸ばす
端に紐を通すと、紐にそって網を田んぼの上に広げました。二人共、それぞれの端を持って引っ張りますが、田んぼ内にある支柱は二人で協力して乗り越えるようにします。支柱の上にはペットボトルなどが乗せてあるので、よほどのことが無い限り網はスルスルと乗り越えます。
網の端を持ちながら、二人同じ速度で歩きながら網を広げる
網を広げ終わると終端の処理をします。終端は田んぼの端ですので、そこから鳥が入らないように田んぼの地面に接するように網を下げます。少しでも隙間があると、そこから鳥が入ってお米を食べてしまいます。
網の端は地面に接するよう下げる 上を見ながら網のたるみを取る
網はたるみが出ないように広げたつもりです。しかし、どうしても支柱にひっかかったり、小枝がからまったりしてたるみが出てしまう箇所があります。特に、去年使用して回収した網には小さな小枝や草屑が付いているためたるみが出やすくなります。そのたるみを取るようにしながら網を再度広げます。常に上を見ながらの作業のため首の後ろが疲れます。
網の下に入って上を見ながらたるみを取る、首の後ろが疲れる
網は、新期のもの一つ、去年使ったもの二つを使いました。しかし、この三つを使っても田んぼは覆おいつくすことができませんでした。もう二つ程度の網が新たに必要です。去年使った青い網は、何年も使ったためあちこちが痛んでいますので使えません。
ようやく田んぼの半分を覆った網
今日は、田んぼの半分を網で覆いました。来週までに、新規に網を購入して田んぼをすべて網で覆い尽くすつもりです。網を張り終わって夕方もう一度田んぼに来て網を点検したとき、スズメに食害された穂を数本発見しました。今年も、スズメの食害に悩まされそうです。
橙色の網紐が太陽に光に反射して、きれいに輝く
出穂した稲の穂を手に取ってよくみると、一部の穂はすでに乳熟期に入っていました。籾を指でつぶすと白い乳汁がじわりと出てきました。急いで田んぼに防鳥網で覆わらなければスズメなどの害鳥が襲来します。すでにMさんが東西方向のロープを張っていたので、残り南北方向のローブを張ることにしました。
巻かれたロープをほどく 南北方向にロープを張る
この時期は毎年のように、乳汁を吸うためにスズメなどの害鳥が大量に襲来します。乳汁を吸われるとその籾はもうお米になりません。お米にならないだけでなく、こぼれた乳汁が穂や葉についてカビが生えます。すると病気が蔓延するなどの二次被害が発生します。
田んぼの縦横に、ます目状にロープを張る
ロープを張り終わると、網がスムーズに貼れるように支柱の上にペットボトルなどを載せました。専用の器具もあるのですが、高価なため一部はペットボトルで代用しています。多少加工する手間はかかりますが、ペットボトルならば実質無料で手に入りますので。
ペットボトルをハサミで加工 ペットボトルを支柱に被せる
巻いたロープ,支柱,ペットボトル,ハサミなどの工具を持って田んぼの中に入りました。両手がふさがっているのと、田んぼがぬかるんでいるため長靴が脱げそうになり何度も転びそうになりました。誤って稲を何株か踏んづけてしまいました。
支柱の上に被せたペットボトル、これが一番良い
ここの田んぼは一番街に近い位置にあります。このため、街のスズメが一番襲来しやすい田んぼです。ここの田んぼを食べつくすと、次に離れた田んぼに移動します。このため、一番奥にある田んぼは網を張らなくても食べられる心配はありません。
農協で購入した器具 「午後の紅茶」ペットボトルも利用
南北ロープ張り作業、そしてペットボトル加工と支柱載せ作業は午後7時頃に終わりました。8月下旬にもなると午後7時頃になると暗くなります。少し草刈り作業をしようとしたのですが、暗くなってきたので帰宅しました。
ロープを張り終わり、支柱の上にペットボトルなどを載せ終わった田んぼ
田んぼで稲穂が出始めました。去年もだいたい同じ頃に出穂し始めました。穂が出始めると、すぐにこれからお米が実り始めます。硬いお米になるまでに、胚乳の時期があります。しかし、この時期になるとスズメなどの害鳥が大量にやってきます。害鳥を防ぐための網を早急に張らなければなりません。
出穂し始めた田んぼの稲(品種:ミルキークイーン)
ジャガイモやサツマイモなど、地下にでん粉が貯まる作物はそれほど害鳥や害虫を気にする必要がありません。しかし、麦や米は油断していると完璧なまでに実を食べられてしまいます。実を食べられた稲は穂がスカスカになり田んぼは壊滅的な被害を受けます。こうなると脱穀しても籾は取れません。このため、防鳥網を田んぼ全体に被覆することは収穫の絶対条件です。
籾の外に出て風に揺れる白い花粉
7月下旬にニンジンの種を蒔きましたが、発芽したのはわずかでした。山口県へ帰省するなどたため、発芽の様子を確認するために畑に行く時間がありませんでした。このため、猛暑と日照りで土が乾いて発芽不良になったと考えられます。
わずかの数ですが、発芽したニンジンの芽
日照りを想定して遮光ネットを張ったり、水分の蒸発を抑えるため寒冷紗を被覆したり、麦束をかけたりしましたが効果がなかったようです。時期を失しているかも知れませんが、発芽しなかった箇所にもう一度播種することにしました。前回播種時と同様に遮光ネットなどを被覆しました。
再度播種したニンジンの種子
7月下旬に畑の草取りをしましたが、今年は猛暑で雑草は伸び放題です。草刈りから一ヶ月しか経っていないのに、雑草がもうひざ下まで伸びています。さらに猛暑と乾燥で雑草は根をしっかり張っています。このため手ではもう雑草を抜けません。
草刈機で除草した畑入口、刈り取った草が散らばる
このまま放置すると人が入れなくなるほど草が繁茂すると思われたので、草刈機で除草をしました。猛暑の中での草取りはとても辛いものです。体を保護するために長ズボンや長袖をしているので余計に蒸し暑さを感じます。
草刈り前の坂道 草刈り完了後の坂道
猛暑でしかも地面が乾燥しているためか雑草がとても硬くなっています。枯れた茎や葉が草刈機に巻きつきます。すると、刃の回転が落ちて草刈りができなくなってしまいます。巻きついた枯葉を取り除くため、草刈機のエンジンを時々止めました。
草刈り作業をしている途中、空がにわかに暗くなって雷鳴が響くようになりました。そして、パラパラと小雨が降ってきたので、きりの良いところで草刈り作業を止めました。
草刈り前の畑入り口 草刈り完了後の畑入り口
午後6時過ぎやや空が薄暗くなりかけた時、田んぼに行くとコウモリがたくさん飛び交っています。最初は小鳥かと思っていましたか、鳥のように直線に飛ばないでまるど蝶のような飛び方です。しかも、全身が黒い色をしています。夕暮れ時はあまり鳥は飛ばないので、コウモリと分かりました。田んぼの上空を飛び回っては、蛾のような昆虫を取っているようです。田んぼにはコウモリが食べる虫がたくさんいるのではないかと思います。
午後6時過ぎ、薄暗くなった田んぼはそろそろ出穂の時期
6日に山口県へ帰省してから6日目の11日、再び東京に戻りました。徳山駅で新幹線のぞみに乗車しました。帰省時は広島で乗り換えましたが、今回は乗り換えなしでそのまま新横浜駅に着きました。
新幹線のぞみの到着 到着したのぞみに乗車
台風4号が来ていましたが、新幹線の車窓から見える景色はとても良かったです。山々や田んぼの緑と空の青さのコントラストが対照的でした。窓に広がる景色を時々堪能しました。
新幹線の車窓から見える景色を時々堪能
5時間ほどで新横浜駅に到着しました。新横浜駅から横浜線に乗り換えて我が家の向かいました。東京も相変わらず猛暑で背負ったかばんに汗がにじみました。今回は同窓会などとても充実した帰省6日でした。我が家に着くとクーラーを入れてしばし休憩をしました。
時々電光掲示板を見る 新横浜駅に到着
9日午前中は草刈りをしましたが、午後は周防大島に行ってきました。この島は古事記にも記述があり、しかも日本でも指折り数えられるほど面積が大きい島です。一つの島に四つの町があります。本州から橋で島に渡りました。昔は橋が無くて、大畠と小松に渡船場があり船で渡っていました。
本州から周防大島に架かる橋
周防大島に渡る橋ができたのは私が高校生の頃だったように思います。橋が完成した当初は有料でした。一度は歩いて渡ったこともありました。橋の下を見下ろすと、潮の渦が巻いているのがよく見えました。大昔、この海峡は船の事故が多発していた船の難所だったそうです。
橋を見下ろして、柳井,大畠,岩国方面を望んで
この周防大島を散策したのは3年ぶりのことです。その時は散策途中でバイクが故障してあわや家に帰れない事態に陥りました。今回、バイクが快調に動いてくれたおかげで周防大島の外周をすべて走破しました。
久賀町街を見下ろして 大島町を眼下に
今回は夏にも関わらず空気が綺麗で、遠くの島影まで見通すことができました。普通は冬の快晴の方が空気が綺麗なのですが、今回は日本を高気圧が覆う猛暑が続いているので空気が綺麗なのかも知れません。
瀬戸内海を見下ろして、島影がよく見通せる
橋を渡って大島町街のバイパスを抜けました。子供の頃、昭和30年代でしょうか、この大島町はとても賑やかな町でした。特に、錦鯉の養殖が盛んで私も父に連れられてこの黄金の錦鯉なるものを見ました。とても大きな部屋の中にたくさんの錦鯉が飼われていました。
周防大島から伊保庄をみて 橘町の海水浴場
大島町の賑やかさは、本州と周防大島を渡す橋ができてから衰退したように思います。橋ができる前は島民は船を使って一日がかりで柳井や岩国に買い物に行っていました。日用品は大島町で買っていました。しかし、橋ができた今では1時間程度で都会に買い物にでかけることでできます。
橘町にそびえる尖った高い山、パラグライダーが盛ん
橋ができてから、大島町の商圏が柳井や岩国に吸収されてしまったようです。本州側対岸の大畠も橋ができてから賑やかさがなくなったように思います。橋ができる前の昭和30年頃、人々を満載したフェリーが大畠と小松を往復する光景をいまだに思い出します。
沖ヶ室島に通じる立派な橋 沖ヶ室島で休憩中、東の海を見て
大島町の次に橘町に行きました。この町の向こうに沖ヶ室島があります。不思議に思うのは、こんな小さな島にどうしてたくさんの人々が暮らしているのかです。よくは分かりませんが、江戸時代より昔は瀬戸内海は陸よりも交通の要所でした。古代に編まれた万葉集にも瀬戸内海の要所がよく出てきます。このため昔は、この島は船交通の要所だったのかも知れません。橋で沖ヶ室島に渡り、しばし休憩しました。
シーボルト上陸の記念碑 近代的な、若者向けビーチ
沖ヶ室島で休憩した後、シーボルト上陸記念碑や近代的なビーチを見ながらバイクを走らせました。次に、周防大島の山伝いに走る舗装道路を通って東和町に入りました。そして、周防大島の最東端に到着しました。何の変哲も無い場所ですが、何台かの車がここでUターンしていました。
周防大島の最東端、目を凝らすと四国方面がよく見える
周防大島の最東端に到着した頃、小雨が降ってきました。雨具を持って来なかったため急いで帰宅することにしました。途中、戦艦陸奥を祭る陸奥記念館に立ち寄りました。この戦艦はこの周防大島沖の海で謎の爆沈をしたそうです。1000名近くの船員は、戦闘で亡くなったのではなく謎の爆沈(事故?)で亡くなったのです。この記念館は過去に何度も行ったことがあるので今回は入館しませんでした。休憩しただけで、小雨の中を急ぎながら家に向かいました。
陸奥のスクリューと砲塔 陸奥記念館