二週間ほど麦の種まき時期が遅れましたが、11月末になってようやく発芽しました。11月初旬は天候が不安定でなかなか種まきができませんでした。種まきした一日前にも雨が降りました。麦のためにはもう一日経ってから耕耘した方がさらさらの土になって良かったのですが、仕事の関係でこれ以上種まきを遅らせるわけにはいきませんでした。
発芽した黄緑色の小麦
発芽した麦畑を見渡してみると、種を蒔いた畝が薄く緑のすじになっています。来月、麦はずっと成長して緑の見事に映えると思います。なお、小麦に一日遅れて蒔いた大麦と裸麦も発芽していました。
発芽した小麦,大麦,裸麦の薄緑色のすじ
上の受け口から玄米を入れると、左側に白米,右側に糠が排出
古代米の色を残すには白度(搗く強さ)を弱くする必要があります。今回は白度を1にして弱く搗くことにしました。このようにして、古代米の色を残すようにしました。
精米機の目盛り:玄米の投入量と白度(搗き強さ)
精米機の受け口(玄米を投入) 搗いた後に排出される米
精米された古代米は薄い茶色をしています。いつも食べているコシヒカリなどのような白米とは違って、変わった色の米粒といえるでしょう。 この古代米を育ててみて気がついたことは、とても病気に強く、スズメなどの害鳥の被害がほとんどありませんでした。昔は、美味しさや色よりもたくさん収穫できるこの古代米のような品種が大切にされたのではないかと思います。
精白した古代米の米粒(薄い茶色)
古代米を精米した後、さっそく炊飯してみました。白米2に対して古代米1の割合でブレンドしてみました。まず驚いたのは古代米の色が染みたのか、ご飯全体が薄い赤色をしていることでした。昔の赤飯はこんな風だったのかと思いました。実際に食べてみると意外と美味しかったことでした。そして、全体的に少しもちもちしていました。白米はうるち性なので、この古代米はもち性ではないかと思います。
意外と美味しかった白米と古代米のブレンドごはん
先日小麦の種をまきましたが、例年よりも畝幅を小さく60cmにしました。このような狭い畝幅の除草をするには耕耘機に専用のロータリーを付ける必要があります。このロータリーは本田の耕耘機410専用のものです。しかし、本田の耕耘機が無いため、いつも使っているクボタの耕耘機に装着してみました。耕耘機は基本的にメーカーが異なっていても装着できると思ったためです。
小幅ロータリー装着を試みたクボタの耕耘機
クボタの耕耘機は10年以上もけん引部を交換したことがありません。まず、現在取り付けている部品をはずすのにとんでもなく苦労しました。けん引部の軸が硬く固着していてびくともしません。ハンマーでたたいたり、こじったりしながら小刻みに動かしました。苦労の末、ようやくはずしたけん引部に狭幅ロータリーを装着しました。
けん引部の固着した軸 狭幅ロータリーの取り付け
苦労の末、狭幅ロータリーをけん引部に取り付け、いざチェーン伝導部品を取り付けようとして愕然としました。チェーン伝導部がクボタの耕耘機に合わなかったのです。これでは、ロータリーを回すことができません。本田の耕耘機専用のチェーン伝導部品はクボタの耕耘機に合わないのです。ああ、がっかりです。苦労の末、取り付けた狭幅ロータリーはずしました。
本田とクボタでは互換性がないチェーン伝導部
がっかりした気持ちを入れ替えて、次に籾摺り作業をしました。残っていた古代米(赤米)の籾摺りです。今日の籾摺りですべての古代米が籾摺りを完了します。
前回に続いて籾摺りした古代米
籾摺りされた古代米の玄米は小麦色をしています。出穂した時に鮮明な赤色をしていた穂は熟すと黒紫色になります。その黒紫の籾に包まれた玄米は小麦色です。古代米はノギが長いためか、一度の籾摺りでは玄米に少しの籾が混じります。このため二度籾摺りをしました。
黒紫色の籾が取れて小麦色の玄米が排出
今や奥多摩の象徴でもある小河内ダム
奥多摩の小河内ダムに最初に行きました。しかしながら、連休のためかとても道が混んでいました。最初、サマーランド前で渋滞、次に青梅の吉野梅郷で渋滞、そして小河内ダム前で大渋滞です。ダムに着いたのは午後1時頃で予定よりだいぶ遅れてしまいました。
当初は丹波山村に行く予定でしたが、だいぶ時間が過ぎていたため今回は丹波山村は行きませんでした。この村の古老達には、いろいろな雑穀の種をいただいたり、その作り方を教わりました。しかし、今では雑穀を作っている人は誰もいません。昔雑穀が栽培されていた畑はソバ畑になっていました。
小菅村金風呂付近の小河内ダム湖畔
次に、丹波山村から経由する予定だった小菅村に行きました。12月はもうすぐのため村人も冬の準備をしていました。冬野菜の世話や漬物作りに忙しそうでした。家の軒下には、干した菜っ葉がぶら下がっていました。
誰もいなかった通称原始村 漬物用の菜っ葉の乾燥
小菅村を過ぎて山の道を延々と走っていると、ようやく山の中にある長作に着きました。とても小さな集落です。
長作付近の舗装された山道
長作では休憩も兼ねて長作観音堂を見学しました。昔はとても山深かったであろうこの集落に、8世紀頃建立のとても古い観音堂があります。長作を過ぎると、山梨県上野原の西原に着きました。この西原は、雑穀の村として有名でした。私もここのある家に何度も着ては泊まっていました。秋にはキビ、アワ、モロコシ、シコクビエなどの雑穀の収穫を手伝いました。夜には雑穀を食材にした夕食をいろいろ食べさせていただきました。雑国に関する資料もいただきました。しかし、その家の古老が亡くなってからは行くこともなくなりました。
長作観音堂 壊れた水車小屋(水車の軸が残存)
西原には以前現役の水車がありました。その小屋に行ってみました。しかし、水車の軸は残っていましたが水車本体は無くなっていました。小屋は雑草に囲まれており、ここ数年使われていないことは明らかです。この水車には大きな石臼が設置してありました。当時、このの住民は決められた順番に水車を使って製粉していました。以前、台風による大水で壊れたこの水車を、村人と一緒に修理したことを思い出しました。
雑穀がよく栽培されていた西原の広々として畑
西原を過ぎて八王子に帰りました。この頃になると、日が影って風も冷たくなってきました。この付近は山に囲まれている地域のため、午後3時過ぎるともう家々は山の陰がかかります。早いところでは午後13時には日が当たらなくなる家もあります。とても、自然条件が厳しい地域です。
西の方を仰ぎ見るも富士山は見えず
西原から八王子に戻るために和田峠を越えます。この峠までの急な道をひたすら登ります。この地域の家々はこれから冬支度でしょうか、山の沿った急な斜面畑には漬物に使う白菜が畑にたくさん育っていました。晩秋の風物詩でもある干し柿を横目で見ながら和田峠を越えました。
木の頂上付近に取り残された柿 夕日を浴びる紅葉
和田峠を越えると、広大な関東平野が一望できる箇所があります。遠くを見ると新宿の高層ビルがポツポツと見えます。すっかり日が傾いて、山の陰が山すそを覆わんばかりです。高尾山からの下山客も足早に歩いていました。
和田峠から、八王子,関東平野を見下ろす
運んでいる途中にガソリン臭がするので調べると、ガソリンタンクからポタリポタリとガソリンが漏れていました。ポリ製のタンクの底に小さな穴が空いているようです。ガムテープで止めてみましたが、漏れは止まりません。しかし、このまま運搬を中止するわけには行かないため運搬を続行しました。
足踏み脱穀機と唐箕を田んぼから搬出
足踏み脱穀機と唐箕を運び終わって田んぼに戻ると、田んぼや畑作業をいつも一緒にする仲間が来ていました。一番重い石油発動機をこれから運ぼうと思っていたため助かりました。昔の発動機は鉄の塊です。運搬機に乗せるのが一番の苦労です。一緒に発動機を運搬機に載せて農作業小屋まで運び出しました。発動機は二台ありますので2往復して田んぼから運び出しました。重心の関係で運搬機の先端に近い部分に縛り付けるようにして発動機を載せました。
運搬機の先の方に載せた石油発動機1台
石油発動機を田んぼから搬出すると田んぼの後始末は終わりです。一仕事終わるともう12時半過ぎです。仲間とその奥さんといっしょに、日向ぼっこしながらお昼ご飯にしました。パンと鍋で作った野菜入りラーメンを食べました。
日向ぼっこしながらのんびりと昼食
運搬機に乗せた縄ない機
重い脱穀機と縄ない機を運び終わると、今年最後の稲刈りをしました。湿田に残っていた古代米である赤米の稲刈りです。残りわずかの稲株を刈り取りました。長靴を履いて泥の中に入りました。一部の稲は倒れていたため穂が泥だらけになっていました。今日稲刈りした古代米は食べないで来年の種にします。
今年最後に稲刈りした稲の株
深夜勤務明けの午後、眠りから覚めると古代米(赤米)の籾摺りをしました。この古代米はとてもノギ(籾から伸びるヒゲの部分)長いため、うまく籾摺りができるか心配でした。ノギが絡みあって籾摺り機の中で詰まらないか少し不安でした。しかし、思いのほか順調に籾摺りできました。
籾摺りした古代米(赤米)、とてもノギが長い品種
日頃使っている籾摺り機を出して、籾を入れた袋と玄米が入る袋をセットしとしました。次に、籾から分離された籾殻を噴出すフードを取り付けました。このフードを使うと、好きな方向に籾殻を噴き出せます。
右に古代米の籾を入れた袋、左に古代米の玄米が入る袋をセット
吸い込まれる二度通しの古代米 万石を流して屑米を選別
古代米の籾はたくさんの量がありました。このため、早く終えるため一度にたくさん籾摺りしました。籾摺り機がうなるように籾を摺り、玄米も籾殻も同時にたくさん噴出しました。ただし、一度目の籾摺りでは籾殻が分離されない籾が少しありました。このため、籾摺りをもう行う、二度通しをしました。
たくさん籾摺りされて出てきた古代米の玄米(ストロボで止まって見える)
籾摺りされて出てきた古代米(赤米)の玄米は赤い色をしているのかと思っていたら、小麦のような色をしていました。大きさも小麦とほぼ同じ色です。小麦と違うのは、小麦は縦方向にすじ状の割れ目がありますがそれがありません。
小麦と同じような色をしている赤米の玄米
籾からは玄米と籾殻が分離されて出てきます。籾殻は吹き飛ばされて地面に落ちます。昔はその籾殻を燃やして炭にしたり灰にするなどして有効利用していました。今回は燃やすほどの量はないため、そのまま地面に捨てることにしました。
古代米(赤米)の籾殻から分離された籾殻
今日は「ごはんCUP2007」決勝大会です。私が米作りを指導した高校生が出場します。一昨年は仕事のため応援に行けませんでしたが、今年は運良く仕事が休みでした。朝8時頃に家を出て、10時頃に決勝大会会場がある国際展示場前駅に着きました。駅を降りると、雲ひとつない快晴でした。
会場のパナソニックセンター 決勝大会会場入り口
三年ほど前に行ったごはんCUP2004は女子短大で決勝大会が開催されましたが、今回は料理を専門に撮影できる録画スタジオとのことでした。天井からは無数のスポットライトが輝き、たくさんの撮影スタッフが忙しそうに歩きまわっていました。1時間ほどの放送に、これだけの設備とスタッフが必要なのかと感心しました。
料理中の高校生が投影される作りの決勝大会会場内部
最初はメッセージ部門の発表です。参加した高校生の特徴ある食材作りの様子や料理の様子がビデオで紹介されます。そして、高校生達の寸劇などのプレゼンテーションの発表です。なかなかうまく声が出なかった高校もあり、見ている方もハラハラドキドキの連続です。
メッセージ部門が終わると、いよいよ高校生達による料理の開始です。90分間で料理を作らなければなりません。料理を作っている間、審査員からいろいろな質問を受けます。その返答をしながらも料理を続行しなければなりません。
審査員からいろいろな質問をされる料理中の高校生達
私が米作りを指導した、「シャモくんとおコメットさん」グループは、東京の瑞穂農芸高校と愛媛県の観音寺高校のユニットです。メッセージ部門の時、私が彼女達を指導した田んぼや私が少し写っていました。この二つの高校は東京都と愛媛県で、とても離れています。一緒に練習する機会が少なく大変だったようです。いろいろ裏話を聞かしてもらいましたが、決勝当日までには料理内容もまとまったようです。いろいろミスしたことあったでしょうが、彼女達には一生の思い出になったことでしょう。
「シャモ君とおコメットさん」グループの高校生達
各チームとも気合が入っていました。今年は、地区特産の農産物を使った料理が多かったように思います。地元特産の大豆を使った豆腐作り,赤い大豆を使った料理。そして、地区特産の野菜,シャモ,または豚です。
東京シャモを使った料理 採点結果を神妙に待つ
どのユニットも僅差とのことでしたが、最優秀賞は豆腐料理を使ったユニットに決まりました。プレゼンテーションも良く、料理もうまくでき、しかも制限時間内に終わりました。一生懸命練習しチームワークも良かったからでしょう。密な料理練習やチームワーク作りには、近県の高校とユニットを組むことが有利のようです。来年のごはんCUPはどんなドラマがあるでしょうか。
最優秀賞授与の「ソイビーンズQlove2」のユニット
今日は、昨日脱穀した籾の一袋分を精米しました。精米するために最初、籾から玄米を取り出します。籾摺り機を使うと、籾から籾殻を取り除かれて玄米ができます。取り除かれた籾殻は、籾摺り機の外に吹き飛ばされます。
籾摺り機、右は籾を入れた袋、左は玄米が入る袋
籾摺りして出来上がった玄米を精米して白米ができます。精米機を使うと、やっと口にすることができる白米が出来上がります。この時、精米機の目盛りで白米度を調整できます。数値が大きいほど、白米度が増して白い白米ができます。また、白米度を増すと米糠もたくさん取れます。
精米機から出る白米、これでやっと食べられるお米の出来上がり
精米が終わると、この夏にいただいた耕耘機のタイヤ交換しました。大型のディーゼルエンジンを搭載した大型耕耘機はとても重いため、小型の管理機のようにひょいと持ち上げることはできません。耕耘機に付属していた棒を片側の車軸に挿して耕耘機を傾かせて交換しなければなりません。しかしながら、この種の耕耘機は経験がない上に、耕耘機のタイヤが滑ったりしてなかなか傾きません。タイヤが滑りにくい場所をいろいろ変えながらトライしました。やっとの思いで、耕耘機を傾かせることができました。
片側の車軸を高く傾斜させた耕耘機、左のタイヤは交換用
まず、傾斜した耕耘機からタイヤをはずしました。管理機のタイヤは何度も交換したことがありますが、この種の大型耕耘機は経験がありません。タイヤの大きさは自動車のタイヤとあまり変わらず重さもけっこうあります。耕耘機のタイヤの中心は六角のためその角を合わせなければなりません。しかも、あまり揺らすと耕耘機が倒れますので慎重にはずしました。
慎重にタイヤをはずした耕耘機、車軸が露出
交換用タイヤを六角の車軸に合わせてはめました。はめた後、耕耘機の車軸からタイヤが外れないようにピンを刺します。そして、そのピンが外れないようにピン留めを取り付けました。次に車軸がぐらぐらしないように、軸を固定するボルトを締めます。
交換用タイヤをはめた車軸、ピンを下から差し込む
タイヤは、1年に1度位の割合で交換します。そのことによって、耕耘機のタイヤの片磨耗を防ぐと共に長持ちさせます。なお、タイヤの空気が減っていましたが、空気入れを持ってこなかったため後日空気を充填します。
タイヤ交換した耕耘機、錆びてはいますが今後も十分使用可
晩秋の日差しを浴びて稲の脱穀開始
10月終わりから11月まで、仕事の関係や天気の関係でなかなか稲を脱穀できる良い日がありませんでした。雨に何度も降られていた稲はだいぶ傷んでいましたが、籾はあまり痛んでいませんでした。
石油発動機の回転をベルトを通じて動かす古い脱穀機
私を含めて3人が脱穀しましたが、直接脱穀する人は一人で十分です。一人は、干した稲を脱穀機まで運ぶ係り、運ばれた稲を脱穀する係り、脱穀終了した稲を集める係りに分かれて脱穀作業をしました。私は脱穀が終わった稲束を集めました。ただ集めるだけはなく、集めた稲束が雨がしみこまないようにわらぼっちを作りました。4,5年ぶりに作ったので上手にはできませんでした。私は山口県の作り方で作りました。東京ではあまり見られない作り方です。
あまり上手に作ることができなかったワラ山
脱穀が終わるとサツマイモを堀りました。2株のサツマイモを掘りましたが、今日集まった4人で分けるに十分な量を収穫することができました。土の間から出てくる赤い色の芋はとても美味しそうに見えます。皆童心に戻って楽しくサツマイモを掘りました。
童心に戻って楽しくサツマイモ掘り
昨日からの晴天で、最初は稲の脱穀をしようと思いました。しかし、稲がまだ半乾燥状態だったため脱穀はできません。代わりに遅れていた小麦の種まきをすることにしました。しかしながら、今日は雨が上がってから二日目のためまだ畑の土が湿っています。このような時に耕耘すると、土が泥土化してしまう恐れがあります。私は三日続きの晴天の三日目に耕耘をすることにしていますが、その三日目が仕事のため種を蒔けません。仕方なく雨上がりから2.5日目である今日の午後から耕耘して小麦の種を蒔くことにしました。
午前中、バイクの調子も見るためにも久しぶりに上野原に行ってみることにしました。最初五日市を通って甲武トンネルを通って上野原に行きました。そして高速道路をバイクで走って家に戻りました。150ccバイクでは高速道路はちょっと厳しいです。250ccのバイクの時は追い越し車線も走れましたが、150ccの排気量では追い越し車線は怖くて走れません。
甲武トンネルを抜け、野原の旧ゆずり原村に
旧ゆずり原村は、かつて長寿村として知られていました。以前、道路事情が良くなくて、二台の車がすれ違いできないような狭い道路ばかりでした。台風がくると大水で道路が寸断されることもありました。車を持たないお年寄りは出かけるには徒歩しかありません。斜面を降りたり上ったりする生活が健康に良かったのでしょう。今日は暖かい日差しのためか、のんびりと白菜などの冬野菜を世話をしているお年寄りを多く見かけました。
今では放置されている斜面の畑がちらほらと
上野原から帰るとちょうど正午でした。この晴天では畑の土も乾いていることでしょう。早速耕耘機で浅く畑を耕耘してみました。すると、まだ湿った土でしたが小麦の種を蒔くにはさしさわりがないことがわかりました。次に、耕耘機の除草ロータリー幅に合わせて種を蒔く畝幅を決めます。畝幅に沿って小麦の種を直線に蒔けるように巻尺で小麦の畝を決めました。
種をまく畝幅に石灰でライン 種を蒔く直線ライン
小麦の種を直線に蒔けるように巻尺を畝幅に沿って引きました。そして、その巻尺に沿って耕耘機で種を蒔く窪みを作りました。以前は耕耘機に鋤を取り付けて窪みを作りました。鋤を使った方が早く窪みを引けるのですが、今回はロータリーの抵抗棒で窪みを作りました。
巻尺に沿って種を蒔く窪みを耕耘機で作る
種を蒔く窪みができると、いよいよ小麦の種まきの開始です。最初厚く種まきすると、後で蒔く種が足りなくなってしまいます。全体の種の量を考えながら、均等になるように種を蒔きました。
畑に麦の種を、すじ蒔きで蒔く
種まきにはドリル蒔き、散蒔き、カブ蒔きなどいろいろな蒔き方がありますが、この畑では昔からのすじ蒔きをしています。ちなみに、現代の機械化された麦つくりではドリル蒔き、除草剤を使うのであれば散蒔き、寒くて霜柱の害が多いところではカブ蒔きをします。今日は小麦だけ種まきしましたが、種取り用の大麦と裸麦の種は後で種を蒔きます。その畝だけは空けておきました。
小麦の種を畝に沿った窪みに均等に蒔く
種を蒔き終わると種の上に土をかけます。クワを使って厚さ2cm程度に土をかぶせます。二週間後には発芽すると思います。今年は休日が雨ばかりだったので種まきが二週間程度遅れてしまいました。寒さで成長が遅れないか少し心配です。
クワで麦の種の上に土をのせる
小麦の種まきを予定していましたが、あいにくの雨で小麦の種を蒔くことができません。じっと家にこもっているのはとても耐えらないため、雨具を着こんで畑に行ってスナップエンドウ豆と絹さやエンドウ豆の種を蒔きました。
エンドウ豆だけではつまらないので、スイトピーの種をエンドウ豆のそぱに一箇所蒔きました。春になって、スイトピーの奇麗な花を観賞しながらエンドウ豆を収穫するのもなかなかいいかと思います。
雨で湿った土に蒔いたエンドウ豆の種粒
エンドウ豆の種まきを終わると、この夏いただいた古い耕耘機の調整をしました。調整といっても足りない冷却水を補水したり、エンジンオイルの様子を観察するだけです。補水が終わって、次にエンジンオイルを見ましたが、オイル量は規定値に達していました。しかし、長い間オイル交換していなかったためかオイルは黒く汚れていました。近日中にオイル交換しようと思います。
冷却水が入るラジエター内に冷却専用液を補水
次に、エンジンオイルがエンジン内をちゃんと潤滑しているかどうか調べました。古いディーゼルエンジンは、オイルが潤滑するとオイル窓の中で赤白の浮きのようなものがくるくると回ります。しかし、この耕耘機のエンジンにはオイル窓はありますが中にくるくる回る浮きのようなものがありません。オイルが潤滑していないのか少し不安になりましたが、とにかくエンジンを動かして確かめることにしました。すると、オイル窓内で浮きがくるくる回るのではなく、ピン出てくることが分かりました。
エンジン停止中のオイル窓 エンジン始動後ピンが下から出る
11月初旬の雨の日、夏に比べてエンジンはだいぶ冷たいはずですが、一発でエンジンを始動することができました。厳冬期にならないとまだ分かりませんが、見かけによらずなかなか調子の良いエンジンのようです。
エンジン回転中の耕耘機のディーゼルエンジン
高校に来た理由を説明して、バイクを構内に留める
この日は高校の文化祭でした。とても賑やかで人がたくさんいました。野菜を買い求める人、牛や馬を見る人、展示物を見る人などでごったがえしていました。最初畜産科の先生と生徒に会って、持ったきたキヌヒカリと古代米の稲穂、精米した白米、精米中に出たヌカ、そして少しばかり精米した古代米を渡しました。
野菜売り場 鶏の卵,小動物売り場
稲穂とお米を渡すと畜産科を見学しました。最初は牛舎を見学しました。文化祭とということもあって、来場者には牛に草を固めた餌を手渡しで与える体験をしてもらっていました。ここで飼われている牛は、清潔な場所でのんびりと育っているためか、とても穏やで幸せに生活しているように見えました。
のんびりと生活しているためか、穏やかで幸せそうな牛達
犬の散歩コーナー 子豚のコーナー
地飼いの鶏のコーナー 羊のコーナー
今日は天気が良かったたためか子供達も多くきていました。中でもポニーの乗馬体験コーナーには子供達の行列ができていました。高校生達のガイドで馬の背中に乗ると、引き綱に引かれて静かに子供を乗せたポニーが歩き出します。
子供を乗せたポニーとガイドする高校生達
畜産科を見ると今度は本館の方を見学しました。服飾や調理の学科の展示会などがありました。食品のなぞ当てに挑戦してみましたが、15問中9問しか答えられませんでした。質問の一つ、バイ菌のバイの漢字は何でしょうか?ふだん考えたこともありませんでした。
服飾の展示物 食品の展示物
午後13時からファッションショーがあるというので体育館にいって見学しました。このショーは、服飾の成果発表の位置づけでしょうか。以前、日野市にある日野高校のファッションショーを見たことがあります。日野高校のファッションショーでは、モデルは見学者に触れるくらい近づいてきたように思います。それぞれの高校の特徴があるようですね。
最初は和服でスタート 最後はウェディングドレス
再び畜産科に戻って稲刈りに来た高校生達に会いました。いい笑顔で文化祭を楽しんでいるようでした。ごはんCUPの様子を聞きましたが、ペアの高校が四国で遠いのでなかなか意思疎通が難しいようです。
ごはんCUP決勝大会に出る二人、文化祭をエンジョイ
今日は別所小学校五年生の稲刈りの日です。曇り空でしたが、雨も降らずまあまあの天気でした。子供達の人数が約90名と多いため、稲刈りの指導は保護者の方にお願いすることにしました。このため、最初に保護者の方に稲刈りの方法を教えました。
一組の稲刈りスタート、自分達が田植えした稲を刈り取り
保護者の方が稲刈りを覚えてから稲刈りがスタートするまでに、時間的に少し余裕があったため、田んぼに持ち込んだ縄ない機の使い方も覚えてもらいました。稲刈りが終わったあと、子供達に縄ないの様子を保護者の方が実演してみせるためです。
二組の稲刈りスタート、稲刈りが終わると他の組の手伝い
予定では、稲刈りが終わると脱穀も子供達に体験してもらうことになっていました。しかし、昨日の雨で干していた稲が濡れてしまったためできなくなりました。毎年行っている体験が今年はできないため少しがっかりですが仕方ありません。
三組の稲刈りスタート、大学生が田植えした稲も稲刈り
去年までは稲刈りと脱穀の両方を体験したので、毎年時間が足りなくて稲刈りはあまり多くできませんでした。このため、刈り残しの稲が残ってしまいました。しかし、今年は脱穀できなくなったため、時間的余裕ができたため全ての稲を刈り取ることにしました。このため、子供達は刈り取りに専念して保護者が結束することにしました。
みんなで仲良く稲刈り 残り少なくなった稲
去年までは用意したカマでしか稲刈りできませんでした。このため、刈り取りを待たされる子供達がでましたが、今年は子供達にカマを持参してもらいました。カマがない子はハサミを持参です。
初めての稲刈りにご満悦かな、笑顔の五年生達
稲刈りは子供達の人数が多いため、思いのほか早く終わってしまいました。しかし、刈った稲を結束する役目の保護者は10人しかいないため、結束待ちの稲がだいぶ溜まっていました。このため、稲刈りが終わって手持ちぶたさの子供達は保護者の結束を手伝いました。
お母さんから稲の結束方法を教わる子供達
稲の結束方法を覚えた子供は、子供達の間でその方法を教えあいました。でも、子供達の中には、タニシやザリガニを探す子供もいたようです。この時期のザリガニは大きく成長して真っ赤に染まっています。子供達が近づくと両手を振りかざして威嚇します。
子供達の間で、稲の束ね方を互いに確認しながら教え合う
実は稲刈りした田んぼにはレンゲの種を蒔いていました。子供達や保護者、先生が稲刈りしながら歩き回っている間にレンゲの種は田んぼの土に埋まります。一週間後位には芽が出ることでしょう。
お母さんから束ね方を教授 なかなか難しいようですね
束ねた稲は脱穀する前に乾燥させなければなりません。このため、あらかじめ田んぼの隅に用意していた竹竿に干していきます。天日干しです。束ねた稲をX字型にして竹竿に次々に掛けていきます。
稲束を次々と竹竿に干していく男の子達
竹竿に掛ける時、稲束と稲束の隙間が無くなるように詰めて掛けます。二段になっている竹竿の一段目から干していきます。
一段目に稲束を掛け終わり、二段目に稲束を掛ける
稲刈りは順調に進みましたが、一箇所だけ水はけの悪い田んぼがありました。先日からの雨で水が溜まっていました。子供達の有志が数人そのぬかるんだ田んぼに入って稲刈りです。
水が溜まってぬかるむ田んぼでの稲の刈り取り
水が溜まった田んぼは、田植えの時のようにぬかるんでいます。靴で入った子供の一人は靴が抜けなくて立ち往生です。それを見て、靴を脱いで田んぼに入る子供もいました。
女の子も負けじと、水でぬかるむ田んぼに入って稲刈り開始
稲刈りが終わると、刈った稲を束ねていきます。子供達の数が約90人と多いのであっという間に結束も終わりました。でも、稲刈りが上手でない子供達が刈った稲穂が田んぼのあちらこちらに散乱していました。これらの落穂を拾います。
みんなで落穂拾いをして、散らかった稲穂を集めます
落穂広いをして集めた稲穂も結束します。多少踏まれて土で汚れた稲穂ですが、これも大切な収穫物です。これらも脱穀して精米すれば、奇麗な白米になって食べることができます。
ばらばらになった稲穂を同じ向きに並べ揃えて結束
稲刈りが終わると、保護者による縄ないの実演です。手で撚るようにして縄をなうのではなく、昭和30年代の縄ない機を動かしながらの縄ないです。保護者も初めての経験で戸惑いながらの縄ないです。子供達に見守られながら縄をなっていきました。
子供達に見守られながらの縄ない機の実演スタート、緊張の一瞬
子供達は、縄ない機のような人間自身が動かす機械はあまり見たことが無いのでしょう、最初は不思議そうに見ていました。この機械は博物館によく展示してありますが、実物を見て触れてしかも実働するところを見ることはきわめてまれです。保護者にとっても子供達にとっても貴重な体験になったのではないでしょうか。
取り巻いている子供達は、初めて見る機械に興味深深
二つの受け口から入った稲ワラは、よじられながら一箇所で合わさって縄になります。実演していただいたお母さんも、足や手を動かしながら感心していました。
三人のお母さんが息を合わせて 先生も縄ない体験
稲刈りと縄ない体験が終わるともう学校に帰らなければならない時間です。最後に残った先生と私などは、子供達が竹竿に並べて干した稲穂に網をかけました。網をかけないと、害鳥のスズメにせっかく刈り取った稲を食べられてしまいます。
子供達が干した稲穂に防鳥網をかける先生
五年一組の生徒達、きれいに稲刈りできました
五年二組の生徒達の勢ぞろい、稲刈り上手にできました
五年三組の生徒達、みんな楽しく稲刈りできました
そして、レンゲが枯れる6月頃には根には貯めた窒素が残るのでしょうか、稲の肥料源になるようです。このため、昔から田んぼにはレンゲの種が蒔かれました。その花はミツバチの蜜源にもなります。10月始めには種を蒔くのですが、今年は種まきが遅れてしまいました。
ソラマメにような形をしたとても小さなレンゲの種
9月頃に種を買っておけばよかったのですが、買い忘れたため今年は少量の種しか買うことができませんでした。このため、畑の土に種を混ぜて、土と一緒に田んぼに蒔くことにしました。レンゲの種を効率的に少しでも田んぼに均等に蒔くための工夫です。
壷に入れた畑の土に、レンゲの種を入れて混ぜる
畑の土と混ざったレンゲの種を、稲の上から均等に降りかけるようにして蒔きます。地面に落ちた種は、稲刈りする時に人に踏まれて適度に田んぼの土にめり込みます。一週間後には小さな芽が出てきます。一粒の種から出た芽は5月頃には、20cm四方に葉を広げ、奇麗なピンク色の花を咲かせます。
刈り取り前の稲の上に、レンゲの種を均一にふりかける