東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町少年少女発明クラブ 今年度片付けと来年度に向けて整理整頓

2020年03月31日 | 子供の育成関連

 土曜日、ある小学校の工作室に発明クラブの指導員達が集まりました。この一年の活動で出た工作ゴミの掃除のためです。また、来年度の活動のための整理・整頓のためです。ゴミは基本的に燃えるゴミ,燃えないゴミ,電池などに分けました。一番大変だったのは、金槌やペンチなどを使って燃えるものや燃えないものなどに分けることでした。例えば、木工作品などは金槌や釘抜きを使って釘を抜いたりしました。掃除とは言え、手間がかかる作業ばかりでした。指導員の方々、ご苦労様でした。

    ゴミと化した木工作品などを、こまめに分解して分ける


 ある程度、ゴミの片付けが終わると工具の整理をしました。あちこちバラバラに置いてある工具を所定の工具箱に戻しました。子供にもよるのでしょうが、整理・整頓ができていない子供が少なくありません。私が子供の頃はほとんどの家が農家でした。そのため、子供の頃から工具の使い方や整備方法に慣れていました。しかし、今はサラリーマン家庭が多く、自宅に工具が無い子供が多いようです。そのため、工具の扱い方を知らないのも無理はありません。来年度の発明クラブでは、発明クラブは遊び場ではない事、工具の使い方や仕舞い方,挨拶などを最初に教えようかと思っています。

   掃除中の工作準備室        綺麗になった工作準備室
 

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マスクが残り少なく、立体布マスクを作り始める

2020年03月30日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 閉館中の郷土館、管理のため時々出勤しています。努めてマスクをしていますが、残りわずかになってきました。そのため、やむなく布マスクを作ることにしました。昨日の田布施コットンクラブで、Kさんに立体布マスクの型紙をいただき、さらに作り方のポイントを教わりました。立体のため布が平面ではありません。そのため、ミシンの手を微妙に操作しながら縫いました。なんとか縫いあげましたが、洗って使うためにもう2個ほど縫おうと思います。

       古い手回し式ミシンで立体布マスクを制作


 布は放課後学習成器塾の座布団作りで余った布(アヒル模様)を使いました。布の上にチャコペーパー、その上に型紙を敷きました。そして、型紙に沿ってルレットを押し当てながら回して型紙を布に転写しました。ところが、この方法では効率が悪いことに気が付きました。型紙の形に切り抜いた厚紙を使う方法に切り替えました。チャコペンで型紙の外周に沿って描くだけで転写できますので。
 
 型紙と使った余り布    型紙とルレット     厚紙の型紙を作る
  

 型紙のとおりに布を切り取ると、縫う工程に入りました。使ったミシンは、最初1本糸縫いミシンを使いました。しかし、布の厚さが変わると何故だか糸が絡まりました。そのため、修理した古いボビン式ミシンに代えて縫いました。縫う速さが手回しの速さで調整できるので楽々です。まずはマスクの中央合わせ部を縫いました。ちなみに、ガーゼが品薄とのことで、たまたま家にたくさんあった田布施農業高校の手ぬぐいを内側の布として使いました。

   田布施農業高校の手ぬぐい     マスク中央部を縫い合わせ
 

 マスク中央合わせ部を縫い合わせると、縫い目に沿ってアイロンで開きました。続いて、外側の布と内側の布を合わせて縫いました。Kさんに教わったように、内側の布が外から見えないように、1mm程度低くしました。立体なのでミシンを回している間、微妙に手で押さえながら調整しました。ところが途中で、外側の布のアヒル模様が上下が逆であることに気が付きました。ここで廃棄するのはもったいないので、最後まで作り上げました。裁縫下手な私ですが、なんとか出来上がりました。

 内と外を1mmずらす    ミシンで立体縫い   やっと出来上がり
  

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田布施コットンクラブ 布マスク,糸の玉巻き,織り,綿繰り作業

2020年03月29日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 久しぶりのコットンクラブでした。コロナウィルスが流行っています。そのため、体調が思わしくない方など自主的にお休みしています。私はマスクをして参加しました。ところで、郷土館は閉館中ですが時々出勤しています。努めてマスクをしているため、手持ちのマスクが無くなりつつあります。そのため、コットンクラブのKさんにサンプルの布マスクとその型紙をいただきました。東京ではコロナウィルス感染拡大の恐れが出てきました。今後のことを考えて自分用の布マスクを作ろうと思います。とんだ世の中になりました。人類が試されているのでしょうか。

       時々窓を開け、談笑しながら糸の玉巻き作業


 布マスクの型紙とサンプルを頂いた後、私は5月初旬に種まきする綿の種を取りました。いわゆる綿繰り作業です。綿繰り機を手で回しながら種を取り出しました。今年は、白綿(バルバゼンセ),茶綿,緑綿の三種類の綿を栽培しようと思います。他の方は、布を織ったり糸の玉巻き作業をしたりしました。時節柄、時々窓を開けながら作業しました。

  布マスクと型紙     織機を使って織り     綿繰り作業
  

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光市冠梅園~大峰峠史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2020年03月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 私の主観ですが、萩の平展望台はコバルトラインで一番の展望を誇ると言っていいでしょう。二番目がコバルト台地だと思います。萩の平展望台からは、室積半島(象鼻ヶ崎とも)が良く見えました。また、視線を遠くに定めると、九州の国東半島や姫島がよく見えました。ここから九州が近いことが実感できます。古代において田布施町などが九州文化圏であったことがよく分かります。萩の平からは千坊山に向かって荒れた山道に入りました。

     萩の平から、荒れた山道を登って千坊山頂上へ


 この荒れた道を歩くのは初めてです。これまでは、駐車場がある側から緩い坂を登って行ったことがあります。荒れた道は、最初は緩い道ですが、だんだん傾斜がきつくなります。最も傾斜がきつい道は、手で掴むロープが張ってありました。荒れたに道を通ることを想定していなかったため、普通につかうズックを履いて来ていました。そのため、落葉でなんどかずるずる滑りそうになりました。しばらく登っていると、さすがに汗が出てきました。そのため、小休止しながら登りました。

  室積半島(象鼻ヶ先)    タケダや新日鉄     急斜面を登山
  

 やっとの思いで千坊山頂上に着きました。私が高校生の頃に来た時には展望がきいたのですが、木が茂っていてよく見えませんでした。少しがっかりしました。ところで、今回は下見ウォーキングですので全員が荒れた道を通って千坊山に登りました。本番ウォーキングでは小さな子供が参加するかも知れません。そのため、この荒れた道を歩く冒険コースと、舗装した道を歩く楽々コースの二つのコースに分けようと思います。

   ロープを掴んで急坂を登る      やっと千坊山頂上に到着
 

 千坊山からの下りは、軽トラックが通れるような幅広くしかも緩い道を下りました。しばらく下ると舗装道路と合流しました。合流地点は、数台の車を停めることができる駐車場です。駐車場から先は、登りでもなく下りでもない舗装道路が続きます。みなさんと談笑しながら楽しくウォーキングしました。

  千坊山からの下り道    楽しい昼食休憩    大峰峠に向かう
  

 しばらく歩くと、野鳥の森に到着しました。ここは面白いことに道路が8の字に分かれています。そのため、いったん別の道を通っても合流します。さて、野鳥の森の道端でお昼休憩を取りました。ところで、下見ウォーキングから帰って気が付いたのですが、この野鳥の森の隅っこに東屋があったのです。本番ウォーキングでは、展望が良い東屋で昼食休憩を取ろうと思います。楽しい昼食休憩が終わると、大峰峠に向かいました。

     冠天満宮からのコバルトライン巡りウォーキングコース

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友達宅の橙(ダイダイ)や金柑(キンカン)を収穫

2020年03月27日 | 樹木,果樹

 私を含む友達5人が、大波野の友達宅に伺いました。そして、果樹の橙と金柑を収穫させていただきました。私はバイクで行ったので脚立などを持って来れませんでした。そのため、もっぱら低い位置にある実をもいだり、落とした実を集めることに専念しました。橙は何年も剪定していなかったためか、かなり高い位置まで枝が張っていました。また、摘果していないため傷んだ実も散見されました。でも、大量に収穫した中から良い実だけ選んで分け合いました。もちろん収穫に来れなかった仲間の分も選びました。

        橙(ダイダイ)や金柑(キンカン)を収穫中


 橙をもぎ終わると金柑を収穫しました。もぶれついているため、両手でかき寄せるようにもぎ取りました。ところで、私は金柑が嫌いです。幼児の頃、祖母から「体に良いから」と無理やり食べさせられた経験があるからです。幼児だった私は、その苦さに逃げ出したいくらいでした。何十年ぶりにその皮を剥いで食べてみました。私の記憶にある苦さはありませんでした。単に苦くなかったのかも知れませんし、年と共に味覚が衰えたからでしょうか。収穫した橙、持って帰り美味しく食べています。ありがとうございました。

  高枝鋏で橙収穫    落とした橙を拾う    収穫した橙と金柑
  

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整経と経糸張りが終わり、やっと布を織り始める

2020年03月26日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 織物を整経から始めています。最初、整経台を使って208本の経糸を1本1本を作りしました。続いて、作った経糸を1本1本ずつ織機の綜絖や筬に通しました。いやはや、その細かな作業に疲れました。特に目が。目が良い若者ならば難なくこなすことが出来ますが、目の悪い私には苦行の連続でした。そんなこんなで、ようやく経糸を張り終わり布を織り始めました。今回は、整経,経糸張り,そして織りの勉強が主です。試作のつもりで布を織りますので、いろいろな模様や色合いを確認したり試行してみようと思っています。

    やっと織り始める、まずはいろいろな色でチェック模様

 経糸を張り終わって、布を織る前の調整時に最初のトラブル発生です。経糸の1本が、隣の1本と交差していたことが分かりました。その1本だけ筬から外して、正常な位置に通しました。そして、再度筬に通しました。経糸を通している時にチェックしたはずなのですが、見逃してしまったようです。

   交差した経糸      正常な位置を通す    再度筬を通す
  

 続いて、経糸の巻き戻しをしました。これは、筬側に巻いていた経糸を綜絖側に巻き戻す作業です。これは私のミスかも知れませんが、経糸を織機に巻き込む時の順番と巻き込む経糸の幅を間違えていたようです。出来上がりの布幅で最初に巻き込んでおけば良かったと反省です。この時、経糸の交差部を止めていた糸の輪を切って開放しました。これでようやく布を織る調整が終わりました。

  経糸の交差部を解放    布幅に経糸を合致    経糸の巻き直し
  

 これで布を織り始めましたが、筬を手前に引いた時に違和感がありました。経糸に弾力があるのです。経糸を固定している布に弾力があるのかも知れません。この織機固有のものかも知れません。解決方法としては経糸を巻いている筒を強く巻きます。そんなこんなで、やっと布を織り始めました。最初に、いろんな色の横糸を通してチェック模様を試してみようと思います。布が織りあがるにはまだまだ時間がかかります。気長に作業しようと思います。

   経糸を強く張って布織り開始     杼が短いので横糸通しが難
 

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放課後学習用に3種類のジャガイモを植え付け

2020年03月25日 | 野菜:芋類

 先日、我家用の種ジャガイモ(キタアカリ)を植え付けしました。今回は放課後学習の成器塾に使う予定の3種類の種ジャガイモを植え付けました。その品種は、男爵,メークイン,そしてアンデスです。代表的な男爵とメークインを使って、芋の形,芽の深さ,煮崩れ易さ,食味などを勉強します。また、調理時にピラーの使い方も教えようと思います(できれば包丁も)。また、ジャガイモの毒素であるソラニンについても知ってもらおうと思っています。

     巻き尺を使って。40cm間隔で種ジャガイモを植える


 種ジャガイモを植えた場所は、去年サツマイモを植え付けた場所です。去年、イノシシにサツマイモを荒らされて全滅しました。そのため、今年はサツマイモは止めました。代わりに同じ場所でジャガイモを栽培することにしました。しかし、ジャガイモも荒らされないか心配です。最近は、イノシシ,タヌキ,猿などの害獣が里山に頻繁に出現します。本当に困ったことです。

 植える前に丁寧に耕耘   畝に巻き尺を張る    芋を植えた後に覆土
  

 種ジャガイモを植え付けた後、小麦畑の耕耘をしておきました。小麦を収穫した後に藍,紅花,小豆,枝豆,サトウキビなどを育てようと思っています。その準備として、今から畑を柔らかくしておきます。ところで、麦の穂がすでに出ているとの情報を得ました。私の麦畑では穂はまだ出ていないので確認してみました。確認方法はいたって簡単です。茎先のふくらんだ箇所を取り出して茎の皮を剥ぐのです。すると幼穂が潜んでいました。この幼穂の育ち具合だとおそらく、4月になって次々に穂が出てくると思います。今年も去年と同じように小麦を収穫できそうです。

  小麦畑を丁寧に耕耘        茎に潜んでいた小麦の幼穂
 

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光市冠梅園~大峰峠史跡巡りウォーキングの下見(1/3)

2020年03月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 4月は久しぶりに田布施町と光市の境界線上にあるコバルトラインをウォーキングすることにしています。今回、その下見をしてきました。下見に参加された方は11人(子供2人含む)でした。最近は下見にも関わらず本番と同じくらいの人数の方々が参加します。ルートが決まっていないのが楽しいのでしょう。どっちのルートがいいか探索したり、トイレを確認したり、お昼休憩の場所を探しながらの楽しい下見ウォーキングでした。

      コバルトラインの「四季の森」入口で小休止


 さて、集合したのは平生町MaxValueに8:00です。いつもより早い時間に集合した理由は、最近のバス便減のためです。9時台と10時台のバスがないので仕方ありません。しかし、悪い事ばかりではありません。朝早く出発したおかげでゆとりを持って楽々に歩くことができました。そのため、本番も同じ時間に集合しようかと思っています。バスに乗ったのは平生町西浜バス停で、降りたのは光市戸仲バス停です。最初に向かったのはコバルトライン入口傍の冠天満宮です。

  冠天満宮前広場    参道の石階段を登る    冠天満宮本殿前
  

 冠天満宮前広場に入ると、石階段横にある「三井の井戸」で手を清めました。周りの地面を見ると、こぶのようなものがたくさん生えていました。これはラクウショウの大木の気根です。地面を注意して歩かないと、気根につまずいてこけそうになります。石階段を登りきって振り返ると、松原の向こうに海が見えました。私が思うに、古代において冠天満宮は海に面していたのではないでしょうか。

  菅原道真に関わる冠(烏帽子)     コバルトラインを散策
 

 冠天満宮から冠梅園の丘が目の前にみえます。しかし、今回はコバルトラインを歩きますので冠梅園へは行きません。歩いていると、道端にたくさんの山菜が生えていました。女性陣は目ざとく山菜を見つけては袋に入れていました。しばらく歩いていると、森林脇を通る道に出ました。そして、少し下った場所にお地蔵さまが安置されていました。さらに行くとユネスコ協会の碑がありました。「四季の森」入口で立ったまま休憩しました。その後、さらに歩くと「萩の平展望台」に到着しました。九州の国東半島などがよく見えました。

  静かな森林脇の道    お地蔵様と石仏    萩の平展望台
  

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平生町尾国 柳井市阿月与浦の史跡巡りウォーキング

2020年03月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

  下見ウォーキングで調査したコースを、みなさんとウォーキングしました。デジカメでたくさんの写真を撮影しました。ところがパソコンのSD読み取り器が故障してしまいました。取り出せた写真は最初の3枚だけでした。あーあ、がっくり!さて、歩いたコースは下見とほぼ同じでした。潮が満ちていたため、与浦から500m位相ノ浦寄りの広い砂浜に降りました。波しぶきの砂浜を散策した後、与浦遺跡や与浦大師堂を見学しました。その後、コスタリゾート跡入口近くで休憩をとりました。休憩が終わると、平生町尾国に向かいました。

    平生町小郡と尾国、柳井市阿月与浦の史跡巡りコース


 尾国に入ると、道沿いの祠や溜池を見たり、田んぼ跡などを見ながら尾国加茂神社に行きました。下見時に咲いていた梅は散っていました。山菜を採取している方がいました。加茂神社を参拝すると、法隆寺に向かいました。法隆寺ではご住職さんが待っておられました。本堂に入ると、ご住職さんからお寺に関わる歴史やありがたいお話をたくさん聞きました。ありがとうございました。法隆寺を後にすると、恵比須様の祠を見てから尾国バス停へと向かいました。

 平生小前バス停      平生小郡バス停    小郡の里山散策
  

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帝国電波(現クラリオン)製カーラジオRM-107(三菱キャブトラック搭載)の修理(5/6)

2020年03月22日 | 古ラジオ修理工房

 カーラジオを修理するための主要部品を購入するため、3月に秋葉原に行く予定でした。しかし、コロナウィルス流行のため5月に延期することにしました。しかし、5月にウィルスが収束しているか疑問です。そのため、明らかに傷んだ部品数個を中古部品と交換してみることにしました。中古部品は、私が10年来保管してきたものです。交換する前、測定器でその中古部品が正常であることを確認しておきました。その他、疑わしい箇所を修繕しました。すると、うれしいことにラジオ放送を受信するようになりました。

    ラジオ放送を正常に受信するようになったカーラジオ


 まずは、表面が割れるなど明らかに傷みがひどいコンデンサを優先して交換しました。その部品が付いている基板裏の半田を溶かします。その時、半田吸収編線を近づけます。すると、溶けた半田が半田吸収編線にどんどん吸収されます。すると、傷んだ部品が取り外しやすくなります。部品をこじるようにして取り外しました。

  傷みが激しい部品     部品を取り外す    正常な中古部品
  

 傷んだ部品を取り外すと、すぐに中古部品を同じ場所に取り付けました。そして、再度半田付けして固定します。この繰り返しで、傷んだ他の部品を交換しました。ただし、電子回路中央にある部品を交換すると、混み入っているため他の部品を傷めてしまう恐れがあります。そのため、電子回路中央にある部品は交換の優先度を落としました。そのため、今回は傷みが激しい2個のマイラコンデンサだけを交換しました。これで直らない場合は、傷みが激しい順に交換しようと思っていました。

  交換後のマイラコンデンサ1      交換後のマイラコンデンサ2
 

 続いて、なぜか筐体内にあった針金を取り外しました。今だに、この針金がある理由が分かりません。以前修理した時に取り忘れしたのかも知れません。また、ぐらぐらしていたアンテナ元線を接着剤で固定しておきました。そうした修繕をして電源を繋いてみると、何とラジオ放送を受信できました。どれかの修繕が効いたのでしょう。次回は、受信範囲や、正常にプリセットできるかなどをテストしようと思います。

  何故ここに針金が    アンテナ元線を固定   アンテナ元部を覆う
  

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織機の経糸、ようやく半数張り終える

2020年03月21日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 織機の経糸を張るのに四苦八苦しています。たかだか208本の経糸なのですが、遅々として進みません。一般的な反物は600本以上の経糸を張ると聞きます。その1/3の本数に過ぎないのですが苦労しています。一番苦労しているのは、私の目が悪い事です。裸眼と遠近2種類の老眼鏡を使い分けて、糸を選んだり,綜絖通し,筬通しを使っています。目も疲れます。今ようやく、128本の経糸を通し終わりました。

        やっと128本の経糸を通し終わった織機


 実質初めての経糸張りなのですが、なかなか要領が分かりません。色別に分けた経糸16本13組を、綜絖を通しやすいように整経器で1本ごとに交差させています。その1本1本を摘まんでは、最初に綜絖通しで綜絖に通します。通常この作業は二人でするようです。私は1人でしています。左手で糸を選んで、右手に持った綜絖通しでその糸を受け取ります。そして、綜絖の穴にに通しています。

1本1本交差した経糸    経糸を通した綜絖   筬通しで糸を受け取る
  

 整形をした経糸を張ったことがある人ならば分かると思いますが、1本ずつ交差させた糸を選んで、間違いなく綜絖に通すのはとても集中力がいります。たまに間違えると、以降通した糸を全て外してやり直しです。下の画像で、Aは偶数番目の糸、Bは奇数番目の糸です。Cは綜絖と筬に通し終わった糸です。1組を16本にして色分けしたのは、区切りが良いようにと考えた結果です。16本ごとに確実に通せば、13組全体として確実に通せるかなと思いました。

 糸を交互に選んで綜絖に通す     やっと5組80本の経糸を通す
 

 あと数日で全ての経糸を通すことができるめどが立ちました。あとは、どんな色の横糸を通そうかなどと考えています。今のところ、経糸が色ごとに16本なので、横糸も16本ずつ変えてもいいかなと思っています。ただ、経糸は比較的隙間があるため、強く横糸を通すと経糸の色が隠されてしまいます。また、模様を入れられないかなどと考えています。

 やっと経糸半分    ようやく112本の経糸   残り96本で経糸完成
  

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麦畑の畝間を除草、飛び出るカエル

2020年03月20日 | 稲:春作業,苗作り

 春になって麦畑の雑草がだいぶ伸びてきました。あまり伸びると麦の成長に悪い影響があります。そこで、耕耘機を使って麦畑の畝間の除草をすることにしました。
 ところで、私が子供の頃はまだ牛馬を使って農業する人がいました。実際に祖父は牛を使って農業を営んでいました。そして、クワを使って農業することが普通でした。父親の代になると、農業の機械化が試みられるようになりました。父親は、当時はまだ珍しかった耕耘機を使って機械化農業を試みていました。それが父親の母校である田布施農業高校の目に留まったのでしょう、全国の若者が父親の元に研修に来ていました。

      大型耕耘機のロータリーを使って麦間の除草


 研修生は長い人で数ヶ月間、短い人で1週間位私の家に寄宿していました。専用の寄宿小屋がありました。そして、父親から農業の機械化や多角経営(稲麦作,酪農養豚,果樹,林業など)の実際を学んでいました。私も子供ながらその様子を見たことがありました。その後さらに機械化を進めて、確か昭和38年に初めてトラクターを導入しました。私はまだ小学生でした。そのトラクター、今では古すぎて交換部品はなく農業には使えません。エンジンだけは今でもなんとか動いています

  麦間の除草を開始     だいぶ伸びた麦   作業中、雉が出現
  

 畝間除草をしていると耕耘機の音に驚くのでしょう、草むらからいろいろな小動物が飛び出てきます。土ガエル,青ガエル,バッタなどです。そして、これらの小動物を狙ってカラスなどの鳥が飛んできます。
 数時間で麦畑に隣接する荒地の耕耘も済ませました。荒地には、ジャガイモ,藍,綿,サトウキビ,大豆,小豆などを種まきしようと思っています。サツマイモだけは、去年イノシシに荒らされたため止めることにしました。除草を含む耕耘が終わると、椅子に座って補水しつつ疲れを癒しました。そして、作物をどこに植えようかなど考えました。

  草むらから出てきた青ガエル      麦畑以外の荒地も耕耘
 

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次々に、春の花咲き始める

2020年03月19日 | 花,野草

 3月も中旬になり、春の花が次々に咲き始めました。樹木ではボケが薄赤の花を枝一杯に咲かせています。樹木では梅に続いて咲く花です。今後は、桜,スモモ,桃などが次々に咲きます。花壇も賑やかになってきました。今一番よく咲いているのはアネモネです。赤,白,紫などの色の花が次々に咲いています。

          枝一杯に咲いている薄赤色のボケ


 花壇ではアネモネの他に、ビオラ,クロッカス,オキザリス,アイリスなどが咲き始めています。クロッカスなのですが、何故か黄色が最初に咲きます。続いて紫や白が咲き始めます。ところで。クロッカスやアネモネなどの球根は咲いた後に葉を茂らせておく必要があります。来年に向けて球根を育てるためです。アイリスやオキザリスは宿根なので、そのままで毎年咲いてくれます。言わば世話いらずの春の花です。

  黄色のオキザリス   紫色のアイリス    黄色のクロッカス
  

 葉は茂っているもののまだ咲いていない花に、花菱草,ラナンキュラス,ヒナゲシなどがあります。葉の中を中を覗くと、ラナンキュラスとヒナゲシはつぼみが首をもたげていました。一週間以内に花が咲くと思います。春の畑仕事に邁進していますが、これらの花を見ると気持ちが和らぎます。

  いろいろな色の花が、入れ代わり立ち代わり咲いているアネモネ

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藍染め用に藍の種まきを開始

2020年03月18日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

  藍の種まきシーズンがやって来ました。藍の種まきをする季節は各地によって違うと思います。田布施町の場合は江戸の昔から3月となっています。藍染めを職業にしている紺屋の記録によると、淡路島から藍染めをするためにすくも藍を購入していたようです。また、藍の種まき時期の記録があることから栽培もしていたと思われます。江戸時代の絵師 司馬江漢の旅日記(1788年)に、田布施町波野は染物屋が多いとの記録があります。また、昭和初め関戸橋袂の染物屋の写真が残っています。しかし今、田布施町には染物屋は残っていません。

     耕耘機で耕した後、藍の種まき(筋まきと散まき)

 さて、今年の種まきは散まきと筋まきをしました。前者は除草や施肥がややめんどうです。後者は筋状に藍が育つため除草や施肥の管理が容易です。去年は前者の散まき方法で種まきをしたため、雑草と藍が混雑してしまいました。しかし、ちゃんと除草すれば筋まきよりも良く育ちます。

  去年採取した藍     筋まき用の畝      散まき用の畝
  

 4月初めには発芽して、その後除草したり施肥したりします。そして去年と同じように5月初めに苗取りして移植しようと思います。その時期はとても忙しく、綿の種まきや桃やビワの袋掛けなどの作業と重なります。移植後、順調に育てば7月には藍の生葉を収穫できると思います。

 散まきした種、かき混ぜながら被土    筋まきした種に薄く被土
 

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平生町尾国と柳井市阿月与浦の史跡巡りウォーキングの下見(2/2)

2020年03月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 昼食休憩が終わると、峠を越えて平生町尾国に入りました。光輝病院入口道から少しばかり尾国に入った所で、尾根筋に皇座山に向かう道に入りました。数年前、土砂崩れでこの尾根道は通行できなくなりましたが、今は通ることができるのでしょうか?その道をどんどん進んで、与浦側の旧観光ミカン園跡に降りる道へ行きました。ところが、その道は紐が張ってあり通ることができませんでした。やはり、通行することができないようです。きびすを返して、尾国の加茂神社に向かいました。

       万葉の碑が建つ、ひなびた尾国の里山


 尾国の加茂神社に着くと、アニメのコスプレの写真を撮影していました。そのコスプレは、周りの木々の静寂とは対照的な派手な衣装でした。コスプレの方々は広島から来たとのことですが、事務所がこの近くにあるそうです。平生町の静かな里山に消え入るように建つ神社が、アニメーション世界と通じているとは驚きでした。この尾国がアニメの聖地の一つになればと思いました。

平生町小郡を見下ろして   旧観光ミカン園跡へ   尾国の加茂神社へ
  

 尾国の加茂神社を出ると、法隆寺に向かいました。立派な石垣の上に本堂がありました。ご就職のご了解をいただいて本堂に上がらせて頂きました。ご主人のお話によると、田布施町麻郷助政の覚勝寺が、佐合島へ移転する時に本堂をこのお寺へ移築したそうです。

     尾国の加茂神社         創建1605年の法隆寺
 

 また、創建は1605年(慶長10年)とのことでした。関ヶ原後に毛利氏と一緒に周防長門に移り住んだ小早川氏の家臣の一人がこの寺院を開いたとのことです。その他貴重なお話を聞いた後、尾国バス停に向かいました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

    下見ウォーキングした平生町尾国と柳井市阿月与浦

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