佐賀漁港に着いた頃、ちょうどお昼でした。そのため、馬島~佐合島連絡船の佐賀渡船場を目の前に堤防を背にしてお昼休憩にしました。風が強くやや肌寒かったのですが、堤防前は日差しが当たってポカポカしていました。皆さんと雑談しながら昼食をとりました。私はいつものようにコンビニのおにぎりとお茶でした。
渡船場を前に堤防を背にして、日向ぼっこしながら昼食休憩
昼食休憩が終わると、佐賀漁港周りを散策しました。向い側の堤防には船の安全を祈願するお社がありました。昔は今よりたくさんの船がこの漁港を出入りしたはずです。私の記憶では、昔佐賀ではたくさんの「いりこ」を生産していました。大きな紙袋に入ったたくさんの「いりこ」をよく覚えています。50年位前のことです。
高校卒業後に東京で暮らしていた時に「いりこ」をさがしました。いくら探してもありませんでした。ところが、ひょんなことで「いりこ」が東京では「にぼし」と呼ばれていることを知りました。「いりこ」は方言なのでしょうね。
佐賀漁港の巨大な鳥居 平生町漁業協同組合 渡船場向いのお社
渡船場を見終わると、佐合島出身の久保白船の事が書かれている碑がありました。久保白船,麻郷の江良碧松,そして種田山頭火の三人は、自由律俳句で周防三羽烏と言われていました。かれらは私の祖母とほぼ同じ年の生まれです。江良碧松は私が子供の頃、農家をしていました。
ちなみに、江良碧松の家を継いだ息子は私の父親と林業組合で働いていました。当時の私は、まだ元気だったはずの江良碧松をまったく知りませんでした。出会えたはずなのに惜しかったです。
膝や腰を直す足摺り地蔵様 お地蔵様隣のお堂
巨大な鳥居や人数が少ない平生町漁業協同組合を見ながら海岸線を南に歩きました。すると、広い埋め立て地がありました。バブルの頃に何かの工場か建物を建てるために埋め立てたのでしょう。
その後、足摺り地蔵尊にお参りしました。最近膝が思わしくないので、お地蔵様をさすった手で自分の膝や足をさすりました。よく見るとお地蔵様はつやつやしていました。みんながさするのでつやがでたのでしょう。いつまでも歩けるようにお祈りしました。その後、バス停に向かって歩きました。参加した方々、お疲れ様でした。
佐賀漁港周辺の遺跡巡りをしたウォーキングコース
今作っている買物籠の底に中敷を入れようと思っています。最初クルミの皮で作ろうとしたのですが、去年剥いだクルミの皮は厚くて硬くてなかなか思うように加工できません。
猫ちぐらの屋根が凹まないように使った薄く剥いだ竹をがたくさん残っていました。その竹を細工して中敷に加工することにしました。わら細工の買物籠に竹細工を組み合わせることになり、意外な展開になってしまいました。
薄く剥いだ竹を交互に編んで、買物籠の中敷に
私は竹細工はあまり得意ではありません。2年前に簡単な六目籠を作ったことがありましたが、それ以来竹細工はしていません。今回は六目ではなく、薄く剥いだ竹を交互に編んで中敷になるよう試作することにしました。うまく中敷になればいいのですが。
薄く剥いだ竹、幅1cm 竹を交互に編む 買物籠の底に合わせる
田布施町の高齢者生き生き館で開催されたオレンジカフェで、2回目のお話をしました。ところで、デイサービスなどでもそうですが、参加するのは女性ばかりです。このような集会に行くのは男性は苦手なのでしょう。また世間のお世話にならないというプライドが邪魔をしているのか、社会とのつながりが下手なのでしょう。
前回と同様にお年寄りが若い頃に体験した出来事,品物,はやり歌などをクイズ形式で次々に懐かしく思い出していただきました。一番笑顔が出たり顔がほころんだのは昭和20~30年代の童謡や歌謡曲でした。みなさん、歌詞がなくても覚えているのか楽しそうに歌っていました。
たくさんの高齢者の方が楽しんだオレンジカフェ
今回、私が持ってきたのは昔使われていた蓄音機です。そして、私が音が出るように修理した電蓄です。これらは常に油を差したり、音を拾う針をメンテナンスしておく必要があります。いつでも使えるように、郷土館に勤務時に時々メンテナンスしています。
ところで、蓄音機はレコードを聴く前に手でゼンマイを回さなければなりません。なかなか面倒な機械です。昭和初期のSP盤レコードを聞くことができます。電蓄は、真空管やモーターを使ってレコードの曲を流します。今は聞くことができない童謡や昭和30年頃の流行歌を流しました。参加した皆さんの青春時代に聞いた曲ばかりです。みなさん自然に口ずさんでおられました。
曲を聴く前に手回しする蓄音機 真空管が使われている古い電蓄
白鳥古墳の後円部を見た後、前方部の頂上に鎮座する白鳥神社に行きました。考えてみると、地元の著名な神社はだいたい8~9世紀に作られています。神社が作られる直前は古墳が多く作られていました。しかも、大和王権に認められた前方後円型の古墳が多いのです。地域の族長一族のお墓としての古墳です。
その後、大和王権の権威を持つ神社が盛んに作られるようになり、逆に古墳が作られなくなるます。神道の象徴である神社は天皇制と結び付けられています。神社を通じて精神的な日本の統一が完成していったのではないかと思います。そんな事を考えながら、白鳥古墳を見学しました。
長い海岸線の佐賀漁港周辺をウォーキング
白鳥古墳を参拝し終わると、佐賀漁港を含む佐賀の海岸に出ました。下見の時に立ち寄った中川商店はお休みでした。休日なのにお店はお休みです。以前私が暮らしていた東京では、休日こそ稼ぎ時なので商店はすべて開店していたように思います。都会と田舎では開店に関わる考えが違うのですね。中川商店を過ぎると、海岸の砂浜が見えてきました。
白鳥神社の前方部斜面 不思議な石の祠 佐賀の海岸の砂浜
波が打ち寄せる砂浜に出てみました。海の向こう側に馬島や刎島が見えました。左方面に視線を移すと佐合島が見えました。砂浜で立ったまま休憩後、佐賀漁港に向けて歩きました。とても高い堤防が視線を遮ります。防潮堤でしょうか高さが4m以上ありそうです。その堤防に沿って佐賀漁港に向かっていると、左側に変わった形の石が鎮座した祠がありました。
サウナ部屋らしい大きな樽小屋 丘の上に鎮座する明神社
佐賀漁港が近づくと、たくさんの大きな樽が見えてきました。下見した時は、単なる休憩小屋かと思っていましたが、どうもサウナ部屋として使う樽小屋とのことでした。春にも名所としてイベントを開催するのではないかと思われます。佐賀漁港に到着する直前、その樽小屋の近くにそびえる山に鎮座する明神社に行きました。樹が生えていなければ景色は抜群ではないかと思います。明神社から降りると佐賀漁港はすぐそこです。
佐賀漁港周辺の遺跡巡りをしたウォーキングコース
2月中旬にわら細工民具「ほぼろ」の講習会を開きます。この日までに、2作品ほどわら細工の買物籠を作っておこうと思います。今回は底を編むのに苦労しているやや大きめの買物籠の手さげ紐を編みました。
これまではわらを三連に撚って作りましたが、今回は乾かした芭蕉(バナナとよく間違えられる)の葉軸を使いました。芭蕉の葉軸は太く柔らかいので、撚らないで三本を三つ編みにしてみました。
買物籠の手さげ紐を芭蕉で製作、乾燥後に取り付け
我家に昔から生えている芭蕉、去年の春に一株を日当たりの良い場所に植え替えました。場所が良かったのか株が一つから三つに増えました。晩秋になって葉を収穫して乾燥しておきました。その乾かした葉の軸だけを取り外して、三つ編みして手さげ紐にしました。
去年植え替えた芭蕉 乾燥中の芭蕉の葉 水に浸して柔らかく
沖縄では芭蕉の繊維を取り出して芭蕉布と呼ばれる布を織るそうです。それだけ繊維が丈夫なのでしょう。今回手持ち紐に加工した芭蕉、乾燥した後に買物籠本体に取り付けます。そして、中敷を入れてようやく買物籠が完成となります。私は創作しながらのんびり買物籠やポシェットなどを作るため、なかなか完成に至りません。
芭蕉の葉軸三本を三つ編み中 完成した手さげ紐を乾燥
真空管ラジオのシャーシを取り出して調査すると、チューニング糸が外れていることが分かりました。そこで、糸を元通りにプーリーやダイヤルつまみの軸に掛けたりしました。すると、チューニングつまみを回すとスムーズに糸が動いてバリコンが動くようになりました。その後、40年位前に購入したディップメーターを倉庫から探し出しました。そして、そのディップメーターを使ってラジオが正常に電波を受信するかテストしました。
ディップメーターを使ってラジオの受信性能を確認
ディップメーターは主に電波の周波数を確認するためのものです。目的の電波が入るとメーターがピクリと下がります(ディップします)。もう一つの機能にOSC機能があり、微弱な電波を発信することができます。周波数を変えたり電波の強さを変えることができます。その微弱な電波を使ってラジオの性能を簡易的に測ることができます。
糸をプーリーに掛ける ダイヤル指針を確認 真空管の光を確認
ディップメーターで確認すると、AM電波の550~1600KHzの電波を受信することが分かりました。その確認中にNHKの第一放送や第二放送などが次々に入ってきました。真空管などの電子部品は正常のようです。次回は、ラジオの隅々を綺麗に掃除して、シャーシをラジオ筐体に元のように収めようと思います。
ディップメーターのコイルを選択 コイルをディップメーターに装着
ブリキ缶を使った窯を少しずつ作っています。必要なブロックやレンガなどを購入して組み立てています。燃料は練炭を主として、練炭が売っていない時期は薪を使えるように考えました。最初にブロックを組み立てました。ブロックが倒れないように、鉄杭をブロックの穴に通して地面に突き刺します。それが終わると、練炭に空気が通りやすいように薄いレンガの上に鉄網を敷きました。その鉄網の上に練炭を並べるのです。
練炭を並べた後、ブリキ缶を置くブロックを敷く
個人が作る窯ですので設計図はありません。頭の中に仮想設計図があり、作りながらその仮想設計図を変更します。ブロックやレンガなどのサイズが想定と違うと、そのつど仮想設計図を変更するのです。ある意味大雑把ですが、クルミや楮などの枝を煮るのが目的です。多少見栄えが悪くても、その目的さえ果たすことができればOKです。
レンガやブロックを敷く 鉄網の上にもレンガ 練炭を試しに置く
ブロックやレンガを組み立て終わり鉄網を敷くと、練炭を置いてみました。最大6個の練炭を置くことができますが、それではコストがかかります。4個を燃やして火力が足りなければ薪を使おうと思います。
窯はほぼ出来上がりました。今後はブリキ缶の水漏れが無いか確認後、底に600°Cの耐火塗料を塗ろうと思います。それが終わると、いよいよ実際に水を沸かしてクルミ,楮,シダなどを煮てみようと思います。
ブリキ缶の上に蓋を置く 練炭を4個置いた状態
先日佐賀漁港周辺の史跡を巡るウォーキングをしました。ところが、前日夜は雨でした。そのため史跡巡りウォーキングを中止するかどうか迷いました。天気予報では曇りか晴れでしたので、その予報に賭けました。
そして明朝、濃い霧でしたが少しずつ晴れてきました。ほっとしました。史跡巡りを主宰すると、天気にとても敏感になります。過去10年間の史跡巡りウォーキングを振り返ると、年に1度は雨で延期しています。朝天気が良くても、天気が急変して横殴りの吹雪に見舞われたこともありました。
晴れ間の中、小山の上に鎮座する八幡社のお社
さて、9:44発のバスに乗り佐賀バス停留所に降りました。降りると佐賀地域交流センターに向かいました。そこには縄文遺跡の岩田遺跡石碑と、その傍に遺跡の説明板が建っています。その説明板の前に立ってみなさんに遺跡の説明をしました。縄文遺跡は関東以北に多く関西には少ないため、岩田遺跡は関西の貴重な縄文遺跡ではないかと思います。どんぐりの貯蔵穴などが有名です。
岩田遺跡を出ると、道を少し戻って浜田自治会集会所に行きました。この集会所隣の広場で夏には盆踊りが行われます。かつて嵯峨音頭で踊られていましたが、今はどうでしょうか。5年ほど前には録音された音で踊っていたと聞きました。笛太鼓やくどきを歌う人は絶えたとのことでした。
岩田遺跡の石碑前 浜田集会所の前にて 八幡社急階段前の石鳥居
続いて小山の上に鎮座する八幡社に行きました。急な石階段を登ると広場になっており、正面にお社と忠魂碑が建っています。戦時中、この八幡社から地元佐賀の若者が出征したのでしょう。広場は綺麗に掃き清められていました。
次に、旧佐賀小学校の旧体育館に行きました。そして、白鳥神社前に行き、白鳥古墳のお話をしました。全長120mの大きさは山口県1で、その大きさを体感すべく前方後円墳の周りを巡りました。そして、後円部に鎮座する白鳥神社を参拝しました。
旧佐賀小学校の旧体育館 子供を見守る愛光童子地蔵
白鳥神社を回っている途中にお地蔵様が安置されていました。足元に「愛光童子」と刻まれていました。たまたま近くにおられた方に由来をお聞きしました。すると、子供を見守るお地蔵様とのことでした。その昔、子供の事故か何かあったのでしょうか。
佐賀漁港周辺の遺跡巡りをしたウォーキングコース
私が昭和40年中学校入学時(1965年)、両親が購入してくれた真空管ラジオがあります。高校生の時にトランジスタラジオを購入してもらって以降一度も動かしていませんでした。その後、我家の倉庫奥にしまわれていました。約55年ぶりに電源を入れましたが放送局の音がまったく入りません。真空管は光るのですが、チューニングのつまみを回しても指針が動かないのです。ラジオを分解して修理するしか直す方法がなさそうです、やれやれ。
真空管などが載るシャーシを取り外して故障個所を調査
真空管ラジオを修理するのは久しぶりの事です。また、トランスレスの修理は初めてです。100V電源プラグの差込口を間違うと、下手をすれば感電する恐れがあります。まずは、真空管シャーシを取り外すことにしました。固定するネジを外し、つまみを外し、スピーカーを外し、アンテナ端子を外すと、簡単にシャーシが外れました。すると、故障の一つが分かりました。バリコンを回すチューニング糸が外れていました。これでは選局できません。
真空管ラジオの外観 底のネジを取り外す つまみを取り外す
これまでほぼろを応用した買物籠を作ってきましたが、ほぼろ版猫ちぐらを製作した方法で買物籠ができないかとひらめきました。それは、先に買物籠の底を作った後、その底に合うように買物籠の側面を作るのです。
ほぼろ版猫ちぐらのように、最後に底と側面を合体させて買物籠にします。まずは底を編んでみました。底を作る方法は円座を作る方法を応用します。底の板型に合わせて長楕円形の円座を作るのです。
買物籠の底の型板に合うように、長楕円形の円座を製作
円座の作り方は何種類かあります。その中の一つ、紐をクルクル縛りがら円を大きくする方法をとりました。ただ、円座は円の中心から放射状に縄を巻き付けます。買物籠の底は長楕円のため、円の中心は二ヶ所になります。それが通常の円座との作り方の違いです。
△:長楕円の中心二ヶ所 片側の中心で縄固定 長楕円の編み始め
紐を巻きつけながら円座を作ることは何度もしています。そのため、円を長楕円にするだけなので、そう難しいことはありません。型板の大きさになるまで縄をぐるぐる巻きつけながら作りました。次は買物籠の側面を作ります。今回作った長楕円にピッタリ合うように側面を作ります。
半円になるように紐で縄を固定 あと一巻か二巻きで底が完成
先日、麻里府公民館でオレンジカフェ(認知症カフェ)の催しがありました。認知症に関わる方々が来て、お菓子をいただいたりお茶を飲みながら元気になる催しが行われるようです。どういういきさつか、私がお話をすることになりました。
せっかくなので、以前精神を病む方や認知症の方が入院していた病棟で働いた経験を生かしてみました。それは、回想法と呼ばれる認知機能を改善したり認知症を進行させないと言われている療法です。体の老化を防ぐ百歳体操の認知機能版でしょうか。お年寄りの方々に楽しんでいただいて、認知機能の老化防止に少しでも役立ったのではないかと思います。次回は高齢者いきいき館の予定です。
昔の思い出,文物,出来事,歌などを、楽しく謎解きして認知機能改善
クルミや楮などの皮細工をするためには枝から皮を剥がなければなりません。例えばクルミの皮を考えると、7月頃ならば煮なくても素手で皮を剥がすことができます。しかし、秋から春にかけての長い期間、素手で皮を剥がことはできません。その期間は煮なけれぱ皮を剥がせないのです。そのため、季節を問わずたくさんのクルミの皮を剥がせるような窯を試作することにしました。
最初ドラム缶を使おうと思いましたが、ドラム缶は曲線があり窯を作りにくいのです。ドラム缶の代わりに大き目のブリキ缶を試してみることにしました。クルミ、楮、シダなどを煮ることができるでしょうか。
地面を固めてブリキ缶の蓋を囲むようにブロックを積む
たくさんの水を沸かすため、それだけ強い火を燃やします。そのため、万が一を考えて水道の近くに窯を作ろうと思います。そして、煙がなるべく出ないように、最初は練炭や木炭を使ってみようと思います。DIYのお店で調査すると、練炭一個で400円位でした。予想では、一度に練炭を四個位使いそうなので1600円位かかるようです。それでも火が弱いようであれは薪を使おうと思います。
水道の近くに窯作り 土を敷き詰める 転圧器で地面を強く叩く
窯はブリキ製なのですが、ちゃんと錆びないよう工夫すれば10年位はもつのではないでしょうか。そのため、耐火性塗料を塗るなどの対策しようと思います。地面を突き固めると、窯のまわりにブロックやレンガを敷いてみました。後日練炭を載せる鉄網などを重ねてみます。2月上旬には一度湯を沸かして適切な練炭数を測ってみようと思います。
ブリキ缶の蓋を置いてみる ブリキの周りにレンガを積む
毎年の事ですが、我家の蝋梅は、お正月頃から咲き始め今は満開です。一年で一番最初に咲く花です。すべての枝は黄色の花で覆われています。遠くから見ると、樹全体が黄色なので良く目立ちます。
この花が散り始めると、以前ならが福寿草が咲き始めます。しかし、何年か前に絶えてしまいました。福寿草は田布施では育たないようです。寒い土地が育つのに適地なのでしょう。
樹全体が黄色の花弁で覆いつくされる
我家にはもう福寿草がないので、蝋梅の次にはスノードロップやクロッカスが咲き始めます。クロッカスの花が散ると春の花が次々に咲き始めます。チューリップ、アネモネ、ラナンキュラス、水仙などです。また、樹では桃、桜、アンズ、藤が咲き始めます。早く暖かい春になって欲しいものです。
綺麗な蝋梅の花弁 蝋梅の樹全体が黄色に染まる
先日周防大島でいただいたマオランを日当たりの良い畑に植えました。去年植えたマオランの隣です。去年植えたマオランはまだ小さいもののちゃんと根付いています。今年あたり本来の大きさに育つのではないかと期待しています。
ただ、根付かず枯れてしまったマオランも数株ありました。枯れた一番の共通点は周りの雑草に負けたことです。マオランは日当たりが弱いと簡単に枯れてしまいます。そのため、夏から秋にかけて何度も草刈りをして周りに雑草を生えさせないことが大事です。
周防大島でいただいたマオランを日当たりの良い畑に植える
去年植えたマオランは、今回いただいたマオランと比較して緑の色が薄いです。肥料分が少なかったことは明白です。今年は鶏糞や堆肥をたくさん与えようと思います。いったん大きく育つと極めて丈夫なのですが、植え付けた直後はひ弱です。もともとはニュージーランド産の植物なので、日本はやや育ちにくいのかも知れません。
マオランの株を植穴に入れる マオランの葉の色や背の違い
据え置き型グラインダーの丸砥石が偏摩耗していたため、鉄板の草刈刃が綺麗に研げません。そのため、グラインダー用の丸砥石を購入するためDIYのお店に行きました。しかしながらとても高価なのです。一つが2,000円以上するのです。丸砥石は二つあるため計5,000円以上かかります。あまりに高価なため購入することを諦めました。
仕方がないため、今ある丸砥石をひっくり返して使うことにしました。丸砥石を外してひっくり返して固定したついでに綺麗に掃除しました。銘板を見るとマキタ製で1993年製造でした。30年前に父親が購入したようです。
丸砥石をひっくり返して取り付けた据え置き型グラインダー
最初、丸砥石の保護カバーを取りはずした後、丸砥石をモーター軸に固定しているナットをレンチで外しました。片側の丸砥石を取り外すと、次に片方の丸砥石を外そうとしました。ところが、なかなか外れません。外れない原因は、片方の丸砥石は逆ネジで止めてありました。強く回し過ぎて壊すところでした。
丸砥石カバーを外す レンチで丸砥石を外す 外した丸砥石
丸砥石を外してよく円周部をみると、やはり偏摩耗していました。これでは正常に刃を研ぐことができません。かと言って新品の丸砥石は高価で飼えませんでした。そのため、やむやく丸砥石をひっくり返してモーター軸に取り付けました。現状よりは良いのではと思います。
ついでに鉄ブラシで30年間に付着したゴミを擦り取りました。強く擦りすぎたのかアルミの保護皮膜も取れてしまいました。また、油を差しておきました。これで、あと30年間は使えそうです。その頃は息子か孫が使っているかも知れませんが。
偏摩耗した丸砥石の円周部 銘板周辺を鉄ブラシで掃除