東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

東京 六本木ヒルズにて息子の披露宴

2019年03月31日 | 家族関連



 3月中旬に息子の披露宴がありました。この披露宴で息子の結婚に関わる一通りの行事が全て終わりました。ほっとしています。思えば、4月に家内の還暦祝いで初めてお嫁さんに会い6月にお嫁さんのご両親に初対面したり、1月にグアムでの結婚式に出席したり、そして今回の披露宴です。今の時代の結婚は、とても期間が長いようです。我々が結婚した頃と雲泥の差です。戸惑うばかりです。

        勢ぞろいした私や家内の親族、そして息子とお嫁さん


 今の時代、なかなか結婚しない方が多いようです。その理由を考えると、昔と比較にならないような高いハードルがあるように思いました。一番の理由は、恋愛でしか二人が出会うチャンスが無くなったからではないかと思います。私が結婚した頃、まだまだお見合いありました。私も釣書を書いたような記憶があります。仲人さんは、その釣書と釣り合うような相手を紹介していたように思います。出会いのチャンスを自分で探さなくても仲人さん探してくれたのです。独身の頃でしたが、仲人をしている方に品物を届けた時、何十人もの釣書やお見合い写真を見せていただいたことがありました。なぜお見合い制度が消えてしまったのでしょうか。それなりに役に立った民俗習慣ではなかったかと思います。

  披露宴の受け付け     ビデオで結婚式鑑賞     新郎新婦入場
  

 さて、今の時代の結婚を知って驚くことばかりです。単に私が時代遅れなのかも知れませんが。まずは二人が知り合う(知り合うことのハードルが高いとか)と半年程度同棲するそうです。それは情熱にまかせて結婚してしまった後に後悔して離婚することを避けるためだとか。つまり、離婚と言う傷を戸籍に残さないためだそうです。そして、いよいよ結婚を決めると両親とのご対面となります。そして結婚式です。ただ結婚式はセレモニーのようです。結婚式後に結婚届けをして晴れて公的な結婚となります。その公的な結婚届けを高らかに宣言して公開するのが披露宴のようです。

      新郎側の親戚             新婦側の親戚
 

 息子などから話を聞いていると、結婚に関して昔とそんなに変わっていないことが一つあるようです。それは、新郎からみて新婦として年齢の若い女性を好むこと、新婦側からみてちゃんと収入がある男性を好んでいるとか。何故なのか分かるような気がしますが、そのポイントは昔とそう変わっていないようです。
 しかし今、働く女性が増えて相対的に適齢年が上がりました。そして、経済が思わしくなく男性の収入がそれほどでもなくなりました。そんな時代背景があるため、結婚しない人が増えている理由が分かるような気がします。

  新郎への親友の言葉     ケーキカット       新郎と家内
  

 ところで、ある放送で結婚しない理由に面白い説がありました。それは「世代全体が長生きするようになると、子孫を残す必要性が減る。」と言うような説です。飢饉や戦争で寿命が短くなると、子孫を残したくなる圧力が自然に出るそうです。確かに、寿命が短かった江戸や明治時代、子だくさんが多かったです。一方、今は長寿で少子高齢化が進行中です。結婚することつまり子孫を残すことは、個人個人が自由に選択しているようで実は、人智を越えた何かが働いているのでしょうか。

新郎新婦の子供時代を振り返る動画鑑賞      着替えた新郎新婦
 

 さて、高所恐怖症の私は六本木ヒルズの51階はとんでもなく高い場所です。東日本大震災をビル内で経験した私としては、地震などでビルが揺れなかったのは幸いでした。ところで、披露宴はつつがなく進行して、最後に新婦によるピアノ伴奏で新婦のお爺さんによる独唱「乾杯」がありました。なかなかの感動でした。披露宴の最後に、両家を代表して私は来場者の方々に謝辞を述べました。息子夫婦ともども今後ともよろしくお願い致します。

 新婦によるピアノ伴奏  「乾杯」を独唱する祖父   来場された方々への謝辞
  

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田布施コットンクラブ、繊維の勉強,糸紡ぎ,そして織りなど

2019年03月30日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 田布施コットンクラブは月2回の定例活動をしています。いつもは高塔公会堂ですが、先日は麻郷公民館の2階和室で活動しました。いつもは綿繰り,糸紡ぎ,織りが中心ですが、その日は話題が盛りだくさんの活動でした。最初に、Kaさんによる各種自然繊維の勉強会がありました。さらに、その繊維を使って編んだ布を皆さんに紹介していただきました。

     Kaさんによる各種自然繊維(葛,苧麻など)の勉強会


 私は葛と言えばデンプンが取れる葛の根を思い出します。茎の繊維を取り出すことができるのですね。苧麻(からむし)は田んぼなどの湿った場所に野生で生えています。古代の日本では、苧麻を使った布を織っていたようです。その後、皆さんはめいめいに作業していました。ある方は織機に経糸に張っていました。私も少しばかり手伝いました。数百本もの糸を張るのは大変です。根気がいる作業です。無事に経糸を張り終わり、すぐにでも布を織れそうです。

  経糸を張る織機     経糸を丁寧に筬に通す   筬に通した経糸を固定
  

 私はひたすら糸を紡ぎました。スピンドルは時間がかかるため足踏み糸車を使って茶綿の糸を紡ぎました。茶綿は少しばかり繊維が短いのですが、難なく糸を紡ぐことができました。糸を紡いでいる時は精神を集中します。集中が切れると、それまでせっかく紡いだ糸が切れてしまうことがあります。織物の横糸に使える量の糸を紡ごうと思います。

 葛の茎から取った繊維と織った布     苧麻から取った繊維と織った布
 

 各自めいめに、布を織ったり、綿繰りなどをしたりして過ごしました。そして、皆さんが持ってきたお菓子を食べたり飲物を飲みながら息抜きをしました。時間に追われずのんびりと、自分のしたいことを自由に、そして、談笑しながら楽しく作業しています。今後、秋の公民館祭りなどで展示するかどうか皆さんと相談しようと考えています。

 段ボールを使った織り  皆さんが持ち込んだおやつ   種を取り出す綿繰り
  

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東京都 日野市 新撰組の史跡などをウォーキング(4/4)

2019年03月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 佐藤彦五郎記念館に続いて井上源三郎記念館に行きましたが、これまた私設資料館のため閉館していました。井上源三郎は遅咲きの人のようです。天然理心流を習っていたようですが、なかなか免許皆伝になりませんでした。しかし、近藤勇達と共に京都で新撰組のメンバーの一人となりました。無骨ながら新撰組でまじめに働いたのでしょう、粛清の対象になることもなく組長に抜擢されました。しかし、戊辰戦争時の鳥羽伏見の戦いで銃弾を受けて亡くなりました。

            日野宿本陣近くにある井上源三郎記念館


 新撰組のふるさとである多摩地区は、士農工商の身分が緩かったのか、農民や商人が刀剣を趣味にする刀剣講があったそうです。正義感が強い人が多く、犯罪を起こした者を追い詰めて殺した事件もあったようです。それだけ、農民や商人であっても武士に憧れがあったようです。そのため、武士の最高位である将軍を信頼していたようです。そのため、新撰組メンバーは「侍より侍らしく」を掟にしたのでしょう。

 井上記念館近くの地蔵尊   八坂神社の鳥居      八坂神社本殿  
  

 同じ多摩地区の八王子には千人同心と呼ばれる組織がありました。もともとは武田信玄につらなる家臣だった集団が、武田氏滅亡後に徳川家康に取り入ったようです。一番の務めは日光東照宮を警護する任務だったようです。やはり徳川将軍を誇りに思っていました。隣は日野市ですので、新撰組とも何らかの関係があったに違いありません。甲陽鎮撫隊が八王子を通過した時には歓迎したようです。

トタン屋根でレトロな駅舎のJR日野駅    日野駅内の新撰組案内コーナー
 

 井上源三郎記念館を出ると、裏道を通ってJR日野駅に向かいました。途中、お地蔵様を見たり八坂神社を見たりしました。甲州街道をしばらく歩きました。私が八王子市に住んでいた頃、この通りに合った種屋さんによく行きました。雑穀の種や地元産の種を買いました。その種屋さんはどこにもありませんでした。JR日野駅に着きました。懐かしい赤い屋根のレトロなJR日野駅は昔そのままでした。違いは、駅構内に新撰組の案内兼お土産屋コーナーがあったことぐらいでしょうか。JR日野駅から我家に帰りました。

     今回ウォーキングした、日野市の新選組などの史跡コース

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藍を種まき、育苗の開始

2019年03月28日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 田布施町の古い農業記によると、3月に藍の種まきが始まります。農業記に藍が書かれていると言う事は、その昔は藍が盛んに栽培されていたことを示します。実際、昭和20年代まで田布施川の関戸橋近くに藍染め工房があったことが写真で確認できます。また、江戸時代の司馬江漢の旅行記「西遊日記」(天明8年9月28日)に、田布施町は藍染めが盛んだったことが記載されています。つまり、当時は藍がたくさん栽培されていたに違いありません。

           藍を育苗する畑に藍の種をまく


 去年と同じように育苗した藍を5月本畑に移植する予定です。そして、7~9月にかけて藍の葉を収穫・乾燥するつもりです。ところで、藍の生葉を使って薄い藍染めはできるのですが、まだ藍の葉を発酵?して濃い藍染めをできないでいます。プロではないので、薄い藍染めの青、紅花の橙色、タマネギ皮の茶色、白い綿色の4色だけでもいいかなと思っています。茶綿、緑綿を加えれば6色になります。その6色の糸で布を織ることができればと思っています。

 小さな藍の種子      レーキで畝を平にする   種まき後薄く土を被覆
  

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東京都 日野市 新撰組の史跡などをウォーキング(3/4)

2019年03月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 新撰組ふるさと歴史館を出ると、日野宿本陣跡に向かいました。ちなみに新撰組ふるさと歴史館の入館料には日野宿本陣の入館料も含まれています。日野宿本陣跡は土方歳三の義理兄だった佐藤彦五郎と関わりがあります。新撰組をより深く知るには、多摩地区にいながら新撰組を支え続けた佐藤彦五郎を知る必要があると思います。

          江戸時代そのままの建物が残る日野宿本陣


 佐藤彦五郎は、天然理心流近藤周助から免許皆伝を受けた頃に自宅に道場を設けたそうです。その道場に、新撰組を立ち上げた近藤勇(近藤周助の養子),土方歳三,沖田総司,井上源三郎などが通ってきたそうです。佐藤彦五郎はその後、多摩にあって京都の新撰組を支え続けたそうです。そして、新撰組の最後を見届け明治35年に亡くなっています。

日野宿本陣近くの大昌寺   大昌寺の六地蔵      日野宿本陣の門
  

 日野宿本陣へ行く途中に大昌寺に寄りました。ご住職さんがよく管理しているのでしょう、寺内やお地蔵様などが綺麗に掃除されていました。大昌寺を出ると、日野宿本陣はすぐ傍です。道を回り込むようにしていったん甲州街道に出ます。すると日野宿本陣の旗が目立つように立っているのですぐ分かります。門を入ると、江戸時代から引き継がれている日野宿本陣があります。

  日野宿本陣内の小部屋          日野宿本陣内の部屋兼通路
 

 日野宿本陣に入ると、観光案内の方々がいました。詳しい説明をするとのことでしたが、急いでいたためお話を伺うことができませんでした。次回来るようなことがあればお話を聞こうと思います。広い部屋内をあちこち移動しながら見学しました。150年前、この部屋に新撰組のメンバーがいたことがあるのです。同じ頃の田布施では、第二奇兵隊が町内を闊歩していました。歴史の不思議さを覚えます。

 佐藤彦五郎記念館   幼稚園傍のとんがらし地蔵尊 穴が開いた小石がぶら下がる
  

 田布施の麻郷神社には鳥羽伏見で亡くなった方の碑があります。おそらく幕府軍や新撰組と戦ったに違いありません。さて、日野宿本陣を出ると、日野宿本陣裏手にある佐藤彦五郎記念館に行きました。しかし、私設記念館のため開いていませんでした。続いて井上源三郎記念館に行きましたが、これまた私設記念館のため開いていませんでした。両記念館ともに開館しているのは日曜日のようです。なお、井上源三郎前の幼稚園傍に不思議な「とんがらし地蔵尊」がありました。穴が開いた小石がたくさんぶら下がっているのです。何かの言われがあるのでしょうか。

     今回ウォーキングした、日野市の新選組などの史跡コース

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ようやくジャガイモの種芋(シンシア)を植え付け

2019年03月26日 | 野菜:芋類

 ジャガイモは2月末~3月中旬に種芋を植え付けますが、少しばかり遅れてしまいました。ですが、春は少しぐらい遅れても収量にそれほど影響がありません。今回は、先日購入後に切断・乾燥した種芋を植え付けました。いつものことですが最初に、耕耘機で丁寧に耕し後に畝を作りました。私は土寄せしながら畝を高くするため浅く畝を作りました。

          浅い畝に溝を引き、ジャガイモの種芋を置く


 浅い畝に平クワで溝を引き、その溝の両端に巻き尺を引きました。そして、50cm間隔でその溝に種芋を置きました。種芋を置き終わると平クワで土を被せました。2週間後には芽が出ると思います。芽が出ると、余分な芽を欠く作業をします。そして、第1回目の土寄せをします。なお、種芋が余ったため、後日青刈りした小麦畑に植えようと思います。

 乾燥し終わった種芋    耕耘機で丁寧に耕す     種芋の上に土寄せ
  

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東京都 日野市 新撰組の史跡などをウォーキング(2/4)

2019年03月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

  黒川清流公園を過ぎると、中央線に沿って日野市役所方面に向かって歩きました。歩いていると、実践女子大学の校舎が見えてきました。大学を通り過ぎると、中央線をまたぐ橋を渡りました。ここまで来ると、日野市役所の建物が見えてきました。すぐに市役所に行かないで、日野中央公園で休むことにしました。

            何年か前にできた新選組ふるさと歴史館


 日野中央公園に入ると、すぐ近くに日野消防署がありました。思い出しましたが、息子が小さい頃にどういう訳か消防自動車が大好きでした。この消防署にある消防自動車をよく見学したものです。自転車に息子を載せて走っていて消防自動車を見かけようものなら、息子は身を乗り出すようにして叫んでいました。消防自動車に限らず、工事車両のような特殊自動車も大好きでした。

 実践女子大学脇を通過    日野中央公園で休憩    日野消防署
  

 天気が良いせいか、公園の道を歩いていると何匹ものアリがせわしなく走っていました。この季節、どんな獲物がいるのでしょうか。公園のベンチで休んでいると、小さな子供を連れたお母さん方をたくさん見かけました。またお昼時のためか、市役所の職員と思われる方々も休んでいました。お昼なので、日野市役所の食堂で昼食を取りました。かつ丼を食べました。手ごろな値段でとても美味しかったです。

  道を走っていたアリ    日野市役所に入る    食堂でかつ丼を注文
  

 子供が小さい頃日野市役所によく来ました。市役所の隣にある劇場には特によく来ました。日野子供劇場の会員になっていたため、子供向けの映画や劇などには必ず参加していました。一番よく覚えている演目は劇「ごんギツネ」です。まだ保育園児だった娘が涙ぐんでいたのを覚えています。来月母親になる娘は、劇「ごんギツネ」のことを覚えているでしょうか。


    新選組に関する貴重な展示物     展示物に見入っている来館者
 

 日野市役所を出ると新選組ふるさと歴史館に行きました。以前このような資料館は無かったので、今回初めて行きました。入館してそのことを聞くと、以前は歴史資料館だったとのこと。歴史資料館が移転して、新選組ふるさと歴史館に模様替えしたとのことでした。映画も上映していました。今年は土方歳三が無くなって150年です。山口県が明治維新150年展を開催したように、日野市では土方歳三150年展を開催していました。

     今回ウォーキングした、日野市の新選組などの史跡コース

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綿,藍,紅花などの種まきに備え、小麦の青刈り

2019年03月24日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 育てている小麦、せっかくなのですが4畝程度残して青刈りしました。去年は草刈機を使って小麦を刈り取りしましたが、ことしは久しぶりにハンマーナイフモアを使って刈り取りしました。ハンマーナイフモアの後ろについて歩くだけなので楽です。しかも草刈機によりも細かく小麦が細断されます。刈り取りのはもったいないような気がします。しかし、刈り取りしないですべての小麦を収穫しても量が多くて食べきれません。そのため、緑肥として青刈りします。

        背が伸びた小麦をハンマーナイフモアで青刈りして細断


 青刈りした場所には、去年と同じように綿や藍の種を蒔こうと思います。さらに、今年は紅花の種も蒔いてみようと思います。もちろん去年と同じように麻郷公民館祭り用のサツマイモの苗も植えます。ジャガイモの種芋が少し余ったため、それも植え付けようと思います。

  青刈り前の麦畑     青刈りスタート       すでに麦の穂が
  

 今回は青刈りだけでしたが、4月に入ってからトラクターか耕耘機で畑を綺麗に耕そうと思います。畑に隣接する土手の雑草も生い茂りはじめました。つまり、今は草刈り作業を開始する季節でもあります。これから晩秋まで、栽培や草刈りなどの長い長い畑作業の始まりです。

    残り1畝を刈れば青刈り終了     4畝程度小麦を刈り残した麦畑
 

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東京都 日野市 新撰組などの史跡をウォーキング(1/4)

2019年03月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 息子の披露宴の前日、日野市の史跡などを久しぶりにウォーキングすることにしました。日野市は八王子市の隣の市です。買物,公園,演劇などでよく行きました。当時、通勤で日野駅を使っていました。日野駅から中央線で東京駅まで乗り、東京駅から山手線で田町駅に向かいました。田町駅で下車すると、勤務先がある三田国際ビルに歩きました。片道1.5時間位かかったでしょうか。30歳位のことです。

        豊田駅近くにある黒川清流公園、水が湧き出る池


  最初に日野市の豊田駅で降りました。当時、豊田駅は八王子駅よりも多く利用したと思います。本屋さん、食事処、銀行、デパートやスーパーなどです。良く利用した生協のお店も豊田駅近くにありました。その豊田駅から歩いて20分位の場所に黒川清流公園があります。子供が小さい頃、よくこの公園に行きました。当時はバイクや自動車を所有していなかったため、家内の自転車に息子を、そして私の自転車に娘を載せてこの公園によく来ました。

  懐かしの豊田駅     豊田駅前の繁華街     高層化された団地
  

 公園に着くと、道傍の小川には昔のままに水が流れていました。まだ寒いため、子供は一人も小川の中で遊んでいませんでした。しかし、水鳥や野鳥がたくさんいました。川の深みには大きな鯉がゆうゆうと泳いでいました。川の底を見ると川藻がおおっていました。子供がたくさん川で遊んでいないので川藻が増えたのでしょう。4月になればザリガニやサワガニが活発になるので、それを目当てに子供達がこの川を訪れるようになると思います。

  道に沿って流れる黒川の清流      笹が生える黒川清流公園の斜面
 

 黒川は元々は浅川から浸み込んだ清水が湧き出ていたようです。昔は自然の小川が流れていたそうですが、団地などの開発などで人工の小川になりました。そのため、川底はコンクリートで固められており、子供が歩いても怪我をすることがありません。飲み水には適さないですが、手を洗う程度には綺麗です。そのため、夏には溢れるように子供でいっぱいになります。

  自然の小川を再現     広い場所には鯉やフナ  小川の終点ひょうたん池
  

 数百mも流れる黒川清流公園ですが、ひょうたん池で終わっています。ひょうたん池からは地下の流れに吸い込まれます。おそらく浅川に合流するのではないかと思います。私や家内達が私設で作った学童で、私は野外活動のボランティアをしていました。自転車に乗れる子供達を誘導しながらこの公園にも来たように思います。また別の川ではナマズ、フナ、メダカなどを網で取ったりしていました。子供達と触れ合った良き思い出が蘇ります。

       今回ウォーキングした、日野市の新選組などの史跡コース

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時期遅れのジャガイモ収穫

2019年03月22日 | 野菜:芋類

 去年の8月に秋ジャガイモの種芋を植え付けしました。霜が降りた頃にすべて収穫するはずでした。しかし、一部のジャガイモを掘り残してしまいました。冬の間に収穫しようと思っていたら今日になりました。怠慢ですね。今回収穫したジャガイモの品種はニシユタカです。畑に残しまま3月になるとジャガイモは芽が出ます。その心配をしながら収穫しました。しかし、芽は出ていたものの小さなものでした。芋の品質には影響なさそうです。

         水で洗っているジャガイモ(品種:ニシユタカ)


 枯れた茎を目当てにクワを振り下ろしましたが、数個のジャガイモを傷つけてしまいました。傷ついたジャガイモはすぐに食べなければなりません。日当たりが良かったのか、肥料が良かったのか、芽欠きが良かったのか、あるいは品種が良かったのか、大きなジャガイモをたくさん収穫できました。男爵やメークインは小粒のジャガイモが少なくないので良かったです。

  3本グワで芋掘り    出てきたジャガイモ    クワの刃が芋に刺さる
  

 掘り出したジャガイモは箕に集めて、洗い場に持って行きました。そして、流水で泥を洗い流しました。夏に収穫したジャガイモは虫が入り込んで穴があいていました。今回収穫したジャガイモの表面はとても綺麗でした。我家では食べきれないため、しいたけと一緒に友達に差し上げました。掘り起こし作業で疲れましたが、綺麗で比較的大きなジャガイモがたくさん収穫できたので疲れが飛んでいきました。

   掘り起こした芋を箕に集める    綺麗で大きなジャガイモがたくさん
 

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東京 町田街道をウォーキング(2/2)

2019年03月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 工事中で参拝できなかった菅原神社、遠くから拝礼しました。町田街道に戻ると、もくもくと北に向かって歩きました。以前歩いたことがあるため道に迷うことはありません。記憶にある景色と比べながらのんびりと歩きました。歩きながら、丘の上にある町田市少年少女発明クラブが活動している建物や公園を遠望しました。

        久しぶりに来た町田市民の憩いの場「薬師池公園」


 峠に差し掛かった時、以前気が付かなかった階段に気が付きました。階段を見上げると鳥居があるではありませんか。このさい、その階段を登ってみることにしました。すると、ひなびた小さな祠がありました。お地蔵様と思わる石像がありました。不思議なことに注連縄が張ってあるのです。

 不思議な石像と注連縄   子供向け町田リス園     薬師池の水車小屋
  

 不思議な祠の階段を降りて町田街道に戻りました。緩やかな峠を越えてしばらくすると、子供向けの町田リス園が見えてきました。園内ではたくさんのリスが飼われています。園内に入るとたくさんのリスが寄ってきます。ところで、近くのエビネ園が閉鎖されていました。あまり人が来ないのでしょう。次に町田リス園の反対側の谷にある薬師池公園に降りました。

 昔の非常用倉庫「板倉」   江戸時代萩野家屋敷    賑わう茶屋で休憩
  

 薬師池に降りると水車小屋がありました。しかし、渇水しているのか水車は回っていませんでした。続いて、萩野屋敷跡に行きました。そして、賑わう茶屋前の椅子に座って休憩し目前に広がる薬師池を眺めました。池のほぼ中央に池を横切るように太鼓橋が架かっています。水面を見ると、水鳥が池の中にもぐってはまた水面に顔を出していました。

  大賀蓮の池、春に芽が出る蓮        桜の蜜を吸うメジロ
 

 茶屋での休憩が終わると、古代の蓮である大賀蓮の池に行きました。夏にはたくさんの蓮の葉が生えますが、今は3月のため泥沼のような池が広がっていました。町田市ではこの蓮の糸を使って布を織っています。確か、藕絲館(ぐうしかん)と呼ばれる福祉施設?で織っていたように思います。一度見学に行ったことがあります。薬師池を出るとそのまま八王子まで歩こうかと思いました。でも10km以上はありそうです。以前は歩き通せたのですが、年のせいか疲れました。今回は薬師池近くのバス停から黒川駅までバスで向かいました。

          菅原神社から薬師池までのコース

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東京 町田街道をウォーキング(1/2)

2019年03月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

  13~18日東京に行ってきました。メインは16日の息子の披露宴でした。当初は13日夜に寝台車に乗って、14日朝に東京に着く予定で切符も手配していました。ところが、13日文科省出張が突然入ってきました。そのため、渡された対策資料を覚えたり、切符を切り替えたりと右往左往しました。緊張した13日でしたが、つつがなく過ぎたのでほっとしました。そして、あくる日の14日は思い出の町田市をウォーキングしました。

       町田市の中心街にある、生地・手芸用品の店オカダヤ


 町田市では最初に、夜学時代によく行ったレトロな食堂に行きました。人気の食堂なのですぐに入れず並びました。食事が終わると、生地や手芸のお店のオカダヤに行きました。今回は生地を物色しました。小学校の放課後学習で、子供達にかわいい自分用の椅子座布団を作ってもらうかも知れません。かわいい模様の布をいくつか見て回りました。たくさんあるので、どれにしていいか悩みます。たまたま近くにいた若いお母さん。自動車柄の生地を買っていました。聞くと、男の子用の服を作るそうです。

  久しぶりに東京駅    官公庁街の文科省     レトロで昭和な食堂
  

 町田市の町田駅前広場には「絹の道」の道標が建っています。幕末期西洋と貿易ができるようになると、この道標に沿う道を通って交易品の絹が横浜に送られました。絹の生産地である八王子と輸出港である横浜を結ぶ往還道がここを通っていたのです。その道標を起点に町田街道をウォーキングしました。

 町田市中心にある「絹の道」道標     夜学で学んだ町田福祉専門学校
 

 次に向かったのは町田福祉専門学校です。この専門学校は、私が会社で働きながら3年間夜学で学んだ学校です。私が50歳頃で、同級生のほとんどは高校卒直後の18歳位でした。今その同級生達は30歳代で良き母や父になっています。その同級生達といつか同窓会を開く約束になっています。続いて、さるびあ図書館に行きました。夜学の専門学校に通っていた頃、この図書館にお世話になりました。


  市立さるびあ図書館    町田高等学校       工事中の菅原神社
  

 次に町田高等学校の前を通りました。この付近は中学校もあるので、たくさんの生徒たちが下校していました。少しのどが渇いたので、町田高等学校の近くのコンビニで飲物を買いました。その後しばらく歩いて菅原神社に着きました。参拝しようと思いましたが工事中で入ることができませんでした。道を歩いていると子供を連れたお母さんと何人かすれ違いました。昔と比べて人が増えたように思います。工事中の箇所がいくつもあったので、10年後にはさらに変わっていると思います。

           のんびりウォーキングした町田街道ルート

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咲き続けている椿の花

2019年03月19日 | 樹木,果樹

 3月も中旬になり、梅の花はすっかり落ちました。その代わりにいろいろな花が咲き始めました。まず、椿の大きな花が次々に咲いては、その花びらが落ちています。我家には大きく3種類の椿があります。一つ目は普通の赤い花びら、二つ目は真っ白な花びら、そして三つ目は赤と白が混ざった花びらです。

        白と赤が混じる花びら、次々に咲いては落下
 

  子供の頃、この椿の花びらを摘み取っては根本を吸っていました。すると、わずかに蜜の味がするのです。甘いものがない時代のほのかな楽しみでした。甘みがふんだんにある今の子供達にはとうてい理解できないことでしょう。そのわずかな甘味が分かるでしょうか。

     赤と白がまじる花の椿         次々に咲く白く大きな花 

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春になり、雑草も次々に花が咲く

2019年03月18日 | 花,野草

 栽培種の植物は一般的に花が大きいものが少なくありません。しかし、野山で咲いている雑草は小さく地味な花を咲かせます。よく見ると、それでも春には綺麗な花を咲かせます。我家の周りは畑を除くと雑草の天下です。今の季節になるとおなじみの花が次々に咲いています。

           オオイヌノフグリの花、紫色の小さな花が特徴


 同じ雑草でも、他の雑草よりも勢いよく伸びる雑草にカラスノエンドウがあります。枯れ枝に巻き付くように伸びます。気が付いたらカラスノエンドウで埋まっていることがあります。この雑草はやっかいなことに紐式の草刈機では刈りにくい事です。茎が柔らかく伸びるので、草刈機に巻き付くのです。巻き付いてエンジンに負荷がかかり、草刈機が止まってしまうことがあります。早めに除草する必要があります。この雑草の刈り取りが、この一年の草刈りスタートです。

 野生化したオキザリス  紫色の花が咲くホトケノザ   地味なハコベの花
  

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咲き始めたボケの花

2019年03月17日 | 樹木,果樹

 真っ赤なつぼみが枝に並んでいるボケ。わずかですが咲き始めました。葉のない枝にたくさんのつぼみが控えています。花びらは小さいのですが、いったん咲き始めたらすべての枝がボケの花で埋まります。桜のような賑やかさはありませんが、春の到来を実感する花です。

       まだまだ花が少ない時期、とても清楚に感じるボケの花


 桜や桃もそうですが、ボケの花が咲き始める時には葉がありません。花が散ると、そろりと葉が出てきます。ボケの花が好きな理由は、花びらがわずかに白とピンクの境が微妙なグラデーションになっていることです。また、花びらごとにそのグラデーションが違うのです。そして、桜が咲く頃には静かに散っています。

 ボケの花びら、微妙なグラデーション     枝に付いたたくさんのつぼみ
 

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