去年は國木田独歩生誕150年でした。そのため、去年國木田独歩に関わる展示会を開催したり、独歩に関わる史跡巡りウォーキングで解説ををしました。その後、各公民館で國木田独歩に関わる講演をする予定でした。ところが、コロナ惨禍ですべての公演が中止になってしまいました。その原稿や資料などがすべて無駄になってしまいました。
改めて今年、國木田独歩に関わる第1回目の講演を麻郷公民館で実施しました。1度休憩をはさんで2時間ほど喋り続けました。少しばかり疲れました。1年遅れでしたが講演できて良かったです。
講演15分前、プロジェクタやスクリーンなどを調整
話をした内容は、國木田独歩が銚子で生まれてから南湖院で亡くなるまでの生涯です。主に田布施時代の関わりを解説しました。さらに、独歩に関わる史跡の現在を解説しました。例えば、独歩の「帰去来」や「欺かざるの記」によく出てくる高塔山を実際に歩きました。歩いたと言うよりも踏破したと言った方がよいくらい、山頂や尾根は荒れ果てていました。また、独歩に富永有隣を紹介した東久治の写真を麻郷小学校で発見した話などもしました。そして、独歩が仮寓した吉見家跡、独歩が登った吉見山、独歩が訪れた麻郷神社、独歩と交流があった八海の桂糺の家跡なども訪れました。・・・などなど、制限時間いっぱいにお話をさせていただきました。
独歩講演最初のタイトル映像 個別質問を受けた10分間の休憩中
私が田布施に来てからおよそ10年になります。最近、亡き父親が植えた樹木の管理に困っています。今回伐採したのは通路の左右に植えてあるカイヅカイブキです。植林してから30年以上経つのではないかと思います。その枝が広がり、通路に垂れ下がるようになりました。雨の日はより重く垂れさがり、車にばさばさ接触します。これ以上は放置できず、やむなく枝を伐採しました。
梯子をかけてカイヅカイブキの枝を伐採
カイヅカイブキの枝は梯子をかけないと届きません。梯子を登り、垂れ下がった枝を次々に伐採していきました。今回は一時的な対処です。今後も次から次へ枝が垂れ下がると思います。伐採する枝や樹は他にもたくさんあります。枝の他にも笹などの下草もあります。1人ではとても管理しきれません。婆様の介護もだんだん深刻になってきました。今後は郷土館の仕事やボランティアなどを減らします。それでないと、とても1人ではやっていられません。
左右の枝が垂れた通路 電動ノコギリで伐採 集積した伐採枝
由宇歴史民俗資料館、もう少しじっくり見学したかったのですが、時間が押していたためやむなく出ました。次、とても貴重な史跡があるとのことで、Sさんの実家近くに行きました。
それは山陽本線を横断する水路の史跡でした。その昔、鉄道を敷設するため山裾を削ったそうです。そのため、線路から海側の田んぼに水を送れなくなったそうです。その解決のため、サイホンの原理を応用して丘を越えて水を流す水路を作ったそうです。いわばU字型になった水路トンネルです。いったん線路下に降りた水を、丘を登って通す特殊な水路トンネルの遺跡です。
長い坂道の終点、銭壺山の山頂
水路トンネル遺跡を見学すると、のんびりと坂道を登りました。川の左右に棚田が広がる桃源郷のような里を通りました。里の方でしょうか、数人が野良仕事する姿が見えました。しばらく登ると、先日の台風で落ちた枝を避けながら歩きました。この里は、川を中心にした素晴らしい里山にみえました。
少しずつ高度があがる 大畑のバス停 黄幡神社を訪れる
その後、JR由宇駅から通じる道に合流しました。そして、大畑地区を通過して古びた黄幡神社に寄りました。石鳥居をくぐると祠がありました。江戸時代に本殿が消失してからは再建されなかったとのこと。黄幡神社を後にしてしばらく歩くと、ふれあいパークの施設が見えてきました。
鳥居をくぐると小さな祠 もう少しで銭壺山頂上に到着
ふれあいパークを過ぎた頃、小学生達がお昼ご飯を食べているのがみえました。どこの小学校か聞くと余田小学校の生徒さん達でした。お泊り教室とのことです。銭壺山周辺で自然体験をするのでしょう。子供達に別れを告げると、銭壺山山頂に向かいました。山頂はお地蔵様とテレビ塔があるだけの寂しい山頂です。日陰も無く日射が暑いので、展望台の東屋に向かいました。東屋に着くと、景色を堪能しながら遅めのお昼休憩としました。涼しい風が吹き抜け、少しばかり肌寒かった東屋の日陰でした。
銭壺山に至る史跡巡りウォーキングの下見コース
草木染めする植物のひとつである茜(あかね)を今年から栽培しています。初めての植物のため育て方や育ち方がさっぱり分かりませんでした。例えば、どんな花が咲くのかさえ分かりませんでした。今、その花が咲き始めました。その花は、何とまあ極小の花でした。虫眼鏡で観察しないと見えないような小ささでした。また、花弁らしきものもありますが、やや白いものの緑がかっているため、とても目立たない花です。こんなに小さな花なので種も極小ではないかと思います。
ようやく咲き始めた極小で目立たない茜の花
茜全体を見ると、どこの葉も花ばかり咲いています。これから秋になって寒くなるので、種を実らせて枯れるのでしょう。そして、春になると地面に落ちた種から芽が出るのではないかと思います。茜は元々は雑草なので、来春こぼれ種から芽が生えるかも知れません。来年はもう少し多く育てて、草木染めに使ってみようと思っています。
草と同じで目立たない花弁の色 あちこちの枝葉に花がたくさん咲く
半年以上前から制作していたミニ座布団がやっと完成しました。クッションをカバーに押し込んで、入口を毛糸で縫って閉じました。外側の袋は、かいたファームの羊(きなこ)の毛を紡いで編んで作りました。内側のクッションは、田布施農工高校で飼われている羊(茶々丸)の毛です。クッションの袋は絹製なので、このミニ座布団は100%山口産ウールではありませんが、いいことにしましょう。今年も山口ウール展があれば出品してみようと思います。
やっと完成した山口ウール製のミニ座布団
このミニ座布団は椅子に乗せて使います。試しに使ってみましたが悪くありません。何年か使うとへたると思います。その時は、クッション部を取り出して中の羊毛をカーディングし直しすれば生き返ると思います。次は簡単なカーディガンでも作ってみようかと思っています。
紡いだ毛糸を針に通す 座布団袋の入口を縫って閉じる
9月上旬に種まきした大根がだいぶ混んできました。そのため、1株2本に間引きしました。元々1株に4~6粒の種を蒔いていたため、芽生えていた大根がお互いに絡み合っていました。そのため、絡まないようにそっと間引きました。今回は2本/株の大根を残しましたが、10月になったら最終的に1本/株に間引こうと思います。今のところ順調に育っているため、12月には立派な大根を収穫できるのではないかと期待しています。
きついながらも腰を曲げて、大根の間引き作業
大根を間引いていると、1株だけ葉が縮れている箇所がありました。その縮れた葉を指で開くと、青虫が潜んでいました。その虫が葉を食べていたのです。その青虫を指で摘まんで、遠くへ放り投げました。葉をだいぶ食べられていので、他の大根より成長が遅れると思います。無農薬で栽培すると、このように虫の被害にあうのは仕方ありません。時々見回っては、今回のように害虫を摘まみ出すしかありません。
間引いて2本残した大根 間引き終わった大根の畝
タマネギの育苗をしていますが被害を受けました。台風の大雨で種まきした箇所が水浸し状態になりました。そのため、種や芽が一部傷みました。そして、イノシシ又はタヌキが何故かタマネギの畝を掘り返しました。あるいは踏み跡が付いていました。ミミズがいると思ったのでしょうか。そのため、今年は我家分だけしかタマネギを育苗できません。
今年は我家分だけしか育苗できないタマネギ
タマネギは、芽が出たばかりでとても細く小さいです。雑草の方が大きく育っています。そのため、雑草を引き抜く時は注意が必要です。雑草を引き抜くつもりが、一緒にタマネギの苗を引き抜いてしまう失敗をしてしまいます。また、雑草を引き抜く時にその根元を押さえます。そうしないと、傍に生えていたタマネギが雑草の根に絡んで一緒に抜かれてしまうことがあります。たかが草取りですが、育苗している畝は特に注意する必要があります。
まばらに雑草が生えた育苗畝 雑草を取り終わった育苗畝
草取りをして気が付いたのは、種まきした箇所が窪んでいると、発芽がよくありませんでした。一方、窪んでいなかった箇所はよく発芽していました。前者は、台風による大雨で水が溜まりやすかったのです。後者は雨の水が流れやすかった箇所です。雨の水が流れやすいように、すべて斜面状にしておけば良かったようです。雨や風を予測しながら畝の形状を考えれば良かったと反省しています。
ほどよく発芽していたタマネギ苗
9月の史跡巡りウォーキングが台風で延期になりました。その9月の史跡巡りウォーキングをする前に、10月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。銭壺山を登り降りする間にある史跡を巡るウォーキングです。まずは、JR田布施駅で電車に乗って、JR神代駅で下車しました。JR神代駅に降りたのは初めてです。駅構内に何かの歌碑がありましたが、草に覆われてよく見えませんでした。駅の外に出て国道188号線に出ると小さなお地蔵様がありました。また、道脇にオリンピックカンナが群生していました。60年前の東京オリンピック時に植えたのに違いありません。次にバスに乗りました。そして、由宇歴史民俗資料館前でバスを降りました。
船の形をした由宇歴史民俗資料館を見学
由宇歴史民俗資料館に来たのは10年ぶりのことです。10年前とは変わっていました。まず受付ですが、以前は館内の奥にありました。それが今は入口にありました。展示位置は大幅に変わっていましたが、展示物はあまり変わっていませんでした。重量物のジャガー織物機は元の位置にそのまま展示してありました。重くて移動できなかったのでしょう。見覚えがある展示物がたくさんありました。何年か前に再オーブンしたのでしょう。絨毯や階段などが綺麗になっていました。
初めて降りたJR神代駅 駅近くのお地蔵様 オリンピックカンナ
JR神代駅は初めてでしたが、神代付近の海岸は子供の頃に時々来たことがあります。一番よく覚えているのは船の進水式を見たことです。新造船が海に向かって砂浜を降りていく光景を、今でも覚えています。ちなみに、我家の牛舎は神代にあった造船所の建物を移築したものです。牛舎の中で船が作られていたことを思うと不思議です。柱の根元は今でも塩をふいており白くなっています。
造船に関係する展示物 織物などに関係する展示物
かつて造船所があった海岸を久しぶりに訪れて嬉しくなりました。私が子供の頃、神代の海岸は延々と砂浜が続いていました。そして、造船所の建物が海岸に接するように所々並んでいました。船は、今のような鉄工船ではなく木造船でした。今は木造船を見ることはなくなりました。木造船を作る技術は失われてしまったのでしょうね。神代の造船所は私の貴重な思い出です。その思い出の造船所の建物が、今でも我家に残っているなんて奇跡かも知れません。
銭壺山に至る史跡巡りウォーキングの下見コース
藍染めに使うインド藍は、風に弱いのか地面にべったりと寝るように倒れていました。先日の台風14号のためです。今年は忙しくて、インド藍で藍染めする時間が取れませんでした。また、今だにその染め方がよく分かりません。薄く染めることはできますが濃くは染めることができません。
そのインド藍を起こしている時、よく見るとマメ科特有の花がたくさん咲いていました。また、たくさんの鞘ができていました。種ができているです。熱帯性の植物ですので、染め方と同時に育て方が良く分かりません。熱帯性の植物ですので、そもそも田布施町では育たないのかも知れません。
倒れたインド藍を起こして、立てた杭に結び付ける
さて、倒れていたのは一番大きく成長していたインド藍でした。そのため、花が咲いたり鞘ができていたのでしょう。これまでインド藍を栽培していて気が付いたことがあります。それは、大きく成長するほど早く花が咲き鞘ができることです。結果的に、種を取ることができるのです。日当たりが悪かったり肥料分が少ないと、成長が遅れて花が咲かないのです。温帯の日本では育てにくいのです。沖縄でしか育てられないようです。
ばったり倒れたインド藍 隣に杭を打ち込む 杭とインド藍を結ぶ
文献によると、日本で藍染めに使うタデ藍よりもインド藍の方が藍の成分(インジカン)が多いとのことです。そのため、インド藍をうまく育てることができれば、タデ藍より藍染めに使えるようです。しかし、育てることが難しくて毎年栽培に奮闘しています。今年の夏も終わりました。来年はもう少したくさんのインド藍を育ててみたいと思っています。
インド藍は豆科植物、豆科特有の花 花が咲き終わると鞘ができる
栗の樹の下に行くと、栗がたくさん落ちていました。台風14号の大風で揺さぶられて落ちたに違いありせん。あたり一面、イガ栗や栗の実が転がっていました。栗の実は簡単に拾い集めることができました。しかし、イガ栗に収まる栗の実を取り出すのは大変です。靴底が厚い長靴で踏みつけつつこじりながら実を取り出しました。硬い棘が長靴を何ヵ所か貫通しました。その棘はあとでペンチで抜きました。これで、しばらくは栗の実を堪能できそうです。秋真っ盛りです。
ボールに入れたたくさんの栗、脱虫後にボイルして食べる
収穫した栗は一粒ずつ検査しました。穴が開いている栗は虫が入っています。そのような栗は捨てました。さらに、バケツに入れて水を注ぎました。水に浮く栗は虫が食べているため、これまた捨てます。バケツの底に沈んだ栗を半日観察します。虫が出たり虫が見えた栗は捨てます。水に入れると酸素が無くなり、虫が栗の外に出るのです。こうして合格したを栗を食べます。ボイルした栗の皮を剥いで食べます。収穫した栗を食べていると、やっと秋が到来したことを実感します。
栗の樹の下に落下した栗や棘 栗の実が見えるイガ栗
いろいろ忙しくて、座布団作りの時間がなかなかとれません。今回は、カーディングした羊毛を詰め込んだクッションを完成させました。絹布で作ったクッション袋に羊毛をギューギューに詰め込んだ後、その詰め込んだ入口を縫って閉じるまでの作業をしました。
残りの作業は座布団の外側の袋を閉じるだけです。編んだ毛糸布が思ったより縮んだため、ミニ座布団になってしまいました。床の間などの広間で使う座布団ではなく、椅子に載せるミニ座布団として使えます。実際に使ってみました。座り心地、なかなかが良いです。
羊毛のクッションを入れたミニ座布団、この詰め口を閉じるだけ
さて、クッションを完成させるため最後の羊毛を詰め込みました。洗浄しておいた羊毛(羊:茶々丸)をドラムカーダー2回通してふわふわにしました。それを絹布袋の中に均等にギューギューと入れました。そして、羊毛を入れた口を縫ってふさぎました。その後、叩いたり押したりして平均的に羊毛が収まるようにしました。
羊毛をカーディング 羊毛を袋に挿入 糸で縫い合わせる
羊毛を入れ終わると、クッションの入口を糸で縫い合わせます。羊毛の張力があるので、布を手繰り寄せるようにして縫います。縫い目が小さくなるにしました。いわゆるたてまつり縫いでしょうか。次に詰め込んだ羊毛が寄らないように、クッションの四ヶ所を寄れ止めしておきました。素人裁縫なのでよく見れば変ですが、これでいいことにしました。次回、編んだ座布団の外側の袋を閉じて終わりです。
糸を軽く通して寄れ止め 寄れ止めした四ヶ所
白菜の種まきを済ませ、その同じ畝にキャベツの苗を植えました。たまたまなのですが、工作に使う木材を物色するためにDIYのお店に行きました。すると売れ残りでなのしょう、安いキャベツの苗を売っていました。安さにつられてその苗を買ってしまいました。台風は午後に来るようでしたので、そのキャベツの苗を午前中に植え付けしました。そして、台風の風にあおられないように寒冷紗を被せておきました。
購入したキャベツの苗を台風襲来前に植え付け
キャベツの苗は六つ入りでした。そのうちの三つを白菜の並びの穴に植え付けしました。続いて、午後から台風が襲来予定のため、防風も兼ねて寒冷紗を被せておきました。風が強い台風とのことでしたので、寒冷紗の周りにレンガを何個か置きました。これで苗が吹き飛ばされたり倒れたりしないと思います。この台風を乗り切れば、順調に根付いて成長すると思います。そして、1月には美味しいキャベツを収穫できると思います。
購入したキャベツ苗を移植 寒冷紗の周りにレンガを置いて固定
白菜とキャベツは苗を購入して育てようと思っていました。たまたま園芸店で種袋を見ると、まだまだ種まきが間に合う早生白菜の種を見つけました。小型の白菜です。その種を購入すると種まきをすべく急いで我家に帰りました。そして、畑を耕して畝を作るなどして種まきを済ませました。明日以降台風が来そうですので、水やりをする必要はありません。種袋の記載によると、9月中旬に種まきを済ませると、今年度も美味しい白菜を収穫できそうです。白菜は、漬物にも汁物にも使える便利な野菜です。収穫が楽しみです。
白菜用の畝を至急作り、各穴に数粒種まき
白菜の種をまいた場所は、ニンニクなどを育てた畝です。古い黒マルチをはがして残渣を取り除き、耕運機で何度も丁寧に耕しました。三本クワでに畝を盛り上げ、レーキで形を整えました。そして、雑草が生えないように、また冬には保温の効果がある黒マルチを被せました。それが終わると、種をまく穴を開けました。
耕運機で丁寧に耕す 三本クワで畝作り 黒マルチを被覆
穴を開けるため、空き缶の片側を金切りバサミで鋭く切りました。鋭くした箇所を黒マルチに押し込むとスポンと綺麗な丸い穴があきます。種まきする箇所分の穴を次々に開けました。穴と穴の間隔は50cmにしました。すぐに白菜の種をまいて、薄く土を被せておきました。なお、キャベツの苗を植えるための穴を4個残しておきました。さて、今年はちゃんと白菜を収穫できるでしょうか。
空き缶で白菜の種まき用穴を開ける 次々に穴に白菜の種をまく
わら細工民具ほぼろを作るにあたって、前回は藍染めした紐で底を編みました。今回は、同じく藍染めした紐で内側を編みました。そして、取っ手を付けて完成しました。内側を編むにあたってワラの端を切りそろえました。ほぼろの内側はワラの端が盛り上がって編みにくいためです。
本来のほぼろは、ワラの長さに合わせて大きさが違うものなのです。長いワラを使えば大きなほぼろに、短いワラを使えば小さなほぼろになります。そのため、ほぼろの大きさを統一するならば、ワラの端を切ってそろえる必要があります。今回はワラの端をハサミで切って揃えました。ちなみに短いワラで大き目のほぼろを作ったため、内側をきちっと編めなかったほぼろを見たことがあります。そのようなほぼろは底が抜けがちになります。
藍染めした紐を使って編んだほぼろ
さて、内側に盛り上がったワラの端を切りそろえると、底が抜けないように紐で編み込んでいきました。底と同じように蜘蛛の巣のように外側から内側に向かって編み込んでいきました。ほぼろの内側に両手を差し入れて、曲がり針をほぼろの内側と底側を通します。そして、通しながら紐をきつく縛ります。ちなみに、紐は水で湿らせておきます。麻紐は湿らせると伸びて、乾燥すると縮みます。そのため、編み込みが終わって紐が乾燥すると締まるのです。
曲がり針を使って編む 紐なしほぼろ完成 ほぼろに取っ手を付ける
最後に取っ手を取り付けてほぼろが完成します。取っ手もワラを編んで作ってもよかったのですが、今回は市販の太めの三重麻紐を使いました。手さげになるように、適度な長さの紐を2本使いました。その紐の端を解いてほぼろの縁の四ヶ所に結び付けました。今回は手さげにしましたが、お好みによって肩掛けにもすることができます。去年の五月、肩掛け、手さげ、手持ち無しの三種類のほぼろを製作しました。
なお、制作後に思いました。紐をより濃く藍染めした方が良かったかなとの思いと、底と内側の編み込み螺旋模様をもう少しデザイン的に良くすればとの思いです。
ほぼろの内側の編み込み完了 手持ち紐を取り付けて完成
我家の美味しいイチジクをほぼ食べ終わりました。そのイチジクの樹を観察すると、あちこちがカミキリムシの被害にあっていました。なお、この春にカミキリムシ予防として根元を中心に薬を塗っておきました。そのため、根元は比較的被害にあっていませんでした。
折れている枝先がいくつかありました。カミキリムシの幼虫が枝先の茎を食べたため、折れてしまったのです。こうなると、その枝を諦めるしかありません。折れた枝先は回収しました。そして、カミキリムシの幼虫の食べかすが出ている箇所を探しました。食べかすが出ている穴の中に幼虫が潜んでいるのです。
カミキリムシの幼虫が潜んでいる穴に薬を注入
ところで、イチジクの害虫はカミキリムシだけだとばかり思っていました。ところが、先日別の昆虫が幹をかじっているのを見つけました。甘い匂いに誘われてきたようです。それは、クワガタです。見つけたのは雌で、幹の表面をがしがしとかじっているのです。甘い汁がお目当てだったのではないかと思います。クワガタは幹をかじるだけで、カミキリムシのように幹の中に巣食う訳ではありません。比較的被害の少ない珍客ではないでしょうか。
折れてぶら下がる枝 幹から噴き出る木屑 太い幹から出る木屑
さて、カミキリムシが巣食う幹からは木屑のようなものが噴き出ています。その噴き出る穴を見つけてそこから薬を注入します。注入すると、近くの穴から薬が噴き出ます。穴から穴へと移動しながら幼虫は幹の中を食い荒らすので。幼虫が移動するトンネルになっているのです。とにかく穴を見つけては薬を注入することの繰り返しです。この幼虫を退治しないとイチジクは枯死してしまうのです。憎き害虫なのです。
一見元気に見えるイチジクの樹 次に実るはずのイチジクの実