果樹の剪定をする前に、自分の頭を綺麗にしました。いつもの床屋さんに行きましたが、予想通りとても混んでいました。12月初旬に行けば良かったかなと思いました。その後、もう一度出直して散髪をしてもらい助かりました。散髪が終わってバイクに乗ると、首回りがスースーして寒いこと。さて、午後の大半は果樹の剪定に費やしました。
甘柿の剪定、背を低く グミの木も剪定 枝にぶら下がったみのむし
最初に柿の剪定をしました。渋柿はそれほど大きくないので、甘柿だけを剪定しました。枝が高く伸びると収穫が大変になります。自分の背の高さに広がるよう剪定しました。また、木全体に日が当たるように、また枯れた枝を落としながら、さらに樹形を考えながら剪定しました。果樹の盆栽と言ったところでしょうか。
桃の木2本をノコギリと剪定バサミで剪定中
その後、グミの木を選定してから桃の木を選定しました。桃は去年剪定しなかったためずいぶんと高く伸びていました。桃の木2本を柿と同じように、背の高さ程度になよるう剪定しました。意外に時間がかかり、アンズやビワなどは後日剪定しようと思います。切った枝はたき火で燃やすため、まとめて運びやすいように一ヵ所にかためて置きました。柿やグミなどは世話いらずですが、桃は世話がとても大変です。春先の害虫退治と初夏の袋がけ特に大変です。その代り、収穫する時は喜びがあふれます。
上ではなく横に広がるように剪定した桃の木
今年は仕事が忙しくて、農作業、特に山の下草刈りや花の世話などが思うに任せませんでした。今後もしばらくは忙しそうなので、余分な樹木や花をどんどん整理しています。樹木で言えば梅をどんどん伐採しています。放置しておくとどんどん伸びて大木になります。特に棘のような枝は厄介です。1本あれば十分です。檜もどんどん伐採しています。
5月花期ののアイリス 耕耘機で耕す レーキで畝を整える
今回はアイリスを整理しました。まずジャーマンアイリス3畝のうちの1畝をつぶしました。耕耘機で耕すと、細切れになった芽付きの根がたくさん出てきました。それらの根は、植えればまた成長して花が咲きます。そのため、友達に差し上げました。その畝跡に別の場所から掘り出してきたアイリスの根を植え付けました。アイリス系の花を近くにまとめるためです。
別の場所にあったアイリスの根、小さな芽が付いている
アイリス系の植え替えは秋が適期のようですが、来年の秋までは待っていられません。正月前の今日、植え替えをしました。掘り出した根を見ながら芽が数個付くようにハサミで分けました。そして、ジャーマンアイリス2畝の隣に作ったアイリス用の1畝に2列植え付けました。土を被せて鎮圧後、2列の間に肥料を蒔いておきました。3月位に芽がどんどん出て、5月に花を咲かせるはずです。ただ、植え替え時期ではなかったため、来年は葉が茂るだけで花が咲かないかも知れません。
ところで、樹木や花などの植物を整理していますが並行して、粉ひきに使っている農作業小屋も音楽を聴いたりお茶くらいできるように改造しています。また、桃,柿,アンズ,びわなどの剪定作業も待っています。
アイリスの芽付き根を置く 土をかぶせて鎮圧後に施肥
田布施町郷土館では、今年3月に佐藤栄作元宰相映像展示会を実施しました。そこで、来年3月は岸信介元宰相の映像展示会を実施しようと思っています。佐藤栄作元宰相展示会ではたくさんのVHSビデオを並べて来館者に選んで鑑賞していただきました。しかし、岸信介元宰相のVHSビデオがとても少ないのには最初困りました。
古い16mmフィルム映写機 操作説明書 16mm記録フィルムをセット
ところが、代わりにたくさんの16mm記録フィルムがあることが分かりました。そこで、VHSビデオに加えて16mm記録フィルムを放映することにしました。そこで、倉庫に保管されていたとても古い16mmフィルム映写機を出してみました。私は8mmフィルム映写機の操作は知っていましたが、16mm映写機を操作したことがありません。今までの知識を総動員して映写機を注意深く動かしてみました。すると、ランプも光るし、駆動系、音響系も正常に動くことが分かりました。
16mm記録フィルムをリールにセットした16mmフイルム映写機
16mmフィルム映写機が正常に動作することを確認すると、実際に記録フィルムをリールにセットしてみました。電源スイッチを入れると、映像が正常に映り音もちゃんと出ました。いろいろな記録フィルムを試してみましたが、1本だけはフイルムにカビが生えているのか正常に映りませんでした。今後、すべての16mm記録フィルムを試してみます。そして、正常の映る記録フイルムだけを展示会で放映する予定でいます。ついでに、8mm記録フィルムやスライドフィルムも試してみようと思っています。
フィルムを送りつつ強い光のランプ 60年安保調印式記録フィルム映像
今年は、これまで最も小麦の種まきが遅れた年でした。12月になってからの種まきは初めてのことです。標準的には11月初めが種まきの適期です。そのため、分げつはしないのは当然として、発芽しないのではないかと心配していました。12月も終わりの今日、種をまいた畑に行ってみました。すると、うっすらと小麦が発芽していました。いやあ、良かったです。
1cm位芽が伸びていた小麦 日当たりが良い場所は3cm位
発芽の様子を観察すると、日当たりが良い場所は3cm位芽が伸びていました。一方、日当たりが悪い場所はまだ芽が出ないか、出ていても1cm位でした。まだまだ寒い日が続きます。1月になって一度、麦踏みをしようと思っています。また化成肥料でも蒔こうと思っています。
畑全体にうっすらと小麦の芽生え
道が分からないほど竹が生い茂った道跡をどんどん降りて行くと、ようやく人家の屋根が見えてきました。その人家の横を出ると、上組集会所すぐ下の舗装道路に出ました。これでアドベンチャーなウォーキングは終わりです。私は何度も通った山の中でしたが、私以外の4人は初めてでした。とても歩きにくかったと思います。下見でしか味わえないコースではなかったでしょうか。
桜川本流の橋 橋の傍のお地蔵様 遠くに見える大泉寺
舗装道路に出ると、かつて伊保木と麻郷を結んでいた往還同道を歩きました。この往還道は伊保木~千坊山~上組~大泉寺~伊左里峠~麻郷を結んでいます。その難所の一つが上組でした。特に上組から大泉寺の途中にある急坂です。今は誰も通らず藪になっています。その急坂を左に見ながら道を下り、桜川本流に架かる橋を渡りました。橋の袂にはお地蔵様があります。
上組中村じょうの坂を登る 妙見社はもうすぐです
桜橋を渡って上組中村じょうに行きました。中村じょうには数軒の民家があります。その民家の間にを通る小道をどんどん登りました。10分位山道を登ると妙見社のお社が現れました。かつては、中郷の住吉神社のお祭りと同じ日に妙見社のお祭りがあったそうです。そのため、上組と中郷の人は互いの神社のお祭りには行かなかったとか。現在、妙見社のお祭りがまだ行われているかどうか分かりませんが、住吉神社のお祭りには上組の方も参加しています。
麻里府上組中村じょうの山奥に鎮座する妙見社
去年だったかお正月に妙見社に初詣したことがあります。今でも上組の方々に敬われているようで、新しい注連縄が張られていました。妙見社では立ったまま休憩しました。妙見社を出ると、中郷に向かって歩きました。上組と中郷の間位にある明神社跡を見学しました。お社の跡をわずかに確認できました。中郷の住吉神社は、江戸時代にこの明神社から移った神社です。
中郷のお地蔵様 尾津西のお地蔵様 バス停でバスを待つ
明神社跡を見学し終わると、喫茶Berry Berryの横を通って尾津中に向かいました。今回下見した日は、たまたまBerry Berryのお休みの日でした。しかし、本番ウォーキング時にはBerryBerrに寄って休憩する予定です。Berry Berryを過ぎると、尾津中の別府バス停に向かいました。そして、バスに乗って出発地点に帰りました。なお、本番ウォーキングでは麻里府公民館を集合地点にしようと思っています。下見に参加された方々、お疲れさまでした。
今回の五軒屋~竹尾~麻里府下見ウォーキングコース
いただいた渋柿のいくつかは熟し始めていました。そのような渋柿は、溶け始めて透明になりかけています。試しに食べてみましたが渋は抜けていませんでした。つまり、完全には熟してはいませんでした。そのため、熟し始めた渋柿も構わず干柿にすることにしました。
熟し始めた半透明な渋柿 まずはへた周りを注意深く剥ぐ
熟し始めている渋柿は、手にもつと形が崩れて壊れそうになります。そのため、優しく持ってへた周りを剥ぎました。剥くときにどうしても持つ手に力が入ります。そのため、渋柿が崩れて汁が指のの間から滴り落ちます。皮を剥(は)ぐというよりも、皮を捲(めく)る感じです。このようにして熟し始めた渋柿もすべて干しました。
ようやく皮を剥ぎ終わる 紐に渋柿を結ぶ 結び終わった渋柿
干柿にした渋柿を数えてみると206個ありました。我家では100個食べることができれば十分です。残りの100個ほどは差し上げようかと思っています。まだ干している途中なので食べても苦くて美味しくありません。最短でも正月が明けるまでは食べることはできません。熟し始めた渋柿は早めに食べることができます。また、途中で揉んだり叩いたりすると糖分が析出して白くなります。食べるのがとても待ち遠しいです。ところで、まだまだ渋柿が送ってくるかも知れません。いつ干柿作りが終わるのでしょう。
すだれのように干している干柿
山口県内では田布施町郷土館など各地で、7月から山口どこでも紙芝居をしています。各場所で開催されている紙芝居を見に行くとカードに判子が押されます。何度か参加すると、もれなく景品がもらえるのです。この24日、田布施町郷土館で最後の紙芝居がありました。最後のためか、いつもより多くの大人や子供達が参加しました。30人位の方が参加されたでしょうか。
郷土館外の案内旗 紙芝居開催直前 いよいよ紙芝居の始まり
演じられた紙芝居は、田布施町の民話を主に題材にして制作されたものです。田布施町は山あり、谷あり、海あり、飛び地ありの何でも揃っている郷土です。また、さまざまな野生動物が今でも田布施には住んでいます。実際、我家の裏山にはキツネ、タヌキ、フクロウ、キツツキなどが住んでいます。
紙芝居に聞き入る大人や子供達
紙芝居に出てくる野生動物にはキツネ、タヌキ、カニなどがいます。歴史的な物語もあります。例えば、お侍、お姫様、早乙女、仏様などです。もちろん怖い山姥などの話もあります。このようにいろいろな民話や言い伝えなどが紙芝居として演じられています。今年は30作目が制作されました。紙芝居が終わるとくじ引きの始まりです。子供達には、いろいろなお菓子や景品などが当たりました。
演じられた紙芝居の数々 子供をあやしながら見る母さんとツリー
ところで、この日の夜にケーキを食べました。婆さまとの二人クリスマスと言ったところでしょうか。お店で売っていたカットケーキをいくつか買ってきて食べました。かつてボーイスカウトで子供達を指導をしていた頃、ケーキをチーム別に作らせては競わせていました。
その後、子供達は巣立っていきケーキを囲んで祝うこともなくなりました。数日前、息子は彼女とディズニーランドに行ったようです。今日は一緒にケーキを囲んでクリスマスを楽しんでいるのでしょう。思いおこせば30数年前、結婚する前に家内とケーキを一緒に食べたことを思い出しました。時の経つのは早いものだとしみじみ思います。
ケーキを食べる婆様 30数年以上前、家内とケーキを食べている私
麻里府上組を通る古道の脇の山道に入りましたが、すぐに道が無くなりました。数十年前は道があったのでしょうが、崩れたりして全く分かりません。初めてこの山の入った人は、ここに道があったとは思えないでしょう。道があったことが分かるのは、あちこちに潰れた廃屋があるためです。その廃屋の横の斜面を登るようにして歩きました。そして、暗い山に半ば放置された人丸社に向かいました。
道が無い斜面をひたすら登る やっと見つけた人丸社と裏にある祠
何度か斜面を迷いながら登って行くと人丸社の建物が見えてきました。こんな山の中にお社があるとはとうてい思えません。私がこの人丸社を知ったのは、数年前に上組の古老にインタビューした時のことです。古老によると、自分は行ったことはないがおできに効くお社との言い伝えが残っているとのこと。古老の奥様は、そのインタビュー時に初めて人丸社のことを聞いたとのこと。それほどに古く廃されたお社だったのです。
屋根がかろうじて残っている人丸社
人丸社の周りには灌木が生え放題でした。そのため、足でまたぐようにしながらお社の周りを歩きました。人丸社の裏側には瓦でできた祠がありました。おそらく、人丸社がまだ敬われている時に、引っ越しした家族がお社を置いていったのではないかと思われます。この人丸社に限らず、お社の周りによく小さな祠があります。それは、往々にして引っ越しする時に残された祠なのです。
人丸社を出ると、木が倒れた道跡や斜面を通過
人丸社を出ると、麻里府上組集会所に向かって山の中をさ迷うように歩きました。何十年も放置された里です。竹が生え放題です。竹が生えすぎて森のように暗くなっています。また、道とおぼしき場所に竹が何重にも倒れていました。竹を避けるよう、枯れた竹を踏みつけながら、そして竹をまたぎながら斜面を降りていきました。竹の間を歩きながら、廃屋の跡を通りました。かつては多くの民家があったことが分かります。かつて横尾じょうと呼ばれていた場所ではないかと思われます。人丸社に行くには、このようにアドベンチャーでリスキーなウォーキングとなります。そのため、本番ウォーキングでは歩きません。
竹の森をさ迷うように歩く 枯れた竹を踏みつつ下る
この秋に収穫した各種綿を綿繰り器にかけて、綿と種を分離しています。その作業する人も足りないのですが、そもそも綿繰り器が足りません。今のところ2台で棉繰りをしていますが足りません。かと言って、購入するには高価です。オークションで探してみても、けっこう高価な値段です。そのため、故障して動かない綿繰り器をただみたいな値段で入手しました。そして、直してみることにしました。
分解された故障綿繰り器 組み立てると楔なし 楔を手製で制作
手に入れた綿繰り器を見ると、いっけん何もないように見えました。しかし、組み立ててみるとハンドルを回すことができません。そこで、正常に使っている綿繰りと比べてみました。すると、楔が1本欠けているではありませんか。これではハンドルを回しても動くはずがありません。
手製の楔を所定の場所に差し込む
欠けた楔を作ることにしました。そこで、DIYのお店に行って適当な板を購入しました。そして、さし金を使って楔を作るための線を引きました。次にのこぎりで板を切って楔を切り出しました。紙やすりで磨いて楔を完成させました。
できあがった楔を綿繰り器に差し込むと、ハンドルが軽快に回るようになりました。綿を入れると種と綿を分離できることを確認しました。ただ、小さい種はローラーに巻き込むので、種が小さい和綿には不向きのようです。とにかく直すことができて良かったです。
手前に綿の種だけが残る 反対側には分離された綿を排出
1週間ほど前にゴミや汚れを取った羊の原毛を、専用の洗剤で洗浄してから乾燥させました。素人の私としては当初どの程度時間がかかるか分かりませんでした。そのため、原毛専用の洗剤に書かれていたマニュアルに従って作業を進めました。最初、お湯に原毛を1時間ほど浸します。1時間待つ間に原毛の選別など別の作業をします。1時間経つと、お湯の中で軽くゆすぐようにゴミや汚れを取ります。その後、汚れたお湯を洗い流します。
最初お湯で汚れ落とし 固形洗剤を溶かす 1時間ほど原毛の選別
次にモノゲンと呼ばれる原毛専用の洗剤を使って原毛を洗います。ただ、柔らかいものの固形石鹸です。最初にその石鹸を少量のお湯に溶かします。溶かすと白く白濁します。液体洗剤ではないため石鹸の粒が残らないようによく溶かします。その白濁した洗剤を、お湯をはった槽に流し込みます。そして、お湯全体を回すようにしながらお湯全体に石鹸を溶かします。
槽内で洗っている原毛、ゆっくりと押し洗い
専用洗剤による洗浄は2回しました。今回洗浄してみて、思った以上にお湯をたくさん使うことが分かりました。少量の原毛ならばポットで沸かしたお湯で洗浄できますが、たくさんの原毛を洗浄するならば、給湯設備がある場所で作業する必要があるようです。
汚れた洗浄液を流す 風を当てながら天日乾燥中
今回羊の原毛を洗浄してみて、半日程度の余裕をもって作業する必要があることが分かりました。お湯だけでの洗浄1時間、洗剤により洗浄2回2時間です。ざっとみて3時間は必要です。洗浄が終わると網の上に置いて自然の風を当てながら天日乾燥させました。乾燥後に手に取ってみると、薄い黄ばみが部分的に残っていましたが、全体的には白く綺麗な毛になっていました。この毛は、紡いだ後に染色します。そして最後に編むか織ります。
洗浄・天日乾燥後、白く綺麗になった羊の毛
大量の渋柿です。勤務の合間を見ながらせっせと皮を剝いています。包丁を使ってもよいのですが、私はピラーを使うことにしました。皮を薄く剥ぐことができるからです。ピラーが良いもう一つの理由は、へたを中心にピラーをくるりと回すと、へた周りの皮を綺麗に剥ぐことができるからです。皮を剥ぎながらこのことに気が付きました。
剥いだ皮を足元の箱に落としながら、次々に渋柿の皮を剥ぐ
子供の頃に渋柿を作っていたことがあります。しかし、我家は渋柿農家ではなかったためそのノウハウがありませんでした。縄で吊るしたり、竹串で団子のように刺したりと、様々の干柿を作りました。しかし、数割はカビが生えてしまいました。そのため、だんだん作らなくなりました。もっぱら干柿は買うものになってしまいました。そのため、柿と言えば甘柿となってしまいました。
へたをむしり取る へたを中心にピラーを回す へた周りが綺麗に剥ける
かつて、田布施町は干柿の名産地でした。明治・大正時代に大波野柿のブランドで売り出していました。その作り方を知りませんが、その名残の大波野柿の大木が数本。大波野地区の上段や惣津などに残っています。田布施の名木の一つにもなっています。ざっと見たところ西条柿の一種のように思えます。大波野柿のブランドはどうして消えてしまったのでしょうか。残っている大波野柿の枝を取り木して栽培できないものかと思っています。
全体の皮を剥ぐ 皮を剥ぎ終わった渋柿 吊るす順に並べる
渋柿の皮を剥いでいて面白い発見をしました。それは、婆さまが渋柿の皮剥ぎ名人だったのです。話を聞くと、麦畑の場所にかつて渋柿をたくさん植えていたそうです。その渋柿をたくさん収穫しては干柿を作っていたとか。交流館に出す話もあったそうです。麦畑の端に残っている数本の痩せた渋柿はその名残のようです。周りの木を伐採して日当たりを良くすれば、再び渋柿を収穫できるようになるに違いありません。
九十歳の婆様の前に置いた渋柿 器用に包丁で渋柿の皮を剥ぐ
1ヶ月半にわたって展示していた「幕末から明治にかけての田布施町」展を終了しました。展示していた年代は、江戸時代の享保年間から明治30年頃にかけての田布施町を中心に据えた歴史です。歴史と言うと、どうしても戦争や革命などが中心になりがちです。しかし、今回の展示会は庶民からみた歴史展を目指しました。
展示資料をてきぱきと片付け 何もないパネルだけになった展示会場
幕末で言えば、長州征伐,奇兵隊,戊辰戦争などが歴史に名を残しています。しかし、当時の庶民は戦争よりも自然災害,飢え,病気などに怯えていたことが分かります。戊辰戦争や明治維新などはお侍さんがやることで、庶民とは別世界の出来事でした。今回は庶民から見た歴史展にしてみました。来年は明治150年です。そのため、来秋に幕末から平成29年にかけての約150年の歴史をたどる展示会にしようと思っています。
展示会を片付け終わると、郷土館の年末大掃除
展示会の片付けが終わると年末大掃除をしました。最初に2階の岸・佐藤両宰相の展示室の掃除をしました。主に展示棚のガラスなどを綺麗に拭き掃除しました。その他、古墳など遺跡展示室、民俗資料展示室なども大掃除しました。途中、郷土館外にある案内掲示板も片付けしました。最後に備品を保管している倉庫も整理整頓しました。朝から夕方まで、歴史展示の片付けや大掃除をした1日でした。
片付けたパネル 野外の掲示板整理 倉庫の整理整頓
龍泉寺でのお昼休憩が終わると、竹尾小学校跡に向かう古道を下りました。道脇にはだいぶ竹が茂っていました。地元の方々がなんとか古道を維持しているようです。古道の途中で道を分けました。竹尾小学校跡には行かないで、直に旧竹尾バス停までの道を進みました。
龍泉寺の見事な石段 竹尾小学校跡に向う古道 竹にだいぶ荒らされた古道
小さな峠を越えて岡の寮に寄りました。この寮は、去年亡くなったウォーキング仲間のkさんに教えてもらいました。kさんが子供の頃、この寮によく遊びに行ったことがあったそうです。kさんの実家はすぐ近くでした。kさんを偲ぶ意味でもと思い、この岡の寮を訪ねました。中にはお地蔵さんが安置されており、今でも何かの集会所として使われているらしく綺麗でした。外には寮を思わせるような石柱が建っています。
旧竹尾バス停に向かう小道 かつて講でもあったのでしょうか、岡の寮
今回訪れた岡の寮、このような建物は今でもあちこちに残されています。このような寮、庵、大師堂、薬師堂などではかつて講がさかんに催されていました。今でもかろうじて残っている代表的な講に「お大師講」があります。kさんが子供の頃、講が催されていたのかも知れません。例えば麻郷の鳥越では20年位前までお大師講が催されていました。私の同級生のお父さんは、その講のリーダーである講長をしていました。
岡の寮のお地蔵様 竹尾の古びた民家 麻里府上組の民家
岡の寮を見学すると、旧竹尾バス停に行きました。この旧バス停の待合室跡には立派なお地蔵様があります。そのお地蔵様を拝んだ後、竹尾から麻里府に行きました。麻里府に入ると上組に行きました。上組の薬師堂に行く予定でしたが、時間がないため飛ばして人丸社に行きました。なお、薬師堂のお地蔵様は、高齢化でお世話することができなくなったため去年上泉寺に移したそうです。
人丸社を目指して、険しく荒れた道なき道を登る
人丸社は、地元上組の方々も知らないお社です。知っていても行ったことがないとのこと。相当昔に放棄されたお社です。数十年も放置された民家跡横を、また崩れて分からない道なき道を草木を分けるようにして行きました。道は崩れてまったく分かりません。はぐれると山の中で迷子になります。危険なため本番ウォーキングでは訪れません。何度か方向を間違えながら人丸社に向かいました。私は3度訪れて分からず、4度目に見つけて、今回5度目の人丸社です。
今回の五軒屋~竹尾~麻里府下見ウォーキングコース
友達から思いがけず、たくさんの渋柿をいただきました。九州のご親戚からいただいたそうです。干柿用の渋柿をたくさん収穫したそうなのですが、ご高齢で渋柿を加工することがしんどくなってきたとのこと。そこで、その友達の家に段ボールで送ったそうです。そして、巡り巡ってその渋柿は私がいただくことになりました。
段ボールに入ったたくさんの渋柿 ピラーで次々に渋柿の皮剥ぎ
いただいた渋柿、すぐに皮を剥ぐ作業に入りました。収穫してから私の元に届くのに時間が経っているようで、かなりの渋柿は柔らかくなっていました。一刻も早く加工することにしました。段ボールには渋柿が4段に積まれていました。およそ100個の渋柿です。段ボールは2箱あるので、全部で200個ほどの渋柿です。今回は50個しか皮を剥いで干すことができませんでした。4日程度ですべての渋柿の皮を剥いで干そうと思います。突然の干柿作りで大忙しです。
皮を剥ぎながら、逐次干している渋柿
今年もキャンドルナイトカフェの季節になりました。今年は、仕事が終わるのが午後5時でしたので、早いうちに行くことができました。暗くなる前の薄暗い時に行きました。冷たい風が入らないように、テントの外側にビニールが張られていました。テントの中に入ると、やたら煙が蔓延していました。竹炭を使った暖房に火を点けたばかりだったからのようでした。竹炭に火がつくと、しだいに煙が消えていきました。
テントをビニールで囲む トップバッターはハンドベル 料理コーナー
オープニングはハンドベルでした。ハンドベルの演奏を聴くのは久しぶりのことです。10年位前に病院に勤めていた頃、病院内にハンドベル演奏のボランティアチームがありました。そのチームの演奏を、毎年患者さんたちと一緒に院内で聞きました。確か病院が休みの日に、広い待合室に患者さんを集めて聞いたように思います。ハンドベルだけでなく病院内有志による音楽隊の演奏などもありました。その頃のクリスマスパーティーで、私は病室内でサンタクロースの衣装を着て紙芝居を上演したことがあります。
キャンドルナイトカフェ2017に集まったお客様達
ハンドベルの演奏を聴きながらトン汁と蛸飯を購入しました。そして、テーブルで食べながら演奏を楽しみました。ハンドベルが終わると、大勢の方々による合唱が始まりました。続いて、アメリカンフォークソングです。かつて聞いたことがある音楽のオンパレードでした。参加した皆さんも声を出したり手拍子していました。そして、最後にWISHのXmasコンサートがありました。
竹炭の暖房 和ろうそくの販売 和ろうそく作りの実演
WISHのコンサートをずっと聞きたかったのですが、用事があるためキャンドルナイト会場から退散しました。退散時に和ろうそくの実演を見た後、和ろうそくセットを購入しました。会場を出ると、田布施川対岸に飾られたサリジェのイルミネーションランプを見て帰りました。今年も楽しいキャンドルナイトカフェでした。スタッフの方々、ご苦労さまでした。
WISH Xmasコンサート サリジェのイルミネーションランプ