あちこちで彼岸花が咲くようになりました。毎年のように咲く我家の彼岸花、先週までまったくつぼみが出ていませんでした。実はこの春先に、誤って茂っていた葉を全て刈り取ってしまいました。そのため、枯れてしまったのかとがっかりしていました。ところが今日の夕方、近くを歩いていると、あちこちに咲き乱れているではありませんか。良かった良かった!
咲き乱れていた我家の彼岸花
ついでに、夏に草刈りできなかった畑周辺を、草をかき分けながら歩いてみました。すると、渋柿の実が何個かぶら下がっていました。この渋柿、この夏に幹の周りをぐるりと虫に食われていました。根からの栄養が行きわたらなくて木全体の葉が黄色になっていました。そのため、枯れるのかなと思っていました。葉が黄色なのは同じなのですが、実がなっているとは思いませんでした。
それから、先日の台風で桃の木が折れていることに気が付きました。この6月には隣の桃の太枝が折れました。この冬に手当てしようと思います。老木なので、今後のことを考えて代わりに苗を植えた方が良いかもしれません。
西条系品種の渋柿 先日の台風で折れた桃の太枝
ケースから基板を取り出して、音が出ない原因を調べることにしました。私が一番最初に調査するのは、意外に多い接触不良です。電池BOXの接触不良、イヤホン端子の接触不良、電源スイッチの接触不良などです。イヤホン端子が壊れていたため、クリップでSPに常時つながるようにして調べました。イヤホン端子以外の接触不良はないようです。
次に、電子的な不良の調査に入りました。まずは、自作のシグナルインジェクタ・シグナルトレーサーを使っておおよその故障個所を探しました。すると、いろいろと分かってきました。
自作シグナルインジェクタと・シグナルトレーサーを使って調査中
音が出ない原因で多いのが、低周波増幅1段目のコンデンサの容量低下です。そこで、シグナルインジェクタを使って低周波低周波増幅1段目に信号を入れてみました。すると、ちゃんと音が出ました。これは低周波増幅段は正常であることを示します。
次に高周波増幅部の調査をしました。高周波段にシグナルインジェクタの信号を入れると、何故だか音が出ませんでした。これは、明らかに高周波段のどこかが故障していることを示します。
ミキシング回路を調査 局部発信信号 シグナルオシレーターON
次に、高周波増幅初段のアンテナコイル側回路を調べました。まずは、局部発信回路が正常に発信しているか調べました。この回路はオシロスコープを使って調べました。すると、200mV程度に局部発信しているため局部発信回路は正常です。次に、SGを使って変調された中間周波信号を中間周波回路周辺に注入してみましたが、これまた音が小さいのです。そこで、再びオシロスコープで信号を見ると、ちゃんと信号が増幅されているにも関わらず音として出ないのです。検波回路が怪しいことに気が付きました。そこで、検波ダイオードの前後を調べてみました。すると検波ダイオードにはちゃんと信号が来ています。ところが、検波ダイオード後は信号が出ていないのです。
ダイオード前後の信号を調査 ダイオード検波前の信号は正常
サトウキビや糸紡ぎ用具を片付けると、田布施農工高校に向かいました。動物が飼育されている丘の上に到着すると、担当の先生が待っていました。挨拶を済ませると、さっそく飼育されている動物たちを紹介していただきました。最初に羊を見ました。この日は中学生の1日体験入学日で、羊はその体験に駆り出されたとのこと。そのため、羊は疲れたのか寝ていました。続いて、鶏のケージを見学しました。
最近は見ることが少なくなった鶏のケージ
私が子供の頃、放し飼いで鶏を数羽飼っていました。朝になると鶏小屋の戸を開いて、鶏達を外に出しました。そして、夕方になると全ての鶏が鶏小屋に帰ったことを確認して戸を閉めました。鶏を小屋に入れる理由は、夜に鶏を襲うキツネなどから守るためです。それでも、イタチに襲われることがありました。卵はヘビによく食べられました。
鶏を飼っていた理由は卵と肉です。卵を産まなくなった鶏は解体して肉にしました。子供だった私は、解体を手伝ったことがあります。今の子供に解体作業を見せたら、きっと泣き出すことでしょう。※長女が子供の頃、東京八王子市の団地で解体したことがあります。羽をむしったり、解体している時、最初娘は気持ち悪がり隠れていました。しかし、途中から興味深そうに見入っていた事を思い出します。今年1児の母になった娘はこの事を覚えているでしょうか。
じっくりと牛を観察 気性が荒く、毛を刈れない羊
鶏を見学後、数頭の牛を見学しました。搾乳するホルスタイン種とジャージー種、そして肉牛の黒毛和牛がいました。品評会に出す予定の黒毛和牛も見学しました。特別の飼料を与えたり、審査員の印象を良くするため整髪するそうです。
田布施農工高校を離れる前、羊の毛をいただきました。ありがとうございました。次回の放課後学習から、この毛を綺麗に洗浄した後、毛糸を紡ぐ学習やフェルト加工の学習に入ろうと思います。
黒毛和牛の子供を見学、とても人懐こい
9月2度目の放課後学習成器塾がありました。前回は主に藍染めや紅花染めをしましたが、今回から「紡ぎの学習」に入りました。なお、最初にサトウキビを噛んで甘みを体験してもらいました。私が子供の頃には甘いお菓子やケーキ類があまりありませんでした。野山の実や茎を食べたり、海の牡蠣を剥がして食べたりしていました。そして、甘みと言えばサトウキビです。当時、芯を噛みながら甘みを楽しんでいたように思います。その甘みと噛み方を、今の子供に体験してもらいました。その体験が終わってから本題の「紡ぎの学習」に入りました(前半)。その後、紡ぎの素材にする羊の毛をいただきに田布施農工高校に行きました(後半)。
足踏み糸紡ぎ器のペダルの踏み方を練習、いつか糸紡ぎを
たまたま台風で倒れたサトウキビを刈り取って小学校に持っていきました。噛む潰せるように、ノコギリで茎を切断し節を取り除きました。このままでは強い力で噛む必要があり、とても小学生には無理です。そのため、硬い皮を剥いで中の芯を取り出す体験もしてもらいました。
そして、子供の前で私がサトウキビの芯を噛み潰してみせました。続いて、サトウキビの芯を子供に手渡して同じように噛んでもらい、その汁を味わってもらいました。しかし、美味しいケーキやお菓子に慣れている今の子供には、サトウキビの甘みはあまり美味しくなかったようです。
刈り取ったサトウキビ 鉈で硬い皮を剥ぐ あまり美味しくなさそう
サトウキビ体験が終わると、本題の「紡ぎの学習」に入りました。初めに羊の毛をカーディングして毛の方向を揃えます。そして、スピンドルを使って羊の毛を紡ぐ学習です。いきなりは難しいので、スピンドルを回す練習をしてもらいました。続いて、足踏み糸紡ぎ器を体験してもらいました。まだ糸紡ぎするには難しいので、まずはペダルの踏み方を練習してもらいました。足踏みミシンの要領で回します。これらの体験が終わると後片付けをしました。
次に、紡ぎの素材にする羊の毛をいただきに田布施農工高校に行きました。待っていた先生に、飼育されている羊,鶏,牛などの動物について説明していただきました。
茶色綿をカーディングしてふわふわに スピンドルを回す練習
今回の台風17号では、停電になった地域や倒木で通れなくなった道がありました。我家は枯れた竹が道をふさいでいました。ノコギリで節を切って三分割しました。そして、三分割したそれぞれの竹を移動して通れるようにしました。また、道にはたくさんの小枝が落ちていました。積もるように落ちた小枝を見ると、たくさんのどんぐり(クヌギ)が付いていました。子供の頃、このどんぐりに穴を開けて笛にしたり、つまようじを差してコマにして遊んだことがあります。落ちていたのは、まだ緑色の未熟などんぐりばかりでした。
積もるようにたくさん落ちていた、緑色の未熟などんぐり(クヌギ)
道路以外にも被害が出ていました。一番はサトウキビで、根元からバッサリ倒れていました。サトウキビは茎が太いた重量があります。とても起こせそうもありません。続いて、モロッコインゲンマメの支柱が真横に倒れていました。モロッコインゲンは、ほぼ収穫を終わったため支柱を片付けようと思います。また、一部の綿が斜めに倒れていました。綿は起こすほどではありません。その他、斜めになった木がいくつかありました。
倒れたサトウキビ バッサリ横になった支柱 斜めに倒れた綿
いつものウォーキング仲間と、この秋に訪れる史跡巡り旅行をいつどこにするかをメインテーマにして集まりました。祝日だったため郷土館が休日で、朝からの野良仕事を終えていきましたが、体調がいまいちでした。最近草刈りや木の伐採をすると、疲れがすぐに取れないのか体調が緩慢になります。体がだるくて体調がすぐれない日は、たいがい前日に農作業していることが少なくないのです。またボランティアのストレスもあるのかと。やれやれ、衰えはじわじわとやってくるのですね。さて、いつもの場所に集まっての楽しい宴会でした。楽しい宴会の合間に、旅行の日やおおまかな行先を決めました。
楽しいひと時を過ごした、いつもの仲間達
最初に旅行日と2泊することを決めました。寒くなる12月は避けて、11月中旬にしました。集まる人数によっては車3台になるかも知れません。前回の九州よりは近場なので、よりのんびりと史跡巡りや見どころを散策できると思います。さて、各人希望場所を何ヵ所か揚げました。さて、私の希望箇所は何地点行けるでしょうか。とにかく、楽しい史跡巡り旅行になればと思っています。
みなさんが持ち込んだ一品料理 美味しいお酒やビールも
7月に種をまいた枝豆を収穫しました。枝豆は大豆の未熟豆のことで、緑色で柔らかいうちに収穫して食べます。枝豆畑に着くと、次々に枝豆を根元から抜きました。昨日の台風による雨で土が柔らかくなっていました。そのため楽々に抜くことができました。次に剪定バサミを使って、不要な根,葉,傷んだ鞘などを次々に切り落としました。そして、段ボール箱の中に入れました。そして、我家に持って帰りました。
今回収穫した枝豆、無農薬のためか所々虫食い
今回収穫した枝豆は、昨日の台風でや鞘や茎が泥で薄く汚れていました。そのため、水道の蛇口で綺麗に洗いました。改めて枝豆をよく見ると、販売している枝豆よりもやや痩せているように思いました。もう一週間ほど待ってから収穫してもよかったかも知れません。これら収穫した枝豆は、いつものウォーキング仲間に食べていただこうと思っています。さて、味はいかがなものでしょうか。
追伸:会場に持って行くときは、すぐに食べられるように調理して持って行けば良かったですね。あるいは、早めに会場に行って、そこで調理すれば良かったですね。
根を掴んで引き抜く 剪定バサミで葉を取る 一束の枝豆
数日前までは真夏のように暑かったため、家から離れている藍,茶綿と和綿,小豆,そして枝豆の畑を草刈りする踏ん切りがつきませんでした。ここ数日涼しくなってきたため、台風を前に重い腰を上げました。真夏の7~8月、ずっと草刈りしていませんでした。そのため、雑草が生え放題でした。さらに草の茎が硬くなっていたため、紐刃では草刈機に巻き付いてなかなか草刈りが進みません。そのため、鉄刃に切り替えて草刈りしました。
カンナの花が咲く舗装道路側から草刈りから始める
最初、カンナの花が咲く舗装道路側から草刈りを始めました。車に注意しながらの草刈りです。続いて、枝豆、小豆,和綿,最後に茶綿の両サイドを借りました。イノシシにやられたサツマイモも刈ろうと思いました。しかし、葉っぱや茎が茂っています。もしかして小さくても芋ができるかも知れません。そのため、11月頃までそのままにしておくことにしました。ところで、次回のコットンクラブではこの畑に入って、藍の葉っぱの収穫、綿の収穫、そして枝豆の収穫をしていただこうかと考えています。その後、収穫した綿で糸紡ぎなどしてみようかと思っています。
綺麗になった舗装道路側 綿、藍、小豆、枝豆の間も草刈り
史跡巡りウオーキングの予定日でしたが、台風の影響で天候がすぐれず延期としました。そのため遅れていた草刈りをしたり、依頼されていたトランジスタラジオを修理をしたりしました。
このトランジスタラジオはSさんが郷土館に持ち込んだものです。電源を入れても全く音が出ない故障です。郷土館ではおいそれと修理できません。そのため、修理するための道具や装置が揃っている我家に持ち帰りました。まずは、トランジスタラジオの裏蓋を開いて回路基板を調査しました。私は修理に入る前に、ラジオの状態を調べることから入ります。まずは回路の能動素子(トランジスタ)を調べました。
〇はトランジスタ(トランジスタラジオ回路基板上の能動素子)
このラジオに使われているトランジスタを見ると、日本工業規格JISの番号(2SAxxxなど)ではありませんでした。松下電器ががヨーロッパPhilipsとライセンス契約して製造したトランジスタではないかと思います。当時日本の技術ではトランジスタを作ることができなかったのです。日本で唯一トランジスタを作ることができたのはSONYです。その後のSONYの発展は、自前でトランジスタを製造できたことが理由です。SONY以外はアメリカやヨーロッパから技術を導入していました。
ラジオ AT-175jrの外観 裏蓋を外して二枚開き 壊れたイヤホン挿入箇所
使われていたトランジスタは7個です。このトランジスタラジオで珍しいのは、局部発信が自励式ではなく他励式であることです。当時高価で貴重なトランジスタを1石減らすことができる自励式がコスト的にはとても有利です。しかし、電子回路的にラジオ放送を安定して受信できるには他励式が有利です。安くて小さなポケットラジオには、自励式の6石トランジスタが標準となっています。一方で、電波を安定的に受信する必要がある通信用ラジオなどには、1石多くトランジスタが必要な他励式が採用されています。つまり安価なラジオには自励式、性能重視のラジオには他励式が使われていました。
イヤホン端子とスピーカー端子 壊れていたイヤホン端子の金具A,B
さて、このトランジスタラジオを二枚開きにして外観的な破損個所を探してみました。すると、イヤホン端子の一部が壊れて欠損していました。イヤホン端子の接触不良で音が出ない故障は意外と多いものです。上画面の金具AとBを接触させると、わずかに音が出ました。このラジオの音が出ない第一の原因がイヤホン端子の破損でした。ただ、金具AとBを接触すると無音ではないのしてもあまりに音が小さいので、まだまだ故障個所がありそうです。このラジオの回路図があったので、次回は電子的な故障原因を探そうと思います。
このラジオの電子回路(高周波部) このラジオの電子回路(低周波部)
7月に麻郷公民館の生きがい教室で、古代から現代までの麻郷の歴史について講話をしました。さらに、蓄音機による音楽鑑賞や、16mmフィルムによる懐かしい映画(名犬ラッシーなど)の放映をしました。今月は田布施町宿井吉井地区の原で同じように原地区の歴史について講話をしました。歴史は地区によってみな違いがあります。そのため、事前に地区ごとの古代からの歴史を入念に調べておく必要があります。そのため、地区ごとにお話する内容が違います。古代ついてはその地区の縄文や弥生遺跡などを、奈良時代以降はその地区の神社仏閣の由来や歴史的事件についてお話しをします。戦後は、その地区の変貌,発展,お祭りなどについてお話をしています。
興味深く故郷の歴史講話を聞いてくださる原地区の方々
ところで、今や明治生まれの方はほとんどいません。そのため江戸期や明治期の歴史を調査することが極めて困難です。先日、高齢化に伴う郷友会の解散に伴い、必要が無くなった戦後の郷友会活動資料を寄贈していただきました。第二次世界大戦を語り継ぐ方がどんどん亡くなっています。資料に残したいと思ってはいますが、なかなか思うようになりません。歴史を知ることは、今を生きる私達の成り立ちやルーツを知ることだと思います。月に1回程度のペースで各地を回りながら、歴史を中心とした講話(移動郷土館)を続けています。
皆さんが来る前に機器を設置 蓄音機による音楽鑑賞
一昨日、田布施町少年少女発明クラブのアイデア工作を山口市内の山口県発明協会に持って行きました。作品点数は39点で例年よりも大幅に増えました。マイクロバスにその作品を積んで、同乗した3人が積み下ろしをしました。一番大変だったのは、その作品すべてを発明協会の方に説明したことです。どんな工夫をしたのかうろ覚えの作品があり、冷や汗ものでした。さてどんな評価が下されるでしょうか?
山口県発明協会がある山口市内のビル(10F)
この8月までの活動は例年以上に大変でした。田布施町少年少女発明クラブ始まって以来の大人数(37人)だったのが原因かも知れません。ちなみに本来の定員は30人です。子供が多すぎて指導員が1人1人に丁寧にアドバイスできなかったり、工作しないで遊んでいる子供達が散見されました。発明クラブは遊び場でないので、来年度は自発的に工作できる子供に絞った方が良いのではとも思えます。まずは適正人数に戻すことでしょうか。来年度募集の検討課題です。
さて来月は木工作です。37人分の長い板を用意しなければなりません。私の車であるセダンには多くても20枚位しか長い板を詰めません。木材屋さんとを2往復することになりそうです。
工作を運んだ南斗号 発明協会に運びこむ アイデア工作を説明
田布施町郷土館が所蔵している江良碧松の自由律俳句などの資料を、防府市山頭火ふるさと館の「山頭火・白船・碧松 周防三羽烏」展に貸し出しています。今回、江良碧松関連の資料がどのように展示されているのか、また山頭火や久保白泉の勉強も兼ねて、いつもの仲間と一緒に山頭火ふるさと館に行ってきました。秋らしい真っ青な日差しの中を、防府市の史跡である防府天満宮や毛利博物館なども楽しみました。なお、「山頭火・白船・碧松 周防三羽烏」展は9/13~12/8です。
防府天満宮近くの山頭火ふるさと館
山頭火ふるさと館は防府天満宮の入口近くにあります。その場所は何年か前に火事になったそうで、その跡地に山頭火ふるさと館を建てたとのこと。なかなか立派な建物です。内装も山頭火を中心に展示されています。防府市と田布施町では財政規模が比較になりません。田布施町郷土館はふるさと創生資金で内装にはうん千万円かけたようですがが、全体的に安くするためか建物は借家です。山頭火ふるさと館は建物も内装も新しいので、土地の取得費を含めて億のお金がかかったのではないでしょうか。
途中寄った富海PA 美味しそうなさしみ料理 防府天満宮
山頭火ふるさと館には、防府市と関わりが深い有名人について展示されていました。伊集院静が防府市出身であることを初めて知りました。ところで、今回展示の目玉である「周防三羽烏」は、これまで開催されてきた各会場の「周防三羽烏」の中で一番見ごたえがありました。「山頭火」を自任している資料館なので当然ではありますが。
さしみ亭和加栄で美味しい昼食 訪れた毛利資料館
山頭火ふるさと館の「山頭火・白船・碧松 周防三羽烏」展を見終わると、地元の方の紹介で、さしみ亭和加栄に行きました。ひさしぶりに美味しいさしみ料理を楽しみました。また、いつものように楽しい話題で談笑しました。美味しい料理が終わると、数年前までは毎年正月に参拝していた防府天満宮に行きました。お正月の防府天満宮は地面が見えないほど混雑していますが、平日の防府天満宮はとても静かでした。
毛利博物館前の舞衣 レトロ喫茶 舞衣 私は「あん蜜」
防府天満宮を出ると、毛利博物館に行きました。ゴルフ場を回り込むように山の上に行くと、広い毛利博物館に着きました。ゴルフに来る方も多いようです。今回は毛利博物館ではなく、博物館前にあるレトロな喫茶店である舞衣に入りました。ほとんどの方はアイスコーヒーを頼みました。私はさしみ亭和加栄でアイスコーヒーを飲んだため、私はあん蜜を頼みました。とても楽しかった山頭火ふるさと館,防府天満宮,毛利博物館などでした。
山頭火ふるさと館など、訪れた防府市内史跡他
前回の下見ウォーキングは猛暑だったこともあり、全ての神社仏閣などの史跡を回ることができませんでした。また、全てを回っていると、とても時間がかかることも分かってきました。そのため今回、下見ウォーキングでは行けなかった史跡をバイクで全て巡ってみました。最初に行ったのは人丸神社でした。山の上の方にあることが分かっていましたが、道に迷ってしまいました。そのため、草刈りをしている方に聞いてみました。すると、いろいろなことが分かってきました。その人丸神社の場所、その云われ、そして人丸神社への途中にお大師様があることなどです。
山の中腹にあった、屋根が壊れかけた人丸神社
人丸神社の言われは、とても興味があるお話でした。江戸時代に子供達が次々に亡くなることがあり、困った村人が島根県の益田にある人丸神社に参拝したそうです。その時に、分神をいただいて来て、この地に人丸神社を建てたとか。人丸とは柿本人麻呂のことで、下級官僚だった彼は石見国(島根県)で亡くなりました。人麻呂が人丸になまったようです。人丸神社を建てたおかげか、子供達が亡くなることが無くなったそうです。当時は飢饉が頻発していた時代です。栄養が不足がちな小さな子供達が一番犠牲になっていたのでしょう。この周辺は今、人家が絶えて残った2軒が人丸神社を管理していたそうです。今後の管理はもう無理とのことでした。ちなみに、田布施町麻里府上組にある人丸社(人丸神社)は管理する家が絶えています。いつ崩れてもおかしくありません。
お大師様のお堂 人丸神社への山道 冠念寺上の大日堂
続いて、下見では場所が分からなかった教西寺の場所を確認しました。コースを短縮するとなると、この教西寺でお昼休憩をしたいところです。そのため、再度教西寺を訪問して、お昼休憩とトイレ休憩の了解をいただく必要があります。ただ、本番ウォーキングまで時間がないことと、今後は毎日仕事のため訪問する時間がないのが悩みです。続いて、大日堂に向かいました。
大日堂と坂続きの冠念寺 森に囲まれた岩戸八幡宮
大日堂は山深い場所にあり車では行けません。人が1人通れる斜面をバイクでかけ登りました。すると、目の前に大日堂が見えてきました。大日堂へは階段下の冠念寺からも行けるようです。大日堂は冠念寺が管理しているのではないでしょうか。冠念寺側から降りると、岩戸八幡宮側に出ることが分かりました。本番ウォーキングでは、大日堂~冠念寺~岩戸八幡宮の順に歩くと効率的に歩くことができそうです。
一通り再下見をしましたが、本番ウォーキングの一番のポイントは教西寺です。教西寺でお昼休憩とトイレ休憩が取れれば、下図のAを通ることができコースを大幅に短縮することができます。その場合、難波家屋敷,立野神社,正義霊社を巡りません。
再度下見をしたJR島田駅~JR岩田駅コース
今の時期は、1年で最も藍が元気に茂っている季節です。土曜日、その藍を使って藍染めをしました。今回は2種類の藍染めをしました。一つは生葉を使った藍染め、もう一つは発酵した藍を使う、昔ながらの藍染めです。
前者は濃薄のグラディエーションを付けたり、好みの濃さで止めることができます。後者は1度か2度で濃く染めることができます。今回は、いろいろな濃さやいろいろな布を試してみました。なお、帽子を染める方がいるとは思ってもいませんでした。ちょっとしたくすみを隠すにも、藍染めは役立つようです。
大量の藍の葉をちぎって藍染めに使用
今回は、三つの藍染め液を用意しました。一つは、生葉をミキサーにかけたそのままの液、二つ目はそれを濾して残渣を無くした液、三つ目は私が数年前から発酵させて作っている昔ながらの藍染め液です。
一つ目は藍の生葉の残渣があるため、その残渣の跡が染めに残ります。残渣が絡みつくため毛糸や綿などには向きません。二つ目は残渣が無いため、毛糸や綿などの染めに向きます。一つ目と二つ目は共に染めが薄いので、濃くするためには何度も染めを繰り返し、自分が気に入った濃さで止めます。
絞り染め前に糸で絞る 藍生葉の叩き初め 三つの藍染め液
三つ目の発酵した藍染め液は蓋を開けるとやや臭いがします。通常ならば液をバットかタライに液を移します。しかし、私の藍染め液はとても少ないので、ビンに直接に布を入れて染めました。一度に一枚くらいしか染めることができません。今回一番大きな布は帽子でした。何とか押し込んで染めることができました。
皆さん、生葉を使った藍染めよりも発酵した藍染め液の方がお気に入りのようでした。そのため来年は、梅酒を作るくらいの大きめの瓶に藍染め液を作ろうと思います。
ビンに帽子を押し込む 水で丁寧に洗浄 布を紐にかけて乾燥
今回、私は経糸を藍染めしようと思っていました。しかし、他の方の藍染めのお世話したりしていて、自分の事をすっかり忘れてしまいました。空いた時間に染めようと思います。
ところで、そろそろ綿が収穫できる季節になりました。今回は藍染めを中心に楽しみましたが、次回は収穫したての綿を糸紡ぎしようと思います。灰色綿、茶色綿、白色綿、緑色綿を紡げば、染めなくてもそれぞれの色の糸ができそうです。他に編みや縫いなどの作業があり、これまた忙しい秋になりそうです。
染めた布,綿,糸,帽子などを乾燥中 作業の合間に楽しいおやつタイム
難波家屋敷は今は誰も入れません。あまりに古く手入れがされておらず、今にも崩れ落ちそうです。あの大事件以来、時が止まったようです。すでに屋根が落ちている小屋もあります。大正時代に難波作之進の息子である難波大助が、銃で皇族(皇太子時代の昭和天皇)を撃った大事件があったのです。その息子の不祥事を一心に背負って、難波作之進はこの難波家屋敷に蟄居して絶食したとのこと。戦国以来の名家であるにも関わらず、どうしてこんな事件を起こしてしまったのでしょうか。今にも崩れ落ちそうな難波屋敷を見ながらそう思いました。
立野神社でのんびりと昼食休憩
難波家屋敷を離れると、田んぼの向こう側に鎮座する立野神社に行きました。この神社は難波家が仕えていた清水家が、岡山から勧請して立野の神社と合祀して建てたとのことです。清水家も難波家も、戦国時代に治めていた備後の高松城を故郷と思っていたのでしょう。清水家も難波家も豊臣秀吉に高松城を明け渡した後、毛利家の陪臣となりました。そして、江戸時代初期に毛利家が今の山口県に移る時、一緒に移って立野の地を拝領したのではないかと思います。ちなみに、立野の隣の小松原や三丘は毛利家家臣の宍戸家が拝領しています。
田んぼ道を立野神社へ 小高い立野神社 正義霊社への石段
立野神社に着くとお昼休憩にしました。30分位のんびりしながら談笑すると、次の史跡である正義霊社に向かいました。途中、和光苑やゴルフ場を右手にしばらく進みました。正義霊社がある山のすそ野に着くと、石階段を登って正義霊社に行きました。正義霊社を見学し終わると、次に橿原神社に向かいました。途中の人丸神社は割愛しました。
木立の中の橿原神社 岩戸八幡宮の入口
続いて教西寺と冠念寺を訪問しようと思いましたが、時間もなく猛暑のこともあり割愛しました。さらに岩戸八幡宮はだいぶ山を登らなければならず、やはり割愛しました。岩戸八幡宮入口からJR岩田駅が見えました。ほぼ一直線に岩田駅に向かいました。ところが、JR岩田駅には南口がないことが到着して初めて分かりました。駅のホームは目の前に見えるのに、駅舎に入れないのです。気を取り直して、ぐるりは線路を迂回してJR岩田駅に到着しました。猛暑の中、下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。今回の下見ウォーキングはだいぶ史跡を割愛したため、本番ウォーキングではコースを少し変更しようかと思っています。
JR島田駅~JR岩田駅史跡巡りウォーキングの下見コース