田布施の桜まつりと並行してロードレースが行われました。毎年郷土館で仕事のことが多いのですが今回は珍しく休みでした。そのため、午前中はロードレースの支援をしました。支援と言っても8:00前に高塔公会堂の鍵を開け、スタッフさん達の車を駐車場に誘導したりトイレを案内する係でした。そんなに忙しくなかったので、もっぱらレースに参加する方々に拍手したり声援を送りました。
ロードレースで走っている選手に拍手したり声援をおくる
ロードレースは3コースありました。小学生向けの2kmコース、中学生から成人向けの5kmコース、そして高校生以上向けの10kmコースです。私が応援した高塔公会堂は5kmと10kmコースに出場する方が通過しました。若い人も私と同じくらいの年齢の方も走っていました。
私も出場者位に走れる元気があるといいなと思います。思い出すと高校生の運動会の時、マラソンで4kmの距離を走ったことがあります。走ることは無理でもウォーキングだけは今後も続けようと思います。
10kmコースを走る出場者の方々 5kmコースを走る出場者の方々
数日前、猫のお宿(田川邸)のお雛様イベントに出かけました。田川亭でのお雛様イベントに来たのは5年前だったでしょうか?コロナなどのためしばらくは行けませんでした。いつもながら賑やかな雛人形や下げもんなどの飾りでした。そして、久しぶりに田川さんや皆さんと談笑しました。美味しいお茶や和菓子も頂きました。ありがとうございました。
豪華に並んだお雛様が数点、そして吊られた下げもん飾りなど
古民家のような田川邸はいろいろな方に愛されているようです。今はしていないようですが、子供達を集めてハゼの実ろうそく作り体験をしていたことがあります。また、桜の苗をいただいたり懐かしいフォークソングやBBQの宴もありました。これからも楽しいイベントがあるのではないかと思います。
綺麗に飾られた和服など 廊下には吊り下げた飾り
ミカン狩りが終わると、お食事処のお店に向かいました。小松街に入ると運悪く道の工事中でした。やむなく大きく海側を迂回しました。そして、道を少し戻って食事処(あらかわ)に着きました。
食事処に着くと用意されたテーブルに座りました。しばらくすると美味しそうな釜飯のような瀬戸貝料理が出てきました。お吸物や刺身などもお盆にありました。皆さんと談笑しながら食べました。やはり旅行の一番の楽しみは食事ですね。
皆さんと談笑しながら瀬戸外貝料理を楽しむ
ところで、瀬戸貝は牡蠣のように海の岩に付いています。いつも海で見る瀬戸貝は親指程度の大きさですが、料理で出た瀬戸貝は養殖したものでしょうか。以前牡蠣に当たったことがあるので、最初瀬戸貝を食べることに躊躇しましたが杞憂でした。久し振りに美味しく食べた瀬戸貝でした。
食事処(あらかわ)着 ハワイ資料館に到着 展示物の説明を受ける
食事処を出ると、次は日本ハワイ移民資料館を訪れました。周防大島は移民した人の密度が日本で一番多かったそうです。明治時代初期にすでに移民している方がいたとのこと。そこで成功した方々のおかげでこの資料館ができたそうです。その成功した方々の台所が再現されていました。その台所には料理もできるとても巨大な暖炉がありました。
日本ハワイ移民資料館前で 高塔公会堂前に無事に帰着
ところで、この資料館にはブラジル移民の年譜や資料もありました。実は私の祖母や従妹はブラジルに昭和35年頃に移民しました。年譜にその当時の移民が載っていました。その祖母は異国のブラジルで亡くなりましたが、生まれたのはアメリカでした。そして、子供の頃に日本に帰国したとのこと。祖母の姉は何故かそのままアメリカに残りました。祖母の姉の子供までは消息が分かっていますが、その後は不明です。
日本ハワイ移民資料館を見学し終わると、マイクロバスに乗って高塔公会堂に帰りました。みなさん笑顔で元気だったので良かったです。お世話した方々や運転手さん達、ご苦労様でした。
ふれあいサロン会でミカン狩りしたコース
田布施町麻郷高塔地区のふれあいサロン会でお年寄りと一緒にミカン狩りに行きました。その後、美味しい食事をいただいてからハワイ移民資料館を見学しました。
私は福祉委員の見守りとして同行しました。最初行ったのは周防大島の小松地区にある松田ミカン園です。小松地区に入ってすぐの場所にある緩い山の斜面のミカン園です。そのミカン園ではミカンを食べ放題で、持ち帰る場合は袋一杯で900円です。私はお年寄りを見守りながら、持ち帰り用のミカンを袋に詰め込みました。
高塔地区ふれあいサロン会でミカン狩りに参加された方々
ミカン園に行くまでの間、マイクロバス内で昔の周防大島について話が盛り上がりました。今は周防大島へは橋を渡って行くことができますが、私が子供の頃は大畠から連絡船に乗らないと周防大島に渡ることができませんでした。
遠い親戚が小松にあり、大きな家で庭や床下に錦鯉を飼っていました。床板を剥ぐと下は池になっていました。錦鯉が泳いでいるのを覗き込めるのには驚きました。今その親戚はありません。遠い昔のことなので小松のどこにあったかすっかり忘れてしまいました。
高塔公会堂に集合 松田ミカン園に到着 甘くて美味しいミカン
試食したミカンはとても甘くて美味しかったです。ただ、もう少し皮を剥きやすいと100点でした。みなさんを見ると、袋一杯に溢れそうにミカンを詰め込んでいました。あるお年寄りが勘違いしてザックにも入れていたため、たしなめられていました(笑)。美味しいミカンを食べながら、大島商船の建物や海のかなたに見える伊保庄を遠望しました。
美味しいミカンを探し回る ミカンを袋に詰めてバスに戻る
私が初めてミカン狩りに行ったのは小学5年生の頃です。ダムがある近くの川沿いの山の斜面にあったミカン畑でした。当時は子供でしたので手が届かないミカンを取るためにミカンの幹や枝に登っていました。体重が軽い子供でしたので樹に登ることができたのです。
ミカン狩りは1時間半位で終わりました。時間になるとマイクロバスに乗ってお食事処に向かいました。
ふれあいサロン会でミカン狩りしたコース
先日麻郷公民館祭りがありました。10年位前は私も積極的に麻郷公民館祭りに参加しており、我家で収穫したサツマイモを焼芋にして販売していたことがありました。また、焼芋を売る竹製の売場を自作して持って行きました。しかしながら、だんだんとお祭りから遠ざかっていきました。
遠ざかった原因の一番はコロナ惨禍でしょうか。惨禍中、お祭りそのものが中止になることがありました。今回たまたま国政選挙があったため公民館祭りが延期になりました。その延期された日の午前中空いていたためお祭りに数年ぶりに行ってみました。10年以上前は賑やかで子供の数も多かったのですが、参加者の数が少なくなっていることを肌で感じました。
合唱や演舞などが披露された麻郷公民館のステージ
最初公民館内を見て回りました。館内に展示されている作品を次々に見学しました。習字、籠、お茶、小学生の作品などがたくさん展示してありました。その中に、夏のほぼろ製作講習会に来た子供達が作ったほぼろが2点展示されていました。調理室では確かうどん類が作られていました。その後、野外ステージで演舞、合唱などの発表を楽しみました。また、親しい方々と久しぶりに談笑しました。
駐車場が混雑していることが予想されたため、久しぶりに歩いて麻郷公民館に行きました。午後用事があるため正午直前に家に帰りました。懐かしの平田川沿いを歩いて帰りました。
習字の作品を展示 ほぼろ2点を展示 野外ステージで合唱
先日、西田布施公民館で田布施町社会福祉大会が開かれました。たまたまその日空いていましたので参加を予約していました。当日表彰されるらしいことは分かっていました。玄関を入ると何と胸にリボンを付けることになりました。表彰される方々を見ると知っている方ばかりでした。子供や福祉関係のボランティアを永くしておられる方々です。
私の表彰の理由は10年間福祉委員をしたことのようです。高校卒業後40年間田布施町を離れてすっかり故郷を忘れていました。しかし、この10年間の活動で何とか地元に溶け込めたかなと思っています。ありがとうございます。
福祉関連の活動で表彰された方々
福祉委員として活動は常日頃お年寄りの様子を見守ることなのですが、それほど忙しくはありません。介護などの必要な方や亡くなった方がいれば民生委員に届け出るくらいです。
大変なのは地区でお年寄りの世話をする事でしょうか。オレンジカフェ(認知症予防カフェ)でのお話、生き生きサロン(敬老イベント)のお世話、今月末のお年寄りを連れての史跡散歩、そして来月お年寄りを連れて周防大島にミカン狩りに行きます。私自身がお年寄りなのでしょうが、お世話になる立場にならないように精進しようと思います。
入口でリボン 恥ずかしながら 災害現場の報告
毎年のことですが、小中学校時の同級生宅から電話がかかってきて稲わらを頂くことになりました。この日たまたま、この地区のお社(神花社:通称じんがさー)のお祭りがありました。5月にこのお社に小学校の児童達を連れて来たことがあります。年に一度のお祭りなので稲わらをいただくついでにお参りさせていただきました。
ちょうどお祭りが始まる直前にお社に着きました。宮司さんの祝詞が始まってから終わりまでおつきあいしました。来年小学生を連れてくる時は、今回のお祭りについてお話をしようと思います。ちなみにこのお社の眼下に小学校を一望できます。
井神、助政地区のお社(神花社)のお祭り
お祭りが終わると、稲わらを集めていた田んぼに戻りました。そして、同級生に稲わらの結束や運び出しを手伝っていただきました。そして、無事に稲わら三抱えを車に入れました。これで、今年来年のわら細工の材料が充足しました。いつもながら稲わらをいただき感謝します。なお、今年もお米30kg買うことにしました。
稲わらを回収した田んぼ 車に入れた稲わら三抱え
息子からプレゼントされた敬老旅行が終わると、今度はまさに敬老の日、地区の生き生きサロン(敬老イベント)で敬老する側にまわりました。今回は歌の講師(AYAKO先生)をお招きしての敬老会でした。私は歌を一人で聞くのが好きで、一緒に歌うのは全くダメです。そのため、車を駐車場に案内したり、お年寄りを公会堂に案内したり、お弁当を受け取って配るなどのお手伝いを主にしました。
私は室内の敬老よりも室外での敬老の方が合っています。ちなみに、10月/末にお年寄りを史跡案内しながらウォーキングします(保健センター主催)。
歌の先生に指導されながら、昔の懐かしい歌を合唱
歌が終わり先生をお見送りすると、お年寄り間で昔を懐かしくお話しし合いました。それが終わると、今回の敬老会を主催したお世話係の紹介です。私を含めて一人一人自己紹介しました。次に、お弁当を各人に配りました。そして楽しいお昼の時間となりました。最後にお楽しみ抽選会がありました。次回11月の生き生きサロンはミカン狩りの予定です。
お年寄り達が帰った後、公会堂内を掃除してから解散となりました。お世話された方々、お疲れ様でした。
早朝の敬老会準備 配る前のお弁当 楽しいお昼の時間
笠間市を散策しました。花崗岩採掘場,お蕎麦屋さん,道の駅かさま,焼き物展示場,そして筑波海軍航空隊記念館などです。笠間市内を散策していると面白いJR駅を見つけました。宍戸駅です。長州藩毛利家の家老を務めた宍戸氏の出身地です。笠間市で宍戸家の始祖地に出会うとは思いませんでした。
さて最初に日本最大級の花崗岩の採掘場である石切山脈に行きました。最近観光化された場所で、採掘場跡に溜まった広大な池が有名になりました。池は青く恐ろしいほどの深さでした。池を見下ろす場所に彫刻家の作品が数多く野外展示されていました。
花崗岩の採掘場跡に溜まった広大な池
笠間市は笠間焼が有名で、たくさんの販売所や陶芸体験所がありました。また笠間市は栗の生産地でモンブランが有名とのことでした。そのため、道の駅かさまでモンブランアイスを食べてみました。アイスクリームの上にモンブランがのっていました。猛暑でしたのでとても美味しかったです。なお、座った椅子が栗の形にデザインされていました。
石の彫刻展示場 道の駅かさま 栗の形の椅子
最後に訪れた海軍航空隊記念館、これまで知らなかった記念館です。ロケット特攻兵器である桜花を開発したり隊員の訓練をしていた海軍航空隊司令部があった場所です。昔の建物がそのまま残されています。昭和の香りがする懐かしい造りです。また、永遠のゼロなどが撮影された場所でもあります。
この記念館内を見学していると、グアムの博物館(Pacific War Museum)を思い出しました。また、亡き父親の戦争体験を思い出してしまいました。
笠間焼の販売所の一つ 海軍航空隊記念館内(エンジンや模擬魚雷)
土浦市内を散策してきました。最初土浦駅から歩いて30分位の場所にある亀城公園に行きました。そして、公園内にある土浦城と博物館を訪れました。その後土浦市内の夏祭りを楽しみました。
土浦は霞ヶ浦に接しているため少しは涼しいのかと思いきや猛暑でした。江戸時代は亀城公園傍まで霞ヶ浦が来ていたそうです。しかし、今は4km以上離れています。歩きながら、噴き出る汗をタオルで拭きました。あまりに暑いためか亀城公園内には誰もいませんでした。城内を散策するとすぐに公園内にある博物館に入り涼みました。
あまりの暑さで誰もいなかった亀城公園と土浦城
博物館内で機織り体験や見学ができるとの事でしたが、それは7月末まででした。残念!館内展示を見学しましたが、田布施町郷土館のように縄文・弥生・古墳時代の遺物はあまり展示されていませんでした。
二階に、その昔霞ヶ浦で使っていた船の模型が展示されていました。江戸時代は船による輸送や漁業が盛んだったようです。ワカサギ漁に使っていた帆船が今は観光船となっています。
博物館を見学後、市内の夏祭りを楽しみました。飾られた沿道には、山車,焼きそば,タコ焼き,金魚すくいなどたくさんのお店が並んでいました。土浦駅前にある市役所には高校生向けの演台がありました。夕方に高校生が出演するようです。あまりに暑いので、市内の喫茶店に寄って涼んで帰りました。
お休みだった機織り体験 霞ヶ浦の船の1/2模型 土浦市内の夏祭り
牛頭天王社祭の準備をしました。去年の牛頭天王社祭は雨で野外のイベントは中止でしたが、今年も祭の当日は雨との予報です。しかし、雨と分かっていても準備を粛々と進めました。ポン菓子器、綿あめ器、丸テーブル、いす、テントなどを社会福祉協議会から借りました。そして会場の高塔公会堂に持ち込みました。
高塔以外の地区はお祭りをしているとの話を最近聞いたことがありません。地区独自にお祭りをするのは今や珍しいとのこと。今年は高塔地区で7人の新入小学一年生を祝います。新入祝い後、植樹祭、くじ引き、音楽会などを楽しむことができるささやかな地区のお祭りです。末永く継承したいお祭りです。
高塔公会堂にてお祭り前日の準備、最初にテントを三張
お祭り準備は三回に渡って進めました。一回目は準備やお祭り手順の確認、二回目はお祭り用具の借り入れと持ち込み、そしてくじ引き品の仕分けなどです。三回目はお祭り前日です。神棚へ鯛などのお供え品や備品などのセッティングをします。お祭りは始まってしまうとすぐに終わりますが、その何倍もの準備時間がかかります。準備された方々ご苦労様でした。
社会福祉協議会の備品 麻郷倉庫の備品出し くじ引き品の仕分け
お祭り前日、最初に大型テント三張を高塔公会堂前に立てました。大きく重いのでたくさんの方々が手伝いました。その後、テーブルや椅子のセッティングをしました。
その後、当日配布するポン菓子を作りました。ところが、圧力が上がらなく困りました。そこで、圧力計を取り外したりお米を入れる入口の対圧力シールを調整したりしました。それで何とかポン菓子を作ることができました。明日は雨との天気予報ですが、新一年生を迎えて地域の方々が楽しめるお祭りになると思います。
大型テントを三張立てる 調整したポン菓子製造器 ポン菓子に甘い赤蜜
去年の田布施さくら祭りは交流館付近が会場でした。そのためか、交流館近くはすれ違いもできないほど混雑していました。たまたま帰国していた娘達とさくら祭りを楽しみました。川辺には隙間がないほど人が座っていました。仕方なく、図書館からかなり下流で休憩しました。
今年は会場が役場より北側にある詩情公園に移ったため、交流館付近はそれほど混んでいませんでした。桜をのんびり楽しむことができました。
役場近くの詩情公園はどこも混雑、お店はどこも行列
5年前の田布施さくら祭りでは、郷土館として織物体験コーナーを出展しました。スタッフが足りないため田布施農工高校の生徒さんにボランティアで手伝ってもらいました。私は子供達に簡単な織物を教えました。そして、我家から持ってきた運搬車(郷土館号)に子供達を載せて公園内を回りました。コロナ惨禍の前のことです。
桜並木と田布施役場 少年少女合唱団 たくさんの出店
ボーイスカウトコーナーに立ち寄りました。今は活動していませんが、私は東京で20年位前に指導者の一人でした。田布施町のボーイスカウトには、指導者として活躍している同級生がたくさんいます。その一人と話し込みました。近年入隊する子供が少なくなっているそうです。そのため解散した隊も少なくないとか。柳井市も一つの団だけが残っているとか。
賑やかな子供向け玩具のお店 田布施川ではカヌー体験
史跡巡りメンバーのうちゲートボールをする仲間が田布施町のスポーツセンターのゲートボール場を使うことになりました。かつて山口国体があった頃、田布施にもゲートボールをするグルーブがあったようです。今はないそのグループが残して行ったゲートボール場を使わせてもらうことになります。
しばらく使っていなかったためコート全体に草が生えていました。私も少し関わりがあるため草を抜いたりしてゲートボールができるように整地しました。レーキ,網,,手箕,そしてクワなどを持って行きました。最初は肌寒かったのですが、作業していると汗ばんできました。心地良い疲れです。
ゲートボール場の草を抜いたりしながら整地する方々
耕運機を持ってきてコートの表面を草ごと削る方もいました。クワで削ると時間がかかりますが、耕運機を使うと一時間程度で削ることができました。その削った表層の土を網を使って濾しました。そして、雑草の根っこなどを選別しました。
四月からゲートボールの練習に使うそうです。その準備として、この三月に整地したり良い土を入れて固めたりします。私はゲートボールをしないのですが、時間が空いたら見学や応援に来ようと思います。
耕運機を運び入れる クワなどで地面を削る 綺麗になったコート
明日は10月と言うのに、とても暑かったのですがスポーツまつりを楽しみました。開会式が終わると、かわいいチアダンスグループ(ドリームドール)によるチアダンスの披露がありました。20年以上前、私の娘がチアリーディングをしていたため懐かしく見させていただきました。
ラジオ体操後しばらくして、私はウォーキングに参加する方々をお連れして名所旧跡を案内しました。とても暑かったため適度に休憩を取りながら歩きました。
かわいいチアダンスグループによるチアダンスの披露
私が担当したウォーキングは、1時間程度の近距離・短時間の史跡巡りです。山崎原遺跡,浮島神社,江良碧松句碑,新川寮,そして憲兵駐屯跡地を巡りながら説明をしました。
浮島神社は通称ひねきり明神と言い、女性の縁付きが良くなる(良い結婚相手が見つかる)変わったお祭りが行われていました。結婚が難しい現代、必要なお祭りかも知れません。
開会式:ご祝辞を賜る チアダンスの披露 みんなでラジオ体操
憲兵駐屯地跡では、戦時の大刀洗飛行場の戦略物質集積所,知覧,特攻隊などとの関係もご説明しました。
戦時中、大刀洗飛行場はたびたび米軍の空爆にさらされていました。その避難場所として、田布施町麻郷の今の高塔・旭地区に戦略物質が集積されていました。当然ながら立ち入り禁止で、周りに鉄条網が引かれていました。そして、駐屯していた憲兵が厳しく監視をしていました。田布施から平生に伸びる長い直線道路、戦争が長引けば簡易飛行場になったかも知れません。
ウォーキングに参加の方々(浮島神社) 賑やかなスポーツまつり全景
ウォーキングが終わるとスポーツまつり会場で休憩をしました。お昼でしたので、焼きおにぎり,焼きフランクフルト.そしていただいたおはぎとお団子を食べました。とにかく汗が噴き出る暑さでした。
私が知っているたくさんの方々に出会えた楽しいスポーツまつりでした。ありがとうございました。暑い中、スタッフの方々に感謝です。
ウォーキングで歩いた1時間ほどの史跡コース
敬老の日でした。おおむね80歳以上の方を招いて高塔ふれあいサロン会がありました。当日敬老のお祝いが子供達から贈られてきた古希の私ですが、その私もふれあいサロン会では福祉委員として敬老会のお手伝いをしました。今回のふれあいサロン会は、A先生をお招ねきして懐かしい歌声の集いです。なお、私は歌は苦手のためもっぱら屋外にいました。そして、駐車場係やお弁当やお茶の受け取りなどの係をしました。
今回の高塔ふれあいサロン、来ていただいた方々にたいへん喜んでいただけたようです。
歌の先生の指導の元、懐かしい歌を皆さんと唄う
高塔ふれあいサロン会は、コロナ惨禍をはさんで久々のサロン会でした。今から4年前、コロナ惨禍前にバスで日帰り旅行をしました。今回は高塔公会堂で歌の先生の指導の元で懐かしい歌を中心に歌いました。唱歌、童謡、昭和のヒットソングなどを歌いました。
敬老会開催の高塔公会堂 参加者の受付を開始 歌声広場の始まり
ちなみに、私個人が講師として生き生きサロンに招かれてその地区の歴史についてお話をしたことがありました。旭新川ふれあい生き生きサロンを皮切りに何ヶ所もの地区の生き生きサロンに出かけました。もちろん、高塔公会堂でのふれあいサロンで高塔の歴史や言われを講演したこともありました。
しばらくは福祉委員を続けることになりそうですので、今後も高塔ふれあいサロンのお手伝いをしようと思っています。高塔の福祉委員の方々、お疲れさまでした。
各班の福祉委員の方々の紹介 福祉委員の方々、お疲れ様