東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 般若寺のんびりウォーキングの下見

2013年04月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 5月のウォーキングの下見をしました。平生のJAみなみ周防平生支所をスタート/終点にして般若寺までをウォーキングするコースです。以前散策した般若寺コースを考えていましたが、季節が違うためかけっこう大変であることが分かりました。このため、山道を登ったり下りたりしながら一番短くて楽と思われるコースを探しました。道を探しながら歩いたので、今回、19Km位を歩き回ってしまいさすがに疲れました。

       最初、大内川を上流に              途中、天池から大星山を見て
 

 最初般若寺まで歩いたコースは、大内川を上流にどんどん歩き、宇佐木の山田地区から般若寺まで歩くコースです。しかしながら、距離が長いうえに展望のない舗装道のため面白くありません。さらに、影がなく直射日光が当たり暑くてたまりません。

      山田地区からは古道を歩く           ようやく般若寺の山門に到着
 

 それでも、般若寺に着いて、境内をあちこち散策しました。境内は回るところがたくさんあるので、時間的には楽しむことができます。私が高校生の頃、授業か何かで般若寺に来たことがあります。しかし、どのコースを皆で歩いたのか記憶がありません。伽藍と展望が良かったのだけは記憶があります。

    般若寺、 何年か前に屋根にシートがかかっていましたが修復されたのか?


 般若寺内を散策しながら、展望が良い場所に行きました。そこは、眼下に柳井湾が見下ろせます。琴石山,火力発電所,笠佐島,大島大橋などが見えます。この場所で腰を下ろして昼食をとりました。ただこの展望良い場所、イスやテーブルが無いのでシートを広げなければなりません。

               展望広場から見下ろした柳井湾、大島大橋も見える


 この般若寺、大師さま巡りのように88番ヶ所の石仏を回ることができます。今回、その1番ヶ所石仏と最後の88番ヶ所石仏だけを見ました。いつか時間があれば、1番から88番まで歩いてみたいと思います。

      丸は1番ヶ所の石仏               山門を出て、がれた山道を下る
 

 般若寺内をほとんど見回ると、一路大野萩原に向かって下りました。以前は、いったん宇佐木に下ってから大野萩原に向かいましたが、今回は直接大野萩原に下りました。最初深い竹藪内を歩きましたが、5分程度で棚田に着きました。

     この階段を上ると般若寺、
     右の藪道に行くと大野萩原      竹藪を抜けると大野萩原の棚田に到着
 

 さて、大野萩原に着いてから考えました。これまで歩いた、宇佐木から般若寺へのコース。とても長くて疲れます。そこで、この大野萩原を起点に歩きやすいコースを新たに探してみることにしました。そこで、大野萩原から下の方に広がる棚田を下ってみることにしました。

        大野萩原に広がるのんびりした棚田、水田として使っているのかは不明


 のんびりした棚田を行ったり来たりして迷いながらもどんどん下っていると、なんと宇佐木の山田に着いてしまいました。てっきり大野北に着くと思っていたのでガッカリしました。そこでいったん平生の大内川に戻って、新しい般若寺へのルートを地図を見ながら考えました。そのルートは、大内川から大野北の北村バス停留所近くにある稲荷大明神を経由して大野萩原に向かう道です。

大内川、左は最初の道、右は北村への道       北村、稲荷大明神への登り道
 

 大内川から右に北村バス停留所に向かいました。そのバス停留所から少し歩いて、左に鋭くターンする上り坂を登りました。200m位登ると、高台に稲荷大明神がありました。この稲荷大明神で立ったまま少し休憩しました。ここから、赤子山や大野平野を見渡すことができます。稲荷大明神を過ぎてしばらく歩いていると、道の両側に次々にため池や棚田が現れました。

     稲荷大明神でしばし休憩               綺麗に耕された棚田
 

 30分ばかり歩いたでしょうか、ようやく大野萩原に着きました。本番のウォーキングでは、天池,大野北村,稲荷大明神,大野萩原コースにしようと思います。大野萩原に着くと、後は予定のコースを歩きました。大野萩原と大野長谷を分ける山の切通しをどんどん歩きました。

      左から来て般若寺に向かい、帰りは大野萩原から大野長谷に向かう


 山の切通しは陰になっており、しかも涼しい風が吹いていました。歩きながら涼しい風を浴びると疲れが吹き飛びます。大野長谷の道をしばらく歩くと、下に向かう分岐道がありました。その道をどんどん下っていきました。少し歩くと「こびとのおうちえん」の古民家が見えてきました。今は連休中のためか、子供達の声は無く静かでした。

  下に向かう、少し草が生えた分岐道       「こびとのおうちえん」近くのニワトリ
 

 その「こびとのおうちえん」近くを歩いていると、私に興味を示したのかニワトリ達が一斉に駆け寄ってきました。このニワトリ達はとても人慣れしています。この付近の人達にかわいがられているのでしょう。手まきで餌を与えているのかも知れません。残念ながら私は餌を持っていません。ごめんなさいね、ニワトリさん。
 私が子供の頃、我家にはたくさんの放し飼いのニワトリがいました。当時、そのニワトリ達は貴重なタンパク源でした。遠い親戚が来るときやお祭りのときなど、ニワトリ達はさばかれてご馳走になっていました。

     「こびとのおうちえん」近くで放し飼いのニワトリ、いっせいに私に駆け寄る


 「こびとのおうちえん」を過ぎると、大野南の町並みに出ました。途中3体のお地蔵様に出会いました。赤い帽子に,空色のちゃんちゃんこ,そして傍らには生けた花束、この地域の人たちに愛されているようでした。お地蔵様を過ぎて、浄圓寺の角を曲がり、まっすぐ歩けばJAみなみ周防平生支所はすぐそこです。

       3体のお地蔵様              浄圓寺の角を曲がり川沿いに歩く
 

 浄圓寺の角を曲がって川沿いのまっすぐな道を歩いていると、正面右には赤子山が、後ろを振り返ると、今まで歩いてきた般若寺,大野萩原,大野長谷の山々が見えました。いつもの下見よりほぼ倍歩いたので、久しぶりに足が疲れました。JAみなみ周防平生支所に駐車していたバイクに乗り、途中MaxValueで買物をして家に帰りました。自分にお疲れ様でした!

  JAみなみ周防平生支所に向かう途中、般若寺や大野萩原方面の山を振り返って

 今回の下見で歩いた道をGPSで振り返ってみました。赤いルートは今回の下見で実際に歩いたコースです。X印は本番のウォーキングでは歩かないことにしたルートで。矢印のルートが本番のウォーキングで歩く予定のコースです。なるべく歩く距離が短いコースを探しながら歩いた結果、この矢印のコースに決めました(トータル約8Km)。
 平生の宇佐木,大野荻野,大野長谷は普段歩かない道ですのでとても勉強になりました。本番では歩かないことに決めたコースの中には、とても魅力的なコースがあります。いつか皆さんを連れて、これらのコースをウォーキングしてみたいと思っています。

   赤いルートは今回歩いた道、行ったり来たり探索したためこのような赤い線に
      X印:本番のウォーキングでは割愛  矢印:本番のウォーキングルート

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お墓詣りした後、家内と楽しい上関ドライブ

2013年04月29日 | 家族関連

 昨日27日、家内が連休を使って山口県にやって来ました。私と違ってまだ現役で仕事をしているため、当分は東京で仕事をします。このため、私が時々東京に行き、家内は逆に時々山口県に来ます。5月末の父親の一周忌に家内が来れないため、連休を使っての一周忌先行お墓詣りです。

      お墓を掃除している家内       私は魚のフライ、家内はメバルの煮つけ
 

 お墓詣りだけではつまらないので、お墓詣りが済むと上関方面に私と家内だけでドライブをしました。先日上関をウォーキングしたので道は良く知っています。そのウォーキングした道をたどるようにドライブしました。最初、レストラン瀬里家に行って食事をしました。今回の日替わりメニューはお魚のフライでした。サユリのフライは初めてで、歯ごたえ良くとても美味しかったです。食事が終わるとアイスコーヒーを頼みました。このレストラン瀬里家は料理も良いのですが、建物のあちこちに咲いた園芸花を観賞するのも楽しみです。

                                       レストラン瀬里家のデッキにて



 
 レストラン瀬里家を出ると、車で一気に上盛山に行きました。去年、娘と来たときには頂上の桜がとてもきれいでした。しかし、今回はその頂上の桜はさすがに散っていました。しかし、藤棚には藤の花がたくさんぶら下がっていました。その藤の花に熊蜂がたくさんむらがって蜜を吸っていました。その熊蜂の羽音がうるさいほどでした。景色ですが、霞がかかっていたため四国や九州は見えませんでした。しかし、この山に初めて来た家内はとても感激していました。

    上盛山、藤棚近くで景色を堪能           展望台で360°の眺望を楽しむ
 

 上盛山で景色を楽しんで後、御汗観音に寄りました。連休にも関わらず少ししか人がいませんでした。とても静かで、鳥の声だけが響く御汗観音でした。20分程度御汗観音を見学すると、上関城山歴史公園に行きました。ウォーキングで来たときは、ちょうど河津桜が散りかけでしたが、すっかり葉が茂っていました。そして、満開だったスイセンはもう葉が枯れかけていました。

  上盛山から下りる途中、御汗観音を見学      上関城山歴史公園の見晴らし台
 

 上関城山歴史公園を出ると「鳩子の湯」に寄ってみました。連休中のためか駐車場が満杯でした。なんとか、一台分のスペースを見つけて駐車しました。今回はお湯に入らないでレストランでアイスクリームを食べて、このお湯のパンフレットをいただいて帰りました。

           今年3度目の四階楼、天気が良く白い建物が映える


 鳩子の湯を出ると、最後に四階楼に寄りました。ここに入館したのは今年3度目です。ウォーキング下見の時、ウォーキング本番の時、そして今回です。四階楼説明員の方と顔なじみになりました。
 ところで、この四階楼を以前所有していた佐々木さんは私の遠い親戚になるそうです。母親の話では、四階荘,てんぷら屋さんとも遠い親戚になるそうです。大正の頃、母親の母(私の祖母)の実家伊保庄の奥原家から平生の金福家の長男に嫁に行ったそうです(母親の妹も金福家に従兄弟結婚で嫁ぐ)。その頃、その長男の妹が金福家から上関の佐々木家に嫁いだとのこと。その嫁いだ佐々木さんが老年になって四階楼を管理しきれなくなって、この四階楼を上関町に寄付したそうです。なお、その方の娘さんが天ぷら屋に嫁いでいるとのこと。そして、その姉が私の母親と同じ柳女の同級生だったとのこと。

     鳩子の湯の入口                   四階楼4階のステンドグラス
 

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里芋の植え付け

2013年04月28日 | 野菜:芋類

 去年、里芋を植え付けるのが遅く5月末でした。このため、芽が出るのが遅くなって結果的に収穫量が少なくなってしまいました。今年は、去年より約一ヶ月早く植えることにしました。ところで、里芋の種芋を購入したのですが、どの園芸店に行っても種芋の状態が良くありませんでした。一冬越す間に種芋が傷むのではないかと思います。

             上丸:正常な種芋,下左:芽は正常だが芋半分傷む
                       下中:芽がない種芋,下右:カラカラに腐ってしまった種芋

 2/3の種芋は正常でしたが、残り1/3は種芋として使えないものでした。どうして、こんな傷んだ種芋が出回るのか不思議です。今年収穫する芋の一部を種芋として残した方が良いのではないか思います。
 里芋を植え付ける畑は、予め昨日耕しておきました。鶏糞肥料を畝にばらまいた後、耕運機で土と肥料を混ぜ込みました。そして種芋を植え付けました。

     鶏糞肥料をばらまく                畑を耕して肥料を混ぜ込む
 

 植え付ける前に、巻尺で正確に芋と芋の間隔を決めました。今回は種芋の数が少ないため、間隔を1mとしました。1mごとに種芋を8cm位の深さに植えて土を被せました。5月には土の上に芽が出るのではないかと思います。

     巻尺で正確に間隔を決める      深さ8cm位の深さに植え、土を被せる
 

 里芋をゆとりを持って管理できるように、里芋は2列の畝に植え付けました。芽が出た後、2回程度土寄せをするつもりです。今回植え付けた里芋の品種は、煮崩れしにくく粘りがある「土垂:どたれ」品種です。小芋を食べます。さて、今年は美味しい里芋をたくさん収穫できるでしょうか。

                 里芋の種芋を2列植え付けた畑

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サツマイモ苗(安納イモ)の植え付け

2013年04月27日 | 野菜:根菜

 注文していたサツマイモの苗が到着しました。去年は、近所の園芸店で購入しました。しかし、自分が欲しい苗が入荷しない場合があったり、人気の苗がすぐに売り切れてしまうことがあります。このため、今年はあらかじめ苗を頼んでおきました。届いた苗の品種は、安納,ハヤト,ベルベットです。今回植え付けたのは安納サツマイモです。残り2品種は、2,3日のうちに別の畑に植え付ける予定です。

    左から、安納x2,ハヤト,ベルベット      安納サツマイモ苗と農具一式
 

 サツマイモの苗を植え付ける畝は、前日トラクターで耕耘しておきました。この場所は以前、ヒノキなどを伐採して幹や枝を整理した場所です。ここの畑は、やや粘土質のため山型に畝を盛り上げました。最初3本クワで土を大まかに盛り上げ、最後にレーキを使ってきれいな山型にしました。

            3本クワを使って、山型の畝になるように土を両側から寄せる


 山型の畝が出来上がると、いよいよサツマイモの苗を植え付けました。畝は十分広いので苗と苗の間隔は80cmとしました。そして、植え方は基本の船底植えです。保温や雑草対策のための黒マルチを考えましたが、収穫時にその黒マルチを剥がして捨てるのは結構な労働です。今回も、去年と同様に黒マルチはしませんでした。その代わり、数回の除草は避けられません。

        80cm間隔で苗を移植             船底植えで苗を植え付ける
 

 今回植えた安納サツマイモは、収量は多くないのですが焼き芋にすると絶品です。黄色でねっとりとした甘さは最高だと思います。去年は高塔地区のふれあい祭りで焼き芋を作ったのですが、芋の数がぎりぎりでやや足りませんでした。このため、今年は多めの苗を植え付けました。また高塔公会堂に運び込みやすいように、高塔公会堂そばの畑に植え付けました。

       安納サツマイモを植え付け終わる、今後除草などの世話が欠かせず

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絹さやインゲンなど豆類がいっせいに開花

2013年04月26日 | 野菜:果菜

  晩秋に種をまいた絹さやインゲンなどの豆冬にも耐え、先日つるがよく絡まるように支柱を立てました。その豆たちが、花を次々に咲かせ始めました。豆と豆の畝間が歩きやすいように、間隔を十分取って支柱を立てたのですがすっかり狭くなりました。このため、畝間をかき分けるようにして歩かなければなりません。

               支柱に絡まりながら伸びた、絹さやインゲンなどの豆


 それぞれの豆の花を見ると少しずつ違います。スナップエンドウ豆は真っ白な花を咲かせています。そして、グリーンピースはわずかにクリーム色をした花を咲かせています。そして、花びらがやや違います。スナップエンドウは花びらが両側に開いていますが、グリーンピースはやや後ろに返すように開いています。その違いは、遠くから見たのでは分かりません。
 なおスナップエンドウ豆の間に種をまいたレンズ豆は、スナップエンドウ豆に隠れるように小さく育っています。この豆、いったいどんな花が咲くのでしょうか。

       スナップエンドウ豆の花びら           グリーンヒースの花びら
 

 一方、絹さやエンドウ豆は、とても鮮やかな色をしています。スナップエンドウ豆やグリーンピースは白いのに、絹さやエンドウ豆は何故赤いのでしょうか。たまたま、この品種の絹さやエンドウ豆の花が赤いのでしょうか。しかし、さやを食べる以外に花を楽しめるのはとてもいいことです。ほぼ毎年のように絹さやエンドウ豆を栽培するのは、この花を見たさでもあります。

             絹さやエンドウ豆の花、色がとても鮮やかで花も楽しめる


 ところで、エンドウ豆の隣りに同じころ種をまいたソラマメ。豆類だからと全く肥料をやらなかったためか、あまり成長しないまま花を咲かせ始めました。ソラマメなどは肥料を効かせすぎると、アブラムシがよく発生します。無肥料だったためかアブラムシは一匹もいませんでした。
 ソラマメに限らないのですが、作物に肥料をやるのはとても迷います。肥料をまくと、作物は葉が濃い緑になり大きく成長します。そして収量も上がります。しかしアブラムシなどの害虫が発生しやすくなったり、また軟弱で徒長するために倒れやすくなります。ちょうど良い施肥量にいつも悩みます。

          花が咲き始めたソラマメ、豆を炒ったりソラマメご飯にして食べます

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オリーブ苗の注文と植樹予定の荒地

2013年04月25日 | 樹木,果樹

 今年になって、一面の枯草を刈り取りしたり、トラクターで耕運して整地をした空き地があります。しかし、石ころばかりでとても普通の畑にすることができません。かと言って、放置することもできないためどうしようかと思っていました。荒地のままにしておくのはもったいないと思います。そこで、手間がかからない栗などを植えようかどうしようかと思っていました。いろいろ考えたすえ、オリーブを植えてみることにしました。
 そこで昨日、この空き地入口の盛土を低くする作業をしました。こうすれば、トラクター,耕耘機,運搬機,一輪車などが出入りしやすくなります。今日の朝、雨が降る中を水たまりの状況を確認しました。しかし、ほとんど水が溜まっておらず。またぬかるんでいませんでした。

            雨が降りしきる空き地            出入口のぬかるみ状況を確認
 

 ところで先日、平生町に住む友達のI君と一緒に周防大島のオリーブ農家Sさんを訪問しました。その農家の方は、定年後に故郷の大島に戻ってオリーブ園を始めたそうです。昨今のオリーブブームもあるかも知れませんが、今では大島でのオリーブ栽培を勧めているそうです。また、ミカンからオリーブへの転換も奨励しているそうです。実際にそのオリーブ園を見学させていただきました。
 I君は、すでに5本のオリーブ苗を購入して栽培しています。いきなりオリーブ園はリスクがありますので、試しに10本のオリーブ苗をその方に注文することにしました。最初、10本で始めてみようと思います。なお、10本のうち、9本はオリーブ油を獲るための苗で、1本は受粉用のオリーブ苗です。10本ならば、栽培の勉強用としてまた自給用として十分ではないかと思います。

          周防大島にあるオリーブ園、右の方にオリーブ苗を注文

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光市 峨眉山(北側)の調査ウォーキング

2013年04月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今回は、前回と反対方向の峨眉山北側を散策してみました。同じく普賢寺裏にある駐車場にバイクを止めて、杵崎神社を目指して長い石段を登りました。この階段の両側は常緑樹の大木がたくさん生えているため、日陰が続く湿った道になっています。その湿った石階段をしばらく登ると杵崎神社に到着です。

     普賢寺裏の駐車場                   湿ったゆるい石階段を登る
 

 杵崎神社手前に標識があります。左に行くと、峨眉山,光峨眉山護国神社,そして象鼻ヶ岬方面に行きます。右に行くと、光フィッシングパーク方面に行きます。前回は左方向に行きましたので、今回は右方向に行きました。この峨眉山の遊歩道は海側が絶壁になっているようですが、木が茂っているため海はほとんど見えません。

    杵崎神社手前を右に進む            木に邪魔され海が見えない
 

 しばらく両側が樹木に囲まれた遊歩道を歩くと、展望台に着きました。しかしながら、天候が悪くさらに霞が濃いため周防灘の島はほとんど見えません。代わりに室積半島の象鼻ヶ岬が少しばかり見えました。その向こう側に見えるはずの梶取岬や佐合島などは、ほとんど見えませんでした。

         かろうじて象鼻ヶ岬は見えるものの、その向こうの梶取岬などは見えず


 あまり展望が良くないため、休まずスタスタ歩き続けました。すると、半島の北端に近くなって最後の展望台がありました。晴れていれば最高の景色が広がっているはずなのですが、やはり曇り空に霞がかかっていてそれほどの眺望はありませんでした。少し疲れたので、ここでしばらく休みました。

      所々曲がりくねった遊歩道         最後の展望台、霞が濃く遠望できず
 

 最後の展望台は、濃い霞のため遠くを見渡すことができませんでした。しかし、直下の「フィッシングパーク光」は、距離が近いため良く見えました。平日で天候も悪いためか、釣りをしている人はあまりいないようでした。

               天候が悪く、釣り人がほとんどいないフィッシングパーク光


 最後の展望台で休んでいると、風がないにも関わらず寒くなってきました。再び歩き始めましたが、ここからは急な下り坂が続きます。うねるような下り坂を跳ねるように小走りに歩くと、すぐに登山口に降り着きました。とても寂しい登山口でした。標識も消えかかってよく字が見えません。ここから登る人は少ないのでしょう。

     樹木の切れ間から見えた海          寂しい登山口と、消えかかった標識
 

 降りた登山口は、9年ほど前に息子と娘を連れて釣りに来たことがあるフィッシングパーク光の目の前でした。さすがに、平日でしかも天候が悪かったため人影がありませんでした。ここから舗装道路を歩いて、スタートした普賢寺裏の駐車場に向かいました。20分位歩くと、駐車場に着きました。
 この室積半島の峨眉山は、今回降りてきた「フィッシングパーク光」前にある登山口から登ると良いようです。ここから登れば、峨眉山の遊歩道をすべてをウォーキングできます。しかも象鼻ヶ岬も回れます。最後に普賢寺を見ることもできます。さらに、時間が余れば少し歩いて「光ふるさと郷土館」に寄ることもできます。

               登山口の目の前は、「フィッシングパーク光」入口

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ビワの袋掛け、小麦の出穂

2013年04月23日 | 樹木,果樹

 私が子供の頃、ビワは手入れしなくても自然に実が成っていました。ところが、数日前に近所でビワの袋掛けをしている方を見かけました。ビワも袋掛けすると良いようです。実際、園芸店にビワ用の袋が売っていました。私も袋掛けに挑戦してみることにしました。

      枝先のたくさんのビワの実             小さなクズ実を取り除く
 

 そこで、果樹の栽培方法が掲載された本を見ると、より良い実を収穫するために次のようにすると良いと書かれていました。1.冬の間に花房を摘果する。2.実は葉先に成るため枝先を剪定できない。3.枝が高くなるため低く誘引する。などです。既に今は春ですので、実がもう大きくなり始めています。そこで、手遅れかとは思いましたが、枝先の実を3~4個程度に摘果して袋掛けしました。

       実の数を3~4個に摘果               ビワ専用の袋を掛ける
 

 よく分からないままに、ビワの実に袋掛けをしました。その成果は、7月の収穫期に分かると思います。今後、秋に剪定誘引して、花が咲く冬には花の数を減らす作業もしてみようと思います。さて、今年は美味しいビワを収穫できるでしょうか。

         20袋ほど幼果に袋掛けしたビワ、美味しいビワを収穫できるか?


 ところで、麦畑では小麦の出穂シーズンを迎えました。麦の中では、小麦が一番役に立つます。パン,うどん,天ぷらなど幅広く使えます。ただ、製粉をどうしようかと思っています。手回し式と昔の石臼を持っています。しかし、手回し式は時間がかかりますし、さらに石臼は時間がかかります。自給程度であれば子供も使える手回し式製粉機で十分ですが、うーん中古の製粉機を手に入れることができないか考えています。なお、大麦はまだ出穂していません。

               出穂シーズンを迎え、一斉に穂を出し始めた小麦

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田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その3)

2013年04月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 田布施川沿い史跡巡りシリーズ8回の第3回目のウォーキングです。今回は、第1回の終点だった八海バス停留所からスタートして、いくつかの史跡を巡りながら田布施交流館まで歩きました。昨日はずっと雨でしたが、今日は朝から快晴のウォーキング日和でした。最初に鳥越に向かって188号線の歩道を歩きました。鳥越に着くと188号線と別れて、麻郷護国神社に向かいました。

            麻郷護国神社に向かう山の小道、昨日の雨で少しぬかるむ


 麻郷護国神社に着くと、最初に戊辰戦争でなくなった方々の慰霊碑をお詣りしました。この神社は、毎年4月1日に慰霊祭が行われます。この慰霊碑の中で、戊辰戦争時に奥羽列藩同盟や会津攻めの原因の一つになったといわれる世良修蔵の慰霊碑に注目しました。仙台で亡くなって、お墓が当地にあるそうです。

  戊辰戦争で亡くなった方々の慰霊碑群     世良修蔵の記載があった歴史雑誌
 

 今年偶然に、NHKテレビドラマ「八重の桜」に関わる歴史を説明した歴史雑誌を買いました。その中に6ページを使ってこの世良修蔵のことが記載してありました。もしかしてNHKテレビドラマ「八重の桜」に、この方が出るのではないかと思っています。
 戊辰戦争当時、長州藩と会津藩は互いに天敵同士で対立していました。このため、いまだに両県にはわだかまりがあるようです。なお私は山口県出身ですが、私の家内の父親の出身は福島県の会津藩があった地域です。だからと言うわけではないのでしょうが、私の父親と家内の父親は気が合わず一度も顔を合わせることなく2人共亡くなりました。

                    麻郷護国神社前にて、今回の参加者8人


 麻郷護国神社に別れをつげて、次に国木田独歩が明治時代に住んでいた吉見家仮寓跡に行きました。今その家はなく、石碑だけ残っています。国木田独歩は、当時田布施町城南に住んでいた吉田松陰門弟の富永有隣を訪ねたそうです。そして、それを題材に小説「富岡先生」を書いています。国木田独歩がいた当時、戊辰戦争を生き抜いた富永有隣のような人がいて明治維新の熱気がまだ残っていたようです。 

      麻郷護国神社の石階段           国木田独歩の吉見家仮寓跡碑そば
 

 吉見家仮寓跡近くに私の畑があります。ちょうど麦の穂が出始めたため、参加者の一人である新一年生のAちゃんに麦畑を見せました。最近は麦を作る農家が少ないため、麦畑はとても珍しいようです。Aちゃんは、珍しそうに麦の葉を見たり穂を摘まんだりしていました。

              麦畑の中で、少し照れながら笑顔の新一年生Aちゃん


 麦畑を見た後、麻郷中学校の石碑を見学しました。そして一路、高塔11班傍にある人島橋跡に向かいました。この人島橋跡脇には江戸時代の史跡があります。お地蔵様の両側に、この人島橋の由来が石碑として残っています。橋が架けられたのが文化9年3月15日(1812年)と刻んであります(再架橋昭和2年)。今から約202年前に人島橋が架橋されたことになります。江戸時代のそろそろ幕末にさしかかる頃です。江戸時代はこの付近が河口で、まだ八海橋が無い頃と思われます。このため、麻郷から平生方面に行くための唯一の橋だったようです。八海橋が架けられてから、その役目が終わったようです。

                昭和30年代(1960年頃)の人島橋、人がかろうじて渡ることができる


 {※その後の調査で、この人島橋が架橋された文化9年3月15日(1812年)当時、八海橋はまだ架橋されておらず、渡船場がありました。その後、天保6年(1835年)に八海橋(今の八海公会堂付近~対岸の三新化学に)が架橋されました。麻郷の人々は、八海橋を渡りさらに、こくぼ橋を渡って平生に行っていました。====2013.8.18加筆}

        昭和52年(1977)年8月の人島橋、橋の柱だけがわずかに残る


 なお、私の祖母は人島橋石碑対岸の人島地区に住んでいました。その祖母から聞いた話で本当か分かりませんが、この人島橋袂の近くで明治初期第2奇兵隊の反乱兵の処刑があったそうです。祖母の母(私の曾祖母:磯中イシ)は幕末の安政29年(1858)生れですので、明治初期に10代だった曾祖母は平生での反乱騒動の一部を見聞きしたのかも知れません。
 第2奇兵隊は、幕末期の脱退事件や明治初期の反乱事件の悲しい歴史があります。この人島橋周辺の八海~庄山付近は第2奇兵隊の教練の場だったそうです。幕末から明治初期、この地域に住む人々はどんな思いで第2奇兵隊を見ていたのでしょうか。

        ヒバリが鳴く中、広々とした田んぼを歩いて新川地区に向かう


 人島橋跡近くから、広々とした田んぼの中を新川地区に向けてのんびり歩きました。しかしながら、冷たい風が吹いて寒くなってきたため予定を変更しました。参加者Eさんの家に、トイレ休憩兼昼食のために寄らせていただくことになりました。風が吹き込まない暖かいお庭で、みんなで楽しく談笑しながらの昼食でした。Eさん、ありがとうございました。

        Eさんの家のお庭で、楽しく昼食を食べるウォーキング参加者


 Eさんの家でくつろいでいると、あっという間に時間が過ぎてしまいました。午後から用事があるTさんはここでお別れです。予定では午後1時頃に終点に到着予定でした。時間通りでなくすみませんでした。Tさんと分かれると、新川地区の丘にある浮島神社に行きました。

  浮島神社に向かってのんびり歩く           浮島神社の社殿を見学
 

 浮島神社に着くと、境内にある力石や江良碧松碑などを見学しました。江良碧松は、地元の有志とここで年に一度月見を楽しんだそうです。私が子供の頃、江良碧松は存命でした。このような著名な歌人が地元にいたとは全く知りませんでした。社殿内部を見せていただきました。その天井には古い絵馬がたくさんありました。いつ頃の時代の絵馬でしょうか。

              日が当たるポカポカ陽気の中、浮島神社を後ろに


 浮島神社を見終わると、今回の史跡見学は終わりです。あとは田布施川の堤防に出て、ひたすら終点の田布施交流館に向かって歩きました。この田布施川沿いのまっすぐな堤防道は最高のウォーキング,ランニング,そしてサイクリングコースです。毎日夕方になるとウォーキングしたりランニングしてる方々に出会います。
 歩いている途中、麻郷スポーツ大会に参加した方に出会いました。その方に、参加賞か何かでもらったのでしょうかジュースをいただきました。ありがとうございました。

    田布施川のまっすぐな堤防を進む       途中ジュースをいただく、感謝!
 

 田布施川を田布施交流館に向かって歩く途中、コースを一部変更しました。理由は、堤防上の舗装道は時々車が通りますので避けなければなりません。このため、舗装された道から川側に少し降りた堤防緑地を歩いてみました。ふかふかした柔らかい緑地ですので、誰にも邪魔されずにのんびり歩くことができます。しかも、たくさんの雑草の花が綺麗に咲いています。

            ふかふかした柔らかい堤防緑地をのんびり歩く


 ふかふかした堤防下の緑地を歩き終ると、ハミングロードを歩きました。所々に童謡の音楽が流れるBOXが設置されています。Aちゃんにスイッチを押してもらいました。すると、懐かしい童謡の音楽が流れてきました。いくつかの童謡BOXのスイッチを押して歩くと、終点の田布施交流館に到着しました。スタート地点の八海バス停留所に戻る方は、私が車で送りました。参加者の皆さん、お疲れ様でした。

     Aちゃんがスイッチを押すと懐かしい童謡が、交流館傍のハミングロードにて


 ※第1回から最終回の第8回までのウォーキングは、次のとおりです。クリックしてみてください。

  第1回 麻里府~八海   第2回 田名~平生     第3回 八海~交流館
  第4回 平生~交流館   第5回 交流館~城南   第6回 交流館~行者山~田布施街
  第7回 城南~光市塩田 第8回 小行司~余田畑

==========健康ウォーキングクラブ=========

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光市 峨眉山(南側)の調査ウォーキング

2013年04月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来年のウォーキング候補の一つである、光市室積半島の峨眉山を実踏してみました。バイクを普賢寺裏にある駐車場に停めて出発しました。地図上ではそれほどの距離はないので、のんびりと歩くことにしました。まずは、長い石階段を歩いて杵崎神社に向かいました。杵崎神社前は広場になっており、北方面のフィッシングパークに向かう道、南方面の峨眉山に向かう道に分かれていました。今回は峨眉山に向かう南方向の道に行きました。なお、クサフグ産卵地がある海岸に下りる道は、山の崩壊のため立ち入り禁止となっていました。

    杵崎神社に向かう入口の鳥居       杵崎神社と広場、ここから峨眉山へ
 

 この峨眉山周辺に生えている木々は、私が住む家の近くの木々と種類が少し違うような気がします。第1に、過去に伐採されたことが無いようで大木が多いことです。第2に広葉樹が多いことです。松や杉などの針葉樹がありません。つまり、これまで人の手が入らず植樹がされなかったようです。第3に常緑広葉樹ばかりのようです。ナラやクヌギなどの落葉広葉樹があまり見当たりません。

     大木に囲まれた遊歩道              三角点がある峨眉山頂上
 

 しばらく歩いて峨眉山の頂上に着きましたが、標識がありません。石の三角点がありましたので、峨眉山に違いありません。ここで少し景色を眺めながら休憩しました。海の向こうに光市の町並みが見えました。木が茂っているため、見通しが良くありません。

               峨眉山頂上から、海の向こうに光市の町並みを遠望


 頂上からはゆったりとした明るい下り道を歩きました。全て舗装されているため、足を取られたり滑ったりすることもなくとても歩きやすい遊歩道です。所々で木々の切れ間があり、崖下に海が見えます。とても急な崖のようです。危ない個所には鎖が張ってありました。

      舗装された明るい遊歩道            所々で崖下に海が見える
 

 歩いていると所々で、南の方向に海が見えました。本州の梶取岬,馬島が右半分,佐合島,長島,牛島,尾島,そして祝島が見えました。牛島は近いのか、港や家が小さく見えました。その向こうには上関の長島が見えました。しかしながら、霞が少しかかっていたため、九州や四国は見えませんでした。

                  左の牛島、中間に尾島、その右に祝島を見て


 木漏れ日を浴びながらのんびり歩いていると、日和田山跡と書かれた場所に着きました。休憩用のテーブルがあったので、少し休憩しました。この付近に来ると、子供達の賑やかな声が響いてきました。山の麓に山口大学付属小中学校があるので、その子供たちの声のようです。体育の時間だったようです。

   小中学校生徒の声が響く休憩所        歩いて来た峨眉山を振り返って
 

 休憩所からしばらく下りながら歩いていると、峨眉山神社に着きました。ここは、先日慰霊祭があった我家近くの麻郷護国神社と同様に、明治維新で亡くなった方々を祀る神社です。もともとは峨眉山招魂社と呼ばれ、今は光峨眉山護国神社と呼ばれているようです。
 並んだ石柱4列を見ると、左右外側2列が明治維新など、内側2列が太平洋戦争で亡くなった方の碑です。外側2列は一石柱に一名の方の名前が刻んであり、亡くなった年号や出身地なども丁寧に刻んでありました。しかし、内側2列は一石柱に八人位のたくさんの方のしかも名前だけしか刻んでありませんでした。これは、太平洋戦争がいかに犠牲が多かったかを暗示しているように思えます。

            4列のうち左右外側2列は主に明治維新で亡くなった方々の、
            そして
内側2列は太平洋戦争で亡くなった方々の碑


 明治維新で亡くなった方々の年号を見ると、元治元年(1864)の方が圧倒的に多いことです。この年、当時の長州藩は未曾有の危機にありました。7月池田屋事件,8月蛤御門の変での大敗,9月四国艦隊下関砲撃事件での敗北,第一次長州征伐と、長州藩にとっては散々の年でした。この光峨眉山護国神社で祀られている方々のほとんどが元治元年で亡くなっている事実は、この時期の長州藩の苦難を物語っています。

      光峨眉山護国神社から太鼓橋          半島に残るお台場跡
 

 光峨眉山護国神社を見終わると、去年の6月に来たことがある象鼻ヶ崎を歩いてみました。ほとんど同じルートをのんびりと歩いてみました。最初に、山口県の民謡にもなったお台場跡を見学しました。象鼻ヶ崎の突端に行った後に湾の内側を歩いて、さっきまで歩いていた峨眉山を見ました。

   湾の向こう側、1番高い山が峨眉山       峨眉山の北側、少し低い山が続く
 

 象鼻ヶ崎の内側は砂浜になっています。外側と比べて波が穏やかで、何艘もの小舟が休んでいました。日が当たっていたため温かな砂浜でした。その砂浜に座ると、お尻がポカポカしてきます。座って休憩しながら、湾の向こうに見える小山を見ました。この小山の中腹に光峨眉山護国神社があります。

     中央の小山中腹に光峨眉山護国神社、右の建物は山口大学付属小中学校

 象鼻ヶ崎から駐車場に戻る途中、山口大学付属小中学校の脇を通りました。小学校の低学年生でしょうか、たくさんの生徒が下校していました。そして、光駅方面へ行くバス停留所に生徒たちが並んでいました。この学校には光市各地から生徒が通学しているようです。

   山口大学付属小中学校の正門から、光峨眉山護国神社方面の山を振り返って


 普賢寺裏にある駐車場に戻ると、室積から千坊山方面へ向かいました。今年の初め、逆コースで千坊山から室積へ向かいました。田布施町との境から一旦コバルト台地に行って、広場で休憩しました。広場からの木々の間に、先日藪こぎしながら苦労して登った呉麓山が見えました。

  コバルト台地から見下ろした象鼻ヶ崎          木々の間から見えた呉麓山
 

 長椅子に座って遠望すると、柳井市の三ヶ岳や琴石山平生町の赤子山そして、山の向こうに柳井市沖にある火力発電所に煙突が白く目立つように見えました。そして、平生町、田布施町、柳井市の余田新庄を見渡すことができました。霞んでいましたが、銭壷山も見ることができました。視界を右に向けると、平生湾や大星山の風力発電所が小さく見えました。

      左丸:三ヶ岳,中上丸:琴石山,中下丸:赤子山,左丸火力発電所の白い煙突


           左丸:火力発電所,右長丸:平生湾,右丸:風力発電所


 コバルトラインの、岩屋と竹尾を結ぶ十字路から竹尾に下りました。薄暗い林道をしばらく進むと、竹尾のお地蔵様がある場所に着きました。次に、竹尾から麻里府に舗装道路をどんどん下りました。そして、里山カフェBerryBerryに寄ってホットコーヒーとロールケーキを注文しました。ご馳走さまでした。この時に里山カフェのご主人と、高校時代に亡くなったI君の話,昔の子供の遊び,城山の話などで談笑しました。この里山カフェがある場所は、私が中学高校の頃によく来た所です。同級生など友達も多いので、とてもなごむ懐かしい場所です。

 林道から竹尾のお地蔵様の場所に到着   途中寄った、里山カフェBerryBerry
 

 GPSを持ってバイクで走り、峨眉山などを歩きました。しかし、峨眉山内の遊歩道は大木が茂っているためか正確な歩跡を計測できませんでした。空が見える場所を歩いたり、バイクが走るコースは行跡をきれいに計測できました。

               今回、バイクで走ったり遊歩道を歩いたコースの行跡

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岩国市 高照寺山,高照寺山グリーンパークを散策(4/4)

2013年04月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 さて、高照寺山グリーンパークからの帰り道をどうするか考えました。瀬戸内海側の通津に出てから国道188号線に入り大畠を通って帰るか、玖珂に出てから元来た道に戻って帰るか考えました。私は常々今まで通ったことが無い道を選ぶことが多いので、今回も初めて通る玖珂への道を選びました。

  平日のためか、車が一台も駐車していない高照寺山グリーンパーク多目的広場



 高照寺山グリーンパークの多目的広場を出てひたすら山を下っていると、通津方面へと玖珂方面へとの分かれ道に着きました。迷わず玖珂方面への道を選びました。暗い山道を進んでいると、「滝ノ下」と呼ばれる地区に着きました。一度バイクを降りて滝がどこにあるのか探してみましたが、橋の近辺には無いようです。川には大きな岩がたくさんあるようで、水がうねるように流れていました。

     左は玖珂方面、右は通津方面           滝ノ下地区の川に架かる橋
 

 この付近は今まで一度も通ったことが無い道です。今回は地図を持ってこなかったため、何処を通っているのかさっぱり分かりません。木が茂って暗い道を走っていると、たまに車とすれ違うさびしい道です。ある道のそばに、石垣と大きな岩がありました。石垣はかつての棚田でしょうか、それとも一種の砂防ダムなのでしょうか?その石垣の下の方には、巨大な岩が石垣を下から支えるように埋まっていました。

              丸は、上にある石垣を支えるように埋まっている大岩


 どんどん走っていると、叶木と呼ばれる地区に着きました。盆地にある小さな集落です。案内板に「岩国の軽井沢」と表示されていたので、夏も涼しい所なのでしょう。ただし、軽井沢とうたうにしてはテニスコートも宿泊施設も無いようですが?叶木を過ぎてしばらくしてあちこち道を曲がったり登ったり下りたりするうちに、ひょっこり塔の森登山入口を通過しました。塔の森は一度は登ってみたいと思っていた岩国の山です。こんな所で、その登山口に出会うとは驚きました。

    「岩国の軽井沢」? 叶木              偶然通った「塔の森」の登山口
 

 塔の森登山口からしばらく走ると、遠くに高速道路が見える場所に着きました。そこから、広い舗装道路に出てひたすら南方面に向かいました。しばらくすると、高照寺山への登り口に着きました。ここまで来れば伊陸,柳井へとすんなりと進み、無事に我家に辿り着きました。

      向こうに見える高照寺山に向かって広い道路を進み、その後伊陸,柳井へ

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ニラの植え替えと、ブラックベリー苗の植え付け

2013年04月19日 | 野菜:葉菜

 去年の5月にニラの株分けをしました。しかし、1年の間に再び株が混んできました。そこで、1年ぶりに株分けをして植え替えることにしました。ニラの根を傷めないように、株全体をクワで掘り起しました。そして、植え替える場所を耕運機で耕しました。

    ニラの株を傷めないよう掘り起す            耕運機で丁寧に耕す
 

 続いて、耕した場所に乾燥鶏糞肥料をまき、土とよく混ざるように耕運機で再び耕しました。去年は平畝に株分けしましたが、今回は土を盛り上げて高畝にしました。レーキで畝を綺麗に整形した後、株分けしたニラを植え付けました。今年は株と株の間が10cm均等になるようにしました。

   乾燥鶏糞をまいて耕運機で混ぜる        10cm間隔でニラ株を植え付け
 

 ニラは1年で、株が倍に増えるようです。ニラはそれほど大量に食べないので、半分位余ったニラの株は破棄しました。植え替えた後、ジョロで水をまいておきました。1ヶ月位すれば再び成長を始め、美味しい葉を収穫できるようになると思います。

              植え替えた後、株が乾燥しないようにジョロで水をまく


 柳井園芸で野菜の種を探していると、ブラックベリーの苗が一つだけありました。売れ残ったものかも知れません。懐かしくなって衝動買いしてしまいました。このブラックベリー、子供の頃に我家に植えてありました。門のアーチにツルを絡ませていたことを覚えています。
 黒い果実をたくさん摘み取って収穫後、布の袋に入れて押しつぶすようにして果汁を絞り出しました。その黒いジュースがとても美味しかった記憶があります。当時栽培していたブラックベリーは痛いトゲが無数にありましたので扱いが難儀しました。しかし、今回購入した苗は、改良されたトゲ無しのブラックベリーです。

    一つだけ売れ残ったブラックベリー      薄日があたるエンドウ豆の根元
 

 このブラックベリーの苗をどこに植えようかと考えました。ブラックベリーはツル植物ですので、巻きつく枝が必要です。そこで、花が咲き始めたエンドウ豆の根元に植えることにしました。エンドウ豆は莢を収穫後、枯茎などを6月頃には撤去します。巻きつくための竹の枝が残っていますので、ブラックベリーを巻きつかせるには最適です。この夏、50年ぶりにブラックベリーのジュースを飲むことができるでしょうか。夏、冷やしたブラックベリー果汁は最高です。

             花が咲き始めたエンドウ豆の根元に苗を植える

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古いSONY製トランジスタラジオ TR-610の修理(5/6)

2013年04月18日 | 古ラジオ修理工房



このSONY製トランジスタラジオ TR-610の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
  修理(1/6) 修理(2/6)  修理(3/6) 修理(4/6)
  修理(5/6) 修理(6/6)

 蚊が鳴くような小さな音のトランジスタラジオTR-610、この音を今回直すことにしました。まず最初に、中間周波段最後の検波後の音声が正常かどうかを確認しました。そのため、自作したシグナルトレーサーの入力を低周波入力に切り替えました。そして、検波ダイオード後段に端子を当てて復調された音をチェックしました。すると、ラジオ放送がちゃんと聞き取れました。

  トレーサーの入力を低周波に切替え       検波ダイオード後段をチェック中
 

 次に低周波増幅段の故障個所を探すことにしました。低周波増幅段の故障で一番多いのは、電界コンデンサの容量抜けです。そこで、このラジオの電界コンデンサがどこにあるか探しました。すると、一番大きな電解コンデンサがありました。しかも、4端子コンデンサです。この4端子コンデンサ、1年半ほど前に直したSONY製トランジスタラジオ TR-714の故障原因でした。このコンデンサに内包されている3つのコンデンサの中で、バイパスコンデンサの容量が不足していると音量不足の原因になります。次に結合コンデンサを探しましたが、なかなか見つかりません。

      3つのコンデンサを内包する電界コンデンサ、これが故障していると厄介


 運よくこのラジオTR-610の回路図が、私の持っている本「トランジスタ活用辞典 昭和38年 第9版」に掲載されていました。その回路図を見ると、低周波増幅段には2つの電界コンデンサが使われていることが分かります。3つのコンデンサを内包しているコンデンサと検波後の信号を受け取る結合コンデンサです。

       左:結合コンデンサ,右下:3つのコンデンサを内包したコンデンサ


 結合コンデンサが何処にあるのか最初分かりませんでした。いろいろ探すと、ボリューム後ろに隠れるようにありました。この結合コンデンサに並列に正常なコンデンサを接続すると、小さかった音が大きくなりました。やはりこのコンデンサが故障していました。
 ところで、ラジオの回路図があると、とても助かります。ほとんどのラジオは回路図が無いので、回路を推定しなければならず悪戦苦闘することが多々あります。

  ボリュームの後ろに隠れたコンデンサ   上:故障のコンデンサ 下:交換用のもの
 

 さっそく故障したコンデンサを取り外して、正常なコンデンサと取り替えました。なお、故障したコンデンサの容量は10μFでしたが、全く同じものが無いため30μFのものと取り替えました。取り替えると、音が正常に大きく出るようになりました。うれしいのは、ボリュームにガリがほとんど無いことです。このラジオは製造後50年以上経っているにも関わらずガリがありません。ボリューム品質が良かったのでしょう。
 次回は、トラッキング調整をした後、ラジオの筐体などを磨いて修理を終えようと思います。

              交換後の電界コンデンサ、これで正常に音が出る

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岩国市 高照寺山,高照寺山グリーンパークを散策(3/4)

2013年04月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 泉の広場を過ぎると、すぐの所に駐車場がありました。しかし、平日のためか車は一台も駐車していませんでした。この駐車場の近くに展望広場があるとの案内板が立っていました。どんな展望があるのでしょうか、バイクを降りて歩いて行ってみることにしました。

     泉の広場すぐの駐車場              展望広場まで、のんびり歩道
 

 15分位なだらかな登りの歩道を歩いたでしょうか、すると高台の上に展望台が見えてきました。高台は広々としており、その中にポツンと屋根付きの展望台がありました。展望台と言うだけあって岩国市方面が良く見渡せました。ただ残念なことに霞がかかっており、岩国市街の細かな場所までは分かりませんでした。もう少し晴れて霞がなければ、岩国城なども見えるのではないかと思います。

                 小高い広場に立つ展望台、霞のため展望よくない


 展望広場の隣りに同じような広場がありました。展望広場からの階段を下りて、その広場に行ってみることにしました。いったん階段を下りて、再び昇り坂を上がるとその広場に付きました。すると、一人の方が大型バイクで来ていました。この広場はバイクで来ることができるようです。

      霞で見えにくい岩国市街              展望広場隣りの広場
 

 そのバイクに乗ってきた方に話しかけて、少しお話しをしました。岩国方面から来たとのことでした。バイクは立派な大型バイクでした。年齢は私と同じくらいでしたので、私と同じように定年退職した方かも知れません。大型バイクも退職金の一部で購入したのではないかと思ってしまいました。私もこんなバイクに乗って、一度は全国をツーリングしてみたくなりました。

             隣りの広場から、展望広場を振り返って


 バイクの方と別れると、その方がバイクで来た舗装道路を歩くことにしました。山をぐるりと回れば、私がバイクを止めた駐車場に着くと思いました。しかし歩けば歩くほど、どんどん高度が下がります。途中、とても駐車場に向かっているとは思えなくなり不安になりました。

    いくら歩いても駐車場に着かず         再び展望広場へのコースを登る
 

 いくら歩いても山を回らず、駐車場に近づく気配がありません。そこで、展望広場に向かうハイキングコースを見つけて入りました。そして、いったん展望広場に戻ることにしました。展望広場に戻れば、元来た道をたどって駐車場に戻ることができます。

       再び展望広場に到着            駐車場に向けて、元来た道を戻る
 

 展望広場から、元来た道を駐車場に向けて下りました。10分位歩いていると、ようやく駐車場に帰ることができました。この公園は、どこにも公園全体図がありません。この公園の何処を歩いてるのかさっぱり分かりません。
 駐車場からバイクに乗って下っていると、広大な駐車場がある多目的広場に着きました。どうもここが、高照寺山グリーンパークの中心のようです。ここに、公園全体図が立っており管理小屋もありました。

        広大な駐車場がある多目的広場、公園全体図と管理小屋


 多目的広場前に立っていた公園全体図を見ると、いったん展望広場に戻ったのは正解でした。戻らなければ、1時間は余計に歩かなければならなかったと思われます。管理小屋に入ってみましたが、誰もおらず閉まっていました。5月連休頃にオーブンするのではないかと思います。
 この公園は、高照寺山頂上から入園する前提ではないようです。岩国方面からこの多目的広場に来て、ここを起点に公園を散策する前提のようでした。

     ようやく見た公園全体図              誰もいない静かな管理小屋
 

  泉の広場近くの駐車場から、多目的広場に行くまで道を迷ってしまいました。公園に来る前にあらかじめ、散策するコースの順序を計画すべき公園のように思います。

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ピーマン苗と長ネギ苗の植え付け

2013年04月16日 | 野菜:葉菜

 これから春夏野菜の種まきや植え付けが忙しくなります。今回は、ピーマン苗と長ネギ苗の植え付けをしました。種から育苗しても良いのですが、温室が無いですし,苗もそう高価ではなく,我家の人数を考えると、苗を購入して植えても十分です。

      元小松菜の畝を壊して耕す       耕した後、クワでピーマン用の畝
 

 まず最初にピーマン苗を植え付ける畝を作りました。最初に小松菜を育てていた畝を壊しました。小松菜は先月からずっと花を咲かせていました。その花や茎など綺麗に刈り取り,残渣を取り除いた後、耕運機できれいに耕しました。そして、ピーマン用の畝としました。

     畝の上に黒マルチを敷く              丸穴にピーマン苗を移植
 

 耕耘機で耕した後、畝をきれいなカマボコ型に整形して黒マルチを被せました。なお、秋に枝豆(鞍掛豆)を栽培していたた時に使った黒マルチを流用しました。植え付けたピーマンの品種は京ひかりです。
 今後は、キュウリ,ナス,カボチャ,スイカ,マクワウリなど夏野菜の種まきや植付け作業が目白押しです。山では笹が生えてきているため、山の下刈りなどの作業もしなればなりません。

             7個のピーマン(品種:京ひかり)苗を黒マルチに植え付け


 次に長ネギ苗を植え付ける作業をしました。先日長ネギのネギ坊主を除去しましたが、我家はたくさん長ネギを食べるため、もう一畝長ネギを作ることにしました。これで、年間を通じてネギに困ることが無くなると思います。

    ピーマンの隣りを長ネギの畝に       耕耘後、レーキで鞍型の畝に整形
 

 購入した長ネギ苗は、売れ残ったもののため元気がありませんでした。10cm間隔で互い違いの2列になるよう植え付けました。余った苗は、3列目として隣りに植え付けました。数か月後には食べることができるようになると思います。

           巻尺を使って10cm等間隔に2列になるように長ネギ苗を移植

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