下見したコースとほぼ同じ、柳井市の新庄~柳北方面史跡コースを巡りしました。新庄Maxvalueに10:00集合、小学3年生1人が加わった楽しい史跡巡りウォーキングとなりました。予定通り新庄Maxvalueをスタートすると、緩い坂道を登って浄土真宗正念寺に向かいました。正念寺に到着すると、ご住職かどなたかがおられるかとチャイムを押しました。どなたもおられないようでしたので、静かに正念寺東側にある佐藤継信・忠信供養墓を見学しました。ちなみに佐藤継信は源平合戦時の八島で源義経の身代わりとして矢に打たれたとのこと。佐藤忠信も源義経に関わって亡くなりました。なお、元宰相岸信介・佐藤栄作を生んだ佐藤家には、遠いご先祖が佐藤忠信との言い伝えがあるそうです。
暑い日差しの中、フラワーランドに向けて歩く
続いて、源義経供養塔に向かいました。その昔、平安時代後期の源平合戦時に新庄,田布路木,上関方面で戦いがあったようです。実際、その言い伝えや史跡が数多く残っています。この源義経供養塔もその一つではないかと思います。上関方面では伝説や平家塚がいくつか史跡として残っています。田布路木には源氏に兵糧米を献上したとの話も残っています。源義経供養塔も佐藤継信・忠信供養墓も、関わりがあった人が供養するために建てたのでしょう。
集合した新庄Maxvalue 正念寺に向かう 佐藤継信・忠信供養墓
次に古代の遺跡である多々野古墳跡に向かいました。この古墳は土盛りが無く、石室が露出しています。さらに、天井石は持ち去られてありません。江戸時代に岩政次郎右衛門が水路を作る時に誤って破壊してしまったとのこと。当時は古墳の知識が無かったため、水路建設の邪魔でしかなかったようです。今でも、土木工事の邪魔になるとのことで破壊される史跡が少なくありません。
通りに面した源義経供養塔 多々野古墳跡の石室
多々野古墳跡を過ぎると、右手に延命地蔵が見えてきました。このお地蔵様は近年建てられたのでしょうか。建物はセメント作り、ドアはアルミサッシです。高齢者の望みをかなえるべく建てられたのかも知れません。最近、延命,膝丈夫,健康成就,ぽっくりと称するお地蔵様をよく聞きます。これらは、今の時代に生きる人々の希望,関心,悩みを表しているような気がします。
道上に立つ延地蔵 荒神社・明神社に向かう 荒神社・明神社
続いて、民家の庭にある人丸社を道から見ました。そして、荒神社・明神社に向かいました。山に入る細い脇道を30m位進むと、そのお社がありました。傷みが進んだお社から推測すると、最近はお参りしたり管理する人が少ないのではないかと思います。少子高齢化の影響で、今後朽ち果てるお堂,お社,祠などが増えると思われます。さらに人々の信仰も失われると思います。やむを得ないことと知りつつ、昔の良さを知っている私としては少々寂しい気持ちです。
楽しくウォーキングした柳井市新庄~柳北の史跡巡りコース
先日刈り取りした小麦は収穫がゼロでした。スズメなどの食害のためです。スズメが来ないようにわざわざ防鳥紐を張っていたにも関わらず被害100%でした。穂がスカスカの小麦を泣く泣く刈り取りしました。ところが、私の家の前で栽培した小麦はまったく被害が出ませんでした。被害0だった小麦は、小麦の先祖と言われるらしい古代小麦(スペルト小麦)です。
被害100%と被害0の小麦の違いは小麦の品種のようです。被害100%の小麦はパスタ用の改良品種です。品種改良されて禾が少なく実が取れやすいです。そのため、スズメなどの小鳥はさぞかし食べやすかったと想像できます。一方被害0の小麦は品種名は分からないのですが通称古代小麦と呼ばれています。古代小麦の穂は禾が長く、穂の中の実がなかなか取れません。ちなみに、禾とは穂から放射状に延びるトゲの事です。スズメにとって、目や口に禾が刺さってさぞかし痛いことでしょう。
手刈りしている古代小麦、スズメなどの食害ゼロ
ところで、今回刈り取った古代小麦はスズメの食害に耐えるようです。そのため、この秋の種まきに使おうと思っています。ただし、スズメの被害に合いにくいこの小麦は、脱穀などの加工がしにくい欠点があるようです。来年刈り取りができたとしても、ハーベスタでちゃんと脱穀できて小麦粒にできるか心配です。
この秋にどの小麦の種を蒔こうか考えてしまいます。今までと同じ小麦ならば、スズメが入らないように網を強化しなければなりません。一方、古代小麦の種を蒔くならば脱穀方法を工夫する必要があります。
穂が大きく禾が長い古代小麦 この秋の種まき用古代小麦
先日、田布施農工高校に行った時に生物生産科の先生より羊(ろくちゃん,茶々丸,シルク)の原毛をいただきました。今回その原毛を洗浄する作業に入りました。原毛は三頭分なので、一度には洗浄できません。4~5回に分けて少しずつ洗浄しようと思います。そのうち1回は、来月高校生に体験してもらおうと思っています。羊毛用として育てられていないため、綺麗な原毛とは言えません。畜舎で跳ね回ったり寝転がったのでしょう、泥,木のチップ,籾殻,干し草などのゴミがたくさん付着しています。それらのゴミをざっと取って1回目の洗浄をしました。
1回目の洗浄後、風が吹き抜ける木陰で乾燥
ベビーバス程度の大きさの楕円形の手洗に水を入れ、その中に熱いお湯を入れました。そして、添加剤無しの液体洗剤を溶かしました。原毛がなじむように手で数分間掻きまわしました。すると、水溶性の汚れが解けてきたのか黄色く濁ってきました。しばらくそのまま放置しておきました。お湯の温度がぬるくなった頃を見計らって汚れた水を排出しました。
洗剤を溶かしたお湯で 手で掻きまわす 汚れが水に溶ける
何度も水を入れ替えながら、洗剤や汚れを原毛から洗い流しました。その後、風が吹き抜ける樹に網を張り渡しました。そして、濡れた原毛をその網に入れて天日乾燥しました。水分は下に溜まりやすいため、時々上下を反転します。晴れて風がよく吹けば、1日でカラカラに原毛は乾きます。原毛が乾くと、次の工程に入ります。原毛に混じった籾殻などのゴミをピンセットなどで取り除く工程です。
洗剤分と汚れを洗い流す 樹の木陰で天日乾燥
1ヶ月ほど前に白綿(バルバゼンセ)の種を1m間隔で4粒ずつ撒きました。例年根切り虫などにやられてしまい、無事に発芽するのは1本か2本です。ところが、今年は根切り虫がいないようで、たくさん発芽しました。そのため、今回は除草も兼ねて1ヵ所2本に間引きしました。葉色が薄いようなので、ついでに株元に施肥しておきました。
このまま順調に育てば、9月には人の背の高さを越えるほど成長します。そして、9月末頃から次々に綿を収穫することができます。綿は栄養成長型なのか、霜が降りるまで成長しつつ綿が収穫できます。以前は何種類かの綿を栽培していましたが、今は白綿(バルバゼンセ),茶綿,そして緑綿だけを栽培しています。
1ヵ所2本になるように間引きしている白綿(バルバゼンセ)
さて、発芽した綿の周りを平クワで削るように除草しました。そして、芽が2本になるように間引きしました。続けて隣の綿の周りを除草し・・・と、次々に除草と間引きを続けました。ところで、綿は成長して背が高くなると風で倒れやすくなります。そのため、後日畝間耕運除草後に株元に土寄せしようと思います。
発芽した白綿周辺を除草 白綿を栽培する畝を除草
先日、小麦畑全面を耕運しました。今回その畑に小豆の種を蒔きました。去年も同じ頃に種まきをしました。今後一雨降れば一気に芽吹くと思います。芽吹いた後、私はほとんど世話をしません。一昨年はひどくカメムシにやられましたが、去年はほとんど被害に合いませんでした。今年は被害に合うでしょうか。晩秋になり鞘が成熟すると茎ごと掘り上げて天日乾燥します。その後、放課後学習で子供達に鞘剥きしてもらい小豆を取り出します。その小豆を使って、子供達と料理をしようと思います。去年はコロナ惨禍でできませんでした。
小豆の種まき後、平クワで丁寧に土寄せ
小豆は、50cm間隔で4粒ずつ種まきをしました。最終的に2株になるよう間引きしようと思います。その後の世話は草取り位で無農薬でいこうと思います。
ところで、小豆を使った簡単な料理と言えば、お汁粉が第一でしょうか。その他にはあんこにして団子作りでしょうか。または羊羹を作ってもいいかも知れません。とは言え、放課後学習は1時間しかないため、お汁粉が無難だと思います。子供達がやってくる前に小豆を煮詰めておけば間に合うと思います。米粉で団子を作って入れ、適度な砂糖を入れればお汁粉の出来上がりとなります。砂糖の代わりにサトウキビの甘い汁を入れてもよいかも知れません。子供達と一緒に作る前に、一度試作しようと思います。
巻尺を畑に引く 50cm間隔で種まき 4粒の小豆種子
草刈機の調子がまた悪くなりました。山の下草を刈ろうと思い、ガソリンを入れ、刃もチップソーに変えました。いざ、草刈機のエンジンをかける直前に、プライマーポンプを押しました。ところが、スカスカするではありません。ガソリンタンクからガソリンが吸い上がりません。当然のことながら始動ロープを何度引っ張ってもエンジンは掛かりません。ついこの前、キャブレターを掃除・点検したばかりなのに、がっくりです。原因はプライマリーポンプのひび割れです。これはもう、交換修理しかありません。貴重な数時間を草刈機の修理に費やしました。
地べたに座って草刈機の修理、日差しが暑い!
2年前にもプライマリーポンプの交換修理をしたことがあります。最近、プライマリーポンプの故障が多いように思います。草刈機の製造メーカーが、耐久性のあるプライマリーポンプを採用していないのではないかと思います。安い部品しか使わないのではないでしょうか。プライマリーポンプや燃料ホースなどのゴム製品の経年劣化が早いように思います。
劣化して割れたポンプ 吸入口の取り外し キャブレターの取り外し
何種類かのプライマリーポンプのうち適合するポンプを購入しました。すぐに家に帰り、交換修理に入りました。いつものようにキャブレターを取り外して、ひび割れたプライマリーポンプを取り外しました。そして、新しいポンプに取り替えました。日差しは暑いし、手は油で汚れるし、やれやれでした。
新品に交換したプライマリーポンプ
修理したのは友達にもらった4サイクルエンジンの草刈機です。4サイクルエンジン草刈機は故障しやすいのでしょうか。4サイクルエンジンの構造上、カム機構が故障しやすいようです。10年以上前のことですが、使っていた4サイクルエンジン草刈機2台が共にカムが壊れて使用不能になりました。高速時の振動でカムが故障するようです。2サイクルエンジンの草刈機はカムがないためか、経験上故障が少ないように思います。
アクセルワイヤを取り付け カバーを取り付けて修理完
あれこれと忙しくしているうちにタマネギの収穫をすっかり忘れていました。先日、草の中に埋もれたタマネギを救うように掘り出しました。そして、一週間位日陰で干していました。毎年、タマネギは乾いた茎を束ねて横棒にひっかけて風通しの良い日陰で保存します。しかし、今年は収穫が遅れたため、茎が細く枯れて縛ることができません。そのため、茎を短く切って茶色の表皮を剥いて新聞紙の上に置いて干すことしました。この方法で良いか分かりません。うまく乾けば保存できそうです。
茎をハサミで短く切った後、茶色の皮を剥く
収穫したタマネギの茶色の皮を剥いていると、いろいろな大きや形のタマネギがありました。一番小さなタマネギはラッキョ位の大きさです。また、玉が二つに分かれたタマネギもありました。今年は、商品にならない大きさや形ばかりのタマネギでした。しかし、我家で栽培したので味は劣らないと思います。来春まで少しずつ食べようと思います。
普通の大きさ形のタマネギ 二股に分かれたタマネギ
綺麗に刈り取った麦畑、今回は耕運機を使って耕しました。この畑に小豆の種をまくためです。ところで、トラクターを使うとより効率的に早く耕すことができます。しかし、私はトラクターを主に運搬に使っています。先端に着いたショベルで重い石や木材などの運搬しています。畑の耕運には、後ろにロータリーが付いた耕運機や車軸ロータリーを使った耕運機を主に使っています。これら小型の耕運機の方が取り回しがしやすく、安心して使うことができます。ただし、ロータリー幅がトラクターより狭いため、耕運に時間がかかるのは仕方ありません。
汗ばみながら、刈り取った麦畑をのんびりと耕運
ロータリー幅は約80cmです。幅16mの畑ならば、10往復しなければ畑全体を耕すことができません。ところで、耕していると数羽のカラスがやってきました。お目当ては耕運中に畑から出てくるカエルや昆虫そしてミミズなどです。私の後を追いかけるように歩きながら、それらの小動物をついばんでいます。炎天下なので、時々木陰で休みながら給水しました。そして、耕運を繰り返しました。今回耕した畑に小豆や枝豆の種を蒔こうと思います。
炎天下、何度も往復し耕運 畑全てを耕し終わる
今年度の麻郷小学校放課後学習成器塾が始まりました。一斉下校日の午後2時半、子供達全員が校庭に集合しました。その後、下校する子,児童館に行く子,放課後学習に行く子が分かれました。放課後学習には、バトミントンなど校庭で活動するコースと、将棋や人形劇など室内で活動するコースがあります。室内コースの一つである「手芸と料理」コースの指導者4人と子供9人(4~6年生)は、家庭科教室に集まりました。去年までと違うのは、今年は男子が3名です。手芸や料理に興味を持ってくれる男子がいたので少しばかり嬉しく思いました。
好きなデザインの刺し子布を選び、好みの色の刺繍糸を選ぶ
今は初夏、食材が傷みやすい季節です。そのため、料理コースは晩秋から冬にかけてすると子供達に説明しました。活動内容について説明が終わると、チャック付き透明袋を子供達に渡しました。そして、記名してもらいました。これは作りかけの手芸作品を保管し、次回子供達に確実に手渡すためです。準備が整うと、最初に取り組んでもらう刺し子についてお話をしました。そして、何種類かのデザインがあらかじめ描かれている刺し子布を選んでもらいました。そして、好きな色の刺繍糸を選んでもらいました。最後に刺繍用針を渡しました。刺繍糸は途中で自由に変えてかまいません。
手芸と料理の説明 好きな刺し子布を選ぶ 好きな刺繍糸を選ぶ
本来の刺し子は玉止めや玉結びはしません。しかし、玉止めや玉結びができない子が多いので、あえて玉結びをしてから刺し子を開始してもらいました。見ていると、指でつまんで玉結びする子や針にくるくる巻いて玉結びする子がいました。そして、玉結びに長く余分な端糸が出る子もいました。
さあ、刺し子の開始です。模様の縫い目の通りに縫うように言ったはずでした。しかし、だんだん縫い目が荒くなる子が少なくありません。それを見つけると、正しい運針を見せました。そして、荒い縫い目と正しい縫い目を見せながら違いを説明しました。全体的な事ですが。せかすようなことは一切しません。その子の速さに合わせて縫ってもらいました。
模様に合わせて縫う 指導者による運針の手本
あちこちを歩いていると、今年はビワが豊作のようです。どのビワの樹も実が鈴なりで枝が折れそうです。そう言えば、我家にもビワの樹があることを思い出しました。久しぶりにビワの樹に行くと、やっぱり実が鈴なりです。今年はいっさい袋掛けしなかったのに豊作です。ビワの木の隣にスモモの樹があります。これも赤い実がたくさんぶら下がっていました。ビワもスモモも籠いっぱいに収穫しました。試しに一口かじると、とても美味しかったです。
たわわに実るスモモの実、赤くてどれも美味しそう
その他、食べることができそうな実にイチジクがあります。我家のイチジクは夏と秋に実がなります。ブルーベリーは残念なことに次々に実を小鳥に食べられています。袋掛けした桃は2週間後頃に収穫できそうです。渋柿や甘柿はまだ青く、少しずつ大きくなっています。ナツメは、今は花が咲いています。実を収穫できるのは秋です。今年苗を植えたブドウは、さすがに今年は実がなりません。
鈴なりのビワの実 大きくなったイチジク 秋に収穫の柿
先日、子供達に工作を教える少年少女発明クラブがありました。去年はコロナ惨禍で、9月から開催でした。今年は予定通り4月から開催しています。
ところで一昨年までは、その活動に加えてチャレンジ創造コンテストがありました。6月頃、コンテストに参加したい子供達を選抜してチームを組んでいました。県内でコンテストの予選があり、勝ち抜けば県代表として東京大会に出場するのです。しかし、去年に続き今年もコロナ惨禍でコンテストは中止となりました。残念ですが仕方ありません。
密にならないように、皆で楽しく工作
チャレンジ創造コンテストが無くなって良いことが一つありました。子供達がアイデア工作だけに集中できることです。指導員も余裕をもって指導しているように思います。
アイデア工作もチャレンジ創造コンテストも、8月が工作のピークです。さらにスポーツクラブに入っている子は試合などと重なります。アイデア工作は9月上旬が締め切りです。チャレンジ創造コンテストもこの頃にに予選があります。指導員は試合会場も作らなければならず、さらに審判などもしなければならず大変です。その点、チャレンジ創造コンテストが無い今年は、ゆとりをもって工作指導できます。
工作方法に悩む? 図面と照合 指導員と板を切断
フラワーランドの南側を通って良照寺跡に行きました。実は、この良照寺を何年も前から探していました。防陽八十八箇所霊場において、余田の福楽寺の次が八十六箇所札所の良照寺です。廃寺となっていたため、探しても分からないはずです。これまで土穂石付近を探していました。ところが、フラワーランで近くにあることが数ヵ月前に分かりました。これで防陽八十八箇所霊場の約3/4位が分かりました。今後は光市にあるはずの残りの霊場を探さなければなりません。この防陽霊場は江戸時代に始まり明治時代頃にすたれました。2日か3日かけて巡礼する霊場でした。いつか歩いてみたいものです。
柳井市街を見渡せる弥山寺を訪れる
良照寺跡を確認すると、周辺の史跡をあちこち回りました。ところで、警官が歩いていたりパトカーが走っているのに出会いました。イノシシが出たとのことでした。次に、フラワーランド北から柳北小学校に向かいました。柳北小学校に着く手前で、山裾の大師堂に向かいました。大師堂前に黒杭ダムから流れている水路があります。この水路は、4月に水が流されて冬に水が止まるとのことです。ところで、大師堂を見学していて地元の古老のお話を聞くことができました。この大師堂は、江戸時代に赤痢などの病気が流行った時に亡くなった方々を弔うために建てられたそうです。数百体はあろうかと思われるお地蔵様は亡くなった人を表しているのではとのことでした。
廃寺の良照寺跡 大師堂を訪れる 大師堂前で昼食
大師堂に着いた頃にお昼となりました。古老に勧められて、大師堂前の水路に腰をかけて昼食休憩をとりました。小高いこの場所は、馬皿地区を見下ろすことができる眺めが良い場所です。大師堂を出ると柳北小学校横を通りました。そして、柳井川から見つかったと言われるお地蔵様を見ました。その後、ひたすら柳井川左岸の道を河口に向かって歩きました。
小さな稲荷神社 小高い弥山寺に到着
柳井川の左岸をしばらく歩くと柳井中学校が見えてきました。ここで、道を左に曲がりました。その左への道を真っすぐ行くと柳井の中心街に着きます。中心街に行く手前で稲荷神社に寄り、続いて弥山寺に向かいました。柳井市街を見下ろすことができる小高い場所にあるお寺です。鳥居があるため、神仏混合社ではないかと思われます。眺めが良い柳井市街を見下ろした後、出発地点に戻りました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。次は本番史跡巡りウォーキングです。今回とほぼ同じコースを歩きます。
柳井市柳北方面の史跡巡り下見コース
これまでにも麦がスズメなどに食害されたことがありますが、全滅するのは初めてです。どの穂を見ても見事に実を食べられています。まだ緑色の穂を手に取ってみると、未熟な実さえ一粒残らず食べられていました。この秋に種まきする実さえ残っていないのです。今年の小麦畑は結局のところ、スズメの餌場だったようです。
食べられないように防鳥紐を張り巡らせましたが、スズメはもろともせず侵入して食害しました。来年は麦を作るのを諦めようかと思います。がっかりする暇もなく全ての麦を刈りました。来週、耕運機で耕して小豆の種まきをしようと思います。
一粒残らず食べられた小麦を全て刈り取り
春に生まれた子スズメは餌の探し方が分からないようです。今の時期、弱った子スズメや死骸を見ることがあります。私の麦畑で、親子スズメ達は好きなだけ食べたようです。網を張ったため競争相手のカラスなどの大型鳥が入れないため、よけいスズメ専用の餌場と化してしまったのでしょう。それとも、今年はパン用ではなくバスタ用小麦だったので美味しかったのでしょうか。この地域では私一人が麦を栽培しています。そのため、地域のスズメが大群で私の麦畑に食べに来るようです。たった一人での麦作りは悲惨です。
実が一粒もない麦穂 泣く泣く麦畑を刈り取り
今は、いろいろ育苗した苗を畑に植え付ける季節です。今回は、育った赤シソとアマランサスの苗を畑に植え付けました。赤シソは元々、我家の隅っこに毎年のような自然に生えていました。ところが、間違って草刈りしているうちに絶えてしまいました。たまたま園芸店に赤シソの種を売っていたため育てることにしました。アマランサスは20年位前から毎年のように栽培しています。とても小さな種が大量に収穫できます。その種は食べることができます。今は葉が赤いアマランサスだけを育てています。
赤シソとアマランサスの苗を畑に植え付け
最初にクワで雑草を取り除き、次にレーキで畝を作りました。今は日差しが強いので、植えた苗がしおれてしまうことがあります。そのため、苗を植え付けるとすぐに黒い寒冷紗を掛けることができるように準備をしました。黒い寒冷紗が苗に上に直接乗らないように、事前にU字支柱を立てておきます。そして、その横に寒冷紗を長く伸ばして置きました。
植え付ける畑を作る U字支柱と寒冷紗 苗を植え付ける
赤シソは発芽した時は緑の葉をしていますが、大きく育つにつれて葉が赤くなります。葉が赤いアマランサスは発芽した時から赤いです。赤シソは10cm位の間隔で植え付けしました。アマランサスは大きく育つ(2m位)ため1m位の間隔で植え付けしました。日差しが強いので、植え付け後すぐに黒い寒冷紗を苗の上に被覆しました。根が活着し終わる一週間後に寒冷紗を取り外します。今年は食べられるほどたくさんのアマランサスの種を収穫できるでしょうか。アマランサスの種は、炒るとポップコーンのようにはぜます。それをみそ汁などに入れて食べてもかまいません。
赤シソとアマランサスの苗 植え付け後に寒冷紗を被覆
先日、畑に穴をほって一坪田んぼを作りました。同時並行して育苗しました。先日、育苗した苗を一坪田んぼに田植えをしました。その後、順調に稲は成長しています。田植えをした後に余った苗がありました。そして、たまたま使わないバケツが一つありました。近年、バケツ苗のコンテストがあったことを思い出しました。そのため、苗の一本をバケツに植えてみることにしました。一本の苗で籾がどのくらい収穫できるか試してみようと思います。
土を入れ雨水を溜めたバケツに一本の苗
バケツ苗の手順です。使わないバケツに畑の土を八分目位入れました。その後一週間、バケツを外に放置しておきました。すると、苗を植えることができるほどに雨水が溜まりました。そこで、元気の良さそうな苗を一本選んで植えました。肥料は何を入れようかと思いましたが、落葉を入れようと思います。落葉が腐って良い肥料になると思われますので。穂が出ればスズメに食べられないように網をかけようと思います。さて、晩秋に籾が何粒収穫できるでしょうか。
畑の土を入れる 雨水が溜まる 移植する苗一本