東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

周南市 夫婦岩など三丘ヶ岳周辺下見ウォーキング(1/4)

2018年03月31日 | 歴史探訪他ウォーキング

 周南市徳修館を起点に、事前に調査しておいたウォーキングコースを下見してきました。その結果、夫婦岩を含む三丘ヶ岳を巡るコースは意外に大変であることが分かりました。道そのものは分かりやすく、ちゃんと整備されているので歩きやすいのです。しかしながら、所々でロープを掴むような急坂あり、しかも落葉が溜まっていて滑りやすいのです。そのため歩き慣れた方にお勧めなコースであることが分かりました。

         夫婦岩から見下ろした周南地域、桜が満開


 スタートしたのは周南市の徳修館です。時間にゆとりを持たせるため、予定より30分ほど早くスタートしました。三丘ヶ岳の登り口である三光寺まではのんびりと歩道を歩きました。しばらく歩くと三光寺入口へ到着です。本堂にぶら下がる数珠を回しました。人々が輪になって回す大きな数珠は何度も見ましたが、天井からぶら下がる数珠は初めてです。回すたびに音がカチカチ出ます。回すごとに願いがかなうのでしょう。

  三光寺の入口に到着   天井からぶら下がる数珠    結婚成就を祈願
  

 この4月上旬、息子のお相手と姪のお相手に初顔合わせします。結婚成就(息子と姪)のため、祈願受付所で板片に本人たちの名前を書きました。真言宗のお寺ですので、護摩を焚く時に板片を炎の中に投げ入れるのではないかと思います。さて、三光寺から三丘ヶ岳に向かって山道を登りました。思っていたよりも歩きやすく整備された道です。夫婦岩到着直前にロープが張られた急坂がありました。

   ロープに手を添えて登る           見えてきた夫婦岩 

 やっとの思いで夫婦岩に到着しました。うわさにたがわず絶景が広がっていました。そして、夫婦岩周辺に植えられた桜が満開でした。その桜の向こうに周南地域が眼下に広がって見えました。夫婦岩でお昼休憩を取りました。景色の良さ、春の暖かさ、桜の綺麗さなどで、あっと言う間に楽しい時間が過ぎてしまいました。

              夫婦岩の隙間から見える景色

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スモモとユスラウメの花が満開です

2018年03月30日 | 樹木,果樹

 昨日からの温かさで果樹の花が一気に咲いてきました。桜や桃は七分咲きと行ったところですが、スモモの花は全開です。スモモの花は、桜より小さく色が白いためあまり目立ちません。そのためか、スモモの花見など聞いたことがありません。しかし、我家のスモモは桜以上の大木が1本あります。それは見事です。

             枝に付いたたくさんのスモモの花


 そして、ユスラウメがやはり満開です。この花はスモモより花びらがわずかに大きいですが、色が白いので、また木の高さが低いためあまり目立ちません。しかし、スモモもユスラウメも美味しい実が成ります。スモモは桃より大きくはないのですが美味しい実が取れます。ユスラウメは小粒の真っ赤な実が取れます。

     たくさん咲いたスモモ      やや花びらが大きいユスラウメ
 

 花が咲く時期は植物によって違います。その違いは、温かさの累積時間だとの話を聞きました。ボケは少なく、桜は普通で、桃は大きいとか。ゆっくりと春がやって来る時は、ボケが咲いて、次に桜が咲いて、そして桃が咲くように順番に咲きます。ところが、一気に温かくなると累積時間がすぐに経ってしまいます。すると、各花の咲く時期が接近するそうです。今年はそうなのでしょう。昨日今日と一気に温かくなりましたので。

           青い空に突き刺さるように咲くスモモの花

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周南市 三丘ヶ岳・小松原周辺ウォーキングルートの調査(3/3)

2018年03月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 次に、島田川の堤防沿いを通ってみました。そして、島田川左岸へ渡る橋を通りました。少し行くと、黒岩峡の案内標識がありました。下見や本番ウォーキングでは歩きませんが、黒岩峡は初めてですのでちょっと入ってみました。黒岩峡に入ってしばらくすると、入口の橋が見えてきました。駐車場があるため、ここまで車で来て橋からは歩いて峡の自然を楽しむようです。今はまだ肌寒い季節ですので、誰もいませんでした。夏は訪れる人が多いのだと思います。

           初めて訪れた黒岩峡、舐め床の川筋が魅力


 今回は黒岩峡が目的ではないため、橋周辺を少し歩いてみただけですぐに引き返しました。黒岩峡から本道に出て、しばらく進むと松原八幡宮が見えてきました。石の階段が上の方に向かって続いていました。下見ではこの階段を上がっ本殿まで行ってみようと思います。今回は、階段を登らないで島田川の堤防に向かう参道に行きました。年に一度の夏祭り時、堤防土手に文字が焼かれるとのこと。これを御神幸の迎え火と呼ぶそうです。

 松原八幡宮の階段      広い島田川堤防      堤防をどんどん進む       
  

 島田川左岸の堤防を進みましたが、左側には田んぼが広がっていました。とても見晴らしの良い堤防沿いの道です。舗装されていないため轍の跡を行きました。のんびり歩くにはちょうど良い堤防沿いウォーキングコースだと思いました。途中、島田川に降りることができる場所がありました。ちょいと河川敷に降りてみました。川水を手にすくうと、心地よい冷たさが手のひらに広がりました。

   降りてみた島田川河川敷          堤防の途中に小さな祠
 

 島田川堤防沿いに進んでしばらくすると徳修館に戻る橋を渡りました。ここから徳修館まではすぐです。今回の調査を通じて二つのウォーキングルートを想定しました。三光寺から夫婦岩と三丘ヶ岳へ難なく登ることができれば、毛利元就公歯廟や松原八幡宮に寄ることができます。しかし、山登りで皆さんが疲れるようであれば、下山後徳修館まで最短で戻るコースにしようと思います。それを下見で確かめるつもりです。

          ウォーキングルートを決めるための調査

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枯れ木を焚いて、あく用の灰を採取

2018年03月28日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 春になりましたので、枯れ木を焼却するのはこれが最後のようです。この機会に、灰汁にしてあくを取るための灰を採取しました。灰は強いアルカリ性があるため、あく抜きによく使われてきました。例えば、ワラビなどの野草や栃などの木の実のあく抜きです。今回私が灰を採取したのは藍染めに使うためです。去年は、重曹や消石灰などを使ってアルカリ液を作りましたが、せっかくなので自然の素材でアルカリ液を作ってみようと思います。

            枯れ枝を焼いた跡に残った灰を採取


 焚いたのは、秋から刈り続けてきた木の幹や枝、枯れた竹などです。草の太い枯れ茎なども燃やしました。火を焚くのに一番注意するのはやはり延焼です。夕方などの風が止んだ時を狙って焚きます。また、枯れた葉は火の粉として飛ぶため、炎が大きくならないように最新の注意を払います。炎が大きいと上昇気流が発生して、より火の粉が飛びやすくなるのです。

 枯れ木などを置いて着火    大きくなる炎      枯れ枝などを放り込む
  

 炎を一定に保ちながら、そして上昇気流を押さえるようにしながら、枯れ枝などを放り込みます。夕刻が迫ってくると火を押さえます。そして、残り火だけにします。そして、火の回りに水をまきます。次の朝、完全に鎮火していることを確認してから、灰を採取します。採取するのは白い灰です。黒い炭が入らないようにします。この夏に灰に水を入れて灰汁を作り、それを濾してアルカリ液を作ります。

    勢いよく立ち上がる炎          火がだんだん鎮火
 

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周南市 三丘ヶ岳・小松原周辺ウォーキングルートの調査(2/3)

2018年03月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 三光寺を過ぎて、しばらく行くと小さなトンネルがありました。岩徳線の下をくぐるトンネルです。その後岩徳線と並行した道を通っていると、今度は岩徳線の踏切に出ました。左右を確認して線路を渡りました。その昔、自転車が線路に挟まってえらい目をみたことがあります。線路を過ぎて山の中をずっと行くと、突然明るい四差路に出ました。ここからは、島田川の下流に沿う道を行きました。

        島田川に架かる橋から上流を振り返る、高速道路が見える


 島田川沿いに行くと、高速道路の下を通りました。そして、最初に見えた橋を右岸側に渡りました。橋を渡った場所に毛利元就公歯廟の案内板を建っていました。迷わず、毛利元就公歯廟に向かいました。廟を見終わると、坂を登って高速道路に向かいました。そして、高速道路に架かる橋から下を見下ろしました。車がビュンビュン走っていました。

  渡った岩徳線の踏切    毛利元就公歯廟      高速道路を見下ろして
  

 しばらく高速道路に沿って走ると、高速道路下を通るトンネルが見えてきました。そのトンネルを通ると、宍戸家菩提寺の貞昌寺が目の前にありました。ここには三丘地方を収めた宍戸家5代以降の墓所があります。宍戸家初代から4代までの墓所は毛利元就公歯廟近くにあります。なお、宍戸家は常陸国(茨城県)が発祥とのこと。ちなみに毛利家の発祥は相模国(神奈川県)です。

     宍戸家菩提寺の貞昌寺        三丘ヶ岳登山口の六地蔵        
 

 貞昌寺の宍戸家墓所は元々は大内家の城だったそうです。そのため、三丘ヶ岳は城山と呼ばれているようです。付近の石垣は大内家からの石垣を流用したとのこと。貞昌寺を過ぎて、再び高速道路沿いに進むと高速道路の下を抜けるトンネルがありました。そのトンネルをくぐっていくと、三丘ヶ岳への登山口がありました。下見と本番ウォーキングでは、三光寺から登って夫婦岩を通り貞昌寺側の登山口に下ることしました。

          ウォーキングルートを決めるための調査

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染色に使う紅花の種まき

2018年03月26日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 去年、紅花の種を蒔いて花びらを採集しました。その花びらを乾燥させて染色に使ってみました。しかし、花びらの量が少なかったために染色として使える事を確認しただけに終わりました。今年は、布又は糸を染色できる量の花びらを収穫したいと思います。今回、去年取っておいた花から種を取り出して種を蒔きました。

           種取り用に乾燥保存していた紅花の花


 ところで、紅花の花には痛い棘があります。乾燥した花から種を取るのは大変でした。私は軽く木槌で花を叩いて花を壊します。すると、種がはじけるように飛び出ます。その種を集めました。そして、株間50cm位開けて種まきをしました。発芽率が分からないため1株分4粒ほど種まきしました。芽が出れば1本立ちにしようと思います。何せ紅花の栽培方法を書いた本が無いので、去年から試行錯誤しながら育てています。

  花からはじけた種     取り出した紅花の種    1株4分粒ほど種まき
  

 さて、紅花は秋に種まきして冬越しすることもできます。そのため、去年の秋に種まきして移植しました。しかし、わずかな紅花しか育っていません。ちゃんと育ったのは1割にも満たないのです。残りの9割は冬の寒さで枯れてしまいました。紅花は移植が難しいようです。この秋、種まき後移植しないで育ててみようと思います。

     冬越しした紅花          手前の紅花の向こう側に種まき
 

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周南市 三丘ヶ岳・小松原周辺ウォーキングルートの調査(1/3)

2018年03月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 4月の史跡巡りウォーキングは周南市を考えています。当初、三丘方面は光市とばかり思っていたら、実は徳修館付近から北は周南市と知りました。初めての周南市ウォーキングです。午後から仕事でしたので、午前中に調査してきました。さて、最初に起点となる徳修館に行きました。不思議な館名だと思っていたら、幕末にこの三丘地域を治めていた宍戸家が藩士を教育するために1809年に創建した学校名が由来でした。

            三丘地域を治めていた宍戸家創建の徳修館


 この徳修館内にはいろいろな史跡がたくさんあります。まずは、三丘地域を治めていた宍戸家(宍戸親元)の立派な顕彰碑がありました。また、高速道路の工事中に発見された古墳が徳修館傍に移築されていました。移築を物語るように石室を構成する石に番号が振られていました。古墳を元通りに再現するための番号のようです。この番号を見て、熊本城の壊れた石垣にも番号がふられていたことを思い出しました。

  公民館(修館)      宍戸親元の顕彰碑      移築した古墳
  

 古墳の内部を見学した後、徳修館を見ました。そして、その前の広場に出ました。かつて、この館で学んだ藩士はこの広場でも訓練したに違いありません。田布施町の成器堂は壊れてしまい今はもうありません。成器堂や富永有隣が晩年を過ごした館が残されていればなあと思います。一度倒壊してしまった建物は取り戻しがききません。田布施町に住む私としては徳修館を羨ましく思います。

    番号がふられた古墳内の石           三光寺の門
 

 さて、徳修館にいつまでもいる訳には行きません。ウォーキングコースを考えるため三丘ヶ岳周辺を一周することにしました。徳修館から北に回り込むように進むと、三光寺がありました。その入口には三丘ヶ岳夫婦岩入口の案内板が立っていました。三丘ヶ岳の一番の名所は夫婦岩です。この岩は麓から目立ちます。下見と本番ウォーキングではこの三光寺から夫婦岩に向かって登ろうと思います。

              屋根が明るい真言宗三光寺


 ざっと三光寺内を回りました。夫婦岩への登り口にしぶきをあげる滝がありました。また、たくさんのお地蔵様や寄進された灯篭などがありました。人が通ると、突然に般若心経でしようか流れてきてびっくりしました。登りですが、夫婦岩までそう遠くないようです。次に三丘ヶ岳をぐるりと北に回り込んで、岩徳線をいったん跨いで岩国市に入り再び周南市に戻るように島田川沿いに下りました。そして毛利元就公歯廟に向かいました。

           ウォーキングルートを決めるための調査
 

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楽しかった田布施町麻郷東方面ウォーキング(3/3)

2018年03月24日 | 歴史探訪他ウォーキング



 八海天満宮を出ると、元国道188号線に出ました。少し歩くと、今は誰もお世話をしない屋根付きのお地蔵様が道脇にありました。お地蔵様に掛けられたベベは色あせていますが、金糸が使われていた布で作られていたようです。このお地蔵様をお世話していた方が、心を込めてお世話していたことが分かります。八海地区は田布施町で少子高齢化が進んでいる地域と聞きます。その影響がお地蔵様にも如実に現れているようです。

         切株が多い急峻な小山を、蟹守様に向かう


 続いて、田布施町の紙芝居で上演される蟹守様に向かいました。今回のウォーキング唯一の急峻な坂を登ります。急峻なことに加えて、たくさんの切株や刈痕が足を阻みます。一番困ったのはイバラです。枯れたイバラの棘がズボンの上から容赦なく刺さりました。10分位登ると、これが祠かと思うような小さな瓦の祠が現れます。この蟹守様はかつてはお供えをしたりして地元が方が守っていました。しかし20年位前でしょうか、最後に守っていた方が亡くなってからはお世話する方が絶えました。紙芝居の中にだけ残っている蟹守様です。

    蟹守様への登り口          とても小さな瓦の祠「蟹守様」
 

 蟹守様が鎮座する小山から下りると、八海公会堂前のお地蔵様を見学しました。続いて海岸の堤防沿いを歩きました。その昔あった渡船場跡や初代八海橋のことを説明しました。また、かつて八海地区で盛んだった瓦の製造所跡や平生湾での海苔製造などについて解説しました。開作明神の祠も見ました。私が子供の頃、この八海に来てはアサリを取ったり、海老を取ったりしていました。八海地区は最も変貌した地域ではないかと思います。

 八海に長く伸びる堤防     鳥越1班の明神社     鳥越のこつり地蔵跡
  

 八海地区を過ぎると鳥越地区に入りました。鳥越に着くと、最初に鳥越1班の明神様の祠に行きました。ここは少し高台になっており、江戸の昔は眼前に海が広がっていたと思います。たまたま1班の方がお見えになったのでお話をききました。この明神様は17軒の方が順番に当家を回しているとのこと。さらに、地の神様と水の神様がやはり17軒を順に回っているとのこと。17軒で三っつを回しているため、すぐに自分の家に来るそうです。その後、こつり地蔵、光井家跡をなどを回ってスタートした麻郷公民館に帰りました。ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

      今回歩いた田布施町麻郷東部のウォーキングコース

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我家の花壇もようやく春らしく

2018年03月23日 | 花,野草

 このところ雨続きで寒さが戻った感じです。しかし、庭をよく見ると春が来たことが良く分かります。一番よく分かるのはチューリップです。少し前に葉の先端が少しだけ見えていたのに、今日見ると花が咲きそうではありませんか。秋に1粒10円だった極安の球根でした。人気の赤色はありませんでしたが、黄色や桃色のチューリップの球根を購入して植えました。明日か明後日に花びらが開くと思います。

       明日か明後日には花びらが開きそうな我家のチューリップ
リンク付きサムネイル

 チューリップの近くにビオラの苗を植えておきました。そのビオラはどれも満開です。購入した苗は小さかったのに、冬の間に株が増えたようです。以前は種まきして苗を作っていましたが、最近は苗を購入しています。私は花びらが大きなパンジーよりも、どう言う訳かビオラの方が好きです。小さな花がたくさん賑やかに咲くからだと思います。これから4月いっぱい咲き続けると思います。

 紫色のビオラ        黄色のビオラ       青色のビオラ
  

 樹木では、長い間つぼみだったボケが花が次々に咲き始めました。中心部が白く、花びらの周辺が可憐なピンク色です。そして、とても大きな花びらなのですが、椿か山茶花の花が咲き始めました。咲き終わると、花びら全体がポトリと落ちます。

     咲き始めたボケの花         咲き始めた椿か山茶花の花
 

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たぶせ少年少女合唱団 15周年記念コンサートを鑑賞して

2018年03月22日 | イベント,行事



 今年もたぶせ少年少女合唱団コンサートの季節がやってきました。一緒にウォーキングしたり工作を支援した子供達が歌っていることもあり、今回で5回連続で来たことになります。4年前3年前2年前そして去年を思い出します。小学2年生だった子供が今年中学生になり、赤ちゃんだった子供が小学1年生として歌っています。子供の成長の速さには驚きます。それは逆に、自分が年老いていくことの証でもありますが。

      たぶせ少年少女合唱団のテーマソング Humming Angel


 さて、今年の1部と2部は日本の歌です。1部は唱歌で、子供も大人もお年寄りも安心して歌えます。歴史的に見て、江戸時代までは各地域ごとに独自の民謡,田植え歌,そして子守歌などが歌われていました。明治以降になって近代化を図る上で、より日本人としての誇りや素晴らしさを持って欲しいとのことで積極的に学校で歌われたように思います。そして今も、日本人の心に見事に溶け込んでいます。

  第1部日本の歌 唱歌     最初にふじのやま    第2部 日本のうたⅡ
  

 第3部はこれまでのコンサートにはなかった歌です。中学生が作詞した創作ソングです。ピアノの演奏も中学生だったように思います。聞いてみて、今風の詩であり音律の流れをとても新鮮に思いました。音楽も時代と共に変わっていきます。とても面白い試みであると思います。ただ歌うだけでなく、作詞、演奏、そして今後は指導者のもとに作曲も試みても良いかも知れません。

第3部 中学生創作ソング     君へのきもち       かがやく夢
  

 最後第4部は、オペラ ごろにゃんカンタービレでした。子供らしい分かりやすいオペラでした。私はオペラはあまりよくは分からないのですが、オペラ歌手の歌は好きでした。以前好きだったのは、とても古いのですがマリアカラスでした。娘が小さい頃に「夕鶴」だったと思いますが子供向けに編集したオペラを鑑賞したことがあります。

         第4部 オペラ ごろにゃんカンタービレ


 ところで、私は高校生の頃まではあまり音楽は好きではありませんでした。音楽が嫌いなのではなく音楽の授業が嫌いだったのです。ところが、東京に出た頃にどう言う訳かJazzが好きになりました。たまたま友達がピアノが演奏できて、Jazzのクラブに一緒に入らないか誘われたのです。楽器はさっぱりの私でしたが、一緒にお試しに入部したのです。それからずっと、思いがけずJazzを演奏してきました。たまたま演奏者を募集していたトロンボーンです。そう言えば、当時まだ売れていなかった高橋まり子、イルカ、青い三角定規、武田鉄矢の海援隊などと楽屋が同じだったことがあります。とは言っても、私は前座が多かったのですが。それも今となっては良き思い出です。今、私がJazzを演奏していたことを話すと皆さん不思議がります。

      二十歳頃の私、とあるミュージックフェスティバルにて

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楽しかった田布施町麻郷東方面ウォーキング(2/3)

2018年03月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 続いて、旭から高塔に抜ける丘の道を超えて高塔公会堂に行きました。途中、この道周辺に古来から焼場や墓地があったことを説明しました。昭和19年頃、この地域の住民、建物、焼場、お地蔵様などいっさいが撤去されました。そして、無人になったこの地に陸軍太刀洗飛行場の軍事物資貯蔵施設が作られました。いわゆる集積所です。

        今回の史跡巡りウォーキングに参加された方々


 この集積所、ゲートが三ヶ所ありました。旭側に憲兵が常駐するゲート、高塔側と鳥越側に門管のゲートがありました。集積所内には30軒ばかりの軍事物資を貯蔵する小屋状の建物がありました。私が日々使ってる農作業小屋は、その小屋を手直したものです。貯蔵されたものは、セメント、ガソリン、アルコールなどです。戦争が終わると、憲兵など管理する人がいなくなりました。そのため、いつしか持ち出されては闇に流されたそうです。アルコールは闇で飲料に使われたそうですが、メチルアルコールだったため大量に飲んだ人は失明したそうです。

 お昼休憩した高塔公会堂    国木田独歩の碑      牛頭天王社に向かう
  

 高塔に入ると、高塔公会堂でお昼とトイレ休憩にしました。30分ばかり休憩すると、次の史跡である国木田独歩吉見家仮寓跡に向かいました。吉見家は室町時代頃から続く名家です。戦国時代後期には毛利家家臣として仕えました。江戸時代に入ると、岩国の吉川家から養子を迎え、その養子が平生町の大野毛利家の始祖になりました。今の平生町の始まりは、田布施町麻郷高塔の吉見家と言っても過言ではありません。

     八海の天満宮に向かう        建物が整理された八海天満
 

 国木田独歩吉見家仮寓跡の石碑を見学し終わると、高塔の祇園牛頭天王社に向かいました。小高い丘の上にある石鳥居をくぐって10m位歩くと、その祠があります。その丘の周りには、小学新1年生が植えた椿の記念樹がたくさん植えてあります。続いて八海地区の天満宮に行きました。驚いたことに天満宮の建物が撤去されており、石の祠だけになっていました。八海地区の方々が苦渋の選択をして決めたとのことです。

       今回歩いた田布施町麻郷東部のウォーキングコース

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古い東芝製トランジスタラジオ 7TP-439Sの修理(1/x)

2018年03月20日 | 古ラジオ修理工房

 1日中、雨が降っていたため農作業ができませんでした。そのため久しぶりに調子が良くないトランジスタの修理をしてみることにしました。まだ修理中のものがありますが、そのほとんどは深刻な故障個所があるラジオです。今回修理しようと思ったラジオは、比較的症状が軽いものです。そのため、容易に修理が終わると思われます。

        昭和30年代に製造された東芝製トランジスタラジオ


 今回修理するラジオの症状は、ガーガーピーピーと雑音が大きい事です。よく聞くとラジオ放送の音も入ります。ちゃんと受信するのですが、雑音が大きいため聞くに堪えません。雑音が大きいのでなく、音声が小さすぎるのかも知れません。また、中波/短波の切り替えスイッチも接触不良があるようです。スイッチを叩くと音が消えたり聞こえたりします。

 革ケースを外したラジオ   内部の部品構成       ラジオの規格
  

 雑音が大きいものの、正常に受信できているのか最初にテストしました。シグナルジェネレーターから1MHzの電波を発信すると、ラジオでその周波数の電波をちゃんと拾います。そこで、いろいろ周波数を変えてみると、600KHz付近の電波は感度が低いようです。代わりに1.5MHz付近の感度は正常のようです。今後、雨などで農業ができない時にシグナルトレーサーなどを使って故障個所を丁寧に追っかけてみようと思います。また、中波/短波の切り替えスイッチを洗浄しようと思います。ラジオ修理は、私にとって頭の体操です。

     周波数を1MHzに設定        電池の代わりに6V定電圧を供給
 

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楽しかった田布施町麻郷東方面ウォーキング(1/3)

2018年03月19日 | 歴史探訪他ウォーキング

 朝曇り空でしたので、途中から雨が降らないか心配でした。しかし杞憂でした。晴れはしないものの最後まで雨は降りませんでした。今回は田布施町に戻って、ホームグラウンドの麻郷の史跡を中心にウォーキングしました。朝10時に麻郷公民館に集合してスタートしました。最初に助政地区の荒神様を訪れました。

              小高い場所に鎮座する助政の荒神様


 戦後できた団地には、古いお社,祠,お地蔵様などの史跡はありません。しかし、江戸時代から集落がある地域には、神道系に関わる祠や仏教系に関わるお堂やお地蔵様があります。巡っていると、それらの史跡が今危機にあることが分かります。無くなった講、お返ししたお地蔵様、整理されたお社などです。

 麻郷公民館をスタート    麻郷小学校近くを歩く  次の史跡に元気よく向かう   
  

 助政の二つの荒神様を見ると、麻郷団地の墓所や焼場跡を訪れ、続いて旭地区の荒神社に行きました。このお社は旭地区にありながら、鳥越地区の方々が守ってきました。やはりこのお社も、高齢化に伴って守ることが困難になっていると聞きます。理由をいろいろ考えると、日本の高度成長に伴って地域の結びつきが弱まったこと、お祭りなどの楽しみがテレビなどによって奪われたこと、人々の無信仰化などが考えられます。

    旭地区の荒神社に向かう        静かにたたずむ旭の荒神社
 

 お大師講などの信仰の衰退を調査したことがありますが、かつて20軒位が一つの講を組んでいました。お大師講,荒神様、地の神様、水の神様、お稲荷様などの講です。高度成長以降、子供達が田舎から都会に移り住み始めた頃から講が減り始めます。
 地域の結びつきが消え始めるのと相反するように、助け合いとかボランティアとかが声高に叫ばれるようになったのは皮肉なことです。地域共存から個人主義への流れは止まらないように思えます。今後さらに加速するのではないかとも危惧しています。

        今回歩いた田布施町麻郷東部のウォーキングコース

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ひなげしの寒冷紗を外して草取り

2018年03月18日 | 花,野草

 ひなげしは私の大好きな春の花です。毎年のように花を咲かせていますひなげしが好きな理由は、紙切れのような薄い花びらと花色です。薄い花びらは可憐で、少しの風でもひらひらします。花色は白色,黄色,橙色でなどす。ところが、去年の秋に種を蒔くのをすっかり忘れていました。それを12月に気が付いたのです。種まき時期を過ぎていたため、最後の手段で種まきをしました。極寒の地域では、この方法を使って冬を乗り切ることがあります。

       雑草に埋もれたひなげしを救い出すように、周りの雑草を抜く


 具体的には、地下に向かってV字型に畝を掘ります。通常畝は土を盛り上げますが、穴を掘るように溝を作るのです。その底にひなげしの種を薄く筋蒔きます。そして、その溝を覆うように隙間なく寒冷紗を被せます。こうすると、一種の温室になります。昼は暖かく、夜は霜が降りず、霜柱もできません。今回、種まき後3ヶ月ぶりに寒冷紗を外しました。

 12月に被せた寒冷紗   寒冷紗を3ヶ月ぶりに外す  雑草に埋もれたひなげし 
  

 寒冷紗を外すと、ひなげしが芽を出して無事に育っていました。そして、予想はしていましたが雑草も育っていました。雑草にとっても、育ちやすい環境だったようです。寒冷紗をすべて外すと、邪魔な雑草を抜きました。苗と雑草の区別がつかない人にはできない作業です。その昔東京に住んでいた頃、雑草を抜く作業を他の人にお願いしたら、大事な苗も抜かれて大失敗したことがあります。種まきや苗作りは他人に任せてはいけません。

  雑草と見分けがつかないひなげし    周りの雑草を取り除いたひなげし
 
 
 ひなげしの栽培が難しいのは、種がとても小さいことです。種を蒔くのではなく、土の上にパラパラと落とします。そして、水を優しくまきます。すると、極小の種が土の隙間に入って落ち着きます。次に難しいのは移植です。移植はできないと思った方がよいでしょう。根っごと引き抜くように移植すると確実に枯れてしまいます。スコップで苗全体を根ごとり掘りあげて移します。難しいからこそ愛おしいのだと思います。

           雑草を抜き終わったひなげしの畝

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藍染め用に、藍の種まき

2018年03月17日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 今年も藍の種まきをしました。例年4月になってから種を蒔いていましたが、今年は田布施町の農業故事に従って蒔いてみました。田布施町はかつて藍染めが盛んだったことをほとんどの町民は知りません。江戸時代に染物屋が多いとの記録が残っており、昭和20年代にも田布施川沿いに染め小屋がありました。郷土館には、店じまい後に寄贈された紺屋(染物屋)の看板が展示されています。

        去年刈り取った藍を強く揺すって、種をこぼれ落とす


 4月になれば発芽すると思います。その後、しばらく育苗してから本畑に移植します。去年と同じ場所に植える予定です。そして、葉が茂る夏に藍の葉を収穫するつもりです。去年は一度だけ葉を刈り取りましたが、今年は二度刈りをしてみようと思います。今年は、去年より多くの葉を収穫したいものです。ただ、暑い夏の収穫作業は大変です。

   耕耘後畝を均す      種を畝に散蒔き     レーキを使って土被覆
  

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