先日、使っていない耕運機の角ローターから刃を取り外ししました。外した理由は、使っていない耕運機の軸は〇で、今使っている耕運機の軸は六角だからです。つまり、角ローターの軸形状が異なるため、角ローターをそのまま付け替えできないためです。まずは、今使っている耕運機から角ローターを外しました。外すにあたって、ピンがなかなか外れず往生しました。
今使っている耕運機 角ローターのピンを外す やっと角ローターを外す
ピンを外すと、角ローターを耕運機の車軸から外します。こじるようにしながら引っ張るのですが、なかな外れず困りました。それでも、何度もこじっていると少しずつ車軸から外れました。やっとの思いで角ローターを外すと、摩耗した刃を角ローターから取り外しました。錆や泥で固着しているため、これまた難儀な作業でした。合計18本もの刃を取り外しました。
メガネレンチで刃を外す 外した1本の刃 角ローターから外した刃
外した刃がどの程度摩耗したのか、これから取りつける中古の刃と比較してみました。すると、下画像のようにあと数mmで擦り切れるところでした。これだけ摩耗すると、もう耕耘作業はできません。耕耘するのではなく、単に土を引っ掻くだけです。これでは土を掘り返すことができなくて当たり前です。今回、使わない耕運機の角ローターの中古刃に交換しましたが、通常ならば新品の刃を購入しなければなりません。
摩耗し擦り減った刃と、これから取りつける中古の刃(錆びている)
角ローターに取り付ける刃には規格があります。そのため、同じ規格の刃と交換しなければなりません。異なる規格の刃を使うと、小さすぎて十分に耕せなかったり、逆に大きいと耕運機底部に当たってしまいます。今回、同じ規格の刃だったためラッキーでした。
同じ規格の刃を取り付け 刃を差し込むと、ナットを回して刃を固定
中古の刃を取り付ける前に、ステンレスのネジとナットを必要個数購入しました。ステンレスにした理由は、錆びて固着しないようにとのことです。刃は左右の角ローター合わせて、全部で18個あります。一個一個丁寧に取り付けました。全ての刃を取り付け終わった頃、指が疲れました。そのため、少しばかり休憩しました。これら刃の交換作業は、農機具店に有料で頼むことができます。しかし、自分ですべて交換すると、刃や角ローターの仕組みや取り付け方法などを体得できます。
18個の中古刃に、全て交換し終わった角ローター
ところで、角ローターの刃取付け部も摩耗していました。次に刃を交換する時には、取付け部も摩耗していて、もう刃を交換できないかも知れません。そこで、クボタのお店に行って新品角ローターの値段を聞きました。すると、左右の角ローター合せて約4万円とのことでした。とても安価とは言えません。中古品を探して手に入れるか、またはオークションで探すしかなさそうです。
中古刃を取り付けた角ローター 少し畑を耕運すると中古刃の錆が取れる
私の好きな花の一つに、ジギタリスがあります。何故好きかと言うと、子供の頃に我家の庭に一株のジギタリスがあったからです。特に肥料を施していたわけではないのに、毎年のように鈴なりの花を咲かせてとても綺麗だったからです。宿根草であることは後に知りました。冬は地上部は枯れるのですが、毎年のように地面から芽がでてきます。そして、いつものように花を咲かせていました。紫色の花だったように記憶しています。
耕運機で庭を耕す 購入したジギタリスの苗 等間隔に苗を置く
ジギタリスの苗を植えるのは、我家の縁側前の庭です。先日、ナンテンなどを伐採した後に耕した場所です。縁側の廊下から目の前に見える庭です。ジギタリスの苗を8株植えるのですが、まだまだ花を植えるスペースはありそうです。空いたスペースには、皇帝ダリアかカンナなどの宿根草を植えてみようかと思っています。
縁側から見て前二列に苗を並べる ボットから苗を抜き出す
すべての苗を等間隔に置いてから植え付けました。ボットから苗を抜き出すと、移植ごてで掘った穴に苗を入れました。そして、周りに土を寄せました。すべての苗を植え付け終わると、ジョロに水入れてたっぷりかけました。まずは、根付くかどうかが心配です。根付いたことを確認した後、肥料を周りに施そうと思います。さて、綺麗なジギタリス独特の花が咲くでしょうか。
ジギタリスの苗を植え付け完了、このあとジョロで水をかける
午後1時半に田布施町中央公民館前に、地方史研究会会長のH氏を始め4人が集合しました。木地からは地元の方が1名加わりました。今回は、木地から行者山北麓を通って大波野坪曽に抜けたとされる古道(言い伝えでは「大内街道」と呼ぶ)を調査しました。地元の方の案内で、木地からスタートしました。古道の入口はすっかり木が茂っていて、地元の方でないと気が付きません。
古道(大内街道)の入口 深くえぐれた古道 途中に焼場らしき跡
大内街道をどんどん進むと、途中に焼場跡とおぼしき跡がありました。その付近を見渡しましたが、建物などは全て腐り果てて何も残っていませんでした。しばらく行くと、竹が生い茂っている場所に出ました。このあたりから道が分からなくなりました。倒れた竹を跨ぎながら進んでいると、行者山の北山麓の尾根に出ました。はっきりとした道が無く、あちらこちら古道がないか探しました。
倒れた竹を跨ぎながら、行者山の北山麓尾根に向かう
尾根に出ると、獣道か林業道のような道を北に向かって進みました。尾根を一端下がって、山の上に出ると、イノシシの大群(10頭位)がいました。私を見ると、一斉に反対方向に音をたてて逃げて行きました。昼間でもイノシシは活動するのですね。イノシシがいた山頂には、小さな塚のようなものしかありませんでした。さらに尾根伝いに進むと、巨岩群が鎮座する山頂に出ました。道はたくさんあるのですが、イノシシが通る獣道なのか古道なのか見た目では分かりません。その尾根をさらに北に進むと、惣津の妙見社に着くのではないでしょうか。
巨岩群が鎮座する山頂 標識がある古道に出る 枯れた溜池跡
地図上では、その山頂付近から少し戻った尾根から東に向かえば坪曽のはずです。道がはっきり分らなくても、とにかく東に向かえば、坪曽のどこかに着くだろうと谷をどんどん下りて行きました。険しい谷をどんどん降りていると、白い標識を見つけました。
溜池や棚田を支えている立派な石垣
この標識が立っている場所にははっきりとした道が通っていました。さらに、自分が降りてきた谷方向を振り返りました。すると、えぐれたような古道があるではありませんか。沢すじの谷は崩壊しやすいため、古道が崩れてしまった可能性があります。また、お地蔵様が安置されたのではないかと思われるような土台のような石が、その古道のそばにありました。周りを探しましたが、お地蔵様を思わせるような石はありませんでした。
巨大な岩と言うか、岩の崖 やっと坪曽の集落に出る
白い標識が立っている道を降りていると、枯れた溜池がありました。その溜池周辺の棚田跡をぐるりと調査していると、上の方に巨大な岩の崖が見えました。その崖の直下に行ってみました。その岩の崖は大きくえぐれているのですが、崩れているのか採石場跡なのかは分かりませんでした。
その岩の崖を降りて、再び道に戻って下っていると坪曽に出ました。その場所は、坪曽の北端でしょうか。今回は行者山の道なき北山麓を歩きました。途中、イノシシの大群に出会ってビビりましたが、無事に木地から坪曽に抜けることができました。しかし、どの古道が大内街道なのか確定できなかったのは少々残念でした。今回の調査に参加された方々、お疲れ様でした。
木地~坪曽の古道(大内街道)調査ため探索した行者山北麓
第13回たぶせ少年少女合唱団定期演奏会の第三部は、オペラ「がらくたおばけ」でした。一昨年はオペラ「木の実たちのけんか」 。そして、去年はオペラ「鳥と虹」でした。定期演奏会では毎回、新作の子供オペラをするようです。オペラと言うと、都会でしか見ることができないとの先入観がこれまでありました。私が高校生位の時は、オペラは東京や大阪でしか見ることができないと思っていました。今、子供向けとは言いながら、田布施でオペラを鑑賞できるのはありがたいことです。
第三部はオペラ「がらくたおばけ」
さて、「からくたおばけ」のストーリーは人間に捨てられた古い道具が、おばけとなって人間に悪戯したり脅かしたりする物語です。いわゆる、使い捨て文化に対する警告、物を粗末にしない文化、物には言霊があるという、どちらかと言うと日本的なテーマだと思います。
定期演奏会のパンフ 道に迷う子供達 道具のおばけに驚く
私は、昔使っていた道具をいくつか持っています。例えば、40年以上前に高校生時代に使っていたナップサツクを今だに使っています。段舎利好きな家内とは性格が反対なので困っています。古くて使えなくなった道具は、ポイ捨てるのではなく再利用したり再資源化することが大切なのかなと思います。
ところで、私の趣味の一つは壊れたラジオを修理して生き返らせることです。これまで何台も直しました。治ったラジオは私に感謝しているでしょうか。あるクラシックカーのカーラジオを生き返らせた時は、持ち主の家族に感謝されました。私も嬉しかったです。そのカーラジオ、生き返ってさぞかし私に感謝していることでしょうね。
目が覚める子供達と和尚様 オペラを演じた子供達
久しぶりに周防大島に行ってきました。その一番の目的は、明治維新時の四境の役に関わる講演会を聞くことです。開演が午後二時のため、それまで周防大島のあちこちに行きました。最初、東和町の道の駅サザンセトとうわに行きました。一昨年、いつもの友達と行ったり、家内と行ったりしました。私は、ミツバチがミカンの花から集めた蜂蜜を購入しました。そして、婆様に頼まれたミカン(デコポン)を購入しました。
蜂蜜を購入したお店 道の駅の建物 シーボルト上陸記念碑
道の駅サザンセトとうわを出ると、海岸沿いの桜並木を通って沖家室島方面に行きました。途中、シーボルト上陸記念碑に立ち寄りました。快晴だっため、コバルトブルーの海がとてもきれいでした。9年位前に沖家室島へバイクで行ったことがあるのですが、その時バイクが故障して往生した苦い思い出があります。橘町のとあるラーメン屋さんに行きました。とても貴重な、昔そのものの店内でした。とても美味しかったです。
シーボルト上陸記念碑から見た、コバルトブルーの美しい海
大島町の喫茶店コナで時間をつぶした後、大島文化センターに行きました。前から二番目の席に座って、原口泉氏による、「四境の役 大島口の戦い」に関わる講演会を聞きました。氏はテレビドラマの時代考証などを担当しておられるようで、歴史にとても造詣が深い方です。
講演会が終わった後、長州藩で起きた薩摩船の襲撃事件(加徳丸事件)の被害者薩摩藩士大谷仲之進(埋葬時、仲之進のところを忠義を尽くしたので仲を忠とした)のお墓にお詣りしたことなどをお話し、わずかな時間でしたが談笑させていただきました。なお、昨年の田布施郷土館「冨永有隣と明治維新に関わる人達」展で、加徳丸事件に関わる水井精一の遺墨などを展示しました。いろいろ貴重な話を聞くことができました。周防大島からの帰り道、柳井港近くの華月堂でスイーツを楽しみながら談笑しました。
時間をつぶした喫茶店コナ 講演された原口泉氏
たぶせ少年少女合唱団定期演奏会第二部は、女声(児童)のための合唱組曲「キュイジーヌ」でした。料理に関する歌のメドレーでした。最初は、スバゲッティ・ベスカトーレの歌でした。イタリアの代表的な料理の一つである、スパゲッティの歌でしょうか。
スバゲッティ・ベスカトーレの歌
次は、インド風チキンカレーの歌でした。そして、スペインの踊り(フラメンコ)が入った歌「パエリア」でした。私は個人的に、フラメンコギターが好きで、何枚かCDを買って聞いていたことがあります。下手でしたが、クラシックギターを演奏していた時期がありました。続いて、オムレツの歌です。この歌は感情移入しやすく、なかなか心地良く聞くことができました。
インド風チキンカレー パエリア オムレツ
第二部の中で変わっていたのは、大阪風お好み焼きの歌です。面白いダンスでした。第二部最後の歌は花でした。森山直太郎の歌で有名です。私も好きな歌の一つです。ところで40年位前のことですが、森山直太郎の母親の森山良子の歌が好きでした。当時レコードを購入してよく聞きました。ちなみに今でも「この広い野原いっぱい」の1曲が私のスマホに入っています。
大阪風お好み焼き 花
午前中、耕運機で畑を耕していました。その時、ふとロータリーの刃を見ると、ずいぶんと摩耗していることが分かりました。一番細い場所は1cmに満たないのです。このまま耕耘していると、突然刃が折れてしまいます。そこで、東京に住んでいる時にもらった耕運機があるのですが、今は使っていません。そのロータリーの刃と交換することにしました。まずは、使っていないロータリーから刃を外しました。
摩耗したロータリーの刃 使っていないロータリー ロータリーから外した刃
刃を外すロータリーは7年近く使っていませんでした。そのため、刃が錆びついており、なかなか外すことができません。刃を固定しているナットに合致したレンチを使って外しました。一気に力を入れるとナットが折れるため、じわじわと力をいれて外しました。次回は、今使用中の耕運機のロータリーから摩耗した刃を外します。時間と手間がかかるロータリー刃の交換です。
使っていないロータリーから外した9個の刃
そして午後6時、この4月に退任されるN館長と4月に就任されるMさん、ご2人の歓送迎会がありました。この1月まで郷土館内で仕事をしていた観光協会の方々もお見えになりました。
私が定年退職で田布施町に帰ってきた頃、Nさんは館長に就任されました。その後ご縁があり、私は郷土館の職員にならせていただきました。ありがたいことです。この3年間の思い出話に浸りながら、料理を摘まみつつ談笑しました。これまで大変お世話になりました。退任後も時々、郷土館に気軽に足を運んでいただけたらと思います。
料理を摘まみつつ談笑中の、田布施町郷土館の歓送迎会
虎ヶ岳頂上は、最高の天気でした。風も雲もなく、これだけ青空の日はとても久しぶりのことでした。頂上に着くと、あちこちの山を指さしながら展望を楽しみました。そして、各自好きな場所に陣取ってお昼ご飯にしました。私はコンビニで購入したパンを食べました。
虎ヶ岳の頂上、風も雲もない真っ青な快晴
下見の時はもう少し先まで行きましたが、今回は頂上からの長い尾根歩きを楽しむことにしました。とても長い尾根です。アップダウンの少ない、歩きやすい山道が延々と続きます。ただ、展望がないのだけが残念な尾根です。
長い尾根歩きの始まり 延々と尾根歩き もうすぐ岩嶽展望台
休まないで林の中の尾根道をどんどん歩いていると、観音寺方面などの下り道に出会います。それらの下り道に迷わされず、尾根の終端の渓月院に向かってどんどん歩きました。そして、岩嶽展望台に着きました。この展望台は鉄塔下にあります。岩田方面や呉麓山がよく見えました。10分程度休憩して再び歩き始めました。
岩嶽展望台で小休止し、岩田方面の展望を楽しむ
岩嶽展望台からは下りの傾斜がややきつくなります。そして、ゴロ石が道に目立つようになります。そのため、下を注意しながら、そして足を踏ん張りながら歩かないと転んでしまいます。このような坂を長く歩いていると足を痛めてしまいます。私が一番足を痛めた経験は、富士山の下り坂です。三時間近くも、延々と砂の下り坂を下りました。通称「砂走り」と呼ばれる斜面です。次の日は足が痛くて、立つのもつらいほどでした。また、北アルプスの下り坂を急ぎ過ぎたためか、急性関節炎になったことがありました。足が痛くてのろのろとしか歩けず、通勤が地獄でした。
下りの傾斜がきつく 杉林のゴロ石下り道 渓月院に到着
急なゴロ石斜面を何度かジグザグに歩いていると、ようやく渓月院の伽藍が見えてきました。渓月院に着くと、本堂内を見学させていただきました。そして、近くにある代々ご住職の墓地などを見学しました。今回参加された方々、みんな元気そうで安心しました。小学3年生のaちゃんはポンポン歩いて、大人より元気でした。下り坂で捻挫する方が出ないか心配しましたが杞憂でした。
渓月院の本堂、そして霊亀が出たと言われる池と音が鳴る太鼓石橋
ところで、来月は麻郷から麻里府にかけてのお遍路道を歩く「一日詣り巡礼ウォーキング」です。ある霊場の札所ではお接待をするとか。ところで、南平和霊場第五番札所西遊寺のすぐ近くに大岩があります。そのため、巡礼ウォーキング中に大岩に寄ることにしました。森,川,海など約24kmを歩く健脚向けコースですが、昔の人はこれらの距離を平気で歩いていました。
常安寺から渓月院までの虎ヶ岳ウォーキングコース
============健康ウォーキングクラブ==============
午前中は柳井市のお大師様(通称:おだいっさー)に行き、午後は西田布施公民館で開催される第13回たぶせ少年少女合唱団定期演奏会に行きました。去年の定期演奏会は開演直前に行ったため、良い席に座れませんでした。そのため、今年は開演30分前に行きました。そのため、比較的良い席で鑑賞することができました。
たぶせ少年少女合唱団テーマソング Humming Angel
席に座ってから開演まで30分近く時間があるため、小説を読んで時間をつぶしました。気が付くと、開演の時間となりました。幕が上がると聞きなれたたぶせ少年少女合唱団テーマソング Humming Angelです。何度も聞いているため歌詞を覚えていましました。今回の定期演奏会は三部構成です。第一部は誰もが知っている童謡が中心のメドレーでした。
うみは広いな大きいな かわいい魚屋さん
最初の童謡はうみで、中学生以上によるソロと合唱です。次は小学低学年よるかわいい魚屋さんです。そして,カモメの水兵さんです。私が保育園生だった60年位前、平生座でこの童謡に合わせて踊ったように記憶しています。他におもちゃのマーチや一休さんなどの童謡でも踊りました。かもめの水兵さんが終わると、砂山でした。
カモメの水兵さん 砂山 サンタルチア
砂山に続いてはサンタルチアでした。童謡ではないのですが、誰もが知っている歌です。もともとはナポリ民謡のようで、ナポリ近くの海の美しさを歌っています。そして、最後は浜辺の歌です。全員で歌っていました。この定期演奏会に向けて、3月は特に一生懸命練習したのでしょう、練習の成果が表れていたように思います。
第1部最後、浜辺の歌
3月21日はお大師様(おだいっさー)の日です。午前中時間があったため、柳井市の金剛寺に行ってきました(※午後は、たぶせ少年少女合唱団 第13回定期演奏会に)。お大師様(おだいっさー)にお詣りしたのは3年ぶりのことです。かつては、姫田川周辺から金剛寺までの界隈が賑やかだったように思いますが。3年前、すでにお詣りする人は極めて少なくなっていました。今回は3年ぶりのお大師様(おだいっさー)ですが、参拝者数は3年前とあまり変わらないように思いました。
金剛寺の石階段 静かな金剛寺の門 本堂前の石階段
お詣りする方々のほとんどがお年寄りです。子供を連れてお参りする方もいましたが、少ないため子供の声が珍しいほどです。金剛寺に来たついでに、南陽,防陽,周陽の三つの霊場について聞きましたが、霊場について知っている人はいませんでした。これら霊場について知っている人が、今や皆無なのだと、がっかりしました。
たくさんの方々がお詣りしていた金剛寺本堂
金剛寺本堂に着くと、火が点いた線香を購入しました。そして、その煙を体にかけるようにしました。ところで、今回は二つ良いことがありました。一つ目は、鐘突き堂近くを歩いていると、お接待をいただいたことです。小さな袋菓子をいただいたのですが、子連れの若いお母さんにいただきました。若い人がここでお接待をしていたので、少々驚きました。
購入した線香 鐘突き堂に向かう 一軒だけの出店
もう一つは、八十五番のお地蔵様の場所を教えてさしあげたことです。一番のお地蔵様から順番に八十四番までのお地蔵様までは分かるのですが、八十五番のお地蔵様だけは離れた場所にあるのです。八十四番まで来て戸惑っている方々に、八十五番のお地蔵様をお教えしました。
金剛寺から帰るとき、出店でタイ焼きを購入しました。3年前はたこ焼き、焼き鳥もあったのに、今回はタイ焼き屋さんだけでした。この一軒だけのタイ焼き屋さん、来年もお店を開いているでしょうか。
鐘突き堂と八分咲きの桜
先月下見をした光市の虎ヶ岳をウォーキングしました。いつもは平坦な道をウォーキングしていますが、久しぶりに山らしい道を歩きました。田布施町交流館に集合した後、車で渓月院に向かいました。そして、渓月院に車を一台置いてから常安寺に向かいました。
ウォーキングをスタートしたのは常安寺です。ご住職がおられるかと思いましたがご不在でした。常安寺の登山口から竹林の道を登って行きました。しばらく登ると、観音滝があります。昨日まで雨が降っていたため、轟音をあげて水が落ちていました。
常安寺をスタート 竹林の道を登る 観音滝を見ながら小休止
観音滝を過ぎると、だんだん道の傾斜がきつくなってきました。沢すじの道のため、所々で道が小川で寸断されています。そんな時は、赤いリボンを頼りに道を探します。昨日雨だったため沢の水量がいつもより多く、水に濡れない石を踏みながら道を進みました。先月下見をした時はやや寒かったのですが、今回は山を登っていると体がほかほかしてきました。
沢筋の道は所々寸断、濡れてない石を踏みながら歩く
尾根まで2/3位まで来た所で、急登が続くようになります。歩幅が合わないので、下を見ながら注意深く歩かなければなりません。一ヶ所、ロープを持ちながら登る岩場がありました。その岩場は苔が生えていて滑りやすいため、気を付けながらロープをたぐりました。さらに進むと、展望滝の展望所がありました。そこで、小休止をしました。視野が狭いのですが、遠望することができる場所です。
ロープをたぐり岩を登る 展望滝で小休止 明るい尾根に出る
展望滝からは沢が無くなり、登山道が上に向かっていました。もうしばらくの登り坂です。15分程度歩くと、だんだん尾根が頭上に見えてきました。尾根に出ると、虎ヶ岳頂上まではもうすぐです。尾根に出ると南からの日差しが当たるようになり、心なしか皆は元気になりました。あと一息で頂上です。
正午少し前に虎ヶ岳に到着、絶景を見ながら昼食休憩
尾根を200m位登り降りすると、虎ヶ岳頂上に着きました。先客が数名いました。到着すると、少しばかり展望を楽しみました。春の暖かい日差しと涼しい春風に当たり、快適な気持ちになります。お腹もすいてきたため、すぐに昼食休憩にしました。
常安寺から渓月院までの虎ヶ岳ウォーキングコース
自家製のパンをまた作ってみました。我家の畑で収穫した小麦を天日干ししたものを製粉した全粒粉を使っています。砂糖,塩,バター,そしてドライイーストだけを使ったとても素朴なパンです。市販のパンより見かけは悪いのですが、それなりに美味しく食べています。
小麦を製粉中 規定量の全粒粉 規定量の砂糖
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まずは小麦を貯蔵タンクから取り出して、製粉機を使って全粒粉にしました。そして、200g位の全粒粉を製パン機に入れます。次に、砂糖を大さじ一杯,食塩を小さじ一杯,パターを少量、それらも製パン機にそのまま入れます。続いて、水を規定量入れます。最後に、ドライイーストを製パン機の上蓋に大匙一杯入れました。ドライイーストは、練りが終わった頃に自動的に投入されるようです。
バターを少々投入 200ccの水を投入 最後にドライイースト投入
我が家で使っている製パン機は、婆様が20年位前に購入したものです。倉庫の中に置いてありました。その当時、家庭でパンを作ることが流行ったそうです。とても古い製パン機ですが、なんとか動いています。ただし、時刻や経過時間が曇ってよく見えません。また発酵がうまくいかず?それほど膨らまないのは、材料が悪いのか、温度や時間が少しずれているのではないかと思います。かと言って、新品を購入する余裕はないため、この古いパン製造機をそのまま使っています。
20年位前の製パン機、練りの途中
スイッチを入れて5時間程度後、パンは出来上がります。小麦品種はパン用なのですが、グルテンが少ないのかあまり膨らみません。包丁で切ると、断面はフランスパンのようでもあり、カステラのようでもあり、ややぼそぼそしています。食べる時は、トースターで焼きます。わずかに糠のような香りがしますが、焼いた直後にバターを塗れば糠の香りは消えます。
少しぼそぼそするパンですが、焼き立てはとても美味しいです。このパンを食べ終わると、数日後また同じように製粉してパンを焼きます。その繰り返しです。パンに関して我家の自給率は30%位でしょうか。もっと美味しくパンを焼くことができるようになれば、自給率が上ると思います。
焼き上がったパン 断面は茶色カステラのよう 焼いた後バターを塗る
ジャガイモの種芋植え付け作業が終わった後、別畑に春キャベツの苗を急いで植え付けしました。やはり、次の日に天気予報で雨が降ることが予想されたためです。午後一寝入りした後、むくりと起き上がり畑に向かいました。そして耕運機で畑を耕した後、春キャベツ用の畝を作りました。
春キャベツ用畝に肥料 畝を盛り上げて整形 使用済み黒マルチを被覆
春キャベツ用の畝ができあがると、肥料(発酵鶏糞,化成肥料)を播きました。そして、その上に軽く土を盛り上げました。続いて、平くわを使って畝を整形した後、使用済みの黒マルチを被覆しました。去年9月に秋キャベツに使用した黒マルチを再利用したものです。最後に黒マルチが風で飛ばないように、周りに土を乗せました。
土を寄せて黒マルチを固定 事前に購入しておいた苗 黒マルチの穴に苗を移植
春キャベツの苗は、近所のDIYのお店で事前に購入しておいたものです。キャベツの品種は「いろどり」です。12本がセットになった苗です。そのうちの10本を畝に植え付けました。苗と苗の間隔は約50cmです。植え付け後ジョロで水をまくのですが、次の日に雨が予想されたため水をまきませんでした。
約50cm間隔で春キャベツの苗10本を植え付け
10本の苗を植え終わると、黒マルチを跨ぐように竹製のU字支柱を立てていきました。この竹製U字支柱は、作ってから4年経つため強く曲げると折れるものがありました。近いうちにU次支柱を作る必要があります。U次支柱を立て終わると、寒冷紗を被せました。そして、その寒冷紗の両サイドに土を寄せて固定しました。これで、春キャベツ苗の植え付け作業が終わりました。6月には美味しい春キャベツを収穫できると思います。
竹製のU字支柱を必要本数指す 寒冷紗を春キャベツの畝で覆う
明日の天気予報は雨とのことです。そのため、急いでジャガイモ(メークイン)の種芋を植え付けしました。今年は、去年サツマイモを栽培した場所でジャガイモを栽培することにしました。早朝、耕運機を畑に持ち込み、続いて肥料や種芋などを一輪車で持ち込みました。最初、耕運機で畑を何度も往復しながら耕しました。耕し終わると、次にジャガイモの種芋を植える畝を作りました。
耕運機で丁寧に耕耘 ジャガイモ用の畝 種芋と種芋の間に肥料
ジャガイモの畝を作り終わった頃に、Eさんが自転車でやってきました。そこで、ジャガイモの種芋を植え付ける作業に入りました。種芋は50cm間隔で植えました。間隔が分かるように畝の溝にそって巻尺を引きました。その巻尺を頼りに50cm間隔で種芋を畝の溝に置いていきました。私は、種芋と種芋の間に肥料を置いていきました。
巻尺に沿って、50cm間隔で種芋を畝の溝に置く
種芋を植え付けしていると、今度はNちゃんがやって来ました。そこで、種芋と種芋の間に肥料を播くお手伝いを少ししてもらいました。種芋を置き終り、肥料も播き終ると、今度はその上に土を被せました。今後、芽が出て成長するごとに土寄せをします。最低2度の土寄せをします。そのため、あまり土を深く寄せることはしません。
スコップで肥料を播く 三本クワで畝に土寄せ 美味しい納豆チャーハン
土寄せが終わった頃、お昼のサイレン(音楽)が鳴りました。Nちゃんが納豆チャーハンを作って持ってくる間、小麦畑に肥料を播きました。この麦畑は肥料分が少なく痩せている畑です。一部の麦は分げつが少なく、背が低く、さらに葉の色が濃くありません。今回肥料を播いたため、葉の色が濃くなり、背が伸びると思います。
肥料を播き終った頃、Nちゃんが持ってきた納豆チャーハンに舌鼓を打ちました。とても美味しかったです。ごちそうさまでした。ほど良い日差しの中で、楽しいお昼休憩となりました。ジャガイモの植え付けなど、お手伝いありがとうございました。収穫時には、ジャガイモを皆さんにお分けしようと思っています。
暖かい日差しの中、小麦に肥料を播く
先日、4月の一日まいり巡礼ウォーキングの下見をしました。その時、上組の薬師堂の昇り降りのお遍路道が竹や草で通れないことが分かりました。そこで、上組にお住まいの方の了解の元に、薬師堂前周辺のお遍路道を普請することにしました。大泉寺に車を駐車して、私は草刈機を持って、他の4名はノコギリや熊手などを持って薬師堂に向かいました。
上組の薬師堂へのお遍路道を普請(主に草刈り)
最初、上組のIさんを訪ねました。そして、草刈りする道を教えていただきました。ありがとうございました。薬師堂はH家の裏山にあります。なお、H家は私の同級生の家です。今は、その妹さんが主に御母堂の介護などで来ているそうです。一度、上組の道で立ち話をしたことがあります。
倒れた竹を撤去 お遍路道から見上げた薬師堂 生い茂った笹を刈る
お遍路道の東側と西側に分かれて普請しました。3名は、東側の登り道を整備しました。竹が生い茂ったり倒れた竹を、ノコギリで切るなどして歩きやすくしました。そして、私とEさんの2人は、西側の降り道を草刈りしました。草刈機を使って、生い茂った笹など刈取りました。これで、東側と西側のお遍路道が歩きやすくなりました。
生い茂った笹などを刈取っているお遍路道
道が歩けるようになると、少しばかり休憩しました。そして、ついでに守屋大人のお墓と言い伝えられている石や五輪塔などを見学しました。いつの時代に作られたのか分からない不思議な墓所です。薬師堂を出ると、本番ウォーキングで歩く道をトレースしました。途中、白いボケと思われる枝が落ちていました。周りをよく見ると、梅,ボケ,椿などの花があちこちで咲いていました。
守屋大人のお墓と言い伝えられている墓所 白いボケと思われる枝を発見
ところで、本番ウォーキングで歩く上組の古道はかつては伊保木と麻郷を結ぶ往還道でした。上組では、一部民家の庭先を通っています。そこで、その民家に住むYさんに本番ウォーキング時に庭先を通ることの了解に伺いました。快く了解していただきました。Yさん、ありがとうございました。これで、4月24日の一日まいり巡礼ウォーキングのすべての準備が整いました。今回、お遍路道の草刈りなどにかけつけてくれた方々、ありがとうございました。
車を駐車した大泉寺に戻ると、昼食を取ってから我家に戻りました。そして、ジャガイモの種芋を植え付ける畑を耕耘しました。そして、小麦畑の畝間も耕運しました。今は、小麦の緑がとても清々しい季節です。
小麦の畝間を、耕運機で除草兼耕運