これまで50年近く車に乗って、今回初めて自損してしまいました。我家の車庫は農機具小屋としても使っています。クワの掛け方が悪かったのか、クワが車に倒れてきたのです。そして、リアガラスに当たりました。
気が付いた時には、リアガラス全体が細かい蜘蛛の巣のようにヒビが入っていました。リアガラスに近づいて耳をすませました。すると、メリメリと小さな音をたてていました。
車を走らせると、次々にガス破片が車内に落下
通勤時、ガラスが落ちないようにゆっくりと車を走らせました。しかし、ちょっとした段差などで車が揺れるとポロポロとガラスが落ちました。また、ドアを開け閉めするたびにもガラスが落ちました。
車の販売店に電話して修理の予約を入れました。車を預けると台車の車(TANK)を借りました。修理代は痛かったです。しかし、重大事故の戒めをリアガラスが教えてくれたと思うようにしています。
次々にガラス破片が落下 台車として使った車(TANK)
手提げ用として、太くて丈夫な縄を綯いました。まず縄にする材料を何にしようかと考えました。わらでも良いのですが、たまたま我家の後ろに生姜の枯れた葉や茎がたくさん落ちていました。匂いをかぐと微かに生姜の匂いがします。
生姜の葉を縄にするとの話を聞いたことがありません。ですが、試しに手提げの縄として綯ってみました。駄目ならば他の材料に変えます。注連縄と同じ三本撚りにしました。
生姜の乾燥葉で三本撚りした縄をわら籠に取りつけ
私は毎年、大晦日前に我家の注連縄を綯います。その方法で手提げ用の縄を綯いした。注連縄を作る場合、多くの方は最初二本撚ってから一本を継ぎ足すようです。私は昔から、三本を同時に撚りつつねじって注連縄を作ります。今回も生姜の枯葉で縄を撚ってみました。
たくさんの生姜の枯葉 茎部分を選別 水に浸して柔らかく
生姜の枯葉を使ってなんとか縄を作ることができました。生姜ゆえの欠点も見つかりました。それは撚りが進むと、多くのほつれやのささくれが出ることです。なるべくささくれが出ないように強く撚りました。そのため、なんとか手提げ用の縄が完成しました。生姜製の縄は、持った感じが少しごわごわしています。そのため、後で布カバーを被せる事にしました。
6本の生姜茎部分を3分割して綯う 注連縄を綯う要領で縄作り
竈八幡宮の木漏れ日の中でのんびりと休憩後、遍照寺に向かいました。いったん大きな道路に出て数十m歩いた後、軽自動車がやっと通ることができる幅のゆっくりとした下り坂に入りました。しばらく下っていると、室津側が良く見える見晴らしの良い丘に出ました。ここからは、上関大橋,常満寺の大イチョウ,そして道の駅などが小さく見えました。そして、視線を上にあげると皇座山が広く見えました。
願いを書いた板片を護摩焚きしていただいた遍照寺
しばらく景色を楽しみながら丘を下りました。しばらく下ると赤い幟が立っていました。遍照寺に到着しました。本堂に入りご住職に会い、護摩焚きする願いを書きました。私は月並みに「健康成就」と墨書きしました。まだたくさん訪れる史跡があるため護摩焚きする時間を待てません。そのため、護摩焚きをご住職にお願いをして遍照寺を出ました。
上関大橋や室津側を展望 遍照寺と赤い幟 遍照寺からの登り道
遍照寺を出ると狭く急坂の道を登りました。この道沿いに住んでいる方は、どこに駐車場があるのでしょうか。買物時、家から駐車場までの歩きは楽ではないと思います。毎日の生活、ご苦労様です。上関小学校を左手に見ながらしばらく歩くと城山公園に着きました。
城山公園から佐賀方面を見て 龍口大明神のお社
城山公園は静かで誰もいませんでした。広い公園を一人で貸し切った気分でした。眼下に海が見え、遠くを見ると平生町の箕山が見えました。そのはるか向こうに、かすんだ田布施町の石城山が見えました。少しの間、景色を堪能しながら城山公園で立ったまま休憩しました。続いて、城山公園を降りました。急坂を下りきると龍口大明神のお社がありました。ちなみに、この大明神の下には巨大な岩が鎮座していました。しかし、数年前に道路の拡張工事のため破壊されました。昔を知っている私としては残念です。
上関町長島の史跡巡りをしたコース
毎年の事ですが、今年も甘酸っぱくて美味しいグミを収穫しました。未熟果がまだまだ枝にぶら下がっています。今後2週間位にわたって収穫できると思います。
グミ以外にも、我家では初夏にいろいろな果物を収穫できます。グミに続けて、先日袋掛けをした桃,スモモ、ナツメ,イチジク(夏果),ビワなどの収穫が続きます。
一粒ずつ丁寧にグミを摘み取る
今年例年よりもグミがたくさん成っています。なぜたくさん収穫できるのか分かりません。一つの理由として、この冬に剪定をしなかったことかも知れません。剪定すると、春に実が成る枝も切ってしまうようです。
2皿以上収穫してもまだ枝に真っ赤なグミがたくさん残っています。しばらくは毎日のようにグミを食べることができそうです。
枝にぶら下がるたくさんのグミ 皿に収穫してそのまま食べる
これまで作った円柱型ほぼろは、底を蜘蛛の巣編みにしました。しかし、製作中のほぼろ版買物籠の底は円形ではなく長楕円形です。そのため、底の編み方を変えてみました。わら籠の底の編み方事例をいろいろ調べてみました。しかし、参考例が見つからないため自力で考えて編みました。そのため正しい編み方かどうか分かりません。もっと上手な編み方があるかも知れません。
手提げ紐を取り付ければ完成の試作買物籠
今回作っているほぼろの底は、長方形ではなく楕円形です。そのため、両端の楕円部のわらを、長辺部のわらで上下挟むように編みました。つまり、底部は三重構造(右長辺、左長辺、楕円部)のわらになっています。また、円縁部を盛り上げています。そのため、この買物籠は床に置いても倒れません。
三重わら構造の底部 マオランの葉を這わす マオランでアクセント
買物籠の形が出来上がった後、アクセントとしてマオランの葉を側面に這わせてみました。あとは、手下げにする紐を取り付ければ試作品は完成となります。
なお、試作品での反省点として底部が雑なことです。わらの挟み方を綺麗にして、編み方を綺麗にする必要があります。特に楕円部のわらを綺麗にシンメトリックに編める工夫が必要です。これは今後の課題です。
少し雑だった内底の編み方 楕円の底型から取り外した買物籠
山の上にある六人塚傍にはかつて測候所があったようです。その建物の中には、壊れた気象測定器が複数捨てられたように置かれていました。すぐ下に、熊毛南高校の分校があったことから、学校のクラブ活動で計測をしていたのかも知れません。
六人塚隣には東屋があったため座って休憩しました。木々が茂っているため景色はそれほどでもありません。しかし、休んでいると心地良い風が通り過ぎていきました。
雨をしのぐ屋根など、大切にされている七人地蔵尊
六人塚が建っている山から下りると、沖ノ浜に向かいました。途中、たくさんのお地蔵様に出会いました。その昔、今のような車道に改修される前の古道に並んで安置されていたようです。一体だけ古道と思われる狭い通りに横向きに安置されていました。しばらく歩くと、眺めが良い場所に出ました。この後ろの小高い場所にレストラン瀬里家があります。オープンの11:00まで時間があるため、車は一台も駐車していませんでした。
道にならんだお地蔵様 レストラン瀬里家 沖ノ浜の砂浜
瀬里家からは沖ノ浜に向かって、だんだん下り坂になります。しばらく道を下ると綺麗な砂浜が見えてきました。その砂浜に降りていきました。しかし、満潮だったため狭い砂浜でした。小石を掴んで海に投げて遊んだ後、沖ノ浜から民家の間を抜ける急坂を登りました。
狭い急坂脇に安置されたお地蔵様 お昼休憩をした竈八幡宮
その急坂を乗り越して降りた場所に、七人地蔵尊が安置されていました。このお地蔵様は地域の方から大切にされているようです。雨が当たらないように立派な屋根瓦です。そして、すべてのお地蔵様にべべが着せてあり、花が活けてありました。
その後、さらに急坂を登りきると竈八幡宮に降りていきました。下見時と同様に早めの昼食休憩を取りました。木漏れ日の中で、心地よい風に吹かれながらしばらく休憩をとりました。
上関町長島の史跡巡りをしたコース
これまで、いくつかほぼろを製作してきました。ほぼろは基本的に底は円形です。そのため、手持ち籠や買物籠としては使いづらいと思います。
そのため、今回あらたに底面が細長い楕円のほぼろを作っています。通常のほぼろと底面の編み方を変えてみました。そして、床に置いても倒れない工夫もしてみました。さて、どんなほぼろ版買物籠ができるでしょうか。出来上がりを楽しみにしながら製作をしています。
側面を編み終わり、底型に被せたほぼろ版買物籠
底面をどんな形にしようか最初迷いました。多いのは長方形です。あるいは、その長方形の端が円形のものが多いように思います。長方形の底はありふれているため、長楕円の底にすることにしました。そこで、長楕円の型を作りました。この型にはめ込んで底を編みます。なお、長楕円とは細長い楕円のことです。
長楕円を板に墨付け 長楕円を切り抜く 底編み用型の組み立て
底が長楕円になるように板で型を作りました。そして、事前に完成しておいたほぼろの側面にその型をはめ込みました。続いて、その型に合わせるようにしながらほぼろの底が長楕円になるように編みます。編み終わったら型を取り出します。これまでのような、底が円形の時の蜘蛛の巣網ではありません。ちゃんと編めるか心配です。
事前に完成しておいたほぼろの側面 ほぼろの底に型をはめ込む
我家の母屋は昔、今の建物よりも低い位置にありました。その古い家を取り壊した時、庭に生えていた芭蕉を今の場所に移しました。ところが、ここ数年竹や雑木に押されてだんだん小さくなってきました。日光が遮られるようになったからだと思います。
そのため、昔の母屋の場所に植え替えました。日はよく当たるし湿っています。よく茂ると思います。ただ、移植は冬が良いそうですが、この5月になってしまいました。着生するか心配です。
昔母屋があった場所に移植した芭蕉1株
今回植え替えた芭蕉、亡き父親はバナナと言っていました。そのため、子供の頃からバナナとばかり思っていました。花が咲いた後に小さなバナナの実が付いていました。しかし、寒さで実は大きくなりませんでした。温室内で育てればバナナの実が食べられるだろうとばかり思っていました。バナナではなく芭蕉とのこと。ほとんどの方が勘違いしているそうです。バナナは本州では育たないとのこと。
竹や笹に囲まれた芭蕉 1株を掘り上げる 掘り上げた芭蕉1株
沖縄では、芭蕉布と呼ばれる布を織っているそうです。我家の芭蕉も布にすることができるかも知れません。しかし、とてもそんな時間はありません。
去年試しに芭蕉の葉を取ってきて紐にできるかどうか試しました。すると、葉は役に立ちませんが葉茎は干すと使えることが分かりました。芭蕉が増えてくれば、乾燥した葉茎を使った籠位はできるのではないかと思います。
湿って日が当たる場所に穴を掘る 掘り上げた芭蕉を穴に植え付け
上関町長島の史跡巡りウォーキングに行ってきました。下見は4人でしたが、珍しいことに本番は3人の少人数参加でした。思い起こせば、この史跡巡りウォーキングのクラブを立ち上げた時、私一人が下見をしていました。下見の結果、決めたルートを本番で歩きました。
このクラブの最初のウォーキングは田布施川源流ウォーキング(8回シリーズの第1回目)でした。下見は一人で、本番は五人で行きました。そして、二番目のウォーキングは柳井市の三ヶ岳でした。下見は二人で、本番は三人で登りました。
上関町長島に建つ村上水軍に関わる六人塚
さて、上関町の「道の駅」を10:00に出発しました。その「道の駅」から四階楼が見えました。天気が良く、青い空に白壁が映えていました。四階楼傍を通って、常満寺の大イチョウの樹傍を取りました。少し急坂を登ると、鳩子の湯を見下ろす道路に出ました。さらに歩いて吉田松陰碑に行きました。吉田松陰は江戸に出る時に上関を通ったようで、上関の砲台場を見学したとのこと。
上関町「道の駅」 青空に映える四階楼 常満寺の大イチョウ
吉田松陰碑の漢文、読み下し文、現代文を読みました。現代は東京まで半日あれば行くことができます。幕末時、いったい何日歩けば行くことができるのでしょう。続いて、下に海を見ながら上関大橋を渡りました。高度があるため下を見下ろすと怖くなります。
上関大橋袂の吉田松陰碑 長島側の砲台跡
上関大橋を渡ると道を横切りました。そして、長島側の砲台跡に向かいました。幕末時期に砲台が備え付けられたとのことですが、砲が無いので実感がわきません。この砲台跡から幕府軍の軍艦が見えたそうですが、砲撃は無かったそうです。当時は緊迫していたのでしょう。
上関町長島の史跡巡りをしたコース
ほぼろ版猫ちぐらに加えて、新たにほぼろ版買物籠を試作しています。ほぼろの編み方を引き継ぎながら、縁の編み方を変えてみました。ほぼろではわらをU字型に折りながら紐で結んでは重ねていきます。そのU字型に折り曲げるのは同じですが、紐の結び方を変えてみました。今後は、いろいろな編み方を取り入れた籠などを試作してみようと思っています。
矢印部分の編み方を従来の方法と変更
この縁の編み方は既知と思いますが、取り入れてみることにしました。従来の編み方では、重ねたわらとわらに隙間ができることがあります。その隙間ができにくい方法として採用してみました。下図で、従来ならば1と2はそれぞれ独立して紐で結びます。しかし、新しい方法では、1と2を連結するように結びます。
わら束1とわら束2 1を2に重ねて折る 重なった1と2
ついでに、買物籠として床に置いても倒れない工夫もしてみようと思います。従来の蜘蛛の巣網では中心部が盛り上がります。そのため、床に置けません。盛り上がらない編み方を試行してみようと思います。
2の下部と曲げた1の上部を結ぶ 駒を強く引っ張りわらを連結
やぐらネギが葉先で次々に芽を出すようになりました。やぐらネギは変わったネギで、花が咲いて種ができる代わりに芽が出るのです。よく見ると、小ネギの上に孫ネギが出ているではありませんか。この子ネギ又は孫ネギを地面に植えると、根が出てちゃんとしたネギに育ちます。
そして、来年の春にまたそのネギの葉先に子ネギが出るのです。突然変異なのではないかと思います。毎年の事ですが、この子ネギを取ってそばの空いた畑に植えました。
子ネギの上にさらに孫ネギが生えたやぐらネギ
このやぐらネギは、別名階段ネギとも言われているそうです。普通のネギと同じように葉を食べることができます。種の代わりに芽を植えるので、心配しなくても根付くので重宝します。食べてみると、ネギらしい味がやや薄いように感じます。それが欠点でしょうか。
葉先の芽を取り外す 芽を植える穴を掘る 穴に芽を植えて完了
私は葉先の芽をそのまま別の穴に植えて増やしています。しかし、葉先にはたくさんの芽が一緒に付いています。五個以上付いているでしょうか。つまり、五個以上の苗を買ったことに等しいのです。芽を分けて植えても根が出ます。手間いらずのネギではないかと思います。
葉刃に付いたやぐらネギの芽 芽を分けると七つの芽
晴れた夜など寒い時間帯がありますが、草木染めなどに使う野草の種まきをしました。種をまいたのは茜,紫,月桃,インド藍、そしてケナフなどです。ケナフは一時流行った植物です。今回は籠作りに使えないか育ててみることにしました。茜の株分けや挿し木の試行もします。
そして、雑穀の種まきもしました。ヒエとシコクビエです。私が東京に住んでいた頃、共に山梨や静岡の山間部でかつて栽培されていた雑穀です。日本では栽培している方は少ないと思います。なお、硬質トウモロコシは来週にでも種まきしようと思います。
茜の株分けと挿し木の試行
茜と紫は去年の秋に種を採取したものです。うまく発芽してくれれば良いのですが。茜は根が寒さに強いようです。越冬後、4月にはもう芽が出ていました。一番育て方が分からないのは紫です。ちゃんと発芽するでしょうか。
冬越し後、生育中の茜 黒い中に小さな種の茜 種をまいたポット
茜は冬越しして春に芽が出たのですが、紫は消えてしまいました。そこで、紫も種を蒔くことにしました。ただ、秋に採種した未熟果だったかも知れません。そのため、芽生えないかも知れません。今のところ、一番栽培方法が分からない野草です。他に、綿の種もまいてみました。
挿し木や株分けした茜 根を潰してみるも染まっているか?
秋に植えたわけぎを掘り起こしました。食べ残したわけぎの球根が束のようになった増えていました。数えると、一つの球根が二十個位に増えた勘定になります。増えて束になった球根は、ばらばらになりやすいので丁寧に掘り起こします。
わけぎの球根を丁寧に掘り起こす
掘り起こした球根は、軽く水で洗って泥を流します。そして、雨が降らない軒下において天日乾燥します。天日乾燥してカラカラに乾くと、ミカンが入っていた網に入れておきます。そして、9月になると太い球根を選んで植え付けました。わけぎは素人でも管理しやすいネギです。
掘り上げる前のわけぎの株 一つの球根がこれだけに増える
背負うための紐の位置をずらすと、ほぼろ版リュックは手さげか肩掛けになります。ちょっとおしゃれ?に、気分によって袋の柄を変えられるようにリバーシブルな袋を今回縫ってみることにしました。裁縫は下手なのですが。
ところで、たまに行く手芸店はミシンの販売もしています。野外で使える12V電源ミシンがあるか聞いてみましたが野暮でした。そもそも野外で使ったりやバッテリーで動かすミシンは聞いたことが無いそうです。私のように、屋内,野外,ワークショップ,小学校などにミシンを運んで使う人はいないのでしょう。
下手なりに作ってみたほぼろ版リュックのリバーシブルな袋
リバーシブルな袋を作ろうと思ったきっかけは、裏表をひっくり返して使える布マスクを作ったことです。袋の作り方の詳細はインターネットで調べてみました。
ところで、前回の袋作りでは底を円にしましたが、失敗してしまいました。底布の円と円柱布の円がぴったり合わなかったのです。さらに円をミシンで上手に縫えなかったのです。そこで、今回は底を円ではなく四角にしました。
2種類の布の接続 袋の縁を合わせ縫い 袋口に紐を通す
袋の柄は、一つは余っていた機関車トーマス君柄、もう一つは落ち着いた花柄です。後者は手芸店で購入しました。リバーシブルなマスクよりも難しかったですが、なんとか作ることができました。もっと明るい柄とシックな柄にすれば良かったかもと思います。
わら細工のほぼろと布をミックスしたハイブリッドリュックになりました。使ってくれるならば孫に小さいほぼろ版リュックを作ってあげようと思っています。
機関車トーマス君柄 裏返すと、落ち着いた花柄
遍照寺に付くと、門徒の方でしょうか何やら忙しそうにお掃除中でした。お聞きすると次の日にお祭りが行われるとのことでした。そして、史跡巡りウォーキングの本番日は護摩焚きをしているとのことでした。
当日遍照寺に着いた時、護摩焚きを見学させていただこうと思います。可能であれば木札に健康成就と書いて焚いていただこうかと思っています。5年前に周南市の三光寺の祈願受付で息子と姪の結婚成就をお願いしたことがあります。効いたのかその願いが叶っています。
村上水軍の城跡だった上関城山歴史公園
遍照寺を出ると、細い登り道をくねくね歩いて上関城山歴史公園に行きました。この公園には河津桜がたくさん植えてあります。そのため、他の地域より早く桜祭り(城山桜まつり)が行われます。上関城山歴史公園では海を眺め中ながら小休止しました。続いて龍口大明神に向かって道を下りました。そして、村上氏が奉納した灯篭がある菅原神社に行きました。
龍口大明神のお社 村上氏灯篭の菅原神社 超専寺の急階段
次に、古い街道から階段上の超専寺に向かいました。幼稚園併設のお寺で、幼児達の賑やかな声が聞こえました。階段を降りて次に武内ギャラリーに行きましたが門が閉っていました。続いて、新しい上関町役場の建物を見た後に左右の古い町並みを見つつ阿弥陀寺に向かいました。
急階段の阿弥陀寺 旧上関番所 龍宮社の鳥居とお社
阿弥陀寺には保育園が併設されており、園児達の賑やかな声が聞こえてきました。次に旧上関番所,物産センター.そして龍宮社に行きました。最後に上関大橋の真下の岩場に降りました。干潮でしたので、ワカメなどの海藻がびっしり岩に付いていました。
ところで、その岩場でうっかり滑って転んでしまい手のひらを怪我してしまいました。軍手を持ってきていたのにはめていませんでした。先日も夜中に電気を付けようとしてつまずいて手をついて指を怪我しました。油断大敵です。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
上関町長島の史跡巡りウォーキング下見コース