25日、東京工業大学で行われた少年少女発明クラブのチャレンジ創造コンテストに行ってきました。去年はたまたま発明クラブの会議に参加した後にチャレンジ創造コンテストがありました。そのため、参考のために見学しただけでした。しかし、今年はクラブとして思いがけない本出場でした。
出場する子供達と 最初に工作物の検査 開会式前パレード
当日、開会式1時間前に会場に着きました。すでに何グループか来ていて工作物の調整や確認をしていました。また、会場のスタッフが忙しく駆け回っていました。アナウンサーの声の通りのチェックや音楽のチェックもしていました。しばらくして、田布施町チームのメンバーがやって来ました。服を着替えた頃、車検をするスタッフがやってきました。大きさ、ガスやリチウム電池を使っていないかなどの項目についてチェックがあり、問題なく合格しました。
48:徳島のチーム,47:田布施町のチーム,46:柳井市のチーム
全チームの車検が終わると、開会式パレードが始まりました。チーム名を呼ばれると、子供達は会場を半周して所定の場所に着席です。開会式が終わると、すぐにコンテストが始まりました。各県代表の60チームが1分毎にスタートします。そのため、1時間ちょいで1次コンテストが終わることになります。
開会式の挨拶 競技直前所定の位置に並ぶ 白旗が上がりGood
我が田布施町チームは規定の1分以内に走破してGoodでした。ただ反省点としては、走行と説明がうまく同期していなかったことや、やはり他チームと比べて華やかさやからくりの数が少なかったことでしょうか。残念ながら、我が田布施町チームは1次予選を通過(上位20チームに入ること)することができませんでした。しかし、全国大会に出場できただけでも誇れると思います。今後もチャレンジするのであれば、来年は1次予選通過、再来年は上位3位内を目指すことを目標にしてはどうかと思います。
コンテストが終わり昼食中 上位20チームによるコンテストを見学
各チームの創意工夫はとても参考になりました。上位を目指すならば、チームのスローガンやテーマを明確にし、各山車にもモーターやLEDなどを付け、他チームにない意外性のある動きなどの工夫が必要です。また、確実に動く動力車は必須です。実際、競技中に動作不良でやり直ししたチームや、動力車が全く動かなくて目を腫らしているチームがありました。もちろん、子供,保護者,指導員のチームワークも大切です。いろいろ参考になったチャレンジ創造コンテスト2017でした。出場した子供達、よく頑張りました!一生の思い出になりましたね。
他チームの工作置場1 他チームの工作置場2 他チームの工作置場3
田布施町内を主な移動手段にしている150ccバイクが動かなくなりました。セルは動くのですがエンジンがかかりません。10年近くバッテリーを交換していないのが原因かと思い充電しました。するとエンジンは動きます。しかし、1日経つと同じようにセルは回れどエンジンはかかりません。バッテリーが古くなったようです。
〇:バッテリーの収納位置 古いバッテリーを取り出す
近くのDIYのお店でバッテリーを探してみましたが、どれも自動車用です。バイク用は原付用のしかありません。そのためやむなく通信販売で購入しましたが品質が心配です。弱っているバッテリーのようだったので充電するとバイクは元のようにエンジンがかかりました。安いバッテリーだったので何年乗れるか心配です。
古いバッテリーを取り外し 新しいバッテリー 新しいバッテリーを取り付け
先日干した干柿がようやく出来上がりました。とは言え、干しあがっただけで、表面に糖分が析出して白くなっていません。白くするためには干柿を揉むとよいそうです。そのため、吊るしてある干柿をいったん降ろしました。そして、手で揉みました。干柿の生産地ではいちいち揉めないので、大量の干柿を板で叩いたり落とすようにして回すようです。
ようやく出来上がった美味しそうな干柿
出来上がった干柿を婆さんに食べてもらいました。すると、婆さんは中身がトロトロに近い干柿が大好物なようです。逆に私はやや硬めの干柿が対好きです。そのため、婆さん用にする干柿はこれ以上干さないようにしました。私用の干柿は揉んだ後、さらに干します。お正月頃には美味しい干柿が食べられそうです。
中身がトロトロの干柿 ちょうどよい干し頃 手で干柿を揉む
畑を整備するために道を歩いていると、一匹の猫に呼び止められました。よく見ると、なんとリンちゃんではありませんか。何ヶ月もいなかったので、てっきり山の中にでも迷い込んで死んでいるのかと思っていました。思いのほか、毛のつやも良く丸々していました。耳もだいぶ治っていました。この近くの家でお世話になっているようです。我家は婆さんが大の猫嫌いなので困っていました。安心しました。リンちゃん、たまには我家に顔を見せてくださいな。お世話している方、ありがとうございます。
意外にも、元気そうだったリンちゃん
寒い季節が到来しましたが、サトウキビ(サトウモロコシ)は今頃が一番甘くなります。この地域でサトウキビと言っているのはサトウモロコシの事なのですが、本当のサトウキビよりも甘いのではないかと思います。両者の一番の違いは糖質の違いです。サトウモロコシは水分を蒸発しても固形の砂糖になりません。水飴状になります。本当のサトウキビは水分を蒸発させると黒砂糖になります。
畑の片隅のサトウキビ 食べやすくするため茎を折る
このサトウキビは広く瀬戸内海で栽培されたようです。上関では昭和50年代位まで特定の方によって栽培されていました。私の知っている古老は四代に住んでおり、畑でサトウキビを栽培していました。しかし、その方は20年位前に亡くなり上関のサトウキビは絶えてしまいました。江戸時代以前は砂糖は貴重品でした。柿やサトウキビが唯一の甘さだったと聞きます。
私はこのサトウキビをわずかながら栽培していますが、大人も子供達は見向きもしません。噛んで汁をすする食べ方が分からないからでしょう。また甘さもケーキなどと比べて低くく、やや草っぽい味がすることも好まれない理由です。私はこの味を楽しむたびに、昔の人の暮らしに思いをはせます。
皮を剥いだ茎 芯を取り出して噛む カスは捨てる
前回まで同じ小麦を3回製粉してきました。しかし、まだまだ粉には程遠い状態です。そのため、4回目と5回目の製粉をしました。4回ほど製粉を繰り返すと小麦粉にある特徴が現れるようになります。それは、小麦は個体なのですが製粉を繰り返すごとに液体のような様相になるのです。具体的には、粉が入っている箱をゆすると波打つのです。
同じ小麦を4回と5回と製粉を繰り返す
製粉を繰り返すと、小麦の粒がだんだん細かくなります。すると、臼がどう言う訳か詰まりやすくなるのです。そのため、一度に製粉する量をだんだん少なくするために、投入口を少しずつ狭める必要があります。あるいは、投入量を手元で少なく調整します。入れる量が多くなり過ぎると、臼がゴロゴロ音をたてます。空回りするのでしょうか。するとすぐに投入量を減らさなければなりません。
投入量を調整する楔 小麦粉をすくい上げる 製粉投入口に注ぐ
製粉を5回繰り返してようやく実用的な小麦粉が出来上がりました。出来上がった小麦粉は、製粉依頼を受けた東田布施公民館に持って行きました。そして、その日の主事さんに小麦の全粒粉の扱い方を伝えておきました。なお、預かった小麦のうち半分しか製粉していません。残りの半分は12月中に製粉を済ませて持って行こうと思います。
完成した全粒粉 完成した全粒粉をビニール袋に入れる
朝は氷が張るような厳しい季節になりました。12月ではないかと思うような寒さです。それに伴い我家周辺の山は一気に紅葉が進み、葉がどんどん落ち始めました。熊手でその落ち葉を掃いてもきりがありません。溜まった落ち葉を集めてたき火で燃やすか、畑にまいて耕耘機で畑にうない込もうと思います。
夕日を浴びて赤く染まる我家正面のモミジ
特にモミジは我家の道路にどんどん溜まります。そのためモミジが重なってとても綺麗です。今の季節だけに見えるモミジ絵です。一方アメリカフウも色づき始めました。もう少し立てば赤く染まるか黄色のまま落葉します。落葉樹の、今の時期だけの紅葉劇場の始まりです。この劇場が終わると、いよいよ厳しい冬の始まりです。
道に溜まり始めたモミジ 黄色に染まったアメリカフウ
小麦の種まきを予定していましたが、雨ですっかり予定が狂ってしまいました。明日は平生町佐賀方面のウォーキングをした後、寝台列車で東京に行くことにしています。そして、東工大でのチャレンジコンテスト全国大会に出場した後、東京の我家を満喫してから田布施に戻ってきます。そのため、小麦の種まきは1週間後に延期です。この時期の1週間は痛いです。これからどんどん寒くなっていくので、1週間の遅れは、実施的には2週間以上の遅れなのです。
最後の和綿1粒の収穫 ハンマーナイフで除草 移植予定だった紅花の苗
和綿畑の除草だけは済ませました。この夏から秋にかけて和綿を育てていた畑です。最後の和綿の収穫をした後、ハンマーナイフモアで綿の茎から葉まですべて粉々に砕きました。この後、耕耘機で耕してから、育苗した紅花の苗を植えつけるつもりでした。しかし雨で中止です。残念!
以降の作業は東京から戻ってからにならざるを得ません。畑の耕耘、小麦の種まき、紅花苗の植え付けなど、やり残した農作業が多くて困ったものです。この雨でシイタケも急に大きくなります。このシイタケの収穫もしなければなりません。やれやれ体が二つ欲しいところです。
和綿畑を綺麗に除草して、あとは耕耘と紅花の植え付けを待つ畑
11月末には小麦の種まきを終わらせる必要があります。12月でもかまわないのですが、気候が寒くなり発芽したとしても分げつしません。種一つに一つの穂しか出ません。つまり、収穫量が少なくなるのです。分げつを促す意味でも、11月播種は守らなければなりません。すぐにでも種まきできるように、耕耘機で元サツマイモ,元綿畑,元藍畑,元枝豆畑をまとめて耕耘しました。
耕耘機を畑に運ぶ 耕耘を始めた畑 ほぼ半分を耕耘完了
以前はトラクターを使って耕していたのですが、トラクターで耕すには狭いので最近は耕耘機を使っています。今回使った耕耘機は、東京で農業をやめた古老からいただいたものです。その古老はこの耕耘機が故障してもすぐに直せるように、部品をたくさん揃えていました。その部品一式もいただきました。ありがたいことです。今回の耕耘で、小麦の種まき準備ができました。
赤いカンナの花に見守られながら、畑をもくもと耕耘
黒羽根の次に秋森に行きました。最初山道を抜けて行けるのではないかと、どんどんと山の方に行きました。しかし、徒労に終わりました。来た道を少し戻って脇道を下って海岸線に出ました。下見では得てしてこのような無駄な労力を使うことがあります。そのため、本番の1.3倍位余分に歩きます。
防陽八十八箇所霊場十八番札所の善光庵で休憩
秋森に着くと、最初に防陽八十八番ヶ所霊場十八番札所の善光庵に向かいました庵と呼ばれていたためかつては尼さんが住んでいたに違いありません。今は秋森生活改善センターに衣替えしていました。中には多くのお地蔵様が安置されています。続いて小郡に向かいましたが、山道を抜けることができないか坂をどんどん登りました。これまた徒労に終わりました。30分位無駄な時間を費やしてしまいました。
秋森の集会所で休憩 秋森の上の方にある大師堂
善光庵の周りには八十八ものお地蔵様が安置されているようですが、時間がないため今回はすべてを見ることができませんでした。続いて小郡に行きました。最初集会所に行き、縁側に座って休憩しました。休憩後大師堂に行きました。大師堂横に体操時に使う鉄棒がありました。元々は遊具が置いてあった公園だったようです。いつしかここに大師堂が移ったのでしょう。元々どこにあったのか知りたいものです。続いて小山の尾根にある祠を見学しました。
大師堂のお地蔵様 尾根に置かれた祠 加茂大明神の階段
その祠は民家を通らなければ行くことができません。そのため民家の方にご挨拶をして通らせていただきました。そして、藪の中の小道を通って祠に行きました。もともとは神社だったのかもしれません。灯篭や石鳥居の柱の残骸のようなものが放置してありました。
最後に見学した加茂大明神
祠を見学すると、田んぼを横切って加茂大明神(加茂神社)に行きました。小山の中腹に鎮座している神社です。少し歪んだ石階段を登るとお社がありました。あちこちの石が崩れていましたので、最近手入れされていないのではないかと思いました。しかし、しっかりと注連縄が掲げられていた為、お正月などは清められているのでしょう。加茂大明神を出ると、とある小さな祠を見た後、バス停に向かいました。ジャストタイムでバスに乗ることができました。佐賀のバス停で降りて、スタートした佐賀公民館に戻りました。下見に参加された方々、お疲れ様でした。
下見ウォーキングした平生町佐賀~魚見~黒羽根~小郡地区
第3回ヴォーカルアンサンブルwishミニコンサート & フリーマーケットに行ってきました。第1回と2回は仕事と重なっていけませんでした。今回は祝日で仕事が休みだったため行くことができました。せっかくなので、私が育てた野菜を置いてみることにしました。野菜は小松菜、葉大根、そして、シイタケです。シイタケは、早朝たまたま原木に生えていたものを持って行きました。サトウキビは、持って来るのをうっかり忘れてしまいました。
早朝収穫した小松菜を小分け 野菜を扱う傍ら糸繰りの実演
私はいつも朝7時半に起床するのですが、小松菜などの早朝収穫のため6時に起床しました。すると、すでに霜が降りていることを知りました。その寒い中で各種野菜を収穫しました。小分けする時間がないため、平生町のフリマ会場でEさん姉妹とTさんにお手伝いしてもらい小分けしました。シイタケは虫が食って穴が開いているものや、大さがまちまちで値段の付けようがありませでした。同じく野菜を扱っていたMさんにアドバイスしていただき値付けしました。また食事を提供していただいたNちゃん他、皆さんありがとうございました。
屋外のフリマコーナー 屋内のフリマコーナー 合唱の発表会場
天気は良かったのですが、風がとても冷たかったです。そのため、日が陰るたびに体が冷えてきました。来年参加するようであれば、風が入らないようなテントを用意の上、暖を取るような七輪かコンロのようなものを用意する必要があると感じました。去年は同じ11月に東京で50年ぶりに雪が積もりました。たまたまその時に東京に帰省していたため、雪の上を歩いてころんでしまいました。
フリマに参加した皆さん ヴォーカルアンサンブルwish
ヴォーカルアンサンブルwishの方々の合唱や子供達の歌が 本日の中心です。私はフリマの方に多くいたため歌はあまり聞くことができませんでした。屋内のフリマなどを覗く時だけ、遠目にサンタクロースの歌や子供達の歌を聴くことができました。そう言えば、もうすぐ12月になります。そろそろ郷土館に飾るクリスマスツリーの準備でもしようかと思います。
会場の屋外で、談笑しながら皆さんと会食
ミニコンサート & フリーマーケットが終わると、皆さんと屋内でお茶をして談笑しました。その時、同じ保育園に通っていたFちゃんがたまたま通りがかりました。Fちゃんを席に招いて、皆さんと60年近く昔の話題で和みました。その後、テーブルや椅子、野菜の残り、糸繰り器などを片付けしました。そして、それを車に積み込んで我家に帰りました。久しぶりに楽しかった一日でした。ありがたいことです。
サンタクロースの歌を歌うグループ 子供達による歌と演技
大田の棚田の石橋は、その昔は棚田と棚田の間を流れる川を横断するために作られたようです。橋梁がなく両側からのせり出し式で作られています。そして、一枚の石が橋として置かれています。その石橋を見学後、大田から魚見の海岸に向かって道を下りました。眺めの良い道をどんどん下ると県道に出ました。
石橋近くの荒れた道を戻る 魚見の海岸を見ながら下る
魚見に出ると太田川に寄りました。道の反対側には、太田川に関わり建てられた1体のお地蔵様が安置されていました。この頃になるとお昼の時刻となりお腹が空いてきました。海岸の砂浜に降りて昼食休憩を取りました。海岸の波を鎮めるテトラポットを見ながらの休憩です。休憩が終わると道脇にあるお堂を見学し、黒羽根に向かって県道の歩道を進みました。
太田川に関わるお地蔵様 海岸の砂浜で休憩 県道脇のお堂
黒羽根に着くと、県道から分かれ山へ向かう道に入りました。急な上り坂を進むと黒羽根の集会所に着きました。この集会所、かつては何かのお堂があったのでしょう。室内にはお地蔵様や神棚が置かれていました。あちこちに置かれていた地蔵や神棚の世話が高齢化などで難しくなり、この集会所にまとめたのではないかと思います。屋内を見学させていただきました。
お地蔵様や神棚がまとめて置かれている黒羽根集会所
興味深いのは、仏教に関わる仏様と神道に関わる神様が隣通しに置かれていることです。この様式は、他の集会所にも多々あります。ある集会所では、同じ建物に仏さまと神様を置くことでトラブルになった話もあります。両者のお世話することが難しい現代、両者に仲良くしていただくほかはありません。
神道に関わる神棚、下段に亥の子 仏教に関わる仏様
神棚を見ていると、その下の段に珍しく亥の子が置いてあることに気が付きました。しかも、丸石の上の穴にちゃんと五平が飾ってあるのです。亥の子の正式な飾り方で置いてあるので、私としてはうれしくなりました。亥の子については郷土館で再現したことがあります。歌いながら子供達にドーンドーンと亥の子で地面を突かせました。この亥の子の行事、今や黒羽根でも行っていないと思われます。
黒羽根を振り返ると、山の頂に光輝病院が見える
黒羽根から小郡に向かう山道を探しましたが分かりませんでした。かつては隣接する地区と結ぶ最短の道があったはずです。車が普及した今では使うことがありません。ひっそりと山に埋もれてしまったようです。かつて、尾根に向かって道が続き、反対側の阿月に行くことができました。それらの道は今、静かに痕跡として残っています。
下見ウォーキングした平生町佐賀~魚見~黒羽根~小郡地区
11月は平生町の佐賀~魚見~黒羽根~小郡をウォーキングします。下見ウォーキングでは佐賀公民館に集合しましたが、本番ウォーキングでは佐賀公民館を知らない方のため田布施町交流館に集合しても良いことにしました。スタート地点の佐賀公民館は、縄文遺跡が出土した場所です。その岩田遺跡の石碑が公民館前に建っています。
岩田遺跡の石碑 最初に向かった大師堂 大師堂横の足摺地蔵
佐賀公民館をスタートすると、県道を上関方面に向かって進みました。そして、大師堂を見学しました。ちょうど一組の夫婦がお詣りしていました。この大師堂、近くの尾根筋に八十八ものお地蔵様が並んでいます。ただし、近年お詣りする道が手入れがされておらず、今では一部しか見ることができないようです。
大師堂から道を戻り、藪・大田地区に向かう川筋の道
大師堂の横には足摺地蔵が安置されています。このお地蔵様、さすると足が良くなったり治るようです。高齢になれば誰でも足が弱くなります。この地蔵様にあやかろうとして永い間地元の方々からさすられたようです。いつまでもウォーキングできるように、私もこのお地蔵様をなでて、その手で足をさすりました。
藪地区の道を登る 大田大師堂近くのお地蔵様
その後、来た道を少し戻りました。そして、川筋の道を藪・大田地区に向かって緩い坂道を登りました。11月とは言え暖かい日差しで汗ばんできました。藪地区の道脇で休憩しつつ上着を脱ぎました。藪地区を抜けて大田地区に入ると、だいぶ登ったことが分かります。魚見の海岸が見下ろせるようになります。
大田地区から見下ろした魚見の海岸
魚見の言葉は、かつて漁業が盛んだった頃に山のいただきから魚の群れを発見・監視したことから来ています。山の上から猟師に、群れの方向を指示していたそうです。今で言う、手旗のようなもので指示していたのでしょうか。今では魚群探知機がありますが、昔は魚や鯨を見つけるとても大切な仕事だったようです。当然視力が良い者でないと勤めることができません。
大田大師堂 山中の祠 棚田奥にある石橋
大田地区に入ると、防陽八十八箇所霊場第十九札所だった大田大師堂に行きました。しかし、ドアに鍵がかかっており中に安置されたお地蔵様を見ることはできませんでした。3年前に大田大師堂でお大師講を見学させていただきました。お大師講に来ていた皆さん、まだお元気でしょうか。大田大師堂を出ると、光輝病院に向かって坂道を歩きました。そして、山の中にある祠、地元の方に教えていただいた棚田奥にある石橋を見学しました。
下見ウォーキングした平生町佐賀~魚見~黒羽根~小郡地区
漢陽寺を出ると、近くにある二所山田神社行きました。この神社の一番の見どころは、入口に生えている巨大なイチョウでしょうか。県内一の巨木とのこと。幹はとても大きく巨大で、高さがどれほどあるか首が痛くなるほど見上げても頂上を見ることができません。しかも、複雑に枝が伸びています。巨大な樹木によくある乳状の空気根が、途中の幹にぶら下がっていました。
頂上が見えないほど巨大なイチョウ
巨大なイチョウ横の参道を進むと、二所山田神社の本殿が見えてきました。この神社は、明治40年に二所大明神と山田権現社が合わさってできた神社です。それぞれの神社は約1100年前に建立されたとのこと。とてもいわれのある神社のようです。ただ、1000年以上も別々の神社だったのに、何故100年ほど前に合わさったのかその理由を知りたいものです。田布施町でも多くの神社が統合されました。明治政府の影響があったのでしょう。
左は車道、右は元々の参道 二所山田神社の本殿
明治時代にはたくさんの神社が合祀されました。その時、なんとか合祀を避けて神社を残そうと努力した文書が残っています。氏子の数、経済力、敷地面積、有力神社の後押しがないと残すことは難しかったようです。今ある神社境内に合祀されたお社の名が残っていることがあります。田布施の例で言えば、合祀されて消えていった多くの城南のお社の名が、石ノ口八幡宮に残っています。
本殿前のさざれ石 本殿の天井骨組み 数々の絵馬
二所山田神社を出た頃には、やや薄暗くなり始めていました。その後、八代を通って田布施町に帰りました。帰りついた頃にはすっかり暗くなっていました。ずっと運転してくれたNちゃん、ありがとうございました。今回の長門峡、徳佐方面散策はとても楽しかったです。感謝いたします。
長門峡、徳佐方面への往復路
サツマイモなどを収穫した畑を小麦畑に転換するための作業をしています。11月末には小麦の種をまきますので、その前に畑を綺麗に耕さなければなりません。その前段階として、畑内にある雑草を刈り取り、サツマイモなどの残渣をすべて片付けました。
葉を収穫後の藍の残渣 草刈機で綺麗に藍を刈り取り
サツマイモの残渣はすぐに片付け終わりました。畑に残った綿と枝豆は、手で引っ張り根ごと抜きました。綿は、はじけた実やこれから成熟しそうな実が数個付いていました。そのため、葉を取り除いて畑の隅に刺しておきました。枯れるにつれて実がはじけて綿が出てきます。畑の中でただ一つ、アーチチョークだけは葉が大きくなり高さが30cm近く成長していました。冬の間に成長して、来年の春さらに大きくなり巨大な紫色の花を咲かせます。その巨大な花のがくを収穫して食べるのです。
実がはじけそうな綿 わずかですが枝豆を収穫 アーチチョークの葉
すべての残渣を取り除くと、トラクターで耕しやすいように雑草を綺麗に刈り取りました。雑草が残っていると、ロータリーに巻き付いて耕すことができなくなります。そのため、背が高い雑草ほど丁寧に刈り取りました。後日トラクターで2往復程度丁寧に耕します。その後、11月末に小麦の種を蒔く予定です。毎年のことですが、初夏に小麦を収穫・脱穀、天日乾燥,貯蔵,最後に製粉してパンなどにして食べます。
後日トラクターで丁寧に耕し、11月末に小麦の種まき